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魔界のチョコレートバレンタイン
初めては緊張する。当然だ。二度目はあまり緊張しない。……と、思っていた。
「はぁ……」
百合川ヒイラギは魔界で夜を迎えるたび、ジャアクフロストが経営するクラブ付近を彷徨っていた。あの夜訪れたのは、助けるべき人間がいるかもしれないから。では、二度目は?助けを求める声なんて聞こえてこないのに。
夜が来ると思い出す。クリスマスに訪れたクラブで少女に甘えて過ごしたことを。思い出すと戦いで乾いた心に一滴、清浄な水が落ちた思いだった。飢えているのだろうか。飢えている……何に?
気がつくと、今夜もギンザにあるクラブの前に立っている。夜に浮かび上がって輝くシックな店を見上げた。もう入れるのだろうか。心臓がうるさい。ヒイラギは青い髪を揺らして落ち着きなく歩いていた。
「……どうしたの」
突然の声に、それはもう驚くなんてものではなかった。しかし同時に、求めている声とは違うことも瞬時に理解した。ぎこちなく振り返ると、金色の髪の少女がいた。魔人アリスだ。影のある視線をヒイラギに寄越している。
「おにいちゃん、クリスマスにミコトおねえちゃんと一緒にいた人だよね」
「う、うん」
「……ミコトおねえちゃんなら、まだお客さん、いないよ」
アリスの大きな目がヒイラギをじっとりと観察している。背が低く幼い、見た目だけなら恐るるに足らない少女だが、不穏な力を持つ悪魔であることに変わりない。油断できない目だ。だが、彼女の言葉は的確にヒイラギの迷いに突き刺さる。
「ミコトおねえちゃん、常連さんいるから……すぐお客さん来ちゃうかも」
「じゃあミコトさんを指名するよ。案内して」
「わかった」
こくりと頷いた彼女が何だか意味ありげに笑ったのを、ヒイラギは見逃さなかった。一体何を考えているのだろうと警戒するが、促されるままに店内へ足を踏み入れた。クリスマスの装飾がなくなり、高級クラブらしい優雅な佇まいに落ち着いている。アリスに呼ばれ、奥からミコトが駆け寄ってきた。彼女の姿を認めた途端ヒイラギは硬直した。彼女に変な顔を見せていないか、不安になる。
「ヒイラギさん、お久しぶりです。アリスちゃんから聞きました、指名してくださってありがとうございます!」
そう言って礼をする彼女は前回のサンタ服とは違い、オフホワイトの清楚なワンピースドレスを着ていた。前回のような華やかさはないが、落ち着いた上品な衣装だ。しかしミコト本人はあどけない少女で明るい笑顔を浮かべており、ギャップのある印象に頭がくらくらした。
「あ、うん……」
気の利いた一言も言えず曖昧な返事をすると、ミコトはソファーに向かって歩いていく。ヒイラギは手を伸ばしそうになるのをぐっと堪え、声を上げた。
「待って。VIPルームに行きたい」
「え?あ、はい。わかりました」
お金なんてどうにでもなる。二人きりの空間か否かということは、この場所この時間では何よりも重要だ。普段からこまめにお金を集めていたのはこのときのためだったのだろう。久しぶりに訪れたVIPルームもクリスマスの賑やかな色彩ではなくなり、落ち着いた空間に様変わりしている。雰囲気は変わっても部屋の間取りや調度品は同じで、彼女と過ごした夜を思い出して胸が熱くなった。
「じゃあ、改めて……こんばんは、ヒイラギさん。お久しぶりです」
「うん、久しぶりだね。クリスマス以来だよね」
「ええ。またお会いできて嬉しいです」
広々としたソファーを二人で独占し、ミコトの視線を独り占めしている。ふと思った。アリスは常連がいると言っていた。この視線がヒイラギ以外に向けられることがあるのか。ほんの少し、膝に置いた指先に力が入ったのを感じた。
「またVIPルームにご指名なんて思いませんでした。結構なお値段しますから、ヒイラギさんとしか入ったことないんですよ」
「そうなの?ふーん……そっか……」
ヒイラギの口角が緩んだ。他の客がどんな悪魔か知らないが、一歩……いや、数歩先をいっている。たぶん。
「さっき常連さんがいるって聞いたけど、何人くらいいるの」
「えーと……四人といったところでしょうか。人、で数えていいのか微妙ですけど」
指折り数えるミコトの仕草を可愛いと思いつつも歯痒かった。そいつらは一体どれほどの時間を彼女と過ごしたのだろうか。変なことをされていないだろうか。ああそうだ、そういう方向で話をすればいいんだ。
「ミコトさん、この前来てから今まで、特に何もなかった?」
「何もないですよ。……もしかして、心配してくれてます?」
「そりゃそうだよ。人間が悪魔と一緒に働いてるなんて初めて見たから……大丈夫?暴力振るわれたり、無理強いされたりしてない?」
