月と花のはざま
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#8 花とわらべ唄(2/2)
合一神である百合川ヒイラギの傷の治りは、異様なほど早かった。合一前の細腕に刺さった悪魔の刀、骨を砕く勢いだったはずだが悪魔用の薬や魔法であっさりと元通りになった。痛みや後遺症もなく、合一していない状態でも問題なく動かせる。ミズキの傷や記憶だって同じように治ればいいのに、とヒイラギは唇を噛んだ。
ベテル日本支部が襲撃されてから数日が過ぎた。ミズキを守ることができたのは一生の誇りだ。あの冷徹な越水でさえ成し遂げなかったことだ、優越感に浸りたかった。しかしミズキはヒイラギの腕から流れる血に異様なほど慄き、越水に離れるよう言われたのは歯痒かった。それからベテルの職員と別室に缶詰めになり、傷が完治しているか確認という名目で、気づけば数日経っていた。居ても立っても居られない、ヒイラギはミズキのいるだろう医務室に急いだ。
「ミズキさん!!」
当たりだ。ミズキは襲撃の日と同じように、医務室のベッドに座っていた。ただ違うのは、見慣れない本や端末に目を落としていたこと、窓際に置いていた花の箱と花瓶がなくなっていること。ヒイラギは駆け寄り、ミズキの顔を覗き込んだ。唐突な至近距離、ミズキは少し後ろに退いた。
「大丈夫ですか!?怪我はありませんか!?」
「あ、はい、大丈夫です。ありがとう、ヒイラギ君」
顔を上げたミズキは一瞬驚いた様子だったが、すぐに穏やかに笑んだ。本や端末を脇に置き、ヒイラギと話をする姿勢を取ってくれる。ヒイラギも興奮状態が覚め、冷静に椅子に座った。
「私よりも、ヒイラギ君の方が……腕に怪我をしていましたよね」
「え?あ、ああ、そういえばそうですね」
ヒイラギはベッド近くの椅子に座り、かつて刀が刺さった左腕を見せた。新しい学ランに袖を通し傷も治った今、襲撃前と変わらぬ見た目に落ち着いている。
「僕は大丈夫です。ベテルの人たちに手当てをしてもらいましたから。ミズキさんに怪我がなければそれでいいんです」
「……ありがとう、ヒイラギ君」
彼女は笑っているが、どこか申し訳なさそうな暗さを感じさせる。彼女の誠実さが今は辛かった。何も考えず頼ってほしいのに。
ふと彼女が見ていた本が目に入った。不気味な写真とともに悪魔の概要が書かれた図鑑のようなものだ。見ていてあまり面白いものには思えず、ヒイラギは眉をひそめた。
「ミズキさん、悪魔について調べているんですか」
「あ、よくわかりましたね。そうです。この前襲ってきた悪魔を見て、何か思い出せそうで……越水さんに資料を見せてもらっているんです」
「ミズキさん、できることなら悪魔になんて関わらない方がいいですよ」
「え?」
ヒイラギは両膝の上で拳を握った。悪魔。人智を超えた力を持ち、殺戮と祝福いずれももたらす恐ろしいもの。彼女は少なくとも悪魔に二度襲われ、命の危機を経験した人間だ。ヒイラギや越水のように自ら戦える人間でもない、庇護されるべき――悪魔と距離を置くべき人間だ。
「悪魔に襲われる人をたくさん見てきました。ミズキさんだって、二回も襲われたじゃないですか。そのせいで怪我をして、記憶まで失って……この前襲われたとき、ミズキさんすごく怯えてたんですよ。そんなの……僕はもう見たくありません」
ミズキの腕を引き、抱きしめた。彼女の体は強張っている。ミズキはヒイラギの腕の中でじっと見上げてきた。心配そうな、揺れる瞳。
「……ヒイラギ君」
数秒そのまま硬直していたミズキはベッドの縁に座り、改めてヒイラギをぎゅっと抱きしめてきた。彼女の手が頭と背中を撫でていく。柔らかくあたたかい手触りにヒイラギこそ硬直して動けなくなった。
「震えてますよ」
そう言われて初めて、ヒイラギは手先が細かく痙攣していることに気がついた。どうしてだろう。ミズキを安心させる立場じゃないといけないのに。
