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魔界のナホビホくん
「ナホビホ?」
ミコトの前には可愛らしくもちもちとした、青いヒイラギに似た妖精――ナホビホがいた。ナホビホは元気よく片手を上げ、
「ビホ!」
と声を上げる。困惑したミコトがジャアクフロストに視線を送ると、ジャアクフロストは腕を組んだ。
「どーしてもナホビホがミコトを指名したいって聞かないホ!いったん話を聞いてやってくれホー!」
ジャアクフロストはそれだけ言い残し、スタコラサッサとクラブの奥に走っていった。あ、とミコトが手を伸ばしたときにはもういなくなっていた。後に残されたのは、青いサラサラの髪が綺麗なもちもちのナホビホである。
「あらミコトちゃん、珍しいお客様ね。ご指名なの?」
「う、うん、そうみたいだけど……」
やって来たサキュバスとナホビホを見下ろした。今は純然たる開店時間。ナホビホが客として来たのなら当然料金が必要だが、そのあたりをきちんと理解しているのか怪しい顔つきだった。ナホビホは懐からマッカを取り出した。
「ちゃんと店のシステムは知ってるホ!そこのオマエに話があるビホ!」
右手の天色の刃でびしりとミコトを指差すナホビホは、意外にも正規の客らしかった。ごくたまに現れるクラブを知らぬ無法者かと思っただけに、ミコトは深く頭を下げた。
「わかりました、じゃあこちらへどうぞ」
ソファーへ案内し、ナホビホを座らせた。ちょこんと礼儀正しく座る彼は、高級クラブにはとても似つかわしくない可愛らしさだった。その可愛らしさとは裏腹にミコトの分もドリンクを注文する紳士だった。飲み物自体は見た目相応のソフトドリンクだったが。
「初めまして、ミコトです。ご指名いただきましてありがとうございます」
「ビホ!長ったらしい挨拶はいいホ!オマエに頼みたいことがあるホ!」
「頼みたいこと?」
思わず首を傾げた。客に何かを頼まれるなど初めてだ、一体何事だろうか。
「この店にヒイラギくんが来るって聞いてるホ!それに、オマエがオキニイリって聞いてるビホ!」
「お、お気に入り……」
それなりの頻度でクラブを訪れ毎回ミコトをVIPルームで指名してくるのだから、お気に入りなのは間違いない。何故それをナホビホが知っているのだろうか、妙な噂が出回っているのかもしれない。ミコトは妙に気恥ずかしくなってしまった。
「知ってるホ?最近ヒイラギくん、見た目変わってるビホ!」
「ああ、そうですね。最近は白っぽい感じですよね」
ヒイラギの姿を思い浮かべた。白銀に輝く短髪に黒いマスク、黒と紫を基調とした衣服。以前の青いヒイラギとは趣が違う見た目だが、それはそれで神秘的で彼に似合っていた。
「やっとオイラもゴーイツ神になれたと思ったら、ヒイラギくんがイメチェンしてたホ!これはオイラもイメチェンしないといけないホ!」
「イメチェン……あれ、イメチェンって言うんですかね」
聞き慣れない言葉にミコトは苦笑した。いつも思うが、悪魔の習性や常識は謎だらけだ。
「オイラのオサイホーのウデがあればきっとイメチェンできるビホ!でも、今のヒイラギくんの服がよくわからないホ!」
「オサイホー……?その手で……?」
まるまるもちもちとしたナホビホの手では裁縫といった細かい作業は難しそうだが、というよりその右手の刃や青い髪はどうやって再現しているのだろうか。人間の域を出ない発想しか浮かばないミコトには、先ほどから疑問符が飛び交っている。
「だからオマエにオネガイホ!今のヒイラギくんのオヨーフク、絵に描いてオイラにチョーダイホ!」
「え、でもヒイラギさんとお知り合いなんですよね?じゃあ直接お願いしたらいいじゃないですか」
「お知り合いじゃないホ!オイラがコッソリ追っかけてるだけビホ!」
「……それってストーカーじゃ……」
何故か体を反らして自慢げにナホビホは言うが、ミコトはただ呆れるばかりだった。ストーカー、不穏にも程がある言葉だが、ナホビホがこっそり物陰からヒイラギを観察していると想像すると微笑ましかった。ミコトも感性が魔界仕様に染まってきたのかもしれない。
