白騎士物語
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#6 白騎士様と叶えたい
合一したミコトが魔界に降り立つと、そこは白い雪のような砂が積もった空間だった。ダアト、ウエノ。魔界はてっきり黄色い砂漠ばかりだと思っていただけに意外だった。あのときはアオガミ甲型に守られ、できることといえば秘石を投げるくらいだったが今は違う。合一したマリアの聖なる力が体に満ちている。
さてアオガミ甲型に会うためにやってきたはいいものの、ミコトはアオガミ甲型と百合川ヒイラギが創世を目指しているということしか知らない。魔界の理についてはマリアの方が詳しく、創世を行う王座がある場所、そこに行くためには三つの鍵が必要であること、アオガミ甲型たちの他にも創世を狙うナホビノがおり水面下で動いていることを知った。ミコトが想像していたよりも事態は複雑で一刻を争うようだった。
「私もナホビノになったから、至高天に辿り着ければ創世ができるんだ」
「ええ、そのとおりです。あなたと思い人が頂点に立つ世界を創世することも可能なのですよ」
「私と、アオガミさんが……」
マリアの言葉は現実味がなく、合一したばかりのミコトにとっては実感が難しかった。しかしアオガミ甲型とずっと一緒にいられる未来が創れるとしたら……ミコトには魅力的でたまらない話だった。
「私が三つの鍵を手に入れたら、アオガミさんの助けになるかな?」
「ええ、間違いなく助けになるでしょう。鍵の入手を優先しますか?」
「うん。アオガミさんを助けなきゃ」
ミコトはぎゅっと拳を握った。正直なところ、彼に会いたい。あの逞しい腕の中に収まりたい。だが今は、惚けた感情よりも優先すべき事項がある。他のナホビノ候補の手に鍵が渡る前に入手しなければ。アオガミ甲型との合流はその後考えればいい。
ミコトが降り立った場所は偶然にもゼウスの根城の近くだった。まずは彼を倒すことからだろう。そう思い白い砂漠を歩いていたところ、空から白い羽根が零れ落ちた。一体何事かと上空に目を向けると、
「ふふ、ようやく見つけましたわ。私たちの希望、女神マリアと合一した人間よ」
涼やかな声とともに三人の天使がミコトの前に舞い降りた。大天使ガブリエル、ウリエル、ラファエルだった。彼らはそれぞれミコトに恭しく礼をする。
「我々大天使としてはベテルが創世を行うのが悲願ですが、アブディエルは所詮一介の天使に過ぎません。彼女はナホビノに相応しくないと考えておりました」
「至高天におわす我らが女神、マリア様が知恵たる人間を見つけたと聞き飛んできたのですが……何故マリア様ではなく人間が主導権を握っているのです?」
大天使たちは一様にミコトを睨み付けた。その視線は明確にミコトを咎めるもので、大天使たちと接点のないミコトは困惑してしまった。どう答えたものか黙っていると合一が解かれ、マリアが現れた。大天使たちは跪いてマリアを迎え、その様はまるで宗教画のようだった。
「顔を上げなさい、大天使たちよ」
マリアの声に大天使たちが顔を上げ、期待と崇拝が混ざった眼差しでマリアを見つめていた。先ほどミコトに向けていた視線とはまるで別物だった。
「私は知恵を持つ者、月森ミコトの願いを叶えたいだけなのです。彼女には明確な理想があります。ですから彼女に主導権を渡しました」
マリアの言葉に大天使たちはどよめいた。ガブリエルは即座に食ってかかる。
「そんな……!あなたの知恵は私たちが望む世界を創世するとは思えません。女神マリアよ、どうかお考えを改めてください。ナホビノは我ら大天使の……いえ、全ての天使たちの希望なのです」
「ガブリエル、あなたの言い分もわかりますがすでに決めたことです。あなたたちに何と言われようと心は揺るぎません」
マリアが静かに拒否するのを聞き、大天使たちは項垂れた。水を打ったような沈黙にミコトは背筋が凍った。硬直しているとガブリエルがふわりと宙に浮き、手にした剣でミコトを指した。
「なるほど、わかりました。女神マリアを唆すとは、いくら知恵を持つ人間とはいえ大胆不敵な……今ここでねじ伏せてみせましょう!」
「きます!合一しますよ!」
「う、うん!」
一触即発の危うい空気の中、ミコトは再びマリアと合一した。大天使たちは羽根を広げ、崇拝すべきナホビノを鋭く睨んでいた。
