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†渚の小悪魔サプライズシーサイド†
「ねえユヅル、海って何するところなの」
「泳ぐところじゃないのか?」
夏休みの学生寮、僕の部屋。ユヅルに尋ねたところ、大真面目な即答が返ってきた。当たり前すぎる回答、そんなの言われなくてもわかってるよ。ユヅルはメガネをくいっと指で押し上げて、不審者を見る目で僕をじろりと睨んだ。
「君は何を聞いているんだ。体調でも悪いのか」
「そうじゃなくてさ……」
僕は大きなため息をついた。前提を話さなかった僕が悪かった。
「女の子と二人で海に行って、何をすればいいの」
「泳ぐんじゃないのか?」
「…………聞く相手を間違えたかもしれない」
頭を抱えた。盛大な期待外れだ。不服そうなユヅルを思わず睨んでしまった。
「百合川は僕を何だと思っているんだ」
「百戦錬磨のユヅルなら、海でデートしたことくらいあるんじゃないのって思ったんだけど」
「百戦錬磨?何を勘違いしているのか知らないが、僕は女子と二人で出かけたことがないぞ。複数ならあるが」
「はあ?それほんと?」
「事実だ」
はぁ……不本意ながら、またため息が出た。そうか……モテることと実際に女の子とデートしたことがあるかは、必ずしもイコールではないらしい。だとすればユヅルには悪いことをした。
「それより百合川、海に行くなら水着が必要だろう。持っているか?」
「水着?……ない」
いくらなんでも学園指定の水着じゃ駄目なのはわかる。うわ、買わないといけないのか。水着?僕が?男用の水着なんて大した種類はないだろうから、あれこれ考えなくてもいいだろうけど……このぶんじゃ水着についてもユヅルはあてにならなさそうだし、どうしたものか。僕はさっきから頭を抱えてばかりだ。
なんだかんだで迎えてしまった、海デート当日。抜けるような青空とエメラルドグリーンの海、絶好の海水浴日和だ。平日なのに、夏休みだからかどこを見ても人、人、人。元気な家族連れ、カップルやわいわい楽しそうな高校生とか大学生っぽいグループもいる。僕は憎たらしいくらい燦々と照りつける太陽を恨みながら、ビニールシートを広げパラソルを立てた。小さな日陰が出来上がる。早速パラソルの下に入り座り込んだ。動いたのはほんの少しだけど、もう疲れた。暑い……。
座った僕はため息をつきながら考え込んだ。月森さんに誘われたから海に来たけど、そもそも何で僕なんかを誘ったんだろう?自分で言うのもなんだけど、海とか行くタイプには見えないだろうに。それも僕と月森さん、二人きりで。人数合わせならギリギリ理解もできるけど……。彼女はクラスメイト、最近は席が隣になったからちょくちょく話すこともあるけど、でもそれくらいの関係。彼女の笑顔に押されて流れで海に来てしまったわけだけど、謎だ。本当に謎だ。
「百合川くん、場所取りありがとう」
頭上から可愛い声が降ってくる。顔を上げると、キラキラした笑顔の月森さんがいた。脇にはふたつ浮き輪を抱えている。彼女は黄色いビキニの水着を着ていた。フリルが可愛らしい、言われなければ普通の服に見える見た目だ。青い空、青い海、白い砂浜にとんでもなく似合う、可愛くて刺激的なデザインだった。制服だとせいぜい膝から下と腕くらいしか出てない、水着は露出が多すぎる。特に胸周りとお腹が眩しい。これ、どこを見たらいいんだろう。可愛いからちゃんと見たいけど、目のやり場に困る。しかも座ってる僕に屈んでくるから胸元が……!女の子の胸とか気になるに決まってる、今僕は絶対挙動不審な目の動きをしていると思う。
「あ、えと、ここでよかったかな?」
頭の中では色々考えているけど、言葉は端的に。変なことを口走りそうで怖い。
「うん、大丈夫!ありがとう。あんまり混んでないところを選んでくれたんだね、大変だったでしょ」
「いや、そんなことは……こちらこそ浮き輪、ありがとう」
「気にしないで!なくなる前でよかったよー、すごく混んでたから」
浮き輪を置いた月森さんが僕の隣に腰掛けた。日陰に入っても水着の黄色が眩しい。水着に覆われていない胸元、太ももから下、両腕、そんなところに目がいってしまう。水着……なんて罪深いんだ。可愛いけど!似合ってるけど!!
「百合川くん、お願いがあって」
「なに?」
「日焼け止め塗ってくれない?」
硬直した。えっと……僕が?なんで?
