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剥落
夏は嫌いだ。もともと暑いのは好きじゃないし、ミコトがいなくなったことを嫌でも思い出すから。
今日は朝から雨が降り続いている。灰色の雲に覆われたどんよりした空、景色が少し白っぽく見えるくらい激しく降る雨。じめじめと蒸し暑く見るからに歩きにくそうでげんなりした。でも今日は出かけなきゃいけない。僕は学生寮の出口で傘を広げた。そして歩き出す。
去年、信号無視の車に轢かれてミコトはこの世を去った。前日まで元気で、一緒に帰ったりデートしたりしてたのに。突然いなくなってしまった。
最初は気がつかなかった。いつもどおり夜にメッセージアプリで連絡しても未読のままだったから、おかしいなと思っていた。翌日、担任からミコトが事故に遭ったことを知らされた。事故の日、いつもどおり一緒に帰ろうと声をかけたら、
「ごめんね、ヒイラギくん。ちょっと寄りたいところがあるから、今日は別々で!」
と言われミコトの背中を見送った。それが生きているミコトを見た最後だった。あの後ミコトは事故に遭った。
ミコトは事故の後すぐ病院に運び込まれ、しばらくは意識のない状態だったが結局目を覚ますことなく亡くなったらしい。僕も病院に行ったが、家族以外は面会禁止で一目見ることも叶わなかった。僕が最後に見たのは笑顔のミコトだった。それだけは不幸中の幸いだろう。
黙々と僕は歩を進める。降り続く雨にいつもは忙しない蝉も黙りこくり、雨粒が世界を濡らしアスファルトを叩く音だけが聞こえる。世界全部が濡れる。その中をひたすらに歩く。やがて一軒の家に辿り着いた。二階建てのごく普通の家、表札には「月森」と書いてある。インターフォンを押すと女の人の声が聞こえた。どなた、と尋ねる声に名乗ると玄関の扉が開いた。
「ああ、百合川ヒイラギさんですね。どうぞ」
出てきたのはミコトのお母さんだった。僕は会釈をすると、ミコトの実家に足を踏み入れる。この家を訪れるのは初めてだが、不思議と緊張はしなかった。ミコトの痕跡が残っているだろう場所に入れることが、単純に嬉しい。もうこの世にミコトがいたことがわかるような場所は、ほとんどないから。
「お邪魔します」
家に入りリビングに通された。座ってくださいと言われテーブルに座り、綺麗なテーブルを何となしに見つめた。俯いていると、お母さんが向かい側に座った。
「わざわざ来てくれてありがとう、百合川さん」
お母さんは優しい笑顔を浮かべていた。ミコトの笑った顔に似ている。そう思っただけで鼻のあたりが熱くなってきた。……いけないな。最近、涙腺が緩んでる気がする。
「いえ、僕こそありがとうございます」
「あなたが来てくれたから、ミコトもきっと喜ぶわ」
「……そう、ですね……」
「あの子が亡くなって一年になるのね」
壁にかかっているカレンダーを見てお母さんは目を細めた。今日はミコトが亡くなった日――たぶん一生忘れられない日。僕はカレンダーを見なかった。数字は僕に現実を突きつけてくる。もうすぐ僕はミコトより年上になってしまう。一年という時間にこれ以上ない重みを感じた。
「まだ信じられないわ、あの子がいないなんて……夏休みに帰ってきそうな気がするのよ」
今は夏。ミコトが亡くなったのは夏休みの直前だった。あの事故がなければ実家に帰ったりもしていただろう。ご両親もきっとそれを楽しみにしていただろうから、僕は何も言えなかった。こういうとき何を言ったらいいのかわからない。僕は膝の上で拳を握りしめて黙ることしかできなかった。
「百合川さん、今日は手を合わせにきてくれたのでしょう。そろそろ行きましょうか」
「……はい」
お母さんに促されて立ち上がる。二階に上がり、部屋に通された。可愛い色合いの机と椅子、ベッド。大小様々なミコトの私物で溢れた部屋に、本来ならなかった仏壇が置かれている。仏壇だけ明らかに異質な空気を纏っていて、この部屋の主がもういないことを感じさせる。だがこの部屋が、おそらく今ミコトを最も感じられる場所だ。何だか懐かしいような落ち着きを覚えた。
