幼なじみと王子様が私を離してくれない
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#2 幼なじみは面白くない
マナと彼女の父親がシバの王城を訪れた翌日。特別なことがあった翌日も、通常どおり綺麗な朝日が昇る。
「シーン!おはよー!」
元気な声にシンが扉を開けると、いつものようにカゴを抱えたマナが立っていた。彼女が快活なのはいつものことだが、普段よりも声が弾んで聞こえた。
「おはよう、マナ。今日は一段と元気だな」
「早く昨日のことをシンに話したくって!」
マナはシンの家に入り、テーブルにカゴを置いた。シンがカゴからはみ出さんばかりの野菜や卵で朝食を作っていると、上機嫌なマナの鼻歌が聞こえた。この分だと思っていた以上の土産話を聞けそうだな。シンは苦笑いを浮かべながら、朝食を用意した。
「ありがとうシン!いただきます」
二人で手を合わせ、向かい合って朝食を食べる。マナは満面の笑みでハンカチを取り出した。中からクッキーを手に取り、シンに差し出した。
「シン、これあげる。昨日ヒイラギ様からいただいたの」
「ありがとう。……ヒイラギ様?」
柔らかな質感のクッキーを受け取ると、鼻先に甘く芳しい香りが漂った。村ではなかなかお目にかかれない贅沢品だが、それよりも知らない名前が気にかかった。
「うん、昨日女王様と王子様に会ってきたの」
「王子の名前か?」
「うん、そう。ヒイラギ様、すごく素敵な人だったよ!私みたいな庶民にも優しくってさ」
マナの口調は純粋無垢、ただただ楽しかった思い出を共有したいだけに聞こえる。シンは眉を顰めた。よく見知った村人以外の男の話をするマナ、正直あまり気分はよくなかった。
「……そうか。ところで、取引自体はうまくいったのか」
パンに齧り付きながらシンは尋ねた。強引な話の逸らし方だったが、マナは笑いながら答えた。
「うん、女王様、品物を気に入ってくれたみたい!これからも定期的に取引してくれるんだって!すごく嬉しい!」
「へー……じゃあこれから、王城にちょくちょく行くことになるんだな」
「そうなの!ヒイラギ様からもまた来てねって言われちゃった」
へへ、とマナは頬をかきながら照れ臭そうに笑った。……せっかく逸らした話が元に戻ってくる。海上都市シバの王子、ヒイラギ。見たこともない男の名は、シンの胸に黒い霧を纏わせる。
「……王子様っていうのは、どんなヤツだったんだ」
「あ、えっとね」
マナは思い出す素振りをしながら、軽快に語り始めた。
「優しくて親切で、綺麗な人だったよ。青い髪で、目が金色で。一緒にお茶したんだけど、すごく楽しかったの」
「…………」
逆に詳しく聞けば少しは霧が晴れるかと思ったが全くそんなことはなく、シンはぎり、とフォークを噛んでしまった。犬歯と金属が擦れあい、不吉な音を鳴らす。
「似顔絵、描くって言ってたろ。見せてくれ」
「えー、私あんな綺麗な人を描くなんて畏れ多いなぁ」
スケッチブックと鉛筆を渡すと、ぶつくさ言いながらもマナは筆を走らせた。
「こんな感じ」
スケッチブックには髪が長い青年が描かれていた。目元は涼やか、口元には穏やかな笑み。マナの主観が含まれるとはいえ、十二分に美麗な人物であることが伝わる絵だった。シンとは方向性が異なる魅力を持つ人物と思われ、シンは歯噛みした。
「なあ、オレも王城に行くことはできないのか」
「え、シンも?なんで?」
「その王子に会ってみたいから」
シンの言葉にマナはううん、と考え込んだ。シンの唇が勝手に動く。
「お前の護衛ってことでついていけないか。実際、少ないとはいえ魔物もいることだし」
