月と花のはざま
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#10 月とともに輝く
記憶を取り戻したミズキが目を閉じ内なる声に耳を傾けたとき、真っ先に脳裏に浮かんだのは越水ハヤオだった。記憶を失う前に抱いていた恋慕は一度破れたものの、彼は愛を囁いてくれた。負傷し何も思い出せないミズキに寄り添い、回復するまで急かすことなく待ってくれたこと、恩義以外も感じざるを得ない。彼の唇から零れ落ちた愛の旋律が、一度は色を失ったミズキの思いに再度鮮やかな色を蘇らせる。この思い、一刻も早く彼に伝えなくては。
「おはようございます、長官」
翌日、真っ先に彼の執務室に向かった。越水は机から立ち上がり、普段より早足でこちらに歩み寄ってきた。
「天宮君、記憶が戻ったのか」
「そうです。よくわかりましたね」
「呼び方が変われば誰でも気付くものだ」
ミズキの些細な変化も見逃さないその眼差し、胸が高鳴るのを感じた。この甘い鼓動、懐かしい感覚だ。
「はい……あの、長官」
「どうした?」
静寂の執務室で、越水に見下ろされている。いざ本人を前にすると言葉が喉の奥に引っ込みそうになるが、ミズキは顔を上げた。
「私、私は……長官、あなたのことが好きです」
「……!」
冷静沈着な越水が目を見張った。それこそ微かな変化だが、ミズキにはすぐわかる。覚悟を持って発した言葉に返ってくる沈黙、ミズキは息を呑んだ。数秒間見つめ合っていた二人は、越水がミズキを抱きしめることでぴったりと密着した。突然彼の胸板に辿り着き、ミズキは目を白黒させた。越水の手が後頭部を撫でる。髪と戯れ動揺を押し流す、柔らかな手つきだった。
「ありがとう」
「……え?」
予想外の言葉に越水を見上げた。彼の真一文字に結んだ唇が、ほんの少し上向きの弧を描いている。ミズキを見つめる眼差しは柔らかく、混乱さえも包み込んでくれる器を感じた。
「私は愚かにも一度君を突き放し、傷付けた人間だ。それでも君は、私を好きだと言ってくれるのだな」
「はい。長官は、仕事もできない私を見捨てないでいてくれましたから。私を愛おしいと思ってくださっているのですよね?」
「無論、そうだ」
越水の唇がミズキの額に触れた。潤いの少ない唇、越水らしい温度と感触に照れ臭くなった。ミズキが越水の背中に両腕を回して甘えると、背中や頭を優しく撫でてくれる。
「私が君を幸せにする。今度こそ」
越水の低い声は心地よく、全身にじんわりと沁み渡る心地がした。
天宮ミズキは、再び越水ハヤオの秘書として勤務を再開した。復帰直後からフルタイムの勤務は厳しいと判断し、半日勤務を続けて体を慣らしてもらっている。今日もミズキは午前中で勤務を終え、帰っていった。本来なら送っていきたいところだが、今日は執務室に来客の予定がある。
「……越水さん、こんにちは」
越水一人の執務室に無機質なブザーが響く。スピーカーから廊下に佇む百合川ヒイラギの声が聞こえた。時間どおりだ。入りたまえ、と越水の一言とともに扉が開き、ヒイラギが入ってきた。苛立ちが滲む歩みでこちらに近付き、不快を隠さない目で越水を睨んでいた。
「越水さん、話があるって聞いてますが……ミズキさんのことですよね?」
開口一番、核心をつく言葉が耳に届いた。察しが良い。話が早いのは助かる。
「ああ、そうだ」
「ミズキさんから聞いてます、恋人同士になったそうですね。……おめでとうございます」
ヒイラギの声は低く平坦で、形だけでも祝福されるとは思わなかった。越水は単純に驚嘆した。
「天宮君が君に伝えたのか」
「はい。僕もミズキさんに告白してましたから、その返事も兼ねてだと思いますけど。……悔しいです」
ヒイラギは一歩越水に詰め寄り、翡翠の瞳に威嚇を込めて睨み付けてきた。華奢な体躯ながら、並の人間であれば怯む眼光をたたえている。越水は静かにその視線を受け止め、見つめ返した。彼の燃える瞳に平然たる態度の越水が映り込んでいる。
