行き過ぎて後に
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
回想 弐
「ねえ八雲くん、うちでジュース飲んでかない?」
ある日サヤから言われた俺は、一も二もなく承諾した。小学校で友達などいなかった俺は、友達と一緒に何かを飲んだり食べたりすることに憧れがあった。
サヤの家は相変わらず大きかった。こっちだよ、と言われ案内されたサヤの部屋は小学生の部屋にしては広く、俺はどぎまぎした。友達の部屋――ましてや女子の部屋――に遊びに行くということも、初めてだったから。
サヤの部屋はパステルカラーが可愛らしい、いかにもな「女子の部屋」だった。学習机とランドセル、ベッド、クローゼット。ベッドや学習机と座るところはあるがどこにいたらいいのかわからず、俺は入り口で立ち尽くしていた。
「おともだちがへやに来るなんて初めてなの。そわそわしちゃうな」
「おれもへやに遊びに行くなんて初めてだよ」
「あ、ベッドに座っていいよ。立ったままはしんどいでしょ?」
「あ、うん」
ランドセルを置いてベッドに座った。俺は布団で寝ていたからベッドに座るのは初めてで、ふわふわした感触に緊張したのを覚えている。
サヤとベッドに隣り合って座り、あれこれ今日あったことを話しているうちに、女中が飲み物を持ってきた。涼しげなグラスに入っていたのは、鮮烈な黄色の液体。匂いを嗅ぐと酸っぱいような苦いような、独特の匂いがした。
「八雲くん、しってる?おとなはね、だれかといっしょに飲むときに『かんぱい』するんだって」
「かんぱい?」
「うん。かんぱい」
こつん、とサヤが俺のグラスにグラスをぶつけ、えへ、と笑っていた。大人の真似事をするわりに子供っぽい表情だった。サヤがぐびぐびと飲むのを見ながら、俺もジュースを飲んだ。とろりと濃い、甘さの中にほろ苦さもある大人びた味だった。もちろんこれも、初めて飲むものだった。
「サヤ、これは?」
「からたちのジュースだよ」
「からたち……」
グレムリンと会った庭に咲いていた花を思い出した。白く可愛らしい可憐な花、その実をシロップ漬けにして水で割るとこのジュースになるらしい。俺は感心しながら遠慮なく口にした。美味だった。また飲みたいと思う程に。
「お父さんとお母さんはおさけにして飲むんだって」
「おさけ?」
「酒」が何かは一応理解していた。当然当時の俺は飲んだことはないが、父親がごくたまに口にしていた。母親が飲みすぎないようにしてくださいね、などと笑っていたような気がする。興味が湧いて匂いを嗅いだことがあるが、ツンと鼻を刺す強烈なアルコールの匂いに咳き込んだ。これは今の俺が飲むものではないと本能的に察していた。これはきっと大人の味。いずれは俺も飲めるようになるのだろうか、と疑問だった。
「お母さんに言われたの、『あなたがお嫁に行くときにはこのお酒も持っていきなさい、作り方を教えるから』って。けっこんするときには、いっしょにからたちのおさけ、飲もうね」
「うん」
楽しみだった。酒を飲める大人なら、何でもできると信じていた。からたちの酒はきっとこのジュースに似た、甘い中に苦味のある味なのだろうと思った。
八雲家と東雲家の親交を深めるためという理由で、ある休日に俺とサヤ、それぞれの両親で遊園地に遊びに行くことになった。両親達は俺とサヤが結婚するにあたり、問題なく関係を築けているか心配だったのだろう。当時の俺はそんな大人達の思惑には気付きもせずに、サヤと遊びに行けると楽しみでしかなかった。きっとサヤも俺と同じ気持ちだっただろう。
「八雲くん、おはよう!」
遊園地に着くと、サヤとその両親がいた。サヤは俺を見るなり大きく手を振って明るく笑った。学校の制服とは違う、可愛らしいワンピース姿だった。きっとお洒落をしてきたんだろうと思う。俺もおはよう、と返しながら真っ先にサヤの元に向かった。互いの両親は微笑ましく俺達を見守っていて、和やかで楽しい雰囲気だった。
