蜜月
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
基次さまの顔が見られない。
…もっと酷かったのは、夜、寝る前の事だった。
夜。なぜか寝室で、基次さまと二人っきり。いや、なぜか、ってことはないか。夫婦になってそろそろ二週間、むしろ未だに同衾したことがないって方がおかしな話なんだろう。…そのての経験が皆無なので、わからないけれど。
「たまにはお布団でお休みになってください」なんて、今にして思えば完全に墓穴を掘った発言だった。普通に考えて、基次さまがお休みになるのはあの、夫婦の寝室な訳で。「たまにはお布団でお休みになってください」なんて、考えようによっては何だかものすごく破廉恥な意味になってしまうような気が。
ぐるぐると考える私の頭のなかでは、兄がやかましく叫ぶ声が延々と再生されていた。「破廉恥は悪!悪であるぞ、名前!」…そうですよね兄さま、悪ですよね、悪。気を紛らわせようと、姉川にいる兄に心のなかで語りかけてみる。ついでに、マリア姉様だったらこんなときどうするんだろうなんて考えてみる。答えなんて、勿論出ない。…兄さま、姉さま、名前は今までにないくらいの試練に立たされているみたいです。
部屋の隅で壁を向いて座り込んでいたから、幸い基次さまの方は見なくて住んでいる。この時間に布団まで敷いてあるこの部屋で、彼と二人っきりなんて初めてだ。どうする、どうしたらいい、こう言うときは一体どうするのが正義なんですか兄さま。相変わらず頭の中の兄に話しかけてみても、兄さまはいつもみたいに『悪と無駄口、削除なりい!』とか鬱陶しく叫ぶだけだ。ああもう、本当にどうしたら。
「あのさあ」
「は、…はいっ?」
壁に頭でも打ち付けたくなった頃に不意に話しかけられる。振り向いたら、基次さまは草子みたいな何か(初めて会ったときも持ってたっけ)にさらさらと何かを書き付けているところだった。草紙に目を落としたまま、どうでも良さそうに言葉を続ける、
「その、念仏みたいなの止めてくれませんかあ?うるさくて敵いません」
「あ、…す、すみません」
「今朝も言いましたけどお、いい加減兄離れしたらいかがです?なっさけない」
「う、…うう、」
…だって、身近にいた男の人なんて兄様位しかいなかったんだから仕方ないじゃないですか。言いたかったけどこれはきっと、口に出したらまた墓穴を掘ることになってしまう言葉だ。
「あの、今日は、お忙しくないんですね」話を反らそうと口に出した瞬間に、話題の選択を間違えたことに気づく。基次さまは草紙から目を離さないので、笑顔が引き攣ったのに気づかれなかったのが救いだろうか。
「書斎から無理矢理追い出されたんですよ、どこぞの誰かが布団で寝ろなんて余計な事仰ったから」
「あ、…さよう、ですか」
「墓穴掘りましたよねえ、君も、さあ」
顔が熱いのは気のせいだと思いたい。…何かもう、考えていることが半分くらい読まれている気がする。言い返したくても言葉がでなかった。ので、なにも言わずに畳の目でも数えることにした。実は、昨日寝ていないせいで既に体が重いんだけど、この流れで布団に入ってしまうのが気まずいし恥ずかしい。このまま会話を続けるのも恥ずかしい。
もうどうしようもないから、畳の目を数えるなんて無意味な行動で気を紛らわせるしかない。そういえば、姉川に居たときもいっつも私はこんな調子だった気がする。よくわからないことで兄様に怒られてるときとか、姉様の自慢話に付き合うときとか、聞いてるふりして畳の目を数えてごまかしてたっけ。
そんなことを懐かしくかんがえながら、途中からはうとうとしながら。最終的には眠すぎてぐらつきながら体百目位まで数えたところで、不意にぱたん、なんて音がした。振り返るまえに、「寝るんなら寝るでちゃんと布団に寝てくれますかあ?目障りなんで」と、声がして。何のことかと思ったら浮いた。何が?…私の、体が。
「へっ、…うわ、ひえっ…!」
「…前も言ったけどさあ君、随分と慎みのない声をお出しになりますよねえ」
近い近い、声が近い。兄がこんな風にしてお市さまを抱き上げているのを見たことはあるけど、それを自分に置き換えてみるとどうしても妙な気がした。うっかり、兄様にだってされたことないのに、なんて妙な台詞を口走りそうになった。
放り投げられる、と思ったら意外と丁寧に布団の上に下ろされて、次の瞬間には掛け布団が乱暴に被せられる。目を白黒させながら布団から顔を出したら、基次さまが私を見下ろしていた。相変わらず不機嫌そうな顔。手がこちらに伸びてきて、親指が私の目元をなぞる。あれ、これ、昼にもこんなことあったような。さっきまでの気恥ずかしさを思い出した私が目をそらすよりも先に、淡々と言われる。
「バケモノよりも酷い顔してますけどお、気づいてました?」
「ば、バケモノって誰が」
「これ見よがしに隈なんかできててさあ、見苦しいったらないです」
しゃがみこんで私を見下ろして。顔から離れた手がとん、と肩を押して布団に倒された。思い出したみたいに赤くなった顔を悟られないようにあわてて布団を被る。「だからとにかく、さっさとねてください」、布団の向こう側から、さっきよりは幾分か優しい声が言った。
「あのっ、…おやすみなさい、ませ…」
布団の中からこっそり外を伺って、彼が背中を向けたのを確認してから声をかけてみる。無視されるのかと思ったら、「……おやすみなさい」なんて小さな声で返事が帰ってきて。私はまた、無意味に頭の中で兄に語りかけたりなんかしていた。…兄様わたし、眠れそうにないです、どうしましょう。