行き過ぎて後に
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回想 参
サヤと二人で訪れたベテル日本支部は、薄暗い部屋が続く不気味な場所だった。その一室に通された俺達はベテル日本支部長官、越水ハヤオと対面した。険しい顔の越水は、俺達を見た瞬間眉を片方顰めた。
「君達のことは研究員から聞いている。ベテル日本支部で悪魔と戦いたい、とのことだな」
「はい、そうです」
越水に答えるサヤの声が凛と響いた。俺と話すときの声色からは想像できない、鋭く響く声だった。ちらりと横目に見たサヤは至極真面目な、緊張感のある顔をしていた。ただの高校生にすぎないはずのサヤがこんな顔をしていることが、俺には苦しかった。両親が悪魔に襲われることがなければ、サヤは今も平穏に暮らしていたのだろう。
「そうか。年若い学生の二人を戦場に送り出すのは心が痛むが……正直なところ、日本支部は慢性的な人手不足だ。君達の勇気ある行動に感謝する。まずは君達の戦闘能力を確認する必要があるな」
越水は俺達の申し入れをあっさり受け入れ、俺達はベテル日本支部の一員となった。まだ学生の身分の俺達を受け入れざるを得ないほど脆弱な体制の組織、サヤ一人で行かせず正解だと実感した。学生の力を頼るような組織にサヤが一人でいたら、一体何をさせられるかわかったものではない。
俺達はベテル日本支部の研究室に連れられ、模擬戦闘を行った。サヤの魔法はとんでもない威力と種類を誇り、越水ですら感嘆していた。並の悪魔なら魔法の一撃で屠ることが可能だろう。対して俺は剣術を磨いたものの肝心の得物が普通の刀のため、悪魔にはそれなりに苦戦した。それが歯痒くて堪らなかった。体術や刀の扱いには自信があるが、やはり霊力を持つ武器が必要だ。どうすれば……そう歯噛みしていると、サヤに声をかけられた。
「ねえ、ショウヘイくん。ちょっとうちに寄ってかない?渡したいものがあるの」
「渡したいもの?」
「うん」
ベテルからの帰り道、サヤの家に立ち寄った。彼女の家は相変わらず広く、女中が出迎えてくれた。いつもどおりサヤの部屋に通されるのだろうと思っていたら、客間に通された。畳の匂いが漂う質素ながらも厳格な雰囲気の部屋、初めて入る部屋だった。サヤと机を挟み向かい合って正座した。サヤの部屋ならベッドに隣り合って座る、随分と雰囲気が違った。サヤは普段どおり穏やかな笑顔を浮かべていたが、正座の姿勢も相まってどこか張り詰めた空気が漂っていた。
「ショウヘイくん、これを受け取ってほしいの」
そう言ってサヤが机に置いたのは刀だった。艶のある漆塗りの鞘、黒い柄糸の巻かれた柄。いずれも高級感と重厚感があり、名のある刀工が打ったものだろうとすぐにわかった。背筋が自然と伸びた。
「これは東雲家に代々伝わる霊刀、アヤカシ。魔を断ち邪を滅する霊刀だと言われてるの」
「アヤカシ……」
どちらかというと悪魔が持っていそうな名前の刀だが、サヤの言うとおり、破邪の力を有していることが手に取るようにわかった。これなら並いる悪魔どもと対等に戦いうるだろうと確信した。
「東雲家の当主に代々受け継がれてきたものなの。今の持ち主は私なんだけど、私は刀を扱えないから……だから、ショウヘイくんに使ってほしいの」
「俺は東雲家の人間ではないだろう」
「うん、まだ結婚してないから、本当は渡しちゃいけないんだろうけど……今日ショウヘイくんが戦っているところを見て確信したの。ショウヘイくんならきっとアヤカシを扱えるって。現当主の私がいいって言ってるんだから、いいんだよ」
「一度抜いてみていいか」
「うん、いいよ」