「ミズキさん嬉しそうでしたし、ミズキさんが選んだことですから、僕は何も言いません。でも、僕はこれからもベテルにいるんです。じっくり見守らせてもらいますからね」
「見守る?」
「当たり前じゃないですか、あなたは以前ミズキさんを傷付けたんですよ。今度そんなことしたら、ただじゃおきません」
睨んだヒイラギの瞳が、一瞬黄金に輝いた気がした。彼の声は重くのしかかる威圧感を放ち、もし万が一があればナホビノの力を振るうことも辞さない決意が滲んでいる。
「君の思いはわかった」
噛み付いてくるヒイラギを、不思議とそのまま受け入れることができた。彼の言葉は事実であるし、今もミズキを慕う彼には越水を注視するだけの理由がある。越水の灰色の眼差しに鋭い光が宿った。
「彼女を幸せにする、それが私の使命だ。君に言われるまでもない」
「…………そうですよ」
ヒイラギは吐き捨て、ふう、と大きなため息をついた。じっとりと湿った目で越水を睨む。
「最悪、悪魔や魔界は僕が何とかします。だから……今度こそミズキさんを幸せにしてください」
「無論、そうする」
越水も息をつき、手を差し出した。ヒイラギは訝しげに差し出された手と越水を交互に見つめている。
「君の協力に感謝する。君がいたからこそ、私は己の思いに気付いたのだ」
「何か腹が立ちますが……ミズキさんが幸せなら、僕は何でもいいです」
ヒイラギはそう言いながらも越水を真っ直ぐ見据え、固く握手を交わした。天宮ミズキを巡る神と人との争いに、幕が下りた瞬間だった。越水はヒイラギの手を握りながら、東京を守るこれまでの使命とはまた違う重みを感じていた。守らねばならない。天宮ミズキというたった一人の人間を。
半日勤務をしばし続けていたミズキだったが、ようやく体が以前の感覚を取り戻してきた。今日は初めてフルタイムでの勤務を終えた日だった。
「天宮君、今夜食事に行かないか。久しぶりの一日勤務だ、疲労が溜まるだろう」
事前に越水から打診されミズキが断るはずもなく、勤務終了を待ち侘びていた。労働時間が倍になり肉体的な疲労はあったが、鼻歌でも歌いそうな気分だった。ようやく勤務が終わったときには、天に拳を振り上げたくなった。越水の手前、さすがにそんなことはしないが。
「ご苦労、天宮君。以前行った料亭だがよいか?」
「構いません!むしろ久しぶりなので嬉しいです!」
静謐な執務室にミズキの声だけ大きく響き、急に恥ずかしくなった。越水はふ、と笑いにも似た吐息を漏らし、ミズキの頭を撫でた。口元が綻んだ越水の表情に心臓が早鐘を打つ。ちょっとくらい寿命が縮んでしまうかも、なんて阿呆なことを考えた。先が思いやられる。
越水と訪れた料亭は、変わらず落ち着いた雰囲気だった。二人だけの座敷でゆったり食事を楽しむのも久方振りだ。仕事を離れて越水と談笑しながら食べる食事は至上の美味。記憶喪失に陥る前、何度も彼と食事をしたが、そのときとは大きな差異がある。この料亭は何も変わらないのに不思議だな、と思いながらミズキは越水の優美な食事風景を眺めていた。
「そういえば、長官。煙草、もう吸わないんですか?」
ふと思いついた疑問を口にした。一度だけ、越水から煙草の香りが漂ってきたことがある。後にも先にもそのとき限りだったが、ミズキに配慮して我慢しているなんてことはないだろうか。
「煙草……か。もう吸う必要はないだろう」
「?そうなんですか?」
「そうだ。君がいるからな」
「……?」
慈しむような眼差しでミズキをふわりと包みながら越水は答えた。ミズキにはよく意味が理解できなかったが、とりあえず彼にはその気はないようだ。一度くらい喫煙する越水を見てみたかった気もするが、数秒後には消え去る程度の興味だった。
「ん……」
食事も終わり、満足の息をついた頃。少しばかり調子に乗って飲んだ酒が、ミズキの全身に回っていた。体も脳も浮遊する感覚を楽しんでいると、越水の訝しげな視線が刺さった。
「天宮君」
