白騎士物語
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#8 あなたとずっと一緒に
至高天。その奥には創世の王座があり、ナホビノは王座で理想とする世界を創世することができる。百合川ヒイラギは王座のことも越水と交わした約束のことも、東京が消えゆく定めであることも全て理解していた。本来なら悪魔の裏庭で無為な時間を過ごしている場合ではないことも理解していた。しかし、
「ヒイラギくん……大好き」
月森ミコトとベンチに隣り合って座り、彼女が愛を紡いでくれるこの時間を手放したくなかった。
「僕も大好きだよ、ミコト」
二人は手を重ね合わせ、そっと唇を触れ合わせた。ナホビノだけが辿り着ける神聖な空間で行われる触れ合いは、まるで神前で愛を誓うかのように尊かった。
頭の中では低い声が何かを言っているのが聞こえるが、ヒイラギは一切耳を貸さなかった。ナホビノの体の主導権を握っているのは自分、アオガミ甲型は脳内で声を届けるだけ。合一を解くつもりは毛頭ない。彼女が――月森ミコトが自分を慕うこの時間を、憎き恋敵に譲るほどお人好しではない。
「ミコト、僕と一緒に世界を創世しよう。僕が望む八百万の神が支配する世界に」
「うん。私、あなたと一緒に創世したい」
寄り添ってくるミコトは、どこか甘さを帯びた瞳でヒイラギを見つめている。アオガミ甲型に向けられていたこの愛しい眼差しを、今はヒイラギが独占している。そう思うとヒイラギはおかしくてたまらないが、ミコトには優しい微笑みを向ける。
現在至高天に辿り着いたナホビノはヒイラギとミコトだけ。王座を掠め取る鼠はいない、もう少しだけ二人の時間を楽しんでもいいだろう。ようやく彼女の心を手に入れた神は安堵の息をついていた。
至高天の奥深くには、大天使マンセマットとティアマトが待ち構えていた。ヒイラギとミコト、二人のナホビノに驚いていた彼だったが、二人が法の秩序による創世を望まないことを悟ると、復活したティアマトを利用し二人に襲いかかった。
ティアマトは強大だった。かつて神が数えるほどしかいなかった頃より存在した太古の神、二人のナホビノの攻撃を受けても力を発揮し続け、ヒイラギとミコトを退けてしまった。
「ぐうっ!」
「ヒイラギくん!」
乾いた大地にヒイラギの体が叩きつけられ、あまりの衝撃に合一を保っていられなくなった。人間の百合川ヒイラギと悪魔のアオガミ甲型に分離してしまう。
「ヒイラギ、くん……!」
ミコトが「彼」に駆け寄ろうとしたとき、アオガミ甲型を見て硬直した。アオガミ甲型――青い髪に金色の瞳、白いボディスーツが特徴的な神造魔人。彼の胸には赤い穴が空き、今にも死んでしまいそうだった。
「あれ、私……私……?」
ミコトは頭を抱えた。ぐらぐらと頭が、立っている地面が揺れる。思考に強烈な亀裂が入り、亀裂の奥から秘めたる思いが溢れ出そうになる。
――アオガミさん。アオガミさん?アオガミさん……!
