悪魔の花嫁を愛したい
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#1 春、少年たちとの出会い
高校一年生の春休み、赤羽ヒナタは月光館学園のグラウンドにいた。何度も短距離走の練習をする陸上部の部員たちを尻目に、スポーツドリンクやタオルの準備を進めていく。
「あともう二本!みんな頑張ってー!」
隣で同級生の西脇結子が部員たちに呼びかけている。ヒナタと結子は陸上部のマネージャー、部員たちが快適に練習をする手伝いをするのが仕事だ。部員たちの練習を見守りつつ、円滑に部活ができるよう様々な雑用をこなしていた。走り込み後の準備が終わったヒナタは、部員に声をかける結子の隣に立った。
月光館学園の陸上部はレベルが高く、全国大会の上位入賞を目指す優秀な生徒が集まる。その中でも特に結城理はきらりと輝くものを持っており、陸上部の星と噂されるあの早瀬護と互角の勝負ができるのではないかと言われていた。
ヒナタと結子が見守る中、部員たちは走り込みを続ける。やはり結城理は頭一つ抜けて速い。彼が走るたびに青い髪から汗が飛び散り、春の日差しに反射してきらきらと輝いている。ヒナタは呆然と理を見つめていた。彼はあんなに速いのに息一つ切らしていない、その平然とした姿も様になる。
「ヒナタ、結城くんとはどうなの?」
結子から声をかけられ、ヒナタははっと我に返った。結子はニコニコと楽しそうに笑っている。
「ねえねえ、どうなの?」
「どうって……別にどうも……」
返答に困っていると結子に背中を軽く叩かれた。
「もー!進展なしってこと?じゃあ今日も結城くんと一緒に帰んなさい!」
「言われなくたってそうするよ……」
彼女の勢いに困っていると、走り込みを終えた部員たちがドリンクやタオルを求めて二人の元にやってくる。用意しておいたものを手渡しながら、ヒナタはちらちらと理を眺めた。顔色一つ変えずにタオルで汗を拭いている。他の部員たちは疲弊した様子なのに、やはり彼は悠々としていた。汗でしっとり濡れた青い髪が顔や首筋に張り付いており、妙な色気を感じさせる。ヒナタはぶんぶんと頭を振った。いやいや、自分は一体何を考えているのやら。
顧問の教師の振り返りが終わると本日の部活は終わり、解散だ。ヒナタは帰ろうとする理にそっと近付き、
「結城くん」
声をかけた。理は立ち止まり、ヒナタを待ってくれた。一緒に校舎へ歩いていく。
「お腹空いたし、わかつでご飯食べて帰らない?」
「いいよ。俺着替えてくるから、正門前で集合でいい?」
「うん!」
彼と二人きりの時間を過ごせる。そう思うとヒナタは天にも昇る心地だった。更衣室でジャージから制服に着替え、念入りにデオドラントスプレーを吹きかける。マネージャーは部員と比べると楽なものと思われがちだが地味かつ力仕事が多く、こう見えて結構汗をかく。汗臭い女だと幻滅されたくなかった。
「おかしくないよね……」
更衣室のロッカーに取り付けられた鏡で注意深く確認し、前髪を整える。まだ少し気になるが、もしかしたら彼がもう待っているかもしれない。ヒナタは正門に急いだ。
「あ、結城くん!ごめんね、お待たせ!」
正門前に青い髪の彼を見つけ、ヒナタは駆け寄った。少し崩した制服姿の彼は、
「ああ、大丈夫。そんなに待ってないから」
と気にしてもいないようだった。彼のこういう淡白なところがたまらないが、少し寂しい。
「じゃあ行こっか」
「ああ」
彼と一緒にポートアイランド駅に向かい、巌戸台商店街まで移動する。春休みの今日は浮かれた若者が多く、制服を着ているのは少数派だった。少し人が多く雑音も多かったが、理と一緒なら苦にならない。彼とたわいもない話をしながらわかつに入った。二人とも定食を頼み、ゆったりとお冷を口に含む。