「あはは、大丈夫ですよ。店長もディオニュソスさんも優しくしてくれてますよ。でも、嬉しいです。ヒイラギさんに心配してもらえるなんて、ありがたいですよ。ヒイラギさんってお客様なんですけど、一緒にいるとなんだか落ち着くんですよね」
「……落ち着く?」
もしかしてとヒイラギの心が躍った。が、
「ええ。元々ヒイラギさんは人間だって言ってましたし、縄印学園の人でしたよね。周りは悪魔ばっかりですから、嬉しかったんです。私に近い人と会えて」
……思っていた答えと違う。心の中では思いきり落胆のため息が漏れたが、しかしこれは好機ではないか。ヒイラギには他の悪魔たちとは一線を画す重要な差がある。
「ねえ、ミコトさん。前は僕の話ばかり聞かせちゃったから、君のことを教えてよ」
時間は有限だ。彼女といられる今のうちに、たくさん話をして少しでも心の隙間に入り込みたい。ヒイラギは身を乗り出し、ミコトに尋ねた。
「バレンタインなんて美味しいイベント、逃す手はないホ!」
クリスマスが盛況だったことに味を占めたジャアクフロストが、近付くバレンタインデーを前に意気込んでいた。キャストの手作りチョコレートを客に配ろうという提案のもと、サキュバス、アリス、ミコトの三人は黙々とチョコレートを使った菓子を作っていた。サキュバスは手の込んだチョコレートケーキ、アリスはチョコレートのクッキー、ミコトは生チョコレートを作っていた。同じ空間に女性が三人、自然と雑談に花が咲く。
「ミコトちゃん、最近あの青い人がよく来てるわね」
「青い人……ヒイラギさんですか。確かにそうですね」
クリスマスに彼と初めて会ってから一ヶ月と少し。彼は定期的に店を訪れミコトを指名していた。必ずVIPルームのオプション付きで。ミコトが驚くのだから、他のキャストたちの間で噂になってもおかしくない。
「おにいちゃん、毎回VIPルームに入ってるよ。よっぽどおねえちゃんのことが好きなんだね」
「す……!?ええ……そうなのかな……」
鍋をへらでかき混ぜながら、ミコトは宙に視線を泳がせた。VIPルームの料金は大抵の悪魔が顔色を変えるもので、サキュバスやアリスでさえ経験した数は少ない。それを毎回となると、ミコトですら彼のお財布事情が心配になってしまう。
「VIPルームイコール好き、はちょっと単純すぎない?」
尋ねたミコトに返って来たのは、二人分の首振り。アリスもサキュバスも神妙な顔だった。
「そんなことないよ、おねえちゃん」
「あの金額はちょっと気になるくらいで払えるものじゃないわよ、ミコトちゃん」
「うーん……」
歯切れの悪いミコトに、サキュバスが悪戯っぽい笑みを浮かべながら近寄ってくる。
「ミコトちゃん、私聞いたことがあるわ。こういうお店で働く子とお客さんがそういう仲になって、お店を辞めるっていうの。ミコトちゃんがもしあの人とそういう雰囲気になったら、私たちは応援するわ。ねえ、アリスちゃん?」
「……うん。寂しいけどおねえちゃん、人間だし……人間の匂いがするおにいちゃんといるのが落ち着くとか、あるんじゃないかな」
「え、でも……私お店辞めたら困るなあ……」
ミコトは拾われた身だ。ジャアクフロストへの恩があるし、この場所をそれなりに気に入っている。悪魔ばかりの魔界で元とはいえ人間を見つけて嬉しいが、店を辞めるほどのことだろうか。
そうこうしているうちに、鍋の中で生クリームとミルクチョコレートが混ぜ合わさり、掬い取るとへらから滑らかに滴り落ちるクリーム状になっていた。これをバットに入れて冷蔵庫で冷やすと美味しい生チョコレートになる……はず。手間のかかるものではないが、その分大きく外すことはないはずだ。ふとヒイラギの顔が浮かんだ。彼はバレンタインの夜に店を訪れるのだろうか。イベントがあると話している。なんとなく彼がバレンタインの一番槍なんだろうな、と確信した。
バレンタインの夜。ピンクや赤のハート型の風船や赤い薔薇をハート型にまとめたブーケ等、店内はバレンタインの飾り付けで可愛らしい。キャストたちはピンクと深い茶色のいちごチョコレートを思わせるワンピースドレスを身に纏い、ピンク色のリボンやバレッタで髪を彩っている。ミコトはピンク色のリボンを髪とともに編み込んでいる。クリスマスの飾り付けとはまた違う、ふわふわと可憐な印象が漂うクラブにミコトの気分は高揚していた。今日限定のドレスは可愛らしいし、髪も一手間かけた分お洒落になった。この姿をお客様にも見てほしくてそわそわする。
「いらっしゃいませ」
客が入ってきたらしい。サキュバスの接客用の声でふと我に返り、入り口を見て固まった。……ヒイラギだ。
「ミコトちゃん、VIPルームにご指名よ。やっぱり彼が一番だったわね」
「うん。行ってきます。店長には言っておいてね」
