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着手金十万、成功報酬で二十万、占めて三十万。というのが、真下くんによる【オトモダチ価格】の見積もりだった。思ったよりも随分安い。それでやっていけるんだろうか、と心配になったりもしたけれど、「太客は他にいるんでな。それに吹っ掛けたところでお前には払えない」などと鼻で笑われてあしらわれた。時刻は午後16時。一度事務所に帰るという真下くんを見送って、私は八敷さんのお家に残ることにした。化け物か何かわからないが、一度現象を確認してみたい。八敷さんがそう言ったからだ。【あれ】が来るのは時間も曜日もまちまちだったので、そうおいそれと会えるものなのかはわからなかった。だからまあ、とりあえず今日の21時までなら。そう時間を区切って、この屋敷に留まることに決めた。
……しかし何で、この人こんな所に一人で住んでるんだろ。真下くんはどうやってこの人と知り合ったのか。さっき出された異様に甘いあのコーヒーは、一体何のつもりだったのか。気になることは割とあったけど、確認するのはやめておいた。余計な事を言って、更に真下くんの神経を逆なでするのも気が進まない。それに、この空間は結構面白い。建物自体が、どうやら市の文化財に指定されているらしかった。落ち着いてみると、ホールの内装も美術館の様で、装飾品や調度品を眺めるだけでも意外と時間がつぶれる。天気は最悪だけど、つかの間、いつも通りの穏やかな休日の空気が戻って来たような気がしていた。それなのに、せわしなく動き回る私を見守る八敷さんは、やっぱりどこか不安げなのが気になる。「あの、大丈夫ですか」私が聞くと、彼は何ともはかなげな笑みを浮かべ、「君は本当によくわからないな」とつぶやいた。
「普通は逆だろう。依頼人が俺の心配をしてどうする」
「まあ、そうだけど。そうなのかな。こういうの慣れてないからよくわからないけど」
「それはそうだよな。こんなの滅多に起きる話じゃない」
「ですよね、だからあんまり現実感がなくて。でも寧ろ申し訳ないです、こんな訳の分からない話に付き合わせて。真下くんもなんだかんだ心配してくれるけど、これ全部私の勘違いかもしれない。だから寧ろ不安なのはそっちですよ。これだけ大騒ぎして何もなかったら、」
「違う」
「え?」
「ありえない。……こんな状況で、【何もない】なんて、それこそ考えられない話だ。君もしかして気付いてないのか」
「え、何。何が」
「真下が出て行ったあたりからかな。音が急に止んだ。雨の音も風の音も聞こえない。窓の外を見ろ、ずっと降ってるのにおかしいだろ。代わりにさっきからずっと、鈴の音が聞こえる」
……鈴の音。鈴の音なんてしただろうか。シャンデリアがチカチカと点滅する。いつの間にか、時計のカチカチ言う音も消えていた。異様に静かになった部屋の中、生ぬるい空気が体にまとわりつく。
ひたり。
それは遠くから聞こえるような気がした。
ひたり。
ひたり。
ひたり。足音だろうか。この屋敷を目指す誰かの、もしくは、人間ではない何かの?