「私はリビングに戻るから、終わったら声をかけてちょうだいね」
「……わかりました。ありがとうございます」
お母さんが出ていったのを確認し、僕は仏壇の前に座った。ミコトの笑顔の写真が中央に置かれ、その周囲にお菓子や花がたくさん供えられている。僕は小さなプリザーブドフラワーを取り出して、空いたスペースに置かせてもらう。生花を供えるのは何となく嫌だった。僕の思いがすぐに枯れてしまうような、そんな気がして。
仏前で蝋燭の火が揺れている。お母さんからお線香をあげてね、と言われたことを思い出す。蝋燭の火に線香を近づけると、細い煙が立つ。今の僕に沁みる穏やかな香りが漂う。線香を立てるとゆらゆらと白い煙が一本、天井に向かって昇っていく。この煙が天国にいるミコトに届くらしいが、ちゃんと僕がいるって伝えられているだろうか。
仏壇に向かって頭を下げ、両手を合わせた。ミコトには話したいことがたくさんある。僕は心の中で呟いた。
――ミコト、久しぶりだね。君がいなくなって一年経ったよ。僕だけ三年生になっちゃった。ミコトは行きたい大学があるって言ってたよね?……僕も進学するつもりだけど、どこの大学っていうのを決められなくてさ。こんなこと言ったら駄目かもしれないけど、何だかどうでもよくなっちゃって。でも決めなきゃいけないから、ゆっくり考えるよ。ねえミコト、天国ってどんなところ?すごく興味があるから、話を聞かせてほしいな。きっとミコトなら天国でも友達がたくさんできて、僕がいなくても楽しく過ごせてるんじゃないかなって思ってるんだ。あ、でも僕のことは忘れないでいてくれると嬉しいな。僕がそっちに行くのがいつになるかわからないけど、おじいちゃんになってるかもしれないけど、でも……僕を覚えていてほしい。……ミコト。君がいなくなったなんて、本当はまだ信じたくないよ。君がまだ生きているような気がしてるんだ。学生寮のミコトの部屋、綺麗に掃除されちゃって今は空き部屋になってて、実家にも君はいなくて、メッセージを送っても未読のままで、電話にも出てくれなくて、……。やっぱりもう、君はどこにもいないんだよね?だって君は、こんな悪趣味なドッキリなんてしないものね。もしも今すぐ僕が君の後を追いかけたら、何て言うかな。喜んでくれるかな。それとも怒られるかな。……なんか、怒られそうだね。そんな気がする。僕、まだ死ねないんだ。生きていたくもないけど、死にたいとも思えなくて……せめて僕が生きている間は、君にたくさんお話するよ。僕の話、聞いてくれるかな。これからも……よろしくね。
顔を上げて目を開けると、笑顔のミコトと目が合った。
「う……うう……」
声が漏れた。涙が止まらない。零れ落ちる雫は、僕に空白を教えてくれる。ミコトがいない空白を。これからも僕はこの空白を抱えて生きていく。いつか、この空白を埋められるときが来るのだろうか。
しばらく泣いていた。あんまり長居するのもよくないから、とか迷惑をかけるから、とか色々思い浮かぶが、どうしても涙が止まらなかった。ハンカチが濡れて重たくなる。思う存分泣いて、自分の中の雨を落とした気がした。まだ少し胸の奥が痛いけど、目が腫れてる気がするけど、落ち着いた。仏壇のミコトに笑いかける。ちょっと格好悪い笑顔かもしれないが、ミコトは許してくれる気がした。
帰ろう。この部屋は――この部屋はミコトがいるような気がするから、僕を際限なく甘やかしてくる。ミコトの記憶に溺れるのもたまにならいいが、僕は現実を生きていかないといけない。もうミコトがいないことを、ちゃんと噛み締めていないといけない。
「ありがとうございました」
リビングにいたお母さんに声をかけると、にっこり笑って何か袋を差し出してきた。綺麗なラッピングがされた袋だった。袋には可愛い文字で「happy birthday」と書かれている。誕生日プレゼントだろうか。……誕生日?