越水が立ち上がった。お手洗いかな?とぼんやり目で追うと、彼はミズキの隣に腰を下ろした。それも近い。互いの肩が体温を分け合う距離だ。なんて思っていたら、肩を抱かれ越水にしなだれかかる体勢になった。彼の少し低めの体温を感じながら見上げると、彼は少し呆れたような顔をしていた。
「些か飲み過ぎたのではないか。ふらついているが」
「そうかもしれませんね……楽しくて、つい……」
と言いつつこっそり越水に寄りかかり、体を預けてみる。越水の表情に変化はないが、肩を抱く手にやや強い力が入った。
「天宮君、私の家に来るか」
「……えぇっ?長官の、家!?」
酒の染みた頭では一瞬言葉の意味が理解できず、ワンテンポ遅れて素っ頓狂な声を上げた。以前はミズキの方から半ば強引に押しかけたのに、ずいぶんな変わりようだ。
「何故驚く。一度来たことがあるだろう」
「そうですけど、長官からお誘いがあるなんて思いませんよ!」
「そうか。君はどうしたい?私は構わないが」
全身から滲む驚きをさらりとかわされ、ミズキは脱力した。意外と攻め込んでくるタイプなのだろうか。正直予想外だ。
「えーっと……もしかして長官、襲おうとしてます?」
冗談が通じなさそうな彼の反応が見てみたい。にやりと笑いながら言ってみた。越水は数秒黙ったが、ミズキの耳元で囁く。
「君が希望するなら襲うのも吝かではない」
「!?え、えぇ……!?」
越水はいつもと変わらない真顔。確かに冗談が通じなかった。彼の言葉も冗談には聞こえない。
「……長官の家、連れてってください」
「天宮君……いや、ミズキ」
越水はミズキの耳元で低く魅惑的な声を聞かせる。ミズキ。初めて名を呼ばれ、背中に甘い波紋が広がった。
「二人きりのときだけでいい、名前で呼んでくれ」
「ちょうか……ハヤオ……さん……」
顔が発熱するが、何とか名前を口にした。越水の唇が耳と頬に触れ、ミズキは強張った。今夜は思いもしなかったことが多すぎる。甘く翻弄されつつ、ミズキは越水に抱きついた。拒否されない、それどころか強く抱きしめられる。いつぞやは間違いが起こらないかと期待した。今夜は正しいことが正しく起こるだろう。頭も胸も痺れる。とても、楽しみだ。
記憶を取り戻したミズキが目を閉じ内なる声に耳を傾けたとき、真っ先に脳裏に浮かんだのは越水ハヤオだった。記憶を失う前に抱いていた恋慕は一度破れたものの、彼は愛を囁いてくれた。負傷し何も思い出せないミズキに寄り添い、回復するまで急かすことなく待ってくれたこと、恩義以外も感じざるを得ない。彼の唇から零れ落ちた愛の旋律が、一度は色を失ったミズキの思いに再度鮮やかな色を蘇らせる。この思い、一刻も早く彼に伝えなくては。
「おはようございます、長官」
翌日、真っ先に彼の執務室に向かった。越水は机から立ち上がり、普段より早足でこちらに歩み寄ってきた。
「天宮君、記憶が戻ったのか」
「そうです。よくわかりましたね」
「呼び方が変われば誰でも気付くものだ」
ミズキの些細な変化も見逃さないその眼差し、胸が高鳴るのを感じた。この甘い鼓動、懐かしい感覚だ。
「はい……あの、長官」
「どうした?」
静寂の執務室で、越水に見下ろされている。いざ本人を前にすると言葉が喉の奥に引っ込みそうになるが、ミズキは顔を上げた。
「私、私は……長官、あなたのことが好きです」
「……!」
冷静沈着な越水が目を見張った。それこそ微かな変化だが、ミズキにはすぐわかる。覚悟を持って発した言葉に返ってくる沈黙、ミズキは息を呑んだ。数秒間見つめ合っていた二人は、越水がミズキを抱きしめることでぴったりと密着した。突然彼の胸板に辿り着き、ミズキは目を白黒させた。越水の手が後頭部を撫でる。髪と戯れ動揺を押し流す、柔らかな手つきだった。
「ありがとう」
「……え?」
予想外の言葉に越水を見上げた。彼の真一文字に結んだ唇が、ほんの少し上向きの弧を描いている。ミズキを見つめる眼差しは柔らかく、混乱さえも包み込んでくれる器を感じた。
「私は愚かにも一度君を突き放し、傷付けた人間だ。それでも君は、私を好きだと言ってくれるのだな」
