サイト1周年記念短編
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#1 人修羅の場合
妙にミコトがそわそわしているなとは思っていた。一体何だろう?シンは帰り道に聞いてみようと思っていた。
いつもどおりの放課後、シンは校門前でミコトと待ち合わせていた。今日は彼女の方が先に来ており、手を振る彼女の姿が見えた。シンの心臓は小さくとくん、と音を立てた。
「ミコト、悪い。待たせたな」
「ううん、いいよー。帰ろ!」
今日もミコトの弾ける笑顔を見ながら一緒に帰る。シンは口元を綻ばせ、彼女と並んで歩いた。歩き始めて少し経つと、ミコトがシンの手を握りしめた。甘えるような可愛らしい繋ぎ方、シンもぎゅっと恋人繋ぎで握り返す。
普段どおりの、何も変わらない帰り道。しかし今日もミコトは何だか上機嫌だった。何かあったのか?そう聞いてみようとシンが口を開いた瞬間、
「シンくん!」
ミコトの明るい声に遮られた。ぱっと花開く笑顔とキラキラした眼差しに、シンはそれこそ何だろうと口をつぐんだ。
「シンくんシンくん!来週土曜日が何の日か知ってる!?」
「来週土曜?」
彼女の質問は完全に予想外で、シンは大真面目に考え込んだ。特にデートの約束をしていないし、二人の誕生日でもない。考えを巡らせているうちに、一つ思い出したことがあった。
「オレたちが付き合い始めた日じゃないか」
「そっそー、それー!ピンポーン!」
ミコトは嬉しそうに破顔した。繋いだ手を振り回すようにご機嫌な仕草で歩いている。シンは彼女の様子に驚きながらも、感慨深く呟いた。
「そうか。オレたち付き合ってもうすぐ一年なんだな」
「そうだよー!何かお祝いしたいなーって思っててさ!」
「最近妙に機嫌よくしてたのは、一年が近かったからか?」
「へへ、そうなの!」
ミコトは髪を揺らし明るく答えた。
「私たちの記念日だからさ!何かちょっとでも特別なことしたいなって考え始めたら止まらなくなっちゃって!」
「そうか」
ああもうここが帰り道じゃなかったら、今すぐ抱きしめたいのに。シンはむずむずと動き出しそうな体を引き止めるので精一杯だった。……別れる前、誰もいないようだったら少しだけ抱きしめよう。そう決意した。
「そうだ!ね、シンくん!シンくんって甘いもの好きだよね!」
「え……あ、ああ、まあ」
シンが甘党であることを知っている人間は限られる。家族、勇、千晶、目の前のミコトだけだ。男子が甘いものを好きというとからかわれるから、最低限の人間にしか教えていなかった。彼女に改めて尋ねられるとドキリとしてしまう。
「一緒にケーキ作ってお祝いしようよ!外に食べに行ってもいいけど、一緒に作るのってきっと楽しいよ!」
甘党のシンだが、お菓子を自分で作るという発想がなかった。やはり彼女は自分にない発想を提示してくれる、それが面白い。シンは脳内でふんわりと想像を膨らませた。どちらかの自宅のキッチンで二人でお菓子作り。ちょっといい紅茶でも淹れたら、さらに特別な時間を演出できるだろうか。俄然意欲が湧いたシンはミコトの手を握り、
「いいな。やってみるか」
微笑みながら返した。
ちょうどシンが返事をしたところで、二人が別れる地点に辿り着いた。ここからは完全に別方向だ。放課後の気怠い空気の中、ミコトの手が離れていく。さっきまで握っていたぬくもりがすり抜けていき、シンは侘しさを覚えた。周囲を見回す。ちょうどよく誰もいない住宅街、まさに抱擁のタイミング。シンはミコトの手を引き、ぐいと抱き寄せた。彼女の頭を胸に押し付け、さらさらの髪を愛おしく撫でた。
「シンくん?」
腕の中の彼女は慌てた風でもなく、少し不思議そうだった。子供のように無垢な顔、今すぐにでもその可憐な唇を奪いたくなった。……いやいやいや、さすがにそれは駄目だ。シンは心の中で大きく首を横に振っておいた。
「楽しそうなお前を見てたら止まらなくなった」
正直な本音をしっかり告げると、ミコトは花の笑顔を咲かせてぎゅっと抱きついてきた。別れる前のほんの刹那の触れ合い、シンの心がふわりと甘く、柔らかくなった。
そうして迎えた記念日、シンはミコトとスーパーに来ていた。
「せっかくだから材料も一緒に買いに行こう!」
という彼女の提案でスマートフォンのレシピを見ながらやって来た次第である。彼女は一度作ったことがあるようで、何やら自信満々だった。そういうところが見ていて和むし可愛らしい。
「カゴ、持つから」
ミコトの手から買い物カゴを奪う。ありがとー、と言いながらぽいぽいと材料を入れていく彼女の横顔は、それはそれはうきうきと弾んだものだった。今のシンはどのように見えるだろうか。シンはこっそり自身の頬に触れた。……柔らかくだらしない感触だった。
ミコトの少し後ろをついて歩きながら、シンはスーパーを横目で眺めた。家族連れや夫婦、楽しそうな友達同士など様々な客がいる。彼女と一緒に買い物をしていると、実は二人暮らしをしていてこれから二人で暮らす愛の巣に帰るんだ、といった甘い妄想が膨らみ始める。自分が彼女と二人で暮らし始めたらどんな生活をしているかと想像し、シンは赤面した。
――オレは一体何を考えてる!?