あれに乗ろう、あそこに行こう、とサヤに手を引かれ、はいはい、と言いながらも俺はサヤについてまわり楽しく遊んだ。悪魔とではこういう楽しみ方はできない、サヤと一日遊べてとても楽しかった。その日は両親達もいるとはいえ、サヤとずっと一緒だった。食事も、アトラクションに乗るのも、土産を見るのもずっと。人間の友達は悪魔とは違うんだ、とこの日はっきり自覚した気がする。正確には「友達」ではなく「許嫁」なのだが、俺にとってサヤは初めての友達でもあった。
目一杯遊んだ夕方。サヤは母親と手を繋ぎ、俺も両親に連れられ遊園地の入り口で解散となりかけたそのとき、
「人間達よ!マガツヒを捧げるがいい!」
天から女の声が降り注いだ。反射的に見上げた空に、女魔がいた。美しい金色の髪、顔の半分が黒く染まった妖艶な表情。忌々しいカディシュトゥの一翼、ナアマだった。休日の遊園地には俺達以外にも多数の親子連れがいる、マガツヒ集めには最適だっただろう。周囲では悲鳴が上がり、楽しかった遊園地が禍々しい空間に生まれ変わってしまった。
「八雲くん!」
俺とサヤは自然と抱き合うようにしてしゃがみ込んだ。俺達二人をかばうのは、互いの両親。両親のマガツヒがナアマに抜き取られていくのを、この目で見た。周りの大人達と同じく、サヤの両親もマガツヒを吸い取られていく。マガツヒは生きる力、それを吸い取られれば最悪死ぬ。最初からあの女魔は子供を対象にしていないようだった。おそらく大人に比べるとマガツヒの量が少ないからだろう。
「ショウヘイ、お前だけは、生きて……」
「父さん!!」
俺をかばっていた父親が倒れた。見ると、近くには母親も倒れていた。サヤの両親も膝をつき瀕死といった風体だった。
この日、地獄だった。天国から地の底へ叩き落とされた気分だった。
遊園地での出来事が終わり数日が過ぎた。結局、俺とサヤの両親達は、あの日マガツヒを大量に吸い取られたことが原因で死亡した。俺とサヤはただただ呆然と泣きじゃくることしかできなかった。事態を聞きつけた親戚達が速やかに葬儀を行い、残された俺達をどうするか話し合っていた。顔を見たこともない遠い親戚に何か聞かれた気がするが、正直この頃のことはあまり覚えていない。
ただ、幸いなことに俺もサヤも親戚に引き取られることになり、施設に行くことはなかった。また、幼いゆえに環境を変えるのはよくないと判断されたのだろう、どちらの親戚も元々俺やサヤが暮らしていた家に引っ越してきてくれた。そのため俺もサヤも転校や引越しの必要がなく、距離感は変わらなかった。サヤが近くにいる、それだけは不幸中の幸いだった。
「八雲クンも東雲クンも、寂しそうヒホ……」
ジャックフロストはさすがに俺とサヤが落ち込んでいるのを察し、静かに話を聞いてくれた。
「サヤ……」
グレムリンに至っては口角を下げ、言葉少なだった。俺も何を言ったらいいのかわからなくて、サヤの手を握るくらいしかできなかった。
ある帰り道。俺とサヤはいつもどおり学校を出て合流し、一緒に歩いていた。あるところでサヤが立ち止まった。俺も立ち止まり振り返ると、サヤは俯いていた。
「サヤ?」
俺が近付くと、サヤは顔を上げた。その目には、涙が溜まりぼろぼろと零れていた。それを見て俺も鼻のあたりが熱くなり、涙が出たのを覚えている。俺は両親の葬儀が済んでから一度も泣いていなかった。このとき胸に溜め込んでいた涙が一気に溢れ出た。
「八雲くん」
「なに?」
「八雲くんは……いなくなったりしないよね」
「うん」
サヤと俺の涙がコンクリートに落ち、濃い灰色の水玉模様を作っていた。サヤは俺に抱きつき、震える声で言った。
