仮面遊び

 ホテルの部屋で、キノは仮面のレバーを操作していました。
 その仮面は白くて薄い材質で作られていて、人の顔を模しています。そして、仮面についているいくつものレバーを操作することで、表情を変えられる細工が施されていました。キノが今滞在しているこの国では、国民全員が仮面を着けて生活しており、旅人であるキノにも一つ貸し出されているのでした。
 キノはそれなりに真剣な表情で、カチカチとレバーを操作します。眉毛が上がったり下がったり、目の部分が見開かれたり細くなったり、唇が弧を描いたりまっすぐになったり。キノがレバーを触る度に、仮面はころころと表情を変えました。
 やがてキノは手を止めると、
「…………」
 自分の作った“表情”を見て、ふっと微笑みました。そして言います。
「変な顔だね、エルメス」
「非道い! キノがやったんでしょ!」
 形容しがたい顔となった仮面をヘッドライトに着けられているエルメスが、ちょっと怒って言い返しました。

「どうせ遊ぶんならさあ、せめて格好いい顔にしてくれない? キノ」
 仮面を着けられたままのエルメスが、呆れた様子で言いました。エルメスは先ほどから、ヘッドライトに装着された仮面をいろいろな表情に変えられ、キノに遊ばれています。この部屋には洗面所以外に鏡はないので、エルメス自身からは仮面の表情を見ることはできませんが、格好のいい顔にされていないことは察していました。
「格好いい顔って、たとえば?」
「キリッと真剣な顔とか。ほら、いつも見せてるでしょ?」
「うん、見覚えがない。──さて、今度は怒り顔にしてみようかな」
「やれやれ」
 キノが再びレバーに手を伸ばしました。カチカチと小さな音を立てるレバーに連動して、仮面はまた表情を変えます。しかし、レバーを動かしすぎたようで、お目当ての表情を通りすぎました。
「あ、泣き顔になった」
「しくしく、ぐすん。えーん」
 わざとらしく泣き真似をしたエルメスに、キノがくすっと笑って、
「珍しい。エルメスが泣くところを初めて見たよ」
「うえーん、キノがいじめるー」
「いじめてないよ」
 そう言ったエルメスに、キノは片手で軽くチョップを食らわせました。言動が矛盾していました。
「ちょいとキノ! これ! 今のだよ!」
 当然エルメスは抗議しましたが、当然のようにキノは聞き流して、レバーの操作に勤しみます。
「よし、怒り顔になった」
「“よし”じゃないよ! ねえキノ、これいつまで着けてればいいの?」
「そうだなあ……。ボクの気が済むまでずっとかな」
「まったくもう」

 その後も、キノは仮面の操作を続けました。
 困り顔、悲しそうな顔、真面目な顔、眠そうな顔──。
 さまざまな表情がキノによって作られ、また新しい表情に上書きされていきます。
 仮面の裏側しか見えないエルメスは、正面にいるキノを見ていました。仮面の分だけ狭くなった視界の中で、キノは楽しそうな顔をしていました。

「…………」
 ある表情を作ってから、キノは手を止めました。どこか満足そうに、仮面を見つめます。
「キノ? 今どんな顔になってるの?」
 エルメスが聞いたので、キノはエルメスに、自分の笑顔を見せながら言います。
「こんな顔」
「おや。お揃いってこと?」
「うん」
 キノの目の前には、エルメスの“笑顔”がありました。飄々としていて楽しそうな、茶目っ気のある表情です。
「エルメスは、笑っているのが一番似合う気がするね」
「でしょー? キノにはモトラドの表情は分かりづらいかもしれないけど、いつも笑顔見せてるからね」
「真剣な顔じゃなくて?」
「笑ってる方が多いよ。キノと走ってる時とか、こうして話してる時とか!」
「なるほど。じゃあ、ボクは今までもずっと、エルメスの笑顔を見ていたのか」
「そうだよ。今だって満面の笑みだからね。ほらキノ、仮面を外して見てみて!」
 エルメスが言って、キノが笑いながら頷きました。
「分かった」

 キノがエルメスの仮面を外して、ヘッドライトを覗き込みます。
 邪魔だった仮面がエルメスの視界から消えて、キノの顔がよく見えるようになりました。
 眉は緩やかに下がり、目は細められて、口角は上がっていて──、エルメスにとっては昔から見慣れた、キノの笑顔でした。
「ね、笑顔でしょ? キノ」
「ああ──、本当だ」
 丸いヘッドライトの中に映る顔が、より一層綻びました。