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はらぺこさんと薬師のまほう(2/2)
ヒイラギがミコトと過ごし始めて二週間が過ぎた。ヒイラギは冒険者、もとより迷宮探索には慣れており、ミコトから頼まれる薬の製造工程の作業にも慣れてきた。すり潰したり殻を割ったりとひたすらに力作業を任されるが、彼女の作ってくれる食事は美味しいし寝床も確保されている。やっぱり屋根の下で寝るというのは大事だなあ、と当たり前の幸福をヒイラギは噛み締めていた。迷宮に二人で足を運び、そのたびに素材を手に入れ売っているおかげで、そこそこの額を手にしている。……正直、ミコトの家を出てもいいくらいの額は貯まっているのだが、言い出せなかった。彼女の方からもそろそろ、という話もないから甘えている。
「じゃあ行きましょう、ヒイラギさん」
「うん」
きらめく朝陽に歓迎され、二人は今日も迷宮に足を踏み入れる。順調に探索は進み、二人が手に入れた素材や材料は結構な量になってきた。
「まだお昼なのにたくさん材料が手に入りました。ネクタルとテリアカβがたくさん作れちゃいますね」
「僕も見たことない素材とか色々……ん?」
和やかに話しながら歩くヒイラギの耳に、微かな異音が届いた。魔物の足音かと思ったが、この階層の魔物にしては音が大きい。
「ヒイラギさん?」
立ち止まり耳を澄ませるヒイラギを、不思議そうにミコトは見つめている。その間にも聞き慣れない足音は大きくなる……いや、こちらに近付いてきている。
ヒイラギは素早くミコトの手を引き抱きしめると、道から逸れた木の陰に隠れた。声を上げそうなミコトの口を右手で塞ぎ、
「しっ、静かに。……FOEだ」
自らの唇に立てた人差し指を当てる。ずしん、と異質な足音が響いた。ミコトが目を見開いて震えている。彼女の視界にはきっと、巨体を揺らして歩くFOEの姿が見えていることだろう。背を向けているヒイラギにFOEの姿は見えないが、巨大な蜥蜴に似た影が地面に伸び、足音を轟かせ歩いている。歩くたびに周囲の地面が揺れ、威圧感を放つ。直接目の当たりにせずともわかる、背中がひりひりと焼ける凶悪な気配。死力を尽くせばおそらく勝てる相手だが、ミコトがいる状況でやることではない、死の影が通り過ぎるのを息を殺して待つ。
木陰で縮こまって黙していたおかげでFOEはヒイラギたちに気付くことなく通り過ぎ、やがて足音が聞こえなくなった。ヒイラギはミコトの口を塞ぐのをやめ、彼女に目を落とした。
「あ、あの、あれ、行きました……?」
「うん。向こうに行った。もう大丈夫」
「よ、よかった……」
ミコトは青ざめて細かく震えており、ヒイラギに縋りついて離れようとしない。冒険者であるヒイラギには嗅ぎ慣れた危険だったが、ミコトには刺激が強かったようだ。
「ミコトさん、いったん帰ろう。アリアドネの糸、使うよ」
こくこくと涙目で頷くミコトを横目に、ミコトの家を思い浮かべながら不思議な糸を解く。するとふわりと体と意識が軽くなり、数秒後にはミコトの家に帰ってくる。
「ミコトさん、家だよ。もう大丈夫」
「は、はい……」
ミコトの声はか細く、とても大丈夫そうには聞こえない。まだ体の震えも収まらず、何かできる状態ではないだろう。ミコトがヒイラギを見上げた。弱々しい子猫のような目、庇護欲をそそる。
「あの、ヒイラギさん……わがまま聞いてくれますか?」
「なに?」
「帰ってきたら、急に眠たくなって……でも、一人で寝るのも怖くて……一緒に寝てくれますか?」