「やくそくだよ。いなくなったりしないでね。わたしのそばにいてね。おとなになったら、けっこんするんだよね」
「うん」
俺達二人を許嫁にした両家の親達はもういない。二人の与り知らぬところで結ばれた約束だったが、俺もサヤもいずれ結婚することに疑問を抱かなかった。
「ふっ、はっ!」
両親がいなくなってからというもの、俺は鍛錬に精を出すようになった。自宅の庭で竹刀を持ち素振りをしている間は、辛いことを忘れられる。サヤは俺が素振りをしているのを、グレムリンを連れて見つめていた。
「八雲、ずいぶんがんばるね〜」
「うん。もっとつよかったらみんな守れるって、がんばってるの」
さらりと零したグレムリンの言葉に、しみじみとサヤは返した。グレムリンは黙り込んでしまったが、俺は気にしていなかった。サヤの言うとおり、この世は力がものを言う。あの日遊園地で見た女魔も、俺に力があれば退けることができた。あいつはまだ生きているだろう。もし俺やサヤのもとに現れたとき、対抗できる力をつけておかねば。通常の武器でも悪魔にある程度対抗できるらしいとサヤに聞いてからは、素振りを専ら行っていた。
「でも八雲くん、あんまりがんばりすぎないで。八雲くんの体がいちばん大事だよ」
「……ありがとう」
サヤはいつもからたちのジュースを水筒に入れて持ってきてくれた。汗をかいた後に飲むものとしては甘味が強いが、彼女の気遣いはありがたかった。いつか自分だけでなく、サヤも守れるようにならなくては……そう思い始めたのは、この頃からだと思う。
「ねえ八雲くん、わたしもね、簡単なまほうがつかえるようになったんだよ!みてみて!」
「まほう?」
うん、と頷いたサヤは右手を突き出し、
「アギ!」
と叫んだ。瞬間、右掌から小さな炎が生まれすぐに消えた。とても実用に足る威力ではないが、当時のサヤの年齢を考えればとんでもないことだった。俺はぽかんとしていたが、サヤはそんな俺を見てふふん、と得意げだった。
「学校でならったの!あくまはらいのまほう!」
「すごいな、他にもつかえるの?」
「ううん、まだこれだけ。でも、わたしがもっと強いまほうをつかえるようになったら、わたしも八雲くんを守れるね!」
そう言って笑うサヤは朗らかで、だからこそ守りたい、と心から思った。
時は過ぎ、俺とサヤはそれぞれ高校生になった。俺は縄印学園高等部へ、サヤは聖マリナ女子学院高等部へ進学した。それぞれ悪魔と戦う術を磨き、特にサヤは多くの魔法を習得していた。そんなサヤからベテルの話を聞かされたのは、からたちの花が咲く東雲家の庭でだった。
「八雲くん。私、ベテル日本支部に行こうと思ってるの」
「ベテル日本支部?」
「うん。八雲くんは知らない?縄印学園の近くに支部があるんだよ」
サヤに言われるまでそんなことは知らなかった。当然だ、公になっている組織ではない。サヤのような悪魔祓いを育成する学校にでも通っていないと知らないことだ。
「ベテル日本支部とは何だ?」
「天使が作る組織でね、混沌の悪魔達と戦っているの。エジプト支部とか北欧支部とか世界中に支部があるんだけど、日本支部は品川近くにあるの」
「何故サヤがそこに?」
「学校の先生に言われたの。悪魔祓いの力があるなら、そこで悪魔と戦うのはどうかって。悪魔と戦える人は少ないから、人手不足らしいの。私、悪魔祓いの力が強いみたいだし、それに……仇を討てるかもしれないもの」
ぎゅ、とサヤは拳を握りしめていた。サヤの両親の仇は、俺にとっても敵であり仇だった。あのとき俺達の両親の命を奪った女魔は、きっとどこかで暗躍している、と思うと居ても立っても居られなかった。俺もできることなら仇は討ちたかった。しかし、
「サヤ」
俺は考えるより先にサヤを抱きしめていた。
「八雲くん?」