ヒイラギに向かいかけた足がアオガミ甲型に向いた。ミコトはよろよろと歩き、倒れているアオガミ甲型のそばにしゃがみ込んだ。アオガミ甲型は致命傷を負っているはずだが、無機質な表情のままだった。彼の金色の瞳と目が合う。
「……月森ミコトか」
「アオガミさん!」
彼の手がミコトの頬に伸びた。大きな掌はまだあたたかい。ミコトは大きな手に自らの手を重ねた。何か、何かできることはないか。必死に脳を回転させる。
「そ、そうだ!マリアの力を……!」
ミコトはアオガミ甲型の胸元に手をかざし、意識を集中させた。女神マリアは強力な癒しの力を持つ、きっと彼の傷も回復させられるはずだった。薄緑色の光がアオガミ甲型を包み込む。しかしいくら癒しの力を注いでも、彼の胸にある赤い空洞が塞がることはなかった。
「どうして……!私、ナホビノなのに!ナホビノならこんな傷、治せるはずなのに!」
「私に癒しを受け取るだけの力が残っていないのだ。……私はいずれ死ぬ」
そう言ってアオガミ甲型がティアマトに目を向けたとき、異形の神に取り込まれたはずの別個体のアオガミが姿を見せていた。彼はアオガミ甲型と瓜二つだが、ミコトにはわかる。目の前にいるアオガミ甲型とは異なる魂を持つ者――完全なる別人だと。
「そんな……!アオガミさん!アオガミさんってば!死んじゃやだ!死なないで!」
頬に触れていたアオガミ甲型の手が力を失い、だらりと垂れ下がった。アオガミ甲型は真一文字に結んでいた唇をわずかに綻ばせていた。
「私がいなくとも君はナホビノになることが可能だ。君の望む創世を成してほしい」
アオガミ甲型がそう零した瞬間、彼は目を閉じ完全に動かなくなった。彼を構成していたマガツヒが少しずつ空間に溢れていく。
「アオガミさん……!」
ミコトはアオガミ甲型を抱きしめ背中を震わせた。その瞳には大粒の涙が溢れ、神造魔人の骸を濡らした。
ティアマトとの戦闘でアオガミ甲型が死に、元々百合川ヒイラギと合一していたアオガミが戻ってきた。アオガミと合一したヒイラギは至高天の奥深く、創世の王座に急いだ。
アオガミ甲型の死により、月森ミコトを魅了していた秘術が解けてしまった。彼女はアオガミ甲型の骸とともに姿を消し、消息不明である。彼女は一体どこにと思ったとき、
「彼女は君と同じナホビノだ。創世の王座にやってくるものと推測する」
至極冷静なアオガミの声が響いた。正気に戻った彼女が創世の王座に現れるのであれば、戦いになるかもしれない――ヒイラギは唇を噛み締めていた。
そうして辿り着いた王座の間、そこには見慣れた少女の後ろ姿があった。佇む王座の輝きを呆然と見つめている。カツン、とヒイラギの足音が響いた瞬間、少女――月森ミコトが振り返った。
「百合川くん、やっぱり来たんだね」
――百合川くん。その呼び名にヒイラギは胸の奥が痛んだ。ヒイラギと呼んでくれたのは束の間の泡沫、秘術が解けてしまえば覚める夢であると理解していたはずなのに。ヒイラギは拳を握った。
「アオガミさんが死んでしまったのに、百合川くんはアオガミさんと合一してたのに……ずいぶんあっさりと乗り換えるんだね。アオガミさん、あなたと一緒にずっと戦ってくれていたのに」
ミコトの声は冷たく冴え渡り、ヒイラギでさえ背筋が凍りついた。彼女の瞳は暗い光を宿し、悪魔の裏庭で見せてくれた甘い面影はどこにもない。
「ミコト」
ヒイラギが彼女に向かって歩き出すと、
「来ないで!」
ミコトの鋭い声が響き渡った。それでも歩みを止めずにいると、彼女が手をかざした。
「来ないで!これ以上私に近付いたら攻撃するから!」
「……わかった」
ヒイラギは立ち止まった。彼女に手を伸ばしても触れられぬ距離、心の距離はもっと遠いだろう。ヒイラギは深いため息をついた。ミコトの目は敵意に満ち、ヒイラギを焦がしてしまいそうなほど熱く燃えていた。
「私に何か変な魔法をかけて、操って……!ナホビノである私があなたと同じ世界を望むようにしたかったの?」
「違うよ。違う。……そうじゃない」
ヒイラギは首を横に振り、睨んでくるミコトを真正面から受け止め見据えた。
「君が好きだから、たとえ怪しい魔法を使ってでも君が欲しかっただけだ。それ以上の他意はない」
「……ふうん。百合川くんがどう思ってたかなんて、今更どうでもいいの。だって、アオガミさんはもういないんだから」
歪んだ笑みを浮かべるミコトの瞳から涙が零れた。至高天の冷たい床に小さな水溜りを生む。
「私はアオガミさんと私の世界を創りたいの。だからここまでやってきた。……百合川くんが協力してくれるなら、私はとっても嬉しいんだけど」
泣きながら言い募るミコトに、ヒイラギは静かに否定を示した。金色の瞳ではっきりと彼女を睨む。
「君と僕の創りたい世界は違うんだ。……残念だけど」
「そっか。……そっか」
ミコトは数秒黙っていたが、やがて高らかに笑った。狂気じみた笑いにヒイラギは身構える。
「じゃあ戦わなきゃ。百合川くん、あなたは私の敵だ!」
そう言ってヒイラギを指差したミコトは聖なる力を掌に集めた。譲れぬ戦いが始まる合図だった。ヒイラギはぎりぎりと奥歯を噛み締める。一体どこで運命の歯車が噛み合わなくなったのだろう。まさか彼女と戦うことになるなんて――……。
「マハンバリオン!」
ミコトの叫び声とともに、掌から聖なる衝撃波が生まれた。ヒイラギは横に跳んでかわし、右手に青い刃を出現させ駆けた。彼女までの距離は数メートル、刹那のうちに距離が詰まる。ヒイラギはミコトの懐に飛び込み、刃を振るった。
ガキン!
