全年齢向け
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
bittersweet jelly
「いたた……」
迷宮を探索中魔物に襲われ何とか撃退したものの、ミコトが腕に酷い怪我を負ってしまった。見るからに痛々しい引っ掻き傷で、爪の痕が残り血がぼたぼたと零れ落ちている。シンはミコトの傷を一瞥し、簡易に包帯を巻いた。真っ白い包帯があっという間に生々しい鮮血に染まっていく。
「メディカがもうないな……危険だ、一度引き返そう」
「そうね。ごめん、シン。私のせいで」
「いや、謝らなくていい。無理は禁物だ」
二人は早々に探索を切り上げ、ハイ・ラガードに戻った。二人が向かう先は公国薬泉院。あらゆる傷、病気の治療を行っている場所だ。その扉をくぐると、今日も負傷した冒険者で溢れかえっていた。そんな中、治療士の男性が二人のもとへやって来た。
「こんにちは、どうしました?……と、酷い怪我をなさってますね。どうぞこちらへ」
ミコトを一目見て顔を歪めた治療士は、ミコトをベッドに案内した。彼女を座らせ、見慣れない薬を取り出し治療に取りかかる。その様子をシンは無言で見守る。治療士の手際はよく、ミコトの腕に走った傷が塞がり血痕が残るのみになった。治療士は彼女の腕にこびりついた赤い血を拭き取り、
「傷は塞がりました。どうでしょう。腕は動きますか。痛みはありませんか」
言いながらミコトの腕を撫でる。ミコトは肩を回したり腕を曲げたりしながら、
「大丈夫です。もういつもどおりです」
と答える。男性は穏やかに笑む。
「そうですか。それはよかったです」
ごく自然な患者と治療士のやり取り。何ら不自然なところはない。ないのだが、シンの胸に小さな棘が刺さった気がした。
「気をつけてくださいね。迷宮の比較的浅い層でも、危険は十分ありますから」
「そうですね。ありがとうございました」
これまた定型的なやり取りを交わし、ミコトは治療士に頭を下げた。シンに笑いかけたミコトの顔が、シンを見た途端わかりやすく曇った。
「シン、どうしたの?なんか怖い顔してるけど」
「え?いや……」
ミコトに言われるまで、そんな指摘されるような顔をしているなどと思いもしなかった。シンは唇を尖らせ、
「……何でもない。怪我、治ってよかった」
としか言えなかった。
ミコトが公国薬泉院に行ってからというもの、シンは常にメディカを欠かさぬよう多めに買うようになった。彼女が傷つくところなど二度と見たくないし、できることなら公国薬泉院にも行きたくないのが本音だった。
「またこんなに買うの?シンは心配性だね」
などとミコトに茶化されるが迷宮探索は命懸け、心配に心配を重ねるくらいがちょうどいい。ガンナーのシンとブシドーのミコトでは薬の有無が命に関わる。あれだけ酷い怪我をしたというのにどこか他人事のミコトに怒りすら覚えるくらいだ。
しかしそれだけ用心の上で薬を買い込んでも予想外の事態が起こるもので、時折公国薬泉院に世話になっていた。そのたびにあの治療士の男性が対応し、手際よく傷を治療してくれる。
「傷は塞がりましたが、問題なく動きますか?」
などと言いながら、ミコトの負傷した箇所に治療士が触れる。その光景を見るたびにシンの胸がざわめいた。黒い霧のようなざわめき、シンは奥歯を噛んで余計なことを言わぬようにするので手一杯だった。
「はあ……」
迷宮探索を終えたある日、シンは鋼の棘魚亭で夕食を摂っていた。シンとミコトはギルドを組む冒険者であるが、探索を終えた夜は別行動だ。シンはカウンターに頬杖をつきフォークをぷらぷらと宙に揺らしながら、ぼんやりとため息をついた。そのうだつの上がらない様子に、マスターが目を細めた。
「おう、若造がそんな不景気な顔してちゃ目も当てられねぇな!今日は探索がうまくいかなかったか?」
シンは完全な善意で声をかけてくれたであろうマスターをギロリと睨んだ。蛇が縄張りに入ってきた敵を見据えるような、暗い鋭さを持った眼差しだった。