では何故前回シンがついてこなかったのか、という疑問には一切答えられない苦しい弁明をしながら、シンは身を乗り出した。マナの心に焼きついたその青年、会わないという選択肢はなかった。一目でいい、確認してみたい。
「うーん。今度お会いするときに聞いてみるね。私の友達だからって言ったら、許可してくれるかもしれないし」
「ああ、頼む」
……マナから詳しく追及されなくて助かった。もしもどうして会いたいの、と尋ねられれば、今のシンは冷静に答えられないだろうから。シンの手元にはクッキーが一枚置いてある。王子からの贈り物と聞いて、素直に食べられない自分がいた。
マナからヒイラギのことを聞いた数日後。村は見事な快晴で雲一つなく、何をするにもよい日和だった。
「シンせんせーい!怪我しちゃったー!」
その日、シンの家には村の子供が数人集まっていた。シンは村唯一のモンクで腕もよく、彼のもとには連日患者が訪れる。
「わかったわかった、お前ら落ち着け。診せてみろ」
まくしたてる子供たちを宥め、シンは冷静に怪我の具合を確認した。転んだのか膝から血を出す者、何かにぶつけたのかアザができている者、どれも日常的な怪我ばかりだ。シンは気を集め、子供たちの怪我を的確に治していく。塞がった傷口を消毒し血を拭けば元通りだ。子供たちはうわあ、と歓声を上げた。
「ありがとうシン先生!」
親から預かってきただろう治療代を受取り、シンは子供たちの頭を撫でた。
「ああ、もう怪我するような遊び方をするんじゃないぞ」
「はーい!」
勢いよく家を飛び出す子供たちを見送るために外に出ると、穏やかな風が吹いた。シンの黒い髪が風にそよぎ、走り去る子供たちの背を押した。
「ん?」
ふとシンが見つめた先に、馬車がいた。こちらに向かっている。馬車には海上都市シバの国旗が掲げられ、ただの来客ではないことが伺えた。馬車はシンのすぐそばで止まり、中から誰かが降りてきた。くるぶしに届くほどの長さの青い髪が風に舞い美しい軌跡を描く。金色の瞳は美しく、すらりとした体躯は見目麗しい。村の素朴な雰囲気にはそぐわぬ気品を纏った青い髪の青年は、シンに笑顔を向けた。
「やあ、こんにちは。僕は海上都市シバの王子、ヒイラギ。マナはいるかな?」
青年――ヒイラギは楚々と尋ねた。その立ち振る舞いは上品で、同性のシンですら一瞬言葉に詰まるほどだった。マナの似顔絵でも美しさを感じていたが、実物は眩いまでの輝きを放ち、マナが気にかけるのも納得ではあった。……腹立たしいが。
「マナなら隣の家にいる」
「あ、そうなんだ。教えてくれてありがとう」
ヒイラギは微笑み優雅に礼をすると、マナの家の扉をノックした。マナが現れ、ヒイラギと話している。その顔は見慣れない王族への思慕に染まっていた。普段シンが見ない顔――ああ、落ち着かない。
拳を握っている間にヒイラギは家に入っていった。マナを訪ねてきたのだから彼女に用があるのは当然だ、当然なのだが二人きりか。シンもよく知る村の男ならともかく、シバの王族と二人きり。一体何を話し、何をしているのだろうか。立ち尽くすシンに、
「シン、あの、ちょっといいかしら?」
近所の女性が話しかけてくる。指先を押さえた彼女は、
「包丁で指を切ってしまって……シン、聞いているの?」
怪訝な顔でシンを覗き込んだ。ようやくシンは我に返ったが、
「……すまない、もう一度言ってもらえるか」
女性が話した内容を全く覚えていなかった。
「ヒイラギ様、申し訳ございません!その、散らかってて!」
マナはヒイラギの当然の訪問に大わらわだった。畳んでいた洗濯物を端によけて隠したり、キッチンで茶を淹れたりと慌てていると、ヒイラギは首を横に振った。
「マナに会いに来ただけなんだ。だから気にしないで、そんなに慌てなくていいんだよ」
「い、いえ!お掛けになってください!」