アオガミ甲型が感知した「異質な座標」を追い、ヒイラギはウエノを彷徨っていた。ベテルギリシャ支部ゼウスがいると思われる近くで座標の移動が止まった。そんな中途半端なところで立ち止まる理由がわからず、ヒイラギは思わずアオガミに尋ねた。
「ゼウスの近くにいるからてっきりゼウスの味方なのかと思ったけど……違うのかな」
「現状座標の詳細は不明、意図も不明。追跡を推奨するが、戦闘になる可能性があるものと判断」
「そうだね。気は抜かないようにしないと」
白い雪のような砂を踏み締めヒイラギは駆ける。青い髪が激しくなびき、足元で砂が舞い上がり白い煙が上がった。
座標の場所に辿り着いた。てっきり誰かいると思っていたが、そこには誰もいない。ただの魔界の一角にしか見えなかった。
「あれ?おかしいな、誰もいない?」
「座標の位置はここから動いていない。気をつけろ、少年。気配がする」
ヒイラギが辺りを見回した瞬間、頭上から強烈な気配を感じた。考えるより先に体が動きヒイラギが飛び退くと、先ほどまでヒイラギがいた地面に身を刻むような突風が降り注いだ。ヒイラギは顔を上げた。
「月森さん!?」
そこには白い羽根を生やした月森ミコトがいた。ヒイラギを見つめる瞳は金色に輝くがどこか虚ろで、操られているような不気味な気配を纏っていた。
おかしい、彼女はベテル日本支部で待機していたはずだ。越水が彼女の外出を許可するとも思えない。それに先ほどの魔法、まさか彼女が放ったものなのか?彼女は普通の人間、聖女のように強大な霊力を持つ者でもなければ、ユヅルのように悪魔召喚プログラムを使う者でもないはずだ。
「まさか……ナホビノ?」
ヒイラギがぽつりと呟いた瞬間、ミコトが手をかざした。掌に白い聖なる輝きが集まる、まずい。ヒイラギは放たれた破魔の力を何とかかわしたが、思考はまとまらなかった。
「どうして月森さんが僕たちを狙うんだ……!?たとえナホビノになったとしても戦う理由はないはずじゃ……」
「何者かに操られているようだが、操っている本体はここにはいないようだ。彼女を気絶させることを推奨」
「難しいことを言うね……!」
ミコトは広げた羽根の一部を弾丸として飛ばしてきた。右手に宿した天色の剣で弾くと金属的な鋭い音がする。見た目に反し殺傷力は高いものと思われた。ヒイラギは白い砂を踏み締め跳ぶように駆けた。羽根が頬や腕を掠めるが気にせず距離を詰めミコトの背後に回り、首の後ろに手刀を入れた。
「……!」
ナホビノ化したとはいえミコトには十分効いたようで、彼女は気を失い崩れ落ちた。
「月森さん!」
ヒイラギが抱き止めようとした瞬間、ミコトの体がふわりと宙に浮いた。漂う彼女をそっと抱きしめたのは大天使ガブリエルだった。ガブリエルは慈悲に満ちた美しい笑顔で驚愕するヒイラギを見下ろしていた。
「女神マリアの力を得たとはいえ、実戦経験があまりないようですわね。ベテル日本支部の犬に後れをとるとは」
「大天使ガブリエル……!?一体何を企んでる!」
ヒイラギの鋭い追及にガブリエルは涼しい笑みを返した。
「ふふ、あなた方に教える必要などありませんわ。……またお会いしましょう」
「待て!」
ヒイラギが手を伸ばしたと同時、ガブリエルはミコトとともに消えた。ヒイラギは伸ばした手を固く握り、行き場のない拳を地面に叩きつけた。
「くそっ!」
「少年、一度ベテルに戻ることを提案。非常事態だ」
脳内にアオガミ甲型の無機質な声が響き渡る。全くもって不本意だが彼の提案を否定する余地はなかった。ヒイラギはぎり、と歯噛みする。
「……そうだね。いったん戻ろう」
「……そうか。報告ご苦労」
ベテル日本支部に戻ったヒイラギは、真っ先に越水に仔細を報告した。越水はいつもどおり落ち着いた様子ながら、やや不安定な声音だった。
「僕たちは月森さんを追います。攫われた彼女が何に利用されるかわかったものではありません」
「駄目だ」
ヒイラギの宣言を強く拒否し、越水は首を横に振った。
「君たちは三つの鍵の確保を優先すべきだ。彼女は創世を目的とし、邪魔な他のナホビノを排除したいのであろう。仮にそうだとすれば、鍵が必要なのは彼女も同じ。鍵を追い求めていけば自ずと向こうからやってくるだろう。そちらの方が効率がよい」