「背中がどうしても塗れなくて」
聞く前に答えてくれた。なるほど、僕も体が硬いからよくわかる。今日はとんでもないかんかん照りだ、何も対策せずに素肌を晒すわけにはいかないだろう。でも、その、背中に触っていいの?頭の中でバチバチと色んな考えが迸った。
「わかった、いいよ。後ろ向いて。塗ってあげる」
「ありがとう」
日焼け止めを受け取った瞬間、月森さんが僕に背中を向けて座った。白くて綺麗な背中、思ったより刺激が強い。結局断るのも変かと思っていいよって言ってしまったけど、これは……うん……月森さんって僕のこと警戒してないみたいだけど、嬉しいやらがっかりやら、変な感じがする。日焼け止めを月森さんの背中につけ、指で伸ばしていく。女の子に初めて触れるのが背中、というのはなかなかのレアケースじゃないだろうか。ドキドキしてきた。見た目どおりすべすべで触り心地のいい肌で、ちょっと、その……なんか邪な気分になっちゃうんだけど。月森さんはもぞもぞと落ち着きなく体を動かしていた。
「大丈夫?くすぐったい?」
「ちょっとだけ。ごめんね、面倒なことお願いして」
「いいんだけど、動かないで?ムラになっちゃうよ」
「わかった、我慢する」
月森さんって僕のことどう思ってるんだろう?女子は好きでもない男子と二人で海に行ったりするのかな?。僕だったらしないけど、月森さんが何を考えているのか未知数だ。日焼け止めを塗るという名目とはいえ、背中に触らせてくるし……。ううん……僕の考えすぎなんだろうか。なんて必死に考えごとをして邪な思いを逸らしながら、何とか日焼け止めを塗り終えた。たぶんムラもないはずだ。
「はい、塗れたよ」
「ありがとう、百合川くん」
すっくと月森さんが立ち上がった。浮き輪を二個抱えてキラキラした目で僕を見下ろし、
「準備万端!海、行こう!ほら!」
手を差し出してきた。絶対に暑いし間違いなく疲れるのが目に見えている。でも月森さんの笑顔が真夏の海によく似合っていて、僕は逆らえなかった。彼女の手を握るとそのまま手を引かれ、灼熱の砂浜に連れていかれる。ギラギラの太陽に焼かれた砂は熱く、足の裏が悲鳴を上げるが月森さんと走り抜けていく。そうして辿り着いた輝く海は、思っていたより水温が高かった。というより生温い。波の飛沫が口に入る。しょっぱい。こういう感覚は久しぶりだ。月森さんがくれた浮き輪につかまって浮いていると、彼女も浮き輪の穴から顔を出し、両腕を浮き輪に乗せてプカプカ浮いていた。
「思ったより水温が高いんだね」
「ほんと!でも、砂浜にいるよりはマシだよ〜」
ニコニコ笑う月森さんがゆらゆらと波に揺れている。泳ぐというか、波に身を任せている状態だ。僕たち以外にも、浮き輪やバナナボートに乗ってきゃあきゃあとはしゃぐ人たちがたくさんいる。海ってこんな賑やかなところなんだな。こんなキラキラした海にはちょうどいいうるささかもしれない。
「月森さんは海にはよく行くの?」
「うん、毎年行ってるよ!去年はタオちゃんたちと、今年は百合川くんと!」
「あ、そうなんだ」
……月森さんにとって海はそんなに特別なものじゃないらしい。たまたま今年は僕に白羽の矢が立っただけか。ちょっと脱力した。ひょっとしたら、なんて思っていたのは僕だけだったのかな。
「百合川くんは?」
「子供の頃に親と行ったくらい。何年振りかな、すごく久しぶりだよ」
「そうなんだ、思ってたとおりかも」
「海とか行きそうにないでしょ、僕」
「うん。だからオッケーしてもらえてびっくりしちゃった」
裏表がなさそうな月森さんの笑顔を見ていたら、ちょっと悲しくなってきた。あーあ……考えすぎだったかな。一気に萎えてきた。海の匂いや波に体が浮く感覚がなかったら、本気で落ち込んでいたかもしれない。久しぶりの海は正直楽しかった。だからもう少し何かあったらいいのに。贅沢なのかなあ。
「ありがとね、百合川くん」
浮き輪に身を預けて感謝の意を伝える月森さんは、悔しいくらい可愛かった。うう……ドキドキしているのが僕だけなんて、嫌なんだけど。
しばらく夏の海を堪能して、月森さんとパラソルの下に戻ってきた。日はさらに高く昇り、一日で一番暑い時間が近い。こんな中で日向にいるなんて自殺行為だ。ちょっと肌がヒリヒリする。
「暑かったね、ありがとう百合川くん。付き合ってくれて」
「ううん、いいよ。久しぶりの海だし、面白かったよ」
「わあ、砂が熱いなぁ」
月森さんが座ったまま手を伸ばし、砂に触れた。白い砂は夏の太陽を反射してキラキラ輝いている。月森さんはぽんぽんと砂を掌で叩いた後、ビニールシートの端っこで砂を両手で集め始めた。こんもりと小さな山ができる。
「砂の城とか作ってる人がいるじゃない?ああいうの、できるかな」