サキュバスの妖艶なウインクに見送られながら、ヒイラギのもとに駆け寄った。彼はこのピンクと赤の店内の中、空のような青色で目立つ。彼と目を合わせながら微笑み、通い慣れたVIPルームに二人で入る。VIPルームも今夜はピンクと赤に染まっているが、ハートが多く可愛らしい一階とは違い、可憐な花やリースを飾り華やかながらも落ち着いた二人きりの空間に仕上がっている。最高級の座り心地のソファーにヒイラギが座り、ごく自然にその隣に座る。当初は慣れないVIPルームにどぎまぎしたものの、何度も彼と腰を落ち着けたせいでさすがに慣れた。
「こんばんは、ヒイラギさん。今夜はバレンタインですね」
「うん。なにかイベントがあるって聞いたけど。バレンタインだし、チョコをもらえるのかな?」
「そうです!」
部屋の隅、目立たない小さなテーブルに置かれたラッピングされた箱。そのひとつを手に取り、ヒイラギに差し出した。
「VIPルームにお越しのお客様に、キャストの手作りチョコを渡す日なんです」
「手作りチョコ……あ、ありがとう」
ヒイラギは箱を受け取りリボンを解きながら、隅のテーブルに目をやった。ヒイラギに渡したものと同じ箱がいくつか積んである。
「あそこに置いてあるのも、君の手作りチョコなの?」
「そうです。もしかしたら、ヒイラギさん以外にもVIPルームをご利用の方がいらっしゃるかもしれませんしね。なのでいくつか用意しました」
「ふーん……ねえ、ミコトさん。僕が閉店までVIPルームにいたら、あのチョコ全部僕にくれる?」
「えっ!?」
まだ開店したばかり、閉店までVIPルームにいるとなるととんでもない金額が必要だ。まさか彼がわかっていないはずはないだろうが、
「あの……これくらいかかりますよ……?」
「もちろん払うよ」
指で示した金額をさらりと受け入れられ、ミコトは言葉を失った。いやそれよりも、VIPルームにずっといるからといって全部渡していいのだろうか?あまりにも現実離れした提案に思考がおかしくなったが、とりあえずミコト一人で判断していいことではない。
「店長に聞いてきます。うちのシステム的に問題ないかとか、色々確認しないといけないので……」
「うん。行ってらっしゃい」
当の彼はにこにこと笑っていて、ミコトはよろめきそうになった。店長に説明したところ、
「マッカを払ってくれるなら言うとおりにしていいホ!先に徴収するホ!」
とVIPルームに入り込み、ヒイラギから閉店までのVIPルーム料金を受け取っていた。大量のマッカを抱えてVIPルームを出ていくジャアクフロストはスキップしそうな勢いで、とにかく機嫌がよかった。呆然と店長の黒い背中を見送っていたが、とにかく必要な手続きは終わった。ミコトは部屋の隅に置いていた箱をすべてヒイラギに差し出す。
「料金をお支払いいただきましたし、店長の許可も出ましたから、差し上げます。どうぞ」
「うん、ありがとう。嬉しいな」
店長ほどではないが、ヒイラギも金色の目を細めて嬉しそうに笑っていた。箱を開けると、ミコトの作った生チョコレートが姿を現す。ヒイラギはその一粒をつまみ、興味深そうに眺めていた。数秒眺めて口に含み、咀嚼する。
「ええと……ヒイラギさん、それ、素人の手作りで……あんまり期待されても……」
「美味しいよ?ほら」
ごくりと飲み込んだ後、ヒイラギがもう一粒生チョコレートをつまみ、笑顔でミコトの口の前に持ってくる。
「口開けて」
「へ!?」
「ほら、あーん」
ヒイラギが身を乗り出してくる。綺麗な彼の顔貌がすぐ近くに迫ってきて、生チョコレートよりもそちらに目がいってしまう。彼はやけに楽しそうに笑っていて、ミコトが食べるのはさも当然と言わんばかりの顔だ。驚愕のあまり硬直してしまったが、お客様から差し出されたものを食べないなど言語道断、ミコトはおずおずと口を開けた。ヒイラギは満足そうに頷き、ミコトの口に生チョコレートを放り込んだ。一番最初に感じるココアパウダーの苦味、チョコレートに柔らかく歯が沈むと甘味が広がっていく。美味しい。美味しいのだが、噛んで味わう様子をヒイラギにじっくり観察されている。目を合わせるのが気恥ずかしくて、彼の鼻と唇のあたりを視線がさまよった。
「えっと……その……なんでそんなに見るんですか?単にチョコ食べてるだけですよ」
「うん?可愛いなーって思って」
組んだ足に頬杖をつき、柔和に笑う彼の言葉にミコトの顔が発熱した。今ミコトの顔にチョコレートを貼り付けたら一瞬で溶けてしまう。指先についたココアパウダーを舐め取る彼の赤い舌が艶かしく浮かび上がる。
「ああああの!チョコ、たくさんありますけど、仲魔のみなさんに分けたりするんですか?」
「分ける?そんなことしないよ。全部僕のものだよ」
「ええ?結構量、ありますよ?」
「うん。知ってる。でも大丈夫。君の手作りチョコは誰にも渡さないよ、安心して」
ん?なんだか変なことを言われているような……?あれ……初めて見たときは神秘的な人だと思っていたが、思っていたよりも情熱的?
