行き過ぎて後に
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回想 肆
高校を卒業し、俺は警察官になり、サヤはベテル日本支部に就職した。やはり学生と社会人は違う、それなりの疲労があったが俺はサヤとの時間を何とか捻出していた。ベテル日本支部の悪魔討伐にも可能な限りサヤとともに出撃し、サヤの様子を確認していた。
「ご苦労だった。八雲君と東雲君がいてくれるおかげで、悪魔の被害を相当抑え込めている。感謝する」
越水から労いの言葉をかけられることもあったが、俺は大した感慨を抱かなかった。ベテル日本支部に出入りするうち、どことなくきな臭い空気を感じ取っていたからだ。
ベテルは混沌の悪魔に立ち向かう天使が結成した組織。日本支部にも当然ながら天使の息がかかっており、大天使アブディエルが天使の指揮を執っているとのことだった。アブディエルを何度か見かけたことがあるが、大天使という自負のせいか、俺達人間を見下しているのが透けて見えた。本当にこの組織を信じてよいのか、サヤが所属し続けていいものかと考えていた。
「ショウヘイくん、どうかした?」
ベテル日本支部からの帰り道、首を傾げたサヤに尋ねられた。俺は様々な疑念を抱いてはいたものの、
「いいや、何でもない」
サヤには言わなかった。言うとサヤを否定することに繋がりかねないからだ。しかし同時にこうも考えていた。もしベテル日本支部がサヤをただの駒としか認識していないようであれば、力ずくでもサヤを引き剥がすと。今はまだ決断すべきときではないと思っていた。
ある日、二人で食事に行こうと街に出た。ショーウインドウが立ち並ぶ都会の喧騒を歩く中、俺はふと足を止めた。
「ショウヘイくん?」
サヤが駆け寄り、俺の隣に立つ。ショーウインドウには指輪が飾られていた。白銀の輝きが美しい、二つで一つの指輪。まるで俺達のようだ、と思い立ち止まった。そして思い浮かぶ。俺達はいわば婚約している状態、結婚すれば指輪も必要だろうと。
「指輪だね。ああそっか、婚約指輪とか結婚指輪とか考えてるの?」
「ああ」
社会人一年目、正直なところ給料は大した額ではなかった。しかし爪に火を灯してでも切り詰めれば、指輪の二つくらいは買えそうだった。給料三ヶ月分の指輪を買うのが男なのかもしれないが、流石に現実的ではなかった。
「ふふ、お互い働き始めたから、指輪だって買えちゃうね」
「こういうものは男が出すものではないのか」
「ううん、そんなことないよ。ショウヘイくんのを私が買って、私のをショウヘイくんが買うとか。そうしたら半分こでちょうどいいよね」
俺達は自然と互いの左手を眺めていた。今はまだ何も身につけていない左手薬指、そこに指輪をはめる。装飾品とは無縁だった俺には想像もできなかったが、サヤとの結婚指輪ならむしろすぐにでも欲しかった。
「頑張ってお金貯めなきゃね」
そう言うサヤの笑顔は眩しかった。俺は自らの左手薬指を撫でた。生まれてこのかた指輪などつけてこなかった指に、唯一つけるもの。将来を縛るものとの解釈もできるだろうが、サヤに一生を捧げるのならば本望だった。……むしろ、捧げたかった。
新社会人として十ヶ月が過ぎ、新たな年を迎えた一月。俺は警察学校での訓練を終え、ついに警察官の制服に袖を通した。冬の北風が吹き抜ける中初めて着た警察官の仕事着、父親と同じ服を着ていると背筋が伸びる思いがした。俺は真っ先にサヤのもとに向かった。サヤはおめでとう、と言いながら俺を出迎えてくれ、警察官の制服に着替えた俺はサヤとともに東雲家の庭に出た。冬の晴天、空気は澄み渡り空は高かった。からたちの木は葉を落とし、枝に生えた立派な棘が青い空に尖った模様を描いていた。
「ワー!八雲、その格好なに!?」
からたちの棘と戯れていたグレムリンが興味津々といった様子で俺に纏わりついてきた。賑やかなグレムリンとそれを追い払おうとする俺を、サヤはくすくすと笑いながら見つめていた。