庭で刀を抜いた。すらりとした刀身は一切の錆がなく、陽光を浴びて眩いまでに輝いていた。刀から溢れる強い霊力、とんでもない業物だと悟った。これならベテルで相手した悪魔も――あの日両親の命を奪った女魔も、一刀のもとに斬り伏せることができるはずだ。この刀があれば。俺の頭の中で様々な考えがよぎった。力とは、人間を変えるものだ。
「ショウヘイくん、すごく似合ってる。きっとアヤカシも、ショウヘイくんに使ってもらいたいって思ってるよ」
庭に出たサヤは、小さく拍手をしながら言った。俺が剣術を磨いていたのはアヤカシと出会うためだったのだと実感した。初めて握る刀だが、手に馴染む感覚があった。一定以上の価値のあるものは、そのもの自体が主を選ぶという。俺自身もこの刀に選ばれた気がした。
「サヤ、感謝する。東雲家の名に恥じぬよう、俺も戦わねばな」
「ううん、そんなに気負わないで」
サヤの手が俺の手を包み込んだ。俺の掌は剣術の稽古でマメだらけだ。とても綺麗とはいえない俺の手を、サヤは躊躇いなく握ってくれる。
「ショウヘイくん、お願いだから死なないで。アヤカシを渡したけど……私、死んでほしいわけじゃないの」
「わかっている。俺は死なない。サヤ、お前を置いて逝けない」
握り返した手はあえかで、俺の掌より小さかった。この手を一生守りたい、と俺は強く握りしめた。
「はっ!!」
声とともに刀一閃、俺は悪魔を斬り捨てた。横一文字に真っ二つになった悪魔がだらりと地面に落ちた。すぐそばで戦っていたサヤも悪魔を葬ったらしい、俺の元に駆け寄ってきた。
「お疲れ様、ショウヘイくん。怪我はない?」
「大丈夫だ。お前も怪我はなさそうだな、よかった」
ベテル日本支部が人手不足というのは事実らしく、俺達は多少の模擬戦を経験後すぐに実戦に駆り出されることとなった。東京に現れる悪魔の討伐、それが俺達に課せられた任務だ。現れた悪魔はどれも敵対心を剥き出しにしており、昔から仲良くしているジャックフロストやグレムリンとは明らかに異なる気配を纏っていた。人間に友好的な悪魔の方が珍しいらしい――俺達はすぐにそれを知ることとなった。ベテル日本支部に所属するまでは知らなかった血生臭い現実に、サヤと俺は辟易していた。しかし俺達がこうして戦うことで、人的な被害は減少していた。……目の前で両親が殺された者など、俺とサヤだけで十分だ。いずれは両親の仇とも出会えるのではないか、と俺は拳を握りしめていた。
「最近、悪魔が凶暴になってる気がするね。何だか怖いな」
「ああ。サヤ、気を抜くなよ」
「ねえ、ショウヘイくん」
サヤが俺の制服の袖を掴み、上目遣いで俺を見つめていた。そんな目で見なくとも、俺はサヤの願いならいくらでも聞き入れるのに、と少し不思議だった。
「あのね、ちょっと相談したいことがあって……今日、うちに来ない?」
「ああ、わかった」
ベテル日本支部に戦果を報告し、俺達はサヤの家に向かった。すっかり通い慣れたサヤの部屋に入った。高校生になったサヤの部屋は、小学生の頃の面影を残しつつも雰囲気が大きく変わっていた。小学生の頃使っていた学習机やランドセルがなくなり、置いている小物類が落ち着いた色合いのものに変わっていた。時とともに成長し変わっていくのは何も俺だけではない、サヤもそうなのだと強く感じた。
部屋の雰囲気が変わっても、俺がベッドに腰掛けるのは変わらなかった。ベッドからふわりといい香りがした。少し甘いような、果実が混じったような香り――あまり「女性」として意識していなかったサヤを、少し違う目で見始めたのはこの頃からだろうか。
女中が持ってきたからたちのジュースを飲みながら、二人でベッドに座った。サヤはコップを握りしめ俯いていたが、やがて切り出した。
「ショウヘイくんは、高校を卒業したらどうするの?」
それは切実な響きを帯びていた。高校生ともなると、「将来」という言葉がそれなりの重みを持って襲いかかってくる。サヤの悩みが感じられる言葉だった。俺はからたちの苦い後味を感じながら言った。
