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回想 壱
ジョカが消滅し、ナホビノになる資格を失った俺は東京に帰還した。創造主により造られたかりそめの東京、それは消えつつある夢幻。だがたとえ夢幻だったとしても、その中で生まれ過ごしてきた日々がある。記憶を頼りに歩き続け、ある霊園に辿り着く。都会の喧騒を離れ静かに佇む墓の群れ。……まだ消えていなかった。整然と並ぶ墓は違いがないようでよく見ると一つ一つ違う。ある墓の前で立ち止まった。
東雲家之墓。この灰色の石の下に、東雲家の人々の骨が埋まっている。東雲サヤのものも。
目を閉じた。サヤとの思い出が、鮮明な映像として蘇ってきた。
「サヤ、ご挨拶しなさい」
俺とサヤが初めて会ったのは互いに十歳に満たない頃。俺の家にサヤとその両親が挨拶にやって来た。玄関先で見たサヤはもじもじと恥ずかしがっていたが両親に促され、
「東雲サヤです」
俺を見てはっきりと名乗った。俺も八雲ショウヘイ、と名乗り返した。
「東雲さん、よくいらっしゃいました。さあ、こちらへ」
俺の両親が東雲一家を迎え入れ、大人は座敷で大切なお話があるからお嬢さんと二人で遊んでおいで、と言われた。当時の俺はよくわからないままはい、と返したことを覚えている。
「ねえ、あそぼ!」
サヤは屈託のない笑顔で俺の手を取った。あそぼ、と言われてもたった今会ったばかりのしかも女の子、俺はどうしたものかと困った。結局、無難に庭で遊ぶことになった。八雲家には一般家庭としてはやや広めの庭がある。普段は竹刀の素振りをしていたが、さすがにサヤと二人で素振りをするのも変だ。でも二人で何をしたらいいのか全く思い浮かばなかった。
「八雲くん八雲くん」
庭に出るなりサヤに服を引っ張られ、名前を呼ばれた。彼女は俺の耳元でひそひそと話した。
「今日わたしたちがなんで来たか聞いてる?」
「え?さあ……なんで?」
「『いいなずけ』のあいさつなんだって」
「『いいなずけ』?」
子供の俺には難しい言葉だった。首を傾げた俺に、サヤは自慢げに胸を張った。
「わたし、しょうらい八雲くんのおよめさんになるんだよ」
「およめさん……おれたち、けっこんするの?」
「そう!いつかけっこんする人のことを、『いいなずけ』っていうんだって」
八雲家と東雲家の間で結婚の話がまとまっていることは、サヤに言われるまで知らなかった。今考えれば、両親が「紹介したい女の子がいる」とずっと言っていたから察することはできた。八雲家は代々霊能力を継ぐそれなりの家系で、東雲家も似たようなものだったらしい。特殊な血を絶やさないための結婚だったのだろう。
「八雲くんはあくま、見える?」
だからサヤがこう切り出してきたのも、全く自然な流れだった。
「え?きみも見えるの?」
「うん!やっぱり八雲くんも見えるんだ!」
サヤは俺に抱きつき、大袈裟に喜んでいた。正直、俺も嬉しかった。学校の同級生に悪魔のことを話しても何を言ってるんだ、と言われるだけだったから。きっとサヤも似たような思いをしてきたのだろう。
「八雲くんはあくまのおともだち、いる?もしいたら、会ってみたいなあ」
「ここにはいないよ。近くの公園にいるんだ」
「ほんと!?」
サヤはきらきらと目を輝かせた。それから落ち着きなくそわそわとし始める。
「どうしたの?」
「ねえねえ、『いいなずけ』のあいさつって、時間かかるかなあ」
「さあ、よくわからないけど……」
俺はそっと座敷の様子を伺った。両家の両親は和気藹々と話しているように見えた。
「長引くかも」
「じゃあさ、八雲くんのおともだちに会いにいこうよ!公園、とおい?」
「ううん、すぐそこだけど……でも、かってに行っていいのかな」
躊躇う俺の手を掴んだサヤは、悪戯っぽく笑っていた。