「シンくん!」
ミコトに名を呼ばれ、はっと我に返った。ふと気付くと買い物カゴに材料が揃っていた。後は会計するだけなのに、売り場の中途半端なところで立ち止まるシンはさぞ不審だっただろう。ミコトはシンの顔を覗き込み、
「ねぇ大丈夫?ぼーっとしてるけど」
と尋ねてくる。私服姿の眩しいミコトが視界いっぱいに広がり、思わずシンは軽くのけ反った。とんでもなく怪しい反応だ、さらに顔が赤くなったシンはぷいと横を向いた。
「だ、大丈夫だ。少し考え事してただけだから」
「考え事?いっつもシンくんって難しいこと考えてそうな顔してるよねー」
「いや……その……」
赤面するシンはろくな言葉が出てこない。その間にもミコトにはじっくりと眺められていて、シンは慌てた。純粋に心配してくれる優しい彼女に何か返さなくては。
「お前と二人で暮らしたらどうなるかと考えてただけだ。難しいことなんて何にも考えてない」
早口小声でまくし立てるように言葉を返した。小賢しい誤魔化しのセリフなど何も考え付かず、素直すぎる回答だった。ミコトは無言でシンの手を引きレジに並び会計を済ませる。袋詰めまで黙っていた彼女に何かまずいことを言っただろうかと不安に駆られつつ、シンは買い物袋を手に持った。袋を持っていない手をミコトがぎゅ、と握ってくる。
「……シンくんってさ、意外とそういうこと考えてるの?」
「そういうことって何だ」
「二人で暮らしたら、とか……シンくんっていつも険しい顔してるから、そんなこと考えてるようには見えなかったよ」
「険しい顔……そうか、それはあまりよくないかもな」
きゅう、と手を握る彼女は珍しく俯き気味だった。シンは自らの表情について考えを巡らせることに夢中で、ミコトの顔が茹だっていることに気付かなかった。
二人はミコトの家に辿り着いた。普段なら彼女の部屋に行くところ、今日はキッチンでお菓子作りときた。初めての体験にシンは少し緊張していた。
ミコトが提案したのはチーズケーキだった。混ぜて焼くだけだから簡単だよ、とは彼女の弁。お菓子作りどころかあまり料理をしたことのないシンにとっては新鮮な体験だった。
彼女は一度作ったことがあるだけに、シンに的確に指示を出してきぱきと工程をこなしていく。
シンが任されたのはクリームチーズを柔らかくする作業。ゴムベラでひたすらクリームチーズを練り、適宜砂糖を加えてさらに練るという地味な作業だが、無心にでき頭が空っぽになる気がする。
「これ、面白いな」
「やっぱりシンくんは力があるから、練るのも上手だねー」
「そうか?」
「うんうん!前作ったときより美味しくできちゃうかもね!」
二人であれこれ言いながら作業をしていると雑談にも花が咲く。丸い型にクリームチーズ液を流し込みオーブンで焼いている間、二人はのんびり紅茶を飲んでいた。今日のためにシンが買ってきた、少しお高いティーバッグだ。一口飲んだミコトは美味しい、と顔を綻ばせていた。
「このお茶美味しいね!シンくん、買ってきてくれてありがとね」
「よかった。不味かったらどうしようかと思ってた」
シンも一口口に含んだ。優しい渋味が舌に広がり、芳しい香りが鼻に抜けていく。美味しい。単純に味がいいのもあるが、ミコトと楽しむお茶は格別だ。
「シンくんが今日、告白してくれたんだよね。何だか懐かしいな」
少し遠くを見ながら話す彼女に、シンは目を逸らしながら頬をかいた。勇気を出して一緒に帰ろうと誘い、これまた勇気を出して好きだ、の一言を捻り出した記憶が蘇る。彼女はその場ですぐに承諾してくれ、晴れて二人は恋人同士になった。あの日の緊張と喜びは一年経った今でも鮮明に覚えている。シンは胸が熱くなるのを感じつつ、紅茶を飲んだ。本当に美味しい。
「あれから一年経ったんだな。早いもんだ」
紅茶混じりの息をついて言ったシンに、ミコトは楽しそうな笑顔を見せた。
「そうだよー!一緒に帰ったりご飯食べたり、楽しかったね!そうだ、シンくん」
「ん?」