「違う。……虫の居所が悪いだけだ」
「虫の居所ぉ?そんなもん、パーっと酒飲んで食って寝れば、元どおりになるってもんよ!」
マスターは逞しい外見によく似合う豪快な笑い声を上げた。シンの気分を盛り上げるには至らない、若干耳障りな声だ。シンは小さく舌打ちした。普段はシンに話しかけてこないというのに、運が悪い。
「おうおう若造よ、どうしたんだよ?ひよっこの悩みを聞いてやるのも俺の仕事ってもんだ!何があった、言ってみな?」
ん?と言いながらマスターはシンの顔を覗き込んでくる。その大きな顔は目を逸らしても視界に入ってくる。話さねばいつまでも尋ねてくるだろうことを察し、シンはため息をついた。
「公国薬泉院に男の治療士がいるだろ」
「男の治療士ぃ?あぁ、メガネかけた茶髪の男前か?」
端的に特徴を捉えた発言、忌々しいがそのとおりだった。シンは頷き、話を続ける。
「あいつ、腕がいいのか。いつ行ってもあいつが治療に当たるけど」
「ああ、公国薬泉院では腕利きらしいぞ?ついでに男前だから、あいつ目当てに通う奴もいるって噂だな!」
……あいつ目当て。
聞こえた不穏な言葉に、シンは心が冷えるのを感じた。ミコトを連れていくのは当然ながら怪我をしたからだが、彼女は本当にそれだけだろうか。もやもやと広がっていく気味の悪さに、シンはフォークを握りしめた。思わず皿にフォークの先端を強く押し付けてしまい、ぎぎ、と不協和音を鳴らした。
「おいおい、どうした?料理が不味いってか?」
「そうじゃない。料理は美味い」
「ははーん?」
マスターは片方の眉をぴくりと上げ、にやにやと笑った。
「男前の治療士に内心穏やかじゃない、と……そういやお前、ミコトとかいう娘とギルドを組んでるよな?ははぁ……なるほどねぇ」
「……なんだ。気持ち悪い顔でこっちを見るな」
「若造の青春ってか!かぁー、甘酸っぱいこったな!」
一人で勝手に納得したマスターは再び派手に笑った。何か思いきり誤解されている……いや、理解されているのか。シンは面白くないと唇を噛みながらも、たった二言三言交わしただけの彼に悟られてしまうほどかと情けなくなった。くそ、腹が減る。シンは肉にフォークを刺し、勢いよく噛みついた。溢れる肉汁、歯に食い込むほどよい硬さ。美味い。腹立たしいほどに。
「……」
シンの苛々とした食事風景を、マスターは相変わらずにやにやと笑いながら観察している。居心地が悪かった。しかしマスターは特に悪いことをしているわけでなし、何より食事は美味い。シンのフォークを持つ手に力がこもった。
「おう若造、人生の先輩から一つ、ありがたーい話をしてやるぜ。よく聞きな」
うるさい、と言ったところで彼は話すだろう。シンは胡乱げなものを見る目でじっとりとマスターを見上げた。
「人間素直が一番だぜ?女が欲しいんなら自分から動くんだな!」
彼の言葉は単純で、だからこそシンの心に突き刺さった。ちょうど食事を終えたシンは立ち上がった。少し考える時間が必要だ。
マスターのお節介を受けた翌日。空は晴れ渡り、清々しい探索日和だった。シンとミコトは普段どおり迷宮に赴く。ブシドーのミコトが前線に立ち、ガンナーのシンは半歩下がったところから支援する。クラス柄仕方ないのだが、どうしてもミコトに攻撃が集中する。何か対策を考えた方がいいのだろうか、とシンが思い悩む最中にもミコトの生傷は増えていた。比較的軽い擦り傷や切り傷だが、それでも蓄積すると影響が出る。シンはミコトを呼び止め、丁寧に傷の手当を行っていた。
「シンは本当に心配性ね?これくらい大したことないのに」
「お前は傷に鈍感すぎる。もう少し自分の体に気を配ってくれ」
「はーい」
大人しく手当を受けつつもどこか間延びした緊張感のない声のミコトに、シンは呆れの息をついた。自分はこんなに心配しているのに。そう思った途端、マスターの言葉が鮮明に蘇った。
――女が欲しいんなら自分から動くんだな!