「百合川さん。これ、きっとあなたのものよ」
「え?」
「ミコトの荷物を整理していたら出てきたの。事故に遭った日、ミコトが買ったみたいなの。私もお父さんも誕生日は秋だし、他のお友達も違うみたいで……もしあなたが夏にお生まれなら、きっとあなた宛てのプレゼントよ」
「あ……僕……あさって、誕生日、です……」
「そう。じゃあ、あなた宛のプレゼントだわ。受け取ってちょうだい」
「……」
手が震えていた。袋を受け取る。思っていたより軽い。四角く細長い箱が入っている。開けてみると、上等なボールペンが綺麗に納められていた。学生の僕が持つには不釣り合いなくらい、鈍く格好いい輝きを放っている。ペンに僕の名前がローマ字で刻まれている――僕に宛てたプレゼントであることは明白だった。きっと高かっただろうな、僕に直接渡したかっただろうな、なんて思ってまた泣きそうになった。
「ありがとう、百合川さん」
お母さんに何て返したか覚えていない。気がつくと僕は家の外にいた。あれだけ降っていた雨は止み、雲間から夏の明るい日差しが世界を照らしている。蝉がうるさく鳴き、夏の明るさ、賑やかさが戻ってくる。
ここに来るときには持っていなかった袋。ボールペンと箱しか入っていないから軽い。軽いけど、とんでもなく重かった。このペンを使うかどうかはまたゆっくり考えよう。綺麗に大切に置いておくべきかもしれないから。
雨が止んだ帰り道はしっとり濡れ、夏の日差しに輝いている。水溜りを踏むと、飛沫がきらきらと光を反射しながら散っていく。ふと見上げた空に虹が見えた。灰色に曇った空の中に、七色の橋が架かっている。あの橋を渡ったらミコトのいる場所に行けるような気がしたが、まだ早い。いつか僕にお迎えが来るまで生き続ける。ミコトにたくさんの土産話を持って逝くために。
夏は嫌いだ。もともと暑いのは好きじゃないし、ミコトがいなくなったことを嫌でも思い出すから。
今日は朝から雨が降り続いている。灰色の雲に覆われたどんよりした空、景色が少し白っぽく見えるくらい激しく降る雨。じめじめと蒸し暑く見るからに歩きにくそうでげんなりした。でも今日は出かけなきゃいけない。僕は学生寮の出口で傘を広げた。そして歩き出す。
去年、信号無視の車に轢かれてミコトはこの世を去った。前日まで元気で、一緒に帰ったりデートしたりしてたのに。突然いなくなってしまった。
最初は気がつかなかった。いつもどおり夜にメッセージアプリで連絡しても未読のままだったから、おかしいなと思っていた。翌日、担任からミコトが事故に遭ったことを知らされた。事故の日、いつもどおり一緒に帰ろうと声をかけたら、
「ごめんね、ヒイラギくん。ちょっと寄りたいところがあるから、今日は別々で!」
と言われミコトの背中を見送った。それが生きているミコトを見た最後だった。あの後ミコトは事故に遭った。
ミコトは事故の後すぐ病院に運び込まれ、しばらくは意識のない状態だったが結局目を覚ますことなく亡くなったらしい。僕も病院に行ったが、家族以外は面会禁止で一目見ることも叶わなかった。僕が最後に見たのは笑顔のミコトだった。それだけは不幸中の幸いだろう。
黙々と僕は歩を進める。降り続く雨にいつもは忙しない蝉も黙りこくり、雨粒が世界を濡らしアスファルトを叩く音だけが聞こえる。世界全部が濡れる。その中をひたすらに歩く。やがて一軒の家に辿り着いた。二階建てのごく普通の家、表札には「月森」と書いてある。インターフォンを押すと女の人の声が聞こえた。どなた、と尋ねる声に名乗ると玄関の扉が開いた。
「ああ、百合川ヒイラギさんですね。どうぞ」
出てきたのはミコトのお母さんだった。僕は会釈をすると、ミコトの実家に足を踏み入れる。この家を訪れるのは初めてだが、不思議と緊張はしなかった。ミコトの痕跡が残っているだろう場所に入れることが、単純に嬉しい。もうこの世にミコトがいたことがわかるような場所は、ほとんどないから。