「グレムリン、ショウヘイくんは警察官になったんだよ。その制服なの」
「セイフク?そういえばサヤもガッコーに行ってたときセイフク着てたけど、そういうの?」
「そうそう、そういうの」
首を傾げていたグレムリンは納得したらしく、サヤと楽しそうに笑っていた。サヤは携帯電話を取り出し、
「おめでとう、ショウヘイくん。本当によく似合ってる。ね、写真撮ろうよ」
「ああ」
俺の隣に立つとカメラを起動させた。ぱしゃりと写真を撮る。写真……サヤと俺が写った写真は何枚あるだろうか。
「後でショウヘイくんにも送っておくね」
「ああ、ありがとう」
俺はどうでもいい。サヤの姿をいつでも確認できる手段ができたことが嬉しかった。
「ふふ、嬉しいな。ショウヘイくんの写真があるなんて。これからも写真撮ろうね」
俺は写真が苦手だった。よく笑うよう要求されるが、カメラに向かって笑うことなどできない。サヤと写真を撮るといっても、どのようなときに撮るものかもよくわからなかった。今もよくわかっていない。だが、今にして思えばもっと写真を残すべきだった。俺の思い出だけでなく、見つめられるものを残しておくべきだった。
「ねえショウヘイくん、ジャックフロストにも見せた?」
「……いや」
「じゃあ見せてあげようよ!ジャックフロストもきっと見たいと思ってるよ」
サヤの言葉を受け、ジャックフロストがいる公園に向かった。寒風吹き荒ぶ小さな公園に人はおらず、寒さの中ジャックフロストが走り回っていた。雪の精にとっては冬の寒さはむしろ歓迎するものなのだろう。
「あれ〜、八雲クンに東雲クンだホ!」
「こんにちは、ジャックフロスト」
サヤは膝を折りジャックフロストに手を振った。俺達は成長し、ジャックフロストより背が高くなっていた。小学生の頃は目線が同じだったが、今はすっかり見下ろす立場だ。俺もジャックフロストを見下ろしていた。ジャックフロストは俺を見上げると、不思議そうに首を傾げた。
「ヒホ〜?八雲クン、いつもと格好がチガウホ!なにかあったヒホ?」
「ショウヘイくんはね、警察官になったの」
「ケーサツカン?」
サヤの言葉に、ジャックフロストはますます首を傾げた。悪魔に警察官はいないらしい。当然だろうが。
「困ってる人を助けるお仕事についたんだよ。警察官だってわかるように、制服を着るの」
「困ってるヒトを助ける?八雲クン、セイギのミカタになったホ〜?」
ぴょんと飛び跳ねたジャックフロストは、片手を上げて朗らかに言った。正義の味方、そんなつもりはなかったが一般的にはそうかと納得した。今の俺はどうなのだろうか、と胸に小さな痛みが走る。
「そうだよ、ショウヘイくんは正義の味方!困ってる人を助けてくれる素敵な人!ね、ショウヘイくん!」
振り向いたサヤは、冬の陽光に輝く椿の花のようだった。あまりにも笑顔が眩しかった。
「あ、ああ、そうだな」
呆気に取られた俺はそんなことしか言えなかった。その少し後から、じわじわとあたたかな喜びが滲んできたのを覚えている。警察官として本格的に働くのはこれから、今まさに始まったばかりだったが、一つの目標を達成した。そんな気がした。
サヤ、グレムリン、ジャックフロスト。三人に祝われた日、俺は自宅に戻り携帯電話を確認した。画像が添付されたメールが届いていた。
「ショウヘイくん、本当におめでとう。かっこいいよ!」
そんな一文とともに、警察官の制服を着た俺とサヤが写った写真が送られていた。写真に写った俺は見事な仏頂面、サヤは穏やかに笑っていた。まるで夫婦のよう。そんな錯覚が生じた。本当に夫婦になれたらよかったのに。
俺が実際に警察官として現場で勤務し始めて数ヶ月。ようやく目標としていた金額が貯まった。俺はサヤとともに指輪を買いに出かけた。二人で決めた店は俺が今まで入ったことのない雰囲気で、正直なところ居心地はよくなかったが、サヤと揃いの指輪を身につける喜びが勝った。