金属音が響いた。ヒイラギの刃はミコトの背中から生えた白い翼に受け止められ、ぎちぎちと鍔迫り合いを演じていた。表面は柔らかな羽毛で覆われた翼だが、羽毛の奥は鋼のように硬く、地上に舞い降りた女神を守らんとヒイラギを阻む。もう少し近付けば口付けもできる距離なのに、見つめたミコトとの間に甘い雰囲気は皆無。至高天の奥深く王座の神秘が溢れるそばで、二人のナホビノが命のやり取りを行っている。歯軋りが止まらないヒイラギの瞳から涙が零れた。
「どうして百合川くんが泣いてるの?泣きたいのはこっちなんだよ!」
ミコトの叫びとともに硬質な翼で弾き返され、ミコトとの間に隔たりが生まれる。しかしながら双方が一歩ずつ踏み出せば激突する距離。ヒイラギは拳を握りしめた。
「僕だって……僕だって君が欲しかった!でも手に入らなかった……まさか秘術が解けてしまうなんて……!」
激昂したヒイラギは再度精神を集中させた。金色の瞳に神の秘術を纏わせ、女神となったミコトを見つめる。しかし彼女は鋭い瞳で秘術を跳ね返し、静かな敵意に満ちた眼差しを向けていた。
やはり、今の彼女には秘術が通用しない。彼女の心は消滅したアオガミ甲型に囚われ、もう二度とヒイラギに甘い眼差しを向けてくれることはない。握り締めた拳に熱い涙が零れ落ちた。僕はたった一度、夢を見ることすら許されないのか。ヒイラギの心はからからに渇ききっていた。
「あなたと一緒にいたことでアオガミさんは死んだ。もう一度アオガミさんに会うには、私とアオガミさんの世界を創世するしかないの。だからあなたを生かしてはおけないの!」
激情に燃えるミコトの視線を受け止めるのは辛かった。しかしそれでも、ヒイラギはミコトから目を逸らさなかった。彼女はもはや戦うべき敵だ。ヒイラギは青い髪をなびかせ、涙を振り切るように大きく一歩を踏み出した。斬る。この青い剣で目の前の少女を斬る。これまで多数の悪魔を屠ってきたように。
「ふふ」
ミコトは笑い、翼を大きく広げた。羽根が鋭い弾丸となってヒイラギに降り注ぐ。それはあまりにも速く、
――避けられない!