「警察官になりたいと思っている」
飾らない、俺の本音だった。俺は立派な警察官の父親の背を見て育った。正義を貫き、弱きを助ける者。幼い頃からそうありたいとずっと願っていた。それはこのときも――いや、きっと今も変わっていない。
「警察官か、ショウヘイくんらしいね」
サヤは顎に手を当て、うーん、と言いながら笑っていた。俺が警察官になったところを想像しながら話していたのだろう。俺自身は警察官になるのが当然だと信じすぎるあまり、逆に想像もしていなかった。警察官の制服……似合っていただろうか。
「確かショウヘイくんのお父さんも警察官だったよね。ショウヘイくんのお父さん、すごくかっこよかった。きっとショウヘイくんも、立派な警察官になれるよ」
微笑みながら言うサヤの言葉は、他の誰の言葉よりもぬくもりに満ちていた。俺が警察官になった姿を両親に見せたいと思っていたが、その両親はいない。ならば、真っ先に見せる相手はサヤだろうと思った。
「ベテルはどうするの?警察官と両立なんて、大変だよね」
「ああ、それだが……」
俺は膝の上で拳を握った。俺がいなくなれば、サヤ一人で悪魔と戦い続けることになる。それは……それだけは、何としても避けたかった。
「できる限り参加したいと考えている。サヤもベテル日本支部に残るだろう」
「うん。むしろ、ベテルに就職しようかなって思ってるくらい。悪魔祓いの力を活かせる場所だから」
思っていたよりも重い決意が返ってきた。気がつくと、俺はサヤの背中に手を伸ばしていた。抱きしめたサヤの体はあたたかく華奢で、とても悪魔と戦う力を秘めているとは思えなかった。放っておけなかった。もしも俺の知らないところで傷付けば、もしくは最悪の事態に見舞われれば……悪い想像は確実に俺の中で大きくなっていた。
「サヤ」
抱き寄せたサヤの額に唇を寄せた。許嫁と言いながら、俺達はそれらしいことをしていなかった。手を握る、抱きしめるなどは恋人同士でなくともすること。もう一歩踏み込んだ関係でなければ為さぬことを、初めてしてみたくなった。サヤの額や頬に口付けると、サヤは驚いた顔をしつつも拒否はしなかった。頬がぽっと赤くなるのを、俺は綺麗だと思いながら見つめていた。すぐそばにあるのは、サヤの赤い唇。まだ化粧を知らない高校生の瑞々しい唇。奪ってしまいたくなったが、まだ早い気がした。俺は唇を結んだ。
「どうしたの、ショウヘイくん。すごくドキドキしちゃうね」
「許嫁なら、……口付けくらい、と思ったが」
「うん、いいよ。ショウヘイくんなら」
サヤは俺の胸に縋りつき、じっと俺を見つめていた。潤んだ瞳、赤く色づいた唇。俺の理性も限界だった。そっとサヤの両肩に手を置き、口付けた。唇同士が柔らかく触れ合い、抱擁とは少し違うぬくもりを分け合う。サヤの唇は柔らかく心地よかった。唇を離すとサヤは恥ずかしそうに目を逸らした。
「キスって初めて。ドキドキするんだね」
「ああ、俺も初めてだ。お前が初めてで、お前が最後だ」
サヤをもう一度抱きしめた。こんな日々が一生続くと思っていた。サヤはいつまでも俺のそばにいてくれる、と強く信じていた。
高校三年生の三月。季節はまさに三寒四温、乾いた北風が吹き抜ける日と春のうららを感じさせる日が交互に訪れていた。
俺は東雲家の庭にいた。庭に立つからたちの木は、春の訪れに向けて白い蕾を膨らませていた。これから一月も経てば白い可憐な花を咲かせる頃合いだった。
「やっほー、八雲!ひっさしぶりー!」
「久しぶりだな、グレムリン」
上枝を揺らし、グレムリンが姿を現した。悪魔は月日が過ぎても姿が変わらない、グレムリンはやはり水色の幽霊のままだった。サヤと顔を見合わせ、相変わらずのグレムリンの様子に笑った。
「高校生活も終わっちゃったね。あっという間だったな」
「ああ」
「ショウヘイくんは春から警察官だね!制服着たところ、見せてね」