ヒイラギの胸に縋りながら恥じらいを漂わせるミコトの頭を撫でた。きっと言うのに勇気が必要だったと思うが、ちゃんと伝えてくれたことが嬉しかった。
「いいよ。添い寝してあげる」
「ありがとうございます……」
ミコトに手を引かれ、二階の寝室へ。簡素な鏡台とクローゼット、一人用のベッド。普段ヒイラギは一階のソファーで寝ているから久しぶりに立ち入った。この部屋で目を覚ましたのをつい昨日のことのように思い出した。ミコトをベッドに寝かせ、その隣に寝転ぶ。ベッドの上でミコトと向かい合うと、体を丸めたミコトがヒイラギに抱きついてきた。甘えてくる子猫のようで、その背中を撫ででやると震えが徐々に治っていく。
「あれがFOEなんですね。噂には聞いてましたけど、実際に見たのは初めてです」
「そっか。初めて見たら驚くし怖いよね。もう大丈夫だから、安心して」
「はい……ヒイラギさんと一緒じゃなかったら、私……」
ミコトの声に涙が混じり、ヒイラギを見上げてくる。ヒイラギは彼女の怯える背中を抱きしめ、目尻に浮かんだ涙を指先で拭った。
「今日はゆっくり寝て忘れよう?僕がついてる」
「はい……」
胸に顔を埋めたミコトが寝息を立てるまで、大した時間はかからなかった。ヒイラギに体を預けて穏やかな寝顔を見せている。彼女は薬師、自分は冒険者。戦いに対する経験の差をまざまざと思い知った。これからもっと気を遣うべきだなあと思いながら、これから?と思い至った。まるでこれからもずっとミコトと行動することが前提のような考えだ。
――僕もいったん寝よう。
FOEに遭遇したこと自体は大したことではなく特に眠くはないが、ヒイラギを信頼して眠る彼女のそばを離れたくない。誰かに頼られること、それはヒイラギ単独の冒険者生活では見つけられなかったことだ。感じたことのない安寧に身を委ねたかった。
「ん……」
いつの間にか眠っていたヒイラギが目を覚ますと、
「あ、おはようございます」
眼前に微笑むミコトの顔があり、反射的に体がすくんだ。誰かと一緒に寝るなんて経験は初めてで警戒したが、彼女の見慣れた笑顔に安堵し力を抜いた。
「おはよう」
「ありがとうございます、ヒイラギさん。私が寝るまで一緒にいてくれて」
「お礼を言われるようなことじゃないよ。落ち着いた?」
「はい、だいぶ。……もう夕方ですね」
言われて窓の方に目を向けると、外はもの悲しい橙色に染まっていた。少しの寂寥感とともに、ヒイラギの腹が鳴った。……つくづく空気を読めない。
「お腹空きましたね」
「うん。ミコトさん、今日は僕がご飯作るよ」
「え?何でですか?」
「何となく。ここに住ませてもらってるから、お礼も兼ねて。……シチューくらいしか作れないけど」
「じゃあ、お言葉に甘えちゃいますね」
眠る前の彼女の怯えぶりを見ただけに、今日は彼女の負担を減らしたかった。彼女のように手際よく美味しいものを作る腕はないが、と不安になりつつもヒイラギはキッチンに立った。そばのテーブルでは、頬杖をついたミコトが足をぶらぶらさせ期待の眼差しを向けてくる。……ご期待に沿える気がしないが、頑張ってみよう。
冒険者のヒイラギが家事をする機会はほとんどない。宿屋に泊まれば洗濯や掃除をする必要はないし、羽ばたく蝶亭に行けば腹も満たせる。中にはテントと食料を持ち込み迷宮で野宿を続ける猛者もいるようだが、ヒイラギはごく一般的な冒険者だった。料理なんて久しぶりだ。右手から出る剣ではじゃがいもの皮を剥けない。正確にはできるだろうが何とも締まらない。小さな包丁を持って地道に材料を切り、鍋で煮込んでいく。不安だった。……不味いシチューができたらどうしよう。
