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Goodbye, sad teatime
桐条家が開催するお茶会は相変わらず優雅かつ豪勢で、月森ミコトは婚約者の友近健二と会場に訪れた。桐条家は経済界、社交界にかなりの影響力を持つ財閥の家柄、お茶会を定期的に開催し他の名家や財閥の者たちと交流を深めていた。多数用意されたテーブルにはアフタヌーンティーの用意がされ、大人からミコトのような十代の子供たちまで招待された者は多岐に渡る。このお茶会に婚約者とともに訪れるのは、家同士の結びつきを示す上でも重要であった。が、友近は、
「ふぁあ……だるいなぁ。毎回このお茶会に行くの面倒なんだよなぁ」
と気怠さを隠そうとしなかった。ミコトは思わず、
「もう、健二くんってば。そんな態度だと桐条家からの心象が悪くなっちゃうよ」
と釘を刺してしまうのだが、友近は気にしていない様子だった。友近にもそれなりの自覚を促していたミコトだったが、彼は相変わらずのようだ。ミコトはため息をついた。
「ほら、着いたよ健二くん」
美しい庭園を見ながらティータイムを楽しむ会場に着いた瞬間、友近はミコトのそばを離れ、
「じゃあオレは挨拶に行ってくるわ」
と一人で先に行ってしまった。あ、とミコトが手を伸ばしたときにはもう遅く、その手は彼に届かなかった。彼はいつもこうだ。ミコトは沈んだ吐息とともに気を取り直した。
「あ、ミコト!久しぶり!」
「よお、ミコトッチ!」
明るい声に呼ばれ振り返ると、岳羽ゆかり、伊織順平、チドリが立っていた。ゆかりと順平は明るく手を振り、チドリは順平の後ろに隠れながら控えめに手を振る。
「ゆかりちゃんに順平くん、チドリちゃん!よかった、みんなも来てたんだね」
「そうそう、たまたま会ってさ。ねえミコト、よかったら四人でお茶しない?そこのテーブルが空いてるから」
「うん、いいよ。誘ってくれてありがとう」
ゆかりの誘い文句に応じ、ミコトら四人は空いているテーブルについた。ミコトはティーポットからお茶を淹れつつ三人に笑いかけた。
「三人は相変わらず仲がいいね。羨ましいくらい」
そう言うと、ゆかりと順平は嫌そうに顔を見合わせた。チドリは静かに順平に寄り添い、こちらはこちらで仲がよさそうだった。ひとしきり嫌そうな顔をしたゆかりが口を開いた。
「それはそうと、友近はどうしたのよ!婚約者でしょ?」
「ああ、えと……一緒に来てたんだけど、挨拶に行くとかで先行っちゃって……」
「友近も相変わらずだな、ミコトッチという婚約者がいながら置いてっちゃうなんてな!オレからしたら考えられねーよ!」
「順平くんはチドリちゃんを置いていくなんてしないものね」
ミコトの言葉に、順平とチドリは顔を合わせて照れくさそうに笑い合った。ああ、これが婚約者同士の振る舞いだよなあ……とミコトは遠い目をしてしまう。友近と婚約してからそれなりに時間が経つが、彼と一緒に行動することはあまりなかった。家同士が決めた結婚、恋愛感情が芽生えるとまではいかずとも互いに信頼関係を築けるようにはなりたいのだが、どうやら友近にその気がなさそうなのが悲しい限りであった。
「そうだミコト!聞いてよ!実はさ……」
ゆかりの言葉を皮切りに、四人での楽しいお茶会が始まる。本当は隣に五人目がいてほしいとミコトは会場を見回したが、肝心の友近の姿は見当たらなかった。
「ありがとうミコト!楽しかったよ!」
「こちらこそありがとう。楽しかった!」
四人でのティータイムは話が弾み、ミコトはゆかりと抱擁を交わして三人と別れた。まだお茶会は続いているが、友近はどこにいるのだろう。ミコトがきょろきょろと辺りを見回していると、青い髪の少年がこちらへ歩いてきた。
「月森、君も来ていたんだな」
「結城くん!」
前髪で右目を隠した少年――結城理だった。気怠げながらもどこか風雅な雰囲気を纏う彼は、桐条家に次ぐ財閥、結城家の一人息子だった。彼も桐条美鶴のように婚約者がいてもおかしくないのだが、まだそういう女性はいないともっぱらの噂だった。理は首を傾げてミコトに問う。