「ちゃんとスケッチブックも買ってきたホ!頼んだホ!」
妙にキラキラした声音で言われたら断りきれず、ミコトはスケッチブックを受け取ってしまった。
「ミコトさん、どうしたの。何だか重いため息ついてさ」
ジャアクフロストの経営するクラブ。ヒイラギはいつもどおりミコトを指名し、VIPルームにやって来た。ソファーに座るなりため息をついたミコトは、覇気を感じられない目でヒイラギを見つめて尋ねた。
「あ、すみません。……でも、わかります?」
「わかるよ。なんだかどよーんとした感じだよ」
「……そうですか……」
ミコトはしばらく逡巡した様子だったが、スケッチブックを取り出した。
「ヒイラギさん、ナホビホって悪魔、知ってます?」
「ん?知ってるよ」
ナホビホ。ナホビノのヒイラギに憧れ、青い髪やら服やらを用意して合一神の真似事をしている悪魔だ。背が低く丸々とした彼が小難しい言葉を使って奮闘しているのを、苦笑しながら眺めたものだ。
「ナホビホが昨日来て、今のヒイラギさんの服をスケッチしてくれって言ってきたんですよ。ほら、今のヒイラギさん、前の青いヒイラギさんとは違うじゃないですか」
「ああ……今の僕の洋服とかを作って再現したいってこと?」
「そういうことです」
ヒイラギはマスクの下でふふ、と笑った。そして同時に微かな苛立ちも覚えた。ミコトが他の悪魔と仕事とはいえ話しているなどと。ヒイラギ以外の悪魔とVIPルームで二人きりになってはいないだろうか。これは、来店頻度をもう少し高めた方がいいかもしれない。
「なので、今回のお時間が終わったら、ちょっとだけプライベートなお時間をいただけませんか」
「え?プライベートな時間?」
「はい。スケッチしたいんですけど、さすがに料金をいただいている接客中にするのはどうかと思いますし……店長からもやるならプライベートで、と言われましたから」
「あ……うん……いいよ」
「ありがとうございます!」
丁寧に頭を下げるミコトを見ながら、ヒイラギは複雑な心境だった。
VIPルームでの語らいが終わった後、ヒイラギはミコトを伴い近くの龍穴にやって来た。もしもデートなら心も弾むが、残念ながらスケッチの時間だ。ため息も出る。
「すみません、ヒイラギさん。お手間を取らせてしまって」
「いや、ミコトさんは悪くないよ。気にしないで」
ミコトは申し訳なさそうにしながらもスケッチブックを広げ、直立不動のヒイラギを見ながら鉛筆を走らせていた。シャッ、シャッ、と小気味よい音が規則的に響く。彼女はヒイラギをあらゆる角度から見つめ、その都度細かな修正を加えながら描き進めていく。モデルとなっているヒイラギはむず痒い思いだった。彼女の視線が注がれていることは嬉しいが、もう少し違う種類の視線がほしかった。
「ほんと、ヒイラギさんって綺麗ですよね……」
ミコトはヒイラギと向かい合い、無意識に漏らした。どうやら顔周りをスケッチしているらしく、妙に距離が近い。触れてくることはないが、彼女の吐息が頬や耳を覆うパーツに触れそうな距離だ。
「そう?惚れちゃう?」
「!そ、そういう意味じゃないですよ」
軽い口調の言葉に、ミコトはあっという間に顔を赤らめた。ただの軽口――半分くらい軽口ではないが――に的確に反応するあたりが可愛らしい。照れながらもスケッチという目的ゆえ、離れずにいてくれるのも地味ながら嬉しいところだ。このときばかりはマスクが邪魔だと本気で思った。マスクを外して一気に接近したいところだが、今は我慢だ。
「このマスクも色々模様が入ってますね……これ、どうやって作るんだろう」
まじまじとマスクを見ながら筆を動かす姿に、さすがのヒイラギも少しだけ恥ずかしくなった。なにしろキスも辞さない距離まで接近したミコトに観察されているのだ。デートでこんな距離になったら間違いなく抱きしめてその唇を奪っているだろうに。マスクに隠された唇を見つめられている気にもなり、邪な空想が止まらなくなる。