様々な指輪があったが、結局俺達が選んだのは飾り気のない白銀の指輪だった。指輪の内側に購入した日付が刻印してあるだけの、簡素な指輪。婚約指輪を買う甲斐性はない、残念ながら結婚指輪だけだったが満足だった。まだ正式な婚姻はしていないが、その日から俺達は左手薬指に結婚指輪をはめるようになった。
「ねえ、見てショウヘイくん。綺麗だね」
からたちの花が咲く春先、サヤの家の庭でサヤは嬉しそうに笑っていた。太陽にかざしたサヤの左手薬指に結婚指輪が光っていた。俺も左手をかざしてみる。サヤとは違う武骨な左手に、銀の輝き。妙な気分だった。自分には似合っていない気がしたが、サヤと並ぶと不思議とこれでいいのだ、と納得できる気がした。
「ああ、綺麗だ」
屈託なく笑うサヤに俺も口元を綻ばせた。小さなダイヤモンドが埋め込まれた婚約指輪をつけたサヤも見てみたかったが、残念ながらそこまでの余裕はなかった。いつか俺にもっと余裕ができたなら、宝石がついた指輪も贈りたいと思った。……今はもう、永遠に果たされることのない願いだ。
「ショウヘイくんの手って、こんなに大きかったんだね」
まじまじと俺の手を見つめていたサヤが、そのまま手を取った。重ねた掌、指の長さ、太さ。全て俺の方が大きい。刀を握っていることもあって俺の手はごつごつとし、サヤの滑らかな手と比べると不恰好に見えた。
「サヤの手は綺麗だ。……本当は、悪魔などと戦ってほしくないが」
白魚のような手、という表現があるが、サヤの手はまさにそうだった。この手が悪魔の血で汚れるなど、考えたくもなかった。
サヤは控えめに、しかし確かに首を横に振った。
「ショウヘイくんがそう言ってくれるのは嬉しいけど、でも、決めたことだから。せっかく悪魔祓いの力を持って生まれたんだもの、ちゃんと使わなきゃ。それに、いつか仇も取りたいしね」
そう言ったサヤは一瞬凛とした表情を見せ、その後すぐに微笑んだ。
「ショウヘイくん、二十歳までもう少しだね。指輪も買ったし、なんだかドキドキしちゃう」
「俺もだ」
からたちの白い花びらが揺れていた。来年もこの可憐な花を二人で見られると思っていたのは、きっと俺だけではなかったはずだ。
ベテル日本支部、会議室。ある日俺とサヤは越水に呼ばれ、モニターが多数並ぶ薄暗い会議室を訪れた。モニターは青白い光を放ち、どこか不気味な雰囲気だった。
「カディシュトゥ、という名を聞いたことはあるか」
越水は俺達に尋ねた。サヤと顔を見合わせたが、きょとんとした顔。俺も初めて聞く名だった。
「そうか。これを見てくれ」
越水の言葉とともに、壁に並んだモニターに悪魔の姿が映し出された。人間の女に近い外見の四体の悪魔だった。
「……!!」
俺とサヤの視線は、その中の一つに釘付けになった。金色の髪に顔の半分が黒く染まり、鴉に似た羽根を持つ悪魔、ナアマ。あの日、俺達両親の命を奪った悪魔だった。どれだけ月日が経とうとも忘れられない、忘れるはずのない姿だった。横目に見たサヤは、今までにない険しい顔付きをしていた。
「どうした。見覚えがあるのか」
「俺とサヤの両親を殺した悪魔がいる」
「……!そうか。すまない、辛いことを思い出させたな」
越水は一瞬俺達から目を逸らした。冷徹な奴が少しばかり人の情を見せた瞬間だった。
「カディシュトゥ、って何ですか」
「リリス、ナアマ、アグラト、エイシェトの四体の悪魔の総称だ。以前からこの四体は徒党を組み暗躍していたが、昨今活動が盛んになっている」
サヤの問いに越水は答えた。黙り込んだサヤは唇を噛んでいた。俺も眉間に皺が寄り、拳を強く握った。
「このベテル日本支部周辺にも姿を現し始めているようだ。君達も交戦することになるだろう。ベテル日本支部で集めたカディシュトゥのデータを君達にも共有しようと思ってな」
越水の言葉は、願ってもみないものだった。俺達の仇、カディシュトゥ。奴らをこの手で葬ることができれば、両親の墓前に朗報を届けられるというもの。これから大きな戦いが起こるだろうことを、俺は敏感に感じ取っていた。
