長編設定の小話
名前変換
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気紛れの思いつきだ。たいした意味がある訳じゃない。やたらと暑苦しい義兄やら偉そうな義姉やらに影響されたとか、そんなんじゃない。ただ、名前さんが落ち込んでるのが鬱陶しいだけで。強いていえば、辛気くさい顔でいられるよりはましというだけで。つまりあれだ、多少鬱陶しくてもまだ、笑っていたほうが少しはましに見えるから。
「…今頃、姉川では桃の花が綺麗なんですよねえ」
「はあ、左様ですか」
騒がしく押し掛けてきた義姉その他は、来たときと同じように騒がしくここを発った。あれから三日。いい加減、兄離れしたらどうですかとか、言うのも馬鹿らしいくらいに彼女は腑抜けている。
「あと、梅がちょうど満開で」
「へえ」
「もう少ししたら、いっつも姉様が花見をしようって」
「……」
「兄様はいやがるんですけどね。あの人、花粉が駄目だから」
名前さんがこうやって静かだと調子が狂う。ぼんやりと間抜け面で中庭の桜を眺める名前さんをこれまたぼんやりと眺めながら、ふと思い出したのは先日、義兄の嫁さんと交わした会話だ。見たことないくらいに屈託なく笑う名前さんをみて、そういえばあのときもらしくないことを考えたんだった。何をしてやればこの人は、あんな風に俺に笑ってくれるんだろう、とか。馬鹿じゃねえの。
*
馬鹿じゃねえの。
我に返って誰にともなく悪態をつきたくなったのは、城に出入りしている反物屋に声を掛けた辺りだった。商魂たくましい笑顔で次々と品物を差し出されて辟易する。あれ、俺様、一体なにやってるんだろう。
「宜しゅうございますねえ、奥方様に」
「…ああハイ、ええまあ」
「こちらなどは先日京から届いたばかりでして」
「……はあ」
「ああ、簪なども取り揃えておりますが」
「ああいえ、その、…ハイ」
簪だとか着物だとかそんないかにもでありがちな物を贈るような柄じゃないしそんなもん女にくれてやったこともない。というかそもそも、着物だ何だと騒がしいのは寧ろあの人よりも義姉の方だ。義姉はといえば毎月毎月毎月、妹に大量に反物やら何やらを送り付けてくる。「妾のそれなりに可愛い着せ替え人形を奪い取った罪は重くってよ」とかなんとか、去り際に言われた言葉の意味を理解したのは最近の事だ。どっかの誰かさんが『お古』(何でお古の着物の着丈が、あんなに誂えたみたいにぴったりなんだか)を送りつけてくるせいで今でも名前さんは着せ替え人形だ。本人がそれに気づいてない辺りがまた鬱陶しい。
反物やら簪やら、次から次へと押し付けられながら現実逃避している間にも、あれはなんだとかこれはどうだとか反物屋は商魂逞しく捲し立ててくる。逃げる機会を完全に失った時にかぎって島なんかが「えっなになに、先輩?名前ちゃんに買ってあげんの?」とかなんとか言いながら寄ってくるから本当にうんざりする。……本当に俺様、今一体何をやってんだろう。
「うわあマジっすか、やっぱり先輩、愛妻家じゃないですかあ意外と」
「うるせえ黙れあっちいけ」
「ああこれ、名前ちゃんこういうの好きそう。いやあ俺好きだなあこれ」
違えよバーカ。それはあの人のオネエサマの趣味だ。島が指差した柄物を見てちらりと考えたけど、そんなことこいつに態々教えてやることはないので鼻で笑うだけにしておいた。しっしっ、と手で追い払おうとして重要なことに気づく。…何でお前が俺様の嫁の名前を知ってるんだよ。
「かわいいっすよねえあの子、笑いかた控えめで。センパイ、どこであんなの捕まえたんすか」
「…………」
「いや、こないだちょっと話したんすよ名前ちゃんと。センパイ軍義でいなかったでしょ」
「…………」
「でもさあ、後藤さんが結婚してるとかマジで驚きですよ。しかもあんなかわいい、」
「…………お前さあ、」
「えっ、なにセンパイ怖いっすよもうなんすか、」
「馴れ馴れしく呼んでくれるよねえ、誰に許可とったんだよ木偶が」
「…へっ、」
「俺様の家に勝手に入ってった挙げ句さあ、何?俺様の嫁捕まえてさあ、馴れ馴れしく名前とか呼んでんじゃねえよ」
「……」
あっけにとられたみたいなアホ面で島が、「…センパイ、ほんと、愛妻家なんすよね。意外と」とか意味のわからないことを口走るので、また鼻で笑ってやった。何言ってんだこいつ。馬鹿じゃねえの。ああでも、こんな馬鹿と名前さんが会話して、笑顔なんか向けたんだと思うと妙に苛つくなあ。睨み付けても怯まずニタニタと笑うのが憎たらしいので、腹立ち紛れに然り気無く足を踏みつけてやる。「いっでえ!」とかなんとかやかましい声を聞きながら何故かへらへらと笑う名前さんの間抜け面を思い出したりして、そんな自分にもうんざりする。馬鹿じゃねえの、本当に、さあ。
*
「悩みまくったあげくに、頭巾とか…センパイ、それはないっしょ…」
「ああなに、お前まだいたの?」
「簪とか櫛じゃないの普通。…頭巾ってさあ」
「なあんでそれを俺様が、態々教えてやらなきゃいけねえのかなあ」
「……センパイ。まさかとは思うけど、他の野郎に見せないため、とか、ベタなこと言いませんよねえ」
「うるせえなお前帰れよもう」
「…………うわあ」
*
朝。珍しく基次さまに起こされて、寝ぼけ眼で慌てて飛び起きたら何か布みたいなものを被せられた。「それ、いつも着けてないと俺様承知しませんよ。」とか、いつになく真面目な顔で言われたので何かと思った。何がなんだかわからないで間抜け面をする私を見て基次さまが、「中々似合うじゃないですかあ」とかこれまたらしくないことを言う、ので、訳もわからないのに何だか嬉しくて私も笑った。
兄以外の男の人からの贈り物なんて初めてだった。何で頭巾なんだかは分からないけど。
本当に一日中頭巾を被って、にやにやしていた私に何故だか満足げな基次さまは「俺様、君のそういうところ嫌いじゃないですよ」なんて言ってくれたので、嬉しくてその事を先日来た使いのかた(名前は確か、シマさんとか言ったっけ)に話した。そしたら、「うわあ、いぬもくわない」とかぼやかれてしまった。見せつけてくれる、とかおしどり夫婦、とか、言われたこともない冷やかし方をされて困ったけどそれはそれで嬉しい。だっておしどり夫婦とか、まるで兄様とお市様みたいだから。
いぬもくわない
「似合いますか?」
「ああハイハイ似合ってますよ」
「本当の本当に?」
「ハイハイハイ、似合ってます」
頭巾ひとつで喜ぶ名前さんが単純なら、しつこく繰り返される質問にいちいち律儀に答えてやる俺様も大概だ。「何かあの、こういうの、あれですね。おしどり夫婦みたいな」とかアホみたいなことを口走りながら彼女が、少しだけ頬を染めて笑う。
ああほらきっとこんな顔、俺様にしか見せないんだ。ざまみろ木偶共め。
誰にともなく優越感を感じてる自分に呆れた。花が咲いたみたいに笑うとか、本気で思っちゃったりしてさあ。馬鹿じゃねえの、本当に。