白騎士物語
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
#7 君を壊したい
「アオガミ甲型を殺したいんです」
越水の執務室に響いたヒイラギの声は、明確な殺意を纏っていた。彼本来の翡翠の瞳は、越水すら殺しかねない鋭さを滲ませている。越水はひとまずため息をついた。
「君は一体何を言っている?君と合一可能なアオガミが甲型しかいない以上、殺すなどもってのほかだ」
「アオガミが一体しかいないことはわかっています。でも仮にあのアオガミがいなくなったところで、僕はあなたと合一すればいいだけです。違いますか?」
越水は黙り込んだ。確かにアオガミ甲型が失われても越水と合一することで、一応の戦力は確保できる。しかし魂の半身をわざわざ自分から殺したがる人間がいるものか……と考えを巡らせ、一人の少女が思い浮かんだ。
「君はもしや、月森ミコトを自分のものにしたいと考えているのか」
月森ミコト、百合川ヒイラギ、アオガミ甲型。彼らの間で痴情のもつれがあることは、越水でも察せられるところであった。ヒイラギが恋敵であるアオガミ甲型と合一するのかという懸念もクリアし、たとえ複雑な恋模様があったとしても問題ない――そう思っていたが、越水の考えは甘かったようだ。
「はい。僕は……僕は、月森さんが欲しい。アオガミじゃなくて僕を見てほしい」
ぎゅっと拳を握ったヒイラギの声は震えていた。彼は合一神となり魔界を駆け、これまで多くの悪魔を屠ってきた。高校生らしからぬ精神力の持ち主だと思っていたが、初めて年相応の感情を見せた。越水はふと思いついたことを口にした。
「百合川ヒイラギ、一つ提案がある。人の心を強制的にこちらに向けさせる秘術があるとしたら?」
「……!」
ヒイラギの顔色が変わった。越水は続ける。
「私は内政型の神造魔人、政を司りこの地を安定させる義務がある。人々の心を安定させる最終手段として、人間の精神に働きかけほしいままにする秘術があるのだ。これは戦闘に特化した神造魔人であるアオガミたちには知らされておらず、ベテル日本支部でも私しか知らぬ秘術だ」
「それを僕が月森さんに使えば……」
「彼女が君の虜になる状態を強制的に作り出せるということだ」
「なら、僕にそれを使わせてください」
「君は交渉が下手だな、百合川ヒイラギ」
越水は腕を組み、ヒイラギを睨んだ。
「アオガミ甲型の命と引き換えに秘術を君に渡して、私に何の得がある?私にも利がある状況にしなければならぬことくらい、理解できるだろう」
「……わかりました」
ヒイラギは一瞬俯き、顔を上げた。翡翠の瞳に強い輝きが宿った。
「アオガミ甲型を殺してあなたと合一した後、至高天であなたの望む世界を創世します。……それでおつりがくるんじゃないですか」
ヒイラギの言葉にようやく越水は頷いた。
百合川ヒイラギは越水と合一し、アオガミ甲型が眠るポッドにやってきた。越水からは人の心を操る秘術を授けられ、彼女の心を手に入れる準備は万端。後はポッドに眠るアオガミ甲型を殺すのみ――白銀の短髪に紫と黒を基調としたボディスーツ、アオガミと合一したときとは異なる力がみなぎっているのを感じる。大丈夫だ。きっと、きっとあの憎い恋敵を殺せる。
アオガミ甲型は薄暗い研究室の中、緑色のポッドの中で目を閉じ眠りについていた。月森ミコトの心を射止めた彼に仄暗い感情を抱き始めたのはいつからだろうか。やっと忌むべき存在を消すことができる。ヒイラギはポッドのスイッチを押した。ポッドが開き、眠ったままの彼が外に放り出される。安らかな寝顔……腹立たしい。今すぐここで息の根を止めてやる。ヒイラギは床に倒れた彼を見下ろし、右手に青い鎌を出現させた。