振り返った月森さんは無邪気に笑っていて、波打ち際で砂遊びをする子供みたいだった。僕は月森さんの隣に腰かけた。月森さんの作った砂山に触れると、サラサラと砂が零れていく。
「濡れてないと固まらないから、ここで作るのは難しいかな」
「そっかー……じゃあ」
月森さんは近くに落ちていた小さな枝を拾い、砂山のてっぺんに突き刺した。お子様ランチでよく見る、旗が立ったケチャップライスみたいだ。
「先に棒を倒した方が負けってことでやらない?」
「あー、代わりばんこに砂を取っていくやつ?」
「そうそう!私が先ね!」
ということで、二人で砂遊びを楽しんだ。僕が二勝、月森さんが四勝。砂がどう動くか読みづらくて結構白熱した。ジェンガとか月森さんとやってみたら楽しいかも、なんて思った。
「百合川くん強いね!私、このゲーム強いのに」
「そうなの?」
「うん。去年タオちゃんたちとやったけど、ほぼ負けなかったよ」
「へー、すごいね。僕はたまたまだよ、きっと」
「またまたー、謙遜してー」
悪戯っぽく笑う月森さんがちょっと僕に身を乗り出してきて、距離がぐっと縮まる。あまり近づかれると色々意識してしまう。……色々と。胸元とか、お腹とか……。月森さんは全然そんなつもりなさそうなのがまた辛い。
「月森さん、お腹空かない?」
慌てた僕は何とか無難な話題を口にした。我ながら完璧すぎる。すごく自然な話の逸らし方だと思う。
「そうだね、お腹空いてきたかも。海の家があるよ、買いに行こっか」
「うん」
僕がこんなに色々考えてるのに、月森さんはニコニコと可愛い笑顔。なんか、あんまり深く考えなくてもいいのかな。月森さんと楽しく過ごせれば、それでいいのかも。
海の家であれがいいこれがいい、と話しながら色々買い込んだ。月森さんはちょっとお手洗いに行ってくる、といったん別れた。パラソルに戻って待っていたが、なかなか帰ってこない。トイレが混んでるのかもしれないが、それにしたって遅い。そんなに遠くもなかったはずだし……もしかして迷ってるかも?探しに行こう。
夏休みの海、とにかく人が多い。もし行き違いになったらまずいなぁと思いながら歩いていくと、
「可愛い子じゃーん。キミ、ひとり?」
「俺たちと遊ぼうぜ〜?」
今どき古典的なナンパの声が聞こえた。前方で二人の男が女の子に声をかけているようだった。あれ、あの女の子……。
「あ、あの、私……友達と一緒で」
戸惑った様子の返答、黄色いフリルのビキニ、月森さんだ。派手な髪の見るからにチャラい男に絡まれて、彼女は怯えている。
「友達と一緒?じゃあその子も一緒にお兄さんと遊ばない?」
「キミの友達も可愛いだろうしさ〜」
僕は素早く近付き、月森さんより半歩前に出た。突然現れた僕に三人分の視線が刺さる。月森さんが何か言いかけるけど、手で制止する。
「僕の彼女に何か用ですか。今デート中なんです、邪魔しないでください」
思いっきり男二人を睨みつけて月森さんの手を掴んだ。
「ほら行こう」
男たちが何か言う前に、月森さんの手を引いて無理矢理歩いた。何かごちゃごちゃ言う声が後ろから聞こえるが完全無視。急いでパラソルに戻った。
「あ、ごめん」
そこで強引に月森さんの手を掴んでいたことを思い出して、パッと手を離した。改めて見た月森さんは俯いていた。怖かっただろう。もう少し早く探しに行けばよかった。
「ううん、ありがとう、百合川くん。助けてくれて」
「もう大丈夫。ご飯食べよっか。お腹空いたよね」
「うん、ありがとう」
二人でビニールシートに座ってのんびりご飯を食べた。海で食べるものといえば色の濃い焼きそばとか、いか焼きとか。いかにもな濃い味を二人で味わっているうちに、ちょっと気まずかった空気がどんどん明るくなっていった。月森さんも美味しいと言いながら笑ってくれて、本当によかった。
あとはラムネを飲んだりかき氷を食べたりしながら、二人でパラソルの下で過ごした。真上にあった太陽が少しずつ海面に近づいていく。海面と空の境目が橙色に染まってきた頃、楽しく話をしていた月森さんが突然黙り込んだ。ん?どうしたんだろう。疲れたのかな。
「月森さん、どうかした?急に黙っちゃって」
「あ……えっと……」
月森さんは僕から目を逸らして俯いた。膝をぎゅっと抱きしめた指先がもじもじと恥ずかしがるように動いている。なんだか変な感じだ。何かあったのだろうか。
「あのね、百合川くん」
三角座りの月森さんは、自分の膝に頭を乗せて僕を見た。首を傾げてるような可愛い体勢だ。日陰にいても顔がちょっと赤っぽく見えた。熱中症とかじゃないよね?大丈夫かな。
「今日、本当にありがとう」
「え?」
「海に来てくれたのもそうだし、変な人からも助けてくれて。すごく嬉しかった」
月森さんがしみじみと笑うから、僕も微笑んだ。寄せては返す波の音が遠くで聞こえる。夕暮れに染まっていく海、少しずつ人が帰っていく。そのぶん月森さんの声がよく聞こえた。