「だいじょうぶだよ!だって、ちょっと公園に行くだけでしょ?もしおこられたら、わたしに言われたって言えばいいよ!」
サヤの無邪気な笑顔は、俺の罪悪感を蹴散らす力があった。学校では男女問わず、それどころか教師からも変なことを言っていると遠巻きにされていた。同じ年頃のサヤが明るく接してくれて、本当に嬉しかった。サヤと俺と悪魔、皆仲良くなれたらいいと俺は頷いた。昼下がりの太陽が気怠い中、俺とサヤはこっそり家を出た。
「まって、八雲くん!」
このときの俺はあまりにも配慮に欠けていた。普通に走ったらサヤを置いていってしまった。振り返ると、サヤは息切れしながらよろよろと俺に向かって歩いていた。
「あ、ごめん。だいじょうぶ?」
「う、うん。ごめんね。八雲くん、走るのはやいね」
「手、つなごうか」
「うん!」
俺たちはごく自然に手を繋いで歩いていった。最後にサヤと手を繋いだのはいつだっただろうか……。
いつも俺は一人で帰っていた。学校から公園まで真っ直ぐ駆け抜けていく、途中の景色などろくに見ずに。サヤと二人でゆっくり歩く道は新鮮だった。足元に花が咲いている、アスファルトの割れ目に雑草が生えている、電柱が思ったよりも多いといった細かなことに初めて気付いて感動した。楽しそうなサヤの笑顔も明瞭に覚えている。きらきらと輝き弾ける、忘れたくとも忘れられない笑顔。
「ついたよ」
小さな公園だった。ブランコ、低い滑り台、錆びついた鉄棒。公園というよりは空き地に遊具が置いてある、といった方が正しいかもしれない。それくらい小さな公園だが、子供の俺にとっては立派な遊び場だった。住宅地の隙間を埋めるようにぽつんとある公園は、いつ来ても誰もいなかった。もちろん、サヤと初めて訪れた日も。俺はサヤの手を引いて公園の隅、植え込みの陰に向かった。
「ジャックフロスト、いる?」
「ヒホー!」
いつもどおり声をかけると、ガサガサと音を立ててジャックフロストが現れた。俺が初めて友達になった悪魔だ。暑さが苦手だから、といつも木陰で涼んでいた。ジャックフロストはぶんぶんと俺に手を振り、サヤを見て不思議そうに首を傾げた。
「あれ?となりにいるコは誰だホ?八雲クンのトモダチヒホ?」
俺が頷いてサヤに目を向けると、サヤはきらきらと目を輝かせ身を乗り出した。
「はじめまして!わたし、東雲サヤ!八雲くんにあくまのおともだちがいるって聞いたから、つれてきてもらったの!えっと、お名前なんていうの?」
「オイラはジャックフロスト!東雲クン、でいいホ?」
「うんうん!いいよ!ジャックフロストくん、よろしくね!」
二人が大袈裟な握手を交わしているのを見、心底ほっとした。悪魔以外の――人間の友達ができたのは、この日が初めてだった。
俺たち三人は、家を抜け出してきているのも忘れてたっぷり遊んだ。鬼ごっこやかくれんぼ、子供らしい素朴な遊び。楽しかった。カラスの鳴き声が聞こえてきたとき、無性に悲しくなった。それまではきゃっきゃと遊んでいたサヤも、
「八雲くん!カラスがないてる!カラスがないたら帰らなきゃいけないんだよ!」
と真面目な顔で焦っていた。ほんの少しジャックフロストと話すくらいで、と思っていたら夕暮れまで遊んでしまった。両親に怒られる、そのことで頭がいっぱいになった。サヤも顔を青くしていた。唯一よくわかっていないジャックフロストが、
「ヒホー?二人とも、帰るホ?」
と不思議そうに首を傾げていた。
「ごめんね、もう帰らなきゃ。またあそぼうね!」
「ヒーホー!」
サヤが大きく手を振ると、ジャックフロストもぶんぶんと手を振ってくれた。またサヤと手を繋いで夕暮れの街を歩いた。親以外と手を繋いで帰るなど初めてだった。後ろを振り返ると二人の影が長く伸びていた。あまり身長が変わらないから、影は同じくらいの長さ。本当に同じ年頃の子と一緒なのだと不思議な気分だった。