高校を卒業し、俺は警察官になり、サヤはベテル日本支部に就職した。やはり学生と社会人は違う、それなりの疲労があったが俺はサヤとの時間を何とか捻出していた。ベテル日本支部の悪魔討伐にも可能な限りサヤとともに出撃し、サヤの様子を確認していた。
「ご苦労だった。八雲君と東雲君がいてくれるおかげで、悪魔の被害を相当抑え込めている。感謝する」
越水から労いの言葉をかけられることもあったが、俺は大した感慨を抱かなかった。ベテル日本支部に出入りするうち、どことなくきな臭い空気を感じ取っていたからだ。
ベテルは混沌の悪魔に立ち向かう天使が結成した組織。日本支部にも当然ながら天使の息がかかっており、大天使アブディエルが天使の指揮を執っているとのことだった。アブディエルを何度か見かけたことがあるが、大天使という自負のせいか、俺達人間を見下しているのが透けて見えた。本当にこの組織を信じてよいのか、サヤが所属し続けていいものかと考えていた。
「ショウヘイくん、どうかした?」
ベテル日本支部からの帰り道、首を傾げたサヤに尋ねられた。俺は様々な疑念を抱いてはいたものの、
「いいや、何でもない」
サヤには言わなかった。言うとサヤを否定することに繋がりかねないからだ。しかし同時にこうも考えていた。もしベテル日本支部がサヤをただの駒としか認識していないようであれば、力ずくでもサヤを引き剥がすと。今はまだ決断すべきときではないと思っていた。
ある日、二人で食事に行こうと街に出た。ショーウインドウが立ち並ぶ都会の喧騒を歩く中、俺はふと足を止めた。
「ショウヘイくん?」
サヤが駆け寄り、俺の隣に立つ。ショーウインドウには指輪が飾られていた。白銀の輝きが美しい、二つで一つの指輪。まるで俺達のようだ、と思い立ち止まった。そして思い浮かぶ。俺達はいわば婚約している状態、結婚すれば指輪も必要だろうと。
「指輪だね。ああそっか、婚約指輪とか結婚指輪とか考えてるの?」
「ああ」
社会人一年目、正直なところ給料は大した額ではなかった。しかし爪に火を灯してでも切り詰めれば、指輪の二つくらいは買えそうだった。給料三ヶ月分の指輪を買うのが男なのかもしれないが、流石に現実的ではなかった。
「ふふ、お互い働き始めたから、指輪だって買えちゃうね」
「こういうものは男が出すものではないのか」
「ううん、そんなことないよ。ショウヘイくんのを私が買って、私のをショウヘイくんが買うとか。そうしたら半分こでちょうどいいよね」
俺達は自然と互いの左手を眺めていた。今はまだ何も身につけていない左手薬指、そこに指輪をはめる。装飾品とは無縁だった俺には想像もできなかったが、サヤとの結婚指輪ならむしろすぐにでも欲しかった。
「頑張ってお金貯めなきゃね」
そう言うサヤの笑顔は眩しかった。俺は自らの左手薬指を撫でた。生まれてこのかた指輪などつけてこなかった指に、唯一つけるもの。将来を縛るものとの解釈もできるだろうが、サヤに一生を捧げるのならば本望だった。……むしろ、捧げたかった。
新社会人として十ヶ月が過ぎ、新たな年を迎えた一月。俺は警察学校での訓練を終え、ついに警察官の制服に袖を通した。冬の北風が吹き抜ける中初めて着た警察官の仕事着、父親と同じ服を着ていると背筋が伸びる思いがした。俺は真っ先にサヤのもとに向かった。サヤはおめでとう、と言いながら俺を出迎えてくれ、警察官の制服に着替えた俺はサヤとともに東雲家の庭に出た。冬の晴天、空気は澄み渡り空は高かった。からたちの木は葉を落とし、枝に生えた立派な棘が青い空に尖った模様を描いていた。
「ワー!八雲、その格好なに!?」
からたちの棘と戯れていたグレムリンが興味津々といった様子で俺に纏わりついてきた。賑やかなグレムリンとそれを追い払おうとする俺を、サヤはくすくすと笑いながら見つめていた。
「グレムリン、ショウヘイくんは警察官になったんだよ。その制服なの」
