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先輩彼氏は鈍感すぎる
学園生活は嫌いじゃない。授業は面倒なこともあるけど、部活は楽しいし友達と話したりご飯を食べたりするのも好き。放課後の楽しみは週に二回の部活だけだったけど、新しい楽しみができた。
「先輩、部活終わったかなあ」
私は文芸部だから部活があってもあまり手間はないけど、先輩は剣道部。着替えたり片付けたり色々大変みたいで、だいたい私の方が先に終わっちゃう。下駄箱で靴を履き替えてのんびり待つ。外は綺麗な夕焼け、歩いていく人の影が長く伸びている。部活終わりの人たちが流れ込んで正門を出ていく。先輩はどこかな。見つからないなあ。
「ミコト、すまない。待たせたな」
「あ、先輩」
後ろから声をかけられて振り返ると、爽やかな笑顔の先輩がいた。部活終わりで汗をかいてるはずなんだけど、毎回先輩からは消臭スプレーのほどよい匂いがする。私のためだけじゃないってわかってるけど、それでも気を遣ってくれてるのがわかって嬉しい。
「帰ろう」
「はい」
先輩の隣を歩いて学生寮に歩いていく。放課後、先輩と一緒に帰る。本当にそれだけ、時間としては十数分くらい。でも私たちにとっては大切な時間だった。今日あったこと、部活のこと、色んなことを話しながら帰る。たまにお茶したりご飯食べたりする日もあるけど、今日は遅いし真っ直ぐ帰る日。先輩の背中で大きな丸い夕陽が輝いている。先輩の黒い髪が茶色とオレンジの間くらいの綺麗な色に光ってる。おしゃれな眼鏡の奥にある目も夕陽に負けず劣らず綺麗で、私を見ながら話してくれる先輩にドキドキする。先輩は勉強も運動もできて、剣道部の主将までこなしてる。すらっとしてかっこよくて、どうしてこんな素敵な人が私と付き合ってくれるのかと思うこともあるけど……でも、嬉しかった。
私の右隣を歩く先輩の左手に目を落とした。百合の花が描かれた制服、その袖口から見える手首から先。私より大きな手、ずっと気になってた。先輩と付き合い始めて二ヶ月くらい、そろそろ手を繋ぐくらいしたかった。先輩の方からは何も言ってこないから、繋ぎたいなら私から言わなきゃ。毎日一緒に帰ってるんだからチャンスは毎日あるのに、全然言えなかった。私の方からそういうことを言って引かれないか、心配で仕方ないけど……でも、手を繋ぎたい気持ちの方がどんどん強くなっていた。
「……」
息を吸う。決心した。……と思ってたけど、先輩のかっこいい顔を見たらすごく恥ずかしくなって、先輩の左手の袖口を掴んで引っ張ることしかできなかった。
「……?ミコト、どうした?」
先輩の優しい声が聞こえる。そりゃあそう言いたくなる。私だって先輩の立場なら絶対聞く。察してほしくて袖をギュッと掴んで先輩を見つめたけど、先輩は不思議そうな顔をするだけ。あああああこれは多分本当に伝わってないやつだ、やっぱりちゃんと言わなきゃいけない。
「……あ、あの……」
そんな難しいことじゃない。長々と話さなきゃいけないことじゃない。帰っていく人たちが行き交う夕暮れ、先輩の袖を握って何も言えないのが情けなくなった。その間にも先輩は私を見つめている。
「な、なんでもないです!」
あー……今日も言えなかった。何度もそれこそ毎日、今日こそ言うぞって思ってるのに。
「そうか、何かあったら遠慮なく言ってくれ」
そう言ってにっこり笑う先輩はとてつもなく爽やかで、ちょっと憎たらしいくらいだった。
「ミヤズちゃん聞いてー!今日も言えなかったの!」
夜、ミヤズちゃんの部屋。それぞれお風呂も入って寝るまでお話の時間。私は思いっきりミヤズちゃんに抱きついた。ミヤズちゃんはよしよし、と言ってくれそうな優しい手で私の背中を撫でてくれた。