隣り合って座るミコトが、ティーカップを置いてシンをじっと見つめていた。彼女はにこにこと笑っているものの、視線が少し鋭い。シンは今まで感じたことのない眼差しに硬直した。
「どうした?」
尋ねたが、彼女は無言で見つめてくるばかりだった。何かまずいことを言っただろうか、いやそんなことはないはずだが。不安に駆られるシンに、ミコトは身を乗り出して近付いてくる。
「シンくん」
彼女の右手が伸び、シンの頬に触れた。普段繋ぎ慣れた手だが、頬に触れられるのは初めてだ。頬が妙に熱くなっているのがバレてしまうが、シンは振りほどく気にはなれなかった。ただ硬直し、ミコトの動向を見守る。
頬に触れたミコトがさらに身を乗り出し、シンの唇を奪った。彼女の唇は柔らかく心地よかったが、触れ合ったのは一瞬だけ。もしかしたら夢ではないかとシンが呆然としていると、眼前にはミコトの笑顔があった。
「へへ、キスしちゃった」
「お、お前」
高校生同士、付き合い始めて一年経ったがキスは未経験だった。手を繋ぐ、抱き合う、そんな清い接触で止まっており、シンとしても気が気でなかったのは確かだった。彼女からは何も言ってこないし、一般的にキスをする時期がいつ頃かもわからないしでぐずぐずと動けなかったシンの顔は、かぁっと面白いほど赤くなっていった。
「ほんとはもっと前にしたいなって思ってたんだよね。でもタイミングがわからなくてさ……今日で一年だからいいかなって。どうだった?」
「ど、どうって、言われても」
シンはミコトから目を逸らし、自らの唇に触れた。唇はしっとりと濡れ、少し熱いような気もする。先ほどの口付けはほんの一瞬だった、もっとしてみないと感想など言えない。シンはミコトの腰に腕を回し抱きしめると、恐る恐る口付けた。
「っん……」
ミコトの口から声が漏れる。嫌がっている声なのか?と一瞬思ったが、抱きしめたミコトは大人しく口付けを受け入れていた。もっと長く、もっと深く口付けたい。シンは辿々しく口を開き、舌を彼女の口内にねじ込んでいた。
「!?」
彼女の驚いた気配が漂うが、シンは今更止まれなかった。ミコトをぎゅうと強く抱きしめ、舌をさらに奥へ挿入する。彼女の口内は唾液で艶めかしく濡れ、舌は困惑している。シンとしては優しく舌を絡めとるつもりだったが、未経験ゆえ彼女の舌を不器用に舐めるに留まっていた。それでもくちゅくちゅと非現実的な音が響き、ミコトと深く繋がっていることを感じさせる。紅茶を嗜んでいた二人の口内は柔らかな香りが溢れ、初めての深い口付けを彩る香りに溺れてしまいそうだった。
「んっ、ん……!」
ミコトの両手がシンの胸を軽く叩いた。苦しそうな声も聞こえ、シンはようやく我に返り口付けを終えた。彼女に触れていた舌先からとろりと雫が溢れた。
「な、なにするの、シンくんってば……!」
ミコトの目はめまぐるしく泳ぎ、茹でダコよろしく真っ赤な顔をしていた。シンも口付けの余韻に頭がぼんやりしており、何も返せなかった。二人して顔を真っ赤にし向かい合っているのが居た堪れず、シンは無言でミコトを抱きしめた。二人で困惑の熱を分け合っていると、鼻先に甘い香りが漂ってきた。一年を祝うお菓子が焼きあがりつつある、魅惑の香りだった。
「チーズケーキのいい匂いがするな」
「そ、そうだね……じゃなくって!」
もう誤魔化すにはこの話題しかなく、唐突に口にした。ミコトの咎めるような上目遣いと声音が刺さり、う、とシンは呻いた。
「シンくん、ごまかそうとしても駄目だからね!な、なんでこんな急に、その、ディープキス、とかっ」
後半になるにつれ声が小さくなるミコトが可愛らしく、シンは苦笑いを零し彼女の頭を撫でた。頭皮の熱が髪にまで伝わり、ほんのりと熱い。
「お前の方からキスしてきたんだろ……オレだってしたいと思ってたんだよ」
「いきなり、し、舌、入れてくるのは反則なんだからっ」
「じゃあ、オレとそういうキスはしたくなかったってことなのか」
「違うってば、そうじゃなくて……うう〜〜……」