「セイフク?そういえばサヤもガッコーに行ってたときセイフク着てたけど、そういうの?」
「そうそう、そういうの」
首を傾げていたグレムリンは納得したらしく、サヤと楽しそうに笑っていた。サヤは携帯電話を取り出し、
「おめでとう、ショウヘイくん。本当によく似合ってる。ね、写真撮ろうよ」
「ああ」
俺の隣に立つとカメラを起動させた。ぱしゃりと写真を撮る。写真……サヤと俺が写った写真は何枚あるだろうか。
「後でショウヘイくんにも送っておくね」
「ああ、ありがとう」
俺はどうでもいい。サヤの姿をいつでも確認できる手段ができたことが嬉しかった。
「ふふ、嬉しいな。ショウヘイくんの写真があるなんて。これからも写真撮ろうね」
俺は写真が苦手だった。よく笑うよう要求されるが、カメラに向かって笑うことなどできない。サヤと写真を撮るといっても、どのようなときに撮るものかもよくわからなかった。今もよくわかっていない。だが、今にして思えばもっと写真を残すべきだった。俺の思い出だけでなく、見つめられるものを残しておくべきだった。
「ねえショウヘイくん、ジャックフロストにも見せた?」
「……いや」
「じゃあ見せてあげようよ!ジャックフロストもきっと見たいと思ってるよ」
サヤの言葉を受け、ジャックフロストがいる公園に向かった。寒風吹き荒ぶ小さな公園に人はおらず、寒さの中ジャックフロストが走り回っていた。雪の精にとっては冬の寒さはむしろ歓迎するものなのだろう。
「あれ〜、八雲クンに東雲クンだホ!」
「こんにちは、ジャックフロスト」
サヤは膝を折りジャックフロストに手を振った。俺達は成長し、ジャックフロストより背が高くなっていた。小学生の頃は目線が同じだったが、今はすっかり見下ろす立場だ。俺もジャックフロストを見下ろしていた。ジャックフロストは俺を見上げると、不思議そうに首を傾げた。
「ヒホ〜?八雲クン、いつもと格好がチガウホ!なにかあったヒホ?」
「ショウヘイくんはね、警察官になったの」
「ケーサツカン?」
サヤの言葉に、ジャックフロストはますます首を傾げた。悪魔に警察官はいないらしい。当然だろうが。
「困ってる人を助けるお仕事についたんだよ。警察官だってわかるように、制服を着るの」
「困ってるヒトを助ける?八雲クン、セイギのミカタになったホ〜?」
ぴょんと飛び跳ねたジャックフロストは、片手を上げて朗らかに言った。正義の味方、そんなつもりはなかったが一般的にはそうかと納得した。今の俺はどうなのだろうか、と胸に小さな痛みが走る。
「そうだよ、ショウヘイくんは正義の味方!困ってる人を助けてくれる素敵な人!ね、ショウヘイくん!」
振り向いたサヤは、冬の陽光に輝く椿の花のようだった。あまりにも笑顔が眩しかった。
「あ、ああ、そうだな」
呆気に取られた俺はそんなことしか言えなかった。その少し後から、じわじわとあたたかな喜びが滲んできたのを覚えている。警察官として本格的に働くのはこれから、今まさに始まったばかりだったが、一つの目標を達成した。そんな気がした。
サヤ、グレムリン、ジャックフロスト。三人に祝われた日、俺は自宅に戻り携帯電話を確認した。画像が添付されたメールが届いていた。
「ショウヘイくん、本当におめでとう。かっこいいよ!」
そんな一文とともに、警察官の制服を着た俺とサヤが写った写真が送られていた。写真に写った俺は見事な仏頂面、サヤは穏やかに笑っていた。まるで夫婦のよう。そんな錯覚が生じた。本当に夫婦になれたらよかったのに。
俺が実際に警察官として現場で勤務し始めて数ヶ月。ようやく目標としていた金額が貯まった。俺はサヤとともに指輪を買いに出かけた。二人で決めた店は俺が今まで入ったことのない雰囲気で、正直なところ居心地はよくなかったが、サヤと揃いの指輪を身につける喜びが勝った。