家に戻った俺たちは、それはもうこっ酷く叱られた。俺は東雲家のお嬢さんになんてことを、と拳骨を食らい、サヤはサヤで八雲家の息子さんを連れ出すなんて、と説教されていた。ごめんなさい、と二人してそれぞれの両親に神妙な顔で謝った。どちらにも思い当たる節があり、遅くまで無断で外に出ていたのは揺るぎない事実、謝る以外の選択肢はなかった。
「じゃあね、八雲くん。今日はごめんね。たのしかったよ、またあそぼうね!」
ひととおり説教が終わったところで、サヤは両親に連れられて帰っていった。ジャックフロストにしたのと同じように、大きく手を振って笑っていた。俺も小さく手を振り返した。サヤが帰っていったのは夕日が沈み夜の訪れが近い頃。顔がわかりにくい黄昏時でも、サヤが輝くような笑顔を浮かべているのはよくわかった。また会いたい。俺は自然とそう思っていた。
春のうららかな日和が続いたあの頃。サヤと初めて会った日から、俺たちは毎日学校が終わった後会うようになった。待ち合わせ場所はジャックフロストがいるあの公園。あの日も誰もいない公園でサヤと話していた。
「サヤと同じ学校だったらよかったのに」
残念ながら、俺とサヤは違う学校に通っていた。学校にサヤがいない――そんな不満を漏らすと、サヤは苦笑いしていた。
「うん、わたしも八雲くんと同じ学校だったらよかったのになあ」
「おれがサヤの学校に行けたらいいのに」
「女の子しか行けないから、八雲くんはむりだよ。わたしが八雲くんの学校に行けたらなあ」
「行けないの?」
「うん。わたしはあくまはらいになりなさい、って言われてるから」
サヤが通っていたのは聖マリナ女学院。初等部から高等部までエスカレーター式になっている、私立の名門といわれる学校だ。東雲家は代々霊力が強い子供を悪魔祓いにするらしく、サヤも例外ではなかった。もしもサヤが東雲家の生まれでなかったら、俺と同じ学校に通っていたかもしれない。彼女と学校生活を送れなかったことはどうしようもないが、悲しかった。
「そっか……」
「ねえ、八雲くん!」
見るからに落ち込んだ俺の背中を、サヤはぽんと叩いた。少しよろめいた俺に、サヤは屈託のない笑顔を向けた。
「今日はわたしのおともだちに会ってみない?」
「サヤの?」
「うん!ジャックフロストに会わせてくれたでしょ?わたしもおともだち、しょうかいしたい!」
サヤの言う「おともだち」が人間ではないとすぐに想像できた。こんな明るいサヤの友達なら、きっといい子だろうと楽しみになった。
「いいの?おれも会いたい」
「うん、きまり!わたしの家にいるの。きてきて!」
東雲家と八雲家は子供の俺たちでも行き来できるほど近くにあったが、東雲家に俺が遊びに行くのはこの日が初めてだった。緊張したが、それよりも期待がはるかに大きかった。
「ただいまー!」
「お嬢様、おかえりなさいませ。……あら?」
東雲家はいわゆる和の豪邸で、俺の家など比較にならないほど広かった。大名でも住んでいそうな風体の家、平屋建てで高さはないが広さが尋常ではなく、門扉を開けたサヤを出迎えたのは女中だった。女中は俺を警戒する目だった。俺は反射的にぺこりと頭を下げた。
「この子はね、八雲ショウヘイくん!お父さんやお母さんから聞いてない?わたしの『いいなずけ』なの!」
「お話には聞いておりましたわ、この方がそうなのですね。初めまして、八雲さん」
「は、はじめまして」
「八雲くんと庭で遊びたいの!お父さんお母さんにつたえておいて!」
「わかりました」
女中は俺に丁寧な一礼を見せた。サヤは俺の手を引き、ぐるりと家の外周に沿って歩いていく。辿り着いたのは、落ち着いた雰囲気の庭。縁側と池があり、白い花をつけた木が複数植えられていた。木の高さは二、三メートルほど、子供には高く見える。サヤは木の根元で立ち止まり、
「グレムリン、わたしだよ!」
上を見上げて呼びかけた。見上げた木には枝が折り重なり、小さな白い花が幾重にも咲いていた。春の緩やかな風に枝が揺れ、白い波が立っているように見えた。