「……!!」
その瞬間、アオガミ甲型の目が開いた。金色の瞳がヒイラギを鋭く睨み付ける。アオガミ甲型は素早く立ち上がり身を翻した。彼の右手に白い光の刃が宿る。ヒイラギはち、と舌打ちした。
「そのまま寝ていれば苦しまずに済んだのに……どこまでも僕の邪魔をするんだね、アオガミ!」
「状況を確認……百合川ヒイラギと神造魔人ツクヨミが合一し、私と敵対しているものと判断」
激情を乗せたヒイラギの言葉とは裏腹に、アオガミ甲型の口調は機械的で無機質だった。僕はこんなやつに……!そう思うと歯軋りが止まらない。ヒイラギはアオガミ甲型と距離を詰めるべく駆けた。光の鎌が鞭のようにしなりアオガミ甲型に襲いかかるが、右手の剣で受け止められる。ギリギリと耳障りな音が響く中、アオガミ甲型は淡々と続けた。
「攻撃を受ける理由が不明。説明を求める」
「誰が君なんかに……!」
おそらくアオガミ甲型は純粋な疑問をぶつけているだけだろうが、ヒイラギの逆鱗をしっかり撫でていく一言だった。一度鎌を引き、再度彼に斬りかかろうとした瞬間、
「――!」
どくんと心臓が唸り、ヒイラギは膝をついた。アオガミ、アオガミ甲型と合一していたときには起こらなかった事象。肩で息をしていると、脳内に越水の声が響く。
「私との合一も可能だが、どうやらあまり馴染まないようだ。百合川ヒイラギ、君にはアオガミ甲型との合一を求める」
「そ、んな……まだやれます!」
ヒイラギは立ち上がろうとするが力が入らず、その場に崩れ落ちた。冷たい汗が背中を滴り落ちる中強制的に合一が解かれ、越水とアオガミ甲型に見下ろされていた。
「百合川ヒイラギ、一度医務室へ。アオガミ甲型はポッドでの休息に戻れ。突然起こしてすまなかったな」
越水に支えられながら何とか立ち上がったヒイラギが見たのは、アオガミ甲型のどこか哀れむような眼差しだった。
ベテル日本支部医務室のベッドに寝かされたヒイラギは、越水の冷ややかな視線を浴びることになった。彼はベッド近くの椅子に座り、淡々と言葉を紡ぐ。
「百合川ヒイラギ、今日試してみてわかっただろう。君はアオガミと長く合一した身、やはりアオガミ甲型と合一した方がよい。彼を殺すことは私が許さぬ」
「……はい」
ヒイラギは歯噛みしながら拳を握った。残念ながら越水の言うとおりで反論の余地はない。
「ただ、君に秘術は授けた。月森ミコトの件は君の好きにするといい。ただし至高天の王座に辿り着いた暁には、私の望む創世を成してもらう」
「……わかりました」
「アオガミ甲型と合一することが不本意であっても、秘術の使用には合一が不可欠だ。そうでなくとも、この消えゆく東京を救うためには創世が必要なのだ。ゆめゆめ忘れぬよう頼む」
「……はい」
ヒイラギの力ない承諾に越水は頷いた。椅子から立ち上がり、部屋を出る前に振り返る。
「少し頭を冷やすといい。肉体も疲労しているはずだ。休みたまえ」
「はい」
越水は部屋を出ていき、白い医務室にはヒイラギ一人が残される。半身を起こしていたヒイラギは、力なくベッドに倒れ込んだ。白い天井がヒイラギを出迎え、少し前まで沸騰した血液が流れていた体に冷たい水が注ぎ込まれるようだった。
「ふう……」
本当なら、今すぐにでもアオガミ甲型と合一し秘術とやらを試してみたかった。しかし今体は鉛のように重く、ベッドに沈んでいく気がした。結局はアオガミ甲型と合一しなければならない運命を呪いたくなった。
「こんにちは、百合川くん」