抱きしめたサヤは困惑した様子だった。サヤとは長くそばにいたが、自分から意識して抱きしめたのはこのときが初めてだった。サヤも俺も、もう子供ではなかった。互いにぬくもりを分け合い支え合える。
「サヤ、お前の気持ちは理解できる。だが、お前にまで死んでほしくない。戦ってほしくない」
「八雲くん……」
率直な思いを伝えた。両親がいなくなっただけでも相当な衝撃だったが、この上互いに支え合ってきたサヤまで失えばどうなってしまうか、火を見るより明らかだった。手先が震えている俺の背中に、サヤの両手がそっと添えられた。
「ありがとう、八雲くん。そう言ってくれて、嬉しい。もちろん死ぬつもりはないよ。だって」
抱きしめて見つめたサヤは、力強く笑っていた。
「私、八雲くんのお嫁さんになるんだよ」
小さい頃に親から決められた関係。そのどちらの親もいないが、サヤと俺の間に結ばれた大切な約束だった。まだどちらも結婚できる年齢ではなかったが、自然と意識していた。
「ああ、そうだ。許嫁に死なれたら困る。……サヤ」
「なに?」
風が吹いた。からたちの白い花が可憐に揺れ花びらが舞い、俺とサヤの髪を揺らした。
「からたちの酒が飲める年になったら、結婚しよう」
俺はサヤの左手を取った。二人の左手の薬指に銀の輝きが灯ったら、将来を約束した証になる。最初こそ互いの意思を反映しない関係だったが、俺にとってサヤはなくてはならない存在になっていた。たとえ許嫁でなくとも、結婚したいと考えていただろう。ただ、結婚するまでの過程が少し変わるだけの話だった。
「うん。ありがとう、ショウヘイくん」
言いながら、サヤはもう一度俺に抱きついた。名前を呼ばれたのはこのときが初めてで、俺は困惑した。サヤは俺を見上げ、悪戯っぽく笑った。
「未来の旦那さんなのに、ずっと『八雲くん』って呼ぶの、変でしょ?」
「そうだな。……まだ慣れない。サヤ、もっと呼んでほしい」
「ショウヘイくん」
単に名前を呼ばれただけ。父や母と同じ呼び方をされただけ。だが俺にとってはとてつもなく大きな意味があった。
「ねえ八雲くん、うちでジュース飲んでかない?」
ある日サヤから言われた俺は、一も二もなく承諾した。小学校で友達などいなかった俺は、友達と一緒に何かを飲んだり食べたりすることに憧れがあった。
サヤの家は相変わらず大きかった。こっちだよ、と言われ案内されたサヤの部屋は小学生の部屋にしては広く、俺はどぎまぎした。友達の部屋――ましてや女子の部屋――に遊びに行くということも、初めてだったから。
サヤの部屋はパステルカラーが可愛らしい、いかにもな「女子の部屋」だった。学習机とランドセル、ベッド、クローゼット。ベッドや学習机と座るところはあるがどこにいたらいいのかわからず、俺は入り口で立ち尽くしていた。
「おともだちがへやに来るなんて初めてなの。そわそわしちゃうな」
「おれもへやに遊びに行くなんて初めてだよ」
「あ、ベッドに座っていいよ。立ったままはしんどいでしょ?」
「あ、うん」
ランドセルを置いてベッドに座った。俺は布団で寝ていたからベッドに座るのは初めてで、ふわふわした感触に緊張したのを覚えている。
サヤとベッドに隣り合って座り、あれこれ今日あったことを話しているうちに、女中が飲み物を持ってきた。涼しげなグラスに入っていたのは、鮮烈な黄色の液体。匂いを嗅ぐと酸っぱいような苦いような、独特の匂いがした。
「八雲くん、しってる?おとなはね、だれかといっしょに飲むときに『かんぱい』するんだって」
「かんぱい?」
「うん。かんぱい」
こつん、とサヤが俺のグラスにグラスをぶつけ、えへ、と笑っていた。大人の真似事をするわりに子供っぽい表情だった。サヤがぐびぐびと飲むのを見ながら、俺もジュースを飲んだ。とろりと濃い、甘さの中にほろ苦さもある大人びた味だった。もちろんこれも、初めて飲むものだった。
「サヤ、これは?」