「いい匂いですね」
煮込み始めてそれなりに時間が経つと匂いで味が判断できそうになってくる。料理を待つミコトがそう言ってくれて心からほっとした。……これで不味かったらもう土下座だな、なんて思いながら二人分のシチューとパンをテーブルに置く。ミコトは目をキラキラさせていた。好物を前にした子供みたいだ。
「ありがとうございます!いただきまーす」
「いただきます」
二人してゆっくり食べ始める。ミコトが始終にこにこと嬉しそうで、ヒイラギは不思議だった。シチューは可もなく不可もなくといったところ。特別美味しいわけではないが、不味いと言いきるようなものでもない。
「ヒイラギさん、ご飯ありがとうございます。誰かに作ってもらうって贅沢ですよね」
「そう?絶対ミコトさんのご飯の方が美味しいけどな……」
「そんなことないですよ!たまに作ってくれませんか?すごく嬉しいです」
「うん」
ごく自然に頷き、ん?と疑問が頭をもたげた。たまに?ヒイラギがミコトの家にいるのが当然とでも言いたげな言葉。でも、お金はもう十分貯まっている。そろそろこの家を出る時期ではないか、と思うとヒイラギの心に薄雲が垂れ込めていくのを感じた。
「ミコトさん」
ヒイラギがミコトと暮らすようになり一ヶ月。朝食を食べ終えたヒイラギは、テーブルの向かい側に座るミコトに声をかけた。
「はい、なんですか?」
「僕、今日で出ていくよ」
何故だか言い出せずに今までこの家にいたが、さすがにもう頃合いだろう。これ以上ミコトに迷惑をかけるわけにはいかない。
「あ……え、と、お金、貯まったんですか?」
「うん、十分」
エンが入った袋を見せてやる。ずっしりとした重み、これまでの迷宮探索の成果が詰まっている。これだけあれば、もう路頭に迷うことはないだろう。
「今までありがとう、ミコトさん。ご飯と寝床分、ちゃんとお仕事を手伝えたか不安だけど……君に助けてもらってなかったら、今頃死んでたかもしれない。君は命の恩人だよ」
「あ、はい……」
ヒイラギは立ち上がり、玄関に向かった。別れの挨拶は手早く済まさなければ、後ろ髪を引かれてしまう。ミコトに背を向け歩いていくと、
「ヒイラギさん!」
ミコトの声が聞こえたと思った瞬間、後ろから強く抱きしめられた。驚き背後に視線を向けると、ミコトが両腕でヒイラギを拘束し顔を背中に密着させている。
「行かないでください」
「……え?」
「行かないでください!」
彼女の顔はよく見えないが、涙混じりの声は必死だった。ヒイラギを抱きしめる両腕の力が強く、離すまいという意思を感じる。
「ヒイラギさんのこと……好きになっちゃったんです!」
「……ミコトさん」
顔が見たい。ミコトが全力で抱きついたところで薬師の力など、冒険者の前には赤子同然。腕を優しく振り払い、彼女と向かい合った。ミコトは俯いているが少しだけ見える顔や耳は赤く、ぽたぽたと透明なきらめきが落ちていくのが見えた。震える華奢な体に両腕を回して抱きしめると、驚いたミコトが見上げてくる。やっぱり顔全体が赤く、姫リンゴのようで可愛らしい。
「嬉しいな。僕、ここにいていいの?」
「ヒイラギさんが、よければ」
「僕もね、ここを出たくなかった。君のそばにいたい。好きだよ、ミコトさん」
「あ……」
破顔するミコトの頭を撫でてみる。拒否されないから、彼女の髪の感触を掌全体で味わった。
「ヒイラギさんのベッドとか……買いに行きましょうか」
「そうだね。ふふ、ありがとう」
これからは取引ではない契約を結んで二人で暮らす。冒険者らしくないと言われればそうだが、そんな生き方もあるらしい。ヒイラギは愛おしさを噛み締めながらミコトをぎゅっと抱きしめた。