「月森ミコトは合一したばかりの人間で不安定、それも大天使に攫われたとあらば、彼女の方を優先すべきと判断」
アオガミ甲型もヒイラギと同様の考えを口にする。ヒイラギとしては苦しい事実だが、アオガミ甲型と利害や理念は一致している。迷いのない発言だった。
越水は数秒黙り込んだが、深いため息をついた。強情な二人に呆れているようだった。
「君たちの考えはわかった。しかしこちらの考えも変わらない。ベテル日本支部としてはあくまで東京の救済……つまりは創世が何よりも優先される事項だ。しかし君たちが月森ミコトを救出したい思いも汲みたい。折衷案を出そう」
越水は人差し指を立て、高らかに述べる。
「こちらで月森ミコトを追跡し、至高天に続く神殿――万古の神殿まで彼女を誘導する。君たちは三つの鍵を入手した上で万古の神殿へ向かいたまえ。彼女を操る大天使が創世を目的とするなら、必ず鍵を持った君たちの前に現れるはずだ。そこを叩けばよい。無論、三つの鍵を狙う道中で大天使と月森ミコトに遭遇した場合は、救出を優先しても構わない」
創世を第一目的としつつ、ミコトの救出も兼ねた作戦。真っ先にミコトに向かわないのはやや不安が残るものの、悪くない提案に思えた。ヒイラギは隣に立つアオガミ甲型と顔を見合わせた。彼も同じ考えのようで、互いに頷き合った。
「わかりました。では僕たちは三つの鍵の入手に向かいます。万古の神殿で彼女も救ってみせます」
ヒイラギの言葉に越水は満足した様子で頷いていた。
ヒイラギは青い髪をなびかせ魔界を駆け巡った。三つの鍵を入手するまでには様々な障害があったものの、ミコトを助けたい一心の彼の刃は研ぎ澄まされあっという間に敵対する者を斬り伏せていた。
「これが三つの鍵……」
ヒイラギの手にはそれぞれ神秘的な輝きを放つ鍵があった。これで至高天に続く神殿、万古の神殿の扉を開くことができるはずだ。
結局鍵を手に入れる間にミコトと出会うことはなかった。越水と通信したところ、彼女を無事に万古の神殿に誘い込むことができたとのことで、ヒイラギは満を持して万古の神殿に向かった。合一しているアオガミ甲型の昂りや緊張もヒイラギには伝わってくる。互いに彼女を思い合う者同士、行動も考えもほぼ同一だった。
「月森さん!」
万古の神殿の入り口には見慣れたセーラー服の少女が立っていた。その周囲にはガブリエル、ウリエル、ラファエルが守るように佇んでいる。
「ああ、やっと来ましたね、ナホビノ。三つの鍵を手に入れたあなたがやってくるのを待っていました」
ガブリエルは口調だけは恭しくヒイラギを迎える。相変わらずミコトは氷のように冷たい金色の目でヒイラギを見つめていた。
「新たな宇宙は女神マリアが創世すべきなのです!ナホビノ、あなたにはその礎になってもらいましょう!」
そう言ってガブリエルが手にした剣を掲げた瞬間、ウリエル、ラファエルが動いた。ウリエルが高く飛び、勢いよく落下しながら剣を振り下ろした。ヒイラギは右手の天色の剣で弾き返し、ラファエルが放った突風を剣の衝撃波で跳ね返した。二人の大天使が動けなくなった代わりにガブリエルの氷撃が襲いかかるが、ヒイラギは横に跳んでかわし、
「叢雲!」
右手に霊力を集中させる。鋭い霊力は右手の剣に沿って尖った竜巻状の新たな大剣となる。ガブリエルの脳天めがけて振り下ろされた叢雲剣が直撃し、ガブリエルの存在ごと叩き斬った。ウリエルとラファエルの驚きが聞こえるが、戦いの最中驚いている暇などない。ヒイラギが残る大天使たちに接近したとき、
「……月森さん!」
翼を広げたミコトがヒイラギの前に立ちはだかった。聖なる破魔の力をヒイラギに振るう。
「ぐう……!」
救出対象のミコトに刃を振るうことはできず、まともに食らった。ナホビノたるミコトの力は本物で、ヒイラギの疾走を止めるには十分だった。思わず呻くヒイラギに大天使たちの剣が迫る。
「くそ!」
負けるわけにはいかない。ヒイラギは両手に剣を宿し、二つの刃を受け止めた。ギギギ、と軋むような不快な音が響く。二対一、この状況はまずい。ヒイラギはあえて両手の力を抜き後退り、右手で素早く印を結んだ。
「ツミゴトよ……飲まれろ!」
