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Siren
愛は甘美なもの。
愛は酔わせるもの。
愛は、溺れるもの。
月森さんが死んだ。彼女が死んだのは数週間前。学生寮の部屋でぶらんと吊り下がっていたらしい。その彼女は今、僕と二人きり。僕の膝に頭を乗せ、一生起きない体を僕に預けている。
ナホビノ――最初はなりたくてなったわけではないし、嫌だった。でもナホビノの力は強大だ。彼女の部屋を僕以外誰も入れない二人の空間にできたし、本来なら腐っていく彼女の体を綺麗なまま大切に保存できる。さすがに死んでしまったものを生き返らせることはできないが、たとえできたとしても僕はしなかっただろう。
だって――彼女をすぐ近くで独占できるのだから。
僕は穏やかに眠る彼女の頭を撫でた。さらさらと流れる綺麗な髪、ずっと触れたかった。頬に手を添えると硬く冷たい感触。生きているときは赤く生き生きとしていた頬、そこから血色は失われ青白く透き通っている。ああ……とても綺麗だ。頬を指先で撫で首筋までつつとなぞると、首には縄の痕。この痕もなかったらよかったのにと最初は思ったけど、今は黒く滲んだ痕も愛おしくてたまらない。彼女が生きていたときに抱えていた重いものを、この縄に託して逝ったんだ。そう思うと、とても大切で崇高なものに思えた。縄の痕なんてその気になれば消せるけど、そんな無粋なことはしたくない。彼女の命が消えた瞬間をそのまま残しているのだから。
人の死は尊いもの――こんなに美しく佇む月森さんを眺めていたら、自然とそんな風に思うようになった。生きていたときよりもずっと綺麗だ。何も言わず僕のそばにいてくれる彼女が愛おしくて、もう一生このまま過ごしたって構わない。
「お化粧してみようか」
月森さんは何もしなくてももちろん綺麗なんだけど、興味が湧いた。お化粧なんてしたことがないが、たぶん月森さんにはこんな色が似合う。口紅を手に取った。今の彼女の唇は紫色。だからちょっと明るめのピンクに近い赤にしてみた。膝の上の彼女に口紅を塗ってみる。あれ、塗りにくいな。膝枕しながらだとやりにくい……新たな気付きだ、今度から別の体勢でやってみよう。唇からはみ出した口紅を指で拭う。丁寧に、丹念に。冷たくて心地いい。
彼女の閉じた唇に鮮烈な赤い色。唇にだけ生気が戻ったような、ちょっとちぐはぐな印象を受ける。うーん、口紅だけだと浮いちゃうなあ。化粧ってチークとかファンデーションとか他にも色々あるみたいだけど、そういうのもやってみないと変かも。でも、こんな彼女も悪くない。僕は月森さんを抱き上げ、口紅を塗ったばかりの彼女に口付けた。冷たい。冷たい唇に何度も口付けて僕の体温を押し付ける。唇を離すと彼女の口元に口紅が広がり、薄く赤い花が咲く。なんだか血に似てる。僕の唇にも何かが薄く伸びている気がして口元を拭うと、手に赤い口紅がついた。僕と月森さん、お揃いの色だ。なるほど、お化粧ってこういうこともあるのか。たとえばチークをした彼女に頬ずりしたら、僕もその色になるんだね。……素敵じゃないか。もう少し早く気付きたかったなあ。
抱き上げた彼女の腕はだらんと垂れ下がっている。彼女の右手を取り、硬く強張った指の間に僕の指を滑り込ませて恋人繋ぎをしてみる。ちょっとやりづらいけど、彼女の指も曲げてお互いにぎゅっと握り合う形を作ってみる。冷え切った青白い彼女の掌と、ナホビノの服に覆われた僕の掌。違う掌同士が重なり合って、何かを祈っているように見える。僕には祈ることなんてもうないけど、尊い祈りの形だ。握った彼女の手の甲にキスを落とすと、口紅のキスマークが残る。あぁ、なるほどね?こうやって彼女に印をつけられるんだ。素敵じゃないか。