静寂の医務室に予期せぬ声が響いた。声の主が誰かなんて、考えるまでもない。ヒイラギは身を起こし、歩いてくる少女――月森ミコトに目をやった。
「越水さんから聞いたの。体調を悪くして寝込んでるって。もう起きて大丈夫なの?」
「大丈夫。君が来てくれるなんて思わなかった。ありがとう」
「ううん、私が気になっただけだから!気にしないで」
そう言うとミコトはベッドそばの椅子に腰掛けた。合一していない状態で彼女と二人きり、一体いつぶりだろうか。たとえ体が泥に沈んでも、彼女の顔を見ると心は軽やかに浮かび上がる。ヒイラギは単純な男だった。
「そういえば、月森さんはどうして魔界にいたの?何とか助けられたけど、大天使に利用されるんじゃないかってヒヤヒヤしたよ」
問いかけると、ミコトは暗い顔をして俯いた。
「あ、その……マリアと合一してナホビノになれるって気付いてから、創世の手伝いがしたくて……三つの鍵を手に入れようと思って魔界に行ったの。そうしたら大天使に目をつけられちゃって……」
「そう、なんだ」
「創世の手伝い」とは抽象的な言葉だが、つまりはヒイラギの――正確にはアオガミ甲型の助けになりたかったということだろうか。魔界を訪れた理由すらアオガミ甲型のためだろうと思うと胸がギリギリと痛む。今この場で秘術を行使できないことをこれほど呪ったことはなかった。
「あのね、百合川くん。私も一緒に至高天に行きたいの」
「月森さんが?……どうして?」
「それは……」
言い淀む彼女の様を見て、ヒイラギははっきりと悟った。彼女には彼女の理想とする世界があり、創世を目指しているのだろうと。そしてその理想はおそらく、ヒイラギと越水が目指す理想とは異なることを。
「……言いたくないならいいよ。でも、月森さんが一人で至高天を目指すのは危ないね。僕と一緒に行こう」
彼女と一緒にいた方が得策だ。たとえ彼女と思い描く未来が異なっても、同一にできる切り札を手に入れたのだから。
ヒイラギとアオガミ甲型が一時敵対してから数日経ち、体調も万全となったヒイラギはアオガミ甲型と合一し、月森ミコトを伴い万古の神殿の奥深くにやってきた。 結局、アオガミ甲型は何故ヒイラギが刃を向けたのか聞いてくることはなかった。ヒイラギからも一切話すことはなく、二人はただ創世の王座を目指すばかりだった。アオガミ甲型の無機質さには嫌気がさしていたが、今回ばかりは都合がよかった。ミコトは二人の軋轢を知らないのかやはり何も言わず、ただ粛々と目的地に向かい歩いていった。
「ここが至高天の入り口……何だか不思議な感じがするね」
ミコトと立ち止まり、青い光が漏れる入り口を見つめる。ヒイラギは入り口から目を逸らし、ミコトと向かい合った。彼女の両肩に手を置く。
「え、どうしたの、百合川くん」
「月森さん……僕の目を見て」
越水から教えられた秘術を使うときが来た。ヒイラギは金色の瞳に強い霊力を込め、ミコトを見つめた。人の心を乱す神の力でミコトの精神に深く潜り込んでいく。
「百合川ヒイラギ、何をしている?」
アオガミ甲型の声が脳内で響いた。彼はこの秘術を知らない上に肉体の主導権はヒイラギにある。邪魔はさせない――ヒイラギの青い髪がふわりとなびいた。強烈な霊力が瞳と肩に置いた手からミコトに流れていき、
「百合川……くん……」
ぽつりと呟いた瞬間ミコトの力が抜け、くずおれた。ヒイラギが抱き止めると、ミコトがうっすら目を開ける。
「私……」
「月森さん……僕だよ。ヒイラギって呼んで?」
「ヒイラギ……くん……あれ……私、ぼーっとしてた?」
「ちょっと疲れたんじゃないかな?」
