傷の話
日差しの暖かな昼下がり、キノはエルメスの簡単な整備をしていた。エルメスに指示されつつ、ナットが緩んでいれば工具で締め直し、チェーンに油を注す。
仕上げとして車体を布で磨いている時、初めてそれに気がついた。
「あ、こんなところに擦り傷がある」
フロントフォークの脇に、細く長い線のような擦り傷が走っていた。金属の光沢が、その部分だけ途切れている。
「おやキノ、今さら気づいたの? この前転んだ時のだよ」
エルメスの言葉に、キノも思い出す。
何日か前、走っていて転んだことがあった。キノとエルメスは揃って左側に倒れて、体と車体を地面に擦った。それでも、生地の丈夫なジャケットのおかげで、キノはぶつけた左腕が軽く痣になった程度で済んだ。
「ああ……。ボクも痣になったな。もう治ったけれど」
「人間はいいねえ。放っておいても治るんだから」
エルメスの、羨むような、ぼやくような声。
キノは、手に持っていた磨き布を、エルメスのタンクの上にいったん置いた。それから、右手で左腕の、確かこのあたりをぶつけたという位置を指先で押してみる。
まったく痛くはなかった。
エルメスに視線を戻す。
目立たないが、爪で引っかかれたかのような傷がしっかりと残っていた。
「…………」
キノは、エルメスの車体に刻まれた擦り傷を、指先でなぞるように撫でる。指先に感じる傷の浅い凹みに沿って、指の腹を軽く押し付けるように動かした。
「なーに? キノ。撫でても治らないよ?」
「知ってるよ」
「じゃあ、なんで撫でたの?」
「痛くないように、かな。おまじないみたいなものだよ」
「ふーん」
少しだけ、エルメスが何かを考えるような間があった。そして、
「あー、ヘッドライトが痛いなー」
おどけた声で、そんなことを言う。
キノは、小さく微笑みながらヘッドライトを見遣った。
「そんな傷はなさそうなのに?」
「いいからいいから」
「はいはい。──じゃあ、痛くなくなるように」
笑みと共に、キノはエルメスのヘッドライトを手のひらで撫でる。
陽の光が、一人と一台を柔らかく照らしている。穏やかな午後だった。
仕上げとして車体を布で磨いている時、初めてそれに気がついた。
「あ、こんなところに擦り傷がある」
フロントフォークの脇に、細く長い線のような擦り傷が走っていた。金属の光沢が、その部分だけ途切れている。
「おやキノ、今さら気づいたの? この前転んだ時のだよ」
エルメスの言葉に、キノも思い出す。
何日か前、走っていて転んだことがあった。キノとエルメスは揃って左側に倒れて、体と車体を地面に擦った。それでも、生地の丈夫なジャケットのおかげで、キノはぶつけた左腕が軽く痣になった程度で済んだ。
「ああ……。ボクも痣になったな。もう治ったけれど」
「人間はいいねえ。放っておいても治るんだから」
エルメスの、羨むような、ぼやくような声。
キノは、手に持っていた磨き布を、エルメスのタンクの上にいったん置いた。それから、右手で左腕の、確かこのあたりをぶつけたという位置を指先で押してみる。
まったく痛くはなかった。
エルメスに視線を戻す。
目立たないが、爪で引っかかれたかのような傷がしっかりと残っていた。
「…………」
キノは、エルメスの車体に刻まれた擦り傷を、指先でなぞるように撫でる。指先に感じる傷の浅い凹みに沿って、指の腹を軽く押し付けるように動かした。
「なーに? キノ。撫でても治らないよ?」
「知ってるよ」
「じゃあ、なんで撫でたの?」
「痛くないように、かな。おまじないみたいなものだよ」
「ふーん」
少しだけ、エルメスが何かを考えるような間があった。そして、
「あー、ヘッドライトが痛いなー」
おどけた声で、そんなことを言う。
キノは、小さく微笑みながらヘッドライトを見遣った。
「そんな傷はなさそうなのに?」
「いいからいいから」
「はいはい。──じゃあ、痛くなくなるように」
笑みと共に、キノはエルメスのヘッドライトを手のひらで撫でる。
陽の光が、一人と一台を柔らかく照らしている。穏やかな午後だった。
