長谷部
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「俺は」
男にしては大きな瞳が見開かれて、みるみるうちに潤んでいく。長い長い睫毛はバサバサと瞬いて、宝石みたいな涙の雫を絡めてきらめく。「俺は姉さんの奴隷じゃないんです!」悲痛な声。どう考えても今の状況と似つかわしくない男の声は、私の耳にはただ面白おかしく聞こえるだけだった。「……、っ、ふ」あ、いけない。頑張って我慢してみたけど無駄で、嚙み殺しきれなかった笑いがほんの少しだけ唇から漏れてしまう。それを耳ざとくも聞きとがめて、国重は口うるさく私をなじった。「ほら、ほら、今笑ったじゃないですか!何が『かわいい』ですか嘘をつかないでください!どうして姉さんはそう、俺を使って大喜利をしたがるんです。俺の女装なんてどう取り繕っても面白おかしいだけでしょう。そもそも『かわいい』ってなんですか俺はあなたの弟ですよ、当たり前ですが俺よりも姉さんの方がずっとずっとずっと、ずっと」
ロングヘアのカツラ。薄い唇にグロスを引けば、CMで耳にタコができるほど聞かされたフレーズ『キスしたくなる唇』そのまんまのぷるんぷるんの唇が出現した。もともと長かった睫毛は、ビューラーをかけるだけでギュインギュインにカールしてぱっちりお目目を作り出す。……可愛い。あまりに可愛すぎて、ちょっと引く。自分のメイクの才能が恐ろしかった。もしかしたら私は天才だったのかもしれないし、このままだとプロのメイクアップアーティストとしてオファーがきてしまうかもしれない。明日あたりにマドンナの専属メイクさんとしてヘッドハンティングされちゃったらどうしような私英語喋れないのにな英会話教室通っとこうかな……と、自画自賛するのに忙しかったので、国重の声などほぼ聞こえておらず、その言葉は七割がた耳を素通りした。
「……いや、ごめん、あのさあ、国重」
「ごめんで済むなら警察はいらないでしょう、俺は姉さんのおもちゃじゃないんですよ」
「いや、あのさあほんとごめん。……正直、可愛すぎて、ちょっと引く」
「……、な、……!」
いかにも『ショックです傷つきました悲しいです寂しいです酷いです』と言わんばかりの表情は、正直ただのシャッターチャンスだった。国重があっけに取られている間にスマホの連写機能を活用し、すかさずその顔を記録する。ぴろりん、ぴろりん、ぴろりん、と鳴り響く音にようやく我にかえったのか、必死の顔で国重がスマホに手を伸ばす(ギリギリのところで頑張って避けた)。
「……姉さんは」
「うん?」
「姉さんは、俺のことをなんだと、おもってるんですか」
「何って、私の弟だよ」
「………………、おとうと……」
力なくうなだれるその頭を、カツラ越しに撫でる。しょっちゅう忘れてしまうけど、私の弟は顔がいい。純然たるその事実を再確認したのは、二時間ほど前のことだった。家に帰ってみたら珍しく国重が、リビングで酔いつぶれていたので。仏頂面の外面をどこかに忘れてきたみたいな、緩みきった寝顔。くすくすと幸せそうに笑う顔を眺めながら、気がついたら小一時間くらい経っていただろうか。私には似ても似つかない綺麗な顔。長い長い睫毛も、整った鼻梁も、作り物みたいな造形の唇も、まるでこの世のものとは思えなくて、小さい頃から私はたまに不安に駆られていた。
……私が手を離したら、国重はきっとどこかに消えてしまうんだろう、なんて。
整いすぎた容貌は人間味がなくて、小さい頃の国重は、この世のものというよりも神様に近いような気配を放っていた。常に手をつなぎながら、いつも考えていた。私が、この手を離してしまったら。きっと国重はどこかに消えてしまう。遠い場所に行ったきり、そのまま戻って来なくなってしまう。私は今度こそ、一人きりで置いていかるだろう。だから、この手を離してはいけないのだ。
……『今度こそ』って、なんだろう。でも確かにいつも考えていたのだ。いつか、ずっと昔。私は国重を失ったことがある。悲しいほど綺麗な音を立てて、目の前であっけなくー
私が真剣な考え事をしているというのに、国重が能天気な顔ですやすや寝ているもんだから。何が嬉しいんだかにこにこにこにこ、あざとくもクッションを抱きしめた国重は、猫のように丸くなって眠っていた。その上、アイスクリームにジャムとお砂糖と飴玉と蜂蜜とメープルシロップをごちゃ混ぜにして仕上げにチョコレートをぶっかけました、みたいな声で、「……ねえさん」なんて、私のことを呼んだりするから。だからだから、だから。