「そういえば結城くん、春休みもそろそろ終わりだね」
「あと二、三日で終わりか。一年ってあっという間だな」
「結城くんと同じクラスになれたらいいなあ」
ここぞとばかりに本音が零れた。理は運ばれた定食を口にしながら、淡々と言った。
「去年は違うクラスだったな。同じクラスになったらよろしく」
「うん!」
定食を食べつつ彼に目をやる。ヒナタにはずっと聞きたいことがあった。理はあまり口数が多くなく自ら話を振ってくることはないものの、こちらから話を振れば答えてはくれる。よし、今だ。ヒナタはごくりと食べ物を飲み込み、口を開いた。
「結城くんって、彼女とかいるの?」
「いない」
即答だった。彼が嘘をついているとも思えない、恐らく事実だろう。あまりにもあっさり答えられたので拍子抜けしつつ、ヒナタはさらに尋ねた。
「好きな女の子とか、気になる子とかいたりする?」
「いない。なんでそんなこと聞くの?」
理は行儀よく箸を進めながら、ちらりとヒナタに目を向けた。しまった、あまりにも直球すぎたか。ヒナタはあわあわとしつつも答えた。
「え、あの、なんか気になったから。ほら、結城くんって綺麗な顔してるし運動も勉強もできるし、どんな人がタイプなのかなーって」
――ああああ!私のバカバカバカ!余計なこと言っちゃったよ!
ヒナタの脳内で騒がしい叫びが響いた。理のタイプ、これが一番気になっていたことだ。彼女の有無を尋ねる流れでぽろりと零してしまったのは予想外だったが。慌てるヒナタとは裏腹に、理はうーんと考え込んでいる様子だった。彼が言い淀むなんて珍しい。
「タイプ……俺、恋愛にあんまり興味がないからよくわからない」
「恋愛に興味がない?誰かと付き合ってみたいとか、誰かを好きになったこともないの?」
「うん、まあ。順平には『んなこと言って!そのうちオマエにも好きな女子の一人や二人できるって!』って言われたけどいまだによくわからない」
「そっかー……」
ヒナタはがっくりと肩を落とした。これは朗報なのか悲報なのか判断に困るところだが、少なくとも彼女はいないし好きな相手もいないらしい。……彼に恋愛対象として見られていないのも確実らしくて悲しいが。
彼の恋愛に対する価値観の片鱗を聞き、ヒナタはほっとしていた。彼に変な風に思われなかったようだし、理が淡白な人間で助かった。さて、これからどうしたらいいのかなあ。なんて思いながらヒナタは定食を口にしていた。
「赤羽、それじゃ」
「うん、またね、結城くん」
わかつで食事を済ませた二人は、巌戸台駅で別れた。彼は巌戸台分寮に、ヒナタは自宅に戻る。巌戸台分寮とヒナタの自宅は反対方向で、一緒に帰る理由がなくいつもここで別れていた。
――あーあ、自分も寮だったらなあ。
自宅から十分通える距離なので寮に住むという選択肢すらないこの身を呪うばかりである。寮で彼と一緒なら、学園以外の素に近い彼を見られるかもしれないのに。そうは言っても今更どうしようもない、ヒナタはため息をつき踵を返した。理の背中はもうとっくに見えなくなっていた。
歩き始めて数分経った頃、突然ヒナタの目の前に犬の頭が浮かび上がった。思わず立ち止まって観察すると、白く細長い胴体に犬の頭を持つ悪魔――イヌガミがヒナタを品定めするように眺めていた。
「イイニオイガスル……マガツヒノニオイダ!」
鋭い牙を見せつけるように言われ、思わずヒナタは腰を抜かして座り込んでしまった。足が震えて立てない。両手を地面について何とか後退りすることしかできなかった。
「ウマイマガツヒ、クウ!」
イヌガミは大きく口を開き、ヒナタに襲いかかる。ヒナタはぎゅっと目を閉じた。逃げられない!
