修羅と雪
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#6 議事堂の赤き龍
トウキョウ議事堂は張り詰めた静寂に満ちた、冷たい空間だった。人の気配はなく、ただ不穏なマガツヒが渦巻いている。ミユキはシンと手を繋ぎ、無機質な空間を歩いた。彼はミユキに待っていてくれと告げたが、ミユキは頑として拒否した。ミフナシロで待っている間、不安だった。それならば、彼とともに歩いた方がいい。この世界の現実を見極めるためにも。
くすんだ銅像が立つ廊下を歩き扉を開けた瞬間、シンの手のぬくもりが消えていた。
「え!?」
気がつくと、ミユキは一人だった。似たような扉がいくつも並ぶ廊下にたった一人、取り残されている。振り返ると先ほど開いたはずの扉がなく、シンもいない。
「どういうこと……?」
ミユキの疑問の声が廊下に反響し、溶けるように消えていった。沈黙に閉ざされたトウキョウ議事堂に友好的な気配はなく、ミユキを出迎えも追い返しもしない。どこまでも続く直線の廊下がミユキの孤独を追い立てる。
ここで立ちすくんだところで何も解決などしない。ボルテクス界の理を肌で理解したミユキは、周囲に目を向けながら歩き始めた。背後は行き止まり、前方には先が見えない廊下。ならばこの廊下を真っ直ぐ歩いていくよりほかない。途中にある扉をいくつか開けてみたものの、ただ静かな部屋があるばかりだった。大いなる何かに導かれている。ミユキは導きのままに歩き続けた。
やがて辿り着く廊下の端には扉があった。触れるとひやりと冷たい。この先に何があるのだろうか。ミユキは息を呑み、扉を開けた。
「高尾先生!」
扉を開いた先には広いホール、そこに高尾祐子が立ち尽くしていた。彼女はゆらりと振り返り、
「ああ……月島さんなのね……」
消え入りそうな声で答えた。駆け寄って見つめた彼女の顔からは、生気が感じられなかった。
「先生、どうしてこんなところに」
「あなたこそ、どうしてここに?シンくんはどうしたの?」
「はぐれてしまって、探しているところなんです。間薙くんを見ませんでしたか」
「いいえ、私は見ていないわ」
聞いていると不安になる細い声で祐子は回答する。ミユキは辺りを見回すが、シンの姿は見つけられなかった。
「月島さん……あなた、シンくんと創世をするつもりなのね」
「えっ?」
幽霊のように不安定な祐子は、ミユキの手を握りしめた。シンとは違う、女性らしい柔らかな手だった。
「あなたとシンくんならきっと、氷川のコトワリとは違う自由な世界が創れるはずだわ」
「私と間薙くんが?」
「ええ」
祐子はミユキの瞳を真っ直ぐ見つめた。吸い込まれそうな灰色の瞳に、ミユキは息を呑んだ。
「私ではコトワリを持てなかった……でも、あなたたちならきっと……」
意味深な彼女の言葉に耳を傾けていると、カツン、と冷たい足音が響いた。もしやシンかとミユキは顔を上げた。見つめる先にいたのは、
「先生と、君は……人修羅という少年とともにいた少女か」
不敵な笑みを浮かべる氷川だった。彼は祭壇のようなものにもたれかけ、腕を組みミユキと祐子を一瞥した。
「先生、あなたはわざわざこんなところに来てまで、シジマのコトワリを否定しようというのか。だが、あなたではコトワリを啓けまい」
氷川はミユキを見た瞬間、片方の眉を動かした。余裕のある笑みは崩れ、一瞬の焦燥が走る。
「そちらの少女からはコトワリの芽を感じる。なるほど、あの少年に感化され何かを成し遂げようというのだな」
「私にコトワリの芽が……?」
氷川の言葉は完全に予想外だった。千晶や勇、氷川は明確に「このような世界にしたい」と主張するが、ミユキは彼らに匹敵する未来像を構築できていなかった。ただ、うっすらとシンとともにある世界を望んでいるだけに過ぎない。もしもシンと新たな世界を創世できるのなら。それはこの混沌としたボルテクス界に存在する希望といえるだろう。
「これは困った話だ。新たなコトワリの芽は摘んでおかねば、いつ脅威になるかわかったものではない」
氷川が右手を挙げた。数珠を握りしめた彼の手が輝き、その眩さにミユキは目を閉じた。目を開いたときには、赤い蛇のような龍が幾重にも重なる翼を広げていた。