ミコトはシンの胸に顔を埋めた。表情を確認できなくとも、顔全体の熱さは十分伝わってくる。シンはミコトの背中をゆっくり撫でた。
「悪かった、急にして。……言い出せなかっただけで、オレもそういうことに興味あるんだよ。ずっとしたかった。お前と」
「シンくん……」
二人で見つめ合って数秒、オーブンの電子音が鳴った。キッチンに漂う爽やかな甘い香りに二人は笑い合った。
「チーズケーキ、焼けたみたい」
「そうだな。食べるか」
抱擁をほどき、二人仲良く甘味を楽しむ準備を始めた。切り分けたベイクドチーズケーキは表面が狐色、断面は鮮烈な黄色のいい塩梅で、皿に盛ると存外綺麗な見た目だった。ミコトはフォークを手に声を弾ませた。
「わー、美味しそう!いただきます!」
「いただきます」
二人して神妙に小さく頭を下げ、チーズケーキを一口。滑らかな食感とほどよい甘味、実に美味。紅茶で口を潤すとまた一口食べたくなる、そんな手が止まらなくなる一品だった。シンはフォークを片手に感心していた。お菓子作りは初めてだったが大成功、想像以上の味にシンの口元は柔らかく溶けていた。
「美味しいね、シンくん!」
「ああ、お前のおかげだ」
「え、なんで?二人で作ったからだよ!」
彼女は楽しそうに笑い、一口大のチーズケーキをフォークに刺すとシンに差し出した。
「はい、お口開けて」
「……えっ」
シンは硬直した。ここはミコトの自宅、彼女の家族は出かけている、正しく二人きりの空間だが戸惑った。思わずきょろきょろあたりを見回してしまったシンに、ミコトは吹き出すように笑った。
「あはは、誰もいないよ!外じゃできないでしょ?だからさ〜、ほら〜」
「あ、え……口、開ければいいんだな?」
「そうそう」
シンは目を泳がせつつ控えめに口を開いた。そこにフォークが差し込まれる。二人で作ったチーズケーキが口の中で溶けていく感触を味わい、シンは無言で咀嚼した。先ほどの熱がようやく逃げたと思っていたのに、また頬が熱くなる。
「ミコト、お前も口開けろ」
甘い塊を飲み込み、シンも同じようにチーズケーキをミコトに差し出した。彼女は大きく口を開ける。一片の羞恥もなさそうな能天気な笑顔を少し憎たらしく感じながらも、彼女に食べさせてやる。
「ん〜!美味しい!シンくんが食べさせてくれるとまた格別だね〜!」
「そ、そうか」
ディープキスは恥ずかしがっても食べさせてもらうのは恥ずかしくないのか。また一つ、彼女のことを知ることができた。……今後活かせるかどうかは微妙だが。一年経っても彼女はまだまだ味わい深い。
「ミコト」
彼女の頬に触れ、シンはミコトの額にキスをした。甘いチーズケーキの吐息が至近距離で交差し、ミコトはふふ、と笑った。
「シンくん、一年ありがとね。またこれからもよろしくね」
「ああ。よろしく頼む」
来年の今日も、きっと二人で少し特別な日を過ごしているのだろう、と思うと照れ臭い。シンは頬をかきながらチーズケーキと紅茶、彼女の可愛らしい仕草を楽しんでいた。
妙にミコトがそわそわしているなとは思っていた。一体何だろう?シンは帰り道に聞いてみようと思っていた。
いつもどおりの放課後、シンは校門前でミコトと待ち合わせていた。今日は彼女の方が先に来ており、手を振る彼女の姿が見えた。シンの心臓は小さくとくん、と音を立てた。
「ミコト、悪い。待たせたな」
「ううん、いいよー。帰ろ!」
今日もミコトの弾ける笑顔を見ながら一緒に帰る。シンは口元を綻ばせ、彼女と並んで歩いた。歩き始めて少し経つと、ミコトがシンの手を握りしめた。甘えるような可愛らしい繋ぎ方、シンもぎゅっと恋人繋ぎで握り返す。
普段どおりの、何も変わらない帰り道。しかし今日もミコトは何だか上機嫌だった。何かあったのか?そう聞いてみようとシンが口を開いた瞬間、
「シンくん!」
ミコトの明るい声に遮られた。ぱっと花開く笑顔とキラキラした眼差しに、シンはそれこそ何だろうと口をつぐんだ。
「シンくんシンくん!来週土曜日が何の日か知ってる!?」
「来週土曜?」