「あの、その……お金、大丈夫ですか?あんな額、私初めて見ましたよ」
「大丈夫だよ、むしろお金を使うことなんてあんまりないから助かるよ。君はお店の人なのに僕を心配してくれるんだね。優しいね、ありがとう」
「え、あ、はい……」
呆気に取られ、ミコトは脱力した。彼の笑顔は優しく甘いミルクチョコレートのようで、見つめていると平静ではいられなくなる。
「ね、ミコトさん。僕にも食べさせて?」
「えっと……?」
「ほら」
ヒイラギの手が困惑するミコトの右手を取り、生チョコレートに伸ばす。ミコトの右手の甲に彼の掌が重なっている。彼の体温を感じているうちに、指先がチョコレートの表面に触れた。ココアパウダーの粉っぽい感触に惚けていた頭が急速に現実に戻ってくる。彼に手を取られているという現実に。
「チョコくらい、取れますから……!」
「ん?そう?じゃあ待ってるね」
生チョコレートを一粒つまんで彼を見ると、両膝を揃えて背筋を伸ばし、待ち遠しいと言わんばかりの笑顔でミコトを見つめていた。雛に餌をやる親鳥の気分だ。彼は雛にたとえるほどいとけない存在には見えないが。
「口、開けてください」
「はい」
いちいち返事をしながらお行儀よく口を開ける彼は、もしかしたら子供かもしれない。おかしい、ミコトとあまり年が変わらないはずだけどと思いつつ、赤い舌の上にチョコレートを乗せた。ヒイラギは口と目を閉じ心静かに噛み続け、ごくりと飲み込むと、
「美味しいよ。君に食べさせてもらうともっと美味しくなるね」
満面の笑みを見せた。手を拭きながらミコトはその笑顔を真っ直ぐ見つめられなかった。赤面している。
「ミコトさん、どうしたの。こっち向いてよ」
「う……そ、その、恥ずかしくて……あの、ごめんなさい、お客様なのに」
「恥ずかしい?なんで?」
「……えっと……あの、ヒイラギさんって誰にでもこんな感じなんですか?」
「こんな感じ?」
「食べさせてって言ったり、手を取ったり……」
「ううん」
ヒイラギは静かに否定した。ぐっと身を乗り出し、ミコトの眼前まで彼の金色の瞳が迫る。
「違うよ。君だけだよ」
「……!あの、もしかして口説かれてます?私」
「うん」
「――!」
半分、いや八割くらい冗談で聞いたのに。顔どころか全身熱くなり言葉を失うミコトを、ヒイラギの金色の瞳は優しく射抜いてくる。
「君を独占したい。チョコだけじゃなくて、君を。君が他の悪魔と一緒にいる時間があるなんて耐えられないんだ」
身構えていなかったミコトの心に、直球どころか隕石に似た衝撃の言葉が降ってくる。驚愕する頭の片隅で、アリスに言われたよっぽど好きなんだね、の言葉がこだましている。あのときは本気にしていなかったのに。
気がつくとヒイラギがガラスを扱うような柔らかい仕草でミコトの手を取り、手の甲に口付けていた。突然手の甲に伝わってきた唇の感触がミコトの脳をぶん殴ってくる。彼は呆ける暇すら与えてくれない。
「あの……」
「はい、あーん」
何かを言いかけて唇を動かしたミコトの前に、生チョコレート。再び足を組んだヒイラギは優美に頬杖をつき、ミコトに笑いかけている。完全に出鼻を挫かれ続きを紡げなくなったミコトの唇にチョコレートがくっつく。ヒイラギは甘く笑いながら食べて、と目で訴えかけてくる。ミコトが口を開けてチョコレートを迎え入れると、閉じた唇にヒイラギの人差し指が押し当てられた。
「僕は君が好きだよ。せっかくだからちゃんと伝えたかった。そうだ、来月ホワイトデーでしょ?そのときに返事をくれたら嬉しいな」
人差し指が離れ、封じられていた唇が動かせるようになる。とりあえず口を動かして咀嚼する。ココアパウダーが苦い。飲み込んだとろとろの塊は甘さとほろ苦さが混じっている。ミコトはヒイラギを直視できなかった。こんなに真っ直ぐな気持ちをぶつけられるなんて思っていなかった。
「急にこんなこと言われて混乱しちゃった?ごめんね、ミコトさん」
「あ……その……お客さんから告白されるとか、聞いたことはありますけど……まさか私になんて思ってなくて……」
「ああ、そうなんだ?じゃあ君に告白したのは僕が初めてなんだ。初めてだったら戸惑うだろうね、でもそんな君も可愛いよ」
「――!!」
今夜は熱くなったり全身強張ったり忙しい。目を見開いて困惑するミコトに、ヒイラギの声が穏やかに響く。
「今日のその服も可愛いね。いちごチョコみたいで。リボンも可愛いよ」
ヒイラギの手がミコトの耳元に伸び、編み込んだ髪とピンクのリボンに触れる。突然の接触に反射的に体が震えた。ヒイラギが顔ごと近づいてくるから、キスされるかもなんて身構えてしまった。さすがに彼は弁えていたらしい……変に意識してしまったのはミコトの方だ。
「ミコトさん、閉店までだいぶ時間があるね。今夜は君を独り占めできるね。たくさんお話しようよ」
「は、はい……」
なんとか返事ができてミコトはほっとした。だが、今夜はまともな接客ができるだろうか?魔性の笑みを浮かべる彼を眺めながら、ミコトはざわめく心臓をなだめるのに必死だった。
初めては緊張する。当然だ。二度目はあまり緊張しない。……と、思っていた。
「はぁ……」
百合川ヒイラギは魔界で夜を迎えるたび、ジャアクフロストが経営するクラブ付近を彷徨っていた。あの夜訪れたのは、助けるべき人間がいるかもしれないから。では、二度目は?助けを求める声なんて聞こえてこないのに。
夜が来ると思い出す。クリスマスに訪れたクラブで少女に甘えて過ごしたことを。思い出すと戦いで乾いた心に一滴、清浄な水が落ちた思いだった。飢えているのだろうか。飢えている……何に?