右手を天に掲げると大天使二人の頭上から黒い雨が降り翼に絡み付いて動けなくさせ、呪いの渦に引き込んでいく。大天使といえども呪いの力に弱いのは変わらず、大天使二人はあっという間に渦に埋もれ存在ごと消え去った。
大天使三人が沈んだ暁には白い羽根のナホビノだけが残されるが、彼女は糸が切れたようにくずおれぐったりと動かなくなった。
「月森さん!」
まだ破魔の力を受けた衝撃が残っているが、ミコトを前にして駆け出さぬわけがなかった。ヒイラギが抱き起こすと、彼女は意識を失っているが息をしていることがわかり、ようやくほっと安堵の息をついた。
――夢を見ている気がする……。月森ミコトはふわふわと雲間を漂うような曖昧な意識から目覚めた。
白い部屋だった。天井も床もベッドも白く、清潔感を纏った部屋。見覚えがある、ここはベテル日本支部の医務室だ。ミコトはゆっくり体を起こした。
体が軋むような感覚がある。記憶もあやふやで、マリアと魔界に降り立った後何が起きたか思い出せない。
不意に医務室のドアが開き、誰かが入ってくるのが見えた。反射的にそちらを向くと、白いボディスーツに身を包んだ屈強な男性が立っていた。
「アオガミさん!」
ミコトは飛び起き、彼に抱きついた。体に纏わり付く疲労や違和感は一瞬で吹き飛び、彼に会えた喜びが全身に満ちていた。
「起きたばかりと推察。ベッドに戻ることを推奨する」
「そんなの後でいいです!アオガミさん……!」
アオガミ甲型に抱きついたミコトは、彼の心配など軽く跳ね除けてしまった。少しばかり無理をしたい乙女心を彼は理解できるだろうか。アオガミ甲型はミコトの髪をさらりと撫でると、慣れた所作でミコトの手を取った。
「脈拍、体温、呼吸……全て異常なし。君が目覚めるまでに二日を要した。何があったか覚えているか」
「マリアと合一して魔界に行って……そこから記憶がありません。私、アオガミさんに迷惑をかけてしまったんですか」
「君は大天使たちに操られ、私及び百合川ヒイラギと敵対した。大天使を殲滅し君の催眠が解け、現在に至っている」
「そう、ですか……」
アオガミ甲型に促され、ミコトは二人で医務室のベッドに腰掛けた。隣にいるアオガミ甲型を見上げると、彼の手がそっとミコトの肩を抱いた。彼に寄りかかったミコトは顔どころか全身熱くなるのを感じた。
「君が何らかの悪魔と合一し、ナホビノになったと聞いた。可能ならば私は君と合一したかったが、叶わぬ望みだった」
「アオガミさん……その……創世についてなんですけど……」
ミコトは膝の上に置いた両手を落ち着きなく動かしていたが、やがてアオガミ甲型とはっきり目を合わせた。強い意思を感じさせる鋭いものだった。
「私もナホビノになって望んだ世界を創世できるってわかって、思いました。私、アオガミさんと二人でいられる世界を創世したい」
「それは百合川ヒイラギと敵対することになる」
「それでも……それでも、構いません。百合川くんの思い描く世界が違うなら、戦うしかありませんから。アオガミさん、私はあなたと一緒にいたい。ただそれだけです」
アオガミ甲型は無言で頷き、ミコトを抱きしめた。逞しい腕や大きな掌ながら、抱きしめる力は優しくミコトを気遣ったものだった。ミコトはアオガミの胸に顔を埋め、頬を擦り寄せた。
ベテル日本支部に戻った百合川ヒイラギは、アオガミ甲型の意思で合一を強制的に解かれたことに怒りを覚えていた。合一後の肉体の主導権は自分が握っていたはずなのに――そしてアオガミ甲型は一人でさっさとどこかに行ってしまった。誰に聞かずともわかる、月森ミコトを休ませている医務室だろう。ヒイラギはぎりぎりと奥歯を噛み締めていた。
――いいよ。今日は月森さんと会うのを譲ってあげる。
そんな苦い思いをすり潰しながらヒイラギは越水の執務室の前に立った。コンコンとドアを叩く。
「……百合川ヒイラギか。入りたまえ」
どこからともなく越水の声が聞こえ、扉が開いた。ヒイラギは固い決意とともに部屋へ足を踏み入れる。
「君が単独でこの部屋に来るとはな。アオガミ甲型や月森ミコトのことはよいのか」
「大切なお話があります。あなたにしかお話できないことです」
「ほう。何事だ」
机に座っていた越水が立ち上がり、ヒイラギの前までやってきた。彼のアオガミに似ている容貌を見ていると苛立ちが募るが、ヒイラギは口を開いた。彼女が思慕する人物に似た越水の顔を真っ直ぐ睨み付ける。