目を見開いたヒイラギの体に硬い無機質な羽根がいくつも突き刺さった。
「そ、んな……」
百合川ヒイラギは膝をついて崩れ落ちた。青い髪の青年は一人の人間と一人の悪魔に分離し、ぐったりと倒れていた。
「ミコト……」
ミコトはヒイラギの声を聞き流しつつ、倒れた二人に目をやった。一人は思い人にそっくりだが中身は別人、見ていると心が軋む。ミコトは目を逸らし、倒れたヒイラギを見下ろした。
「百合川くん、あなたに恨みはないけれど、万一創世を邪魔されたら困るから。……じゃあね、ばいばい」
掌に聖なる力を集め槍のように先端を尖らせ、百合川ヒイラギの胸を貫いた。ナホビノでもない普通の男子高校生が受け止められるはずもなく、彼は一瞬呻いた後完全に動かなくなった。
「……アオガミさん。もうすぐ会える」
ミコトは王座に近付き、胸の前で両手を組んだ。それは敬虔な祈りの形で、彼女の脳裏にアオガミ甲型が思い浮かぶ。
「私とアオガミさんで新たな世界を創りたい。叶えて……!」
その瞬間、視界に眩いばかりの光が溢れた。
「ここは……?」
ミコトの体はふわりと宙を舞い、きらきらと光が輝く神秘的な空間の中にいた。ここに辿り着く前、ミコトは創世の王座で新たな世界を願ったはずだ。その願いは叶えられたのだろうか。
「……?」
ふわふわと漂っている中、前方に誰かが立っているのが見えた。背が高い人物であることしかわからない。ミコトは地面に降り立ち、ゆっくりと謎の人物に近付いていく。
「……!」
近付くにつれ、人物の輪郭がはっきりしていく。青い髪と白いボディスーツ、見慣れた無機質な眼差し。ああ……追い求めてやまなかった「彼」がいる。ミコトは走り出した。髪が揺れ、吸い寄せられるように「彼」に駆け寄る。
「アオガミさん!」
呼びかけると彼が顔を上げた。その逞しい胸に飛び込むと、彼――アオガミ甲型はミコトをそっと抱きしめてくれた。男性らしいぬくもりに満ちた腕の中、胸板は少し硬いが顔を預けると心地よかった。会いたくてたまらなかった彼に会えた。ミコトが顔を上げて彼を見つめると、瞳から大粒の涙が零れた。
「君か。再会するとは予想外だった」
「予想外なんかじゃありません!会いたかった、アオガミさん!」
ぎゅーっと抱きつき、ミコトは彼の体に全身を擦り付けた。アオガミ甲型はミコトの頭を優しく撫でてくれる。大きな掌はあたたかく、彼と二人の時間を持てたと実感できまた涙が溢れた。
「二人で創世したかった……!やっと叶えられました、アオガミさん」
「そうか。私も君とともにいたかった」
アオガミ甲型の唇がミコトの額を撫でた。少しかさついた唇がくすぐったく、ミコトは目を細めた。
「アオガミさん、あなたといっぱいしたいことがあります」
「例えばどのようなことだ?」
「東京ぶらり旅、結局一回しかできませんでした。縄印学園にアオガミさんが通ったりすることもできませんか?」
「私は……」
アオガミ甲型はミコトを見下ろしたまま、無表情に言った。
「私は新たな世界でも神造魔人なのだ。人間とは違う。君の言うように縄印学園に通うことはないだろう」
「そうですか……残念です。でも、じゃあ東京ぶらり旅ならできますよね!」
輝くような笑顔で尋ねるミコトはアオガミ甲型に抱きしめられた。離したくないと言わんばかりにその懐に抱かれる。
「君と私が再び邂逅できるのならば、できるものと判断」
「なら会いに行きます!新しい世界のアオガミさんに!」
涙を散らしながらもミコトは笑っていた。アオガミ甲型にのみ見せる、可憐で健気な笑顔だった。
「やばいやばい、遅刻するー!」
完全に寝坊した。スマートフォンで時間を確認するといつもより三十分も遅い時間だった。慌てて身支度を済ませた月森ミコトはセーラー服に袖を通し、学生寮を飛び出した。