欲しい。欲しいとは何だ?ミコトは同じギルドの冒険者。それ以上でも、それ以下でもない……ぼんやりとしつつも無意識で手を動かしていると手当が終わる。
「シン、どうしたのぼーっとして。私よりあなたの方が心配よ?」
ミコトに顔を覗き込まれた。丸く無垢な瞳がシンを心配そうに見つめていた。ああ、いけない。シンは首を横に振り、雑念を振り払った。そうしてシンが顔を上げた瞬間、
「!ミコト!!」
彼女の後ろに巨大な鹿がいた。命ある獲物を求めてやまない赤い瞳、鋭い角、自分たちよりはるかに大きい体躯。瞬時に危険と判断したシンは、迷わずミコトを後ろに引き寄せ前方に躍り出た。無防備なシンの体に鹿の強烈な体当たりが刺さる。
「ぐっ……!!」
自らを守るように交差させた両腕で、何とか鹿の攻撃を受け止めた。あまりの衝撃にシンの踵がじり、と後ずさる。このままだとミコトを守れないかもしれない。
「はあぁっ!!」
凛とした叫びが響き、雷光の如くミコトが駆けた。鹿の側面に駆けた彼女は素早く刀を抜き、容赦のない一閃。鹿の首に鮮烈な光の軌跡が走り、次の刹那にはごとりと首が落ちていた。シンを苛む凶悪な質量がなくなり、シンは膝をついた。腕に鈍い痛みが走っている。
「シン!大丈夫!?」
慌てて駆け寄ったミコトは、シンの腕が真っ赤に腫れ上がっているのを見て青ざめた。
「これ、メディカじゃ治らないわ。急いで薬泉院に!」
「そんな、傷じゃない……」
歯を食いしばって答えたとき、ミコトの人差し指がシンの唇に触れた。
「傷に鈍感すぎるわ。自分の体に気を配ってよ」
少し前に伝えた言葉がそのまま自分に跳ね返ってきた。シンは力無く笑うことしかできなかった。
公国薬泉院に行くと、やはりというかあの男性治療士が現れ、シンの治療を行った。その手並は門外漢のシンでさえ感服するほどだった。両腕で鹿の突進を受け止めた痛みがあっという間に引いていき、痛々しいほど腫れていた腕はあっさりと元の姿に戻った。治療士はシンの腕に触れた。
「どうでしょうか。問題なく動きますか?痛みはありますか?」
「いや、もう痛くない。問題なく動く」
拳を握ってみても何ら痛みはなく、肩を回してみても滑らかに動く。相変わらずとんでもない腕の持ち主だ。シンはほっと一息つき、素直に謝意を述べた。
「ありがとう」
「いえ、礼には及びません。今後も気をつけてくださいね」
シンがミコトのそばに寄ると、彼女は不安げな顔を明るい笑顔に変えた。
「よかった、もう大丈夫みたい」
「ああ、ありがとう。連れてきてくれて」
「ううん、治してくれたのは治療士さんだもの。やっぱりあの人、腕ききだね」
ハイ・ラガードの街を歩いていく最中、シンはぴたりと立ち止まった。他の男を賛辞する言葉、たとえ事実であっても素直に聞き流せない。
「シン?どうしたの?」
「……ミコト、聞きたいことがある。いいか」
「なに?」
明るい笑みから一転、ミコトは訝しげに眉を顰めた。シンの鬼気迫る様子にミコトの声は微かに震えていた。
「薬泉院の治療士のこと、どう思ってる」
「治療士さん?さっきシンのことを診てくれた男の人のこと?」
「そうだ」
ミコトはきょとんと脱力した様子だった。
「どう思ってるって言われても……すごい腕だなぁとしか……」
「あいつに会うのを楽しみにしてたりしないか」
「会うのを楽しみに?なんで?薬泉院なんて行かない方がいいじゃない」
憮然とした顔のミコトはシンの意図を汲んでいないようだったが、だからこそ飾らない本心を聞けた気がする。シンのざわついていた心がようやく落ち着いた。そして同時に、自分の中で燻る感情を完全に理解した。
「ミコト」