「アオガミ甲型を殺したいんです」
合一したミコトが魔界に降り立つと、そこは白い雪のような砂が積もった空間だった。ダアト、ウエノ。魔界はてっきり黄色い砂漠ばかりだと思っていただけに意外だった。あのときはアオガミ甲型に守られ、できることといえば秘石を投げるくらいだったが今は違う。合一したマリアの聖なる力が体に満ちている。
さてアオガミ甲型に会うためにやってきたはいいものの、ミコトはアオガミ甲型と百合川ヒイラギが創世を目指しているということしか知らない。魔界の理についてはマリアの方が詳しく、創世を行う王座がある場所、そこに行くためには三つの鍵が必要であること、アオガミ甲型たちの他にも創世を狙うナホビノがおり水面下で動いていることを知った。ミコトが想像していたよりも事態は複雑で一刻を争うようだった。
「私もナホビノになったから、至高天に辿り着ければ創世ができるんだ」
「ええ、そのとおりです。あなたと思い人が頂点に立つ世界を創世することも可能なのですよ」
「私と、アオガミさんが……」
マリアの言葉は現実味がなく、合一したばかりのミコトにとっては実感が難しかった。しかしアオガミ甲型とずっと一緒にいられる未来が創れるとしたら……ミコトには魅力的でたまらない話だった。
「私が三つの鍵を手に入れたら、アオガミさんの助けになるかな?」
「ええ、間違いなく助けになるでしょう。鍵の入手を優先しますか?」
「うん。アオガミさんを助けなきゃ」
ミコトはぎゅっと拳を握った。正直なところ、彼に会いたい。あの逞しい腕の中に収まりたい。だが今は、惚けた感情よりも優先すべき事項がある。他のナホビノ候補の手に鍵が渡る前に入手しなければ。アオガミ甲型との合流はその後考えればいい。
ミコトが降り立った場所は偶然にもゼウスの根城の近くだった。まずは彼を倒すことからだろう。そう思い白い砂漠を歩いていたところ、空から白い羽根が零れ落ちた。一体何事かと上空に目を向けると、
「ふふ、ようやく見つけましたわ。私たちの希望、女神マリアと合一した人間よ」
涼やかな声とともに三人の天使がミコトの前に舞い降りた。大天使ガブリエル、ウリエル、ラファエルだった。彼らはそれぞれミコトに恭しく礼をする。
「我々大天使としてはベテルが創世を行うのが悲願ですが、アブディエルは所詮一介の天使に過ぎません。彼女はナホビノに相応しくないと考えておりました」
「至高天におわす我らが女神、マリア様が知恵たる人間を見つけたと聞き飛んできたのですが……何故マリア様ではなく人間が主導権を握っているのです?」
大天使たちは一様にミコトを睨み付けた。その視線は明確にミコトを咎めるもので、大天使たちと接点のないミコトは困惑してしまった。どう答えたものか黙っていると合一が解かれ、マリアが現れた。大天使たちは跪いてマリアを迎え、その様はまるで宗教画のようだった。
「顔を上げなさい、大天使たちよ」
マリアの声に大天使たちが顔を上げ、期待と崇拝が混ざった眼差しでマリアを見つめていた。先ほどミコトに向けていた視線とはまるで別物だった。
「私は知恵を持つ者、月森ミコトの願いを叶えたいだけなのです。彼女には明確な理想があります。ですから彼女に主導権を渡しました」
マリアの言葉に大天使たちはどよめいた。ガブリエルは即座に食ってかかる。
「そんな……!あなたの知恵は私たちが望む世界を創世するとは思えません。女神マリアよ、どうかお考えを改めてください。ナホビノは我ら大天使の……いえ、全ての天使たちの希望なのです」
「ガブリエル、あなたの言い分もわかりますがすでに決めたことです。あなたたちに何と言われようと心は揺るぎません」
マリアが静かに拒否するのを聞き、大天使たちは項垂れた。水を打ったような沈黙にミコトは背筋が凍った。硬直しているとガブリエルがふわりと宙に浮き、手にした剣でミコトを指した。
「なるほど、わかりました。女神マリアを唆すとは、いくら知恵を持つ人間とはいえ大胆不敵な……今ここでねじ伏せてみせましょう!」
「きます!合一しますよ!」
「う、うん!」
一触即発の危うい空気の中、ミコトは再びマリアと合一した。大天使たちは羽根を広げ、崇拝すべきナホビノを鋭く睨んでいた。