そうしてスケッチを続けること一時間ほど、ようやくヒイラギは解放された。ずっと彫像のように立ちっぱなしというのは案外疲れるなあ、とヒイラギは凝り固まった肩をほぐしながら思った。
「ねえミコトさん、せっかくだから見せてよ。どんな感じ?」
「え?あ、あまり見ないでくださいね?」
と言いつつも見せてくれたスケッチブックには、ヒイラギを四方向から見た絵が描かれていた。口元や耳のパーツは拡大して別で描かれている。絵のヒイラギはやたらと美麗で、僕ってこんなに綺麗だったかな、と当の本人は半信半疑だった。
「へー、すごく綺麗に描いてくれたね。ありがとう、見せてくれて」
「いえ、ヒイラギさんの良さの半分も再現できてませんよ。実物はもっと綺麗ですから」
さらりと零れた彼女の言葉は、きっと本音だろう。ヒイラギはふふ、と笑いミコトに接近した。俯いている彼女の顎をくいと持ち上げてやる。
「僕は君のものだよ。ほら、もっと見ていいよ?」
顎を持ち上げたまま視線を交錯させると、彼女は頬を紅潮させ気まずそうに目を逸らした。スケッチをしているときと距離感は変わらないのに、何故そんなに緊張しているのだろう。面白い子だ。
「も、もう!ヒイラギさんってば……私、仕事に戻らないといけないんです!」
「はいはい、そうだね」
デートとは言い難い時間だったが、彼女の新しい一面が見られた気がする。ヒイラギはマスクの下で唇を緩め微笑んだ。
ミコトがスケッチブックをナホビホに手渡すと、彼は大事そうに受け取り飛び跳ねながら、
「ありがとビホ〜〜〜!!ミコトはタイセツなオンジンヒホ〜〜!!」
と感極まって泣き出しそうなほど喜んでいた。早速オサイホー頑張るホ!とのことで、今は衣装再現に没頭しているだろう。そのもちもちした手でどうやって裁縫をしているのか見届けたい思いもあったが、やはり仕事優先。ミコトは通常どおりクラブで勤務していた。うまく衣装を作れたらいいなあ、とのんびりした心持ちだった。
「それにしても、ミコトちゃんは何だか変わった悪魔に好かれるわね」
ナホビホの件はサキュバスやアリスにも伝わり、サキュバスには妙にしみじみした声で言われた。
「そうかな?変わった……うん、変わってるかも」
姿形まで変えてしまう美しい合一神、その合一神に憧れる妖精、宝石に目がないヒトデのような悪魔。パッと思いつくだけでもなかなか「濃い」面子だ。自分はただの一般人なんだけどなあ、とミコトは脳内でぼやいた。
「そういえばあの白い彼、何か企んでる様子だったわ。今夜くらい、何か言ってくるんじゃないかしら」
サキュバスの怪しい言葉にミコトは身構えた。アリスがそっと寄って来たと思うと、
「おにいちゃん、ミコトおねえちゃんのこと大好きだからね。何かあったら、わたしたちにちゃんと教えてね」
サキュバスと顔を見合わせてにやりと笑った。もしかしてこの二人には面白がられている?そう思うと少しばかり不快感も湧くが、そこまで悪い気はしなかった。
今宵も開店時間がやって来る。三人でクラブのホールに立っていると、扉が開いた。
「こんばんは、ミコトさん」
今夜も来店一番はヒイラギだった。白い雪のような輝きの髪と金色の瞳が眩しい。二階に、と指で示され、ミコトは彼と二人で二階のVIPルームに向かった。
「こんばんは、ヒイラギさん。先日はありがとうございました」
ソファーに座り頭を下げると、ヒイラギは目を見開いた。
「ん?僕、何かしたかな?」
「スケッチに協力してくれたじゃないですか。ナホビホに渡したらすごく喜んでました」
「ほんと?じっとしてた甲斐があったかな」
白い彼は顔の下半分がマスクで覆われているが、それでも三日月のように細くなった瞳で、微笑んでいることがわかる。どこか神秘的な笑顔だった。
「ところで、ミコトさん」
ソファーに座った途端、ヒイラギはスケッチブックを取り出した。
「僕もミコトさんの絵を描かせてほしいんだ」
「え!?私の!?」
驚きのあまり素っ頓狂な声を上げた。ナホビホからの依頼には明確な意図があったが、ヒイラギの場合は意図が読めない。
「どうしてですか?何に使うんですか?」