「でも、聞いて!先輩の袖、掴んでみたんだよ!」
「え、そうなの?お兄ちゃん、どうだった?」
「……気付いてくれなかった」
「ああ……」
ミヤズちゃんははぁ、と深めのため息をついて首を振った。
「お兄ちゃん、ちょっと鈍いところがあるから……やっぱりちゃんと言わないと伝わらないみたいだね」
「……そうみたい……はあぁ……」
「私からお兄ちゃんに言っておこうか?ミコトちゃんが手を繋ぎたいって言ってるよって」
「それはだめ!!」
ミヤズちゃんは先輩の妹だし、先輩とざっくばらんに話ができる関係だと思う。でもだからといって、ミヤズちゃんに頼るのは変だ。私と先輩の間のことだから、ミヤズちゃんは関係ない。彼女の私が手を繋ぎたいも言えないなんて、これから先が不安になっちゃう。
「頑張る。今日のでよくわかったから……先輩にははっきり言わないとだめだって」
「うん。応援してるよ。お兄ちゃん、手を繋ぐこと自体は嫌じゃないと思うよ。だからミコトちゃんから言ったら大丈夫だよ」
「……うん。ありがとう、ミヤズちゃん」
こうやってミヤズちゃんにだらだらと愚痴を聞かせてるのもあんまりよくない。先輩に期待するだけじゃだめだ、自分の言葉で明日こそ言うんだ。明日こそ、絶対に!
ミヤズちゃんに泣きついた翌日。いつもどおり迎えた放課後、ピコンとスマホの通知音が鳴った。あ、音切り忘れてた。授業中に鳴らなくてよかった。でも、なんだろう?
「あ」
ホーム画面に「敦田ユヅル」の名前。メッセージアプリを開くと、新着メッセージ。
『今日は部活がなくなった。ミコトも今日は部活がない日だろう?早めに帰ろう』
ごくりと唾を呑んだ。……ということは、もうすぐに先輩に会える。嬉しいけど、ドキドキした。それだけ言うタイミングが早まる。心の準備が……みんな席を立ち始める騒がしい教室で、私は座ったまま深呼吸した。心頭滅却。心を無にするんだ。そう思って目を閉じたら先輩が思い浮かんで無になんかならないなと悟ってやめた。はぁ……先輩って罪な人だ。
スマホをカバンにしまって立ち上がる。心臓の音が聞こえてくるくらい緊張していた。下駄箱に向かうまでは長く見積もっても一分くらい、心を落ち着けるには短すぎる。むしろ心臓がますますうるさくなって汗をかいてきた。カバンの重さは昨日と変わらないのに、なんだか重たく感じる。うう……こんなに緊張するのは受験と告白したとき以来かもしれない。
着いちゃった。ものすごくあっさり下駄箱に着いてしまった。正門に向かう人たちでごった返す下駄箱近く、遠目に先輩の背中が見えた。うわあ、先に来てる。先輩に早く会えるのは嬉しいのに、嬉しいだけじゃなくて頭がぐちゃぐちゃになる。頭の中で勝手にシミュレートが始まった。お待たせしました、なんて言ったら、いや、待ってない。むしろ突然すまないな、なんて返ってきて。それからすぐ手を繋いでくださいなんて変だよね?もうちょっと何か話してから?それもタイミングを見失いそう……。
気が付いたら靴を履き替えていた。先輩をあんまり待たせるわけにもいかない。タイムアップだ。もう突撃するしかない!ずり落ちそうなカバンを肩にかけ直して、私は歩き始めた。先輩の背中が少しずつ近付いてくる。
「ああ、ミコトか」
私が声をかけるより前に先輩が振り返った。私の気配を感じたとか……?嬉しいんだけどこのタイミングではものすごく驚いてしまう、ビクッと大げさに体が強張った。
「あ、は、はい!ごめんなさい、待たせちゃいました」
「急なことだったからな、ミコトは何も悪くない。むしろありがとう」
「はい……」
百点満点の爽やかな笑顔と言葉が返ってきて間抜けな声しか出なかった。やっぱり先輩はとんでもない人だ。色んな意味で。