ヒイラギがミコトと過ごし始めて二週間が過ぎた。ヒイラギは冒険者、もとより迷宮探索には慣れており、ミコトから頼まれる薬の製造工程の作業にも慣れてきた。すり潰したり殻を割ったりとひたすらに力作業を任されるが、彼女の作ってくれる食事は美味しいし寝床も確保されている。やっぱり屋根の下で寝るというのは大事だなあ、と当たり前の幸福をヒイラギは噛み締めていた。迷宮に二人で足を運び、そのたびに素材を手に入れ売っているおかげで、そこそこの額を手にしている。……正直、ミコトの家を出てもいいくらいの額は貯まっているのだが、言い出せなかった。彼女の方からもそろそろ、という話もないから甘えている。
「じゃあ行きましょう、ヒイラギさん」
「うん」
きらめく朝陽に歓迎され、二人は今日も迷宮に足を踏み入れる。順調に探索は進み、二人が手に入れた素材や材料は結構な量になってきた。
「まだお昼なのにたくさん材料が手に入りました。ネクタルとテリアカβがたくさん作れちゃいますね」
「僕も見たことない素材とか色々……ん?」
和やかに話しながら歩くヒイラギの耳に、微かな異音が届いた。魔物の足音かと思ったが、この階層の魔物にしては音が大きい。
「ヒイラギさん?」
立ち止まり耳を澄ませるヒイラギを、不思議そうにミコトは見つめている。その間にも聞き慣れない足音は大きくなる……いや、こちらに近付いてきている。
ヒイラギは素早くミコトの手を引き抱きしめると、道から逸れた木の陰に隠れた。声を上げそうなミコトの口を右手で塞ぎ、
「しっ、静かに。……FOEだ」
自らの唇に立てた人差し指を当てる。ずしん、と異質な足音が響いた。ミコトが目を見開いて震えている。彼女の視界にはきっと、巨体を揺らして歩くFOEの姿が見えていることだろう。背を向けているヒイラギにFOEの姿は見えないが、巨大な蜥蜴に似た影が地面に伸び、足音を轟かせ歩いている。歩くたびに周囲の地面が揺れ、威圧感を放つ。直接目の当たりにせずともわかる、背中がひりひりと焼ける凶悪な気配。死力を尽くせばおそらく勝てる相手だが、ミコトがいる状況でやることではない、死の影が通り過ぎるのを息を殺して待つ。
木陰で縮こまって黙していたおかげでFOEはヒイラギたちに気付くことなく通り過ぎ、やがて足音が聞こえなくなった。ヒイラギはミコトの口を塞ぐのをやめ、彼女に目を落とした。
「あ、あの、あれ、行きました……?」
「うん。向こうに行った。もう大丈夫」
「よ、よかった……」
ミコトは青ざめて細かく震えており、ヒイラギに縋りついて離れようとしない。冒険者であるヒイラギには嗅ぎ慣れた危険だったが、ミコトには刺激が強かったようだ。
「ミコトさん、いったん帰ろう。アリアドネの糸、使うよ」
こくこくと涙目で頷くミコトを横目に、ミコトの家を思い浮かべながら不思議な糸を解く。するとふわりと体と意識が軽くなり、数秒後にはミコトの家に帰ってくる。
「ミコトさん、家だよ。もう大丈夫」
「は、はい……」
ミコトの声はか細く、とても大丈夫そうには聞こえない。まだ体の震えも収まらず、何かできる状態ではないだろう。ミコトがヒイラギを見上げた。弱々しい子猫のような目、庇護欲をそそる。
「あの、ヒイラギさん……わがまま聞いてくれますか?」
「なに?」
「帰ってきたら、急に眠たくなって……でも、一人で寝るのも怖くて……一緒に寝てくれますか?」
ヒイラギの胸に縋りながら恥じらいを漂わせるミコトの頭を撫でた。きっと言うのに勇気が必要だったと思うが、ちゃんと伝えてくれたことが嬉しかった。