「からたちのジュースだよ」
「からたち……」
グレムリンと会った庭に咲いていた花を思い出した。白く可愛らしい可憐な花、その実をシロップ漬けにして水で割るとこのジュースになるらしい。俺は感心しながら遠慮なく口にした。美味だった。また飲みたいと思う程に。
「お父さんとお母さんはおさけにして飲むんだって」
「おさけ?」
「酒」が何かは一応理解していた。当然当時の俺は飲んだことはないが、父親がごくたまに口にしていた。母親が飲みすぎないようにしてくださいね、などと笑っていたような気がする。興味が湧いて匂いを嗅いだことがあるが、ツンと鼻を刺す強烈なアルコールの匂いに咳き込んだ。これは今の俺が飲むものではないと本能的に察していた。これはきっと大人の味。いずれは俺も飲めるようになるのだろうか、と疑問だった。
「お母さんに言われたの、『あなたがお嫁に行くときにはこのお酒も持っていきなさい、作り方を教えるから』って。けっこんするときには、いっしょにからたちのおさけ、飲もうね」
「うん」
楽しみだった。酒を飲める大人なら、何でもできると信じていた。からたちの酒はきっとこのジュースに似た、甘い中に苦味のある味なのだろうと思った。
八雲家と東雲家の親交を深めるためという理由で、ある休日に俺とサヤ、それぞれの両親で遊園地に遊びに行くことになった。両親達は俺とサヤが結婚するにあたり、問題なく関係を築けているか心配だったのだろう。当時の俺はそんな大人達の思惑には気付きもせずに、サヤと遊びに行けると楽しみでしかなかった。きっとサヤも俺と同じ気持ちだっただろう。
「八雲くん、おはよう!」
遊園地に着くと、サヤとその両親がいた。サヤは俺を見るなり大きく手を振って明るく笑った。学校の制服とは違う、可愛らしいワンピース姿だった。きっとお洒落をしてきたんだろうと思う。俺もおはよう、と返しながら真っ先にサヤの元に向かった。互いの両親は微笑ましく俺達を見守っていて、和やかで楽しい雰囲気だった。
あれに乗ろう、あそこに行こう、とサヤに手を引かれ、はいはい、と言いながらも俺はサヤについてまわり楽しく遊んだ。悪魔とではこういう楽しみ方はできない、サヤと一日遊べてとても楽しかった。その日は両親達もいるとはいえ、サヤとずっと一緒だった。食事も、アトラクションに乗るのも、土産を見るのもずっと。人間の友達は悪魔とは違うんだ、とこの日はっきり自覚した気がする。正確には「友達」ではなく「許嫁」なのだが、俺にとってサヤは初めての友達でもあった。
目一杯遊んだ夕方。サヤは母親と手を繋ぎ、俺も両親に連れられ遊園地の入り口で解散となりかけたそのとき、
「人間達よ!マガツヒを捧げるがいい!」
天から女の声が降り注いだ。反射的に見上げた空に、女魔がいた。美しい金色の髪、顔の半分が黒く染まった妖艶な表情。忌々しいカディシュトゥの一翼、ナアマだった。休日の遊園地には俺達以外にも多数の親子連れがいる、マガツヒ集めには最適だっただろう。周囲では悲鳴が上がり、楽しかった遊園地が禍々しい空間に生まれ変わってしまった。
「八雲くん!」
俺とサヤは自然と抱き合うようにしてしゃがみ込んだ。俺達二人をかばうのは、互いの両親。両親のマガツヒがナアマに抜き取られていくのを、この目で見た。周りの大人達と同じく、サヤの両親もマガツヒを吸い取られていく。マガツヒは生きる力、それを吸い取られれば最悪死ぬ。最初からあの女魔は子供を対象にしていないようだった。おそらく大人に比べるとマガツヒの量が少ないからだろう。
「ショウヘイ、お前だけは、生きて……」
「父さん!!」
俺をかばっていた父親が倒れた。見ると、近くには母親も倒れていた。サヤの両親も膝をつき瀕死といった風体だった。
この日、地獄だった。天国から地の底へ叩き落とされた気分だった。