ごく自然に、先輩が私の右隣に立って歩き始める。昨日よりはっきり先輩の左手を意識してしまった。今言うのは早すぎる。学園内で手を繋ぐのはちょっと恥ずかしい。たまに学園内でもいちゃついてるカップルもいるけど、私と先輩には似合わない気がする。正門を出て、学園より品川駅の方が近くなってきた頃。
「先輩」
「なんだ?」
思わず立ち止まった。先輩もつられて立ち止まり、優しく問いかけてくれる。
「手、繋いでください!」
右手を差し出して目を閉じた。思ってたよりも大きい声が出た。握手を求めるみたいな姿勢で固まる。先輩がどんな顔してるか見るのが怖い。
空中で止まった右手が、あたたかく包まれる。目を開けて顔を上げると、
「もちろん」
微笑む先輩が私の右手を握っていた。完全に彼氏モードのかっこいい顔で、見ていると時間が止まる。握手というか、王子様に手を取られている気分……気がつくと恋人繋ぎになっていて、私の掌にぴったり先輩の掌がくっついている。あたたかくて大きくて安心する手触り。あれだけドキドキしていたのにちょっとだけ落ち着く感じがあった。
「もしかしてずっと手を繋ぎたいと思っていたのか?」
「はい……昨日も、その……」
「ああ、昨日のあれはそういうことか」
昨日のあれ……顔が熱くなった。あああああ今さら答え合わせをしないで!!今手を繋いでいるからそれでいいのに!!
「すまない、ミコトの気持ちに気がつかなかった僕の落ち度だ」
「いえ、そんなことないです!はっきり言わなかった私がいけないんです。それに、今こうして繋いでくれてますから……それで、いいです」
ぎゅっと強く手を握る。やっと願いが叶って気が抜けた。ずっと張り詰めていた心が溶けていくみたい。
「なあミコト、僕からも言いたいことがあるんだが、いいか?」
「え?な、なんですか?」
「僕を名前で呼んでくれないか」
「なっ、名前で?」
声が思いっきり裏返った。言われて初めて、ずっと「先輩」って呼んでることに気が付いた。付き合う前から先輩って呼んでたし、先輩なのは変わらないからそのままになっていた。
「そう。僕の名前はわかるな?」
「わかります」
「じゃあ、呼べるな?呼んでくれ」
「えっ、あ、う……」
手を繋いでいつもより近い距離で見つめられている。その目は穏やかで、無理強いされてる感じは薄い……けど、間違いなく催促はされている。
「ユ、ユヅ……ル……」
声に出す。三文字だ、全然長くない。なのに躊躇って声が小さくなる、先輩にちらりと視線を送るけど、
「ん?」
と問いかけられるだけ。まさか聞こえてなかった……!?清水の舞台から飛び降りる勢いではあったんだけど、悲しい……。じゃあ仕切り直し、もう一度。手を繋いでください、より短いんだから余裕だ。たぶん……。
「ユヅル……先輩」
声が大きくなったら、いつも言い慣れていた先輩がくっつく。だめだ、慣れてないからこれが限界かもしれない。
「本当は『先輩』はいらないんだが……ミコト、よく頑張ったな」
ぽんぽんと頭を撫でられた。くすぐったい。先輩は苦笑いで、ちょっと物足りないみたい。
「しばらくは『ユヅル先輩』でいい。だがいつかは『ユヅル』と呼んでくれ」
「せんぱ……ユヅル先輩、呼び捨ては勇気がいりますよ」
「学園での呼び方をそのままされるのは味気ないだろう?」
「そう……ですね。頑張ります」
ユヅル先輩は私のお願いを聞いてくれた。だから私からも返さないといけない。でも今は、
「ユヅル先輩、帰りましょう」
「ああ」
やっぱりこれが限界。大好きな人と手を繋いで品川駅を通り抜けていく。部屋に帰ったら練習してみよう。ユヅル……頭の中でなら簡単なのに。結構時間かかりそうだなあなんて思いながら、私は苦笑いするしかなかった。