「あーサヤじゃん!おかえり〜!」
子供の俺にはよく見えない木の頂上付近から、水色の幽霊に似た悪魔がにゅるりと現れた。グレムリンは俺を見てぐりんと首を傾げた。
「ん?こいつ、誰?」
「この子はね、八雲くんっていうの。わたしのおともだち!」
「八雲ショウヘイ。えっと、グレムリン……でいいのかな」
グレムリンは腕を組むとうんうん、と大袈裟に頷いた。
「そう呼んでよね〜!へー、サヤに人間のトモダチができたの?」
「そうなの!しょうかいがおそくなっちゃった」
「ふーん。八雲ショウヘイ、ね。今後ともヨロシクね〜」
性別がわからない見た目の悪魔だったが、声が高く話し方も女子に近く、サヤと仲良くなったのも納得だった。そして少し羨ましかった。ジャックフロストが家に来てくれたらいいのに、などと考えた。
「この木、きれいな花がさいてるね。なんていう木なの?」
「あ、これはね、からたちっていうの」
サヤと二人で見上げたからたちの木は、吹き抜ける穏やかな風に葉がざわめいていた。可憐な白い花と黄緑色の鮮やかな葉が美しく、春のうららによく似合っていた。
「毎年あったかくなると花がさくの!秋になるとみかんみたいな実がなるんだよ」
「あの実、あたし好きだな〜」
「えー、ほんと?にがくてぜんぜんおいしくないよ〜」
グレムリンの言葉に、サヤは舌を出して見るからに苦そうな顔をした。サヤの顔がすべて物語っているが、からたちの実を見たこともない俺は興味が湧いた。
俺たちは池のある広い庭で、追いかけっこをして遊んだ。前回の教訓を活かして、夕方になる前にきちんとお開きにもした。帰る前、サヤの両親にも挨拶をすると、
「早くお帰りなさい。ご両親は八雲くんの帰りを待っているのだから」
と言われ、名残惜しいが一人で帰った。グレムリンとサヤがばいばい、と言いながら手を振ってくれ、白いからたちの花が揺れていた。
ジョカが消滅し、ナホビノになる資格を失った俺は東京に帰還した。創造主により造られたかりそめの東京、それは消えつつある夢幻。だがたとえ夢幻だったとしても、その中で生まれ過ごしてきた日々がある。記憶を頼りに歩き続け、ある霊園に辿り着く。都会の喧騒を離れ静かに佇む墓の群れ。……まだ消えていなかった。整然と並ぶ墓は違いがないようでよく見ると一つ一つ違う。ある墓の前で立ち止まった。
東雲家之墓。この灰色の石の下に、東雲家の人々の骨が埋まっている。東雲サヤのものも。
目を閉じた。サヤとの思い出が、鮮明な映像として蘇ってきた。
「サヤ、ご挨拶しなさい」
俺とサヤが初めて会ったのは互いに十歳に満たない頃。俺の家にサヤとその両親が挨拶にやって来た。玄関先で見たサヤはもじもじと恥ずかしがっていたが両親に促され、
「東雲サヤです」
俺を見てはっきりと名乗った。俺も八雲ショウヘイ、と名乗り返した。
「東雲さん、よくいらっしゃいました。さあ、こちらへ」
俺の両親が東雲一家を迎え入れ、大人は座敷で大切なお話があるからお嬢さんと二人で遊んでおいで、と言われた。当時の俺はよくわからないままはい、と返したことを覚えている。
「ねえ、あそぼ!」
サヤは屈託のない笑顔で俺の手を取った。あそぼ、と言われてもたった今会ったばかりのしかも女の子、俺はどうしたものかと困った。結局、無難に庭で遊ぶことになった。八雲家には一般家庭としてはやや広めの庭がある。普段は竹刀の素振りをしていたが、さすがにサヤと二人で素振りをするのも変だ。でも二人で何をしたらいいのか全く思い浮かばなかった。
「八雲くん八雲くん」
庭に出るなりサヤに服を引っ張られ、名前を呼ばれた。彼女は俺の耳元でひそひそと話した。
「今日わたしたちがなんで来たか聞いてる?」
「え?さあ……なんで?」
「『いいなずけ』のあいさつなんだって」
「『いいなずけ』?」