シンはミコトの手を取った。凶暴な鹿から守ってくれた彼女の手、鍛錬のあとが見える清く美しい手だ。シンが彼女の手を取るのは初めてだった。ミコトはうっすら顔を赤らめていた。
「お前が他の男に夢中になってたらどうしようかと思った。オレだけを見ていてほしい」
「……?うん。シンはギルドのパートナーだもの、当たり前じゃない」
真意が伝わっていない気がするが、シンはそれでもよかった。自分の気持ちの数分の一を吐き出すのも初めてだったのだから。
「……ちゃんと改めて伝えないといけないな」
シンがぼそりと呟いた言葉は街の喧騒に紛れ、大切な人には届かなかった。
からん、とカウベルの軽やかな音が鳴る。シンはシトト交易所を訪れていた。本がぎっしり詰まった棚に迷いなく進み、シンは何冊か本を見繕いカウンターに持っていく。
「いらっしゃいませ、シンさん!あれ?」
カウンターにいた少女は本とシンを交互に何度も見つめ、不思議そうな顔をした。
「薬草の本ですか?シンさんって、メディックでしたっけ」
「いや、違う。冒険の役に立つかと思って」
「ああ、なるほど。冒険者さんってお怪我が多いですもんね。お代はこちらになります」
提示された代金を支払い、シンは本を抱えて宿に戻った。分厚い、読むだけでも骨が折れそうな本が数冊。これからの苦労が偲ばれるところだが、シンは決意に満ちていた。あの治療士に頼らずともミコトを癒せる男になりたかった。本当にメディックに転向してもいいかもしれない。ただ、まずはこの本を読んでからだ。シンはベッドに座り、ページをめくり始めた。その目はこれまでのどんな瞬間よりも真剣だった。
「いたた……」
迷宮を探索中魔物に襲われ何とか撃退したものの、ミコトが腕に酷い怪我を負ってしまった。見るからに痛々しい引っ掻き傷で、爪の痕が残り血がぼたぼたと零れ落ちている。シンはミコトの傷を一瞥し、簡易に包帯を巻いた。真っ白い包帯があっという間に生々しい鮮血に染まっていく。
「メディカがもうないな……危険だ、一度引き返そう」
「そうね。ごめん、シン。私のせいで」
「いや、謝らなくていい。無理は禁物だ」
二人は早々に探索を切り上げ、ハイ・ラガードに戻った。二人が向かう先は公国薬泉院。あらゆる傷、病気の治療を行っている場所だ。その扉をくぐると、今日も負傷した冒険者で溢れかえっていた。そんな中、治療士の男性が二人のもとへやって来た。
「こんにちは、どうしました?……と、酷い怪我をなさってますね。どうぞこちらへ」
ミコトを一目見て顔を歪めた治療士は、ミコトをベッドに案内した。彼女を座らせ、見慣れない薬を取り出し治療に取りかかる。その様子をシンは無言で見守る。治療士の手際はよく、ミコトの腕に走った傷が塞がり血痕が残るのみになった。治療士は彼女の腕にこびりついた赤い血を拭き取り、
「傷は塞がりました。どうでしょう。腕は動きますか。痛みはありませんか」
言いながらミコトの腕を撫でる。ミコトは肩を回したり腕を曲げたりしながら、
「大丈夫です。もういつもどおりです」
と答える。男性は穏やかに笑む。
「そうですか。それはよかったです」
ごく自然な患者と治療士のやり取り。何ら不自然なところはない。ないのだが、シンの胸に小さな棘が刺さった気がした。
「気をつけてくださいね。迷宮の比較的浅い層でも、危険は十分ありますから」
「そうですね。ありがとうございました」
これまた定型的なやり取りを交わし、ミコトは治療士に頭を下げた。シンに笑いかけたミコトの顔が、シンを見た途端わかりやすく曇った。
「シン、どうしたの?なんか怖い顔してるけど」
「え?いや……」
ミコトに言われるまで、そんな指摘されるような顔をしているなどと思いもしなかった。シンは唇を尖らせ、