彼女の質問は完全に予想外で、シンは大真面目に考え込んだ。特にデートの約束をしていないし、二人の誕生日でもない。考えを巡らせているうちに、一つ思い出したことがあった。
「オレたちが付き合い始めた日じゃないか」
「そっそー、それー!ピンポーン!」
ミコトは嬉しそうに破顔した。繋いだ手を振り回すようにご機嫌な仕草で歩いている。シンは彼女の様子に驚きながらも、感慨深く呟いた。
「そうか。オレたち付き合ってもうすぐ一年なんだな」
「そうだよー!何かお祝いしたいなーって思っててさ!」
「最近妙に機嫌よくしてたのは、一年が近かったからか?」
「へへ、そうなの!」
ミコトは髪を揺らし明るく答えた。
「私たちの記念日だからさ!何かちょっとでも特別なことしたいなって考え始めたら止まらなくなっちゃって!」
「そうか」
ああもうここが帰り道じゃなかったら、今すぐ抱きしめたいのに。シンはむずむずと動き出しそうな体を引き止めるので精一杯だった。……別れる前、誰もいないようだったら少しだけ抱きしめよう。そう決意した。
「そうだ!ね、シンくん!シンくんって甘いもの好きだよね!」
「え……あ、ああ、まあ」
シンが甘党であることを知っている人間は限られる。家族、勇、千晶、目の前のミコトだけだ。男子が甘いものを好きというとからかわれるから、最低限の人間にしか教えていなかった。彼女に改めて尋ねられるとドキリとしてしまう。
「一緒にケーキ作ってお祝いしようよ!外に食べに行ってもいいけど、一緒に作るのってきっと楽しいよ!」
甘党のシンだが、お菓子を自分で作るという発想がなかった。やはり彼女は自分にない発想を提示してくれる、それが面白い。シンは脳内でふんわりと想像を膨らませた。どちらかの自宅のキッチンで二人でお菓子作り。ちょっといい紅茶でも淹れたら、さらに特別な時間を演出できるだろうか。俄然意欲が湧いたシンはミコトの手を握り、
「いいな。やってみるか」
微笑みながら返した。
ちょうどシンが返事をしたところで、二人が別れる地点に辿り着いた。ここからは完全に別方向だ。放課後の気怠い空気の中、ミコトの手が離れていく。さっきまで握っていたぬくもりがすり抜けていき、シンは侘しさを覚えた。周囲を見回す。ちょうどよく誰もいない住宅街、まさに抱擁のタイミング。シンはミコトの手を引き、ぐいと抱き寄せた。彼女の頭を胸に押し付け、さらさらの髪を愛おしく撫でた。
「シンくん?」
腕の中の彼女は慌てた風でもなく、少し不思議そうだった。子供のように無垢な顔、今すぐにでもその可憐な唇を奪いたくなった。……いやいやいや、さすがにそれは駄目だ。シンは心の中で大きく首を横に振っておいた。
「楽しそうなお前を見てたら止まらなくなった」
正直な本音をしっかり告げると、ミコトは花の笑顔を咲かせてぎゅっと抱きついてきた。別れる前のほんの刹那の触れ合い、シンの心がふわりと甘く、柔らかくなった。
そうして迎えた記念日、シンはミコトとスーパーに来ていた。
「せっかくだから材料も一緒に買いに行こう!」
という彼女の提案でスマートフォンのレシピを見ながらやって来た次第である。彼女は一度作ったことがあるようで、何やら自信満々だった。そういうところが見ていて和むし可愛らしい。
「カゴ、持つから」
ミコトの手から買い物カゴを奪う。ありがとー、と言いながらぽいぽいと材料を入れていく彼女の横顔は、それはそれはうきうきと弾んだものだった。今のシンはどのように見えるだろうか。シンはこっそり自身の頬に触れた。……柔らかくだらしない感触だった。
ミコトの少し後ろをついて歩きながら、シンはスーパーを横目で眺めた。家族連れや夫婦、楽しそうな友達同士など様々な客がいる。彼女と一緒に買い物をしていると、実は二人暮らしをしていてこれから二人で暮らす愛の巣に帰るんだ、といった甘い妄想が膨らみ始める。自分が彼女と二人で暮らし始めたらどんな生活をしているかと想像し、シンは赤面した。
――オレは一体何を考えてる!?