通勤通学の時間帯の混み合う品川駅を通り抜け、学園に急ぐ。校門が見えてきたと思った瞬間、
「ケケケ!マガツヒをヨコセ!」
腹が異常に膨れた紫色の悪魔、ガキが数匹現れた。このところ頻発している通り魔事件や失踪事件は悪魔の動きが活発化しているからと言われている。ミコトは思わず立ち止まった。
「人間を襲う悪魔を確認。殲滅を開始する」
どこからともなく低い男性の声が響き、白い閃光が走った。一般人であるミコトには目で追えない俊敏な動きでガキ数匹が斬り伏せられ、灰燼と化した。思わずミコトが呆けていると、
「対象の殲滅を確認。安全を確保」
青い髪に金色の瞳の男性が立っていた。筋肉質で背が高く、どこか無機質な雰囲気を漂わせる男性――ミコトにはすぐにわかった。彼がこの世界での「アオガミ甲型」だと。
「アオガミさん!」
思わず抱きつくと、彼はそっと頭を撫でてくれた。この世界ではずっと一緒だ、と言ってくれているような気がした。
至高天。その奥には創世の王座があり、ナホビノは王座で理想とする世界を創世することができる。百合川ヒイラギは王座のことも越水と交わした約束のことも、東京が消えゆく定めであることも全て理解していた。本来なら悪魔の裏庭で無為な時間を過ごしている場合ではないことも理解していた。しかし、
「ヒイラギくん……大好き」
月森ミコトとベンチに隣り合って座り、彼女が愛を紡いでくれるこの時間を手放したくなかった。
「僕も大好きだよ、ミコト」
二人は手を重ね合わせ、そっと唇を触れ合わせた。ナホビノだけが辿り着ける神聖な空間で行われる触れ合いは、まるで神前で愛を誓うかのように尊かった。
頭の中では低い声が何かを言っているのが聞こえるが、ヒイラギは一切耳を貸さなかった。ナホビノの体の主導権を握っているのは自分、アオガミ甲型は脳内で声を届けるだけ。合一を解くつもりは毛頭ない。彼女が――月森ミコトが自分を慕うこの時間を、憎き恋敵に譲るほどお人好しではない。
「ミコト、僕と一緒に世界を創世しよう。僕が望む八百万の神が支配する世界に」
「うん。私、あなたと一緒に創世したい」
寄り添ってくるミコトは、どこか甘さを帯びた瞳でヒイラギを見つめている。アオガミ甲型に向けられていたこの愛しい眼差しを、今はヒイラギが独占している。そう思うとヒイラギはおかしくてたまらないが、ミコトには優しい微笑みを向ける。
現在至高天に辿り着いたナホビノはヒイラギとミコトだけ。王座を掠め取る鼠はいない、もう少しだけ二人の時間を楽しんでもいいだろう。ようやく彼女の心を手に入れた神は安堵の息をついていた。
至高天の奥深くには、大天使マンセマットとティアマトが待ち構えていた。ヒイラギとミコト、二人のナホビノに驚いていた彼だったが、二人が法の秩序による創世を望まないことを悟ると、復活したティアマトを利用し二人に襲いかかった。
ティアマトは強大だった。かつて神が数えるほどしかいなかった頃より存在した太古の神、二人のナホビノの攻撃を受けても力を発揮し続け、ヒイラギとミコトを退けてしまった。
「ぐうっ!」
「ヒイラギくん!」
乾いた大地にヒイラギの体が叩きつけられ、あまりの衝撃に合一を保っていられなくなった。人間の百合川ヒイラギと悪魔のアオガミ甲型に分離してしまう。
「ヒイラギ、くん……!」
ミコトが「彼」に駆け寄ろうとしたとき、アオガミ甲型を見て硬直した。アオガミ甲型――青い髪に金色の瞳、白いボディスーツが特徴的な神造魔人。彼の胸には赤い穴が空き、今にも死んでしまいそうだった。
「あれ、私……私……?」
ミコトは頭を抱えた。ぐらぐらと頭が、立っている地面が揺れる。思考に強烈な亀裂が入り、亀裂の奥から秘めたる思いが溢れ出そうになる。
――アオガミさん。アオガミさん?アオガミさん……!