何とか茶を淹れ終えたマナは、ヒイラギをテーブルに座らせた。王族のような優雅なティータイム……とはいかないが、少しでもおもてなししなくては。来客用の綺麗なティーカップに茶を注ぐと、
「ありがとう、マナ」
行儀よく座った彼に微笑まれ、マナは脱力しそうになった。あまりに麗しい笑顔に緊張がほどけ、ようやく彼女も腰を落ち着けた。眩いばかりのヒイラギが、小さな村の一軒家にいる。マナの家は父と二人暮らしの小さな家、質素で王族を招き入れるにふさわしい空間とはとても言えない。マナは小さく縮こまっていた。
「マナ」
ヒイラギは身を乗り出し、俯き気味のマナの視界に優しく入り込んだ。黄金の美しい瞳がマナを見据えている。
「ごめんね、突然来たから驚かせちゃったね。今度から手紙を書くようにするよ」
「い、いえ、そうではなくて、あの!す、すみません、こんな、大したおもてなしもできず!」
「ううん、君は悪くないよ。礼儀知らずな僕をかばってくれるなんて、マナは優しいね」
「あ、そ、そんな……」
頭を下げるヒイラギに、マナは畏れ多さのあまり何も言えなくなってしまった。ヒイラギともう一度会いたいとは思っていたが、いざその機会が訪れると困惑一色になってしまった。
「マナ、お詫びといってはなんだけど、これを受け取ってくれるかな」
そう言ってヒイラギが差し出したのは、小さなカゴだった。カゴにはクッキーやマドレーヌといった菓子がいくつも入っている。カゴ自体も可愛らしく、マナは驚いた。
「この前お菓子を持って帰ってたでしょ?お友達と一緒に食べてほしいな」
「え、でも……よろしいのですか?」
「うん。ぜひ受け取って。王室御用達のお菓子だから、味は折り紙つきだよ」
ほら、とヒイラギはカゴを差し出してくる。躊躇いにマナが硬直しても、ヒイラギはカゴを引っ込める様子はなかった。あまりに辞退するのも失礼にあたる、マナは恭しく受取り、
「ありがとうございます。いただきます」
ぺこりと頭を下げた。その様子をヒイラギは満足そうに眺めていた。
「よかった、ありがとう。今日はお菓子を渡したいなって思ってたから嬉しいよ。そういえば、マナ。お菓子を友達に渡すって言っていたけれど、友達ってどんな人なの?」
ヒイラギに尋ねられ、マナの脳裏にシンがよぎった。家が隣同士、自然と仲良くなり長いときを共有した幼なじみ。彼は異性だが、竹馬の友の気安さがある。そういえば、以前渡したクッキーは気に入ってもらえただろうか。感想を聞いていなかった。
「小さい頃からずっと一緒に過ごしたんです。腕のいいモンクで、みんなから頼りにされてて……私も頼りにしています」
「へえ、そうなんだ。女の子なの?」
「いえ、男の子です」
「ふうん……」
ヒイラギは茶を一口飲み、じっくりと味わっていた。彼は茶の香りを吐息とともに吐き出すと、マナに笑いかけた。
「このお茶、変わった味だね。この村の特産品だったりするの?」
「あ、はい。一般的なお茶とは加工の仕方が違うって聞いてます。美味しいですか?」
「うん。とても美味しいよ。ありがとう、マナ。マナといると、王城では知らないことを教えてもらえるね」
「そ、そんなことは……」
マナは頬をかいた。美しい王子様に真っ向から感謝されるとこそばゆくなる。
「マナ、お茶をありがとう。そろそろ母上が心配するから僕は帰るよ。今度来るときは手紙で知らせるし、次は僕の部屋に来てほしいな」
「え、ヒイラギ様のお部屋に、ですか!?」
「そうだよ。お邪魔しっぱなしはよくないからね。マナのお茶とシバのお茶を飲み比べてみたいしね」
「あ……ええっと」
ヒイラギから土産をもらったのに、手ぶらで帰すのは寝覚めが悪い。マナは茶葉を小さな袋に入れ、ヒイラギに手渡した。
「これ、今日淹れたお茶です。お持ち帰りください」