「……あれ……?」
噛み付かれると覚悟していたが、一向にその気配がない。ヒナタが薄目を開けて確認すると、イヌガミの細い体が何者かに斬り裂かれ、地面に転がっていた。尻餅をついたままのヒナタの前に誰かが立ち、影がさす。
「大丈夫?立てる?」
涼やかな声が聞こえ、ヒナタは顔を上げた。そこには豊かな青い髪と金色の瞳が鮮やかな青年が立っていた。青と黒のボディスーツを着ており、右手の指先が天色の剣の形に輝いている。夕日の逆光を浴びる青年はあまりにも美しく、ヒナタは見惚れていた。
「ああ、この姿だと『悪魔』っぽいかな……」
青年がぽつりと呟くと青い髪の青年に光が集まり、黒い髪の青年に変わっていた。百合の花が刻まれた学ランを着ている、縄印学園の生徒らしい。青い髪の青年と目の前にいる黒髪の彼、姿形は全く異なっているが何故か同一の存在だと確信した。青年が差し出す手を取ると、彼が優しく立たせてくれた。
「あ、ありがとうございました!あなたがいなかったら、私……」
「どういたしまして。僕の花嫁さん」
「えっ?」
話の流れにそぐわない単語が聞こえ、ヒナタは硬直した。見ず知らずの青年は優美な微笑みを浮かべている。
「よかった、怪我はないみたいだね。この辺りにも悪魔が出てきているようだから、早く帰った方がいいよ」
「あ、はい。ありがとうございます。あの、今時間ありますか?お礼にお茶でも」
ふと口をついて出た言葉に、青年はふふと笑った。優雅で美しい笑みだった。
「お礼はまた今度で大丈夫だよ。君とはまた近いうちに出会えるから。じゃあね、気をつけて」
「え、あ、あの……!」
青年は笑顔でヒナタに手を振ると、名残惜しさを感じさせる間もなく去っていった。ヒナタはしばし呆然としていたが、早く帰った方がいいと言われたことを思い出し、早歩きで歩き始めた。
四月上旬、赤羽ヒナタは月光館学園高等部二年生になった。今日は二年生になって初めての登校日、クラス分けが貼り出されているはずだ。ヒナタは祈る気持ちで掲示板前に立った。自分の名前と理の名前を確認する。
「やった!」
赤羽ヒナタ、二年F組。結城理、二年F組。以上を確認し、ヒナタは小さくガッツポーズを取った。彼と同じクラスだ。席も近いといいなあとヒナタはスキップしそうな勢いで教室に向かった。
「おはよう」
教室にはすでに理がいた。おはようと返しつつ席を確認すると、理の真後ろだった。彼の背後に座り、
「結城くん、今年は同じクラスだね。よろしくね」
「ああ、よろしく」
声をかけると振り返った理は平坦な声ながらも返事を返してくれた。ヒナタの心は喜びで今にも飛び跳ねんばかりだった。学園祭、修学旅行、何かと行事が多い二年生で理と同じクラスになったのは大きい。
「はーい、みんなおはようー」
ガラッと扉を開けて担任が入ってきた。少し気怠げな担任の隣に見慣れない男子生徒が立っていた。左右非対称に切った黒髪が特徴的な男子生徒で、百合の花の模様が入った学ランを着ている。一瞬女子かと勘違いしそうな中性的な美貌を持つ彼の存在に、教室内はざわついた。
「今日から二年生ねー、中弛みしやすい時期だけど頑張るのよー。それで、今日は転入生がいまーす。じゃ、自己紹介よろしく」
担任の隣にいた男子生徒はにっこりと笑顔を振りまく。
「百合川ヒイラギです。縄印学園から転入してきました。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げた彼――百合川ヒイラギにヒナタは驚愕した。
――この前の……!