「……何でもない。怪我、治ってよかった」
としか言えなかった。
ミコトが公国薬泉院に行ってからというもの、シンは常にメディカを欠かさぬよう多めに買うようになった。彼女が傷つくところなど二度と見たくないし、できることなら公国薬泉院にも行きたくないのが本音だった。
「またこんなに買うの?シンは心配性だね」
などとミコトに茶化されるが迷宮探索は命懸け、心配に心配を重ねるくらいがちょうどいい。ガンナーのシンとブシドーのミコトでは薬の有無が命に関わる。あれだけ酷い怪我をしたというのにどこか他人事のミコトに怒りすら覚えるくらいだ。
しかしそれだけ用心の上で薬を買い込んでも予想外の事態が起こるもので、時折公国薬泉院に世話になっていた。そのたびにあの治療士の男性が対応し、手際よく傷を治療してくれる。
「傷は塞がりましたが、問題なく動きますか?」
などと言いながら、ミコトの負傷した箇所に治療士が触れる。その光景を見るたびにシンの胸がざわめいた。黒い霧のようなざわめき、シンは奥歯を噛んで余計なことを言わぬようにするので手一杯だった。
「はあ……」
迷宮探索を終えたある日、シンは鋼の棘魚亭で夕食を摂っていた。シンとミコトはギルドを組む冒険者であるが、探索を終えた夜は別行動だ。シンはカウンターに頬杖をつきフォークをぷらぷらと宙に揺らしながら、ぼんやりとため息をついた。そのうだつの上がらない様子に、マスターが目を細めた。
「おう、若造がそんな不景気な顔してちゃ目も当てられねぇな!今日は探索がうまくいかなかったか?」
シンは完全な善意で声をかけてくれたであろうマスターをギロリと睨んだ。蛇が縄張りに入ってきた敵を見据えるような、暗い鋭さを持った眼差しだった。
「違う。……虫の居所が悪いだけだ」
「虫の居所ぉ?そんなもん、パーっと酒飲んで食って寝れば、元どおりになるってもんよ!」
マスターは逞しい外見によく似合う豪快な笑い声を上げた。シンの気分を盛り上げるには至らない、若干耳障りな声だ。シンは小さく舌打ちした。普段はシンに話しかけてこないというのに、運が悪い。
「おうおう若造よ、どうしたんだよ?ひよっこの悩みを聞いてやるのも俺の仕事ってもんだ!何があった、言ってみな?」
ん?と言いながらマスターはシンの顔を覗き込んでくる。その大きな顔は目を逸らしても視界に入ってくる。話さねばいつまでも尋ねてくるだろうことを察し、シンはため息をついた。
「公国薬泉院に男の治療士がいるだろ」
「男の治療士ぃ?あぁ、メガネかけた茶髪の男前か?」
端的に特徴を捉えた発言、忌々しいがそのとおりだった。シンは頷き、話を続ける。
「あいつ、腕がいいのか。いつ行ってもあいつが治療に当たるけど」
「ああ、公国薬泉院では腕利きらしいぞ?ついでに男前だから、あいつ目当てに通う奴もいるって噂だな!」
……あいつ目当て。
聞こえた不穏な言葉に、シンは心が冷えるのを感じた。ミコトを連れていくのは当然ながら怪我をしたからだが、彼女は本当にそれだけだろうか。もやもやと広がっていく気味の悪さに、シンはフォークを握りしめた。思わず皿にフォークの先端を強く押し付けてしまい、ぎぎ、と不協和音を鳴らした。
「おいおい、どうした?料理が不味いってか?」
「そうじゃない。料理は美味い」
「ははーん?」
マスターは片方の眉をぴくりと上げ、にやにやと笑った。
「男前の治療士に内心穏やかじゃない、と……そういやお前、ミコトとかいう娘とギルドを組んでるよな?ははぁ……なるほどねぇ」
「……なんだ。気持ち悪い顔でこっちを見るな」
「若造の青春ってか!かぁー、甘酸っぱいこったな!」