「ヒイラギ君、あなたには感謝しています。私を守ってくれて、こうやって心配してくれて。でも、あなたを心配してくれる人はいますか?ずっと頑張らなきゃって、そう思っていませんか?」
「そ、それは、でも、ミズキさんだって」
「そうですね。私だってそう」
ミズキの抱擁が緩み、顔を見合わせる。彼女は穏やかに笑っていた。
「私も焦ってます。早く思い出したい、元通りになりたいって……ヒイラギ君にもきっと色んな焦りがあると思いますけど、せめて今だけでも心を落ち着けたらどうでしょう?私でよければ、一緒にいますよ」
いつぞや彼女と神社に行ったことを思い出した。あのときは彼女を支えたい一心だった。今もそれは変わらないが、彼女に慰められている。少しの背伸びをしたい思いは、ミズキの笑顔と触れ合うぬくもりに消えていく。このままで、今だけはこのままでいたい。
「……ミズキさん」
「何ですか?」
「ミズキさんが出歩けるようになったら、僕と神社に行きませんか」
「神社?」
きょとんとした顔。ああやっぱり、あの一件も覚えていないようだ。ヒイラギは苦笑した。
「前、ミズキさんが連れていってくれたんですよ。静かで落ち着く場所でした。また行きたいです」
「前……ごめんなさい、覚えてなくて。でも、そんなことがあったんですね」
「あったんですよ」
憂鬱な表情の彼女に笑いかけると、二人して同時に笑みを漏らす。友達とも恋人ともいえる和やかな時間、ヒイラギは幸せだった。
「じゃあ、約束ですね。忘れちゃうといけませんから、指切りしましょうか」
「はい」
差し出された彼女の小指に小指を絡めた。指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます、指切った。はるか昔子供の頃に一度唄ったかどうかくらいの、わらべ唄。大人のミズキと一緒に唄う日が来るなんて思いもしなかった。ヒイラギはそっと、ミズキと触れ合ったばかりの小指に触れた。ほんのりとあたたかい、そんな気がした。
合一神である百合川ヒイラギの傷の治りは、異様なほど早かった。合一前の細腕に刺さった悪魔の刀、骨を砕く勢いだったはずだが悪魔用の薬や魔法であっさりと元通りになった。痛みや後遺症もなく、合一していない状態でも問題なく動かせる。ミズキの傷や記憶だって同じように治ればいいのに、とヒイラギは唇を噛んだ。
ベテル日本支部が襲撃されてから数日が過ぎた。ミズキを守ることができたのは一生の誇りだ。あの冷徹な越水でさえ成し遂げなかったことだ、優越感に浸りたかった。しかしミズキはヒイラギの腕から流れる血に異様なほど慄き、越水に離れるよう言われたのは歯痒かった。それからベテルの職員と別室に缶詰めになり、傷が完治しているか確認という名目で、気づけば数日経っていた。居ても立っても居られない、ヒイラギはミズキのいるだろう医務室に急いだ。
「ミズキさん!!」
当たりだ。ミズキは襲撃の日と同じように、医務室のベッドに座っていた。ただ違うのは、見慣れない本や端末に目を落としていたこと、窓際に置いていた花の箱と花瓶がなくなっていること。ヒイラギは駆け寄り、ミズキの顔を覗き込んだ。唐突な至近距離、ミズキは少し後ろに退いた。
「大丈夫ですか!?怪我はありませんか!?」
「あ、はい、大丈夫です。ありがとう、ヒイラギ君」
顔を上げたミズキは一瞬驚いた様子だったが、すぐに穏やかに笑んだ。本や端末を脇に置き、ヒイラギと話をする姿勢を取ってくれる。ヒイラギも興奮状態が覚め、冷静に椅子に座った。
「私よりも、ヒイラギ君の方が……腕に怪我をしていましたよね」
「え?あ、ああ、そういえばそうですね」
ヒイラギはベッド近くの椅子に座り、かつて刀が刺さった左腕を見せた。新しい学ランに袖を通し傷も治った今、襲撃前と変わらぬ見た目に落ち着いている。