「……ん?友近は一緒じゃないのか?」
「挨拶に行くって言って別れちゃって……どこかにはいると思うんだけど」
この説明を何度もするのも悲しくなってくる。ミコトは表面上はなんとか笑っていた。
「ふうん……って、ちょうどあそこにいるな、友近」
「え?」
理が指し示す先を見ると、女性と二人でアフタヌーンティーを楽しむ友近がいた。彼はにこにこと嬉しそうに笑いながら話している――そんな彼を初めて見た。ミコトの心に穴が空いたような気がした。
「俺たちもお茶しようか、月森」
「え、えっ?」
理はそっとミコトに近寄り、優雅に手を取った。その手は大きく、あたたかい。理の左目は真摯にミコトを見つめており、婚約者がいることをわかってなおも真剣にミコトを誘っていることが伺えた。ミコトはちらりと友近の方を見た。彼はやはり女性と談笑していて、自身の婚約者が他の男性に手を取られていることに気付いてもいない。少しばかりお灸を据える意味も込めて、ミコトも楽しんでいいのではないか。そんな囁きが脳内で響いた。
「うん、せっかくだしお茶しよう、結城くん」
ミコトが苦笑いしながら頷くと、理はかすかに口元を緩めた。笑っている……のだろうか。理はミコトの手を引き、近くのテーブルまで導いた。本来は四、五人で腰掛けるテーブルをたった二人で独占し、可憐な花が飾られたアフタヌーンティーの雰囲気を楽しむ。彼は二人分の紅茶を淹れてくれた。その仕草すら優美で、彼の纏う神秘的な空気も相まって非常に美しかった。
「ありがとう、結城くん。まだ時間あるし、一人でどうしようかなと思ってたの」
「ちょうどよかった、君が一人で。君はいつも友達と楽しそうにしているから」
「楽しそう……そう、かな」
ミコトは紅茶を一口飲んだ。柔らかな渋味と苦味、美味しいがどこか物悲しい味だった。甘いものが欲しくなる。ミコトは小さなケーキを理の皿と自身の皿に取り分けた。紅茶の渋味にケーキを合わせるとちょうどよい甘さが広がり、心の隙間を慰める美味しさがあった。ケーキを食べた理は、ほんの少し首を傾げながら尋ねた。
「うん。俺には友達と楽しく過ごしているように見えたけど、違うのかな」
「……そうだね。楽しくしてたかな」
「人の婚約者を悪く言いたくないけど、あの友近って奴、あまり評判がよくないみたいだな」
「そんなことは……!」
そんなことはない、と言いかけてミコトは口を噤んだ。ミコトという婚約者がありながらミコトを放ってお茶会の中練り歩き、あまつさえ女性と二人きりでお茶をする男だ。真っ当な人々からどのような評価を下されるかは火を見るより明らかで、それはミコトも薄々感じていた。だからこそ彼に釘を刺してきたわけだが、ミコトの力不足ということだろうか。しかしミコトも友近を放置して理と二人でティータイムを楽しんでいる、自身も決して瑕瑾のない人間ではない。ミコトは紅茶を飲みながら俯いた。……苦い。
「月森」
理は身を乗り出し、ミコトの顔を覗き込んだ。彼の美しい青い瞳に見つめられ、はっと我に返った。暗い思考の沼から優しく手を引かれた気分だった。
「俺は知ってるよ、君が友近をまともにしたくて色々言ってること。婚約者でもない俺が言うのもおかしいかもしれないけど、はっきり言っとく。今後何か困ったことがあったら俺に言って。力になるから」
「あ……」
彼の声は優しいが力強く、ミコトは顔を上げた。少しばかり涙が滲むのをさりげなく手で拭い、ミコトは笑った。
「ふふ、ありがとう結城くん。でも大丈夫、大丈夫だから。気持ちだけ受け取っておくね」
理と二人きりで話したお茶会以降、ミコトは友近と二人で出かけることがなくなった。放課後一緒に帰ろうと言っても断られ、休日どこかに出かけないかと誘っても上の空、友近と一緒に過ごす時間は激減していた。何か気にかかることでもあるのかと尋ねたが、
「なんでもないから」
と友近には一蹴され、ミコトは自分に何か問題があるのかと真剣に考え始めていた。
そんな頃、再び桐条家主催のお茶会が開かれることとなった。さすがの友近もこのお茶会を断ることはなく、ミコトは久しぶりに彼と二人で会場に向かっていた。