「僕もありがとう。月森さんに誘われなかったら、海なんて来なかったよ。楽しかった」
「本当?嬉しい」
本心だった。海に来るまでは憂鬱だったけど、たまにはこんなのも悪くない。
「あのね、百合川くん」
神妙な顔で名前を呼ばれたから、何だろうと月森さんを見つめた。でも、続きはない。月森さんはまたふいと顔を逸らして、三角座りの爪先に手を伸ばして何も言わなくなってしまった。そのまま数秒、数十秒と過ぎていく。黙る僕たちとは対照的に、波の音が絶えず聞こえている。僕は月森さんをじっと見つめたまま大人しく待った。気にはなるけど、急かすのはいけない気がした。
「百合川くん」
三角座りだった月森さんが足を崩し、僕の方に身を乗り出してきた。切羽詰まった雰囲気の、すごく真面目な顔だった。さっきまでの笑顔とは真逆の顔、僕は息を呑んだ。月森さんの右手が僕の左手に近寄ってきた。ビニールシートを這うような控えめな動き、月森さんの指先と僕の指先が触れ合う直前、ぴたりと月森さんは止まった。
「あの、百合川くん。……手、握っていい?」
「え?」
控えめな声が聞こえて、思わず月森さんを凝視してしまった。彼女は視線を泳がせて恥ずかしそうにしていた。
「い、嫌ならいいの!私たち、付き合っても、ないし……」
月森さんの声が急速に小さくなり、最後の方は波の音に紛れてしまいそうだった。彼女の赤く染まった横顔が奥ゆかしくて、僕は月森さんの右手に左手を重ねた。上からぎゅ、と握ってみる。
「いいよ。こんな感じ?」
「う、うん」
弾かれたように僕を見た月森さんはぽかんとしていたけど、すぐに嬉しそうに笑った。可愛い。バレていないだろうか。月森さんの手が熱いように、僕の手も熱くてなんならちょっと手汗が滲んでいることに。
そのまましばらく無言で海を眺めていた。何を言ったらいいのかわからなかったけど、少なくとも帰るような空気じゃなかった。僕自身もまだ帰りたい気分じゃなかったし、月森さんの手を握ったまま少しずつ夕焼けに近づいていく海を見つめていた。体を撫でていく潮風が心地いい。
「あのね、百合川くん」
「ん?」
月森さんが僕を呼ぶ声に、様子を窺った。月森さんはちょっと躊躇うような顔だったが、すぐにまた僕の方に身を乗り出した。
「百合川くんが『僕の彼女』って言って助けてくれて、すごく嬉しかった。私を本当に彼女にしてほしい」
「…………え?」
覚悟を感じさせる月森さんの重たい声、すぐには意味がわからなかった。月森さんの大きな目は僕をじっと見据えて逃がしてくれない。
「今年百合川くんを海に誘ったのは、その、二人きりになりたかったから。ずっと、好きだって伝えたかった」
月森さんの目に涙が滲んでいた。告白だ。まごうことなき告白を受けた。何かあったらいいのに、なんて思ってた。本当に「何か」あった。
「…………」
びっくりするくらい、言葉が出てこなかった。月森さんが不安そうにこっちを見ているから、何か返すべきなのはわかってる。僕自身の答えもきっと、はっきりしてる。でも、口が動かなかった。だから僕は手を伸ばし、月森さんの頬に右手のひらで触れた。手のひら全体に熱が伝わる。月森さんは目を見開いていた。そりゃあ、驚くよね。この後に及んでも声が出ない。僕、浅ましいこと考えてる。月森さんの頬はあたたかくて柔らかい。頬の近くにあるのは可愛い唇。
「月森さん」
申し訳程度に名前を呼んで、僕は月森さんにキスをした。触れるのは一瞬だけ。初めてのキスはちょっとしょっぱかった。
「可愛いね」
キスの後は驚くほど滑らかに口が動いた。びっくりして固まる月森さんは顔どころか全身真っ赤だった。僕はふふ、と笑う。
「大丈夫、月森さん。すごく熱いよ」
「だ、だって!こんなところでき、キス、とか……!!」
キス、のところだけ急速に声が小さくなる月森さんがとんでもなく可愛かった。そうだね、すっかり忘れてた。ここ、海だったな。誰か見てたかもしれないけど……まあどうでもいいか。
「ごめん。なんか、どうしてもしたくなって。月森さんが可愛いから」
「……百合川くん」
頬に触れた僕の右手を、月森さんの左手が包み込む。その手も熱くて、僕の手はあったかい手と頬にサンドイッチされている。
「あの、その……返事、って……」
「好きって言ってくれて嬉しかったよ。僕の彼女になって、月森さん」
今度は額にキスしてみた。汗ばんで前髪が張り付いた額もやっぱりしょっぱかった。いかにも海っぽい、夏っぽい感じだ。
「ありがとう、百合川くん。すごく嬉しい」
照れた月森さんの声は小さかったが、ちゃんと聞こえた。遠い波の音と一緒に。
虫も気だるげに鳴く夕焼けの中、僕と月森さんは電車に揺られていた。電車の中は夏休みを楽しんで帰る人たちでそこそこ混み合っている。僕らは並んで座った。月森さんの手を握ると、彼女は照れくさそうにしつつも振りほどくことはなかった。窓の外はさっきまで二人で過ごした海。赤い夕陽が海に沈んでいく。海面は橙に染まり、とても綺麗だ。