ふと窓の外に目をやる。東京が崩れて消えていく。ここは二人だけの世界だから影響はないはずだけど……かりそめの東京が消えていく光景には、ほんの少し不安を覚える。
「少年」
「……なに?」
僕の頭の中でアオガミの声が聞こえた。ずいぶんと久しぶりに聞いた、自分以外の声。
「創世を行うべきではないか」
「どうして?」
「神の奇跡が消え失せるとき、今少年がいるこの空間も無事とは限らない。君は永遠に取り残される可能性がある」
「いいよ、別に……月森さんさえいれば、僕は……」
ぎゅうと彼女の体を抱きしめた。冷たい。
「その少女は人間だ。人間が突然姿を消すことがあるという。少年、君は無事でも少女は消えてしまうだろう」
「……!」
血の気が引いた。一気に体が冷え悪寒が走る。消える?月森さんが?僕を残して?そんな……そんなこと、あってはならない。やっと彼女と一緒になれたのに。
「創世したら、また月森さんに会えるかな?」
「東京そのものを新たな理に基づいて創り直すものと解釈している。よって、新たな東京で少女と邂逅可能と判断」
「…………」
東京なんて、創世なんてどうでもいい。でも、このままだと彼女が消えてしまうかもしれないのなら……。
「……アオガミ、ありがとう」
アオガミ、君は愚かな僕に大切なことを教えてくれた。そうか、このまま永遠に過ごすことはできないんだ。身を裂かれそうだが、涙を飲んでいっとき彼女と離れる必要があるみたいだ。できることなら連れていきたい。でも、それは……。僕はもう一度彼女に口付けた。何度も唇の感触を味わってキスを終える。せっかく繋いだ彼女の右手も解いてしまう。彼女の右手の甲にうっすらキスの痕が残っているのが唯一の救い。
名残惜しいが仕方がない。新たに創世した東京でもう一度、彼女と会おう。
朝の品川駅。百合の描かれた制服。縄印学園の生徒たち。僕――百合川ヒイラギもそのひとり。いつもどおりの朝だ。人が多い。すれ違う人たちを横目に見ながら僕は縄印学園に向かう。彼女はいるだろうか。あたりを見回しながら歩く。……いた。友達と楽しそうに話しながら歩いていく彼女の姿を認識して、僕は笑った。とても前の東京で自殺を選んだ人間には見えないが、僕にはわかる。今回の彼女もいつかどこかで命を絶つのだろう。
僕はぎゅっと拳を握った。ナホビノの力――それは新しい東京になっても失われていない、むしろ強まっている。創世の王座についたことで力が増した気がする。今すぐ彼女を操って××させて……。慌ててかぶりを振った。いや、違う。あの彼女が綺麗だったのは、他でもない自分の意思で命を絶ったからだ。
正門をくぐり、下駄箱に着いた。ちょうど月森さんも友達と別れ、ひとりで教室に行くみたいだ。僕は素早く彼女に近付き、
「おはよう、月森さん」
すれ違いざまに挨拶をする。彼女は一瞬驚いた顔をしたが、
「おはよう」
そう返してくれた。嬉しい。前の東京ではあまり声を聞けなかった。そうか、死んでたら声が聞けないんだよな……。教室に入り席に座ると、月森さんの後ろ姿が目に入る。同じクラスだけど微妙に手が届かない席配置なのは、前と同じ。もどかしいね、あんなに一緒だったのに。
まだ生きている彼女を眺めていると、自然と彼女の右手の甲をまじまじと注視していた。当たり前だけど、キスマークはまだない。
今は彼女の血色のいい肌を、心地いい声を、よく心に刻んでおこう。きっといずれ、あの美しい彼女にまた会えるだろうから。制服のポケットには口紅が一本、転がっている。この口紅をもう一度……いや、何回も使うときが来るだろう。
僕はいつまでだって、待っている。