様々な指輪があったが、結局俺達が選んだのは飾り気のない白銀の指輪だった。指輪の内側に購入した日付が刻印してあるだけの、簡素な指輪。婚約指輪を買う甲斐性はない、残念ながら結婚指輪だけだったが満足だった。まだ正式な婚姻はしていないが、その日から俺達は左手薬指に結婚指輪をはめるようになった。
「ねえ、見てショウヘイくん。綺麗だね」
からたちの花が咲く春先、サヤの家の庭でサヤは嬉しそうに笑っていた。太陽にかざしたサヤの左手薬指に結婚指輪が光っていた。俺も左手をかざしてみる。サヤとは違う武骨な左手に、銀の輝き。妙な気分だった。自分には似合っていない気がしたが、サヤと並ぶと不思議とこれでいいのだ、と納得できる気がした。
「ああ、綺麗だ」
屈託なく笑うサヤに俺も口元を綻ばせた。小さなダイヤモンドが埋め込まれた婚約指輪をつけたサヤも見てみたかったが、残念ながらそこまでの余裕はなかった。いつか俺にもっと余裕ができたなら、宝石がついた指輪も贈りたいと思った。……今はもう、永遠に果たされることのない願いだ。
「ショウヘイくんの手って、こんなに大きかったんだね」
まじまじと俺の手を見つめていたサヤが、そのまま手を取った。重ねた掌、指の長さ、太さ。全て俺の方が大きい。刀を握っていることもあって俺の手はごつごつとし、サヤの滑らかな手と比べると不恰好に見えた。
「サヤの手は綺麗だ。……本当は、悪魔などと戦ってほしくないが」
白魚のような手、という表現があるが、サヤの手はまさにそうだった。この手が悪魔の血で汚れるなど、考えたくもなかった。
サヤは控えめに、しかし確かに首を横に振った。
「ショウヘイくんがそう言ってくれるのは嬉しいけど、でも、決めたことだから。せっかく悪魔祓いの力を持って生まれたんだもの、ちゃんと使わなきゃ。それに、いつか仇も取りたいしね」
そう言ったサヤは一瞬凛とした表情を見せ、その後すぐに微笑んだ。
「ショウヘイくん、二十歳までもう少しだね。指輪も買ったし、なんだかドキドキしちゃう」
「俺もだ」
からたちの白い花びらが揺れていた。来年もこの可憐な花を二人で見られると思っていたのは、きっと俺だけではなかったはずだ。
ベテル日本支部、会議室。ある日俺とサヤは越水に呼ばれ、モニターが多数並ぶ薄暗い会議室を訪れた。モニターは青白い光を放ち、どこか不気味な雰囲気だった。
「カディシュトゥ、という名を聞いたことはあるか」
越水は俺達に尋ねた。サヤと顔を見合わせたが、きょとんとした顔。俺も初めて聞く名だった。
「そうか。これを見てくれ」
越水の言葉とともに、壁に並んだモニターに悪魔の姿が映し出された。人間の女に近い外見の四体の悪魔だった。
「……!!」
俺とサヤの視線は、その中の一つに釘付けになった。金色の髪に顔の半分が黒く染まり、鴉に似た羽根を持つ悪魔、ナアマ。あの日、俺達両親の命を奪った悪魔だった。どれだけ月日が経とうとも忘れられない、忘れるはずのない姿だった。横目に見たサヤは、今までにない険しい顔付きをしていた。
「どうした。見覚えがあるのか」
「俺とサヤの両親を殺した悪魔がいる」
「……!そうか。すまない、辛いことを思い出させたな」
越水は一瞬俺達から目を逸らした。冷徹な奴が少しばかり人の情を見せた瞬間だった。
「カディシュトゥ、って何ですか」
「リリス、ナアマ、アグラト、エイシェトの四体の悪魔の総称だ。以前からこの四体は徒党を組み暗躍していたが、昨今活動が盛んになっている」
サヤの問いに越水は答えた。黙り込んだサヤは唇を噛んでいた。俺も眉間に皺が寄り、拳を強く握った。
「このベテル日本支部周辺にも姿を現し始めているようだ。君達も交戦することになるだろう。ベテル日本支部で集めたカディシュトゥのデータを君達にも共有しようと思ってな」
越水の言葉は、願ってもみないものだった。俺達の仇、カディシュトゥ。奴らをこの手で葬ることができれば、両親の墓前に朗報を届けられるというもの。これから大きな戦いが起こるだろうことを、俺は敏感に感じ取っていた。