気がつくと、今夜もギンザにあるクラブの前に立っている。夜に浮かび上がって輝くシックな店を見上げた。もう入れるのだろうか。心臓がうるさい。ヒイラギは青い髪を揺らして落ち着きなく歩いていた。
「……どうしたの」
突然の声に、それはもう驚くなんてものではなかった。しかし同時に、求めている声とは違うことも瞬時に理解した。ぎこちなく振り返ると、金色の髪の少女がいた。魔人アリスだ。影のある視線をヒイラギに寄越している。
「おにいちゃん、クリスマスにミコトおねえちゃんと一緒にいた人だよね」
「う、うん」
「……ミコトおねえちゃんなら、まだお客さん、いないよ」
アリスの大きな目がヒイラギをじっとりと観察している。背が低く幼い、見た目だけなら恐るるに足らない少女だが、不穏な力を持つ悪魔であることに変わりない。油断できない目だ。だが、彼女の言葉は的確にヒイラギの迷いに突き刺さる。
「ミコトおねえちゃん、常連さんいるから……すぐお客さん来ちゃうかも」
「じゃあミコトさんを指名するよ。案内して」
「わかった」
こくりと頷いた彼女が何だか意味ありげに笑ったのを、ヒイラギは見逃さなかった。一体何を考えているのだろうと警戒するが、促されるままに店内へ足を踏み入れた。クリスマスの装飾がなくなり、高級クラブらしい優雅な佇まいに落ち着いている。アリスに呼ばれ、奥からミコトが駆け寄ってきた。彼女の姿を認めた途端ヒイラギは硬直した。彼女に変な顔を見せていないか、不安になる。
「ヒイラギさん、お久しぶりです。アリスちゃんから聞きました、指名してくださってありがとうございます!」
そう言って礼をする彼女は前回のサンタ服とは違い、オフホワイトの清楚なワンピースドレスを着ていた。前回のような華やかさはないが、落ち着いた上品な衣装だ。しかしミコト本人はあどけない少女で明るい笑顔を浮かべており、ギャップのある印象に頭がくらくらした。
「あ、うん……」
気の利いた一言も言えず曖昧な返事をすると、ミコトはソファーに向かって歩いていく。ヒイラギは手を伸ばしそうになるのをぐっと堪え、声を上げた。
「待って。VIPルームに行きたい」
「え?あ、はい。わかりました」
お金なんてどうにでもなる。二人きりの空間か否かということは、この場所この時間では何よりも重要だ。普段からこまめにお金を集めていたのはこのときのためだったのだろう。久しぶりに訪れたVIPルームもクリスマスの賑やかな色彩ではなくなり、落ち着いた空間に様変わりしている。雰囲気は変わっても部屋の間取りや調度品は同じで、彼女と過ごした夜を思い出して胸が熱くなった。
「じゃあ、改めて……こんばんは、ヒイラギさん。お久しぶりです」
「うん、久しぶりだね。クリスマス以来だよね」
「ええ。またお会いできて嬉しいです」
広々としたソファーを二人で独占し、ミコトの視線を独り占めしている。ふと思った。アリスは常連がいると言っていた。この視線がヒイラギ以外に向けられることがあるのか。ほんの少し、膝に置いた指先に力が入ったのを感じた。
「またVIPルームにご指名なんて思いませんでした。結構なお値段しますから、ヒイラギさんとしか入ったことないんですよ」
「そうなの?ふーん……そっか……」
ヒイラギの口角が緩んだ。他の客がどんな悪魔か知らないが、一歩……いや、数歩先をいっている。たぶん。
「さっき常連さんがいるって聞いたけど、何人くらいいるの」
「えーと……四人といったところでしょうか。人、で数えていいのか微妙ですけど」
指折り数えるミコトの仕草を可愛いと思いつつも歯痒かった。そいつらは一体どれほどの時間を彼女と過ごしたのだろうか。変なことをされていないだろうか。ああそうだ、そういう方向で話をすればいいんだ。
「ミコトさん、この前来てから今まで、特に何もなかった?」
「何もないですよ。……もしかして、心配してくれてます?」
「そりゃそうだよ。人間が悪魔と一緒に働いてるなんて初めて見たから……大丈夫?暴力振るわれたり、無理強いされたりしてない?」
「あはは、大丈夫ですよ。店長もディオニュソスさんも優しくしてくれてますよ。でも、嬉しいです。ヒイラギさんに心配してもらえるなんて、ありがたいですよ。ヒイラギさんってお客様なんですけど、一緒にいるとなんだか落ち着くんですよね」
「……落ち着く?」
もしかしてとヒイラギの心が躍った。が、
「ええ。元々ヒイラギさんは人間だって言ってましたし、縄印学園の人でしたよね。周りは悪魔ばっかりですから、嬉しかったんです。私に近い人と会えて」