ヒイラギに向かいかけた足がアオガミ甲型に向いた。ミコトはよろよろと歩き、倒れているアオガミ甲型のそばにしゃがみ込んだ。アオガミ甲型は致命傷を負っているはずだが、無機質な表情のままだった。彼の金色の瞳と目が合う。
「……月森ミコトか」
「アオガミさん!」
彼の手がミコトの頬に伸びた。大きな掌はまだあたたかい。ミコトは大きな手に自らの手を重ねた。何か、何かできることはないか。必死に脳を回転させる。
「そ、そうだ!マリアの力を……!」
ミコトはアオガミ甲型の胸元に手をかざし、意識を集中させた。女神マリアは強力な癒しの力を持つ、きっと彼の傷も回復させられるはずだった。薄緑色の光がアオガミ甲型を包み込む。しかしいくら癒しの力を注いでも、彼の胸にある赤い空洞が塞がることはなかった。
「どうして……!私、ナホビノなのに!ナホビノならこんな傷、治せるはずなのに!」
「私に癒しを受け取るだけの力が残っていないのだ。……私はいずれ死ぬ」
そう言ってアオガミ甲型がティアマトに目を向けたとき、異形の神に取り込まれたはずの別個体のアオガミが姿を見せていた。彼はアオガミ甲型と瓜二つだが、ミコトにはわかる。目の前にいるアオガミ甲型とは異なる魂を持つ者――完全なる別人だと。
「そんな……!アオガミさん!アオガミさんってば!死んじゃやだ!死なないで!」
頬に触れていたアオガミ甲型の手が力を失い、だらりと垂れ下がった。アオガミ甲型は真一文字に結んでいた唇をわずかに綻ばせていた。
「私がいなくとも君はナホビノになることが可能だ。君の望む創世を成してほしい」
アオガミ甲型がそう零した瞬間、彼は目を閉じ完全に動かなくなった。彼を構成していたマガツヒが少しずつ空間に溢れていく。
「アオガミさん……!」
ミコトはアオガミ甲型を抱きしめ背中を震わせた。その瞳には大粒の涙が溢れ、神造魔人の骸を濡らした。
ティアマトとの戦闘でアオガミ甲型が死に、元々百合川ヒイラギと合一していたアオガミが戻ってきた。アオガミと合一したヒイラギは至高天の奥深く、創世の王座に急いだ。
アオガミ甲型の死により、月森ミコトを魅了していた秘術が解けてしまった。彼女はアオガミ甲型の骸とともに姿を消し、消息不明である。彼女は一体どこにと思ったとき、
「彼女は君と同じナホビノだ。創世の王座にやってくるものと推測する」
至極冷静なアオガミの声が響いた。正気に戻った彼女が創世の王座に現れるのであれば、戦いになるかもしれない――ヒイラギは唇を噛み締めていた。
そうして辿り着いた王座の間、そこには見慣れた少女の後ろ姿があった。佇む王座の輝きを呆然と見つめている。カツン、とヒイラギの足音が響いた瞬間、少女――月森ミコトが振り返った。
「百合川くん、やっぱり来たんだね」
――百合川くん。その呼び名にヒイラギは胸の奥が痛んだ。ヒイラギと呼んでくれたのは束の間の泡沫、秘術が解けてしまえば覚める夢であると理解していたはずなのに。ヒイラギは拳を握った。
「アオガミさんが死んでしまったのに、百合川くんはアオガミさんと合一してたのに……ずいぶんあっさりと乗り換えるんだね。アオガミさん、あなたと一緒にずっと戦ってくれていたのに」
ミコトの声は冷たく冴え渡り、ヒイラギでさえ背筋が凍りついた。彼女の瞳は暗い光を宿し、悪魔の裏庭で見せてくれた甘い面影はどこにもない。
「ミコト」
ヒイラギが彼女に向かって歩き出すと、
「来ないで!」
ミコトの鋭い声が響き渡った。それでも歩みを止めずにいると、彼女が手をかざした。
「来ないで!これ以上私に近付いたら攻撃するから!」
「……わかった」
ヒイラギは立ち止まった。彼女に手を伸ばしても触れられぬ距離、心の距離はもっと遠いだろう。ヒイラギは深いため息をついた。ミコトの目は敵意に満ち、ヒイラギを焦がしてしまいそうなほど熱く燃えていた。
「私に何か変な魔法をかけて、操って……!ナホビノである私があなたと同じ世界を望むようにしたかったの?」
「違うよ。違う。……そうじゃない」
ヒイラギは首を横に振り、睨んでくるミコトを真正面から受け止め見据えた。
「君が好きだから、たとえ怪しい魔法を使ってでも君が欲しかっただけだ。それ以上の他意はない」
「……ふうん。百合川くんがどう思ってたかなんて、今更どうでもいいの。だって、アオガミさんはもういないんだから」
歪んだ笑みを浮かべるミコトの瞳から涙が零れた。至高天の冷たい床に小さな水溜りを生む。
「私はアオガミさんと私の世界を創りたいの。だからここまでやってきた。……百合川くんが協力してくれるなら、私はとっても嬉しいんだけど」
泣きながら言い募るミコトに、ヒイラギは静かに否定を示した。金色の瞳ではっきりと彼女を睨む。
「君と僕の創りたい世界は違うんだ。……残念だけど」
「そっか。……そっか」
ミコトは数秒黙っていたが、やがて高らかに笑った。狂気じみた笑いにヒイラギは身構える。
「じゃあ戦わなきゃ。百合川くん、あなたは私の敵だ!」
そう言ってヒイラギを指差したミコトは聖なる力を掌に集めた。譲れぬ戦いが始まる合図だった。ヒイラギはぎりぎりと奥歯を噛み締める。一体どこで運命の歯車が噛み合わなくなったのだろう。まさか彼女と戦うことになるなんて――……。
「マハンバリオン!」
ミコトの叫び声とともに、掌から聖なる衝撃波が生まれた。ヒイラギは横に跳んでかわし、右手に青い刃を出現させ駆けた。彼女までの距離は数メートル、刹那のうちに距離が詰まる。ヒイラギはミコトの懐に飛び込み、刃を振るった。
ガキン!