愛は崇高なもの。
愛は不滅なるもの。
愛は、永遠なるもの。
愛は甘美なもの。
愛は酔わせるもの。
愛は、溺れるもの。
月森さんが死んだ。彼女が死んだのは数週間前。学生寮の部屋でぶらんと吊り下がっていたらしい。その彼女は今、僕と二人きり。僕の膝に頭を乗せ、一生起きない体を僕に預けている。
ナホビノ――最初はなりたくてなったわけではないし、嫌だった。でもナホビノの力は強大だ。彼女の部屋を僕以外誰も入れない二人の空間にできたし、本来なら腐っていく彼女の体を綺麗なまま大切に保存できる。さすがに死んでしまったものを生き返らせることはできないが、たとえできたとしても僕はしなかっただろう。
だって――彼女をすぐ近くで独占できるのだから。
僕は穏やかに眠る彼女の頭を撫でた。さらさらと流れる綺麗な髪、ずっと触れたかった。頬に手を添えると硬く冷たい感触。生きているときは赤く生き生きとしていた頬、そこから血色は失われ青白く透き通っている。ああ……とても綺麗だ。頬を指先で撫で首筋までつつとなぞると、首には縄の痕。この痕もなかったらよかったのにと最初は思ったけど、今は黒く滲んだ痕も愛おしくてたまらない。彼女が生きていたときに抱えていた重いものを、この縄に託して逝ったんだ。そう思うと、とても大切で崇高なものに思えた。縄の痕なんてその気になれば消せるけど、そんな無粋なことはしたくない。彼女の命が消えた瞬間をそのまま残しているのだから。
人の死は尊いもの――こんなに美しく佇む月森さんを眺めていたら、自然とそんな風に思うようになった。生きていたときよりもずっと綺麗だ。何も言わず僕のそばにいてくれる彼女が愛おしくて、もう一生このまま過ごしたって構わない。
「お化粧してみようか」
月森さんは何もしなくてももちろん綺麗なんだけど、興味が湧いた。お化粧なんてしたことがないが、たぶん月森さんにはこんな色が似合う。口紅を手に取った。今の彼女の唇は紫色。だからちょっと明るめのピンクに近い赤にしてみた。膝の上の彼女に口紅を塗ってみる。あれ、塗りにくいな。膝枕しながらだとやりにくい……新たな気付きだ、今度から別の体勢でやってみよう。唇からはみ出した口紅を指で拭う。丁寧に、丹念に。冷たくて心地いい。
彼女の閉じた唇に鮮烈な赤い色。唇にだけ生気が戻ったような、ちょっとちぐはぐな印象を受ける。うーん、口紅だけだと浮いちゃうなあ。化粧ってチークとかファンデーションとか他にも色々あるみたいだけど、そういうのもやってみないと変かも。でも、こんな彼女も悪くない。僕は月森さんを抱き上げ、口紅を塗ったばかりの彼女に口付けた。冷たい。冷たい唇に何度も口付けて僕の体温を押し付ける。唇を離すと彼女の口元に口紅が広がり、薄く赤い花が咲く。なんだか血に似てる。僕の唇にも何かが薄く伸びている気がして口元を拭うと、手に赤い口紅がついた。僕と月森さん、お揃いの色だ。なるほど、お化粧ってこういうこともあるのか。たとえばチークをした彼女に頬ずりしたら、僕もその色になるんだね。……素敵じゃないか。もう少し早く気付きたかったなあ。
抱き上げた彼女の腕はだらんと垂れ下がっている。彼女の右手を取り、硬く強張った指の間に僕の指を滑り込ませて恋人繋ぎをしてみる。ちょっとやりづらいけど、彼女の指も曲げてお互いにぎゅっと握り合う形を作ってみる。冷え切った青白い彼女の掌と、ナホビノの服に覆われた僕の掌。違う掌同士が重なり合って、何かを祈っているように見える。僕には祈ることなんてもうないけど、尊い祈りの形だ。握った彼女の手の甲にキスを落とすと、口紅のキスマークが残る。あぁ、なるほどね?こうやって彼女に印をつけられるんだ。素敵じゃないか。