「シンくん!」
ミコトに名を呼ばれ、はっと我に返った。ふと気付くと買い物カゴに材料が揃っていた。後は会計するだけなのに、売り場の中途半端なところで立ち止まるシンはさぞ不審だっただろう。ミコトはシンの顔を覗き込み、
「ねぇ大丈夫?ぼーっとしてるけど」
と尋ねてくる。私服姿の眩しいミコトが視界いっぱいに広がり、思わずシンは軽くのけ反った。とんでもなく怪しい反応だ、さらに顔が赤くなったシンはぷいと横を向いた。
「だ、大丈夫だ。少し考え事してただけだから」
「考え事?いっつもシンくんって難しいこと考えてそうな顔してるよねー」
「いや……その……」
赤面するシンはろくな言葉が出てこない。その間にもミコトにはじっくりと眺められていて、シンは慌てた。純粋に心配してくれる優しい彼女に何か返さなくては。
「お前と二人で暮らしたらどうなるかと考えてただけだ。難しいことなんて何にも考えてない」
早口小声でまくし立てるように言葉を返した。小賢しい誤魔化しのセリフなど何も考え付かず、素直すぎる回答だった。ミコトは無言でシンの手を引きレジに並び会計を済ませる。袋詰めまで黙っていた彼女に何かまずいことを言っただろうかと不安に駆られつつ、シンは買い物袋を手に持った。袋を持っていない手をミコトがぎゅ、と握ってくる。
「……シンくんってさ、意外とそういうこと考えてるの?」
「そういうことって何だ」
「二人で暮らしたら、とか……シンくんっていつも険しい顔してるから、そんなこと考えてるようには見えなかったよ」
「険しい顔……そうか、それはあまりよくないかもな」
きゅう、と手を握る彼女は珍しく俯き気味だった。シンは自らの表情について考えを巡らせることに夢中で、ミコトの顔が茹だっていることに気付かなかった。
二人はミコトの家に辿り着いた。普段なら彼女の部屋に行くところ、今日はキッチンでお菓子作りときた。初めての体験にシンは少し緊張していた。
ミコトが提案したのはチーズケーキだった。混ぜて焼くだけだから簡単だよ、とは彼女の弁。お菓子作りどころかあまり料理をしたことのないシンにとっては新鮮な体験だった。
彼女は一度作ったことがあるだけに、シンに的確に指示を出してきぱきと工程をこなしていく。
シンが任されたのはクリームチーズを柔らかくする作業。ゴムベラでひたすらクリームチーズを練り、適宜砂糖を加えてさらに練るという地味な作業だが、無心にでき頭が空っぽになる気がする。
「これ、面白いな」
「やっぱりシンくんは力があるから、練るのも上手だねー」
「そうか?」
「うんうん!前作ったときより美味しくできちゃうかもね!」
二人であれこれ言いながら作業をしていると雑談にも花が咲く。丸い型にクリームチーズ液を流し込みオーブンで焼いている間、二人はのんびり紅茶を飲んでいた。今日のためにシンが買ってきた、少しお高いティーバッグだ。一口飲んだミコトは美味しい、と顔を綻ばせていた。
「このお茶美味しいね!シンくん、買ってきてくれてありがとね」
「よかった。不味かったらどうしようかと思ってた」
シンも一口口に含んだ。優しい渋味が舌に広がり、芳しい香りが鼻に抜けていく。美味しい。単純に味がいいのもあるが、ミコトと楽しむお茶は格別だ。
「シンくんが今日、告白してくれたんだよね。何だか懐かしいな」
少し遠くを見ながら話す彼女に、シンは目を逸らしながら頬をかいた。勇気を出して一緒に帰ろうと誘い、これまた勇気を出して好きだ、の一言を捻り出した記憶が蘇る。彼女はその場ですぐに承諾してくれ、晴れて二人は恋人同士になった。あの日の緊張と喜びは一年経った今でも鮮明に覚えている。シンは胸が熱くなるのを感じつつ、紅茶を飲んだ。本当に美味しい。