金属音が響いた。ヒイラギの刃はミコトの背中から生えた白い翼に受け止められ、ぎちぎちと鍔迫り合いを演じていた。表面は柔らかな羽毛で覆われた翼だが、羽毛の奥は鋼のように硬く、地上に舞い降りた女神を守らんとヒイラギを阻む。もう少し近付けば口付けもできる距離なのに、見つめたミコトとの間に甘い雰囲気は皆無。至高天の奥深く王座の神秘が溢れるそばで、二人のナホビノが命のやり取りを行っている。歯軋りが止まらないヒイラギの瞳から涙が零れた。
「どうして百合川くんが泣いてるの?泣きたいのはこっちなんだよ!」
ミコトの叫びとともに硬質な翼で弾き返され、ミコトとの間に隔たりが生まれる。しかしながら双方が一歩ずつ踏み出せば激突する距離。ヒイラギは拳を握りしめた。
「僕だって……僕だって君が欲しかった!でも手に入らなかった……まさか秘術が解けてしまうなんて……!」
激昂したヒイラギは再度精神を集中させた。金色の瞳に神の秘術を纏わせ、女神となったミコトを見つめる。しかし彼女は鋭い瞳で秘術を跳ね返し、静かな敵意に満ちた眼差しを向けていた。
やはり、今の彼女には秘術が通用しない。彼女の心は消滅したアオガミ甲型に囚われ、もう二度とヒイラギに甘い眼差しを向けてくれることはない。握り締めた拳に熱い涙が零れ落ちた。僕はたった一度、夢を見ることすら許されないのか。ヒイラギの心はからからに渇ききっていた。
「あなたと一緒にいたことでアオガミさんは死んだ。もう一度アオガミさんに会うには、私とアオガミさんの世界を創世するしかないの。だからあなたを生かしてはおけないの!」
激情に燃えるミコトの視線を受け止めるのは辛かった。しかしそれでも、ヒイラギはミコトから目を逸らさなかった。彼女はもはや戦うべき敵だ。ヒイラギは青い髪をなびかせ、涙を振り切るように大きく一歩を踏み出した。斬る。この青い剣で目の前の少女を斬る。これまで多数の悪魔を屠ってきたように。
「ふふ」
ミコトは笑い、翼を大きく広げた。羽根が鋭い弾丸となってヒイラギに降り注ぐ。それはあまりにも速く、
――避けられない!