ヒイラギはさらりと嘘をつきながらミコトを抱きしめ、唇を奪った。彼女は身を竦めたがヒイラギから離れず、口付けを受け入れてくれる。ヒイラギの体は熱い血潮に満ち、今にも弾け飛びそうだった。あの愛してやまない月森ミコトに名を呼ばれ、唇を触れ合わせているなんて。一瞬夢かもしれないと考えたが、唇を離したミコトに潤んだ瞳で見つめられ、現実だとはっきり理解した。ベテル日本支部でも越水しか知らない秘術、効果はてきめんだった。
「月森さん、大丈夫?」
「うん……ちょっとだけ疲れちゃったかも」
「そっか、ちょうど龍穴があるね。少し休憩しよう」
二人で至高天に入り、龍穴から悪魔の裏庭に辿り着く。ヒイラギはミコトをベンチに座らせると、隣に腰掛けた。その途端、ミコトが甘えるようにヒイラギに寄りかかってくる。
「ヒイラギくん、あたたかいね。こうしてると落ち着くの」
「月森さん……」
秘術をかける前の彼女では考えられなかった接触に、ヒイラギは胸が高鳴るのを感じていた。アオガミ甲型に向けていた思慕を丸ごとヒイラギに寄せるようになった彼女は、惜しみなく可憐な笑顔を向けていた。
「ヒイラギくんは私のことを名前で呼んでくれないの?」
ヒイラギの肩に顔を乗せたミコトがそんな風に甘えてくる。子猫のようで愛らしく、ヒイラギは考えるより前にミコトを抱きしめていた。ずっとこうしたかった。彼女の体温と視線を独占したかった。
「ミコト。……こっちの呼び方の方がいい?」
「うん。私だけヒイラギくんのこと名前で呼ぶの、少し寂しかったから嬉しい」
「ミコト……」
たとえ神の力による捻れた関係だったとしても、ミコトが恋人のように接してくれるのは嬉しい。ヒイラギはそっと彼女の頬に唇を寄せ、そのまま口付けた。柔らかく瑞々しい唇の感触に酔ってしまいそうになる。
どこか遠くで――脳内で誰かが何かを言っているような気がしたが、ヒイラギには聞こえていなかった。月森ミコトとの新たな関係に陶酔し、浸っていたかった。
「アオガミ甲型を殺したいんです」
越水の執務室に響いたヒイラギの声は、明確な殺意を纏っていた。彼本来の翡翠の瞳は、越水すら殺しかねない鋭さを滲ませている。越水はひとまずため息をついた。
「君は一体何を言っている?君と合一可能なアオガミが甲型しかいない以上、殺すなどもってのほかだ」
「アオガミが一体しかいないことはわかっています。でも仮にあのアオガミがいなくなったところで、僕はあなたと合一すればいいだけです。違いますか?」
越水は黙り込んだ。確かにアオガミ甲型が失われても越水と合一することで、一応の戦力は確保できる。しかし魂の半身をわざわざ自分から殺したがる人間がいるものか……と考えを巡らせ、一人の少女が思い浮かんだ。
「君はもしや、月森ミコトを自分のものにしたいと考えているのか」
月森ミコト、百合川ヒイラギ、アオガミ甲型。彼らの間で痴情のもつれがあることは、越水でも察せられるところであった。ヒイラギが恋敵であるアオガミ甲型と合一するのかという懸念もクリアし、たとえ複雑な恋模様があったとしても問題ない――そう思っていたが、越水の考えは甘かったようだ。
「はい。僕は……僕は、月森さんが欲しい。アオガミじゃなくて僕を見てほしい」
ぎゅっと拳を握ったヒイラギの声は震えていた。彼は合一神となり魔界を駆け、これまで多くの悪魔を屠ってきた。高校生らしからぬ精神力の持ち主だと思っていたが、初めて年相応の感情を見せた。越水はふと思いついたことを口にした。
「百合川ヒイラギ、一つ提案がある。人の心を強制的にこちらに向けさせる秘術があるとしたら?」
「……!」
ヒイラギの顔色が変わった。越水は続ける。