遊園地での出来事が終わり数日が過ぎた。結局、俺とサヤの両親達は、あの日マガツヒを大量に吸い取られたことが原因で死亡した。俺とサヤはただただ呆然と泣きじゃくることしかできなかった。事態を聞きつけた親戚達が速やかに葬儀を行い、残された俺達をどうするか話し合っていた。顔を見たこともない遠い親戚に何か聞かれた気がするが、正直この頃のことはあまり覚えていない。
ただ、幸いなことに俺もサヤも親戚に引き取られることになり、施設に行くことはなかった。また、幼いゆえに環境を変えるのはよくないと判断されたのだろう、どちらの親戚も元々俺やサヤが暮らしていた家に引っ越してきてくれた。そのため俺もサヤも転校や引越しの必要がなく、距離感は変わらなかった。サヤが近くにいる、それだけは不幸中の幸いだった。
「八雲クンも東雲クンも、寂しそうヒホ……」
ジャックフロストはさすがに俺とサヤが落ち込んでいるのを察し、静かに話を聞いてくれた。
「サヤ……」
グレムリンに至っては口角を下げ、言葉少なだった。俺も何を言ったらいいのかわからなくて、サヤの手を握るくらいしかできなかった。
ある帰り道。俺とサヤはいつもどおり学校を出て合流し、一緒に歩いていた。あるところでサヤが立ち止まった。俺も立ち止まり振り返ると、サヤは俯いていた。
「サヤ?」
俺が近付くと、サヤは顔を上げた。その目には、涙が溜まりぼろぼろと零れていた。それを見て俺も鼻のあたりが熱くなり、涙が出たのを覚えている。俺は両親の葬儀が済んでから一度も泣いていなかった。このとき胸に溜め込んでいた涙が一気に溢れ出た。
「八雲くん」
「なに?」
「八雲くんは……いなくなったりしないよね」
「うん」
サヤと俺の涙がコンクリートに落ち、濃い灰色の水玉模様を作っていた。サヤは俺に抱きつき、震える声で言った。
「やくそくだよ。いなくなったりしないでね。わたしのそばにいてね。おとなになったら、けっこんするんだよね」
「うん」
俺達二人を許嫁にした両家の親達はもういない。二人の与り知らぬところで結ばれた約束だったが、俺もサヤもいずれ結婚することに疑問を抱かなかった。
「ふっ、はっ!」
両親がいなくなってからというもの、俺は鍛錬に精を出すようになった。自宅の庭で竹刀を持ち素振りをしている間は、辛いことを忘れられる。サヤは俺が素振りをしているのを、グレムリンを連れて見つめていた。
「八雲、ずいぶんがんばるね〜」
「うん。もっとつよかったらみんな守れるって、がんばってるの」
さらりと零したグレムリンの言葉に、しみじみとサヤは返した。グレムリンは黙り込んでしまったが、俺は気にしていなかった。サヤの言うとおり、この世は力がものを言う。あの日遊園地で見た女魔も、俺に力があれば退けることができた。あいつはまだ生きているだろう。もし俺やサヤのもとに現れたとき、対抗できる力をつけておかねば。通常の武器でも悪魔にある程度対抗できるらしいとサヤに聞いてからは、素振りを専ら行っていた。
「でも八雲くん、あんまりがんばりすぎないで。八雲くんの体がいちばん大事だよ」
「……ありがとう」
サヤはいつもからたちのジュースを水筒に入れて持ってきてくれた。汗をかいた後に飲むものとしては甘味が強いが、彼女の気遣いはありがたかった。いつか自分だけでなく、サヤも守れるようにならなくては……そう思い始めたのは、この頃からだと思う。
「ねえ八雲くん、わたしもね、簡単なまほうがつかえるようになったんだよ!みてみて!」
「まほう?」
うん、と頷いたサヤは右手を突き出し、
「アギ!」
と叫んだ。瞬間、右掌から小さな炎が生まれすぐに消えた。とても実用に足る威力ではないが、当時のサヤの年齢を考えればとんでもないことだった。俺はぽかんとしていたが、サヤはそんな俺を見てふふん、と得意げだった。
「学校でならったの!あくまはらいのまほう!」