「え?いいよ、僕が突然来たんだから、お土産をもらうのは悪いよ」
「受け取ってください!」
半ば強引に手渡すと、ヒイラギは苦笑いしながらも受け取ってくれた。
「ありがとう、マナ。今度君のお友達にも会わせてね」
そう言って手を振り、馬車に乗る彼を見送った。マナの心臓は突然の出来事に忙しなく拍動を続けていた。
「シン!いる?」
昼下がりの気怠い時間帯、シンの家にノックが響きマナの声が聞こえた。ようやくヒイラギとの逢瀬が終わったか。シンが扉を開けると、
「シン、お菓子をいただいたの!一緒に食べよ!」
小さなカゴを大事そうに抱えたマナが立っていた。カゴの中には甘い芳香を漂わせる魅惑の菓子が入っている。シンは甘い香りに頭が酔いそうになりながらもマナを招き入れた。テーブルに彼女と座ると、マナは興奮した様子で口火を切った。
「あのね、さっきまでヒイラギ様がいらっしゃったの!お友達と食べて、ってお菓子をいただいて!」
「……知ってる」
ヒイラギ。その名を聞くとシンのこめかみに力が入る。先ほど見かけた優美な王子を思い出し、シンは小さく拳を握った。
「マナはいないかって聞いてきたからな。驚いた、シバの王子が村に直接来るとはな」
「あ、シンもヒイラギ様を見たの?じゃあシンに声かければよかった!ヒイラギ様、シンに会ってみたいって言ってたから!」
「……オレに?」
シンは眉を顰めた。確かにシンはヒイラギに会いたいと言ったが、まさか彼も同じことを言うとは。マナと彼がどのような話をしたのか気になって仕方がなかった。
「ヒイラギ様、王城に年の近い人がいないって言ってたから、お友達がほしいんだと思うの。私でもいいのかもしれないけど、シンなら同じ男の子だし、ヒイラギ様と気が合うんじゃないかな?」
マナの無邪気な言葉にシンは冷静ではいられなかった。シンが、ヒイラギと?シンは彼を一目見ただけだが、とても馬が合うようには思えなかった。が、自分の知らないところでマナとヒイラギが仲を深めるのは面白くない。シンは相反する感情に挟まり、苛立ちが募った。
「シン、この前あげたクッキー、どうだった?」
「ああ、美味かった」
「じゃあこれ!ヒイラギ様からいただいたの、一緒に食べよう」
「ああ……」
甘い菓子に罪はないが、シンは少しばかり苛々していた。だが蟲惑の香りには逆らえない。シンは遠慮なくカゴに手を伸ばし、マドレーヌを手に取った。口に入れた瞬間ふわりと崩れ、砂糖の柔らかな甘さと柑橘類の甘酸っぱさが舌の上に広がる。美味い。腹立たしくなるほどに美味い。
「よかった、シンって甘いもの好きだったよねって不安になっちゃった」
マナもクッキーを手に取り、安堵した様子で口に運んでいた。少しずつ大切に食べる姿はいじらしく愛らしい。……その可愛さがヒイラギのもたらす菓子によるものだと思い至ってしまい、シンは目を細めた。
「ねえシン、今度一緒に王城に行かない?あの感じだと、ヒイラギ様も許してくれそうだよ」
「王城に……?」
言いながらシンは自らの服装を顧みた。動きやすいハーフパンツにラフな靴、上半身は惜しげもなく露出している。とても王城に適した服装とはいえまい。小さな村のモンクのシンは、王城に行ってもおかしくない服など持ち合わせていない。……閃いた。
「マナ、シバに行く。付き合ってくれ」
「え?なんで?」
「この格好では行けないだろ?」
そう尋ねると、あー、とマナは些か間抜けな声を上げた。
「うん、確かに。服、一緒に買いに行こっか。前はシンにご飯を奢ってもらったから、今回は私が奢るよ!」
「ありがとう」
シンは前回シバに二人で出かけた日を思い出した。あのとき彼女が買ったワンピース、シンは着ている姿を見たことがない。王城に行くのなら、よそ行きのワンピース姿のマナも見られるだろう。そう考えた途端シンの心はわかりやすく晴れ渡り、口元も柔らかく綻んでいた。