「君に会えないとき用に、僕が持っていたいんだ」
「私に会えないとき用?」
「うん」
言いながら、ヒイラギは鉛筆をくるくると回してみせた。その仕草は優美で、あまりお行儀がいい行為ではないのに格好がついてしまう。
「絵だったらいつでも見れるでしょ」
「まあ、そうですけど……私の絵なんか持ってても……」
「本当は毎日会いたいけど色々あって無理だからね。いつでも君を見ておきたいんだ」
さらりと告げる言葉は自然で、作為のない本音だろうとミコトは確信した。そこまで言われるとさすがのミコトも面映くなる、顔が急激に発熱を始めた。
「ね。君の可愛い姿、描かせてよ」
美しいヒイラギに小首を傾げて迫られたら、ミコトに断る術などなかった。
「は、はい……わかりました」
承諾したが最後、ミコトは彼の好みに合わせてあれこれと注文をつけられる羽目になった。この髪飾りをつけてみて、とかソファーにはこう座ってて、とか思ったよりも細かく言われ、疑問を呈すると、
「だって一番可愛い君を残しておきたいよね」
と返され赤面することになる。結局ミコトは指定されたとおりにソファーに座り、ヒイラギの視線が刺さる中模写される、という珍事に陥った。おかしいな、ここってクラブだったよね?と思いつつも、ヒイラギが妙に楽しそうだから口を挟めなかった。
「ミコトさん、動かないで……」
しばらくは離れて鉛筆を動かしていたが、ヒイラギが突然身を乗り出した。ヒイラギの指がミコトの唇に触れた。視界いっぱいに彼がいて金色の瞳と目が合い、ミコトは息が止まりそうになった。
「ミコトさんの唇、ぷるぷるで綺麗だね。お化粧してる?」
「え、あ、まあ、一応……軽くですけど」
化粧はサキュバスに教えてもらった。あんまり濃い目にしない方が可愛いわ、とのアドバイスに基づき、薄いファンデーションと色付きリップ、軽くチークとアイシャドウを塗る程度で収まっている。唇に塗ったリップクリームがヒイラギの親指で伸ばされ、ミコトは心臓が弾け飛びそうなほど緊張した。
「ふふ、ちゃんと肌の色とかも再現しておかないとね」
と言って彼が取り出したのは何十色もある色鉛筆。どこでそんなものを調達したのだろうかと疑問に思っている間に、彼はさらさらとスケッチブックに色鉛筆を滑らせていく。ただ単に絵を描くだけならこんなに密着しなくても、と思いつつミコトは何とか動かずに座っていた。全身氷のように凝り固まり、変な顔をしていないかと不安になった。
「どうしたのミコトさん、すごく緊張してるみたい」
「わかっていそう」な顔のヒイラギがミコトを覗き込んでくる。とにかく近い、ミコトの顔がさらに熱くなり火照ってきた。
「近すぎますよ、緊張もします」
「そう?ハグもキスもしてないのに、変だね」
と言いながらヒイラギの指がミコトの唇に触れる。ある意味ではキスよりも動揺が走る。ミコトが思わず目を閉じた瞬間、唇に柔らかなものが触れた。指より柔くあたたかい何か。もしかして、と目を開くと、マスクをずらしたヒイラギの顔がすっと離れた。ヒイラギは何事もなかったかのようにマスクを元の位置に戻し、楽しそうに笑う。
「どう?キスとどっちが緊張する?」
「どっちも緊張します!」
「あはは、可愛い」
無邪気な笑顔を見せられると怒気がふわりと空間に溶けて消えていく。ミコトはもはや呆れるしかなく、言葉を失った。
「よし、できたよ」
しばらく鉛筆が滑る音を聞いてると、ヒイラギがスケッチブックを見せてきた。そこには、淡い色調で描かれたミコトがいた。唇の色や頬の赤らみまで忠実に再現しているが、現実のミコトより数倍可愛らしく見える。
「私、こんなに可愛いですかね……?」
「可愛いよ。僕の見たままを描いたんだから」
ヒイラギの言葉は歯が浮くものの飾らぬもので、ミコトは先ほどから赤面しっぱなしだった。ヒイラギは満足げな笑顔でスケッチブックを撫でた。
「ふふ、ありがとう、ミコトさん。これでいつでも君と一緒にいられるよ」
「お店の方も来てくださいね?」
「もちろん。実際に会う方が百倍可愛いからね」