「ほら」掠れた声。
「来たぞ」八敷さんが立ち上がって、扉の前に立ちふさがる。
ひたり。ひたり。足音が、とまった。
それから、
「こんにちは」
扉のすぐ向こうに、それは居るらしかった。
「こんにちは、こんにちは、こんにちは、みなさん、こんにちは」
「名前さん」
「名前さんはいらっしゃいますか。いらっしゃいますか。いらっしゃいますか。いらっしゃいますか。こんにちは」
考えていたのよりもずっと、綺麗な声をしてる。他人事のようにそう思った。
テープのように繰り返すそれは、アナウンサーのような女性の声だった。不思議と嫌な感じはしなかった。まるで輪唱みたいで綺麗。黙って聞いていると、声はカセットテープのスイッチを切り替えるみたいに調子を変えた。「おむかえに」今度は少し低い声。年配の、女の人だろうか。これもどこかで聞いたことがある。例えるなら、そうだ。エレベーターの注意音声みたいな。
「おむかえにあがりました。おむかえに。おむかえに、あがり、り、りりり、りり」
りん、と、聞こえたのは確かに、鈴の音なのかもしれなかった。真下くんの話を思い出す。死因不明の遺体。傍には遺書。遺書にはなんて書かれていたんだろう。考える。何かが迎えに来る、そう言い残して消えた日高くんの事も。考える。考える。「いきましょう」声はまた調子を変える。今度の声は、何だか遠くから聞こえるみたいに不明瞭だ。親しい誰かに話しかけるみたいな、すこしぞんざいな。これもどこかで聞いたことがある、ような。「いきましょう」声は繰り返す。いきましょう。日高くんはそこへ行っただろうか。日高くんと一緒に死んでいたという男の人も。それじゃあもしかして、私もそこへ行くんだろうか。いきましょう。私と一緒に行きましょう。
……今日はお祈りの日なんだから。
ふっと、誰かの声が頭によみがえる。まるで深海の中のような真っ青な世界。白い壁。わたしはあそこが恐かった。……わたし?わたしって、誰。これは誰の。誰の記憶なんだっけ。
「あ」
鉄臭い香りが鼻を擽って、思わず声が出てしまう。この匂いも知っている。だけどどこで嗅いだんだっけ。思い出せない。噎せるような甘い香り。甘ったるい。鉄臭い。考えるのをやめたくなるような。ゆらゆらと足元がゆれる。ここは水の中、なんだっけ?
「いきましょう」
いきましょうって、一体どこに。
「おみどう」
「……おみど、う?」
聞いたことがあるようなないような。ふと体の力が抜けていく。あ、これ、倒れる。
▽
「名前。おい、聞こえるか。苗字名前」
「……あ。え?」
ぼやぼやと視界が暗い。なんかいるな、と思って手を伸ばしたら、思いのほか近くにそれは居た。ぺち、と柔らかいモノが指に触れる。ゆっくりとなぞってたどって、それが人の顔であることが分かる。「おい」テンションの低い声。知ってる感じの感触の髪の毛に、耳に、唇の形。「ましたくん」その名前を口にした瞬間に、世界が現実味を取り戻した。ような、気がした。
「あれ、私、……なんだっけ。なんで」
クリーム色の天井。学校の保健室に似ている気がする。手首から何か冷たいモノが伝って、腕の中に落ちていく。点滴ってやつだ。じゃあここは病院か。それにしても何で。
「待て。起き上がるな動くな頭を動かすな。黙ってそこに転がされたままで聞け」
「ひ、酷い」
「黙れ。余計な事も、喋るな。八敷から話を聞いた。奴は本当にお前を呼びに来たらしいな」
「はあ、……ああ、そうなの?」
「正直驚いたよ。この状況を【実害がない】などと抜かした貴様の能天気さには」
「さっきの事だけど、あんまりおもいだせな」
「黙れ」
つまり、ただひたすら真下くんのお話とお説教を聞いておけ、という意味らしかった。
その話によると、「状況は思ったより悪い」とのことだった。【あれ】は本当に私を迎えに来て、壊れたテープレコーダーのように音声を繰り返して、そのうちふっといなくなったらしい。呼ばれている間、私はうんともすんとも言わなかったそうだ。だけど唐突に「おみどう」という謎の単語を口走り昏倒したらしい。そんな言葉聞いたことないし覚えてない、そう口を動かす前に「だろうな」とぶった切られた。それから何やかやあって、私は真下くんの馴染の病院に担ぎ込まれたらしい。それが事実なのは理解したのだけれど、覚えていないので今一つ実感にかける。私の記憶は、館の玄関ホールにいた時点で止まっていた。
色々聞きたいことはあったのに、「詳しい事は明日話してやる。だからとにかく、今は寝てろ」と一方的に通告され、大きな手のひらに瞼を塞がれた。随分昔に、「私明るいと眠れないんだよね」と話した事を覚えていたらしい。ひんやりした手のひらの体温が、肌に馴染んで気持ち良かった。空調の音と消毒薬の匂い。やっぱりこの人の近くは、空気が澄んでいる、ような。理由もなく安心したらまた眠くなる。