子供の俺には難しい言葉だった。首を傾げた俺に、サヤは自慢げに胸を張った。
「わたし、しょうらい八雲くんのおよめさんになるんだよ」
「およめさん……おれたち、けっこんするの?」
「そう!いつかけっこんする人のことを、『いいなずけ』っていうんだって」
八雲家と東雲家の間で結婚の話がまとまっていることは、サヤに言われるまで知らなかった。今考えれば、両親が「紹介したい女の子がいる」とずっと言っていたから察することはできた。八雲家は代々霊能力を継ぐそれなりの家系で、東雲家も似たようなものだったらしい。特殊な血を絶やさないための結婚だったのだろう。
「八雲くんはあくま、見える?」
だからサヤがこう切り出してきたのも、全く自然な流れだった。
「え?きみも見えるの?」
「うん!やっぱり八雲くんも見えるんだ!」
サヤは俺に抱きつき、大袈裟に喜んでいた。正直、俺も嬉しかった。学校の同級生に悪魔のことを話しても何を言ってるんだ、と言われるだけだったから。きっとサヤも似たような思いをしてきたのだろう。
「八雲くんはあくまのおともだち、いる?もしいたら、会ってみたいなあ」
「ここにはいないよ。近くの公園にいるんだ」
「ほんと!?」
サヤはきらきらと目を輝かせた。それから落ち着きなくそわそわとし始める。
「どうしたの?」
「ねえねえ、『いいなずけ』のあいさつって、時間かかるかなあ」
「さあ、よくわからないけど……」
俺はそっと座敷の様子を伺った。両家の両親は和気藹々と話しているように見えた。
「長引くかも」
「じゃあさ、八雲くんのおともだちに会いにいこうよ!公園、とおい?」
「ううん、すぐそこだけど……でも、かってに行っていいのかな」
躊躇う俺の手を掴んだサヤは、悪戯っぽく笑っていた。
「だいじょうぶだよ!だって、ちょっと公園に行くだけでしょ?もしおこられたら、わたしに言われたって言えばいいよ!」
サヤの無邪気な笑顔は、俺の罪悪感を蹴散らす力があった。学校では男女問わず、それどころか教師からも変なことを言っていると遠巻きにされていた。同じ年頃のサヤが明るく接してくれて、本当に嬉しかった。サヤと俺と悪魔、皆仲良くなれたらいいと俺は頷いた。昼下がりの太陽が気怠い中、俺とサヤはこっそり家を出た。
「まって、八雲くん!」
このときの俺はあまりにも配慮に欠けていた。普通に走ったらサヤを置いていってしまった。振り返ると、サヤは息切れしながらよろよろと俺に向かって歩いていた。
「あ、ごめん。だいじょうぶ?」
「う、うん。ごめんね。八雲くん、走るのはやいね」
「手、つなごうか」
「うん!」
俺たちはごく自然に手を繋いで歩いていった。最後にサヤと手を繋いだのはいつだっただろうか……。
いつも俺は一人で帰っていた。学校から公園まで真っ直ぐ駆け抜けていく、途中の景色などろくに見ずに。サヤと二人でゆっくり歩く道は新鮮だった。足元に花が咲いている、アスファルトの割れ目に雑草が生えている、電柱が思ったよりも多いといった細かなことに初めて気付いて感動した。楽しそうなサヤの笑顔も明瞭に覚えている。きらきらと輝き弾ける、忘れたくとも忘れられない笑顔。
「ついたよ」
小さな公園だった。ブランコ、低い滑り台、錆びついた鉄棒。公園というよりは空き地に遊具が置いてある、といった方が正しいかもしれない。それくらい小さな公園だが、子供の俺にとっては立派な遊び場だった。住宅地の隙間を埋めるようにぽつんとある公園は、いつ来ても誰もいなかった。もちろん、サヤと初めて訪れた日も。俺はサヤの手を引いて公園の隅、植え込みの陰に向かった。
「ジャックフロスト、いる?」
「ヒホー!」
いつもどおり声をかけると、ガサガサと音を立ててジャックフロストが現れた。俺が初めて友達になった悪魔だ。暑さが苦手だから、といつも木陰で涼んでいた。ジャックフロストはぶんぶんと俺に手を振り、サヤを見て不思議そうに首を傾げた。