「……ねえ、マジでお世辞抜きで可愛い。国民的美少女コンテストくらいなら余裕で狙えると思うんだけどどうかな、国重くん?」
「だから、なんの話をしてるんですか」
「書類作ったげるからさあ。いっちゃんお気に入りのワンピも貸したげるしばっちり化粧もしたげるし。姉さんと一緒に、テッペンとろうよ。やばいよほらみて、優勝賞金二百万だよ二百万」
「俺は姉さんの金づるじゃありません!』
「金づるなんて言ってるんじゃなくてさあ」
「じゃあなんだっていうんですか、俺のことを弄ぶだけ弄んで不誠実な」
「だってさあ、これ見てこれ。審査員に加藤タケルがいる。サインめっちゃ欲しい」
「……、姉さんは、姉さんは、俺のことをなんだと」
かわいいかわいい、私の弟。小さい頃からずっと一緒で、家族の誰にも似てなくて。嫌味なほどになんでもできてアホみたいに私にべったりで、いつだってどこか現実感が希薄な私の国重。だけど、寝ている隙に化粧を施されて、ヅラまで被らされた挙句に涙目で震える顔は、どこをどうみても人間に見えた。潤みきった上目遣いもすかさずシャッターに納めて、「さっきも言ったけど、弟だと思ってる。ね、かわいいかわいい私の弟」なんておだててあげれば、他愛もなく口元を緩めるんだから、国重は本当にバカで可愛い。
「かわいい、なんて、おだてたところで騙されませんからね。俺は」
「おだててんじゃなくって。ね、ほら見てみなってやばいよ、絶対グランプリ取れる」
「だから俺よりも姉さんの方がずっとずっと!」
「……ふうん、へぇ、そうなんだ。じゃあ、姉さんが出ようかなあ。国民的美少女コンテスト」
「……は?」
「だって国重が出ないんだからしょうがないじゃん。二百万は欲しいし、加藤タケルのサインも欲しいし」
「……、………………、…………それは、だって、そんな、ずるいです」
「ずるいも何もないでしょ。さっき言ってたもんね?国重よりも私の方がずっとずっと綺麗で可愛いんだってね?」
「さっきは聞こえないふりをしたくせに今更その話を持ち出して来ないでください!」
「今更も何も、だって本当の事なんでしょ」
「…………、ぐぅ」
「ねえ、国重」
「…………いやです」
「姉さん、欲しいなあ。加藤タケルのサイン」
「…………いやです…………」
力なく首を振る表情に、もはや説得力なんかない。「いやよいやよも好きのうちって言うじゃん?」と口走った私の声は、まるで悪代官みたいに脂下がっていて我ながら邪悪だった。でもこの際なんだっていい、こうなれば時間の問題で、遅かれ早かれ私の粘り勝ちになる。だって、国重が私の『おねがい』をかなえなかったことなんて、ただの一度もないんだから。「嫌です。どんな条件を出されたってそれだけは絶対に嫌です」と抵抗する国重に、「じゃあ、あれ。優勝したら久しぶりに、バレンタインのチョコ作ってあげるから」と揺さぶりをかけてみる。そしたら目の色変えて「約束ですよ絶対ですからねチョコレートケーキがいいです」などとあっさり頷いたので、逆に引いてしまった。どんな条件を出されたって絶対に嫌だって、三秒前に言ってたのに。本気でちょろすぎて逆に心配になる。詐欺とかにひっかからなきゃいいけど。
その後、私のワンピースの中でギリギリ着れそうなやつを引っ張り出したりして、二人して深夜に騒いでたもんだから大学生にもなって親に叱られる羽目になった。国重の美少女っぷりときたら大したもので、うっかり書類審査を通過してしまったもんだから腹がよじれるほど笑った。結局二次選考には進まずじまいだったのに、何をどうしたのか国重は本当に加藤タケルのサインをもらってきたので、約束通りチョコレートケーキを作ってあげた。既存のレシピをみながら適当に作っただけのいかにも素人臭いチョコレートケーキを、幸福そのものみたいな顔で頬張る私の弟はやっぱり胡散臭いくらいに顔が良い。現実味のない薄紫色の瞳が私を映して、「ねえさん」ととろけそうな声で甘ったるく私を呼んで。
……この声を、失くしたことがあるような、気がするんだけど。いつか、ずっと昔。愛おしげに私を呼ぶ声に、薄紫色の瞳に、誰かの体温。懐かしいような悲しいような、切ないような感情。だけどそんなのはきっと、不確かで大げさな幻に違いないので。脳裏を過ぎる記憶には蓋をして、私は弟の髪の毛を、いつも通りにぐしゃぐしゃに撫で散らかした。