「お邪魔します」
家に入りリビングに通された。座ってくださいと言われテーブルに座り、綺麗なテーブルを何となしに見つめた。俯いていると、お母さんが向かい側に座った。
「わざわざ来てくれてありがとう、百合川さん」
お母さんは優しい笑顔を浮かべていた。ミコトの笑った顔に似ている。そう思っただけで鼻のあたりが熱くなってきた。……いけないな。最近、涙腺が緩んでる気がする。
「いえ、僕こそありがとうございます」
「あなたが来てくれたから、ミコトもきっと喜ぶわ」
「……そう、ですね……」
「あの子が亡くなって一年になるのね」
壁にかかっているカレンダーを見てお母さんは目を細めた。今日はミコトが亡くなった日――たぶん一生忘れられない日。僕はカレンダーを見なかった。数字は僕に現実を突きつけてくる。もうすぐ僕はミコトより年上になってしまう。一年という時間にこれ以上ない重みを感じた。
「まだ信じられないわ、あの子がいないなんて……夏休みに帰ってきそうな気がするのよ」
今は夏。ミコトが亡くなったのは夏休みの直前だった。あの事故がなければ実家に帰ったりもしていただろう。ご両親もきっとそれを楽しみにしていただろうから、僕は何も言えなかった。こういうとき何を言ったらいいのかわからない。僕は膝の上で拳を握りしめて黙ることしかできなかった。
「百合川さん、今日は手を合わせにきてくれたのでしょう。そろそろ行きましょうか」
「……はい」
お母さんに促されて立ち上がる。二階に上がり、部屋に通された。可愛い色合いの机と椅子、ベッド。大小様々なミコトの私物で溢れた部屋に、本来ならなかった仏壇が置かれている。仏壇だけ明らかに異質な空気を纏っていて、この部屋の主がもういないことを感じさせる。だがこの部屋が、おそらく今ミコトを最も感じられる場所だ。何だか懐かしいような落ち着きを覚えた。
「私はリビングに戻るから、終わったら声をかけてちょうだいね」
「……わかりました。ありがとうございます」
お母さんが出ていったのを確認し、僕は仏壇の前に座った。ミコトの笑顔の写真が中央に置かれ、その周囲にお菓子や花がたくさん供えられている。僕は小さなプリザーブドフラワーを取り出して、空いたスペースに置かせてもらう。生花を供えるのは何となく嫌だった。僕の思いがすぐに枯れてしまうような、そんな気がして。
仏前で蝋燭の火が揺れている。お母さんからお線香をあげてね、と言われたことを思い出す。蝋燭の火に線香を近づけると、細い煙が立つ。今の僕に沁みる穏やかな香りが漂う。線香を立てるとゆらゆらと白い煙が一本、天井に向かって昇っていく。この煙が天国にいるミコトに届くらしいが、ちゃんと僕がいるって伝えられているだろうか。
仏壇に向かって頭を下げ、両手を合わせた。ミコトには話したいことがたくさんある。僕は心の中で呟いた。
――ミコト、久しぶりだね。君がいなくなって一年経ったよ。僕だけ三年生になっちゃった。ミコトは行きたい大学があるって言ってたよね?……僕も進学するつもりだけど、どこの大学っていうのを決められなくてさ。こんなこと言ったら駄目かもしれないけど、何だかどうでもよくなっちゃって。でも決めなきゃいけないから、ゆっくり考えるよ。ねえミコト、天国ってどんなところ?すごく興味があるから、話を聞かせてほしいな。きっとミコトなら天国でも友達がたくさんできて、僕がいなくても楽しく過ごせてるんじゃないかなって思ってるんだ。あ、でも僕のことは忘れないでいてくれると嬉しいな。僕がそっちに行くのがいつになるかわからないけど、おじいちゃんになってるかもしれないけど、でも……僕を覚えていてほしい。……ミコト。君がいなくなったなんて、本当はまだ信じたくないよ。