一人で勝手に納得したマスターは再び派手に笑った。何か思いきり誤解されている……いや、理解されているのか。シンは面白くないと唇を噛みながらも、たった二言三言交わしただけの彼に悟られてしまうほどかと情けなくなった。くそ、腹が減る。シンは肉にフォークを刺し、勢いよく噛みついた。溢れる肉汁、歯に食い込むほどよい硬さ。美味い。腹立たしいほどに。
「……」
シンの苛々とした食事風景を、マスターは相変わらずにやにやと笑いながら観察している。居心地が悪かった。しかしマスターは特に悪いことをしているわけでなし、何より食事は美味い。シンのフォークを持つ手に力がこもった。
「おう若造、人生の先輩から一つ、ありがたーい話をしてやるぜ。よく聞きな」
うるさい、と言ったところで彼は話すだろう。シンは胡乱げなものを見る目でじっとりとマスターを見上げた。
「人間素直が一番だぜ?女が欲しいんなら自分から動くんだな!」
彼の言葉は単純で、だからこそシンの心に突き刺さった。ちょうど食事を終えたシンは立ち上がった。少し考える時間が必要だ。
マスターのお節介を受けた翌日。空は晴れ渡り、清々しい探索日和だった。シンとミコトは普段どおり迷宮に赴く。ブシドーのミコトが前線に立ち、ガンナーのシンは半歩下がったところから支援する。クラス柄仕方ないのだが、どうしてもミコトに攻撃が集中する。何か対策を考えた方がいいのだろうか、とシンが思い悩む最中にもミコトの生傷は増えていた。比較的軽い擦り傷や切り傷だが、それでも蓄積すると影響が出る。シンはミコトを呼び止め、丁寧に傷の手当を行っていた。
「シンは本当に心配性ね?これくらい大したことないのに」
「お前は傷に鈍感すぎる。もう少し自分の体に気を配ってくれ」
「はーい」
大人しく手当を受けつつもどこか間延びした緊張感のない声のミコトに、シンは呆れの息をついた。自分はこんなに心配しているのに。そう思った途端、マスターの言葉が鮮明に蘇った。
――女が欲しいんなら自分から動くんだな!
欲しい。欲しいとは何だ?ミコトは同じギルドの冒険者。それ以上でも、それ以下でもない……ぼんやりとしつつも無意識で手を動かしていると手当が終わる。
「シン、どうしたのぼーっとして。私よりあなたの方が心配よ?」
ミコトに顔を覗き込まれた。丸く無垢な瞳がシンを心配そうに見つめていた。ああ、いけない。シンは首を横に振り、雑念を振り払った。そうしてシンが顔を上げた瞬間、
「!ミコト!!」
彼女の後ろに巨大な鹿がいた。命ある獲物を求めてやまない赤い瞳、鋭い角、自分たちよりはるかに大きい体躯。瞬時に危険と判断したシンは、迷わずミコトを後ろに引き寄せ前方に躍り出た。無防備なシンの体に鹿の強烈な体当たりが刺さる。
「ぐっ……!!」
自らを守るように交差させた両腕で、何とか鹿の攻撃を受け止めた。あまりの衝撃にシンの踵がじり、と後ずさる。このままだとミコトを守れないかもしれない。
「はあぁっ!!」
凛とした叫びが響き、雷光の如くミコトが駆けた。鹿の側面に駆けた彼女は素早く刀を抜き、容赦のない一閃。鹿の首に鮮烈な光の軌跡が走り、次の刹那にはごとりと首が落ちていた。シンを苛む凶悪な質量がなくなり、シンは膝をついた。腕に鈍い痛みが走っている。
「シン!大丈夫!?」
慌てて駆け寄ったミコトは、シンの腕が真っ赤に腫れ上がっているのを見て青ざめた。
「これ、メディカじゃ治らないわ。急いで薬泉院に!」
「そんな、傷じゃない……」
歯を食いしばって答えたとき、ミコトの人差し指がシンの唇に触れた。
「傷に鈍感すぎるわ。自分の体に気を配ってよ」