マナと彼女の父親がシバの王城を訪れた翌日。特別なことがあった翌日も、通常どおり綺麗な朝日が昇る。
「シーン!おはよー!」
元気な声にシンが扉を開けると、いつものようにカゴを抱えたマナが立っていた。彼女が快活なのはいつものことだが、普段よりも声が弾んで聞こえた。
「おはよう、マナ。今日は一段と元気だな」
「早く昨日のことをシンに話したくって!」
マナはシンの家に入り、テーブルにカゴを置いた。シンがカゴからはみ出さんばかりの野菜や卵で朝食を作っていると、上機嫌なマナの鼻歌が聞こえた。この分だと思っていた以上の土産話を聞けそうだな。シンは苦笑いを浮かべながら、朝食を用意した。
「ありがとうシン!いただきます」
二人で手を合わせ、向かい合って朝食を食べる。マナは満面の笑みでハンカチを取り出した。中からクッキーを手に取り、シンに差し出した。
「シン、これあげる。昨日ヒイラギ様からいただいたの」
「ありがとう。……ヒイラギ様?」
柔らかな質感のクッキーを受け取ると、鼻先に甘く芳しい香りが漂った。村ではなかなかお目にかかれない贅沢品だが、それよりも知らない名前が気にかかった。
「うん、昨日女王様と王子様に会ってきたの」
「王子の名前か?」
「うん、そう。ヒイラギ様、すごく素敵な人だったよ!私みたいな庶民にも優しくってさ」
マナの口調は純粋無垢、ただただ楽しかった思い出を共有したいだけに聞こえる。シンは眉を顰めた。よく見知った村人以外の男の話をするマナ、正直あまり気分はよくなかった。
「……そうか。ところで、取引自体はうまくいったのか」
パンに齧り付きながらシンは尋ねた。強引な話の逸らし方だったが、マナは笑いながら答えた。
「うん、女王様、品物を気に入ってくれたみたい!これからも定期的に取引してくれるんだって!すごく嬉しい!」
「へー……じゃあこれから、王城にちょくちょく行くことになるんだな」
「そうなの!ヒイラギ様からもまた来てねって言われちゃった」
へへ、とマナは頬をかきながら照れ臭そうに笑った。……せっかく逸らした話が元に戻ってくる。海上都市シバの王子、ヒイラギ。見たこともない男の名は、シンの胸に黒い霧を纏わせる。
「……王子様っていうのは、どんなヤツだったんだ」
「あ、えっとね」
マナは思い出す素振りをしながら、軽快に語り始めた。
「優しくて親切で、綺麗な人だったよ。青い髪で、目が金色で。一緒にお茶したんだけど、すごく楽しかったの」
「…………」
逆に詳しく聞けば少しは霧が晴れるかと思ったが全くそんなことはなく、シンはぎり、とフォークを噛んでしまった。犬歯と金属が擦れあい、不吉な音を鳴らす。
「似顔絵、描くって言ってたろ。見せてくれ」
「えー、私あんな綺麗な人を描くなんて畏れ多いなぁ」
スケッチブックと鉛筆を渡すと、ぶつくさ言いながらもマナは筆を走らせた。
「こんな感じ」
スケッチブックには髪が長い青年が描かれていた。目元は涼やか、口元には穏やかな笑み。マナの主観が含まれるとはいえ、十二分に美麗な人物であることが伝わる絵だった。シンとは方向性が異なる魅力を持つ人物と思われ、シンは歯噛みした。
「なあ、オレも王城に行くことはできないのか」
「え、シンも?なんで?」
「その王子に会ってみたいから」
シンの言葉にマナはううん、と考え込んだ。シンの唇が勝手に動く。
「お前の護衛ってことでついていけないか。実際、少ないとはいえ魔物もいることだし」
では何故前回シンがついてこなかったのか、という疑問には一切答えられない苦しい弁明をしながら、シンは身を乗り出した。マナの心に焼きついたその青年、会わないという選択肢はなかった。一目でいい、確認してみたい。