俺は希望どおり警察官試験に合格し、サヤはベテル日本支部の研究員になった。俺はともかく、サヤは……研究員という肩書きだが、実際は悪魔討伐の前線に立つ立場だった。自分の職業生活に対する不安よりも、サヤに対する不安の方が勝っていた。俺もベテルに就職すべきだっただろうか。今でもこの選択が正しかったのかと考える。過去は、もう変えられないというのに。
そして、俺達は二人とも十八歳になった。法律上、もう結婚できる年齢だ。俺は心に決めたことがあった。サヤの手を取り、その大きな瞳を見つめた。
「サヤ、二十歳になったら結婚しよう」
「……!」
見つめ合った俺達の間に、少しの沈黙が流れた。目を見開いたサヤは硬直していた。半分ほど開いたサヤの口から、あ、え、と困惑する声が聞こえた。
「キャー!八雲、ついに言っちゃった!結婚!!結婚!?」
……グレムリンがキャッキャとうるさいのが何とも腹立たしいが、サヤの狼狽も当たり前だった。いつ結婚するか、といった具体的な話をするのはこのときが初めてだった。俺自身も少しばかり顔が赤いのを感じて、目を逸らし気味だったのが何とも情けないが。
「あ、えっと、その……ショウヘイくん」
「早すぎたか?許嫁なのだから、そういう話があってもおかしくないと思ったが」
「ううん、違うの。嬉しくて」
サヤの目元がきらりと輝いていた。俺が拭ってやると、サヤは恥ずかしそうにしながらも笑った。その笑顔はどこまでも可憐で、からたちの花が咲いたようだった。
「結婚したらからたちのお酒飲もうって言ってたもの。ちょうどいいよね」
笑ったサヤは、俺に抱きついてきた。両腕で俺の背中を強く抱きしめた。胸に顔を擦り付けるサヤは小動物のようで、愛おしくてたまらなかった。
「ショウヘイくん、私をお嫁さんにしてください。ふふ、楽しみだね」
そう言って笑うサヤに口付けた。まだ真冬の空気が残っている庭に寒々しい風が吹き抜けたが、サヤとともにいる間は寒さを全く感じなかった。
サヤと二人で訪れたベテル日本支部は、薄暗い部屋が続く不気味な場所だった。その一室に通された俺達はベテル日本支部長官、越水ハヤオと対面した。険しい顔の越水は、俺達を見た瞬間眉を片方顰めた。
「君達のことは研究員から聞いている。ベテル日本支部で悪魔と戦いたい、とのことだな」
「はい、そうです」
越水に答えるサヤの声が凛と響いた。俺と話すときの声色からは想像できない、鋭く響く声だった。ちらりと横目に見たサヤは至極真面目な、緊張感のある顔をしていた。ただの高校生にすぎないはずのサヤがこんな顔をしていることが、俺には苦しかった。両親が悪魔に襲われることがなければ、サヤは今も平穏に暮らしていたのだろう。
「そうか。年若い学生の二人を戦場に送り出すのは心が痛むが……正直なところ、日本支部は慢性的な人手不足だ。君達の勇気ある行動に感謝する。まずは君達の戦闘能力を確認する必要があるな」
越水は俺達の申し入れをあっさり受け入れ、俺達はベテル日本支部の一員となった。まだ学生の身分の俺達を受け入れざるを得ないほど脆弱な体制の組織、サヤ一人で行かせず正解だと実感した。学生の力を頼るような組織にサヤが一人でいたら、一体何をさせられるかわかったものではない。
俺達はベテル日本支部の研究室に連れられ、模擬戦闘を行った。サヤの魔法はとんでもない威力と種類を誇り、越水ですら感嘆していた。並の悪魔なら魔法の一撃で屠ることが可能だろう。対して俺は剣術を磨いたものの肝心の得物が普通の刀のため、悪魔にはそれなりに苦戦した。それが歯痒くて堪らなかった。体術や刀の扱いには自信があるが、やはり霊力を持つ武器が必要だ。どうすれば……そう歯噛みしていると、サヤに声をかけられた。
「ねえ、ショウヘイくん。ちょっとうちに寄ってかない?渡したいものがあるの」
「渡したいもの?」