「いいよ。添い寝してあげる」
「ありがとうございます……」
ミコトに手を引かれ、二階の寝室へ。簡素な鏡台とクローゼット、一人用のベッド。普段ヒイラギは一階のソファーで寝ているから久しぶりに立ち入った。この部屋で目を覚ましたのをつい昨日のことのように思い出した。ミコトをベッドに寝かせ、その隣に寝転ぶ。ベッドの上でミコトと向かい合うと、体を丸めたミコトがヒイラギに抱きついてきた。甘えてくる子猫のようで、その背中を撫ででやると震えが徐々に治っていく。
「あれがFOEなんですね。噂には聞いてましたけど、実際に見たのは初めてです」
「そっか。初めて見たら驚くし怖いよね。もう大丈夫だから、安心して」
「はい……ヒイラギさんと一緒じゃなかったら、私……」
ミコトの声に涙が混じり、ヒイラギを見上げてくる。ヒイラギは彼女の怯える背中を抱きしめ、目尻に浮かんだ涙を指先で拭った。
「今日はゆっくり寝て忘れよう?僕がついてる」
「はい……」
胸に顔を埋めたミコトが寝息を立てるまで、大した時間はかからなかった。ヒイラギに体を預けて穏やかな寝顔を見せている。彼女は薬師、自分は冒険者。戦いに対する経験の差をまざまざと思い知った。これからもっと気を遣うべきだなあと思いながら、これから?と思い至った。まるでこれからもずっとミコトと行動することが前提のような考えだ。
――僕もいったん寝よう。
FOEに遭遇したこと自体は大したことではなく特に眠くはないが、ヒイラギを信頼して眠る彼女のそばを離れたくない。誰かに頼られること、それはヒイラギ単独の冒険者生活では見つけられなかったことだ。感じたことのない安寧に身を委ねたかった。
「ん……」
いつの間にか眠っていたヒイラギが目を覚ますと、
「あ、おはようございます」
眼前に微笑むミコトの顔があり、反射的に体がすくんだ。誰かと一緒に寝るなんて経験は初めてで警戒したが、彼女の見慣れた笑顔に安堵し力を抜いた。
「おはよう」
「ありがとうございます、ヒイラギさん。私が寝るまで一緒にいてくれて」
「お礼を言われるようなことじゃないよ。落ち着いた?」
「はい、だいぶ。……もう夕方ですね」
言われて窓の方に目を向けると、外はもの悲しい橙色に染まっていた。少しの寂寥感とともに、ヒイラギの腹が鳴った。……つくづく空気を読めない。
「お腹空きましたね」
「うん。ミコトさん、今日は僕がご飯作るよ」
「え?何でですか?」
「何となく。ここに住ませてもらってるから、お礼も兼ねて。……シチューくらいしか作れないけど」
「じゃあ、お言葉に甘えちゃいますね」
眠る前の彼女の怯えぶりを見ただけに、今日は彼女の負担を減らしたかった。彼女のように手際よく美味しいものを作る腕はないが、と不安になりつつもヒイラギはキッチンに立った。そばのテーブルでは、頬杖をついたミコトが足をぶらぶらさせ期待の眼差しを向けてくる。……ご期待に沿える気がしないが、頑張ってみよう。
冒険者のヒイラギが家事をする機会はほとんどない。宿屋に泊まれば洗濯や掃除をする必要はないし、羽ばたく蝶亭に行けば腹も満たせる。中にはテントと食料を持ち込み迷宮で野宿を続ける猛者もいるようだが、ヒイラギはごく一般的な冒険者だった。料理なんて久しぶりだ。右手から出る剣ではじゃがいもの皮を剥けない。正確にはできるだろうが何とも締まらない。小さな包丁を持って地道に材料を切り、鍋で煮込んでいく。不安だった。……不味いシチューができたらどうしよう。
「いい匂いですね」