「あれ?となりにいるコは誰だホ?八雲クンのトモダチヒホ?」
俺が頷いてサヤに目を向けると、サヤはきらきらと目を輝かせ身を乗り出した。
「はじめまして!わたし、東雲サヤ!八雲くんにあくまのおともだちがいるって聞いたから、つれてきてもらったの!えっと、お名前なんていうの?」
「オイラはジャックフロスト!東雲クン、でいいホ?」
「うんうん!いいよ!ジャックフロストくん、よろしくね!」
二人が大袈裟な握手を交わしているのを見、心底ほっとした。悪魔以外の――人間の友達ができたのは、この日が初めてだった。
俺たち三人は、家を抜け出してきているのも忘れてたっぷり遊んだ。鬼ごっこやかくれんぼ、子供らしい素朴な遊び。楽しかった。カラスの鳴き声が聞こえてきたとき、無性に悲しくなった。それまではきゃっきゃと遊んでいたサヤも、
「八雲くん!カラスがないてる!カラスがないたら帰らなきゃいけないんだよ!」
と真面目な顔で焦っていた。ほんの少しジャックフロストと話すくらいで、と思っていたら夕暮れまで遊んでしまった。両親に怒られる、そのことで頭がいっぱいになった。サヤも顔を青くしていた。唯一よくわかっていないジャックフロストが、
「ヒホー?二人とも、帰るホ?」
と不思議そうに首を傾げていた。
「ごめんね、もう帰らなきゃ。またあそぼうね!」
「ヒーホー!」
サヤが大きく手を振ると、ジャックフロストもぶんぶんと手を振ってくれた。またサヤと手を繋いで夕暮れの街を歩いた。親以外と手を繋いで帰るなど初めてだった。後ろを振り返ると二人の影が長く伸びていた。あまり身長が変わらないから、影は同じくらいの長さ。本当に同じ年頃の子と一緒なのだと不思議な気分だった。
家に戻った俺たちは、それはもうこっ酷く叱られた。俺は東雲家のお嬢さんになんてことを、と拳骨を食らい、サヤはサヤで八雲家の息子さんを連れ出すなんて、と説教されていた。ごめんなさい、と二人してそれぞれの両親に神妙な顔で謝った。どちらにも思い当たる節があり、遅くまで無断で外に出ていたのは揺るぎない事実、謝る以外の選択肢はなかった。
「じゃあね、八雲くん。今日はごめんね。たのしかったよ、またあそぼうね!」
ひととおり説教が終わったところで、サヤは両親に連れられて帰っていった。ジャックフロストにしたのと同じように、大きく手を振って笑っていた。俺も小さく手を振り返した。サヤが帰っていったのは夕日が沈み夜の訪れが近い頃。顔がわかりにくい黄昏時でも、サヤが輝くような笑顔を浮かべているのはよくわかった。また会いたい。俺は自然とそう思っていた。
春のうららかな日和が続いたあの頃。サヤと初めて会った日から、俺たちは毎日学校が終わった後会うようになった。待ち合わせ場所はジャックフロストがいるあの公園。あの日も誰もいない公園でサヤと話していた。
「サヤと同じ学校だったらよかったのに」
残念ながら、俺とサヤは違う学校に通っていた。学校にサヤがいない――そんな不満を漏らすと、サヤは苦笑いしていた。
「うん、わたしも八雲くんと同じ学校だったらよかったのになあ」
「おれがサヤの学校に行けたらいいのに」
「女の子しか行けないから、八雲くんはむりだよ。わたしが八雲くんの学校に行けたらなあ」
「行けないの?」
「うん。わたしはあくまはらいになりなさい、って言われてるから」
サヤが通っていたのは聖マリナ女学院。初等部から高等部までエスカレーター式になっている、私立の名門といわれる学校だ。東雲家は代々霊力が強い子供を悪魔祓いにするらしく、サヤも例外ではなかった。もしもサヤが東雲家の生まれでなかったら、俺と同じ学校に通っていたかもしれない。彼女と学校生活を送れなかったことはどうしようもないが、悲しかった。
「そっか……」
「ねえ、八雲くん!」
見るからに落ち込んだ俺の背中を、サヤはぽんと叩いた。少しよろめいた俺に、サヤは屈託のない笑顔を向けた。
