月と花のはざま
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
#4 花とたまゆら(2/2)
天宮ミズキは酒と涙の夜を過ごし、目を覚ました。気怠さに包まれたあまりよろしくない目覚めだ。カーテンの隙間から漏れてくる陽光の明るさに、それなりに日が高く昇っている時間だと認識する。ごろりと寝返りを打つと、ローテーブルの散らかりようが視界に入る。コンビニで買ったアルコール度数九パーセントの五百ミリ缶、ヒイラギ用にと置いたマグカップ。コンビニのビニール袋はぐしゃりと潰れ、ローテーブルに萎れた花を咲かせる。昨晩のまま片付けもしなかった自分のだらしなさを実感して嫌になる。ミズキはふうと息をついた。二日酔いをするかと思ったが、意外にも酒が残った感触はない。となればこの倦怠感は精神性のものだろう。……今日が休日でよかった。本当に。
ミズキはのそりと半身を起こし、あくびをしながら伸びをした。凝り固まった筋肉と精神が少しだけほぐれるような気がする。ベッドから抜け出し、カーテンを開けた。場違いなほど明るい陽光が差し込み、ミズキは目を細めた。ミズキの事情とは関係なく今日も世界は回る。この明るさに希望を感じられないのが悲しいところだが、ひとまず片付けよう。空になった五百ミリ缶と潰れて汚らしいビニール袋をまとめて片付ける。誰にも顧みられることなく放置されたマグカップ。紅茶は冷め切っているが、飲み干すと少し目が冴えた気がする。ローテーブルに投げ出されたスマートフォンを見てふと昨晩のやり取りを思い出す。
――僕の連絡先、入れておきます。
ヒイラギに返してもらってから一度も触っていなかった。メッセージアプリを起動させると、「百合川ヒイラギ」が友達に追加されている。初期設定の画面から一切変更していないと思われる簡素なヒイラギの画面に笑いが漏れた。何だかとても彼らしい。
百合川ヒイラギの名前を見ると、数珠繋ぎになった一連のことを思い出す。越水に告白し、見事なまでに振られたこと。たまたまヒイラギに声をかけられ、この家に招き入れたこと。ヒイラギに率直な思いを告げられたこと。今日、彼と一緒に出かける約束をぼんやり取り付けていること。昨日は様々なことが起こりすぎた。ミズキの人生でも一、二を争うくらいドラマチックな一日だった。総合するとあまりいい思い出ではないのだが。
ミズキは外出の準備を整えながら、自然と巡る思考に身を委ねた。最初に思い浮かぶのは、やはり越水のこと。
――君の気持ちには応えられない。
鮮明に蘇る越水の言葉に涙が滲んだ。あのときの彼の灰色の眼差し、冷たく平坦な口調を一生忘れないだろう。僅かな可能性に賭けたと思っていたが、行動するからにはやはり叶ってほしかった。だがもう二度と叶わぬ夢。早く諦めなければ……夢破れてまだ一日しか経っていない。いつになったら薄れて消えていく思いなのか、ミズキには皆目見当がつかなかった。
ヒイラギにはみっともないところを見せた。いくら傷心していたとはいえ守るべき男子高校生に寄りかかり、今日もまた甘えようとしている。ミズキは自分のことは自分で始末をつけられる大人であるし、そうでなくてはならない。全くの個人的な事情により生じた心の痛手など、自分一人でどうにかしなければならないもの。それなのに優しくしてくれたヒイラギにちょうどよく寄りかかって甘えるなど、大人のするべきことではない。越水に振られたときとは異なる痛みが胸をちくちくと刺していく。己の不甲斐なさにため息も出る。
「…………」
ミズキはスマートフォンを見つめた。百合川ヒイラギの名前が表示されたトークルーム。ミズキが一言来てほしいと伝えれば、彼はきっと来てくれるだろう。あんなに真っ直ぐに気持ちをぶつけてくれた彼なら。ミズキはほんの刹那迷った。本当に彼の優しさに甘えていいのかと。だがこれは約束、ヒイラギに今日ついてきてほしいと言ったのは自分だ。大人なら自分の言葉には責任を持たねばなるまい。ミズキは深呼吸をし、指を滑らせてヒイラギに場所と時間を伝えた。
「天宮さん!」
そうして訪れた待ち合わせの時間。私服姿の百合川ヒイラギが駆け寄ってきた。待ち合わせ場所はシンプルに駅。人通りが多いが美しい彼の姿は一際目立ち、すぐにわかった。ミズキは手を振って応える。
「こんにちは、百合川君。……来てくれてありがとうございます」
「飛んでいきますって言ったじゃないですか」