煮込み始めてそれなりに時間が経つと匂いで味が判断できそうになってくる。料理を待つミコトがそう言ってくれて心からほっとした。……これで不味かったらもう土下座だな、なんて思いながら二人分のシチューとパンをテーブルに置く。ミコトは目をキラキラさせていた。好物を前にした子供みたいだ。
「ありがとうございます!いただきまーす」
「いただきます」
二人してゆっくり食べ始める。ミコトが始終にこにこと嬉しそうで、ヒイラギは不思議だった。シチューは可もなく不可もなくといったところ。特別美味しいわけではないが、不味いと言いきるようなものでもない。
「ヒイラギさん、ご飯ありがとうございます。誰かに作ってもらうって贅沢ですよね」
「そう?絶対ミコトさんのご飯の方が美味しいけどな……」
「そんなことないですよ!たまに作ってくれませんか?すごく嬉しいです」
「うん」
ごく自然に頷き、ん?と疑問が頭をもたげた。たまに?ヒイラギがミコトの家にいるのが当然とでも言いたげな言葉。でも、お金はもう十分貯まっている。そろそろこの家を出る時期ではないか、と思うとヒイラギの心に薄雲が垂れ込めていくのを感じた。
「ミコトさん」
ヒイラギがミコトと暮らすようになり一ヶ月。朝食を食べ終えたヒイラギは、テーブルの向かい側に座るミコトに声をかけた。
「はい、なんですか?」
「僕、今日で出ていくよ」
何故だか言い出せずに今までこの家にいたが、さすがにもう頃合いだろう。これ以上ミコトに迷惑をかけるわけにはいかない。
「あ……え、と、お金、貯まったんですか?」
「うん、十分」
エンが入った袋を見せてやる。ずっしりとした重み、これまでの迷宮探索の成果が詰まっている。これだけあれば、もう路頭に迷うことはないだろう。
「今までありがとう、ミコトさん。ご飯と寝床分、ちゃんとお仕事を手伝えたか不安だけど……君に助けてもらってなかったら、今頃死んでたかもしれない。君は命の恩人だよ」
「あ、はい……」
ヒイラギは立ち上がり、玄関に向かった。別れの挨拶は手早く済まさなければ、後ろ髪を引かれてしまう。ミコトに背を向け歩いていくと、
「ヒイラギさん!」
ミコトの声が聞こえたと思った瞬間、後ろから強く抱きしめられた。驚き背後に視線を向けると、ミコトが両腕でヒイラギを拘束し顔を背中に密着させている。
「行かないでください」
「……え?」
「行かないでください!」
彼女の顔はよく見えないが、涙混じりの声は必死だった。ヒイラギを抱きしめる両腕の力が強く、離すまいという意思を感じる。
「ヒイラギさんのこと……好きになっちゃったんです!」
「……ミコトさん」
顔が見たい。ミコトが全力で抱きついたところで薬師の力など、冒険者の前には赤子同然。腕を優しく振り払い、彼女と向かい合った。ミコトは俯いているが少しだけ見える顔や耳は赤く、ぽたぽたと透明なきらめきが落ちていくのが見えた。震える華奢な体に両腕を回して抱きしめると、驚いたミコトが見上げてくる。やっぱり顔全体が赤く、姫リンゴのようで可愛らしい。
「嬉しいな。僕、ここにいていいの?」
「ヒイラギさんが、よければ」
「僕もね、ここを出たくなかった。君のそばにいたい。好きだよ、ミコトさん」
「あ……」
破顔するミコトの頭を撫でてみる。拒否されないから、彼女の髪の感触を掌全体で味わった。
「ヒイラギさんのベッドとか……買いに行きましょうか」
「そうだね。ふふ、ありがとう」
これからは取引ではない契約を結んで二人で暮らす。冒険者らしくないと言われればそうだが、そんな生き方もあるらしい。ヒイラギは愛おしさを噛み締めながらミコトをぎゅっと抱きしめた。