「うん」
ベテルからの帰り道、サヤの家に立ち寄った。彼女の家は相変わらず広く、女中が出迎えてくれた。いつもどおりサヤの部屋に通されるのだろうと思っていたら、客間に通された。畳の匂いが漂う質素ながらも厳格な雰囲気の部屋、初めて入る部屋だった。サヤと机を挟み向かい合って正座した。サヤの部屋ならベッドに隣り合って座る、随分と雰囲気が違った。サヤは普段どおり穏やかな笑顔を浮かべていたが、正座の姿勢も相まってどこか張り詰めた空気が漂っていた。
「ショウヘイくん、これを受け取ってほしいの」
そう言ってサヤが机に置いたのは刀だった。艶のある漆塗りの鞘、黒い柄糸の巻かれた柄。いずれも高級感と重厚感があり、名のある刀工が打ったものだろうとすぐにわかった。背筋が自然と伸びた。
「これは東雲家に代々伝わる霊刀、アヤカシ。魔を断ち邪を滅する霊刀だと言われてるの」
「アヤカシ……」
どちらかというと悪魔が持っていそうな名前の刀だが、サヤの言うとおり、破邪の力を有していることが手に取るようにわかった。これなら並いる悪魔どもと対等に戦いうるだろうと確信した。
「東雲家の当主に代々受け継がれてきたものなの。今の持ち主は私なんだけど、私は刀を扱えないから……だから、ショウヘイくんに使ってほしいの」
「俺は東雲家の人間ではないだろう」
「うん、まだ結婚してないから、本当は渡しちゃいけないんだろうけど……今日ショウヘイくんが戦っているところを見て確信したの。ショウヘイくんならきっとアヤカシを扱えるって。現当主の私がいいって言ってるんだから、いいんだよ」
「一度抜いてみていいか」
「うん、いいよ」
庭で刀を抜いた。すらりとした刀身は一切の錆がなく、陽光を浴びて眩いまでに輝いていた。刀から溢れる強い霊力、とんでもない業物だと悟った。これならベテルで相手した悪魔も――あの日両親の命を奪った女魔も、一刀のもとに斬り伏せることができるはずだ。この刀があれば。俺の頭の中で様々な考えがよぎった。力とは、人間を変えるものだ。
「ショウヘイくん、すごく似合ってる。きっとアヤカシも、ショウヘイくんに使ってもらいたいって思ってるよ」
庭に出たサヤは、小さく拍手をしながら言った。俺が剣術を磨いていたのはアヤカシと出会うためだったのだと実感した。初めて握る刀だが、手に馴染む感覚があった。一定以上の価値のあるものは、そのもの自体が主を選ぶという。俺自身もこの刀に選ばれた気がした。
「サヤ、感謝する。東雲家の名に恥じぬよう、俺も戦わねばな」
「ううん、そんなに気負わないで」
サヤの手が俺の手を包み込んだ。俺の掌は剣術の稽古でマメだらけだ。とても綺麗とはいえない俺の手を、サヤは躊躇いなく握ってくれる。
「ショウヘイくん、お願いだから死なないで。アヤカシを渡したけど……私、死んでほしいわけじゃないの」
「わかっている。俺は死なない。サヤ、お前を置いて逝けない」
握り返した手はあえかで、俺の掌より小さかった。この手を一生守りたい、と俺は強く握りしめた。
「はっ!!」
声とともに刀一閃、俺は悪魔を斬り捨てた。横一文字に真っ二つになった悪魔がだらりと地面に落ちた。すぐそばで戦っていたサヤも悪魔を葬ったらしい、俺の元に駆け寄ってきた。
「お疲れ様、ショウヘイくん。怪我はない?」
「大丈夫だ。お前も怪我はなさそうだな、よかった」
ベテル日本支部が人手不足というのは事実らしく、俺達は多少の模擬戦を経験後すぐに実戦に駆り出されることとなった。東京に現れる悪魔の討伐、それが俺達に課せられた任務だ。現れた悪魔はどれも敵対心を剥き出しにしており、昔から仲良くしているジャックフロストやグレムリンとは明らかに異なる気配を纏っていた。人間に友好的な悪魔の方が珍しいらしい――俺達はすぐにそれを知ることとなった。ベテル日本支部に所属するまでは知らなかった血生臭い現実に、サヤと俺は辟易していた。しかし俺達がこうして戦うことで、人的な被害は減少していた。……目の前で両親が殺された者など、俺とサヤだけで十分だ。いずれは両親の仇とも出会えるのではないか、と俺は拳を握りしめていた。