「よかった、健二くんと久しぶりに一緒に行けて。今日はゆっくりお話しない?」
「ああ……そうだな……」
隣にいる友近に話しかけるもやはり彼は心ここに在らずといった風で、ミコトの心には不安が砂のように広がっていった。
二人で辿り着いたお茶会の会場にはすでに様々な面々が集まっていた。ゆかりや順平の姿を確認し、ミコトはホッとしていた。ミコトが友近と腕を組み、一緒に座るテーブルを探していると、
「触るな!」
と彼に手を振り払われた。会場内に友近の大声が響き、水を打ったように静寂が走り人々の視線が突き刺さる。
「そうだ、ミコト。ちょうどいい、お前に言っておきたかったんだ」
友近は近くにいた女性をそっと手招きした。彼女は前回のお茶会で友近と二人きりでティータイムを楽しんでいた女性だった。女性は馴れ馴れしく友近の腕に絡み付き、しなだれかかるようにもたれた。
「オレはお前との婚約を破棄し、エミリと新たに婚約する!」
「……え?」
友近の宣言はミコトのみならずこの場にいる全員に告げるような大声でなされ、静まり返った会場がにわかにざわついた。呆然とするミコトのそばにゆかり、順平、チドリがやってきた。ゆかりは友近に食ってかかる。
「ちょっと、婚約破棄なんてあんたの一存で勝手にできることじゃないでしょ!?」
「ちゃんと友近家にも月森家にも話してあるし、了承は得てる!ただミコトに伝えるのが遅れただけだ!」
「え?そんなの、いつの間に……」
婚約破棄など寝耳に水どころか滝が流し込まれたようなもので、ミコトはただ困惑することしかできなかった。順平が大声で抗議する。
「ミコトッチは聞いてねえって顔してんじゃねーか!いくら家同士が決めた結婚とはいえ本人の承諾が一番最後なんて、おかしいんじゃねえの!?」
「友近……最低……」
順平は声を張り上げ、チドリは小声ながらも胸に刺さる一言を残した。ゆかりは眉をつり上げており、自分のことのように怒っているのが見てとれた。唖然としていたミコトは三人の言葉や態度に救われた気分だった。ようやく我に返り、ミコトは友近に向き直った。
「健二くん、婚約破棄なんて私は聞いてないよ。月森家でも友近家でもそんな話、聞いたことない。婚約破棄したいくらい私に気に入らないことがあるなら、先に私に言えばよかったのに」
毅然としたミコトを見、友近は苦虫を噛み潰した顔をした。
「お前のそういうところが気に入らないんだよ!可愛げもなければ守ってやりたくなる感じでもない!オレはエミリを守ってやりたいんだ!」
大仰な身振り手振りで言う友近は、腕を組む女性――エミリというらしい――と目を合わせた。もうすっかり恋人同士の甘い視線を絡ませ合い、二人は笑っていた。ミコトはため息をついた。エミリという女性が何者かよくわからないが、ずいぶんと仲良くなったものだ。
「わかった。健二くんはエミリさん……に夢中のようだし、婚約破棄も仕方ないね。健二くん、これまで婚約者でいてくれてありがとう。エミリさんと末長くお幸せに」
最後の礼儀として、ミコトは友近に深々と礼をした。どんなに屈辱を受けようとも、月森家の名を背負う者として最低限の礼を欠かすわけにはいかない。友近は礼をするミコトを満足そうに見守っていた。礼をしながらミコトは、涙が溢れてきた。俯いた顔からぽつぽつと涙が落ちる。
「ちょうどよかった。月森、婚約破棄されたのなら俺と婚約しよう」
凛と響く一言に、再び会場が静けさに包まれた。カツカツと足音が響き、頭を下げたままのミコトの前に誰かが立つ。
「月森、顔を上げて」
涼やかな声――顔を上げると、そこには結城理が立っていた。彼はハンカチを差し出し、優雅に微笑む。
「あ、え……?結城くん?」
「こんなヤツのために泣くなんてもったいないよ。ほら、これ使って」
「え、あ、ありがとう……」
差し出されたハンカチはシンプルな水色のもので、目元を拭うと濃い濡れ色に変わった。理は友近からミコトを庇うように立ち、友近に宣言する。