「私は内政型の神造魔人、政を司りこの地を安定させる義務がある。人々の心を安定させる最終手段として、人間の精神に働きかけほしいままにする秘術があるのだ。これは戦闘に特化した神造魔人であるアオガミたちには知らされておらず、ベテル日本支部でも私しか知らぬ秘術だ」
「それを僕が月森さんに使えば……」
「彼女が君の虜になる状態を強制的に作り出せるということだ」
「なら、僕にそれを使わせてください」
「君は交渉が下手だな、百合川ヒイラギ」
越水は腕を組み、ヒイラギを睨んだ。
「アオガミ甲型の命と引き換えに秘術を君に渡して、私に何の得がある?私にも利がある状況にしなければならぬことくらい、理解できるだろう」
「……わかりました」
ヒイラギは一瞬俯き、顔を上げた。翡翠の瞳に強い輝きが宿った。
「アオガミ甲型を殺してあなたと合一した後、至高天であなたの望む世界を創世します。……それでおつりがくるんじゃないですか」
ヒイラギの言葉にようやく越水は頷いた。
百合川ヒイラギは越水と合一し、アオガミ甲型が眠るポッドにやってきた。越水からは人の心を操る秘術を授けられ、彼女の心を手に入れる準備は万端。後はポッドに眠るアオガミ甲型を殺すのみ――白銀の短髪に紫と黒を基調としたボディスーツ、アオガミと合一したときとは異なる力がみなぎっているのを感じる。大丈夫だ。きっと、きっとあの憎い恋敵を殺せる。
アオガミ甲型は薄暗い研究室の中、緑色のポッドの中で目を閉じ眠りについていた。月森ミコトの心を射止めた彼に仄暗い感情を抱き始めたのはいつからだろうか。やっと忌むべき存在を消すことができる。ヒイラギはポッドのスイッチを押した。ポッドが開き、眠ったままの彼が外に放り出される。安らかな寝顔……腹立たしい。今すぐここで息の根を止めてやる。ヒイラギは床に倒れた彼を見下ろし、右手に青い鎌を出現させた。
「……!!」
その瞬間、アオガミ甲型の目が開いた。金色の瞳がヒイラギを鋭く睨み付ける。アオガミ甲型は素早く立ち上がり身を翻した。彼の右手に白い光の刃が宿る。ヒイラギはち、と舌打ちした。
「そのまま寝ていれば苦しまずに済んだのに……どこまでも僕の邪魔をするんだね、アオガミ!」
「状況を確認……百合川ヒイラギと神造魔人ツクヨミが合一し、私と敵対しているものと判断」
激情を乗せたヒイラギの言葉とは裏腹に、アオガミ甲型の口調は機械的で無機質だった。僕はこんなやつに……!そう思うと歯軋りが止まらない。ヒイラギはアオガミ甲型と距離を詰めるべく駆けた。光の鎌が鞭のようにしなりアオガミ甲型に襲いかかるが、右手の剣で受け止められる。ギリギリと耳障りな音が響く中、アオガミ甲型は淡々と続けた。
「攻撃を受ける理由が不明。説明を求める」
「誰が君なんかに……!」
おそらくアオガミ甲型は純粋な疑問をぶつけているだけだろうが、ヒイラギの逆鱗をしっかり撫でていく一言だった。一度鎌を引き、再度彼に斬りかかろうとした瞬間、
「――!」
どくんと心臓が唸り、ヒイラギは膝をついた。アオガミ、アオガミ甲型と合一していたときには起こらなかった事象。肩で息をしていると、脳内に越水の声が響く。
「私との合一も可能だが、どうやらあまり馴染まないようだ。百合川ヒイラギ、君にはアオガミ甲型との合一を求める」
「そ、んな……まだやれます!」
ヒイラギは立ち上がろうとするが力が入らず、その場に崩れ落ちた。冷たい汗が背中を滴り落ちる中強制的に合一が解かれ、越水とアオガミ甲型に見下ろされていた。
「百合川ヒイラギ、一度医務室へ。アオガミ甲型はポッドでの休息に戻れ。突然起こしてすまなかったな」