学園生活は嫌いじゃない。授業は面倒なこともあるけど、部活は楽しいし友達と話したりご飯を食べたりするのも好き。放課後の楽しみは週に二回の部活だけだったけど、新しい楽しみができた。
「先輩、部活終わったかなあ」
私は文芸部だから部活があってもあまり手間はないけど、先輩は剣道部。着替えたり片付けたり色々大変みたいで、だいたい私の方が先に終わっちゃう。下駄箱で靴を履き替えてのんびり待つ。外は綺麗な夕焼け、歩いていく人の影が長く伸びている。部活終わりの人たちが流れ込んで正門を出ていく。先輩はどこかな。見つからないなあ。
「ミコト、すまない。待たせたな」
「あ、先輩」
後ろから声をかけられて振り返ると、爽やかな笑顔の先輩がいた。部活終わりで汗をかいてるはずなんだけど、毎回先輩からは消臭スプレーのほどよい匂いがする。私のためだけじゃないってわかってるけど、それでも気を遣ってくれてるのがわかって嬉しい。
「帰ろう」
「はい」
先輩の隣を歩いて学生寮に歩いていく。放課後、先輩と一緒に帰る。本当にそれだけ、時間としては十数分くらい。でも私たちにとっては大切な時間だった。今日あったこと、部活のこと、色んなことを話しながら帰る。たまにお茶したりご飯食べたりする日もあるけど、今日は遅いし真っ直ぐ帰る日。先輩の背中で大きな丸い夕陽が輝いている。先輩の黒い髪が茶色とオレンジの間くらいの綺麗な色に光ってる。おしゃれな眼鏡の奥にある目も夕陽に負けず劣らず綺麗で、私を見ながら話してくれる先輩にドキドキする。先輩は勉強も運動もできて、剣道部の主将までこなしてる。すらっとしてかっこよくて、どうしてこんな素敵な人が私と付き合ってくれるのかと思うこともあるけど……でも、嬉しかった。
私の右隣を歩く先輩の左手に目を落とした。百合の花が描かれた制服、その袖口から見える手首から先。私より大きな手、ずっと気になってた。先輩と付き合い始めて二ヶ月くらい、そろそろ手を繋ぐくらいしたかった。先輩の方からは何も言ってこないから、繋ぎたいなら私から言わなきゃ。毎日一緒に帰ってるんだからチャンスは毎日あるのに、全然言えなかった。私の方からそういうことを言って引かれないか、心配で仕方ないけど……でも、手を繋ぎたい気持ちの方がどんどん強くなっていた。
「……」
息を吸う。決心した。……と思ってたけど、先輩のかっこいい顔を見たらすごく恥ずかしくなって、先輩の左手の袖口を掴んで引っ張ることしかできなかった。
「……?ミコト、どうした?」
先輩の優しい声が聞こえる。そりゃあそう言いたくなる。私だって先輩の立場なら絶対聞く。察してほしくて袖をギュッと掴んで先輩を見つめたけど、先輩は不思議そうな顔をするだけ。あああああこれは多分本当に伝わってないやつだ、やっぱりちゃんと言わなきゃいけない。
「……あ、あの……」
そんな難しいことじゃない。長々と話さなきゃいけないことじゃない。帰っていく人たちが行き交う夕暮れ、先輩の袖を握って何も言えないのが情けなくなった。その間にも先輩は私を見つめている。
「な、なんでもないです!」
あー……今日も言えなかった。何度もそれこそ毎日、今日こそ言うぞって思ってるのに。
「そうか、何かあったら遠慮なく言ってくれ」
そう言ってにっこり笑う先輩はとてつもなく爽やかで、ちょっと憎たらしいくらいだった。
「ミヤズちゃん聞いてー!今日も言えなかったの!」
夜、ミヤズちゃんの部屋。それぞれお風呂も入って寝るまでお話の時間。私は思いっきりミヤズちゃんに抱きついた。ミヤズちゃんはよしよし、と言ってくれそうな優しい手で私の背中を撫でてくれた。