「俺は彼女とずっと結婚したかった。君が彼女との婚約を破棄するならちょうどいい、彼女は俺がもらっていく。君の方から婚約破棄したし君にはもう新しい恋人がいるようだ、だから問題ないだろ?」
そう言った理はわなわなと震える友近を放置してミコトに振り返り、その手を取った。優雅な仕草に柔らかな微笑み、ミコトの心臓が息を速い鼓動を刻み始めるのも仕方のないことだった。
ミコトが友近に婚約破棄をされた翌日、結城家に招かれることとなった。理によると、
「正式な婚約をするためには挨拶しないといけないから」
とのことだった。月森家や友近家よりよほど豪奢な豪邸、ミコトは口を開けたまま呆然としてしまったが、理に促され客間で挨拶を交わした。理の両親は突然の婚約に驚いた様子だったが、理の、
「俺は彼女と結婚したい。婚約破棄された彼女を放っておけなかった。必ず俺が幸せにする」
という力強い宣言に納得し、
「月森ミコトさんでしたね。うちの理をよろしくお願いします」
と言ってくる始末だった。ミコトも「は、はい」と返事することしかできなかった。
その後、ミコトは理の家でティータイムを楽しむこととなった。色とりどりのお菓子と紅茶を囲み、彼の部屋で同じテーブルにつく。ミコトは穏やかに微笑む理から目を離せなかった。
「今日は付き合ってくれてありがとう、月森。今度は君の家にもちゃんと挨拶に行かないとな」
「あ、うん……結城くん、こちらこそありがとう」
「ん?何が?」
首を傾げる彼に、ミコトは膝の上で小さく拳を握った。婚約破棄をされたことは記憶に新しい、いまだに友近の睨みつける眼差しを覚えている。
「あのとき、婚約破棄された私にこんなよくしてくれて……まさか結城家と婚約することになるなんて思ってなくて」
「月森」
立ち上がった理はミコトのそばに跪き、小さな拳の上に掌を重ねた。絹をなぞるような優しい触れ方にミコトの心がさざめく。
「確かに俺は『結城』理だけど、そんなの関係ない。ただの理と婚約するんだ。俺はずっと君が好きだった。……言っただろ?君が困っていたら力を貸すって」
「結城くん……」
彼の言葉と眼差しは優しく染み渡り、それなりに長い婚約期間を経た友近との思い出を塗り替えていく。夢見ていた婚約者との穏やかな暮らし、それが今度こそ叶うかもしれない。友近とではなく、理となら。
「ありがとう。私もあなたのこと、好きになっちゃったかも」
そう告げると、彼はにっこりと笑った。
「そうか。じゃあこれからもっと好きになってもらうから」
ミコトが理と正式に婚約してから数ヶ月が経ち、再びお茶会の季節がやってきた。今までは友近と出席していたが、これからは理とともに出席することになる。彼の腕にそっと寄り添うと、理は嬉しそうに笑っていた。
見慣れた庭園とティータイムの用意がされたテーブルを見ていると、奥から誰かが駆け寄ってきた。……友近だった。理はそっとミコトの前に立ち、守るように後ろ手にミコトを庇った。
「ミコト!エミリには他に婚約者がいたんだ!オレは騙されてたんだ!だから、だから……オレともう一度婚約してくれ!婚約破棄なんてするんじゃなかった!」
「健二くん……」
必死にまくし立てる友近のそばには誰もいなかった。あのエミリという女性すら。彼は他の者たちから遠巻きにされ、ひそひそと噂するような声も聞こえてきた。理はミコトにちらりと視線をやり、吐き捨てるように言った。
「ミコト、こんなヤツ構う必要ない」
「ううん……私からちゃんと伝えたいの」
ミコトは一歩前に出て理の隣に立った。うなだれていた友近が顔を輝かせた。その目は色よい返事がもらえると信じて疑わないものだった。
「健二くん、あのとき私たちは終わったの。あなたは私じゃない人を選んだの。そして私は……私は、理くんを選んだ」
隣に立つ理と目を合わせると、彼は優しく微笑み頷いた。彼と腕を組み、友近に現実を見せつける。
「私はもう健二くんのところには戻らない。健二くん、素敵な人が見つかるといいね。それじゃあ」
「そんな!ミコト、オレが悪かった!オレが悪かったから!」