数日前、悪魔に襲われていたところを助けてくれた青年だった。ヒイラギはヒナタと目が合うと、にっこりと笑った。
「百合川の席は……」
「先生、ここが空いています」
ヒイラギはつかつかとヒナタの左隣の空席まで歩き、机を撫でた。確かに空席ではあるのだが、当該生徒が体調不良で偶然そうなっているもので、担任は困ったように言った。
「そこはたまたま今日休んでるだけで」
「空いています」
ヒイラギは担任の言葉に被せるように返すと、躊躇いなく席に座った。そしてヒナタに笑いかける。
「よろしくね」
「あ、う、うん……」
綺麗だけど何だか変わった人がやって来たなあ、というのがヒナタの第一印象だった。
「百合川くん!」
転入生がやって来た日の昼休み、百合川ヒイラギの席にミーハーな女子生徒たちが殺到し、黄色い声を上げていた。あれだけ綺麗な男子だったら人気にもなるか、とヒナタは完全に他人事だった。
「ねえねえ百合川くん、縄印学園から転入してきたんでしょ?どこに住んでるの?」
「部活はどうするの?うちの美術部に入らない?」
女子たちが次々と話しかけてくるが、ヒイラギは愛想のいい笑顔を浮かべ立ち上がった。
「ごめんね、僕は彼女に用があって」
そう言ってヒイラギは隣に座っているヒナタに目をやる。女子たちの視線までも突き刺さりヒナタは恐怖する勢いだったが、ヒイラギは気にせずヒナタの前までやってくると、優雅に口を開いた。
「この前見たときから気づいてたけど、今日会って間違いないって思った。君は僕の花嫁さんだ。僕と結婚してほしい」
教室中が水を打ったように静かになった。誰も彼もがヒイラギを凝視し、ぽかんとしている。ヒナタもあまりのことに固まってしまい、
「……えっ?」
と言うのがやっとだった。
高校一年生の春休み、赤羽ヒナタは月光館学園のグラウンドにいた。何度も短距離走の練習をする陸上部の部員たちを尻目に、スポーツドリンクやタオルの準備を進めていく。
「あともう二本!みんな頑張ってー!」
隣で同級生の西脇結子が部員たちに呼びかけている。ヒナタと結子は陸上部のマネージャー、部員たちが快適に練習をする手伝いをするのが仕事だ。部員たちの練習を見守りつつ、円滑に部活ができるよう様々な雑用をこなしていた。走り込み後の準備が終わったヒナタは、部員に声をかける結子の隣に立った。
月光館学園の陸上部はレベルが高く、全国大会の上位入賞を目指す優秀な生徒が集まる。その中でも特に結城理はきらりと輝くものを持っており、陸上部の星と噂されるあの早瀬護と互角の勝負ができるのではないかと言われていた。
ヒナタと結子が見守る中、部員たちは走り込みを続ける。やはり結城理は頭一つ抜けて速い。彼が走るたびに青い髪から汗が飛び散り、春の日差しに反射してきらきらと輝いている。ヒナタは呆然と理を見つめていた。彼はあんなに速いのに息一つ切らしていない、その平然とした姿も様になる。
「ヒナタ、結城くんとはどうなの?」
結子から声をかけられ、ヒナタははっと我に返った。結子はニコニコと楽しそうに笑っている。
「ねえねえ、どうなの?」
「どうって……別にどうも……」
返答に困っていると結子に背中を軽く叩かれた。
「もー!進展なしってこと?じゃあ今日も結城くんと一緒に帰んなさい!」
「言われなくたってそうするよ……」