……思っていた答えと違う。心の中では思いきり落胆のため息が漏れたが、しかしこれは好機ではないか。ヒイラギには他の悪魔たちとは一線を画す重要な差がある。
「ねえ、ミコトさん。前は僕の話ばかり聞かせちゃったから、君のことを教えてよ」
時間は有限だ。彼女といられる今のうちに、たくさん話をして少しでも心の隙間に入り込みたい。ヒイラギは身を乗り出し、ミコトに尋ねた。
「バレンタインなんて美味しいイベント、逃す手はないホ!」
クリスマスが盛況だったことに味を占めたジャアクフロストが、近付くバレンタインデーを前に意気込んでいた。キャストの手作りチョコレートを客に配ろうという提案のもと、サキュバス、アリス、ミコトの三人は黙々とチョコレートを使った菓子を作っていた。サキュバスは手の込んだチョコレートケーキ、アリスはチョコレートのクッキー、ミコトは生チョコレートを作っていた。同じ空間に女性が三人、自然と雑談に花が咲く。
「ミコトちゃん、最近あの青い人がよく来てるわね」
「青い人……ヒイラギさんですか。確かにそうですね」
クリスマスに彼と初めて会ってから一ヶ月と少し。彼は定期的に店を訪れミコトを指名していた。必ずVIPルームのオプション付きで。ミコトが驚くのだから、他のキャストたちの間で噂になってもおかしくない。
「おにいちゃん、毎回VIPルームに入ってるよ。よっぽどおねえちゃんのことが好きなんだね」
「す……!?ええ……そうなのかな……」
鍋をへらでかき混ぜながら、ミコトは宙に視線を泳がせた。VIPルームの料金は大抵の悪魔が顔色を変えるもので、サキュバスやアリスでさえ経験した数は少ない。それを毎回となると、ミコトですら彼のお財布事情が心配になってしまう。
「VIPルームイコール好き、はちょっと単純すぎない?」
尋ねたミコトに返って来たのは、二人分の首振り。アリスもサキュバスも神妙な顔だった。
「そんなことないよ、おねえちゃん」
「あの金額はちょっと気になるくらいで払えるものじゃないわよ、ミコトちゃん」
「うーん……」
歯切れの悪いミコトに、サキュバスが悪戯っぽい笑みを浮かべながら近寄ってくる。
「ミコトちゃん、私聞いたことがあるわ。こういうお店で働く子とお客さんがそういう仲になって、お店を辞めるっていうの。ミコトちゃんがもしあの人とそういう雰囲気になったら、私たちは応援するわ。ねえ、アリスちゃん?」
「……うん。寂しいけどおねえちゃん、人間だし……人間の匂いがするおにいちゃんといるのが落ち着くとか、あるんじゃないかな」
「え、でも……私お店辞めたら困るなあ……」
ミコトは拾われた身だ。ジャアクフロストへの恩があるし、この場所をそれなりに気に入っている。悪魔ばかりの魔界で元とはいえ人間を見つけて嬉しいが、店を辞めるほどのことだろうか。
そうこうしているうちに、鍋の中で生クリームとミルクチョコレートが混ぜ合わさり、掬い取るとへらから滑らかに滴り落ちるクリーム状になっていた。これをバットに入れて冷蔵庫で冷やすと美味しい生チョコレートになる……はず。手間のかかるものではないが、その分大きく外すことはないはずだ。ふとヒイラギの顔が浮かんだ。彼はバレンタインの夜に店を訪れるのだろうか。イベントがあると話している。なんとなく彼がバレンタインの一番槍なんだろうな、と確信した。
バレンタインの夜。ピンクや赤のハート型の風船や赤い薔薇をハート型にまとめたブーケ等、店内はバレンタインの飾り付けで可愛らしい。キャストたちはピンクと深い茶色のいちごチョコレートを思わせるワンピースドレスを身に纏い、ピンク色のリボンやバレッタで髪を彩っている。ミコトはピンク色のリボンを髪とともに編み込んでいる。クリスマスの飾り付けとはまた違う、ふわふわと可憐な印象が漂うクラブにミコトの気分は高揚していた。今日限定のドレスは可愛らしいし、髪も一手間かけた分お洒落になった。この姿をお客様にも見てほしくてそわそわする。
「いらっしゃいませ」
客が入ってきたらしい。サキュバスの接客用の声でふと我に返り、入り口を見て固まった。……ヒイラギだ。
「ミコトちゃん、VIPルームにご指名よ。やっぱり彼が一番だったわね」
「うん。行ってきます。店長には言っておいてね」
サキュバスの妖艶なウインクに見送られながら、ヒイラギのもとに駆け寄った。彼はこのピンクと赤の店内の中、空のような青色で目立つ。彼と目を合わせながら微笑み、通い慣れたVIPルームに二人で入る。VIPルームも今夜はピンクと赤に染まっているが、ハートが多く可愛らしい一階とは違い、可憐な花やリースを飾り華やかながらも落ち着いた二人きりの空間に仕上がっている。最高級の座り心地のソファーにヒイラギが座り、ごく自然にその隣に座る。当初は慣れないVIPルームにどぎまぎしたものの、何度も彼と腰を落ち着けたせいでさすがに慣れた。