電車が動き出して数分、僕の左肩が少し重たくなった。隣を見ると、月森さんが僕にもたれかかって眠っていた。海水浴は思ったより疲れた、僕も眠たいからすごく気持ちはわかる。僕の左側にぴったり寄り添って寝ている月森さんは可愛かった。起こすなんてとんでもない、彼女にはゆっくり休んでもらって……この寝顔をよくよく眺めておこう。品川駅まで、まだたっぷり時間はあるのだから。
「ねえユヅル、海って何するところなの」
「泳ぐところじゃないのか?」
夏休みの学生寮、僕の部屋。ユヅルに尋ねたところ、大真面目な即答が返ってきた。当たり前すぎる回答、そんなの言われなくてもわかってるよ。ユヅルはメガネをくいっと指で押し上げて、不審者を見る目で僕をじろりと睨んだ。
「君は何を聞いているんだ。体調でも悪いのか」
「そうじゃなくてさ……」
僕は大きなため息をついた。前提を話さなかった僕が悪かった。
「女の子と二人で海に行って、何をすればいいの」
「泳ぐんじゃないのか?」
「…………聞く相手を間違えたかもしれない」
頭を抱えた。盛大な期待外れだ。不服そうなユヅルを思わず睨んでしまった。
「百合川は僕を何だと思っているんだ」
「百戦錬磨のユヅルなら、海でデートしたことくらいあるんじゃないのって思ったんだけど」
「百戦錬磨?何を勘違いしているのか知らないが、僕は女子と二人で出かけたことがないぞ。複数ならあるが」
「はあ?それほんと?」
「事実だ」
はぁ……不本意ながら、またため息が出た。そうか……モテることと実際に女の子とデートしたことがあるかは、必ずしもイコールではないらしい。だとすればユヅルには悪いことをした。
「それより百合川、海に行くなら水着が必要だろう。持っているか?」
「水着?……ない」
いくらなんでも学園指定の水着じゃ駄目なのはわかる。うわ、買わないといけないのか。水着?僕が?男用の水着なんて大した種類はないだろうから、あれこれ考えなくてもいいだろうけど……このぶんじゃ水着についてもユヅルはあてにならなさそうだし、どうしたものか。僕はさっきから頭を抱えてばかりだ。
なんだかんだで迎えてしまった、海デート当日。抜けるような青空とエメラルドグリーンの海、絶好の海水浴日和だ。平日なのに、夏休みだからかどこを見ても人、人、人。元気な家族連れ、カップルやわいわい楽しそうな高校生とか大学生っぽいグループもいる。僕は憎たらしいくらい燦々と照りつける太陽を恨みながら、ビニールシートを広げパラソルを立てた。小さな日陰が出来上がる。早速パラソルの下に入り座り込んだ。動いたのはほんの少しだけど、もう疲れた。暑い……。
座った僕はため息をつきながら考え込んだ。月森さんに誘われたから海に来たけど、そもそも何で僕なんかを誘ったんだろう?自分で言うのもなんだけど、海とか行くタイプには見えないだろうに。それも僕と月森さん、二人きりで。人数合わせならギリギリ理解もできるけど……。彼女はクラスメイト、最近は席が隣になったからちょくちょく話すこともあるけど、でもそれくらいの関係。彼女の笑顔に押されて流れで海に来てしまったわけだけど、謎だ。本当に謎だ。
「百合川くん、場所取りありがとう」
頭上から可愛い声が降ってくる。顔を上げると、キラキラした笑顔の月森さんがいた。脇にはふたつ浮き輪を抱えている。彼女は黄色いビキニの水着を着ていた。フリルが可愛らしい、言われなければ普通の服に見える見た目だ。青い空、青い海、白い砂浜にとんでもなく似合う、可愛くて刺激的なデザインだった。制服だとせいぜい膝から下と腕くらいしか出てない、水着は露出が多すぎる。特に胸周りとお腹が眩しい。これ、どこを見たらいいんだろう。可愛いからちゃんと見たいけど、目のやり場に困る。しかも座ってる僕に屈んでくるから胸元が……!女の子の胸とか気になるに決まってる、今僕は絶対挙動不審な目の動きをしていると思う。
「あ、えと、ここでよかったかな?」
頭の中では色々考えているけど、言葉は端的に。変なことを口走りそうで怖い。
「うん、大丈夫!ありがとう。あんまり混んでないところを選んでくれたんだね、大変だったでしょ」
「いや、そんなことは……こちらこそ浮き輪、ありがとう」
「気にしないで!なくなる前でよかったよー、すごく混んでたから」
浮き輪を置いた月森さんが僕の隣に腰掛けた。日陰に入っても水着の黄色が眩しい。水着に覆われていない胸元、太ももから下、両腕、そんなところに目がいってしまう。水着……なんて罪深いんだ。可愛いけど!似合ってるけど!!
「百合川くん、お願いがあって」
「なに?」
「日焼け止め塗ってくれない?」
硬直した。えっと……僕が?なんで?