目を見開いたヒイラギの体に硬い無機質な羽根がいくつも突き刺さった。
「そ、んな……」
百合川ヒイラギは膝をついて崩れ落ちた。青い髪の青年は一人の人間と一人の悪魔に分離し、ぐったりと倒れていた。
「ミコト……」
ミコトはヒイラギの声を聞き流しつつ、倒れた二人に目をやった。一人は思い人にそっくりだが中身は別人、見ていると心が軋む。ミコトは目を逸らし、倒れたヒイラギを見下ろした。
「百合川くん、あなたに恨みはないけれど、万一創世を邪魔されたら困るから。……じゃあね、ばいばい」
掌に聖なる力を集め槍のように先端を尖らせ、百合川ヒイラギの胸を貫いた。ナホビノでもない普通の男子高校生が受け止められるはずもなく、彼は一瞬呻いた後完全に動かなくなった。
「……アオガミさん。もうすぐ会える」
ミコトは王座に近付き、胸の前で両手を組んだ。それは敬虔な祈りの形で、彼女の脳裏にアオガミ甲型が思い浮かぶ。
「私とアオガミさんで新たな世界を創りたい。叶えて……!」
その瞬間、視界に眩いばかりの光が溢れた。
「ここは……?」
ミコトの体はふわりと宙を舞い、きらきらと光が輝く神秘的な空間の中にいた。ここに辿り着く前、ミコトは創世の王座で新たな世界を願ったはずだ。その願いは叶えられたのだろうか。
「……?」
ふわふわと漂っている中、前方に誰かが立っているのが見えた。背が高い人物であることしかわからない。ミコトは地面に降り立ち、ゆっくりと謎の人物に近付いていく。
「……!」
近付くにつれ、人物の輪郭がはっきりしていく。青い髪と白いボディスーツ、見慣れた無機質な眼差し。ああ……追い求めてやまなかった「彼」がいる。ミコトは走り出した。髪が揺れ、吸い寄せられるように「彼」に駆け寄る。
「アオガミさん!」
呼びかけると彼が顔を上げた。その逞しい胸に飛び込むと、彼――アオガミ甲型はミコトをそっと抱きしめてくれた。男性らしいぬくもりに満ちた腕の中、胸板は少し硬いが顔を預けると心地よかった。会いたくてたまらなかった彼に会えた。ミコトが顔を上げて彼を見つめると、瞳から大粒の涙が零れた。
「君か。再会するとは予想外だった」
「予想外なんかじゃありません!会いたかった、アオガミさん!」
ぎゅーっと抱きつき、ミコトは彼の体に全身を擦り付けた。アオガミ甲型はミコトの頭を優しく撫でてくれる。大きな掌はあたたかく、彼と二人の時間を持てたと実感できまた涙が溢れた。
「二人で創世したかった……!やっと叶えられました、アオガミさん」
「そうか。私も君とともにいたかった」
アオガミ甲型の唇がミコトの額を撫でた。少しかさついた唇がくすぐったく、ミコトは目を細めた。
「アオガミさん、あなたといっぱいしたいことがあります」
「例えばどのようなことだ?」
「東京ぶらり旅、結局一回しかできませんでした。縄印学園にアオガミさんが通ったりすることもできませんか?」
「私は……」
アオガミ甲型はミコトを見下ろしたまま、無表情に言った。
「私は新たな世界でも神造魔人なのだ。人間とは違う。君の言うように縄印学園に通うことはないだろう」
「そうですか……残念です。でも、じゃあ東京ぶらり旅ならできますよね!」
輝くような笑顔で尋ねるミコトはアオガミ甲型に抱きしめられた。離したくないと言わんばかりにその懐に抱かれる。
「君と私が再び邂逅できるのならば、できるものと判断」
「なら会いに行きます!新しい世界のアオガミさんに!」
涙を散らしながらもミコトは笑っていた。アオガミ甲型にのみ見せる、可憐で健気な笑顔だった。
「やばいやばい、遅刻するー!」
完全に寝坊した。スマートフォンで時間を確認するといつもより三十分も遅い時間だった。慌てて身支度を済ませた月森ミコトはセーラー服に袖を通し、学生寮を飛び出した。
通勤通学の時間帯の混み合う品川駅を通り抜け、学園に急ぐ。校門が見えてきたと思った瞬間、
「ケケケ!マガツヒをヨコセ!」
腹が異常に膨れた紫色の悪魔、ガキが数匹現れた。このところ頻発している通り魔事件や失踪事件は悪魔の動きが活発化しているからと言われている。ミコトは思わず立ち止まった。
「人間を襲う悪魔を確認。殲滅を開始する」
どこからともなく低い男性の声が響き、白い閃光が走った。一般人であるミコトには目で追えない俊敏な動きでガキ数匹が斬り伏せられ、灰燼と化した。思わずミコトが呆けていると、
「対象の殲滅を確認。安全を確保」
青い髪に金色の瞳の男性が立っていた。筋肉質で背が高く、どこか無機質な雰囲気を漂わせる男性――ミコトにはすぐにわかった。彼がこの世界での「アオガミ甲型」だと。
「アオガミさん!」
思わず抱きつくと、彼はそっと頭を撫でてくれた。この世界ではずっと一緒だ、と言ってくれているような気がした。