走ってきたヒイラギはやや荒い呼吸をしながら、少し不満げな顔でミズキを睨んでいた。昨晩のともあれば艶めかしささえ覚えた彼とは異なる、年相応の子供っぽさを感じさせる表情に笑みが零れた。普段大人の男性である越水を見つめていたミズキからすれば、こういう可愛らしさは新鮮だった。
「そうでしたね。ごめんなさい」
「あ、いえ、天宮さんを責めてるわけじゃなくて」
「わかってますよ。落ち着きました?」
「はい」
「じゃあ、行きましょう」
ミズキは歩き始めた。その隣をヒイラギが歩いている。肩や手が触れ合いそうで触れ合わない距離感にヒイラギが戸惑っている様子が伝わってくる。彼ほど綺麗な人なら彼女の一人や二人いたことがあってもおかしくなさそうだが、意外とウブなのだろうか。
「天宮さん、どこに行くんですか?」
「神社です」
「神社?」
ミズキは心に澱んだものが溜まったとき、決まって訪れる神社があった。東京という大都会の中心から少し離れたところにある、寂れたといって差し支えないような小さな神社。いつ参拝しても誰もいない静寂と神秘に満ちた空間を訪れると、憑き物がすべて洗い流されたような気がして落ち着く。今日のような日にはうってつけだった。
「神社って落ち着きませんか?私はすごく好きで……デートらしいかと言われると微妙ですけど」
「デートって言いましたけど、天宮さんの行きたいところに僕がついていってるだけです。僕のことは気にしなくていいですよ?」
ヒイラギに目を向けると、彼はにこりと笑いかけた。彼はミズキの歩く速度に合わせてくれている。今更ながら彼の気遣いを感じ取り、ミズキは自嘲した。嬉しいよりも先に自責の念が付き纏ってくる。本来ならミズキが気にかけるべき存在なのに。
「天宮さん、また自分を責めてますね?」
歩きながら、ヒイラギはミズキの顔を覗き込むように首を傾げている。
「……なんでわかってしまうんですかね」
「天宮さんのことが好きだからですよ」
彼の言葉は飾るところがなく、真っ直ぐにミズキの心に投げ込まれる。ミズキを慕い思いを伝えてくる彼を見ていると、少し前までのミズキと重なる部分が見えてくる。……私も長官のことをずっと見ていた。その結果、越水の微かな変化が読み取れるようになり嬉しかった。彼も……ヒイラギもそうなのだろうか。
「天宮さんらしいといえばそうなんですけど、本当に気にしないでください。僕が好きでやってることです。でも、もし僕が好きでやってることで天宮さんの心が軽くなるなら、僕はとっても嬉しいです」
麗しい黒髪を揺らしながら笑む彼は、大人と子供の狭間を揺れ動く魅力をたたえていた。少し鼓動が早くなる気がした。ミズキは慌てて目を逸らし、熱くなる頬を両手で包んで冷やした。
街の喧騒から離れ住宅街に入り込み、さらに人の気配が薄くなる細い道を進む。やがて緑の木々に覆われるようにして存在する朱い鳥居が目に入った。鳥居から真っ直ぐ伸びる参道、その先に小さな社がある。都会の片隅に埋もれそうな小さな神社だった。相変わらず誰もおらず、音が少ない住宅街の中でもさらに静けさが満ちている。いつもならミズキ一人で訪れる場所だが、今日はヒイラギと二人。参道を歩く足音が二人分聞こえる。小さな社の前に着き、取り付けられた鈴を鳴らして手を合わせた。目を閉じ、ミズキは願う。この傷が早く癒えるように。せめて越水のそばに控え、秘書として支えられるように。
ミズキが顔を上げヒイラギの方を見ると、彼はまだ手を合わせていた。目を閉じ何事かを祈る彼は神妙な顔をしている。彼の願いは何となく想像がつくが、ミズキの自惚れにしておきたかった。誰かに大切に思われていることに胡座をかいてはいけない。
「……あ、天宮さんすみません。お待たせして」
「いえ、いいですよ。真剣な顔をしていましたね」
「ええ」
ヒイラギはミズキに体ごと向き直った。きらめく翡翠の瞳に強い輝きが宿る。ミズキをも惹きつける意思の強さによる輝き。
「捨てる神あれば拾う神ありと言いますからね。僕は拾う側じゃなくて、どちらかというと拾われる側ですけど」
「……百合川君って意外と情熱的ですね?」
「そりゃそうですよ、好きな人がフリーなんですから。なりふり構ってられません」
こうやって越水がミズキを見つめてくれたら、至上の幸せなのに――なんて、ヒイラギが目の前にいても越水を考えてしまう。だが彼の言葉に揺らいでいるような気もしていた。心が弱ったときに優しくされれば、心が傾くのは自然の理。この揺れ動きが玉響のものなのか、長く続く変化の兆しなのか、まだミズキにはわからなかった。