「でも、聞いて!先輩の袖、掴んでみたんだよ!」
「え、そうなの?お兄ちゃん、どうだった?」
「……気付いてくれなかった」
「ああ……」
ミヤズちゃんははぁ、と深めのため息をついて首を振った。
「お兄ちゃん、ちょっと鈍いところがあるから……やっぱりちゃんと言わないと伝わらないみたいだね」
「……そうみたい……はあぁ……」
「私からお兄ちゃんに言っておこうか?ミコトちゃんが手を繋ぎたいって言ってるよって」
「それはだめ!!」
ミヤズちゃんは先輩の妹だし、先輩とざっくばらんに話ができる関係だと思う。でもだからといって、ミヤズちゃんに頼るのは変だ。私と先輩の間のことだから、ミヤズちゃんは関係ない。彼女の私が手を繋ぎたいも言えないなんて、これから先が不安になっちゃう。
「頑張る。今日のでよくわかったから……先輩にははっきり言わないとだめだって」
「うん。応援してるよ。お兄ちゃん、手を繋ぐこと自体は嫌じゃないと思うよ。だからミコトちゃんから言ったら大丈夫だよ」
「……うん。ありがとう、ミヤズちゃん」
こうやってミヤズちゃんにだらだらと愚痴を聞かせてるのもあんまりよくない。先輩に期待するだけじゃだめだ、自分の言葉で明日こそ言うんだ。明日こそ、絶対に!
ミヤズちゃんに泣きついた翌日。いつもどおり迎えた放課後、ピコンとスマホの通知音が鳴った。あ、音切り忘れてた。授業中に鳴らなくてよかった。でも、なんだろう?
「あ」
ホーム画面に「敦田ユヅル」の名前。メッセージアプリを開くと、新着メッセージ。
『今日は部活がなくなった。ミコトも今日は部活がない日だろう?早めに帰ろう』
ごくりと唾を呑んだ。……ということは、もうすぐに先輩に会える。嬉しいけど、ドキドキした。それだけ言うタイミングが早まる。心の準備が……みんな席を立ち始める騒がしい教室で、私は座ったまま深呼吸した。心頭滅却。心を無にするんだ。そう思って目を閉じたら先輩が思い浮かんで無になんかならないなと悟ってやめた。はぁ……先輩って罪な人だ。
スマホをカバンにしまって立ち上がる。心臓の音が聞こえてくるくらい緊張していた。下駄箱に向かうまでは長く見積もっても一分くらい、心を落ち着けるには短すぎる。むしろ心臓がますますうるさくなって汗をかいてきた。カバンの重さは昨日と変わらないのに、なんだか重たく感じる。うう……こんなに緊張するのは受験と告白したとき以来かもしれない。
着いちゃった。ものすごくあっさり下駄箱に着いてしまった。正門に向かう人たちでごった返す下駄箱近く、遠目に先輩の背中が見えた。うわあ、先に来てる。先輩に早く会えるのは嬉しいのに、嬉しいだけじゃなくて頭がぐちゃぐちゃになる。頭の中で勝手にシミュレートが始まった。お待たせしました、なんて言ったら、いや、待ってない。むしろ突然すまないな、なんて返ってきて。それからすぐ手を繋いでくださいなんて変だよね?もうちょっと何か話してから?それもタイミングを見失いそう……。
気が付いたら靴を履き替えていた。先輩をあんまり待たせるわけにもいかない。タイムアップだ。もう突撃するしかない!ずり落ちそうなカバンを肩にかけ直して、私は歩き始めた。先輩の背中が少しずつ近付いてくる。
「ああ、ミコトか」
私が声をかけるより前に先輩が振り返った。私の気配を感じたとか……?嬉しいんだけどこのタイミングではものすごく驚いてしまう、ビクッと大げさに体が強張った。
「あ、は、はい!ごめんなさい、待たせちゃいました」
「急なことだったからな、ミコトは何も悪くない。むしろありがとう」
「はい……」
百点満点の爽やかな笑顔と言葉が返ってきて間抜けな声しか出なかった。やっぱり先輩はとんでもない人だ。色んな意味で。