「うーん。今度お会いするときに聞いてみるね。私の友達だからって言ったら、許可してくれるかもしれないし」
「ああ、頼む」
……マナから詳しく追及されなくて助かった。もしもどうして会いたいの、と尋ねられれば、今のシンは冷静に答えられないだろうから。シンの手元にはクッキーが一枚置いてある。王子からの贈り物と聞いて、素直に食べられない自分がいた。
マナからヒイラギのことを聞いた数日後。村は見事な快晴で雲一つなく、何をするにもよい日和だった。
「シンせんせーい!怪我しちゃったー!」
その日、シンの家には村の子供が数人集まっていた。シンは村唯一のモンクで腕もよく、彼のもとには連日患者が訪れる。
「わかったわかった、お前ら落ち着け。診せてみろ」
まくしたてる子供たちを宥め、シンは冷静に怪我の具合を確認した。転んだのか膝から血を出す者、何かにぶつけたのかアザができている者、どれも日常的な怪我ばかりだ。シンは気を集め、子供たちの怪我を的確に治していく。塞がった傷口を消毒し血を拭けば元通りだ。子供たちはうわあ、と歓声を上げた。
「ありがとうシン先生!」
親から預かってきただろう治療代を受取り、シンは子供たちの頭を撫でた。
「ああ、もう怪我するような遊び方をするんじゃないぞ」
「はーい!」
勢いよく家を飛び出す子供たちを見送るために外に出ると、穏やかな風が吹いた。シンの黒い髪が風にそよぎ、走り去る子供たちの背を押した。
「ん?」
ふとシンが見つめた先に、馬車がいた。こちらに向かっている。馬車には海上都市シバの国旗が掲げられ、ただの来客ではないことが伺えた。馬車はシンのすぐそばで止まり、中から誰かが降りてきた。くるぶしに届くほどの長さの青い髪が風に舞い美しい軌跡を描く。金色の瞳は美しく、すらりとした体躯は見目麗しい。村の素朴な雰囲気にはそぐわぬ気品を纏った青い髪の青年は、シンに笑顔を向けた。
「やあ、こんにちは。僕は海上都市シバの王子、ヒイラギ。マナはいるかな?」
青年――ヒイラギは楚々と尋ねた。その立ち振る舞いは上品で、同性のシンですら一瞬言葉に詰まるほどだった。マナの似顔絵でも美しさを感じていたが、実物は眩いまでの輝きを放ち、マナが気にかけるのも納得ではあった。……腹立たしいが。
「マナなら隣の家にいる」
「あ、そうなんだ。教えてくれてありがとう」
ヒイラギは微笑み優雅に礼をすると、マナの家の扉をノックした。マナが現れ、ヒイラギと話している。その顔は見慣れない王族への思慕に染まっていた。普段シンが見ない顔――ああ、落ち着かない。
拳を握っている間にヒイラギは家に入っていった。マナを訪ねてきたのだから彼女に用があるのは当然だ、当然なのだが二人きりか。シンもよく知る村の男ならともかく、シバの王族と二人きり。一体何を話し、何をしているのだろうか。立ち尽くすシンに、
「シン、あの、ちょっといいかしら?」
近所の女性が話しかけてくる。指先を押さえた彼女は、
「包丁で指を切ってしまって……シン、聞いているの?」
怪訝な顔でシンを覗き込んだ。ようやくシンは我に返ったが、
「……すまない、もう一度言ってもらえるか」
女性が話した内容を全く覚えていなかった。
「ヒイラギ様、申し訳ございません!その、散らかってて!」
マナはヒイラギの当然の訪問に大わらわだった。畳んでいた洗濯物を端によけて隠したり、キッチンで茶を淹れたりと慌てていると、ヒイラギは首を横に振った。
「マナに会いに来ただけなんだ。だから気にしないで、そんなに慌てなくていいんだよ」
「い、いえ!お掛けになってください!」
何とか茶を淹れ終えたマナは、ヒイラギをテーブルに座らせた。王族のような優雅なティータイム……とはいかないが、少しでもおもてなししなくては。来客用の綺麗なティーカップに茶を注ぐと、