崩れ落ちる友近の悲鳴を聞くのは悲しいが、ミコトは理とともに歩き振り返らなかった。自身を大切にしてくれる理と未来を歩いていく。そう決めていた。
桐条家が開催するお茶会は相変わらず優雅かつ豪勢で、月森ミコトは婚約者の友近健二と会場に訪れた。桐条家は経済界、社交界にかなりの影響力を持つ財閥の家柄、お茶会を定期的に開催し他の名家や財閥の者たちと交流を深めていた。多数用意されたテーブルにはアフタヌーンティーの用意がされ、大人からミコトのような十代の子供たちまで招待された者は多岐に渡る。このお茶会に婚約者とともに訪れるのは、家同士の結びつきを示す上でも重要であった。が、友近は、
「ふぁあ……だるいなぁ。毎回このお茶会に行くの面倒なんだよなぁ」
と気怠さを隠そうとしなかった。ミコトは思わず、
「もう、健二くんってば。そんな態度だと桐条家からの心象が悪くなっちゃうよ」
と釘を刺してしまうのだが、友近は気にしていない様子だった。友近にもそれなりの自覚を促していたミコトだったが、彼は相変わらずのようだ。ミコトはため息をついた。
「ほら、着いたよ健二くん」
美しい庭園を見ながらティータイムを楽しむ会場に着いた瞬間、友近はミコトのそばを離れ、
「じゃあオレは挨拶に行ってくるわ」
と一人で先に行ってしまった。あ、とミコトが手を伸ばしたときにはもう遅く、その手は彼に届かなかった。彼はいつもこうだ。ミコトは沈んだ吐息とともに気を取り直した。
「あ、ミコト!久しぶり!」
「よお、ミコトッチ!」
明るい声に呼ばれ振り返ると、岳羽ゆかり、伊織順平、チドリが立っていた。ゆかりと順平は明るく手を振り、チドリは順平の後ろに隠れながら控えめに手を振る。
「ゆかりちゃんに順平くん、チドリちゃん!よかった、みんなも来てたんだね」
「そうそう、たまたま会ってさ。ねえミコト、よかったら四人でお茶しない?そこのテーブルが空いてるから」
「うん、いいよ。誘ってくれてありがとう」
ゆかりの誘い文句に応じ、ミコトら四人は空いているテーブルについた。ミコトはティーポットからお茶を淹れつつ三人に笑いかけた。
「三人は相変わらず仲がいいね。羨ましいくらい」
そう言うと、ゆかりと順平は嫌そうに顔を見合わせた。チドリは静かに順平に寄り添い、こちらはこちらで仲がよさそうだった。ひとしきり嫌そうな顔をしたゆかりが口を開いた。
「それはそうと、友近はどうしたのよ!婚約者でしょ?」
「ああ、えと……一緒に来てたんだけど、挨拶に行くとかで先行っちゃって……」
「友近も相変わらずだな、ミコトッチという婚約者がいながら置いてっちゃうなんてな!オレからしたら考えられねーよ!」
「順平くんはチドリちゃんを置いていくなんてしないものね」
ミコトの言葉に、順平とチドリは顔を合わせて照れくさそうに笑い合った。ああ、これが婚約者同士の振る舞いだよなあ……とミコトは遠い目をしてしまう。友近と婚約してからそれなりに時間が経つが、彼と一緒に行動することはあまりなかった。家同士が決めた結婚、恋愛感情が芽生えるとまではいかずとも互いに信頼関係を築けるようにはなりたいのだが、どうやら友近にその気がなさそうなのが悲しい限りであった。
「そうだミコト!聞いてよ!実はさ……」
ゆかりの言葉を皮切りに、四人での楽しいお茶会が始まる。本当は隣に五人目がいてほしいとミコトは会場を見回したが、肝心の友近の姿は見当たらなかった。
「ありがとうミコト!楽しかったよ!」
「こちらこそありがとう。楽しかった!」
四人でのティータイムは話が弾み、ミコトはゆかりと抱擁を交わして三人と別れた。まだお茶会は続いているが、友近はどこにいるのだろう。ミコトがきょろきょろと辺りを見回していると、青い髪の少年がこちらへ歩いてきた。
「月森、君も来ていたんだな」
「結城くん!」
前髪で右目を隠した少年――結城理だった。気怠げながらもどこか風雅な雰囲気を纏う彼は、桐条家に次ぐ財閥、結城家の一人息子だった。彼も桐条美鶴のように婚約者がいてもおかしくないのだが、まだそういう女性はいないともっぱらの噂だった。理は首を傾げてミコトに問う。
「……ん?友近は一緒じゃないのか?」