「最近、悪魔が凶暴になってる気がするね。何だか怖いな」
「ああ。サヤ、気を抜くなよ」
「ねえ、ショウヘイくん」
サヤが俺の制服の袖を掴み、上目遣いで俺を見つめていた。そんな目で見なくとも、俺はサヤの願いならいくらでも聞き入れるのに、と少し不思議だった。
「あのね、ちょっと相談したいことがあって……今日、うちに来ない?」
「ああ、わかった」
ベテル日本支部に戦果を報告し、俺達はサヤの家に向かった。すっかり通い慣れたサヤの部屋に入った。高校生になったサヤの部屋は、小学生の頃の面影を残しつつも雰囲気が大きく変わっていた。小学生の頃使っていた学習机やランドセルがなくなり、置いている小物類が落ち着いた色合いのものに変わっていた。時とともに成長し変わっていくのは何も俺だけではない、サヤもそうなのだと強く感じた。
部屋の雰囲気が変わっても、俺がベッドに腰掛けるのは変わらなかった。ベッドからふわりといい香りがした。少し甘いような、果実が混じったような香り――あまり「女性」として意識していなかったサヤを、少し違う目で見始めたのはこの頃からだろうか。
女中が持ってきたからたちのジュースを飲みながら、二人でベッドに座った。サヤはコップを握りしめ俯いていたが、やがて切り出した。
「ショウヘイくんは、高校を卒業したらどうするの?」
それは切実な響きを帯びていた。高校生ともなると、「将来」という言葉がそれなりの重みを持って襲いかかってくる。サヤの悩みが感じられる言葉だった。俺はからたちの苦い後味を感じながら言った。
「警察官になりたいと思っている」
飾らない、俺の本音だった。俺は立派な警察官の父親の背を見て育った。正義を貫き、弱きを助ける者。幼い頃からそうありたいとずっと願っていた。それはこのときも――いや、きっと今も変わっていない。
「警察官か、ショウヘイくんらしいね」
サヤは顎に手を当て、うーん、と言いながら笑っていた。俺が警察官になったところを想像しながら話していたのだろう。俺自身は警察官になるのが当然だと信じすぎるあまり、逆に想像もしていなかった。警察官の制服……似合っていただろうか。
「確かショウヘイくんのお父さんも警察官だったよね。ショウヘイくんのお父さん、すごくかっこよかった。きっとショウヘイくんも、立派な警察官になれるよ」
微笑みながら言うサヤの言葉は、他の誰の言葉よりもぬくもりに満ちていた。俺が警察官になった姿を両親に見せたいと思っていたが、その両親はいない。ならば、真っ先に見せる相手はサヤだろうと思った。
「ベテルはどうするの?警察官と両立なんて、大変だよね」
「ああ、それだが……」
俺は膝の上で拳を握った。俺がいなくなれば、サヤ一人で悪魔と戦い続けることになる。それは……それだけは、何としても避けたかった。
「できる限り参加したいと考えている。サヤもベテル日本支部に残るだろう」
「うん。むしろ、ベテルに就職しようかなって思ってるくらい。悪魔祓いの力を活かせる場所だから」
思っていたよりも重い決意が返ってきた。気がつくと、俺はサヤの背中に手を伸ばしていた。抱きしめたサヤの体はあたたかく華奢で、とても悪魔と戦う力を秘めているとは思えなかった。放っておけなかった。もしも俺の知らないところで傷付けば、もしくは最悪の事態に見舞われれば……悪い想像は確実に俺の中で大きくなっていた。
「サヤ」