「僕は大丈夫です。ベテルの人たちに手当てをしてもらいましたから。ミズキさんに怪我がなければそれでいいんです」
「……ありがとう、ヒイラギ君」
彼女は笑っているが、どこか申し訳なさそうな暗さを感じさせる。彼女の誠実さが今は辛かった。何も考えず頼ってほしいのに。
ふと彼女が見ていた本が目に入った。不気味な写真とともに悪魔の概要が書かれた図鑑のようなものだ。見ていてあまり面白いものには思えず、ヒイラギは眉をひそめた。
「ミズキさん、悪魔について調べているんですか」
「あ、よくわかりましたね。そうです。この前襲ってきた悪魔を見て、何か思い出せそうで……越水さんに資料を見せてもらっているんです」
「ミズキさん、できることなら悪魔になんて関わらない方がいいですよ」
「え?」
ヒイラギは両膝の上で拳を握った。悪魔。人智を超えた力を持ち、殺戮と祝福いずれももたらす恐ろしいもの。彼女は少なくとも悪魔に二度襲われ、命の危機を経験した人間だ。ヒイラギや越水のように自ら戦える人間でもない、庇護されるべき――悪魔と距離を置くべき人間だ。
「悪魔に襲われる人をたくさん見てきました。ミズキさんだって、二回も襲われたじゃないですか。そのせいで怪我をして、記憶まで失って……この前襲われたとき、ミズキさんすごく怯えてたんですよ。そんなの……僕はもう見たくありません」
ミズキの腕を引き、抱きしめた。彼女の体は強張っている。ミズキはヒイラギの腕の中でじっと見上げてきた。心配そうな、揺れる瞳。
「……ヒイラギ君」
数秒そのまま硬直していたミズキはベッドの縁に座り、改めてヒイラギをぎゅっと抱きしめてきた。彼女の手が頭と背中を撫でていく。柔らかくあたたかい手触りにヒイラギこそ硬直して動けなくなった。
「震えてますよ」
そう言われて初めて、ヒイラギは手先が細かく痙攣していることに気がついた。どうしてだろう。ミズキを安心させる立場じゃないといけないのに。
「ヒイラギ君、あなたには感謝しています。私を守ってくれて、こうやって心配してくれて。でも、あなたを心配してくれる人はいますか?ずっと頑張らなきゃって、そう思っていませんか?」
「そ、それは、でも、ミズキさんだって」
「そうですね。私だってそう」
ミズキの抱擁が緩み、顔を見合わせる。彼女は穏やかに笑っていた。
「私も焦ってます。早く思い出したい、元通りになりたいって……ヒイラギ君にもきっと色んな焦りがあると思いますけど、せめて今だけでも心を落ち着けたらどうでしょう?私でよければ、一緒にいますよ」
いつぞや彼女と神社に行ったことを思い出した。あのときは彼女を支えたい一心だった。今もそれは変わらないが、彼女に慰められている。少しの背伸びをしたい思いは、ミズキの笑顔と触れ合うぬくもりに消えていく。このままで、今だけはこのままでいたい。
「……ミズキさん」
「何ですか?」
「ミズキさんが出歩けるようになったら、僕と神社に行きませんか」
「神社?」
きょとんとした顔。ああやっぱり、あの一件も覚えていないようだ。ヒイラギは苦笑した。
「前、ミズキさんが連れていってくれたんですよ。静かで落ち着く場所でした。また行きたいです」
「前……ごめんなさい、覚えてなくて。でも、そんなことがあったんですね」
「あったんですよ」
憂鬱な表情の彼女に笑いかけると、二人して同時に笑みを漏らす。友達とも恋人ともいえる和やかな時間、ヒイラギは幸せだった。
「じゃあ、約束ですね。忘れちゃうといけませんから、指切りしましょうか」
「はい」
差し出された彼女の小指に小指を絡めた。指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます、指切った。はるか昔子供の頃に一度唄ったかどうかくらいの、わらべ唄。大人のミズキと一緒に唄う日が来るなんて思いもしなかった。ヒイラギはそっと、ミズキと触れ合ったばかりの小指に触れた。ほんのりとあたたかい、そんな気がした。