「挨拶に行くって言って別れちゃって……どこかにはいると思うんだけど」
この説明を何度もするのも悲しくなってくる。ミコトは表面上はなんとか笑っていた。
「ふうん……って、ちょうどあそこにいるな、友近」
「え?」
理が指し示す先を見ると、女性と二人でアフタヌーンティーを楽しむ友近がいた。彼はにこにこと嬉しそうに笑いながら話している――そんな彼を初めて見た。ミコトの心に穴が空いたような気がした。
「俺たちもお茶しようか、月森」
「え、えっ?」
理はそっとミコトに近寄り、優雅に手を取った。その手は大きく、あたたかい。理の左目は真摯にミコトを見つめており、婚約者がいることをわかってなおも真剣にミコトを誘っていることが伺えた。ミコトはちらりと友近の方を見た。彼はやはり女性と談笑していて、自身の婚約者が他の男性に手を取られていることに気付いてもいない。少しばかりお灸を据える意味も込めて、ミコトも楽しんでいいのではないか。そんな囁きが脳内で響いた。
「うん、せっかくだしお茶しよう、結城くん」
ミコトが苦笑いしながら頷くと、理はかすかに口元を緩めた。笑っている……のだろうか。理はミコトの手を引き、近くのテーブルまで導いた。本来は四、五人で腰掛けるテーブルをたった二人で独占し、可憐な花が飾られたアフタヌーンティーの雰囲気を楽しむ。彼は二人分の紅茶を淹れてくれた。その仕草すら優美で、彼の纏う神秘的な空気も相まって非常に美しかった。
「ありがとう、結城くん。まだ時間あるし、一人でどうしようかなと思ってたの」
「ちょうどよかった、君が一人で。君はいつも友達と楽しそうにしているから」
「楽しそう……そう、かな」
ミコトは紅茶を一口飲んだ。柔らかな渋味と苦味、美味しいがどこか物悲しい味だった。甘いものが欲しくなる。ミコトは小さなケーキを理の皿と自身の皿に取り分けた。紅茶の渋味にケーキを合わせるとちょうどよい甘さが広がり、心の隙間を慰める美味しさがあった。ケーキを食べた理は、ほんの少し首を傾げながら尋ねた。
「うん。俺には友達と楽しく過ごしているように見えたけど、違うのかな」
「……そうだね。楽しくしてたかな」
「人の婚約者を悪く言いたくないけど、あの友近って奴、あまり評判がよくないみたいだな」
「そんなことは……!」
そんなことはない、と言いかけてミコトは口を噤んだ。ミコトという婚約者がありながらミコトを放ってお茶会の中練り歩き、あまつさえ女性と二人きりでお茶をする男だ。真っ当な人々からどのような評価を下されるかは火を見るより明らかで、それはミコトも薄々感じていた。だからこそ彼に釘を刺してきたわけだが、ミコトの力不足ということだろうか。しかしミコトも友近を放置して理と二人でティータイムを楽しんでいる、自身も決して瑕瑾のない人間ではない。ミコトは紅茶を飲みながら俯いた。……苦い。
「月森」
理は身を乗り出し、ミコトの顔を覗き込んだ。彼の美しい青い瞳に見つめられ、はっと我に返った。暗い思考の沼から優しく手を引かれた気分だった。
「俺は知ってるよ、君が友近をまともにしたくて色々言ってること。婚約者でもない俺が言うのもおかしいかもしれないけど、はっきり言っとく。今後何か困ったことがあったら俺に言って。力になるから」
「あ……」
彼の声は優しいが力強く、ミコトは顔を上げた。少しばかり涙が滲むのをさりげなく手で拭い、ミコトは笑った。
「ふふ、ありがとう結城くん。でも大丈夫、大丈夫だから。気持ちだけ受け取っておくね」
理と二人きりで話したお茶会以降、ミコトは友近と二人で出かけることがなくなった。放課後一緒に帰ろうと言っても断られ、休日どこかに出かけないかと誘っても上の空、友近と一緒に過ごす時間は激減していた。何か気にかかることでもあるのかと尋ねたが、
「なんでもないから」
と友近には一蹴され、ミコトは自分に何か問題があるのかと真剣に考え始めていた。
そんな頃、再び桐条家主催のお茶会が開かれることとなった。さすがの友近もこのお茶会を断ることはなく、ミコトは久しぶりに彼と二人で会場に向かっていた。