「こんばんは、ヒイラギさん。今夜はバレンタインですね」
「うん。なにかイベントがあるって聞いたけど。バレンタインだし、チョコをもらえるのかな?」
「そうです!」
部屋の隅、目立たない小さなテーブルに置かれたラッピングされた箱。そのひとつを手に取り、ヒイラギに差し出した。
「VIPルームにお越しのお客様に、キャストの手作りチョコを渡す日なんです」
「手作りチョコ……あ、ありがとう」
ヒイラギは箱を受け取りリボンを解きながら、隅のテーブルに目をやった。ヒイラギに渡したものと同じ箱がいくつか積んである。
「あそこに置いてあるのも、君の手作りチョコなの?」
「そうです。もしかしたら、ヒイラギさん以外にもVIPルームをご利用の方がいらっしゃるかもしれませんしね。なのでいくつか用意しました」
「ふーん……ねえ、ミコトさん。僕が閉店までVIPルームにいたら、あのチョコ全部僕にくれる?」
「えっ!?」
まだ開店したばかり、閉店までVIPルームにいるとなるととんでもない金額が必要だ。まさか彼がわかっていないはずはないだろうが、
「あの……これくらいかかりますよ……?」
「もちろん払うよ」
指で示した金額をさらりと受け入れられ、ミコトは言葉を失った。いやそれよりも、VIPルームにずっといるからといって全部渡していいのだろうか?あまりにも現実離れした提案に思考がおかしくなったが、とりあえずミコト一人で判断していいことではない。
「店長に聞いてきます。うちのシステム的に問題ないかとか、色々確認しないといけないので……」
「うん。行ってらっしゃい」
当の彼はにこにこと笑っていて、ミコトはよろめきそうになった。店長に説明したところ、
「マッカを払ってくれるなら言うとおりにしていいホ!先に徴収するホ!」
とVIPルームに入り込み、ヒイラギから閉店までのVIPルーム料金を受け取っていた。大量のマッカを抱えてVIPルームを出ていくジャアクフロストはスキップしそうな勢いで、とにかく機嫌がよかった。呆然と店長の黒い背中を見送っていたが、とにかく必要な手続きは終わった。ミコトは部屋の隅に置いていた箱をすべてヒイラギに差し出す。
「料金をお支払いいただきましたし、店長の許可も出ましたから、差し上げます。どうぞ」
「うん、ありがとう。嬉しいな」
店長ほどではないが、ヒイラギも金色の目を細めて嬉しそうに笑っていた。箱を開けると、ミコトの作った生チョコレートが姿を現す。ヒイラギはその一粒をつまみ、興味深そうに眺めていた。数秒眺めて口に含み、咀嚼する。
「ええと……ヒイラギさん、それ、素人の手作りで……あんまり期待されても……」
「美味しいよ?ほら」
ごくりと飲み込んだ後、ヒイラギがもう一粒生チョコレートをつまみ、笑顔でミコトの口の前に持ってくる。
「口開けて」
「へ!?」
「ほら、あーん」
ヒイラギが身を乗り出してくる。綺麗な彼の顔貌がすぐ近くに迫ってきて、生チョコレートよりもそちらに目がいってしまう。彼はやけに楽しそうに笑っていて、ミコトが食べるのはさも当然と言わんばかりの顔だ。驚愕のあまり硬直してしまったが、お客様から差し出されたものを食べないなど言語道断、ミコトはおずおずと口を開けた。ヒイラギは満足そうに頷き、ミコトの口に生チョコレートを放り込んだ。一番最初に感じるココアパウダーの苦味、チョコレートに柔らかく歯が沈むと甘味が広がっていく。美味しい。美味しいのだが、噛んで味わう様子をヒイラギにじっくり観察されている。目を合わせるのが気恥ずかしくて、彼の鼻と唇のあたりを視線がさまよった。
「えっと……その……なんでそんなに見るんですか?単にチョコ食べてるだけですよ」
「うん?可愛いなーって思って」
組んだ足に頬杖をつき、柔和に笑う彼の言葉にミコトの顔が発熱した。今ミコトの顔にチョコレートを貼り付けたら一瞬で溶けてしまう。指先についたココアパウダーを舐め取る彼の赤い舌が艶かしく浮かび上がる。
「ああああの!チョコ、たくさんありますけど、仲魔のみなさんに分けたりするんですか?」
「分ける?そんなことしないよ。全部僕のものだよ」
「ええ?結構量、ありますよ?」
「うん。知ってる。でも大丈夫。君の手作りチョコは誰にも渡さないよ、安心して」
ん?なんだか変なことを言われているような……?あれ……初めて見たときは神秘的な人だと思っていたが、思っていたよりも情熱的?