男にしては大きな瞳が見開かれて、みるみるうちに潤んでいく。長い長い睫毛はバサバサと瞬いて、宝石みたいな涙の雫を絡めてきらめく。「俺は姉さんの奴隷じゃないんです!」悲痛な声。どう考えても今の状況と似つかわしくない男の声は、私の耳にはただ面白おかしく聞こえるだけだった。「……、っ、ふ」あ、いけない。頑張って我慢してみたけど無駄で、嚙み殺しきれなかった笑いがほんの少しだけ唇から漏れてしまう。それを耳ざとくも聞きとがめて、国重は口うるさく私をなじった。「ほら、ほら、今笑ったじゃないですか!何が『かわいい』ですか嘘をつかないでください!どうして姉さんはそう、俺を使って大喜利をしたがるんです。俺の女装なんてどう取り繕っても面白おかしいだけでしょう。そもそも『かわいい』ってなんですか俺はあなたの弟ですよ、当たり前ですが俺よりも姉さんの方がずっとずっとずっと、ずっと」
ロングヘアのカツラ。薄い唇にグロスを引けば、CMで耳にタコができるほど聞かされたフレーズ『キスしたくなる唇』そのまんまのぷるんぷるんの唇が出現した。もともと長かった睫毛は、ビューラーをかけるだけでギュインギュインにカールしてぱっちりお目目を作り出す。……可愛い。あまりに可愛すぎて、ちょっと引く。自分のメイクの才能が恐ろしかった。もしかしたら私は天才だったのかもしれないし、このままだとプロのメイクアップアーティストとしてオファーがきてしまうかもしれない。明日あたりにマドンナの専属メイクさんとしてヘッドハンティングされちゃったらどうしような私英語喋れないのにな英会話教室通っとこうかな……と、自画自賛するのに忙しかったので、国重の声などほぼ聞こえておらず、その言葉は七割がた耳を素通りした。
「……いや、ごめん、あのさあ、国重」
「ごめんで済むなら警察はいらないでしょう、俺は姉さんのおもちゃじゃないんですよ」
「いや、あのさあほんとごめん。……正直、可愛すぎて、ちょっと引く」
「……、な、……!」
いかにも『ショックです傷つきました悲しいです寂しいです酷いです』と言わんばかりの表情は、正直ただのシャッターチャンスだった。国重があっけに取られている間にスマホの連写機能を活用し、すかさずその顔を記録する。ぴろりん、ぴろりん、ぴろりん、と鳴り響く音にようやく我にかえったのか、必死の顔で国重がスマホに手を伸ばす(ギリギリのところで頑張って避けた)。
「……姉さんは」
「うん?」
「姉さんは、俺のことをなんだと、おもってるんですか」
「何って、私の弟だよ」
「………………、おとうと……」
力なくうなだれるその頭を、カツラ越しに撫でる。しょっちゅう忘れてしまうけど、私の弟は顔がいい。純然たるその事実を再確認したのは、二時間ほど前のことだった。家に帰ってみたら珍しく国重が、リビングで酔いつぶれていたので。仏頂面の外面をどこかに忘れてきたみたいな、緩みきった寝顔。くすくすと幸せそうに笑う顔を眺めながら、気がついたら小一時間くらい経っていただろうか。私には似ても似つかない綺麗な顔。長い長い睫毛も、整った鼻梁も、作り物みたいな造形の唇も、まるでこの世のものとは思えなくて、小さい頃から私はたまに不安に駆られていた。
……私が手を離したら、国重はきっとどこかに消えてしまうんだろう、なんて。
整いすぎた容貌は人間味がなくて、小さい頃の国重は、この世のものというよりも神様に近いような気配を放っていた。常に手をつなぎながら、いつも考えていた。私が、この手を離してしまったら。きっと国重はどこかに消えてしまう。遠い場所に行ったきり、そのまま戻って来なくなってしまう。私は今度こそ、一人きりで置いていかるだろう。だから、この手を離してはいけないのだ。
……『今度こそ』って、なんだろう。でも確かにいつも考えていたのだ。いつか、ずっと昔。私は国重を失ったことがある。悲しいほど綺麗な音を立てて、目の前であっけなくー
私が真剣な考え事をしているというのに、国重が能天気な顔ですやすや寝ているもんだから。何が嬉しいんだかにこにこにこにこ、あざとくもクッションを抱きしめた国重は、猫のように丸くなって眠っていた。その上、アイスクリームにジャムとお砂糖と飴玉と蜂蜜とメープルシロップをごちゃ混ぜにして仕上げにチョコレートをぶっかけました、みたいな声で、「……ねえさん」なんて、私のことを呼んだりするから。だからだから、だから。