本当になんていう一日だったんだろう。結局【あれ】は何なんだろう。そもそもどうしてこんなことになっている。答えが出そうもない問だけが体中をぐるぐる回る。何だか訳が分からないままに、事態がどんどん進行していく。私が渦中にいるはずなのに、私だけがまるで蚊帳の外なのは一体どういうことなのか。頭に浮かびかかった考えをまとめようとして、うまくいかなくてやめた。こんな状況じゃとても眠れない。そう思ったのにすとんと眠りについてしまったんだから、私の適応能力も捨てたもんじゃない。
……しかし何で、この人こんな所に一人で住んでるんだろ。真下くんはどうやってこの人と知り合ったのか。さっき出された異様に甘いあのコーヒーは、一体何のつもりだったのか。気になることは割とあったけど、確認するのはやめておいた。余計な事を言って、更に真下くんの神経を逆なでするのも気が進まない。それに、この空間は結構面白い。建物自体が、どうやら市の文化財に指定されているらしかった。落ち着いてみると、ホールの内装も美術館の様で、装飾品や調度品を眺めるだけでも意外と時間がつぶれる。天気は最悪だけど、つかの間、いつも通りの穏やかな休日の空気が戻って来たような気がしていた。それなのに、せわしなく動き回る私を見守る八敷さんは、やっぱりどこか不安げなのが気になる。「あの、大丈夫ですか」私が聞くと、彼は何ともはかなげな笑みを浮かべ、「君は本当によくわからないな」とつぶやいた。
「普通は逆だろう。依頼人が俺の心配をしてどうする」
「まあ、そうだけど。そうなのかな。こういうの慣れてないからよくわからないけど」
「それはそうだよな。こんなの滅多に起きる話じゃない」
「ですよね、だからあんまり現実感がなくて。でも寧ろ申し訳ないです、こんな訳の分からない話に付き合わせて。真下くんもなんだかんだ心配してくれるけど、これ全部私の勘違いかもしれない。だから寧ろ不安なのはそっちですよ。これだけ大騒ぎして何もなかったら、」
「違う」
「え?」
「ありえない。……こんな状況で、【何もない】なんて、それこそ考えられない話だ。君もしかして気付いてないのか」
「え、何。何が」
「真下が出て行ったあたりからかな。音が急に止んだ。雨の音も風の音も聞こえない。窓の外を見ろ、ずっと降ってるのにおかしいだろ。代わりにさっきからずっと、鈴の音が聞こえる」
……鈴の音。鈴の音なんてしただろうか。シャンデリアがチカチカと点滅する。いつの間にか、時計のカチカチ言う音も消えていた。異様に静かになった部屋の中、生ぬるい空気が体にまとわりつく。
ひたり。
それは遠くから聞こえるような気がした。
ひたり。
ひたり。
ひたり。足音だろうか。この屋敷を目指す誰かの、もしくは、人間ではない何かの?
「ほら」掠れた声。
「来たぞ」八敷さんが立ち上がって、扉の前に立ちふさがる。
ひたり。ひたり。足音が、とまった。
それから、
「こんにちは」
扉のすぐ向こうに、それは居るらしかった。
「こんにちは、こんにちは、こんにちは、みなさん、こんにちは」
「名前さん」
「名前さんはいらっしゃいますか。いらっしゃいますか。いらっしゃいますか。いらっしゃいますか。こんにちは」
考えていたのよりもずっと、綺麗な声をしてる。他人事のようにそう思った。
テープのように繰り返すそれは、アナウンサーのような女性の声だった。不思議と嫌な感じはしなかった。まるで輪唱みたいで綺麗。黙って聞いていると、声はカセットテープのスイッチを切り替えるみたいに調子を変えた。「おむかえに」今度は少し低い声。年配の、女の人だろうか。これもどこかで聞いたことがある。例えるなら、そうだ。エレベーターの注意音声みたいな。
「おむかえにあがりました。おむかえに。おむかえに、あがり、り、りりり、りり」
りん、と、聞こえたのは確かに、鈴の音なのかもしれなかった。真下くんの話を思い出す。死因不明の遺体。傍には遺書。遺書にはなんて書かれていたんだろう。考える。何かが迎えに来る、そう言い残して消えた日高くんの事も。考える。考える。「いきましょう」声はまた調子を変える。今度の声は、何だか遠くから聞こえるみたいに不明瞭だ。親しい誰かに話しかけるみたいな、すこしぞんざいな。これもどこかで聞いたことがある、ような。「いきましょう」声は繰り返す。いきましょう。日高くんはそこへ行っただろうか。日高くんと一緒に死んでいたという男の人も。それじゃあもしかして、私もそこへ行くんだろうか。いきましょう。私と一緒に行きましょう。
……今日はお祈りの日なんだから。
ふっと、誰かの声が頭によみがえる。まるで深海の中のような真っ青な世界。白い壁。わたしはあそこが恐かった。……わたし?わたしって、誰。これは誰の。誰の記憶なんだっけ。
「あ」
鉄臭い香りが鼻を擽って、思わず声が出てしまう。この匂いも知っている。だけどどこで嗅いだんだっけ。思い出せない。噎せるような甘い香り。甘ったるい。鉄臭い。考えるのをやめたくなるような。ゆらゆらと足元がゆれる。ここは水の中、なんだっけ?