アオガミ甲型が感知した「異質な座標」を追い、ヒイラギはウエノを彷徨っていた。ベテルギリシャ支部ゼウスがいると思われる近くで座標の移動が止まった。そんな中途半端なところで立ち止まる理由がわからず、ヒイラギは思わずアオガミに尋ねた。
「ゼウスの近くにいるからてっきりゼウスの味方なのかと思ったけど……違うのかな」
「現状座標の詳細は不明、意図も不明。追跡を推奨するが、戦闘になる可能性があるものと判断」
「そうだね。気は抜かないようにしないと」
白い雪のような砂を踏み締めヒイラギは駆ける。青い髪が激しくなびき、足元で砂が舞い上がり白い煙が上がった。
座標の場所に辿り着いた。てっきり誰かいると思っていたが、そこには誰もいない。ただの魔界の一角にしか見えなかった。
「あれ?おかしいな、誰もいない?」
「座標の位置はここから動いていない。気をつけろ、少年。気配がする」
ヒイラギが辺りを見回した瞬間、頭上から強烈な気配を感じた。考えるより先に体が動きヒイラギが飛び退くと、先ほどまでヒイラギがいた地面に身を刻むような突風が降り注いだ。ヒイラギは顔を上げた。
「月森さん!?」
そこには白い羽根を生やした月森ミコトがいた。ヒイラギを見つめる瞳は金色に輝くがどこか虚ろで、操られているような不気味な気配を纏っていた。
おかしい、彼女はベテル日本支部で待機していたはずだ。越水が彼女の外出を許可するとも思えない。それに先ほどの魔法、まさか彼女が放ったものなのか?彼女は普通の人間、聖女のように強大な霊力を持つ者でもなければ、ユヅルのように悪魔召喚プログラムを使う者でもないはずだ。
「まさか……ナホビノ?」
ヒイラギがぽつりと呟いた瞬間、ミコトが手をかざした。掌に白い聖なる輝きが集まる、まずい。ヒイラギは放たれた破魔の力を何とかかわしたが、思考はまとまらなかった。
「どうして月森さんが僕たちを狙うんだ……!?たとえナホビノになったとしても戦う理由はないはずじゃ……」
「何者かに操られているようだが、操っている本体はここにはいないようだ。彼女を気絶させることを推奨」
「難しいことを言うね……!」
ミコトは広げた羽根の一部を弾丸として飛ばしてきた。右手に宿した天色の剣で弾くと金属的な鋭い音がする。見た目に反し殺傷力は高いものと思われた。ヒイラギは白い砂を踏み締め跳ぶように駆けた。羽根が頬や腕を掠めるが気にせず距離を詰めミコトの背後に回り、首の後ろに手刀を入れた。
「……!」
ナホビノ化したとはいえミコトには十分効いたようで、彼女は気を失い崩れ落ちた。
「月森さん!」
ヒイラギが抱き止めようとした瞬間、ミコトの体がふわりと宙に浮いた。漂う彼女をそっと抱きしめたのは大天使ガブリエルだった。ガブリエルは慈悲に満ちた美しい笑顔で驚愕するヒイラギを見下ろしていた。
「女神マリアの力を得たとはいえ、実戦経験があまりないようですわね。ベテル日本支部の犬に後れをとるとは」
「大天使ガブリエル……!?一体何を企んでる!」
ヒイラギの鋭い追及にガブリエルは涼しい笑みを返した。
「ふふ、あなた方に教える必要などありませんわ。……またお会いしましょう」
「待て!」
ヒイラギが手を伸ばしたと同時、ガブリエルはミコトとともに消えた。ヒイラギは伸ばした手を固く握り、行き場のない拳を地面に叩きつけた。
「くそっ!」
「少年、一度ベテルに戻ることを提案。非常事態だ」
脳内にアオガミ甲型の無機質な声が響き渡る。全くもって不本意だが彼の提案を否定する余地はなかった。ヒイラギはぎり、と歯噛みする。
「……そうだね。いったん戻ろう」
「……そうか。報告ご苦労」
ベテル日本支部に戻ったヒイラギは、真っ先に越水に仔細を報告した。越水はいつもどおり落ち着いた様子ながら、やや不安定な声音だった。
「僕たちは月森さんを追います。攫われた彼女が何に利用されるかわかったものではありません」
「駄目だ」
ヒイラギの宣言を強く拒否し、越水は首を横に振った。
「君たちは三つの鍵の確保を優先すべきだ。彼女は創世を目的とし、邪魔な他のナホビノを排除したいのであろう。仮にそうだとすれば、鍵が必要なのは彼女も同じ。鍵を追い求めていけば自ずと向こうからやってくるだろう。そちらの方が効率がよい」
