蜜月
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「馬鹿じゃないんですか」
明らかに小馬鹿にした声色ですっぱりと切り捨てられた。
こちらを見ようともしてくれない基次さまは、相変わらず手元の草紙に何かを書き付けている。何を書いてるんだろう。聞いてみようかな、いやでも。
手元を覗きこみたくなるのを堪えながら言葉を探す。いたたまれない空気のなかで、後ろに控えている女中さん達の視線が痛い。「ええと」和やかな雰囲気を演出すべく微笑んではみたものの、当の基次さまがこちらを見てくれないんだから無意味にもほどがある。
「ほ、…本日はお日柄もよく」
「まだ日もでてないですよねえ」
まだ日も上ってない位の明け方。漸くこちらに目線を向けた基次さまが、不機嫌なため息をついた。
「暇じゃないんですよねえ俺様も。出掛ける前にどこかの誰かさんを構うくらいなら、他にやることは死ぬほどあるんだよねえ」
「……」
「大体さあ、今何時だと思います?日も上らないうちからやかましいったらありゃしない」
「ええと」
…あれ、ちょっと泣きたいかもしれない。どこからどう会話を始めたものか分からなくなって、とりあえずお茶碗に山盛りご飯をよそってみる。
「…何ですかこれ」
「実家の兄が出掛けるときは決まって、義姉が朝食を作ってたんです」
「はあ。で?」
「それに倣って、今日は私が作ってみたんです。…お口に合うかどうか、わかりませんけど」
「…………」
心底厄介な物を見るみたいな目で、基次さまは私とお膳を見比べる。「ええと、頑張って作ったんですけど…。私なりに」弁解じみてそう言ってみたら、わざとらしくため息をつかれてしまった。
「あの、」
だってもう、三日も顔を見てお話ししてなかったから。早起きは得意ではないし正直料理だって上手ではない。それでも話しかける口実くらいにはなると思ったんだけど。不機嫌な目で睨めつけられて言葉につまる。久しぶりに顔を合わせたというのに、なんだろう、この体たらくは。
「あーあバカじゃねえの本当にさあ、」
「……、え、」
どのくらい沈黙が続いたんだろう。不意に手が延びてきて、指先を捕まえられた。反応を返す間もなく、手を引かれて座り込んだ。 基次さまはというと私自身には目もくれないでひたすら、私の手を眺めながらぶつぶつと呟いている。
「傷なんか作っちゃってさあ。だから言ったんだよ台所には絶対近づけるなって」
「……、」
「そもそもさあ。君、包丁なんて握ったことないんでしょ?今更ちょっと頑張ったところで無駄なんだからさあ、余計なことしないで大人しくしてりゃあいいのに」
「……基次さま」
「ほんっと余計なことしてくれるよねえ。俺様君に構ってる暇なんてないのにさあ」
「あの、」
ご飯が冷めます。呟いたら目があって、そこで初めて今の状況に気がついて。今更顔が熱くなってくる。基次さまに捕まれている手首も熱い。指先で手の甲をなぞられて、それだけのことが逃げ出したくなるくらいに恥ずかしい。
ちらりと後ろを振り返ってみたら、女中さんと目があって、嬉しそうに微笑まれてしまった。その、優しい視線が痛い。基次さまの方に向き直って、やんわりと手を振りほどこうとしたら却って強い力で捕まれる。ええと、こういうときマリア姉様ならどうするんだっけ。考えようにも頭が働かない。どうしよう。ええと、どうしよう、どうしよう、どうしよ、
「あー、キミさあ。そんなとこで眺めてないで早くこの人、連れてってくださいよお」
どうしようどうしようとそればかりを反芻してるうちに、気がついたら状況はどんどん進行していた。
「奥方様、さ、お怪我の手当てを致しましょう」
くすくすと、忍び笑いをする女中さんに肩を叩かれて我に返って、その瞬間に凄い勢いで立ち上がる。あっさり離れた手が名残惜しいような気がしないでもなかったけど、それよりも気恥ずかしくて早くその場から離れたかった。
*
『行って参ります。帰りは遅くなります。
追伸ー朝食が意外にまともな味で驚きましたが、もう金輪際料理を作ろうなんて妙な気を起こさないで下さい。かまどが爆発でもしたら迷惑なので。』
傷なんて実際、あってないような小さな物で、血なんてもう止まっていたんだけど。大袈裟な手当てが済んで、戻ってきた頃にはもう基次さまはいなくなっていた。
代わりみたいに置いてあった半紙に書かれていた文言に女中さんは、「何とまあ、相変わらず天の邪鬼でいらっしゃる」なんてため息をついていたけど、私にはそれも何だか嬉しかった。まともな味で驚きました、なんて。頬が緩むのもおさえないで、心のなかで姉川の兄に報告なんかしたりして。
…兄様、私、初めて料理を誉められましたよ。