越水に支えられながら何とか立ち上がったヒイラギが見たのは、アオガミ甲型のどこか哀れむような眼差しだった。
ベテル日本支部医務室のベッドに寝かされたヒイラギは、越水の冷ややかな視線を浴びることになった。彼はベッド近くの椅子に座り、淡々と言葉を紡ぐ。
「百合川ヒイラギ、今日試してみてわかっただろう。君はアオガミと長く合一した身、やはりアオガミ甲型と合一した方がよい。彼を殺すことは私が許さぬ」
「……はい」
ヒイラギは歯噛みしながら拳を握った。残念ながら越水の言うとおりで反論の余地はない。
「ただ、君に秘術は授けた。月森ミコトの件は君の好きにするといい。ただし至高天の王座に辿り着いた暁には、私の望む創世を成してもらう」
「……わかりました」
「アオガミ甲型と合一することが不本意であっても、秘術の使用には合一が不可欠だ。そうでなくとも、この消えゆく東京を救うためには創世が必要なのだ。ゆめゆめ忘れぬよう頼む」
「……はい」
ヒイラギの力ない承諾に越水は頷いた。椅子から立ち上がり、部屋を出る前に振り返る。
「少し頭を冷やすといい。肉体も疲労しているはずだ。休みたまえ」
「はい」
越水は部屋を出ていき、白い医務室にはヒイラギ一人が残される。半身を起こしていたヒイラギは、力なくベッドに倒れ込んだ。白い天井がヒイラギを出迎え、少し前まで沸騰した血液が流れていた体に冷たい水が注ぎ込まれるようだった。
「ふう……」
本当なら、今すぐにでもアオガミ甲型と合一し秘術とやらを試してみたかった。しかし今体は鉛のように重く、ベッドに沈んでいく気がした。結局はアオガミ甲型と合一しなければならない運命を呪いたくなった。
「こんにちは、百合川くん」
静寂の医務室に予期せぬ声が響いた。声の主が誰かなんて、考えるまでもない。ヒイラギは身を起こし、歩いてくる少女――月森ミコトに目をやった。
「越水さんから聞いたの。体調を悪くして寝込んでるって。もう起きて大丈夫なの?」
「大丈夫。君が来てくれるなんて思わなかった。ありがとう」
「ううん、私が気になっただけだから!気にしないで」
そう言うとミコトはベッドそばの椅子に腰掛けた。合一していない状態で彼女と二人きり、一体いつぶりだろうか。たとえ体が泥に沈んでも、彼女の顔を見ると心は軽やかに浮かび上がる。ヒイラギは単純な男だった。
「そういえば、月森さんはどうして魔界にいたの?何とか助けられたけど、大天使に利用されるんじゃないかってヒヤヒヤしたよ」
問いかけると、ミコトは暗い顔をして俯いた。
「あ、その……マリアと合一してナホビノになれるって気付いてから、創世の手伝いがしたくて……三つの鍵を手に入れようと思って魔界に行ったの。そうしたら大天使に目をつけられちゃって……」
「そう、なんだ」
「創世の手伝い」とは抽象的な言葉だが、つまりはヒイラギの――正確にはアオガミ甲型の助けになりたかったということだろうか。魔界を訪れた理由すらアオガミ甲型のためだろうと思うと胸がギリギリと痛む。今この場で秘術を行使できないことをこれほど呪ったことはなかった。
「あのね、百合川くん。私も一緒に至高天に行きたいの」
「月森さんが?……どうして?」
「それは……」
言い淀む彼女の様を見て、ヒイラギははっきりと悟った。彼女には彼女の理想とする世界があり、創世を目指しているのだろうと。そしてその理想はおそらく、ヒイラギと越水が目指す理想とは異なることを。
「……言いたくないならいいよ。でも、月森さんが一人で至高天を目指すのは危ないね。僕と一緒に行こう」
彼女と一緒にいた方が得策だ。たとえ彼女と思い描く未来が異なっても、同一にできる切り札を手に入れたのだから。