唇を奪える距離で囁かれた言葉は甘く、ミコトの脳までも痺れさせた。
「ナホビホ?」
ミコトの前には可愛らしくもちもちとした、青いヒイラギに似た妖精――ナホビホがいた。ナホビホは元気よく片手を上げ、
「ビホ!」
と声を上げる。困惑したミコトがジャアクフロストに視線を送ると、ジャアクフロストは腕を組んだ。
「どーしてもナホビホがミコトを指名したいって聞かないホ!いったん話を聞いてやってくれホー!」
ジャアクフロストはそれだけ言い残し、スタコラサッサとクラブの奥に走っていった。あ、とミコトが手を伸ばしたときにはもういなくなっていた。後に残されたのは、青いサラサラの髪が綺麗なもちもちのナホビホである。
「あらミコトちゃん、珍しいお客様ね。ご指名なの?」
「う、うん、そうみたいだけど……」
やって来たサキュバスとナホビホを見下ろした。今は純然たる開店時間。ナホビホが客として来たのなら当然料金が必要だが、そのあたりをきちんと理解しているのか怪しい顔つきだった。ナホビホは懐からマッカを取り出した。
「ちゃんと店のシステムは知ってるホ!そこのオマエに話があるビホ!」
右手の天色の刃でびしりとミコトを指差すナホビホは、意外にも正規の客らしかった。ごくたまに現れるクラブを知らぬ無法者かと思っただけに、ミコトは深く頭を下げた。
「わかりました、じゃあこちらへどうぞ」
ソファーへ案内し、ナホビホを座らせた。ちょこんと礼儀正しく座る彼は、高級クラブにはとても似つかわしくない可愛らしさだった。その可愛らしさとは裏腹にミコトの分もドリンクを注文する紳士だった。飲み物自体は見た目相応のソフトドリンクだったが。
「初めまして、ミコトです。ご指名いただきましてありがとうございます」
「ビホ!長ったらしい挨拶はいいホ!オマエに頼みたいことがあるホ!」
「頼みたいこと?」
思わず首を傾げた。客に何かを頼まれるなど初めてだ、一体何事だろうか。
「この店にヒイラギくんが来るって聞いてるホ!それに、オマエがオキニイリって聞いてるビホ!」
「お、お気に入り……」
それなりの頻度でクラブを訪れ毎回ミコトをVIPルームで指名してくるのだから、お気に入りなのは間違いない。何故それをナホビホが知っているのだろうか、妙な噂が出回っているのかもしれない。ミコトは妙に気恥ずかしくなってしまった。
「知ってるホ?最近ヒイラギくん、見た目変わってるビホ!」
「ああ、そうですね。最近は白っぽい感じですよね」
ヒイラギの姿を思い浮かべた。白銀に輝く短髪に黒いマスク、黒と紫を基調とした衣服。以前の青いヒイラギとは趣が違う見た目だが、それはそれで神秘的で彼に似合っていた。
「やっとオイラもゴーイツ神になれたと思ったら、ヒイラギくんがイメチェンしてたホ!これはオイラもイメチェンしないといけないホ!」
「イメチェン……あれ、イメチェンって言うんですかね」
聞き慣れない言葉にミコトは苦笑した。いつも思うが、悪魔の習性や常識は謎だらけだ。
「オイラのオサイホーのウデがあればきっとイメチェンできるビホ!でも、今のヒイラギくんの服がよくわからないホ!」
「オサイホー……?その手で……?」
まるまるもちもちとしたナホビホの手では裁縫といった細かい作業は難しそうだが、というよりその右手の刃や青い髪はどうやって再現しているのだろうか。人間の域を出ない発想しか浮かばないミコトには、先ほどから疑問符が飛び交っている。
「だからオマエにオネガイホ!今のヒイラギくんのオヨーフク、絵に描いてオイラにチョーダイホ!」
「え、でもヒイラギさんとお知り合いなんですよね?じゃあ直接お願いしたらいいじゃないですか」
「お知り合いじゃないホ!オイラがコッソリ追っかけてるだけビホ!」
「……それってストーカーじゃ……」
何故か体を反らして自慢げにナホビホは言うが、ミコトはただ呆れるばかりだった。ストーカー、不穏にも程がある言葉だが、ナホビホがこっそり物陰からヒイラギを観察していると想像すると微笑ましかった。ミコトも感性が魔界仕様に染まってきたのかもしれない。
