ある日の一幕


 とある国での、昼下がりのこと。
「まだかなー」
 小さな公園に、エルメスが一台でぽつんと立っていました。
 運転手のキノはというと──、小腹をすかせたところにめざとくソフトクリーム屋のワゴンを見つけたので、近かったこの場所にエルメスを止めて、一人で買いに行っています。
 そんなわけで、エルメスは待ちぼうけです。暇です。
「まだかなー。暇だなー」
 エルメスはひとりごちましたが、待ち始めてまだ少ししか経っていません。キノが聞いたら呆れていたことでしょう。
「“ま~だかな~、ひ~まだな~”」
 待つのは退屈なので、暇つぶしとして、さっきの独り言に曲をつけて歌ってみました。“キノまだかなの歌”です。タイトルは今つけました。
 今日はこの国の平日なのか、それとも元々あまり人が来ないのか、公園にはエルメスだけです。敷地内では奔放に伸びた雑草が芝生を侵食しており、エルメスの横にあるベンチはペンキが剥げかけているので、後者なのかもしれません。もしくは前者かもしれませんし、両方だったりするかもしれません。分かりません。
 エルメスのハンドルを止まり木にしようと思ったのか、一羽の鳥が近づいてきて、しかし歌声に驚いたらしく逃げていきました。
 エルメスは前に、どこかの国でこうしてキノを待っている間、たくさんの鳥に止まり木にされたことがあります。その時、戻ってきたキノに愚痴をこぼしたところ、きっとエルメスと仲良くなりたいんだよ、なんて言われたことをふいに思い出しました。そんなことはないでしょうけど、そう言ったキノのことは、覚えていました。
「“は~やく帰って来ないかな~”──あ、来た!」
 サビ(?)の部分に差し掛かったあたりで公園の入り口にキノの姿が見えたので、エルメスは歌を適当に切り上げました。
 こちらへ向かって歩いてくるキノはしっかりとソフトクリームを持っていましたが、なんと、右手には白いソフトクリーム、左手には茶色いソフトクリームの両手持ちです。
 見ようによってはまるで、デート中に彼女のために気を利かせた彼氏のような出で立ちでしたが、キノは彼氏ではないし、エルメスも彼女ではないし、というかデートではないし、そもそも両方ともキノが食べる分なので、ロマンスもへったくれもありませんでした。要するにそれは、食い意地の張った旅人の、エルメスのよく知るキノの姿でした。
 見慣れたブーツがエルメスのタイヤの先まで辿り着いて、
「お待たせ、エルメス」
「うん、待たされた。あと一分遅かったら、キノを置いてホテルに帰っちゃうところだったよ?」
 わざと拗ねたような答え方をしたエルメスに、キノは、悪かったよ、と返しました。言葉のわりに口調は悪びれていなくて、それどころか少し楽しそうでした。
 そして、
「はい」
 買ってきたばかりのソフトクリームの片方を、エルメスのヘッドライトの前に差し出しました。茶色いクリームのチョコ味です。
 今、エルメスの視界に映っているキノの表情は、狩りの成果を得意気に持ってきた猫に似ていました。
「はい?」
 意図が分からず、語尾を上げてオウム返しをしたエルメスへと、
「エルメスの分」
 そう言いながらキノが笑って、その瞬間だけは、ちょっとデートみたいでした。

 エルメスの脇のベンチに座って、キノはソフトクリームを食べ始めました。エルメスに差し出さなかった“キノの分”を。
 食べながらキノが話してくれたところによると、
「味に迷って両方とも頼んだら、店員さんに二人分だと思われて──」
 とのことでした。
「“お連れ様とご一緒の旅、いいですね”って言われたよ」
「ふーん。ま、二人じゃないけどね」
「一人でもないよ。だから、“はい”って答えておいた」
 キノが言いました。その時にはもう、“キノの分”はすっかりお腹に収めた後でした。相変わらず速いです。
 それから、片手に持った“エルメスの分”に手を出し──、
「結局キノが食べるんじゃん!」
「それはそうだよ」
 いえ、口をつけました。とんだ詐欺師です。
 ぱくりと一口頬張った後、嬉しそうに表情を緩めて、
「こっちも美味しい」
 詐欺師、もといただ食いしん坊なだけのキノは、二つ目もぺろりと平らげました。いい食べっぷりでした。ソフトクリームがあっという間に形をなくしていく様子は、なんだか魔法じみていました。
「ソフトクリーム一つが二百キロカロリーとして、二つで四百キロカロリーかあ。キノ、そんなにぱくぱく食べちゃってよかったの? 太るよ?」
 食べ物の恨み──というわけではないですが、ついそんな意地悪を言ってみたエルメスに対して、
「エルメスに乗れば消費できるから、大丈夫だよ」
 キノはノーダメージでした。強いです。
 実際、モトラドに乗るのは結構な運動になります。運転は体力を消耗するから乗る前はちゃんと食べるようにと口を酸っぱくして(比喩的表現です)教えたのは、他ならぬエルメスでした。
 コーンを包んでいた紙を丸めてくずかごに捨てたキノが戻ってきて、エルメスのハンドルを握ると、スタンドを外しました。浮いていたエルメスの後輪が、がこん、と地面に落ちます。
「エルメスのおかげで太る心配もないし、もっと食べようかな」
「まだ食べるの! キノ、体重はともかく、せっかくの夕ごはんが入らなくなるよ?」
「甘いものは別腹。夕ごはんとは違うところに入るから平気だよ」
「うわー、むちゃくちゃだー」
 公園の出口にエルメスを押して歩くキノと、キノに押されながら進むエルメスが、そんな言葉を交わしました。
 エルメスを止まり木にし損ねた一羽でしょうか、鳥がさえずっているのが聞こえます。のどかで穏やかな午後でした。