「背中がどうしても塗れなくて」
聞く前に答えてくれた。なるほど、僕も体が硬いからよくわかる。今日はとんでもないかんかん照りだ、何も対策せずに素肌を晒すわけにはいかないだろう。でも、その、背中に触っていいの?頭の中でバチバチと色んな考えが迸った。
「わかった、いいよ。後ろ向いて。塗ってあげる」
「ありがとう」
日焼け止めを受け取った瞬間、月森さんが僕に背中を向けて座った。白くて綺麗な背中、思ったより刺激が強い。結局断るのも変かと思っていいよって言ってしまったけど、これは……うん……月森さんって僕のこと警戒してないみたいだけど、嬉しいやらがっかりやら、変な感じがする。日焼け止めを月森さんの背中につけ、指で伸ばしていく。女の子に初めて触れるのが背中、というのはなかなかのレアケースじゃないだろうか。ドキドキしてきた。見た目どおりすべすべで触り心地のいい肌で、ちょっと、その……なんか邪な気分になっちゃうんだけど。月森さんはもぞもぞと落ち着きなく体を動かしていた。
「大丈夫?くすぐったい?」
「ちょっとだけ。ごめんね、面倒なことお願いして」
「いいんだけど、動かないで?ムラになっちゃうよ」
「わかった、我慢する」
月森さんって僕のことどう思ってるんだろう?女子は好きでもない男子と二人で海に行ったりするのかな?。僕だったらしないけど、月森さんが何を考えているのか未知数だ。日焼け止めを塗るという名目とはいえ、背中に触らせてくるし……。ううん……僕の考えすぎなんだろうか。なんて必死に考えごとをして邪な思いを逸らしながら、何とか日焼け止めを塗り終えた。たぶんムラもないはずだ。
「はい、塗れたよ」
「ありがとう、百合川くん」
すっくと月森さんが立ち上がった。浮き輪を二個抱えてキラキラした目で僕を見下ろし、
「準備万端!海、行こう!ほら!」
手を差し出してきた。絶対に暑いし間違いなく疲れるのが目に見えている。でも月森さんの笑顔が真夏の海によく似合っていて、僕は逆らえなかった。彼女の手を握るとそのまま手を引かれ、灼熱の砂浜に連れていかれる。ギラギラの太陽に焼かれた砂は熱く、足の裏が悲鳴を上げるが月森さんと走り抜けていく。そうして辿り着いた輝く海は、思っていたより水温が高かった。というより生温い。波の飛沫が口に入る。しょっぱい。こういう感覚は久しぶりだ。月森さんがくれた浮き輪につかまって浮いていると、彼女も浮き輪の穴から顔を出し、両腕を浮き輪に乗せてプカプカ浮いていた。
「思ったより水温が高いんだね」
「ほんと!でも、砂浜にいるよりはマシだよ〜」
ニコニコ笑う月森さんがゆらゆらと波に揺れている。泳ぐというか、波に身を任せている状態だ。僕たち以外にも、浮き輪やバナナボートに乗ってきゃあきゃあとはしゃぐ人たちがたくさんいる。海ってこんな賑やかなところなんだな。こんなキラキラした海にはちょうどいいうるささかもしれない。
「月森さんは海にはよく行くの?」
「うん、毎年行ってるよ!去年はタオちゃんたちと、今年は百合川くんと!」
「あ、そうなんだ」
……月森さんにとって海はそんなに特別なものじゃないらしい。たまたま今年は僕に白羽の矢が立っただけか。ちょっと脱力した。ひょっとしたら、なんて思っていたのは僕だけだったのかな。
「百合川くんは?」
「子供の頃に親と行ったくらい。何年振りかな、すごく久しぶりだよ」
「そうなんだ、思ってたとおりかも」
「海とか行きそうにないでしょ、僕」
「うん。だからオッケーしてもらえてびっくりしちゃった」
裏表がなさそうな月森さんの笑顔を見ていたら、ちょっと悲しくなってきた。あーあ……考えすぎだったかな。一気に萎えてきた。海の匂いや波に体が浮く感覚がなかったら、本気で落ち込んでいたかもしれない。久しぶりの海は正直楽しかった。だからもう少し何かあったらいいのに。贅沢なのかなあ。
「ありがとね、百合川くん」
浮き輪に身を預けて感謝の意を伝える月森さんは、悔しいくらい可愛かった。うう……ドキドキしているのが僕だけなんて、嫌なんだけど。
しばらく夏の海を堪能して、月森さんとパラソルの下に戻ってきた。日はさらに高く昇り、一日で一番暑い時間が近い。こんな中で日向にいるなんて自殺行為だ。ちょっと肌がヒリヒリする。
「暑かったね、ありがとう百合川くん。付き合ってくれて」
「ううん、いいよ。久しぶりの海だし、面白かったよ」
「わあ、砂が熱いなぁ」
月森さんが座ったまま手を伸ばし、砂に触れた。白い砂は夏の太陽を反射してキラキラ輝いている。月森さんはぽんぽんと砂を掌で叩いた後、ビニールシートの端っこで砂を両手で集め始めた。こんもりと小さな山ができる。
「砂の城とか作ってる人がいるじゃない?ああいうの、できるかな」
振り返った月森さんは無邪気に笑っていて、波打ち際で砂遊びをする子供みたいだった。僕は月森さんの隣に腰かけた。月森さんの作った砂山に触れると、サラサラと砂が零れていく。
「濡れてないと固まらないから、ここで作るのは難しいかな」
「そっかー……じゃあ」