「よかった、健二くんと久しぶりに一緒に行けて。今日はゆっくりお話しない?」
「ああ……そうだな……」
隣にいる友近に話しかけるもやはり彼は心ここに在らずといった風で、ミコトの心には不安が砂のように広がっていった。
二人で辿り着いたお茶会の会場にはすでに様々な面々が集まっていた。ゆかりや順平の姿を確認し、ミコトはホッとしていた。ミコトが友近と腕を組み、一緒に座るテーブルを探していると、
「触るな!」
と彼に手を振り払われた。会場内に友近の大声が響き、水を打ったように静寂が走り人々の視線が突き刺さる。
「そうだ、ミコト。ちょうどいい、お前に言っておきたかったんだ」
友近は近くにいた女性をそっと手招きした。彼女は前回のお茶会で友近と二人きりでティータイムを楽しんでいた女性だった。女性は馴れ馴れしく友近の腕に絡み付き、しなだれかかるようにもたれた。
「オレはお前との婚約を破棄し、エミリと新たに婚約する!」
「……え?」
友近の宣言はミコトのみならずこの場にいる全員に告げるような大声でなされ、静まり返った会場がにわかにざわついた。呆然とするミコトのそばにゆかり、順平、チドリがやってきた。ゆかりは友近に食ってかかる。
「ちょっと、婚約破棄なんてあんたの一存で勝手にできることじゃないでしょ!?」
「ちゃんと友近家にも月森家にも話してあるし、了承は得てる!ただミコトに伝えるのが遅れただけだ!」
「え?そんなの、いつの間に……」
婚約破棄など寝耳に水どころか滝が流し込まれたようなもので、ミコトはただ困惑することしかできなかった。順平が大声で抗議する。
「ミコトッチは聞いてねえって顔してんじゃねーか!いくら家同士が決めた結婚とはいえ本人の承諾が一番最後なんて、おかしいんじゃねえの!?」
「友近……最低……」
順平は声を張り上げ、チドリは小声ながらも胸に刺さる一言を残した。ゆかりは眉をつり上げており、自分のことのように怒っているのが見てとれた。唖然としていたミコトは三人の言葉や態度に救われた気分だった。ようやく我に返り、ミコトは友近に向き直った。
「健二くん、婚約破棄なんて私は聞いてないよ。月森家でも友近家でもそんな話、聞いたことない。婚約破棄したいくらい私に気に入らないことがあるなら、先に私に言えばよかったのに」
毅然としたミコトを見、友近は苦虫を噛み潰した顔をした。
「お前のそういうところが気に入らないんだよ!可愛げもなければ守ってやりたくなる感じでもない!オレはエミリを守ってやりたいんだ!」
大仰な身振り手振りで言う友近は、腕を組む女性――エミリというらしい――と目を合わせた。もうすっかり恋人同士の甘い視線を絡ませ合い、二人は笑っていた。ミコトはため息をついた。エミリという女性が何者かよくわからないが、ずいぶんと仲良くなったものだ。
「わかった。健二くんはエミリさん……に夢中のようだし、婚約破棄も仕方ないね。健二くん、これまで婚約者でいてくれてありがとう。エミリさんと末長くお幸せに」
最後の礼儀として、ミコトは友近に深々と礼をした。どんなに屈辱を受けようとも、月森家の名を背負う者として最低限の礼を欠かすわけにはいかない。友近は礼をするミコトを満足そうに見守っていた。礼をしながらミコトは、涙が溢れてきた。俯いた顔からぽつぽつと涙が落ちる。
「ちょうどよかった。月森、婚約破棄されたのなら俺と婚約しよう」
凛と響く一言に、再び会場が静けさに包まれた。カツカツと足音が響き、頭を下げたままのミコトの前に誰かが立つ。
「月森、顔を上げて」
涼やかな声――顔を上げると、そこには結城理が立っていた。彼はハンカチを差し出し、優雅に微笑む。
「あ、え……?結城くん?」
「こんなヤツのために泣くなんてもったいないよ。ほら、これ使って」
「え、あ、ありがとう……」
差し出されたハンカチはシンプルな水色のもので、目元を拭うと濃い濡れ色に変わった。理は友近からミコトを庇うように立ち、友近に宣言する。
「俺は彼女とずっと結婚したかった。君が彼女との婚約を破棄するならちょうどいい、彼女は俺がもらっていく。君の方から婚約破棄したし君にはもう新しい恋人がいるようだ、だから問題ないだろ?」