「あれから一年経ったんだな。早いもんだ」
紅茶混じりの息をついて言ったシンに、ミコトは楽しそうな笑顔を見せた。
「そうだよー!一緒に帰ったりご飯食べたり、楽しかったね!そうだ、シンくん」
「ん?」
隣り合って座るミコトが、ティーカップを置いてシンをじっと見つめていた。彼女はにこにこと笑っているものの、視線が少し鋭い。シンは今まで感じたことのない眼差しに硬直した。
「どうした?」
尋ねたが、彼女は無言で見つめてくるばかりだった。何かまずいことを言っただろうか、いやそんなことはないはずだが。不安に駆られるシンに、ミコトは身を乗り出して近付いてくる。
「シンくん」
彼女の右手が伸び、シンの頬に触れた。普段繋ぎ慣れた手だが、頬に触れられるのは初めてだ。頬が妙に熱くなっているのがバレてしまうが、シンは振りほどく気にはなれなかった。ただ硬直し、ミコトの動向を見守る。
頬に触れたミコトがさらに身を乗り出し、シンの唇を奪った。彼女の唇は柔らかく心地よかったが、触れ合ったのは一瞬だけ。もしかしたら夢ではないかとシンが呆然としていると、眼前にはミコトの笑顔があった。
「へへ、キスしちゃった」
「お、お前」
高校生同士、付き合い始めて一年経ったがキスは未経験だった。手を繋ぐ、抱き合う、そんな清い接触で止まっており、シンとしても気が気でなかったのは確かだった。彼女からは何も言ってこないし、一般的にキスをする時期がいつ頃かもわからないしでぐずぐずと動けなかったシンの顔は、かぁっと面白いほど赤くなっていった。
「ほんとはもっと前にしたいなって思ってたんだよね。でもタイミングがわからなくてさ……今日で一年だからいいかなって。どうだった?」
「ど、どうって、言われても」
シンはミコトから目を逸らし、自らの唇に触れた。唇はしっとりと濡れ、少し熱いような気もする。先ほどの口付けはほんの一瞬だった、もっとしてみないと感想など言えない。シンはミコトの腰に腕を回し抱きしめると、恐る恐る口付けた。
「っん……」
ミコトの口から声が漏れる。嫌がっている声なのか?と一瞬思ったが、抱きしめたミコトは大人しく口付けを受け入れていた。もっと長く、もっと深く口付けたい。シンは辿々しく口を開き、舌を彼女の口内にねじ込んでいた。
「!?」
彼女の驚いた気配が漂うが、シンは今更止まれなかった。ミコトをぎゅうと強く抱きしめ、舌をさらに奥へ挿入する。彼女の口内は唾液で艶めかしく濡れ、舌は困惑している。シンとしては優しく舌を絡めとるつもりだったが、未経験ゆえ彼女の舌を不器用に舐めるに留まっていた。それでもくちゅくちゅと非現実的な音が響き、ミコトと深く繋がっていることを感じさせる。紅茶を嗜んでいた二人の口内は柔らかな香りが溢れ、初めての深い口付けを彩る香りに溺れてしまいそうだった。
「んっ、ん……!」
ミコトの両手がシンの胸を軽く叩いた。苦しそうな声も聞こえ、シンはようやく我に返り口付けを終えた。彼女に触れていた舌先からとろりと雫が溢れた。
「な、なにするの、シンくんってば……!」
ミコトの目はめまぐるしく泳ぎ、茹でダコよろしく真っ赤な顔をしていた。シンも口付けの余韻に頭がぼんやりしており、何も返せなかった。二人して顔を真っ赤にし向かい合っているのが居た堪れず、シンは無言でミコトを抱きしめた。二人で困惑の熱を分け合っていると、鼻先に甘い香りが漂ってきた。一年を祝うお菓子が焼きあがりつつある、魅惑の香りだった。
「チーズケーキのいい匂いがするな」
「そ、そうだね……じゃなくって!」
もう誤魔化すにはこの話題しかなく、唐突に口にした。ミコトの咎めるような上目遣いと声音が刺さり、う、とシンは呻いた。