月森さんは近くに落ちていた小さな枝を拾い、砂山のてっぺんに突き刺した。お子様ランチでよく見る、旗が立ったケチャップライスみたいだ。
「先に棒を倒した方が負けってことでやらない?」
「あー、代わりばんこに砂を取っていくやつ?」
「そうそう!私が先ね!」
ということで、二人で砂遊びを楽しんだ。僕が二勝、月森さんが四勝。砂がどう動くか読みづらくて結構白熱した。ジェンガとか月森さんとやってみたら楽しいかも、なんて思った。
「百合川くん強いね!私、このゲーム強いのに」
「そうなの?」
「うん。去年タオちゃんたちとやったけど、ほぼ負けなかったよ」
「へー、すごいね。僕はたまたまだよ、きっと」
「またまたー、謙遜してー」
悪戯っぽく笑う月森さんがちょっと僕に身を乗り出してきて、距離がぐっと縮まる。あまり近づかれると色々意識してしまう。……色々と。胸元とか、お腹とか……。月森さんは全然そんなつもりなさそうなのがまた辛い。
「月森さん、お腹空かない?」
慌てた僕は何とか無難な話題を口にした。我ながら完璧すぎる。すごく自然な話の逸らし方だと思う。
「そうだね、お腹空いてきたかも。海の家があるよ、買いに行こっか」
「うん」
僕がこんなに色々考えてるのに、月森さんはニコニコと可愛い笑顔。なんか、あんまり深く考えなくてもいいのかな。月森さんと楽しく過ごせれば、それでいいのかも。
海の家であれがいいこれがいい、と話しながら色々買い込んだ。月森さんはちょっとお手洗いに行ってくる、といったん別れた。パラソルに戻って待っていたが、なかなか帰ってこない。トイレが混んでるのかもしれないが、それにしたって遅い。そんなに遠くもなかったはずだし……もしかして迷ってるかも?探しに行こう。
夏休みの海、とにかく人が多い。もし行き違いになったらまずいなぁと思いながら歩いていくと、
「可愛い子じゃーん。キミ、ひとり?」
「俺たちと遊ぼうぜ〜?」
今どき古典的なナンパの声が聞こえた。前方で二人の男が女の子に声をかけているようだった。あれ、あの女の子……。
「あ、あの、私……友達と一緒で」
戸惑った様子の返答、黄色いフリルのビキニ、月森さんだ。派手な髪の見るからにチャラい男に絡まれて、彼女は怯えている。
「友達と一緒?じゃあその子も一緒にお兄さんと遊ばない?」
「キミの友達も可愛いだろうしさ〜」
僕は素早く近付き、月森さんより半歩前に出た。突然現れた僕に三人分の視線が刺さる。月森さんが何か言いかけるけど、手で制止する。
「僕の彼女に何か用ですか。今デート中なんです、邪魔しないでください」
思いっきり男二人を睨みつけて月森さんの手を掴んだ。
「ほら行こう」
男たちが何か言う前に、月森さんの手を引いて無理矢理歩いた。何かごちゃごちゃ言う声が後ろから聞こえるが完全無視。急いでパラソルに戻った。
「あ、ごめん」
そこで強引に月森さんの手を掴んでいたことを思い出して、パッと手を離した。改めて見た月森さんは俯いていた。怖かっただろう。もう少し早く探しに行けばよかった。
「ううん、ありがとう、百合川くん。助けてくれて」
「もう大丈夫。ご飯食べよっか。お腹空いたよね」
「うん、ありがとう」
二人でビニールシートに座ってのんびりご飯を食べた。海で食べるものといえば色の濃い焼きそばとか、いか焼きとか。いかにもな濃い味を二人で味わっているうちに、ちょっと気まずかった空気がどんどん明るくなっていった。月森さんも美味しいと言いながら笑ってくれて、本当によかった。
あとはラムネを飲んだりかき氷を食べたりしながら、二人でパラソルの下で過ごした。真上にあった太陽が少しずつ海面に近づいていく。海面と空の境目が橙色に染まってきた頃、楽しく話をしていた月森さんが突然黙り込んだ。ん?どうしたんだろう。疲れたのかな。
「月森さん、どうかした?急に黙っちゃって」
「あ……えっと……」
月森さんは僕から目を逸らして俯いた。膝をぎゅっと抱きしめた指先がもじもじと恥ずかしがるように動いている。なんだか変な感じだ。何かあったのだろうか。
「あのね、百合川くん」
三角座りの月森さんは、自分の膝に頭を乗せて僕を見た。首を傾げてるような可愛い体勢だ。日陰にいても顔がちょっと赤っぽく見えた。熱中症とかじゃないよね?大丈夫かな。
「今日、本当にありがとう」
「え?」
「海に来てくれたのもそうだし、変な人からも助けてくれて。すごく嬉しかった」
月森さんがしみじみと笑うから、僕も微笑んだ。寄せては返す波の音が遠くで聞こえる。夕暮れに染まっていく海、少しずつ人が帰っていく。そのぶん月森さんの声がよく聞こえた。
「僕もありがとう。月森さんに誘われなかったら、海なんて来なかったよ。楽しかった」
「本当?嬉しい」
本心だった。海に来るまでは憂鬱だったけど、たまにはこんなのも悪くない。
「あのね、百合川くん」