「ありがとう、マナ」
行儀よく座った彼に微笑まれ、マナは脱力しそうになった。あまりに麗しい笑顔に緊張がほどけ、ようやく彼女も腰を落ち着けた。眩いばかりのヒイラギが、小さな村の一軒家にいる。マナの家は父と二人暮らしの小さな家、質素で王族を招き入れるにふさわしい空間とはとても言えない。マナは小さく縮こまっていた。
「マナ」
ヒイラギは身を乗り出し、俯き気味のマナの視界に優しく入り込んだ。黄金の美しい瞳がマナを見据えている。
「ごめんね、突然来たから驚かせちゃったね。今度から手紙を書くようにするよ」
「い、いえ、そうではなくて、あの!す、すみません、こんな、大したおもてなしもできず!」
「ううん、君は悪くないよ。礼儀知らずな僕をかばってくれるなんて、マナは優しいね」
「あ、そ、そんな……」
頭を下げるヒイラギに、マナは畏れ多さのあまり何も言えなくなってしまった。ヒイラギともう一度会いたいとは思っていたが、いざその機会が訪れると困惑一色になってしまった。
「マナ、お詫びといってはなんだけど、これを受け取ってくれるかな」
そう言ってヒイラギが差し出したのは、小さなカゴだった。カゴにはクッキーやマドレーヌといった菓子がいくつも入っている。カゴ自体も可愛らしく、マナは驚いた。
「この前お菓子を持って帰ってたでしょ?お友達と一緒に食べてほしいな」
「え、でも……よろしいのですか?」
「うん。ぜひ受け取って。王室御用達のお菓子だから、味は折り紙つきだよ」
ほら、とヒイラギはカゴを差し出してくる。躊躇いにマナが硬直しても、ヒイラギはカゴを引っ込める様子はなかった。あまりに辞退するのも失礼にあたる、マナは恭しく受取り、
「ありがとうございます。いただきます」
ぺこりと頭を下げた。その様子をヒイラギは満足そうに眺めていた。
「よかった、ありがとう。今日はお菓子を渡したいなって思ってたから嬉しいよ。そういえば、マナ。お菓子を友達に渡すって言っていたけれど、友達ってどんな人なの?」
ヒイラギに尋ねられ、マナの脳裏にシンがよぎった。家が隣同士、自然と仲良くなり長いときを共有した幼なじみ。彼は異性だが、竹馬の友の気安さがある。そういえば、以前渡したクッキーは気に入ってもらえただろうか。感想を聞いていなかった。
「小さい頃からずっと一緒に過ごしたんです。腕のいいモンクで、みんなから頼りにされてて……私も頼りにしています」
「へえ、そうなんだ。女の子なの?」
「いえ、男の子です」
「ふうん……」
ヒイラギは茶を一口飲み、じっくりと味わっていた。彼は茶の香りを吐息とともに吐き出すと、マナに笑いかけた。
「このお茶、変わった味だね。この村の特産品だったりするの?」
「あ、はい。一般的なお茶とは加工の仕方が違うって聞いてます。美味しいですか?」
「うん。とても美味しいよ。ありがとう、マナ。マナといると、王城では知らないことを教えてもらえるね」
「そ、そんなことは……」
マナは頬をかいた。美しい王子様に真っ向から感謝されるとこそばゆくなる。
「マナ、お茶をありがとう。そろそろ母上が心配するから僕は帰るよ。今度来るときは手紙で知らせるし、次は僕の部屋に来てほしいな」
「え、ヒイラギ様のお部屋に、ですか!?」
「そうだよ。お邪魔しっぱなしはよくないからね。マナのお茶とシバのお茶を飲み比べてみたいしね」
「あ……ええっと」
ヒイラギから土産をもらったのに、手ぶらで帰すのは寝覚めが悪い。マナは茶葉を小さな袋に入れ、ヒイラギに手渡した。
「これ、今日淹れたお茶です。お持ち帰りください」
「え?いいよ、僕が突然来たんだから、お土産をもらうのは悪いよ」
「受け取ってください!」
