蜜月
名前変換
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年頃になった私に、適当な縁談の話があると言うので、会ってみたのだ。誰に?夫となる相手に。
「は、…はじめましてわたくし、浅井家の三女…名前と申します」
「…はあ、そうですか。…で?」
「よ、…よろしく、おねがい、いたします…」
「………………」
…重苦しい沈黙。
目の前の殿方は、私になんか目もくれずにペラペラと草子のようなものを捲っている。
この場を仕切ってくれるはずの兄はといえば、姉に何やら用事を言いつけられてどこかへ言ってしまった。…当主なんだから姉様の言葉なんて無視すればいいのに、なんて口が裂けても言えない。私だってマリア姉様は怖い。ちいさい頃に散々いびられて、奴隷体質が板についてしまった。いや、そんな事今はどうでもいいんだけど。
「……あー、あいつ次あったらどうしてやろうかな取り敢えず顔踏みつけて蹴りあげて土下座させたあとねじりあげてそれから」
どうしていいか分からないときは、とりあえず愛想笑いでもしておくに限る。でも、肝心の相手がこっちを見ないで、何か不気味な独り言を呟いていたならどうすればいいんだろう。私もこの人に合わせて、独り言でも呟いてみたらこの場は和むんだろうか。
「あーでもゆっくり爪を剥ぐのも悪くないなあ両手両足剥いだあとは釘でも打ち付けてやってじっくりゆっくり時間をかけて苦しめて」
「……あああ、あの、」
「ああ何ですかあなたまだいたんですか何か用ですか、俺様ちょっと今忙しいんですよねえ見てわかりませんか、ねえ?」
「あ、はい、いや、あの」
「だぁかぁらあ、用事があるならはっきりいってくださいよお時間の無駄じゃないですか」
「………うぅ、」
そこで、初めて彼と目があった。まるで、カマキリか何かでも見るみたいな目だ。本を読んでたらカマキリが飛んできて、叩き潰したら本が汚れて、ああ鬱陶しいなあ、って感じの。
用事もなにもここは見合いの席なんだから、なにかしら話をして和やかな雰囲気を演出するべきじゃないだろうか。…例えば、自己紹介とか、趣味とか、経歴とか。ここまで考えてはたと気づいた。そういえば、まだこの方の名前を伺っていない。
「よ、用事と言うかその…あの、まだお名前を伺ってないなと……」
「…………」
「…思いまして……」
カマキリを見るみたいな目で、これ以上見つめられるのはいたたまれないので視線を落として畳の目を見つめていた。相手方はやっぱり何も言わなくて、何ともいたたまれない空気がこの場を支配する。
5分、いや、実際は1分も経っていなかったかもしれない。はああああ、と、わざとらしいことこの上ないため息が聞こえた。続いて、ぱたん、と書を閉じる音。
「…後藤。基次、と申します」
「も、もとつぐさま」
「普段は又兵衛で通ってるんですが、ねえ。」
「…又兵衛、さま」
どっちのお名前でお呼びしましょうか、なんて切り出そうとした瞬間に慌ただしく兄が戻ってきて、妹をよろしくだのなんだのと捲し立てたので、まともな会話なんてほとんどできなかった。…これが、三日前の出来事だった。
断られる。十中八九、この縁談は断られるはず。そんな私の予想はものの見事に外れ、輿入れまで三日と言う信じられない速さで、私は後藤家に嫁入りすることになった。
「離縁など悪だ!いざ結婚するからには仲睦まじい夫婦となり、正義を示すのだ!」
嫁入りの朝、いつも通り暑苦しく励ましてくれる兄の横で、 マリア姉様が不穏に笑っていた。
「なるべく長生きできるといいわねえ、名前。あの殿方に、切り殺されなければいいけど。」
私は私で、今までお世話になりました、なんて尤もらしく挨拶して。ただ、マリア姉様の不穏な冗談を、笑い飛ばせるような精神状態ではいられなかった。うまくやっていける自信がない。本音を言えば今から何もかも投げ捨て、どこか遠くにでも逃げ出したかった。
…又兵衛様はといえば、そんな私をまるで、カマドウマでも見るみたいな目で見ていた。