ヒイラギとアオガミ甲型が一時敵対してから数日経ち、体調も万全となったヒイラギはアオガミ甲型と合一し、月森ミコトを伴い万古の神殿の奥深くにやってきた。 結局、アオガミ甲型は何故ヒイラギが刃を向けたのか聞いてくることはなかった。ヒイラギからも一切話すことはなく、二人はただ創世の王座を目指すばかりだった。アオガミ甲型の無機質さには嫌気がさしていたが、今回ばかりは都合がよかった。ミコトは二人の軋轢を知らないのかやはり何も言わず、ただ粛々と目的地に向かい歩いていった。
「ここが至高天の入り口……何だか不思議な感じがするね」
ミコトと立ち止まり、青い光が漏れる入り口を見つめる。ヒイラギは入り口から目を逸らし、ミコトと向かい合った。彼女の両肩に手を置く。
「え、どうしたの、百合川くん」
「月森さん……僕の目を見て」
越水から教えられた秘術を使うときが来た。ヒイラギは金色の瞳に強い霊力を込め、ミコトを見つめた。人の心を乱す神の力でミコトの精神に深く潜り込んでいく。
「百合川ヒイラギ、何をしている?」
アオガミ甲型の声が脳内で響いた。彼はこの秘術を知らない上に肉体の主導権はヒイラギにある。邪魔はさせない――ヒイラギの青い髪がふわりとなびいた。強烈な霊力が瞳と肩に置いた手からミコトに流れていき、
「百合川……くん……」
ぽつりと呟いた瞬間ミコトの力が抜け、くずおれた。ヒイラギが抱き止めると、ミコトがうっすら目を開ける。
「私……」
「月森さん……僕だよ。ヒイラギって呼んで?」
「ヒイラギ……くん……あれ……私、ぼーっとしてた?」
「ちょっと疲れたんじゃないかな?」
ヒイラギはさらりと嘘をつきながらミコトを抱きしめ、唇を奪った。彼女は身を竦めたがヒイラギから離れず、口付けを受け入れてくれる。ヒイラギの体は熱い血潮に満ち、今にも弾け飛びそうだった。あの愛してやまない月森ミコトに名を呼ばれ、唇を触れ合わせているなんて。一瞬夢かもしれないと考えたが、唇を離したミコトに潤んだ瞳で見つめられ、現実だとはっきり理解した。ベテル日本支部でも越水しか知らない秘術、効果はてきめんだった。
「月森さん、大丈夫?」
「うん……ちょっとだけ疲れちゃったかも」
「そっか、ちょうど龍穴があるね。少し休憩しよう」
二人で至高天に入り、龍穴から悪魔の裏庭に辿り着く。ヒイラギはミコトをベンチに座らせると、隣に腰掛けた。その途端、ミコトが甘えるようにヒイラギに寄りかかってくる。
「ヒイラギくん、あたたかいね。こうしてると落ち着くの」
「月森さん……」
秘術をかける前の彼女では考えられなかった接触に、ヒイラギは胸が高鳴るのを感じていた。アオガミ甲型に向けていた思慕を丸ごとヒイラギに寄せるようになった彼女は、惜しみなく可憐な笑顔を向けていた。
「ヒイラギくんは私のことを名前で呼んでくれないの?」
ヒイラギの肩に顔を乗せたミコトがそんな風に甘えてくる。子猫のようで愛らしく、ヒイラギは考えるより前にミコトを抱きしめていた。ずっとこうしたかった。彼女の体温と視線を独占したかった。
「ミコト。……こっちの呼び方の方がいい?」
「うん。私だけヒイラギくんのこと名前で呼ぶの、少し寂しかったから嬉しい」
「ミコト……」
たとえ神の力による捻れた関係だったとしても、ミコトが恋人のように接してくれるのは嬉しい。ヒイラギはそっと彼女の頬に唇を寄せ、そのまま口付けた。柔らかく瑞々しい唇の感触に酔ってしまいそうになる。
どこか遠くで――脳内で誰かが何かを言っているような気がしたが、ヒイラギには聞こえていなかった。月森ミコトとの新たな関係に陶酔し、浸っていたかった。