「すごいな、他にもつかえるの?」
「ううん、まだこれだけ。でも、わたしがもっと強いまほうをつかえるようになったら、わたしも八雲くんを守れるね!」
そう言って笑うサヤは朗らかで、だからこそ守りたい、と心から思った。
時は過ぎ、俺とサヤはそれぞれ高校生になった。俺は縄印学園高等部へ、サヤは聖マリナ女子学院高等部へ進学した。それぞれ悪魔と戦う術を磨き、特にサヤは多くの魔法を習得していた。そんなサヤからベテルの話を聞かされたのは、からたちの花が咲く東雲家の庭でだった。
「八雲くん。私、ベテル日本支部に行こうと思ってるの」
「ベテル日本支部?」
「うん。八雲くんは知らない?縄印学園の近くに支部があるんだよ」
サヤに言われるまでそんなことは知らなかった。当然だ、公になっている組織ではない。サヤのような悪魔祓いを育成する学校にでも通っていないと知らないことだ。
「ベテル日本支部とは何だ?」
「天使が作る組織でね、混沌の悪魔達と戦っているの。エジプト支部とか北欧支部とか世界中に支部があるんだけど、日本支部は品川近くにあるの」
「何故サヤがそこに?」
「学校の先生に言われたの。悪魔祓いの力があるなら、そこで悪魔と戦うのはどうかって。悪魔と戦える人は少ないから、人手不足らしいの。私、悪魔祓いの力が強いみたいだし、それに……仇を討てるかもしれないもの」
ぎゅ、とサヤは拳を握りしめていた。サヤの両親の仇は、俺にとっても敵であり仇だった。あのとき俺達の両親の命を奪った女魔は、きっとどこかで暗躍している、と思うと居ても立っても居られなかった。俺もできることなら仇は討ちたかった。しかし、
「サヤ」
俺は考えるより先にサヤを抱きしめていた。
「八雲くん?」
抱きしめたサヤは困惑した様子だった。サヤとは長くそばにいたが、自分から意識して抱きしめたのはこのときが初めてだった。サヤも俺も、もう子供ではなかった。互いにぬくもりを分け合い支え合える。
「サヤ、お前の気持ちは理解できる。だが、お前にまで死んでほしくない。戦ってほしくない」
「八雲くん……」
率直な思いを伝えた。両親がいなくなっただけでも相当な衝撃だったが、この上互いに支え合ってきたサヤまで失えばどうなってしまうか、火を見るより明らかだった。手先が震えている俺の背中に、サヤの両手がそっと添えられた。
「ありがとう、八雲くん。そう言ってくれて、嬉しい。もちろん死ぬつもりはないよ。だって」
抱きしめて見つめたサヤは、力強く笑っていた。
「私、八雲くんのお嫁さんになるんだよ」
小さい頃に親から決められた関係。そのどちらの親もいないが、サヤと俺の間に結ばれた大切な約束だった。まだどちらも結婚できる年齢ではなかったが、自然と意識していた。
「ああ、そうだ。許嫁に死なれたら困る。……サヤ」
「なに?」
風が吹いた。からたちの白い花が可憐に揺れ花びらが舞い、俺とサヤの髪を揺らした。
「からたちの酒が飲める年になったら、結婚しよう」
俺はサヤの左手を取った。二人の左手の薬指に銀の輝きが灯ったら、将来を約束した証になる。最初こそ互いの意思を反映しない関係だったが、俺にとってサヤはなくてはならない存在になっていた。たとえ許嫁でなくとも、結婚したいと考えていただろう。ただ、結婚するまでの過程が少し変わるだけの話だった。
「うん。ありがとう、ショウヘイくん」
言いながら、サヤはもう一度俺に抱きついた。名前を呼ばれたのはこのときが初めてで、俺は困惑した。サヤは俺を見上げ、悪戯っぽく笑った。
「未来の旦那さんなのに、ずっと『八雲くん』って呼ぶの、変でしょ?」
「そうだな。……まだ慣れない。サヤ、もっと呼んでほしい」
「ショウヘイくん」
単に名前を呼ばれただけ。父や母と同じ呼び方をされただけ。だが俺にとってはとてつもなく大きな意味があった。