天宮ミズキは酒と涙の夜を過ごし、目を覚ました。気怠さに包まれたあまりよろしくない目覚めだ。カーテンの隙間から漏れてくる陽光の明るさに、それなりに日が高く昇っている時間だと認識する。ごろりと寝返りを打つと、ローテーブルの散らかりようが視界に入る。コンビニで買ったアルコール度数九パーセントの五百ミリ缶、ヒイラギ用にと置いたマグカップ。コンビニのビニール袋はぐしゃりと潰れ、ローテーブルに萎れた花を咲かせる。昨晩のまま片付けもしなかった自分のだらしなさを実感して嫌になる。ミズキはふうと息をついた。二日酔いをするかと思ったが、意外にも酒が残った感触はない。となればこの倦怠感は精神性のものだろう。……今日が休日でよかった。本当に。
ミズキはのそりと半身を起こし、あくびをしながら伸びをした。凝り固まった筋肉と精神が少しだけほぐれるような気がする。ベッドから抜け出し、カーテンを開けた。場違いなほど明るい陽光が差し込み、ミズキは目を細めた。ミズキの事情とは関係なく今日も世界は回る。この明るさに希望を感じられないのが悲しいところだが、ひとまず片付けよう。空になった五百ミリ缶と潰れて汚らしいビニール袋をまとめて片付ける。誰にも顧みられることなく放置されたマグカップ。紅茶は冷め切っているが、飲み干すと少し目が冴えた気がする。ローテーブルに投げ出されたスマートフォンを見てふと昨晩のやり取りを思い出す。
――僕の連絡先、入れておきます。
ヒイラギに返してもらってから一度も触っていなかった。メッセージアプリを起動させると、「百合川ヒイラギ」が友達に追加されている。初期設定の画面から一切変更していないと思われる簡素なヒイラギの画面に笑いが漏れた。何だかとても彼らしい。
百合川ヒイラギの名前を見ると、数珠繋ぎになった一連のことを思い出す。越水に告白し、見事なまでに振られたこと。たまたまヒイラギに声をかけられ、この家に招き入れたこと。ヒイラギに率直な思いを告げられたこと。今日、彼と一緒に出かける約束をぼんやり取り付けていること。昨日は様々なことが起こりすぎた。ミズキの人生でも一、二を争うくらいドラマチックな一日だった。総合するとあまりいい思い出ではないのだが。
ミズキは外出の準備を整えながら、自然と巡る思考に身を委ねた。最初に思い浮かぶのは、やはり越水のこと。
――君の気持ちには応えられない。
鮮明に蘇る越水の言葉に涙が滲んだ。あのときの彼の灰色の眼差し、冷たく平坦な口調を一生忘れないだろう。僅かな可能性に賭けたと思っていたが、行動するからにはやはり叶ってほしかった。だがもう二度と叶わぬ夢。早く諦めなければ……夢破れてまだ一日しか経っていない。いつになったら薄れて消えていく思いなのか、ミズキには皆目見当がつかなかった。
ヒイラギにはみっともないところを見せた。いくら傷心していたとはいえ守るべき男子高校生に寄りかかり、今日もまた甘えようとしている。ミズキは自分のことは自分で始末をつけられる大人であるし、そうでなくてはならない。全くの個人的な事情により生じた心の痛手など、自分一人でどうにかしなければならないもの。それなのに優しくしてくれたヒイラギにちょうどよく寄りかかって甘えるなど、大人のするべきことではない。越水に振られたときとは異なる痛みが胸をちくちくと刺していく。己の不甲斐なさにため息も出る。
「…………」
ミズキはスマートフォンを見つめた。百合川ヒイラギの名前が表示されたトークルーム。ミズキが一言来てほしいと伝えれば、彼はきっと来てくれるだろう。あんなに真っ直ぐに気持ちをぶつけてくれた彼なら。ミズキはほんの刹那迷った。本当に彼の優しさに甘えていいのかと。だがこれは約束、ヒイラギに今日ついてきてほしいと言ったのは自分だ。大人なら自分の言葉には責任を持たねばなるまい。ミズキは深呼吸をし、指を滑らせてヒイラギに場所と時間を伝えた。
「天宮さん!」
そうして訪れた待ち合わせの時間。私服姿の百合川ヒイラギが駆け寄ってきた。待ち合わせ場所はシンプルに駅。人通りが多いが美しい彼の姿は一際目立ち、すぐにわかった。ミズキは手を振って応える。
「こんにちは、百合川君。……来てくれてありがとうございます」
「飛んでいきますって言ったじゃないですか」