君がまだ生きているような気がしてるんだ。学生寮のミコトの部屋、綺麗に掃除されちゃって今は空き部屋になってて、実家にも君はいなくて、メッセージを送っても未読のままで、電話にも出てくれなくて、……。やっぱりもう、君はどこにもいないんだよね?だって君は、こんな悪趣味なドッキリなんてしないものね。もしも今すぐ僕が君の後を追いかけたら、何て言うかな。喜んでくれるかな。それとも怒られるかな。……なんか、怒られそうだね。そんな気がする。僕、まだ死ねないんだ。生きていたくもないけど、死にたいとも思えなくて……せめて僕が生きている間は、君にたくさんお話するよ。僕の話、聞いてくれるかな。これからも……よろしくね。
顔を上げて目を開けると、笑顔のミコトと目が合った。
「う……うう……」
声が漏れた。涙が止まらない。零れ落ちる雫は、僕に空白を教えてくれる。ミコトがいない空白を。これからも僕はこの空白を抱えて生きていく。いつか、この空白を埋められるときが来るのだろうか。
しばらく泣いていた。あんまり長居するのもよくないから、とか迷惑をかけるから、とか色々思い浮かぶが、どうしても涙が止まらなかった。ハンカチが濡れて重たくなる。思う存分泣いて、自分の中の雨を落とした気がした。まだ少し胸の奥が痛いけど、目が腫れてる気がするけど、落ち着いた。仏壇のミコトに笑いかける。ちょっと格好悪い笑顔かもしれないが、ミコトは許してくれる気がした。
帰ろう。この部屋は――この部屋はミコトがいるような気がするから、僕を際限なく甘やかしてくる。ミコトの記憶に溺れるのもたまにならいいが、僕は現実を生きていかないといけない。もうミコトがいないことを、ちゃんと噛み締めていないといけない。
「ありがとうございました」
リビングにいたお母さんに声をかけると、にっこり笑って何か袋を差し出してきた。綺麗なラッピングがされた袋だった。袋には可愛い文字で「happy birthday」と書かれている。誕生日プレゼントだろうか。……誕生日?
「百合川さん。これ、きっとあなたのものよ」
「え?」
「ミコトの荷物を整理していたら出てきたの。事故に遭った日、ミコトが買ったみたいなの。私もお父さんも誕生日は秋だし、他のお友達も違うみたいで……もしあなたが夏にお生まれなら、きっとあなた宛てのプレゼントよ」
「あ……僕……あさって、誕生日、です……」
「そう。じゃあ、あなた宛のプレゼントだわ。受け取ってちょうだい」
「……」
手が震えていた。袋を受け取る。思っていたより軽い。四角く細長い箱が入っている。開けてみると、上等なボールペンが綺麗に納められていた。学生の僕が持つには不釣り合いなくらい、鈍く格好いい輝きを放っている。ペンに僕の名前がローマ字で刻まれている――僕に宛てたプレゼントであることは明白だった。きっと高かっただろうな、僕に直接渡したかっただろうな、なんて思ってまた泣きそうになった。
「ありがとう、百合川さん」
お母さんに何て返したか覚えていない。気がつくと僕は家の外にいた。あれだけ降っていた雨は止み、雲間から夏の明るい日差しが世界を照らしている。蝉がうるさく鳴き、夏の明るさ、賑やかさが戻ってくる。
ここに来るときには持っていなかった袋。ボールペンと箱しか入っていないから軽い。軽いけど、とんでもなく重かった。このペンを使うかどうかはまたゆっくり考えよう。綺麗に大切に置いておくべきかもしれないから。
雨が止んだ帰り道はしっとり濡れ、夏の日差しに輝いている。水溜りを踏むと、飛沫がきらきらと光を反射しながら散っていく。ふと見上げた空に虹が見えた。灰色に曇った空の中に、七色の橋が架かっている。あの橋を渡ったらミコトのいる場所に行けるような気がしたが、まだ早い。いつか僕にお迎えが来るまで生き続ける。ミコトにたくさんの土産話を持って逝くために。