神妙な顔で名前を呼ばれたから、何だろうと月森さんを見つめた。でも、続きはない。月森さんはまたふいと顔を逸らして、三角座りの爪先に手を伸ばして何も言わなくなってしまった。そのまま数秒、数十秒と過ぎていく。黙る僕たちとは対照的に、波の音が絶えず聞こえている。僕は月森さんをじっと見つめたまま大人しく待った。気にはなるけど、急かすのはいけない気がした。
「百合川くん」
三角座りだった月森さんが足を崩し、僕の方に身を乗り出してきた。切羽詰まった雰囲気の、すごく真面目な顔だった。さっきまでの笑顔とは真逆の顔、僕は息を呑んだ。月森さんの右手が僕の左手に近寄ってきた。ビニールシートを這うような控えめな動き、月森さんの指先と僕の指先が触れ合う直前、ぴたりと月森さんは止まった。
「あの、百合川くん。……手、握っていい?」
「え?」
控えめな声が聞こえて、思わず月森さんを凝視してしまった。彼女は視線を泳がせて恥ずかしそうにしていた。
「い、嫌ならいいの!私たち、付き合っても、ないし……」
月森さんの声が急速に小さくなり、最後の方は波の音に紛れてしまいそうだった。彼女の赤く染まった横顔が奥ゆかしくて、僕は月森さんの右手に左手を重ねた。上からぎゅ、と握ってみる。
「いいよ。こんな感じ?」
「う、うん」
弾かれたように僕を見た月森さんはぽかんとしていたけど、すぐに嬉しそうに笑った。可愛い。バレていないだろうか。月森さんの手が熱いように、僕の手も熱くてなんならちょっと手汗が滲んでいることに。
そのまましばらく無言で海を眺めていた。何を言ったらいいのかわからなかったけど、少なくとも帰るような空気じゃなかった。僕自身もまだ帰りたい気分じゃなかったし、月森さんの手を握ったまま少しずつ夕焼けに近づいていく海を見つめていた。体を撫でていく潮風が心地いい。
「あのね、百合川くん」
「ん?」
月森さんが僕を呼ぶ声に、様子を窺った。月森さんはちょっと躊躇うような顔だったが、すぐにまた僕の方に身を乗り出した。
「百合川くんが『僕の彼女』って言って助けてくれて、すごく嬉しかった。私を本当に彼女にしてほしい」
「…………え?」
覚悟を感じさせる月森さんの重たい声、すぐには意味がわからなかった。月森さんの大きな目は僕をじっと見据えて逃がしてくれない。
「今年百合川くんを海に誘ったのは、その、二人きりになりたかったから。ずっと、好きだって伝えたかった」
月森さんの目に涙が滲んでいた。告白だ。まごうことなき告白を受けた。何かあったらいいのに、なんて思ってた。本当に「何か」あった。
「…………」
びっくりするくらい、言葉が出てこなかった。月森さんが不安そうにこっちを見ているから、何か返すべきなのはわかってる。僕自身の答えもきっと、はっきりしてる。でも、口が動かなかった。だから僕は手を伸ばし、月森さんの頬に右手のひらで触れた。手のひら全体に熱が伝わる。月森さんは目を見開いていた。そりゃあ、驚くよね。この後に及んでも声が出ない。僕、浅ましいこと考えてる。月森さんの頬はあたたかくて柔らかい。頬の近くにあるのは可愛い唇。
「月森さん」
申し訳程度に名前を呼んで、僕は月森さんにキスをした。触れるのは一瞬だけ。初めてのキスはちょっとしょっぱかった。
「可愛いね」
キスの後は驚くほど滑らかに口が動いた。びっくりして固まる月森さんは顔どころか全身真っ赤だった。僕はふふ、と笑う。
「大丈夫、月森さん。すごく熱いよ」
「だ、だって!こんなところでき、キス、とか……!!」
キス、のところだけ急速に声が小さくなる月森さんがとんでもなく可愛かった。そうだね、すっかり忘れてた。ここ、海だったな。誰か見てたかもしれないけど……まあどうでもいいか。
「ごめん。なんか、どうしてもしたくなって。月森さんが可愛いから」
「……百合川くん」
頬に触れた僕の右手を、月森さんの左手が包み込む。その手も熱くて、僕の手はあったかい手と頬にサンドイッチされている。
「あの、その……返事、って……」
「好きって言ってくれて嬉しかったよ。僕の彼女になって、月森さん」
今度は額にキスしてみた。汗ばんで前髪が張り付いた額もやっぱりしょっぱかった。いかにも海っぽい、夏っぽい感じだ。
「ありがとう、百合川くん。すごく嬉しい」
照れた月森さんの声は小さかったが、ちゃんと聞こえた。遠い波の音と一緒に。
虫も気だるげに鳴く夕焼けの中、僕と月森さんは電車に揺られていた。電車の中は夏休みを楽しんで帰る人たちでそこそこ混み合っている。僕らは並んで座った。月森さんの手を握ると、彼女は照れくさそうにしつつも振りほどくことはなかった。窓の外はさっきまで二人で過ごした海。赤い夕陽が海に沈んでいく。海面は橙に染まり、とても綺麗だ。
電車が動き出して数分、僕の左肩が少し重たくなった。隣を見ると、月森さんが僕にもたれかかって眠っていた。海水浴は思ったより疲れた、僕も眠たいからすごく気持ちはわかる。僕の左側にぴったり寄り添って寝ている月森さんは可愛かった。起こすなんてとんでもない、彼女にはゆっくり休んでもらって……この寝顔をよくよく眺めておこう。品川駅まで、まだたっぷり時間はあるのだから。