ふと窓の外に目をやる。東京が崩れて消えていく。ここは二人だけの世界だから影響はないはずだけど……かりそめの東京が消えていく光景には、ほんの少し不安を覚える。
「少年」
「……なに?」
僕の頭の中でアオガミの声が聞こえた。ずいぶんと久しぶりに聞いた、自分以外の声。
「創世を行うべきではないか」
「どうして?」
「神の奇跡が消え失せるとき、今少年がいるこの空間も無事とは限らない。君は永遠に取り残される可能性がある」
「いいよ、別に……月森さんさえいれば、僕は……」
ぎゅうと彼女の体を抱きしめた。冷たい。
「その少女は人間だ。人間が突然姿を消すことがあるという。少年、君は無事でも少女は消えてしまうだろう」
「……!」
血の気が引いた。一気に体が冷え悪寒が走る。消える?月森さんが?僕を残して?そんな……そんなこと、あってはならない。やっと彼女と一緒になれたのに。
「創世したら、また月森さんに会えるかな?」
「東京そのものを新たな理に基づいて創り直すものと解釈している。よって、新たな東京で少女と邂逅可能と判断」
「…………」
東京なんて、創世なんてどうでもいい。でも、このままだと彼女が消えてしまうかもしれないのなら……。
「……アオガミ、ありがとう」
アオガミ、君は愚かな僕に大切なことを教えてくれた。そうか、このまま永遠に過ごすことはできないんだ。身を裂かれそうだが、涙を飲んでいっとき彼女と離れる必要があるみたいだ。できることなら連れていきたい。でも、それは……。僕はもう一度彼女に口付けた。何度も唇の感触を味わってキスを終える。せっかく繋いだ彼女の右手も解いてしまう。彼女の右手の甲にうっすらキスの痕が残っているのが唯一の救い。
名残惜しいが仕方がない。新たに創世した東京でもう一度、彼女と会おう。
朝の品川駅。百合の描かれた制服。縄印学園の生徒たち。僕――百合川ヒイラギもそのひとり。いつもどおりの朝だ。人が多い。すれ違う人たちを横目に見ながら僕は縄印学園に向かう。彼女はいるだろうか。あたりを見回しながら歩く。……いた。友達と楽しそうに話しながら歩いていく彼女の姿を認識して、僕は笑った。とても前の東京で自殺を選んだ人間には見えないが、僕にはわかる。今回の彼女もいつかどこかで命を絶つのだろう。
僕はぎゅっと拳を握った。ナホビノの力――それは新しい東京になっても失われていない、むしろ強まっている。創世の王座についたことで力が増した気がする。今すぐ彼女を操って××させて……。慌ててかぶりを振った。いや、違う。あの彼女が綺麗だったのは、他でもない自分の意思で命を絶ったからだ。
正門をくぐり、下駄箱に着いた。ちょうど月森さんも友達と別れ、ひとりで教室に行くみたいだ。僕は素早く彼女に近付き、
「おはよう、月森さん」
すれ違いざまに挨拶をする。彼女は一瞬驚いた顔をしたが、
「おはよう」
そう返してくれた。嬉しい。前の東京ではあまり声を聞けなかった。そうか、死んでたら声が聞けないんだよな……。教室に入り席に座ると、月森さんの後ろ姿が目に入る。同じクラスだけど微妙に手が届かない席配置なのは、前と同じ。もどかしいね、あんなに一緒だったのに。
まだ生きている彼女を眺めていると、自然と彼女の右手の甲をまじまじと注視していた。当たり前だけど、キスマークはまだない。
今は彼女の血色のいい肌を、心地いい声を、よく心に刻んでおこう。きっといずれ、あの美しい彼女にまた会えるだろうから。制服のポケットには口紅が一本、転がっている。この口紅をもう一度……いや、何回も使うときが来るだろう。
僕はいつまでだって、待っている。
愛は崇高なもの。
愛は不滅なるもの。
愛は、永遠なるもの。