「ちゃんとスケッチブックも買ってきたホ!頼んだホ!」
妙にキラキラした声音で言われたら断りきれず、ミコトはスケッチブックを受け取ってしまった。
「ミコトさん、どうしたの。何だか重いため息ついてさ」
ジャアクフロストの経営するクラブ。ヒイラギはいつもどおりミコトを指名し、VIPルームにやって来た。ソファーに座るなりため息をついたミコトは、覇気を感じられない目でヒイラギを見つめて尋ねた。
「あ、すみません。……でも、わかります?」
「わかるよ。なんだかどよーんとした感じだよ」
「……そうですか……」
ミコトはしばらく逡巡した様子だったが、スケッチブックを取り出した。
「ヒイラギさん、ナホビホって悪魔、知ってます?」
「ん?知ってるよ」
ナホビホ。ナホビノのヒイラギに憧れ、青い髪やら服やらを用意して合一神の真似事をしている悪魔だ。背が低く丸々とした彼が小難しい言葉を使って奮闘しているのを、苦笑しながら眺めたものだ。
「ナホビホが昨日来て、今のヒイラギさんの服をスケッチしてくれって言ってきたんですよ。ほら、今のヒイラギさん、前の青いヒイラギさんとは違うじゃないですか」
「ああ……今の僕の洋服とかを作って再現したいってこと?」
「そういうことです」
ヒイラギはマスクの下でふふ、と笑った。そして同時に微かな苛立ちも覚えた。ミコトが他の悪魔と仕事とはいえ話しているなどと。ヒイラギ以外の悪魔とVIPルームで二人きりになってはいないだろうか。これは、来店頻度をもう少し高めた方がいいかもしれない。
「なので、今回のお時間が終わったら、ちょっとだけプライベートなお時間をいただけませんか」
「え?プライベートな時間?」
「はい。スケッチしたいんですけど、さすがに料金をいただいている接客中にするのはどうかと思いますし……店長からもやるならプライベートで、と言われましたから」
「あ……うん……いいよ」
「ありがとうございます!」
丁寧に頭を下げるミコトを見ながら、ヒイラギは複雑な心境だった。
VIPルームでの語らいが終わった後、ヒイラギはミコトを伴い近くの龍穴にやって来た。もしもデートなら心も弾むが、残念ながらスケッチの時間だ。ため息も出る。
「すみません、ヒイラギさん。お手間を取らせてしまって」
「いや、ミコトさんは悪くないよ。気にしないで」
ミコトは申し訳なさそうにしながらもスケッチブックを広げ、直立不動のヒイラギを見ながら鉛筆を走らせていた。シャッ、シャッ、と小気味よい音が規則的に響く。彼女はヒイラギをあらゆる角度から見つめ、その都度細かな修正を加えながら描き進めていく。モデルとなっているヒイラギはむず痒い思いだった。彼女の視線が注がれていることは嬉しいが、もう少し違う種類の視線がほしかった。
「ほんと、ヒイラギさんって綺麗ですよね……」
ミコトはヒイラギと向かい合い、無意識に漏らした。どうやら顔周りをスケッチしているらしく、妙に距離が近い。触れてくることはないが、彼女の吐息が頬や耳を覆うパーツに触れそうな距離だ。
「そう?惚れちゃう?」
「!そ、そういう意味じゃないですよ」
軽い口調の言葉に、ミコトはあっという間に顔を赤らめた。ただの軽口――半分くらい軽口ではないが――に的確に反応するあたりが可愛らしい。照れながらもスケッチという目的ゆえ、離れずにいてくれるのも地味ながら嬉しいところだ。このときばかりはマスクが邪魔だと本気で思った。マスクを外して一気に接近したいところだが、今は我慢だ。
「このマスクも色々模様が入ってますね……これ、どうやって作るんだろう」
まじまじとマスクを見ながら筆を動かす姿に、さすがのヒイラギも少しだけ恥ずかしくなった。なにしろキスも辞さない距離まで接近したミコトに観察されているのだ。デートでこんな距離になったら間違いなく抱きしめてその唇を奪っているだろうに。マスクに隠された唇を見つめられている気にもなり、邪な空想が止まらなくなる。
そうしてスケッチを続けること一時間ほど、ようやくヒイラギは解放された。ずっと彫像のように立ちっぱなしというのは案外疲れるなあ、とヒイラギは凝り固まった肩をほぐしながら思った。