ごく自然に、先輩が私の右隣に立って歩き始める。昨日よりはっきり先輩の左手を意識してしまった。今言うのは早すぎる。学園内で手を繋ぐのはちょっと恥ずかしい。たまに学園内でもいちゃついてるカップルもいるけど、私と先輩には似合わない気がする。正門を出て、学園より品川駅の方が近くなってきた頃。
「先輩」
「なんだ?」
思わず立ち止まった。先輩もつられて立ち止まり、優しく問いかけてくれる。
「手、繋いでください!」
右手を差し出して目を閉じた。思ってたよりも大きい声が出た。握手を求めるみたいな姿勢で固まる。先輩がどんな顔してるか見るのが怖い。
空中で止まった右手が、あたたかく包まれる。目を開けて顔を上げると、
「もちろん」
微笑む先輩が私の右手を握っていた。完全に彼氏モードのかっこいい顔で、見ていると時間が止まる。握手というか、王子様に手を取られている気分……気がつくと恋人繋ぎになっていて、私の掌にぴったり先輩の掌がくっついている。あたたかくて大きくて安心する手触り。あれだけドキドキしていたのにちょっとだけ落ち着く感じがあった。
「もしかしてずっと手を繋ぎたいと思っていたのか?」
「はい……昨日も、その……」
「ああ、昨日のあれはそういうことか」
昨日のあれ……顔が熱くなった。あああああ今さら答え合わせをしないで!!今手を繋いでいるからそれでいいのに!!
「すまない、ミコトの気持ちに気がつかなかった僕の落ち度だ」
「いえ、そんなことないです!はっきり言わなかった私がいけないんです。それに、今こうして繋いでくれてますから……それで、いいです」
ぎゅっと強く手を握る。やっと願いが叶って気が抜けた。ずっと張り詰めていた心が溶けていくみたい。
「なあミコト、僕からも言いたいことがあるんだが、いいか?」
「え?な、なんですか?」
「僕を名前で呼んでくれないか」
「なっ、名前で?」
声が思いっきり裏返った。言われて初めて、ずっと「先輩」って呼んでることに気が付いた。付き合う前から先輩って呼んでたし、先輩なのは変わらないからそのままになっていた。
「そう。僕の名前はわかるな?」
「わかります」
「じゃあ、呼べるな?呼んでくれ」
「えっ、あ、う……」
手を繋いでいつもより近い距離で見つめられている。その目は穏やかで、無理強いされてる感じは薄い……けど、間違いなく催促はされている。
「ユ、ユヅ……ル……」
声に出す。三文字だ、全然長くない。なのに躊躇って声が小さくなる、先輩にちらりと視線を送るけど、
「ん?」
と問いかけられるだけ。まさか聞こえてなかった……!?清水の舞台から飛び降りる勢いではあったんだけど、悲しい……。じゃあ仕切り直し、もう一度。手を繋いでください、より短いんだから余裕だ。たぶん……。
「ユヅル……先輩」
声が大きくなったら、いつも言い慣れていた先輩がくっつく。だめだ、慣れてないからこれが限界かもしれない。
「本当は『先輩』はいらないんだが……ミコト、よく頑張ったな」
ぽんぽんと頭を撫でられた。くすぐったい。先輩は苦笑いで、ちょっと物足りないみたい。
「しばらくは『ユヅル先輩』でいい。だがいつかは『ユヅル』と呼んでくれ」
「せんぱ……ユヅル先輩、呼び捨ては勇気がいりますよ」
「学園での呼び方をそのままされるのは味気ないだろう?」
「そう……ですね。頑張ります」
ユヅル先輩は私のお願いを聞いてくれた。だから私からも返さないといけない。でも今は、
「ユヅル先輩、帰りましょう」
「ああ」
やっぱりこれが限界。大好きな人と手を繋いで品川駅を通り抜けていく。部屋に帰ったら練習してみよう。ユヅル……頭の中でなら簡単なのに。結構時間かかりそうだなあなんて思いながら、私は苦笑いするしかなかった。