「月森ミコトは合一したばかりの人間で不安定、それも大天使に攫われたとあらば、彼女の方を優先すべきと判断」
アオガミ甲型もヒイラギと同様の考えを口にする。ヒイラギとしては苦しい事実だが、アオガミ甲型と利害や理念は一致している。迷いのない発言だった。
越水は数秒黙り込んだが、深いため息をついた。強情な二人に呆れているようだった。
「君たちの考えはわかった。しかしこちらの考えも変わらない。ベテル日本支部としてはあくまで東京の救済……つまりは創世が何よりも優先される事項だ。しかし君たちが月森ミコトを救出したい思いも汲みたい。折衷案を出そう」
越水は人差し指を立て、高らかに述べる。
「こちらで月森ミコトを追跡し、至高天に続く神殿――万古の神殿まで彼女を誘導する。君たちは三つの鍵を入手した上で万古の神殿へ向かいたまえ。彼女を操る大天使が創世を目的とするなら、必ず鍵を持った君たちの前に現れるはずだ。そこを叩けばよい。無論、三つの鍵を狙う道中で大天使と月森ミコトに遭遇した場合は、救出を優先しても構わない」
創世を第一目的としつつ、ミコトの救出も兼ねた作戦。真っ先にミコトに向かわないのはやや不安が残るものの、悪くない提案に思えた。ヒイラギは隣に立つアオガミ甲型と顔を見合わせた。彼も同じ考えのようで、互いに頷き合った。
「わかりました。では僕たちは三つの鍵の入手に向かいます。万古の神殿で彼女も救ってみせます」
ヒイラギの言葉に越水は満足した様子で頷いていた。
ヒイラギは青い髪をなびかせ魔界を駆け巡った。三つの鍵を入手するまでには様々な障害があったものの、ミコトを助けたい一心の彼の刃は研ぎ澄まされあっという間に敵対する者を斬り伏せていた。
「これが三つの鍵……」
ヒイラギの手にはそれぞれ神秘的な輝きを放つ鍵があった。これで至高天に続く神殿、万古の神殿の扉を開くことができるはずだ。
結局鍵を手に入れる間にミコトと出会うことはなかった。越水と通信したところ、彼女を無事に万古の神殿に誘い込むことができたとのことで、ヒイラギは満を持して万古の神殿に向かった。合一しているアオガミ甲型の昂りや緊張もヒイラギには伝わってくる。互いに彼女を思い合う者同士、行動も考えもほぼ同一だった。
「月森さん!」
万古の神殿の入り口には見慣れたセーラー服の少女が立っていた。その周囲にはガブリエル、ウリエル、ラファエルが守るように佇んでいる。
「ああ、やっと来ましたね、ナホビノ。三つの鍵を手に入れたあなたがやってくるのを待っていました」
ガブリエルは口調だけは恭しくヒイラギを迎える。相変わらずミコトは氷のように冷たい金色の目でヒイラギを見つめていた。
「新たな宇宙は女神マリアが創世すべきなのです!ナホビノ、あなたにはその礎になってもらいましょう!」
そう言ってガブリエルが手にした剣を掲げた瞬間、ウリエル、ラファエルが動いた。ウリエルが高く飛び、勢いよく落下しながら剣を振り下ろした。ヒイラギは右手の天色の剣で弾き返し、ラファエルが放った突風を剣の衝撃波で跳ね返した。二人の大天使が動けなくなった代わりにガブリエルの氷撃が襲いかかるが、ヒイラギは横に跳んでかわし、
「叢雲!」
右手に霊力を集中させる。鋭い霊力は右手の剣に沿って尖った竜巻状の新たな大剣となる。ガブリエルの脳天めがけて振り下ろされた叢雲剣が直撃し、ガブリエルの存在ごと叩き斬った。ウリエルとラファエルの驚きが聞こえるが、戦いの最中驚いている暇などない。ヒイラギが残る大天使たちに接近したとき、
「……月森さん!」
翼を広げたミコトがヒイラギの前に立ちはだかった。聖なる破魔の力をヒイラギに振るう。
「ぐう……!」
救出対象のミコトに刃を振るうことはできず、まともに食らった。ナホビノたるミコトの力は本物で、ヒイラギの疾走を止めるには十分だった。思わず呻くヒイラギに大天使たちの剣が迫る。
「くそ!」
負けるわけにはいかない。ヒイラギは両手に剣を宿し、二つの刃を受け止めた。ギギギ、と軋むような不快な音が響く。二対一、この状況はまずい。ヒイラギはあえて両手の力を抜き後退り、右手で素早く印を結んだ。
「ツミゴトよ……飲まれろ!」
右手を天に掲げると大天使二人の頭上から黒い雨が降り翼に絡み付いて動けなくさせ、呪いの渦に引き込んでいく。大天使といえども呪いの力に弱いのは変わらず、大天使二人はあっという間に渦に埋もれ存在ごと消え去った。