「はい。長官は、仕事もできない私を見捨てないでいてくれましたから。私を愛おしいと思ってくださっているのですよね?」
「無論、そうだ」
越水の唇がミズキの額に触れた。潤いの少ない唇、越水らしい温度と感触に照れ臭くなった。ミズキが越水の背中に両腕を回して甘えると、背中や頭を優しく撫でてくれる。
「私が君を幸せにする。今度こそ」
越水の低い声は心地よく、全身にじんわりと沁み渡る心地がした。
天宮ミズキは、再び越水ハヤオの秘書として勤務を再開した。復帰直後からフルタイムの勤務は厳しいと判断し、半日勤務を続けて体を慣らしてもらっている。今日もミズキは午前中で勤務を終え、帰っていった。本来なら送っていきたいところだが、今日は執務室に来客の予定がある。
「……越水さん、こんにちは」
越水一人の執務室に無機質なブザーが響く。スピーカーから廊下に佇む百合川ヒイラギの声が聞こえた。時間どおりだ。入りたまえ、と越水の一言とともに扉が開き、ヒイラギが入ってきた。苛立ちが滲む歩みでこちらに近付き、不快を隠さない目で越水を睨んでいた。
「越水さん、話があるって聞いてますが……ミズキさんのことですよね?」
開口一番、核心をつく言葉が耳に届いた。察しが良い。話が早いのは助かる。
「ああ、そうだ」
「ミズキさんから聞いてます、恋人同士になったそうですね。……おめでとうございます」
ヒイラギの声は低く平坦で、形だけでも祝福されるとは思わなかった。越水は単純に驚嘆した。
「天宮君が君に伝えたのか」
「はい。僕もミズキさんに告白してましたから、その返事も兼ねてだと思いますけど。……悔しいです」
ヒイラギは一歩越水に詰め寄り、翡翠の瞳に威嚇を込めて睨み付けてきた。華奢な体躯ながら、並の人間であれば怯む眼光をたたえている。越水は静かにその視線を受け止め、見つめ返した。彼の燃える瞳に平然たる態度の越水が映り込んでいる。
「ミズキさん嬉しそうでしたし、ミズキさんが選んだことですから、僕は何も言いません。でも、僕はこれからもベテルにいるんです。じっくり見守らせてもらいますからね」
「見守る?」
「当たり前じゃないですか、あなたは以前ミズキさんを傷付けたんですよ。今度そんなことしたら、ただじゃおきません」
睨んだヒイラギの瞳が、一瞬黄金に輝いた気がした。彼の声は重くのしかかる威圧感を放ち、もし万が一があればナホビノの力を振るうことも辞さない決意が滲んでいる。
「君の思いはわかった」
噛み付いてくるヒイラギを、不思議とそのまま受け入れることができた。彼の言葉は事実であるし、今もミズキを慕う彼には越水を注視するだけの理由がある。越水の灰色の眼差しに鋭い光が宿った。
「彼女を幸せにする、それが私の使命だ。君に言われるまでもない」
「…………そうですよ」
ヒイラギは吐き捨て、ふう、と大きなため息をついた。じっとりと湿った目で越水を睨む。
「最悪、悪魔や魔界は僕が何とかします。だから……今度こそミズキさんを幸せにしてください」
「無論、そうする」
越水も息をつき、手を差し出した。ヒイラギは訝しげに差し出された手と越水を交互に見つめている。
「君の協力に感謝する。君がいたからこそ、私は己の思いに気付いたのだ」
「何か腹が立ちますが……ミズキさんが幸せなら、僕は何でもいいです」
ヒイラギはそう言いながらも越水を真っ直ぐ見据え、固く握手を交わした。天宮ミズキを巡る神と人との争いに、幕が下りた瞬間だった。越水はヒイラギの手を握りながら、東京を守るこれまでの使命とはまた違う重みを感じていた。守らねばならない。天宮ミズキというたった一人の人間を。
半日勤務をしばし続けていたミズキだったが、ようやく体が以前の感覚を取り戻してきた。今日は初めてフルタイムでの勤務を終えた日だった。
「天宮君、今夜食事に行かないか。久しぶりの一日勤務だ、疲労が溜まるだろう」
事前に越水から打診されミズキが断るはずもなく、勤務終了を待ち侘びていた。労働時間が倍になり肉体的な疲労はあったが、鼻歌でも歌いそうな気分だった。ようやく勤務が終わったときには、天に拳を振り上げたくなった。越水の手前、さすがにそんなことはしないが。