「今日はわたしのおともだちに会ってみない?」
「サヤの?」
「うん!ジャックフロストに会わせてくれたでしょ?わたしもおともだち、しょうかいしたい!」
サヤの言う「おともだち」が人間ではないとすぐに想像できた。こんな明るいサヤの友達なら、きっといい子だろうと楽しみになった。
「いいの?おれも会いたい」
「うん、きまり!わたしの家にいるの。きてきて!」
東雲家と八雲家は子供の俺たちでも行き来できるほど近くにあったが、東雲家に俺が遊びに行くのはこの日が初めてだった。緊張したが、それよりも期待がはるかに大きかった。
「ただいまー!」
「お嬢様、おかえりなさいませ。……あら?」
東雲家はいわゆる和の豪邸で、俺の家など比較にならないほど広かった。大名でも住んでいそうな風体の家、平屋建てで高さはないが広さが尋常ではなく、門扉を開けたサヤを出迎えたのは女中だった。女中は俺を警戒する目だった。俺は反射的にぺこりと頭を下げた。
「この子はね、八雲ショウヘイくん!お父さんやお母さんから聞いてない?わたしの『いいなずけ』なの!」
「お話には聞いておりましたわ、この方がそうなのですね。初めまして、八雲さん」
「は、はじめまして」
「八雲くんと庭で遊びたいの!お父さんお母さんにつたえておいて!」
「わかりました」
女中は俺に丁寧な一礼を見せた。サヤは俺の手を引き、ぐるりと家の外周に沿って歩いていく。辿り着いたのは、落ち着いた雰囲気の庭。縁側と池があり、白い花をつけた木が複数植えられていた。木の高さは二、三メートルほど、子供には高く見える。サヤは木の根元で立ち止まり、
「グレムリン、わたしだよ!」
上を見上げて呼びかけた。見上げた木には枝が折り重なり、小さな白い花が幾重にも咲いていた。春の緩やかな風に枝が揺れ、白い波が立っているように見えた。
「あーサヤじゃん!おかえり〜!」
子供の俺にはよく見えない木の頂上付近から、水色の幽霊に似た悪魔がにゅるりと現れた。グレムリンは俺を見てぐりんと首を傾げた。
「ん?こいつ、誰?」
「この子はね、八雲くんっていうの。わたしのおともだち!」
「八雲ショウヘイ。えっと、グレムリン……でいいのかな」
グレムリンは腕を組むとうんうん、と大袈裟に頷いた。
「そう呼んでよね〜!へー、サヤに人間のトモダチができたの?」
「そうなの!しょうかいがおそくなっちゃった」
「ふーん。八雲ショウヘイ、ね。今後ともヨロシクね〜」
性別がわからない見た目の悪魔だったが、声が高く話し方も女子に近く、サヤと仲良くなったのも納得だった。そして少し羨ましかった。ジャックフロストが家に来てくれたらいいのに、などと考えた。
「この木、きれいな花がさいてるね。なんていう木なの?」
「あ、これはね、からたちっていうの」
サヤと二人で見上げたからたちの木は、吹き抜ける穏やかな風に葉がざわめいていた。可憐な白い花と黄緑色の鮮やかな葉が美しく、春のうららによく似合っていた。
「毎年あったかくなると花がさくの!秋になるとみかんみたいな実がなるんだよ」
「あの実、あたし好きだな〜」
「えー、ほんと?にがくてぜんぜんおいしくないよ〜」
グレムリンの言葉に、サヤは舌を出して見るからに苦そうな顔をした。サヤの顔がすべて物語っているが、からたちの実を見たこともない俺は興味が湧いた。
俺たちは池のある広い庭で、追いかけっこをして遊んだ。前回の教訓を活かして、夕方になる前にきちんとお開きにもした。帰る前、サヤの両親にも挨拶をすると、
「早くお帰りなさい。ご両親は八雲くんの帰りを待っているのだから」
と言われ、名残惜しいが一人で帰った。グレムリンとサヤがばいばい、と言いながら手を振ってくれ、白いからたちの花が揺れていた。
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