大天使三人が沈んだ暁には白い羽根のナホビノだけが残されるが、彼女は糸が切れたようにくずおれぐったりと動かなくなった。
「月森さん!」
まだ破魔の力を受けた衝撃が残っているが、ミコトを前にして駆け出さぬわけがなかった。ヒイラギが抱き起こすと、彼女は意識を失っているが息をしていることがわかり、ようやくほっと安堵の息をついた。
――夢を見ている気がする……。月森ミコトはふわふわと雲間を漂うような曖昧な意識から目覚めた。
白い部屋だった。天井も床もベッドも白く、清潔感を纏った部屋。見覚えがある、ここはベテル日本支部の医務室だ。ミコトはゆっくり体を起こした。
体が軋むような感覚がある。記憶もあやふやで、マリアと魔界に降り立った後何が起きたか思い出せない。
不意に医務室のドアが開き、誰かが入ってくるのが見えた。反射的にそちらを向くと、白いボディスーツに身を包んだ屈強な男性が立っていた。
「アオガミさん!」
ミコトは飛び起き、彼に抱きついた。体に纏わり付く疲労や違和感は一瞬で吹き飛び、彼に会えた喜びが全身に満ちていた。
「起きたばかりと推察。ベッドに戻ることを推奨する」
「そんなの後でいいです!アオガミさん……!」
アオガミ甲型に抱きついたミコトは、彼の心配など軽く跳ね除けてしまった。少しばかり無理をしたい乙女心を彼は理解できるだろうか。アオガミ甲型はミコトの髪をさらりと撫でると、慣れた所作でミコトの手を取った。
「脈拍、体温、呼吸……全て異常なし。君が目覚めるまでに二日を要した。何があったか覚えているか」
「マリアと合一して魔界に行って……そこから記憶がありません。私、アオガミさんに迷惑をかけてしまったんですか」
「君は大天使たちに操られ、私及び百合川ヒイラギと敵対した。大天使を殲滅し君の催眠が解け、現在に至っている」
「そう、ですか……」
アオガミ甲型に促され、ミコトは二人で医務室のベッドに腰掛けた。隣にいるアオガミ甲型を見上げると、彼の手がそっとミコトの肩を抱いた。彼に寄りかかったミコトは顔どころか全身熱くなるのを感じた。
「君が何らかの悪魔と合一し、ナホビノになったと聞いた。可能ならば私は君と合一したかったが、叶わぬ望みだった」
「アオガミさん……その……創世についてなんですけど……」
ミコトは膝の上に置いた両手を落ち着きなく動かしていたが、やがてアオガミ甲型とはっきり目を合わせた。強い意思を感じさせる鋭いものだった。
「私もナホビノになって望んだ世界を創世できるってわかって、思いました。私、アオガミさんと二人でいられる世界を創世したい」
「それは百合川ヒイラギと敵対することになる」
「それでも……それでも、構いません。百合川くんの思い描く世界が違うなら、戦うしかありませんから。アオガミさん、私はあなたと一緒にいたい。ただそれだけです」
アオガミ甲型は無言で頷き、ミコトを抱きしめた。逞しい腕や大きな掌ながら、抱きしめる力は優しくミコトを気遣ったものだった。ミコトはアオガミの胸に顔を埋め、頬を擦り寄せた。
ベテル日本支部に戻った百合川ヒイラギは、アオガミ甲型の意思で合一を強制的に解かれたことに怒りを覚えていた。合一後の肉体の主導権は自分が握っていたはずなのに――そしてアオガミ甲型は一人でさっさとどこかに行ってしまった。誰に聞かずともわかる、月森ミコトを休ませている医務室だろう。ヒイラギはぎりぎりと奥歯を噛み締めていた。
――いいよ。今日は月森さんと会うのを譲ってあげる。
そんな苦い思いをすり潰しながらヒイラギは越水の執務室の前に立った。コンコンとドアを叩く。
「……百合川ヒイラギか。入りたまえ」
どこからともなく越水の声が聞こえ、扉が開いた。ヒイラギは固い決意とともに部屋へ足を踏み入れる。
「君が単独でこの部屋に来るとはな。アオガミ甲型や月森ミコトのことはよいのか」
「大切なお話があります。あなたにしかお話できないことです」
「ほう。何事だ」
机に座っていた越水が立ち上がり、ヒイラギの前までやってきた。彼のアオガミに似ている容貌を見ていると苛立ちが募るが、ヒイラギは口を開いた。彼女が思慕する人物に似た越水の顔を真っ直ぐ睨み付ける。
「アオガミ甲型を殺したいんです」