「ご苦労、天宮君。以前行った料亭だがよいか?」
「構いません!むしろ久しぶりなので嬉しいです!」
静謐な執務室にミズキの声だけ大きく響き、急に恥ずかしくなった。越水はふ、と笑いにも似た吐息を漏らし、ミズキの頭を撫でた。口元が綻んだ越水の表情に心臓が早鐘を打つ。ちょっとくらい寿命が縮んでしまうかも、なんて阿呆なことを考えた。先が思いやられる。
越水と訪れた料亭は、変わらず落ち着いた雰囲気だった。二人だけの座敷でゆったり食事を楽しむのも久方振りだ。仕事を離れて越水と談笑しながら食べる食事は至上の美味。記憶喪失に陥る前、何度も彼と食事をしたが、そのときとは大きな差異がある。この料亭は何も変わらないのに不思議だな、と思いながらミズキは越水の優美な食事風景を眺めていた。
「そういえば、長官。煙草、もう吸わないんですか?」
ふと思いついた疑問を口にした。一度だけ、越水から煙草の香りが漂ってきたことがある。後にも先にもそのとき限りだったが、ミズキに配慮して我慢しているなんてことはないだろうか。
「煙草……か。もう吸う必要はないだろう」
「?そうなんですか?」
「そうだ。君がいるからな」
「……?」
慈しむような眼差しでミズキをふわりと包みながら越水は答えた。ミズキにはよく意味が理解できなかったが、とりあえず彼にはその気はないようだ。一度くらい喫煙する越水を見てみたかった気もするが、数秒後には消え去る程度の興味だった。
「ん……」
食事も終わり、満足の息をついた頃。少しばかり調子に乗って飲んだ酒が、ミズキの全身に回っていた。体も脳も浮遊する感覚を楽しんでいると、越水の訝しげな視線が刺さった。
「天宮君」
越水が立ち上がった。お手洗いかな?とぼんやり目で追うと、彼はミズキの隣に腰を下ろした。それも近い。互いの肩が体温を分け合う距離だ。なんて思っていたら、肩を抱かれ越水にしなだれかかる体勢になった。彼の少し低めの体温を感じながら見上げると、彼は少し呆れたような顔をしていた。
「些か飲み過ぎたのではないか。ふらついているが」
「そうかもしれませんね……楽しくて、つい……」
と言いつつこっそり越水に寄りかかり、体を預けてみる。越水の表情に変化はないが、肩を抱く手にやや強い力が入った。
「天宮君、私の家に来るか」
「……えぇっ?長官の、家!?」
酒の染みた頭では一瞬言葉の意味が理解できず、ワンテンポ遅れて素っ頓狂な声を上げた。以前はミズキの方から半ば強引に押しかけたのに、ずいぶんな変わりようだ。
「何故驚く。一度来たことがあるだろう」
「そうですけど、長官からお誘いがあるなんて思いませんよ!」
「そうか。君はどうしたい?私は構わないが」
全身から滲む驚きをさらりとかわされ、ミズキは脱力した。意外と攻め込んでくるタイプなのだろうか。正直予想外だ。
「えーっと……もしかして長官、襲おうとしてます?」
冗談が通じなさそうな彼の反応が見てみたい。にやりと笑いながら言ってみた。越水は数秒黙ったが、ミズキの耳元で囁く。
「君が希望するなら襲うのも吝かではない」
「!?え、えぇ……!?」
越水はいつもと変わらない真顔。確かに冗談が通じなかった。彼の言葉も冗談には聞こえない。
「……長官の家、連れてってください」
「天宮君……いや、ミズキ」
越水はミズキの耳元で低く魅惑的な声を聞かせる。ミズキ。初めて名を呼ばれ、背中に甘い波紋が広がった。
「二人きりのときだけでいい、名前で呼んでくれ」
「ちょうか……ハヤオ……さん……」
顔が発熱するが、何とか名前を口にした。越水の唇が耳と頬に触れ、ミズキは強張った。今夜は思いもしなかったことが多すぎる。甘く翻弄されつつ、ミズキは越水に抱きついた。拒否されない、それどころか強く抱きしめられる。いつぞやは間違いが起こらないかと期待した。今夜は正しいことが正しく起こるだろう。頭も胸も痺れる。とても、楽しみだ。