「ねえミコトさん、せっかくだから見せてよ。どんな感じ?」
「え?あ、あまり見ないでくださいね?」
と言いつつも見せてくれたスケッチブックには、ヒイラギを四方向から見た絵が描かれていた。口元や耳のパーツは拡大して別で描かれている。絵のヒイラギはやたらと美麗で、僕ってこんなに綺麗だったかな、と当の本人は半信半疑だった。
「へー、すごく綺麗に描いてくれたね。ありがとう、見せてくれて」
「いえ、ヒイラギさんの良さの半分も再現できてませんよ。実物はもっと綺麗ですから」
さらりと零れた彼女の言葉は、きっと本音だろう。ヒイラギはふふ、と笑いミコトに接近した。俯いている彼女の顎をくいと持ち上げてやる。
「僕は君のものだよ。ほら、もっと見ていいよ?」
顎を持ち上げたまま視線を交錯させると、彼女は頬を紅潮させ気まずそうに目を逸らした。スケッチをしているときと距離感は変わらないのに、何故そんなに緊張しているのだろう。面白い子だ。
「も、もう!ヒイラギさんってば……私、仕事に戻らないといけないんです!」
「はいはい、そうだね」
デートとは言い難い時間だったが、彼女の新しい一面が見られた気がする。ヒイラギはマスクの下で唇を緩め微笑んだ。
ミコトがスケッチブックをナホビホに手渡すと、彼は大事そうに受け取り飛び跳ねながら、
「ありがとビホ〜〜〜!!ミコトはタイセツなオンジンヒホ〜〜!!」
と感極まって泣き出しそうなほど喜んでいた。早速オサイホー頑張るホ!とのことで、今は衣装再現に没頭しているだろう。そのもちもちした手でどうやって裁縫をしているのか見届けたい思いもあったが、やはり仕事優先。ミコトは通常どおりクラブで勤務していた。うまく衣装を作れたらいいなあ、とのんびりした心持ちだった。
「それにしても、ミコトちゃんは何だか変わった悪魔に好かれるわね」
ナホビホの件はサキュバスやアリスにも伝わり、サキュバスには妙にしみじみした声で言われた。
「そうかな?変わった……うん、変わってるかも」
姿形まで変えてしまう美しい合一神、その合一神に憧れる妖精、宝石に目がないヒトデのような悪魔。パッと思いつくだけでもなかなか「濃い」面子だ。自分はただの一般人なんだけどなあ、とミコトは脳内でぼやいた。
「そういえばあの白い彼、何か企んでる様子だったわ。今夜くらい、何か言ってくるんじゃないかしら」
サキュバスの怪しい言葉にミコトは身構えた。アリスがそっと寄って来たと思うと、
「おにいちゃん、ミコトおねえちゃんのこと大好きだからね。何かあったら、わたしたちにちゃんと教えてね」
サキュバスと顔を見合わせてにやりと笑った。もしかしてこの二人には面白がられている?そう思うと少しばかり不快感も湧くが、そこまで悪い気はしなかった。
今宵も開店時間がやって来る。三人でクラブのホールに立っていると、扉が開いた。
「こんばんは、ミコトさん」
今夜も来店一番はヒイラギだった。白い雪のような輝きの髪と金色の瞳が眩しい。二階に、と指で示され、ミコトは彼と二人で二階のVIPルームに向かった。
「こんばんは、ヒイラギさん。先日はありがとうございました」
ソファーに座り頭を下げると、ヒイラギは目を見開いた。
「ん?僕、何かしたかな?」
「スケッチに協力してくれたじゃないですか。ナホビホに渡したらすごく喜んでました」
「ほんと?じっとしてた甲斐があったかな」
白い彼は顔の下半分がマスクで覆われているが、それでも三日月のように細くなった瞳で、微笑んでいることがわかる。どこか神秘的な笑顔だった。
「ところで、ミコトさん」
ソファーに座った途端、ヒイラギはスケッチブックを取り出した。
「僕もミコトさんの絵を描かせてほしいんだ」
「え!?私の!?」
驚きのあまり素っ頓狂な声を上げた。ナホビホからの依頼には明確な意図があったが、ヒイラギの場合は意図が読めない。
「どうしてですか?何に使うんですか?」
「君に会えないとき用に、僕が持っていたいんだ」