「いきましょう」
いきましょうって、一体どこに。
「おみどう」
「……おみど、う?」
聞いたことがあるようなないような。ふと体の力が抜けていく。あ、これ、倒れる。
▽
「名前。おい、聞こえるか。苗字名前」
「……あ。え?」
ぼやぼやと視界が暗い。なんかいるな、と思って手を伸ばしたら、思いのほか近くにそれは居た。ぺち、と柔らかいモノが指に触れる。ゆっくりとなぞってたどって、それが人の顔であることが分かる。「おい」テンションの低い声。知ってる感じの感触の髪の毛に、耳に、唇の形。「ましたくん」その名前を口にした瞬間に、世界が現実味を取り戻した。ような、気がした。
「あれ、私、……なんだっけ。なんで」
クリーム色の天井。学校の保健室に似ている気がする。手首から何か冷たいモノが伝って、腕の中に落ちていく。点滴ってやつだ。じゃあここは病院か。それにしても何で。
「待て。起き上がるな動くな頭を動かすな。黙ってそこに転がされたままで聞け」
「ひ、酷い」
「黙れ。余計な事も、喋るな。八敷から話を聞いた。奴は本当にお前を呼びに来たらしいな」
「はあ、……ああ、そうなの?」
「正直驚いたよ。この状況を【実害がない】などと抜かした貴様の能天気さには」
「さっきの事だけど、あんまりおもいだせな」
「黙れ」
つまり、ただひたすら真下くんのお話とお説教を聞いておけ、という意味らしかった。
その話によると、「状況は思ったより悪い」とのことだった。【あれ】は本当に私を迎えに来て、壊れたテープレコーダーのように音声を繰り返して、そのうちふっといなくなったらしい。呼ばれている間、私はうんともすんとも言わなかったそうだ。だけど唐突に「おみどう」という謎の単語を口走り昏倒したらしい。そんな言葉聞いたことないし覚えてない、そう口を動かす前に「だろうな」とぶった切られた。それから何やかやあって、私は真下くんの馴染の病院に担ぎ込まれたらしい。それが事実なのは理解したのだけれど、覚えていないので今一つ実感にかける。私の記憶は、館の玄関ホールにいた時点で止まっていた。
色々聞きたいことはあったのに、「詳しい事は明日話してやる。だからとにかく、今は寝てろ」と一方的に通告され、大きな手のひらに瞼を塞がれた。随分昔に、「私明るいと眠れないんだよね」と話した事を覚えていたらしい。ひんやりした手のひらの体温が、肌に馴染んで気持ち良かった。空調の音と消毒薬の匂い。やっぱりこの人の近くは、空気が澄んでいる、ような。理由もなく安心したらまた眠くなる。
本当になんていう一日だったんだろう。結局【あれ】は何なんだろう。そもそもどうしてこんなことになっている。答えが出そうもない問だけが体中をぐるぐる回る。何だか訳が分からないままに、事態がどんどん進行していく。私が渦中にいるはずなのに、私だけがまるで蚊帳の外なのは一体どういうことなのか。頭に浮かびかかった考えをまとめようとして、うまくいかなくてやめた。こんな状況じゃとても眠れない。そう思ったのにすとんと眠りについてしまったんだから、私の適応能力も捨てたもんじゃない。