彼女の勢いに困っていると、走り込みを終えた部員たちがドリンクやタオルを求めて二人の元にやってくる。用意しておいたものを手渡しながら、ヒナタはちらちらと理を眺めた。顔色一つ変えずにタオルで汗を拭いている。他の部員たちは疲弊した様子なのに、やはり彼は悠々としていた。汗でしっとり濡れた青い髪が顔や首筋に張り付いており、妙な色気を感じさせる。ヒナタはぶんぶんと頭を振った。いやいや、自分は一体何を考えているのやら。
顧問の教師の振り返りが終わると本日の部活は終わり、解散だ。ヒナタは帰ろうとする理にそっと近付き、
「結城くん」
声をかけた。理は立ち止まり、ヒナタを待ってくれた。一緒に校舎へ歩いていく。
「お腹空いたし、わかつでご飯食べて帰らない?」
「いいよ。俺着替えてくるから、正門前で集合でいい?」
「うん!」
彼と二人きりの時間を過ごせる。そう思うとヒナタは天にも昇る心地だった。更衣室でジャージから制服に着替え、念入りにデオドラントスプレーを吹きかける。マネージャーは部員と比べると楽なものと思われがちだが地味かつ力仕事が多く、こう見えて結構汗をかく。汗臭い女だと幻滅されたくなかった。
「おかしくないよね……」
更衣室のロッカーに取り付けられた鏡で注意深く確認し、前髪を整える。まだ少し気になるが、もしかしたら彼がもう待っているかもしれない。ヒナタは正門に急いだ。
「あ、結城くん!ごめんね、お待たせ!」
正門前に青い髪の彼を見つけ、ヒナタは駆け寄った。少し崩した制服姿の彼は、
「ああ、大丈夫。そんなに待ってないから」
と気にしてもいないようだった。彼のこういう淡白なところがたまらないが、少し寂しい。
「じゃあ行こっか」
「ああ」
彼と一緒にポートアイランド駅に向かい、巌戸台商店街まで移動する。春休みの今日は浮かれた若者が多く、制服を着ているのは少数派だった。少し人が多く雑音も多かったが、理と一緒なら苦にならない。彼とたわいもない話をしながらわかつに入った。二人とも定食を頼み、ゆったりとお冷を口に含む。
「そういえば結城くん、春休みもそろそろ終わりだね」
「あと二、三日で終わりか。一年ってあっという間だな」
「結城くんと同じクラスになれたらいいなあ」
ここぞとばかりに本音が零れた。理は運ばれた定食を口にしながら、淡々と言った。
「去年は違うクラスだったな。同じクラスになったらよろしく」
「うん!」
定食を食べつつ彼に目をやる。ヒナタにはずっと聞きたいことがあった。理はあまり口数が多くなく自ら話を振ってくることはないものの、こちらから話を振れば答えてはくれる。よし、今だ。ヒナタはごくりと食べ物を飲み込み、口を開いた。
「結城くんって、彼女とかいるの?」
「いない」
即答だった。彼が嘘をついているとも思えない、恐らく事実だろう。あまりにもあっさり答えられたので拍子抜けしつつ、ヒナタはさらに尋ねた。
「好きな女の子とか、気になる子とかいたりする?」
「いない。なんでそんなこと聞くの?」
理は行儀よく箸を進めながら、ちらりとヒナタに目を向けた。しまった、あまりにも直球すぎたか。ヒナタはあわあわとしつつも答えた。
「え、あの、なんか気になったから。ほら、結城くんって綺麗な顔してるし運動も勉強もできるし、どんな人がタイプなのかなーって」
――ああああ!私のバカバカバカ!余計なこと言っちゃったよ!