そう言った理はわなわなと震える友近を放置してミコトに振り返り、その手を取った。優雅な仕草に柔らかな微笑み、ミコトの心臓が息を速い鼓動を刻み始めるのも仕方のないことだった。
ミコトが友近に婚約破棄をされた翌日、結城家に招かれることとなった。理によると、
「正式な婚約をするためには挨拶しないといけないから」
とのことだった。月森家や友近家よりよほど豪奢な豪邸、ミコトは口を開けたまま呆然としてしまったが、理に促され客間で挨拶を交わした。理の両親は突然の婚約に驚いた様子だったが、理の、
「俺は彼女と結婚したい。婚約破棄された彼女を放っておけなかった。必ず俺が幸せにする」
という力強い宣言に納得し、
「月森ミコトさんでしたね。うちの理をよろしくお願いします」
と言ってくる始末だった。ミコトも「は、はい」と返事することしかできなかった。
その後、ミコトは理の家でティータイムを楽しむこととなった。色とりどりのお菓子と紅茶を囲み、彼の部屋で同じテーブルにつく。ミコトは穏やかに微笑む理から目を離せなかった。
「今日は付き合ってくれてありがとう、月森。今度は君の家にもちゃんと挨拶に行かないとな」
「あ、うん……結城くん、こちらこそありがとう」
「ん?何が?」
首を傾げる彼に、ミコトは膝の上で小さく拳を握った。婚約破棄をされたことは記憶に新しい、いまだに友近の睨みつける眼差しを覚えている。
「あのとき、婚約破棄された私にこんなよくしてくれて……まさか結城家と婚約することになるなんて思ってなくて」
「月森」
立ち上がった理はミコトのそばに跪き、小さな拳の上に掌を重ねた。絹をなぞるような優しい触れ方にミコトの心がさざめく。
「確かに俺は『結城』理だけど、そんなの関係ない。ただの理と婚約するんだ。俺はずっと君が好きだった。……言っただろ?君が困っていたら力を貸すって」
「結城くん……」
彼の言葉と眼差しは優しく染み渡り、それなりに長い婚約期間を経た友近との思い出を塗り替えていく。夢見ていた婚約者との穏やかな暮らし、それが今度こそ叶うかもしれない。友近とではなく、理となら。
「ありがとう。私もあなたのこと、好きになっちゃったかも」
そう告げると、彼はにっこりと笑った。
「そうか。じゃあこれからもっと好きになってもらうから」
ミコトが理と正式に婚約してから数ヶ月が経ち、再びお茶会の季節がやってきた。今までは友近と出席していたが、これからは理とともに出席することになる。彼の腕にそっと寄り添うと、理は嬉しそうに笑っていた。
見慣れた庭園とティータイムの用意がされたテーブルを見ていると、奥から誰かが駆け寄ってきた。……友近だった。理はそっとミコトの前に立ち、守るように後ろ手にミコトを庇った。
「ミコト!エミリには他に婚約者がいたんだ!オレは騙されてたんだ!だから、だから……オレともう一度婚約してくれ!婚約破棄なんてするんじゃなかった!」
「健二くん……」
必死にまくし立てる友近のそばには誰もいなかった。あのエミリという女性すら。彼は他の者たちから遠巻きにされ、ひそひそと噂するような声も聞こえてきた。理はミコトにちらりと視線をやり、吐き捨てるように言った。
「ミコト、こんなヤツ構う必要ない」
「ううん……私からちゃんと伝えたいの」
ミコトは一歩前に出て理の隣に立った。うなだれていた友近が顔を輝かせた。その目は色よい返事がもらえると信じて疑わないものだった。
「健二くん、あのとき私たちは終わったの。あなたは私じゃない人を選んだの。そして私は……私は、理くんを選んだ」
隣に立つ理と目を合わせると、彼は優しく微笑み頷いた。彼と腕を組み、友近に現実を見せつける。
「私はもう健二くんのところには戻らない。健二くん、素敵な人が見つかるといいね。それじゃあ」
「そんな!ミコト、オレが悪かった!オレが悪かったから!」
崩れ落ちる友近の悲鳴を聞くのは悲しいが、ミコトは理とともに歩き振り返らなかった。自身を大切にしてくれる理と未来を歩いていく。そう決めていた。