「あの、その……お金、大丈夫ですか?あんな額、私初めて見ましたよ」
「大丈夫だよ、むしろお金を使うことなんてあんまりないから助かるよ。君はお店の人なのに僕を心配してくれるんだね。優しいね、ありがとう」
「え、あ、はい……」
呆気に取られ、ミコトは脱力した。彼の笑顔は優しく甘いミルクチョコレートのようで、見つめていると平静ではいられなくなる。
「ね、ミコトさん。僕にも食べさせて?」
「えっと……?」
「ほら」
ヒイラギの手が困惑するミコトの右手を取り、生チョコレートに伸ばす。ミコトの右手の甲に彼の掌が重なっている。彼の体温を感じているうちに、指先がチョコレートの表面に触れた。ココアパウダーの粉っぽい感触に惚けていた頭が急速に現実に戻ってくる。彼に手を取られているという現実に。
「チョコくらい、取れますから……!」
「ん?そう?じゃあ待ってるね」
生チョコレートを一粒つまんで彼を見ると、両膝を揃えて背筋を伸ばし、待ち遠しいと言わんばかりの笑顔でミコトを見つめていた。雛に餌をやる親鳥の気分だ。彼は雛にたとえるほどいとけない存在には見えないが。
「口、開けてください」
「はい」
いちいち返事をしながらお行儀よく口を開ける彼は、もしかしたら子供かもしれない。おかしい、ミコトとあまり年が変わらないはずだけどと思いつつ、赤い舌の上にチョコレートを乗せた。ヒイラギは口と目を閉じ心静かに噛み続け、ごくりと飲み込むと、
「美味しいよ。君に食べさせてもらうともっと美味しくなるね」
満面の笑みを見せた。手を拭きながらミコトはその笑顔を真っ直ぐ見つめられなかった。赤面している。
「ミコトさん、どうしたの。こっち向いてよ」
「う……そ、その、恥ずかしくて……あの、ごめんなさい、お客様なのに」
「恥ずかしい?なんで?」
「……えっと……あの、ヒイラギさんって誰にでもこんな感じなんですか?」
「こんな感じ?」
「食べさせてって言ったり、手を取ったり……」
「ううん」
ヒイラギは静かに否定した。ぐっと身を乗り出し、ミコトの眼前まで彼の金色の瞳が迫る。
「違うよ。君だけだよ」
「……!あの、もしかして口説かれてます?私」
「うん」
「――!」
半分、いや八割くらい冗談で聞いたのに。顔どころか全身熱くなり言葉を失うミコトを、ヒイラギの金色の瞳は優しく射抜いてくる。
「君を独占したい。チョコだけじゃなくて、君を。君が他の悪魔と一緒にいる時間があるなんて耐えられないんだ」
身構えていなかったミコトの心に、直球どころか隕石に似た衝撃の言葉が降ってくる。驚愕する頭の片隅で、アリスに言われたよっぽど好きなんだね、の言葉がこだましている。あのときは本気にしていなかったのに。
気がつくとヒイラギがガラスを扱うような柔らかい仕草でミコトの手を取り、手の甲に口付けていた。突然手の甲に伝わってきた唇の感触がミコトの脳をぶん殴ってくる。彼は呆ける暇すら与えてくれない。
「あの……」
「はい、あーん」
何かを言いかけて唇を動かしたミコトの前に、生チョコレート。再び足を組んだヒイラギは優美に頬杖をつき、ミコトに笑いかけている。完全に出鼻を挫かれ続きを紡げなくなったミコトの唇にチョコレートがくっつく。ヒイラギは甘く笑いながら食べて、と目で訴えかけてくる。ミコトが口を開けてチョコレートを迎え入れると、閉じた唇にヒイラギの人差し指が押し当てられた。
「僕は君が好きだよ。せっかくだからちゃんと伝えたかった。そうだ、来月ホワイトデーでしょ?そのときに返事をくれたら嬉しいな」
人差し指が離れ、封じられていた唇が動かせるようになる。とりあえず口を動かして咀嚼する。ココアパウダーが苦い。飲み込んだとろとろの塊は甘さとほろ苦さが混じっている。ミコトはヒイラギを直視できなかった。こんなに真っ直ぐな気持ちをぶつけられるなんて思っていなかった。
「急にこんなこと言われて混乱しちゃった?ごめんね、ミコトさん」
「あ……その……お客さんから告白されるとか、聞いたことはありますけど……まさか私になんて思ってなくて……」
「ああ、そうなんだ?じゃあ君に告白したのは僕が初めてなんだ。初めてだったら戸惑うだろうね、でもそんな君も可愛いよ」
「――!!」
今夜は熱くなったり全身強張ったり忙しい。目を見開いて困惑するミコトに、ヒイラギの声が穏やかに響く。
「今日のその服も可愛いね。いちごチョコみたいで。リボンも可愛いよ」
ヒイラギの手がミコトの耳元に伸び、編み込んだ髪とピンクのリボンに触れる。突然の接触に反射的に体が震えた。ヒイラギが顔ごと近づいてくるから、キスされるかもなんて身構えてしまった。さすがに彼は弁えていたらしい……変に意識してしまったのはミコトの方だ。
「ミコトさん、閉店までだいぶ時間があるね。今夜は君を独り占めできるね。たくさんお話しようよ」
「は、はい……」
なんとか返事ができてミコトはほっとした。だが、今夜はまともな接客ができるだろうか?魔性の笑みを浮かべる彼を眺めながら、ミコトはざわめく心臓をなだめるのに必死だった。