抱き寄せたサヤの額に唇を寄せた。許嫁と言いながら、俺達はそれらしいことをしていなかった。手を握る、抱きしめるなどは恋人同士でなくともすること。もう一歩踏み込んだ関係でなければ為さぬことを、初めてしてみたくなった。サヤの額や頬に口付けると、サヤは驚いた顔をしつつも拒否はしなかった。頬がぽっと赤くなるのを、俺は綺麗だと思いながら見つめていた。すぐそばにあるのは、サヤの赤い唇。まだ化粧を知らない高校生の瑞々しい唇。奪ってしまいたくなったが、まだ早い気がした。俺は唇を結んだ。
「どうしたの、ショウヘイくん。すごくドキドキしちゃうね」
「許嫁なら、……口付けくらい、と思ったが」
「うん、いいよ。ショウヘイくんなら」
サヤは俺の胸に縋りつき、じっと俺を見つめていた。潤んだ瞳、赤く色づいた唇。俺の理性も限界だった。そっとサヤの両肩に手を置き、口付けた。唇同士が柔らかく触れ合い、抱擁とは少し違うぬくもりを分け合う。サヤの唇は柔らかく心地よかった。唇を離すとサヤは恥ずかしそうに目を逸らした。
「キスって初めて。ドキドキするんだね」
「ああ、俺も初めてだ。お前が初めてで、お前が最後だ」
サヤをもう一度抱きしめた。こんな日々が一生続くと思っていた。サヤはいつまでも俺のそばにいてくれる、と強く信じていた。
高校三年生の三月。季節はまさに三寒四温、乾いた北風が吹き抜ける日と春のうららを感じさせる日が交互に訪れていた。
俺は東雲家の庭にいた。庭に立つからたちの木は、春の訪れに向けて白い蕾を膨らませていた。これから一月も経てば白い可憐な花を咲かせる頃合いだった。
「やっほー、八雲!ひっさしぶりー!」
「久しぶりだな、グレムリン」
上枝を揺らし、グレムリンが姿を現した。悪魔は月日が過ぎても姿が変わらない、グレムリンはやはり水色の幽霊のままだった。サヤと顔を見合わせ、相変わらずのグレムリンの様子に笑った。
「高校生活も終わっちゃったね。あっという間だったな」
「ああ」
「ショウヘイくんは春から警察官だね!制服着たところ、見せてね」
俺は希望どおり警察官試験に合格し、サヤはベテル日本支部の研究員になった。俺はともかく、サヤは……研究員という肩書きだが、実際は悪魔討伐の前線に立つ立場だった。自分の職業生活に対する不安よりも、サヤに対する不安の方が勝っていた。俺もベテルに就職すべきだっただろうか。今でもこの選択が正しかったのかと考える。過去は、もう変えられないというのに。
そして、俺達は二人とも十八歳になった。法律上、もう結婚できる年齢だ。俺は心に決めたことがあった。サヤの手を取り、その大きな瞳を見つめた。
「サヤ、二十歳になったら結婚しよう」
「……!」
見つめ合った俺達の間に、少しの沈黙が流れた。目を見開いたサヤは硬直していた。半分ほど開いたサヤの口から、あ、え、と困惑する声が聞こえた。
「キャー!八雲、ついに言っちゃった!結婚!!結婚!?」
……グレムリンがキャッキャとうるさいのが何とも腹立たしいが、サヤの狼狽も当たり前だった。いつ結婚するか、といった具体的な話をするのはこのときが初めてだった。俺自身も少しばかり顔が赤いのを感じて、目を逸らし気味だったのが何とも情けないが。
「あ、えっと、その……ショウヘイくん」
「早すぎたか?許嫁なのだから、そういう話があってもおかしくないと思ったが」
「ううん、違うの。嬉しくて」
サヤの目元がきらりと輝いていた。俺が拭ってやると、サヤは恥ずかしそうにしながらも笑った。その笑顔はどこまでも可憐で、からたちの花が咲いたようだった。
「結婚したらからたちのお酒飲もうって言ってたもの。ちょうどいいよね」
笑ったサヤは、俺に抱きついてきた。両腕で俺の背中を強く抱きしめた。胸に顔を擦り付けるサヤは小動物のようで、愛おしくてたまらなかった。
「ショウヘイくん、私をお嫁さんにしてください。ふふ、楽しみだね」
そう言って笑うサヤに口付けた。まだ真冬の空気が残っている庭に寒々しい風が吹き抜けたが、サヤとともにいる間は寒さを全く感じなかった。