走ってきたヒイラギはやや荒い呼吸をしながら、少し不満げな顔でミズキを睨んでいた。昨晩のともあれば艶めかしささえ覚えた彼とは異なる、年相応の子供っぽさを感じさせる表情に笑みが零れた。普段大人の男性である越水を見つめていたミズキからすれば、こういう可愛らしさは新鮮だった。
「そうでしたね。ごめんなさい」
「あ、いえ、天宮さんを責めてるわけじゃなくて」
「わかってますよ。落ち着きました?」
「はい」
「じゃあ、行きましょう」
ミズキは歩き始めた。その隣をヒイラギが歩いている。肩や手が触れ合いそうで触れ合わない距離感にヒイラギが戸惑っている様子が伝わってくる。彼ほど綺麗な人なら彼女の一人や二人いたことがあってもおかしくなさそうだが、意外とウブなのだろうか。
「天宮さん、どこに行くんですか?」
「神社です」
「神社?」
ミズキは心に澱んだものが溜まったとき、決まって訪れる神社があった。東京という大都会の中心から少し離れたところにある、寂れたといって差し支えないような小さな神社。いつ参拝しても誰もいない静寂と神秘に満ちた空間を訪れると、憑き物がすべて洗い流されたような気がして落ち着く。今日のような日にはうってつけだった。
「神社って落ち着きませんか?私はすごく好きで……デートらしいかと言われると微妙ですけど」
「デートって言いましたけど、天宮さんの行きたいところに僕がついていってるだけです。僕のことは気にしなくていいですよ?」
ヒイラギに目を向けると、彼はにこりと笑いかけた。彼はミズキの歩く速度に合わせてくれている。今更ながら彼の気遣いを感じ取り、ミズキは自嘲した。嬉しいよりも先に自責の念が付き纏ってくる。本来ならミズキが気にかけるべき存在なのに。
「天宮さん、また自分を責めてますね?」
歩きながら、ヒイラギはミズキの顔を覗き込むように首を傾げている。
「……なんでわかってしまうんですかね」
「天宮さんのことが好きだからですよ」
彼の言葉は飾るところがなく、真っ直ぐにミズキの心に投げ込まれる。ミズキを慕い思いを伝えてくる彼を見ていると、少し前までのミズキと重なる部分が見えてくる。……私も長官のことをずっと見ていた。その結果、越水の微かな変化が読み取れるようになり嬉しかった。彼も……ヒイラギもそうなのだろうか。
「天宮さんらしいといえばそうなんですけど、本当に気にしないでください。僕が好きでやってることです。でも、もし僕が好きでやってることで天宮さんの心が軽くなるなら、僕はとっても嬉しいです」
麗しい黒髪を揺らしながら笑む彼は、大人と子供の狭間を揺れ動く魅力をたたえていた。少し鼓動が早くなる気がした。ミズキは慌てて目を逸らし、熱くなる頬を両手で包んで冷やした。
街の喧騒から離れ住宅街に入り込み、さらに人の気配が薄くなる細い道を進む。やがて緑の木々に覆われるようにして存在する朱い鳥居が目に入った。鳥居から真っ直ぐ伸びる参道、その先に小さな社がある。都会の片隅に埋もれそうな小さな神社だった。相変わらず誰もおらず、音が少ない住宅街の中でもさらに静けさが満ちている。いつもならミズキ一人で訪れる場所だが、今日はヒイラギと二人。参道を歩く足音が二人分聞こえる。小さな社の前に着き、取り付けられた鈴を鳴らして手を合わせた。目を閉じ、ミズキは願う。この傷が早く癒えるように。せめて越水のそばに控え、秘書として支えられるように。
ミズキが顔を上げヒイラギの方を見ると、彼はまだ手を合わせていた。目を閉じ何事かを祈る彼は神妙な顔をしている。彼の願いは何となく想像がつくが、ミズキの自惚れにしておきたかった。誰かに大切に思われていることに胡座をかいてはいけない。
「……あ、天宮さんすみません。お待たせして」
「いえ、いいですよ。真剣な顔をしていましたね」
「ええ」
ヒイラギはミズキに体ごと向き直った。きらめく翡翠の瞳に強い輝きが宿る。ミズキをも惹きつける意思の強さによる輝き。
「捨てる神あれば拾う神ありと言いますからね。僕は拾う側じゃなくて、どちらかというと拾われる側ですけど」
「……百合川君って意外と情熱的ですね?」
「そりゃそうですよ、好きな人がフリーなんですから。なりふり構ってられません」
こうやって越水がミズキを見つめてくれたら、至上の幸せなのに――なんて、ヒイラギが目の前にいても越水を考えてしまう。だが彼の言葉に揺らいでいるような気もしていた。心が弱ったときに優しくされれば、心が傾くのは自然の理。この揺れ動きが玉響のものなのか、長く続く変化の兆しなのか、まだミズキにはわからなかった。