少し前に伝えた言葉がそのまま自分に跳ね返ってきた。シンは力無く笑うことしかできなかった。
公国薬泉院に行くと、やはりというかあの男性治療士が現れ、シンの治療を行った。その手並は門外漢のシンでさえ感服するほどだった。両腕で鹿の突進を受け止めた痛みがあっという間に引いていき、痛々しいほど腫れていた腕はあっさりと元の姿に戻った。治療士はシンの腕に触れた。
「どうでしょうか。問題なく動きますか?痛みはありますか?」
「いや、もう痛くない。問題なく動く」
拳を握ってみても何ら痛みはなく、肩を回してみても滑らかに動く。相変わらずとんでもない腕の持ち主だ。シンはほっと一息つき、素直に謝意を述べた。
「ありがとう」
「いえ、礼には及びません。今後も気をつけてくださいね」
シンがミコトのそばに寄ると、彼女は不安げな顔を明るい笑顔に変えた。
「よかった、もう大丈夫みたい」
「ああ、ありがとう。連れてきてくれて」
「ううん、治してくれたのは治療士さんだもの。やっぱりあの人、腕ききだね」
ハイ・ラガードの街を歩いていく最中、シンはぴたりと立ち止まった。他の男を賛辞する言葉、たとえ事実であっても素直に聞き流せない。
「シン?どうしたの?」
「……ミコト、聞きたいことがある。いいか」
「なに?」
明るい笑みから一転、ミコトは訝しげに眉を顰めた。シンの鬼気迫る様子にミコトの声は微かに震えていた。
「薬泉院の治療士のこと、どう思ってる」
「治療士さん?さっきシンのことを診てくれた男の人のこと?」
「そうだ」
ミコトはきょとんと脱力した様子だった。
「どう思ってるって言われても……すごい腕だなぁとしか……」
「あいつに会うのを楽しみにしてたりしないか」
「会うのを楽しみに?なんで?薬泉院なんて行かない方がいいじゃない」
憮然とした顔のミコトはシンの意図を汲んでいないようだったが、だからこそ飾らない本心を聞けた気がする。シンのざわついていた心がようやく落ち着いた。そして同時に、自分の中で燻る感情を完全に理解した。
「ミコト」
シンはミコトの手を取った。凶暴な鹿から守ってくれた彼女の手、鍛錬のあとが見える清く美しい手だ。シンが彼女の手を取るのは初めてだった。ミコトはうっすら顔を赤らめていた。
「お前が他の男に夢中になってたらどうしようかと思った。オレだけを見ていてほしい」
「……?うん。シンはギルドのパートナーだもの、当たり前じゃない」
真意が伝わっていない気がするが、シンはそれでもよかった。自分の気持ちの数分の一を吐き出すのも初めてだったのだから。
「……ちゃんと改めて伝えないといけないな」
シンがぼそりと呟いた言葉は街の喧騒に紛れ、大切な人には届かなかった。
からん、とカウベルの軽やかな音が鳴る。シンはシトト交易所を訪れていた。本がぎっしり詰まった棚に迷いなく進み、シンは何冊か本を見繕いカウンターに持っていく。
「いらっしゃいませ、シンさん!あれ?」
カウンターにいた少女は本とシンを交互に何度も見つめ、不思議そうな顔をした。
「薬草の本ですか?シンさんって、メディックでしたっけ」
「いや、違う。冒険の役に立つかと思って」
「ああ、なるほど。冒険者さんってお怪我が多いですもんね。お代はこちらになります」
提示された代金を支払い、シンは本を抱えて宿に戻った。分厚い、読むだけでも骨が折れそうな本が数冊。これからの苦労が偲ばれるところだが、シンは決意に満ちていた。あの治療士に頼らずともミコトを癒せる男になりたかった。本当にメディックに転向してもいいかもしれない。ただ、まずはこの本を読んでからだ。シンはベッドに座り、ページをめくり始めた。その目はこれまでのどんな瞬間よりも真剣だった。
1/3ページ