ヒナタの脳内で騒がしい叫びが響いた。理のタイプ、これが一番気になっていたことだ。彼女の有無を尋ねる流れでぽろりと零してしまったのは予想外だったが。慌てるヒナタとは裏腹に、理はうーんと考え込んでいる様子だった。彼が言い淀むなんて珍しい。
「タイプ……俺、恋愛にあんまり興味がないからよくわからない」
「恋愛に興味がない?誰かと付き合ってみたいとか、誰かを好きになったこともないの?」
「うん、まあ。順平には『んなこと言って!そのうちオマエにも好きな女子の一人や二人できるって!』って言われたけどいまだによくわからない」
「そっかー……」
ヒナタはがっくりと肩を落とした。これは朗報なのか悲報なのか判断に困るところだが、少なくとも彼女はいないし好きな相手もいないらしい。……彼に恋愛対象として見られていないのも確実らしくて悲しいが。
彼の恋愛に対する価値観の片鱗を聞き、ヒナタはほっとしていた。彼に変な風に思われなかったようだし、理が淡白な人間で助かった。さて、これからどうしたらいいのかなあ。なんて思いながらヒナタは定食を口にしていた。
「赤羽、それじゃ」
「うん、またね、結城くん」
わかつで食事を済ませた二人は、巌戸台駅で別れた。彼は巌戸台分寮に、ヒナタは自宅に戻る。巌戸台分寮とヒナタの自宅は反対方向で、一緒に帰る理由がなくいつもここで別れていた。
――あーあ、自分も寮だったらなあ。
自宅から十分通える距離なので寮に住むという選択肢すらないこの身を呪うばかりである。寮で彼と一緒なら、学園以外の素に近い彼を見られるかもしれないのに。そうは言っても今更どうしようもない、ヒナタはため息をつき踵を返した。理の背中はもうとっくに見えなくなっていた。
歩き始めて数分経った頃、突然ヒナタの目の前に犬の頭が浮かび上がった。思わず立ち止まって観察すると、白く細長い胴体に犬の頭を持つ悪魔――イヌガミがヒナタを品定めするように眺めていた。
「イイニオイガスル……マガツヒノニオイダ!」
鋭い牙を見せつけるように言われ、思わずヒナタは腰を抜かして座り込んでしまった。足が震えて立てない。両手を地面について何とか後退りすることしかできなかった。
「ウマイマガツヒ、クウ!」
イヌガミは大きく口を開き、ヒナタに襲いかかる。ヒナタはぎゅっと目を閉じた。逃げられない!
「……あれ……?」
噛み付かれると覚悟していたが、一向にその気配がない。ヒナタが薄目を開けて確認すると、イヌガミの細い体が何者かに斬り裂かれ、地面に転がっていた。尻餅をついたままのヒナタの前に誰かが立ち、影がさす。
「大丈夫?立てる?」
涼やかな声が聞こえ、ヒナタは顔を上げた。そこには豊かな青い髪と金色の瞳が鮮やかな青年が立っていた。青と黒のボディスーツを着ており、右手の指先が天色の剣の形に輝いている。夕日の逆光を浴びる青年はあまりにも美しく、ヒナタは見惚れていた。
「ああ、この姿だと『悪魔』っぽいかな……」
青年がぽつりと呟くと青い髪の青年に光が集まり、黒い髪の青年に変わっていた。百合の花が刻まれた学ランを着ている、縄印学園の生徒らしい。青い髪の青年と目の前にいる黒髪の彼、姿形は全く異なっているが何故か同一の存在だと確信した。青年が差し出す手を取ると、彼が優しく立たせてくれた。
「あ、ありがとうございました!あなたがいなかったら、私……」
「どういたしまして。僕の花嫁さん」
「えっ?」
話の流れにそぐわない単語が聞こえ、ヒナタは硬直した。見ず知らずの青年は優美な微笑みを浮かべている。
「よかった、怪我はないみたいだね。この辺りにも悪魔が出てきているようだから、早く帰った方がいいよ」
「あ、はい。ありがとうございます。あの、今時間ありますか?お礼にお茶でも」
ふと口をついて出た言葉に、青年はふふと笑った。優雅で美しい笑みだった。