半ば強引に手渡すと、ヒイラギは苦笑いしながらも受け取ってくれた。
「ありがとう、マナ。今度君のお友達にも会わせてね」
そう言って手を振り、馬車に乗る彼を見送った。マナの心臓は突然の出来事に忙しなく拍動を続けていた。
「シン!いる?」
昼下がりの気怠い時間帯、シンの家にノックが響きマナの声が聞こえた。ようやくヒイラギとの逢瀬が終わったか。シンが扉を開けると、
「シン、お菓子をいただいたの!一緒に食べよ!」
小さなカゴを大事そうに抱えたマナが立っていた。カゴの中には甘い芳香を漂わせる魅惑の菓子が入っている。シンは甘い香りに頭が酔いそうになりながらもマナを招き入れた。テーブルに彼女と座ると、マナは興奮した様子で口火を切った。
「あのね、さっきまでヒイラギ様がいらっしゃったの!お友達と食べて、ってお菓子をいただいて!」
「……知ってる」
ヒイラギ。その名を聞くとシンのこめかみに力が入る。先ほど見かけた優美な王子を思い出し、シンは小さく拳を握った。
「マナはいないかって聞いてきたからな。驚いた、シバの王子が村に直接来るとはな」
「あ、シンもヒイラギ様を見たの?じゃあシンに声かければよかった!ヒイラギ様、シンに会ってみたいって言ってたから!」
「……オレに?」
シンは眉を顰めた。確かにシンはヒイラギに会いたいと言ったが、まさか彼も同じことを言うとは。マナと彼がどのような話をしたのか気になって仕方がなかった。
「ヒイラギ様、王城に年の近い人がいないって言ってたから、お友達がほしいんだと思うの。私でもいいのかもしれないけど、シンなら同じ男の子だし、ヒイラギ様と気が合うんじゃないかな?」
マナの無邪気な言葉にシンは冷静ではいられなかった。シンが、ヒイラギと?シンは彼を一目見ただけだが、とても馬が合うようには思えなかった。が、自分の知らないところでマナとヒイラギが仲を深めるのは面白くない。シンは相反する感情に挟まり、苛立ちが募った。
「シン、この前あげたクッキー、どうだった?」
「ああ、美味かった」
「じゃあこれ!ヒイラギ様からいただいたの、一緒に食べよう」
「ああ……」
甘い菓子に罪はないが、シンは少しばかり苛々していた。だが蟲惑の香りには逆らえない。シンは遠慮なくカゴに手を伸ばし、マドレーヌを手に取った。口に入れた瞬間ふわりと崩れ、砂糖の柔らかな甘さと柑橘類の甘酸っぱさが舌の上に広がる。美味い。腹立たしくなるほどに美味い。
「よかった、シンって甘いもの好きだったよねって不安になっちゃった」
マナもクッキーを手に取り、安堵した様子で口に運んでいた。少しずつ大切に食べる姿はいじらしく愛らしい。……その可愛さがヒイラギのもたらす菓子によるものだと思い至ってしまい、シンは目を細めた。
「ねえシン、今度一緒に王城に行かない?あの感じだと、ヒイラギ様も許してくれそうだよ」
「王城に……?」
言いながらシンは自らの服装を顧みた。動きやすいハーフパンツにラフな靴、上半身は惜しげもなく露出している。とても王城に適した服装とはいえまい。小さな村のモンクのシンは、王城に行ってもおかしくない服など持ち合わせていない。……閃いた。
「マナ、シバに行く。付き合ってくれ」
「え?なんで?」
「この格好では行けないだろ?」
そう尋ねると、あー、とマナは些か間抜けな声を上げた。
「うん、確かに。服、一緒に買いに行こっか。前はシンにご飯を奢ってもらったから、今回は私が奢るよ!」
「ありがとう」
シンは前回シバに二人で出かけた日を思い出した。あのとき彼女が買ったワンピース、シンは着ている姿を見たことがない。王城に行くのなら、よそ行きのワンピース姿のマナも見られるだろう。そう考えた途端シンの心はわかりやすく晴れ渡り、口元も柔らかく綻んでいた。