「私に会えないとき用?」
「うん」
言いながら、ヒイラギは鉛筆をくるくると回してみせた。その仕草は優美で、あまりお行儀がいい行為ではないのに格好がついてしまう。
「絵だったらいつでも見れるでしょ」
「まあ、そうですけど……私の絵なんか持ってても……」
「本当は毎日会いたいけど色々あって無理だからね。いつでも君を見ておきたいんだ」
さらりと告げる言葉は自然で、作為のない本音だろうとミコトは確信した。そこまで言われるとさすがのミコトも面映くなる、顔が急激に発熱を始めた。
「ね。君の可愛い姿、描かせてよ」
美しいヒイラギに小首を傾げて迫られたら、ミコトに断る術などなかった。
「は、はい……わかりました」
承諾したが最後、ミコトは彼の好みに合わせてあれこれと注文をつけられる羽目になった。この髪飾りをつけてみて、とかソファーにはこう座ってて、とか思ったよりも細かく言われ、疑問を呈すると、
「だって一番可愛い君を残しておきたいよね」
と返され赤面することになる。結局ミコトは指定されたとおりにソファーに座り、ヒイラギの視線が刺さる中模写される、という珍事に陥った。おかしいな、ここってクラブだったよね?と思いつつも、ヒイラギが妙に楽しそうだから口を挟めなかった。
「ミコトさん、動かないで……」
しばらくは離れて鉛筆を動かしていたが、ヒイラギが突然身を乗り出した。ヒイラギの指がミコトの唇に触れた。視界いっぱいに彼がいて金色の瞳と目が合い、ミコトは息が止まりそうになった。
「ミコトさんの唇、ぷるぷるで綺麗だね。お化粧してる?」
「え、あ、まあ、一応……軽くですけど」
化粧はサキュバスに教えてもらった。あんまり濃い目にしない方が可愛いわ、とのアドバイスに基づき、薄いファンデーションと色付きリップ、軽くチークとアイシャドウを塗る程度で収まっている。唇に塗ったリップクリームがヒイラギの親指で伸ばされ、ミコトは心臓が弾け飛びそうなほど緊張した。
「ふふ、ちゃんと肌の色とかも再現しておかないとね」
と言って彼が取り出したのは何十色もある色鉛筆。どこでそんなものを調達したのだろうかと疑問に思っている間に、彼はさらさらとスケッチブックに色鉛筆を滑らせていく。ただ単に絵を描くだけならこんなに密着しなくても、と思いつつミコトは何とか動かずに座っていた。全身氷のように凝り固まり、変な顔をしていないかと不安になった。
「どうしたのミコトさん、すごく緊張してるみたい」
「わかっていそう」な顔のヒイラギがミコトを覗き込んでくる。とにかく近い、ミコトの顔がさらに熱くなり火照ってきた。
「近すぎますよ、緊張もします」
「そう?ハグもキスもしてないのに、変だね」
と言いながらヒイラギの指がミコトの唇に触れる。ある意味ではキスよりも動揺が走る。ミコトが思わず目を閉じた瞬間、唇に柔らかなものが触れた。指より柔くあたたかい何か。もしかして、と目を開くと、マスクをずらしたヒイラギの顔がすっと離れた。ヒイラギは何事もなかったかのようにマスクを元の位置に戻し、楽しそうに笑う。
「どう?キスとどっちが緊張する?」
「どっちも緊張します!」
「あはは、可愛い」
無邪気な笑顔を見せられると怒気がふわりと空間に溶けて消えていく。ミコトはもはや呆れるしかなく、言葉を失った。
「よし、できたよ」
しばらく鉛筆が滑る音を聞いてると、ヒイラギがスケッチブックを見せてきた。そこには、淡い色調で描かれたミコトがいた。唇の色や頬の赤らみまで忠実に再現しているが、現実のミコトより数倍可愛らしく見える。
「私、こんなに可愛いですかね……?」
「可愛いよ。僕の見たままを描いたんだから」
ヒイラギの言葉は歯が浮くものの飾らぬもので、ミコトは先ほどから赤面しっぱなしだった。ヒイラギは満足げな笑顔でスケッチブックを撫でた。
「ふふ、ありがとう、ミコトさん。これでいつでも君と一緒にいられるよ」
「お店の方も来てくださいね?」
「もちろん。実際に会う方が百倍可愛いからね」
唇を奪える距離で囁かれた言葉は甘く、ミコトの脳までも痺れさせた。