「お礼はまた今度で大丈夫だよ。君とはまた近いうちに出会えるから。じゃあね、気をつけて」
「え、あ、あの……!」
青年は笑顔でヒナタに手を振ると、名残惜しさを感じさせる間もなく去っていった。ヒナタはしばし呆然としていたが、早く帰った方がいいと言われたことを思い出し、早歩きで歩き始めた。
四月上旬、赤羽ヒナタは月光館学園高等部二年生になった。今日は二年生になって初めての登校日、クラス分けが貼り出されているはずだ。ヒナタは祈る気持ちで掲示板前に立った。自分の名前と理の名前を確認する。
「やった!」
赤羽ヒナタ、二年F組。結城理、二年F組。以上を確認し、ヒナタは小さくガッツポーズを取った。彼と同じクラスだ。席も近いといいなあとヒナタはスキップしそうな勢いで教室に向かった。
「おはよう」
教室にはすでに理がいた。おはようと返しつつ席を確認すると、理の真後ろだった。彼の背後に座り、
「結城くん、今年は同じクラスだね。よろしくね」
「ああ、よろしく」
声をかけると振り返った理は平坦な声ながらも返事を返してくれた。ヒナタの心は喜びで今にも飛び跳ねんばかりだった。学園祭、修学旅行、何かと行事が多い二年生で理と同じクラスになったのは大きい。
「はーい、みんなおはようー」
ガラッと扉を開けて担任が入ってきた。少し気怠げな担任の隣に見慣れない男子生徒が立っていた。左右非対称に切った黒髪が特徴的な男子生徒で、百合の花の模様が入った学ランを着ている。一瞬女子かと勘違いしそうな中性的な美貌を持つ彼の存在に、教室内はざわついた。
「今日から二年生ねー、中弛みしやすい時期だけど頑張るのよー。それで、今日は転入生がいまーす。じゃ、自己紹介よろしく」
担任の隣にいた男子生徒はにっこりと笑顔を振りまく。
「百合川ヒイラギです。縄印学園から転入してきました。よろしくお願いします」
そう言って頭を下げた彼――百合川ヒイラギにヒナタは驚愕した。
――この前の……!
数日前、悪魔に襲われていたところを助けてくれた青年だった。ヒイラギはヒナタと目が合うと、にっこりと笑った。
「百合川の席は……」
「先生、ここが空いています」
ヒイラギはつかつかとヒナタの左隣の空席まで歩き、机を撫でた。確かに空席ではあるのだが、当該生徒が体調不良で偶然そうなっているもので、担任は困ったように言った。
「そこはたまたま今日休んでるだけで」
「空いています」
ヒイラギは担任の言葉に被せるように返すと、躊躇いなく席に座った。そしてヒナタに笑いかける。
「よろしくね」
「あ、う、うん……」
綺麗だけど何だか変わった人がやって来たなあ、というのがヒナタの第一印象だった。
「百合川くん!」
転入生がやって来た日の昼休み、百合川ヒイラギの席にミーハーな女子生徒たちが殺到し、黄色い声を上げていた。あれだけ綺麗な男子だったら人気にもなるか、とヒナタは完全に他人事だった。
「ねえねえ百合川くん、縄印学園から転入してきたんでしょ?どこに住んでるの?」
「部活はどうするの?うちの美術部に入らない?」
女子たちが次々と話しかけてくるが、ヒイラギは愛想のいい笑顔を浮かべ立ち上がった。
「ごめんね、僕は彼女に用があって」
そう言ってヒイラギは隣に座っているヒナタに目をやる。女子たちの視線までも突き刺さりヒナタは恐怖する勢いだったが、ヒイラギは気にせずヒナタの前までやってくると、優雅に口を開いた。
「この前見たときから気づいてたけど、今日会って間違いないって思った。君は僕の花嫁さんだ。僕と結婚してほしい」
教室中が水を打ったように静かになった。誰も彼もがヒイラギを凝視し、ぽかんとしている。ヒナタもあまりのことに固まってしまい、
「……えっ?」
と言うのがやっとだった。
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