「……ねえ、マジでお世辞抜きで可愛い。国民的美少女コンテストくらいなら余裕で狙えると思うんだけどどうかな、国重くん?」
「だから、なんの話をしてるんですか」
「書類作ったげるからさあ。いっちゃんお気に入りのワンピも貸したげるしばっちり化粧もしたげるし。姉さんと一緒に、テッペンとろうよ。やばいよほらみて、優勝賞金二百万だよ二百万」
「俺は姉さんの金づるじゃありません!』
「金づるなんて言ってるんじゃなくてさあ」
「じゃあなんだっていうんですか、俺のことを弄ぶだけ弄んで不誠実な」
「だってさあ、これ見てこれ。審査員に加藤タケルがいる。サインめっちゃ欲しい」
「……、姉さんは、姉さんは、俺のことをなんだと」
かわいいかわいい、私の弟。小さい頃からずっと一緒で、家族の誰にも似てなくて。嫌味なほどになんでもできてアホみたいに私にべったりで、いつだってどこか現実感が希薄な私の国重。だけど、寝ている隙に化粧を施されて、ヅラまで被らされた挙句に涙目で震える顔は、どこをどうみても人間に見えた。潤みきった上目遣いもすかさずシャッターに納めて、「さっきも言ったけど、弟だと思ってる。ね、かわいいかわいい私の弟」なんておだててあげれば、他愛もなく口元を緩めるんだから、国重は本当にバカで可愛い。
「かわいい、なんて、おだてたところで騙されませんからね。俺は」
「おだててんじゃなくって。ね、ほら見てみなってやばいよ、絶対グランプリ取れる」
「だから俺よりも姉さんの方がずっとずっと!」
「……ふうん、へぇ、そうなんだ。じゃあ、姉さんが出ようかなあ。国民的美少女コンテスト」
「……は?」
「だって国重が出ないんだからしょうがないじゃん。二百万は欲しいし、加藤タケルのサインも欲しいし」
「……、………………、…………それは、だって、そんな、ずるいです」
「ずるいも何もないでしょ。さっき言ってたもんね?国重よりも私の方がずっとずっと綺麗で可愛いんだってね?」
「さっきは聞こえないふりをしたくせに今更その話を持ち出して来ないでください!」
「今更も何も、だって本当の事なんでしょ」
「…………、ぐぅ」
「ねえ、国重」
「…………いやです」
「姉さん、欲しいなあ。加藤タケルのサイン」
「…………いやです…………」
力なく首を振る表情に、もはや説得力なんかない。「いやよいやよも好きのうちって言うじゃん?」と口走った私の声は、まるで悪代官みたいに脂下がっていて我ながら邪悪だった。でもこの際なんだっていい、こうなれば時間の問題で、遅かれ早かれ私の粘り勝ちになる。だって、国重が私の『おねがい』をかなえなかったことなんて、ただの一度もないんだから。「嫌です。どんな条件を出されたってそれだけは絶対に嫌です」と抵抗する国重に、「じゃあ、あれ。優勝したら久しぶりに、バレンタインのチョコ作ってあげるから」と揺さぶりをかけてみる。そしたら目の色変えて「約束ですよ絶対ですからねチョコレートケーキがいいです」などとあっさり頷いたので、逆に引いてしまった。どんな条件を出されたって絶対に嫌だって、三秒前に言ってたのに。本気でちょろすぎて逆に心配になる。詐欺とかにひっかからなきゃいいけど。
その後、私のワンピースの中でギリギリ着れそうなやつを引っ張り出したりして、二人して深夜に騒いでたもんだから大学生にもなって親に叱られる羽目になった。国重の美少女っぷりときたら大したもので、うっかり書類審査を通過してしまったもんだから腹がよじれるほど笑った。結局二次選考には進まずじまいだったのに、何をどうしたのか国重は本当に加藤タケルのサインをもらってきたので、約束通りチョコレートケーキを作ってあげた。既存のレシピをみながら適当に作っただけのいかにも素人臭いチョコレートケーキを、幸福そのものみたいな顔で頬張る私の弟はやっぱり胡散臭いくらいに顔が良い。現実味のない薄紫色の瞳が私を映して、「ねえさん」ととろけそうな声で甘ったるく私を呼んで。
……この声を、失くしたことがあるような、気がするんだけど。いつか、ずっと昔。愛おしげに私を呼ぶ声に、薄紫色の瞳に、誰かの体温。懐かしいような悲しいような、切ないような感情。だけどそんなのはきっと、不確かで大げさな幻に違いないので。脳裏を過ぎる記憶には蓋をして、私は弟の髪の毛を、いつも通りにぐしゃぐしゃに撫で散らかした。