「シンくん、ごまかそうとしても駄目だからね!な、なんでこんな急に、その、ディープキス、とかっ」
後半になるにつれ声が小さくなるミコトが可愛らしく、シンは苦笑いを零し彼女の頭を撫でた。頭皮の熱が髪にまで伝わり、ほんのりと熱い。
「お前の方からキスしてきたんだろ……オレだってしたいと思ってたんだよ」
「いきなり、し、舌、入れてくるのは反則なんだからっ」
「じゃあ、オレとそういうキスはしたくなかったってことなのか」
「違うってば、そうじゃなくて……うう〜〜……」
ミコトはシンの胸に顔を埋めた。表情を確認できなくとも、顔全体の熱さは十分伝わってくる。シンはミコトの背中をゆっくり撫でた。
「悪かった、急にして。……言い出せなかっただけで、オレもそういうことに興味あるんだよ。ずっとしたかった。お前と」
「シンくん……」
二人で見つめ合って数秒、オーブンの電子音が鳴った。キッチンに漂う爽やかな甘い香りに二人は笑い合った。
「チーズケーキ、焼けたみたい」
「そうだな。食べるか」
抱擁をほどき、二人仲良く甘味を楽しむ準備を始めた。切り分けたベイクドチーズケーキは表面が狐色、断面は鮮烈な黄色のいい塩梅で、皿に盛ると存外綺麗な見た目だった。ミコトはフォークを手に声を弾ませた。
「わー、美味しそう!いただきます!」
「いただきます」
二人して神妙に小さく頭を下げ、チーズケーキを一口。滑らかな食感とほどよい甘味、実に美味。紅茶で口を潤すとまた一口食べたくなる、そんな手が止まらなくなる一品だった。シンはフォークを片手に感心していた。お菓子作りは初めてだったが大成功、想像以上の味にシンの口元は柔らかく溶けていた。
「美味しいね、シンくん!」
「ああ、お前のおかげだ」
「え、なんで?二人で作ったからだよ!」
彼女は楽しそうに笑い、一口大のチーズケーキをフォークに刺すとシンに差し出した。
「はい、お口開けて」
「……えっ」
シンは硬直した。ここはミコトの自宅、彼女の家族は出かけている、正しく二人きりの空間だが戸惑った。思わずきょろきょろあたりを見回してしまったシンに、ミコトは吹き出すように笑った。
「あはは、誰もいないよ!外じゃできないでしょ?だからさ〜、ほら〜」
「あ、え……口、開ければいいんだな?」
「そうそう」
シンは目を泳がせつつ控えめに口を開いた。そこにフォークが差し込まれる。二人で作ったチーズケーキが口の中で溶けていく感触を味わい、シンは無言で咀嚼した。先ほどの熱がようやく逃げたと思っていたのに、また頬が熱くなる。
「ミコト、お前も口開けろ」
甘い塊を飲み込み、シンも同じようにチーズケーキをミコトに差し出した。彼女は大きく口を開ける。一片の羞恥もなさそうな能天気な笑顔を少し憎たらしく感じながらも、彼女に食べさせてやる。
「ん〜!美味しい!シンくんが食べさせてくれるとまた格別だね〜!」
「そ、そうか」
ディープキスは恥ずかしがっても食べさせてもらうのは恥ずかしくないのか。また一つ、彼女のことを知ることができた。……今後活かせるかどうかは微妙だが。一年経っても彼女はまだまだ味わい深い。
「ミコト」
彼女の頬に触れ、シンはミコトの額にキスをした。甘いチーズケーキの吐息が至近距離で交差し、ミコトはふふ、と笑った。
「シンくん、一年ありがとね。またこれからもよろしくね」
「ああ。よろしく頼む」
来年の今日も、きっと二人で少し特別な日を過ごしているのだろう、と思うと照れ臭い。シンは頬をかきながらチーズケーキと紅茶、彼女の可愛らしい仕草を楽しんでいた。
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