「先生!」
ミユキは反射的に祐子を後ろ手にかばった。その仕草は、間薙シンのものによく似ていた。現れた赤い龍は複数の青い瞳でミユキを睨んでいる。
「サマエルの視線を受けても怯まないとは、大したものだ。先生、あなたの生徒はどうやら逸材揃いのようだ」
「……氷川、あなた……」
トウキョウ議事堂に乾いた声の応酬が響く。ミユキはそれを聞きながら、どうしたものかと考えていた。正直足が震えて立つのもやっとだが、このままだとあのサマエルという龍に殺される。ミユキも祐子も戦闘能力を持たない、逃げる以外に生き残る術はない。
「先生、あなたの働きはシジマの世界の礎となった。しかし、もうあなたには何の力も残されていない。コトワリの芽を持つこの少女ごと、消えてもらおう」
氷川がこちらに右手を突き出した。突撃せよとサマエルに命令するかの如き堂々とした姿に、ミユキは祐子の手を掴んだ。
「先生!逃げますよ!」
ミユキは氷川に背を向けて駆け出した。背後の扉に逃げる以外の選択肢はなく、ミユキは一心不乱に駆けた。後方では龍の不気味な咆哮が響き、足がすくみそうになるが無理矢理走り抜けた。
足元に轟音が鳴った。コンクリートの床の一部にサマエルの撃った光弾が当たり、クレーターに似た爪痕を残した。あと数秒走るのが遅かったら、ミユキの足を撃ち抜いていた。恐ろしい、恐ろしいがこそ歩みは止められない。停止、それはすなわち死である。
「ッ!?」
サマエルの光弾がミユキの右ふくらはぎを捉えた。今までに経験したことのない激痛が走り、ミユキは一人転んでしまった。祐子を掴んでいた手がするりと解ける。
「月島さん!」
振り返り立ち止まった祐子に、ミユキは叫んだ。
「先生逃げて!」
うずくまるミユキの背後に強大な龍が迫る。それは今まで見たことのない不気味な影となりミユキを覆う。振り返る気力も湧かなかった。右足が痛いを通り越して寒くなってきた。おそらく多量の血が流れていることだろう。間薙くん。私、ここで死んじゃうんだ。
「……!月島!?」
はぐれないようにとミユキと手を繋いでいたはずが、シンの手は虚空を掴んだだけだった。突然消えたぬくもりに、シンは辺りを見回す。静まり返るトウキョウ議事堂にミユキの姿はない。
「ミユキがどっかに連れていかれちゃったホ!」
ジャアクフロストも慌てた様子で声を上げた。その声も静寂の空間に吸い込まれ、不気味な木霊が跳ね返ってくる。シンはち、と舌を鳴らした。
――カブキチョウのときみたいなことは、もう起こさないと誓ったのに。
シンは爪が食い込むほど拳を握りしめ、固い決意とともに歩き始めた。冷たい足音が反響し耳を震わせる。立ち止まっていてもミユキは降ってこない、ここまで来たからには前進あるのみだった。
「オマエ!『ソーセイ』って知ってるホ?」
ミユキを探して歩き続ける中、ジャアクフロストが尋ねた。何を薮から棒にとシンは思ったが、単語自体はずっとシンに付き纏うものだった。
「ソーセイ……創世のことか?」
「たぶんそうだホ!ミユキが言ってたホ!なんかシンコクな感じだったヒホ!」
「月島が?」
創世。今まさにシンは三つの創世の芽を摘むために動いている。しかし、その後は?創世のために生まれたボルテクス界をそのままにはしておけない。シンとミユキがコトワリを持つべきときが、刻一刻と迫っているように思えた。
「ミユキは興味あるって言ってたホ!オイラにはよくわかんないけど、オマエはどうだホ?」
「ああ……興味ある。というか、しないといけないことだ」
彼女と創世すべき未来について語らうことはなかったが、頃合いということか。まさかジャアクフロストに背を押されることになるとは思わなかったが、彼女といると守らねばという義務感や邪な思いに囚われ、思考が流れてしまう。客観的な立場の仲魔の言葉だからこそ、気付きになる。
「ジャアクフロスト、ありがとな。オレと月島のことを気にかけてくれて。助かる」
そう言って口元を緩めると、ジャアクフロストはぶるる、と体を震わせた。
「ヒホ〜?オイラはミユキのために言ってるホ!カンチガイするんじゃないホ!」
「お前はそれでいい」
悪魔に人間らしい博愛を示されても困る。シンは笑みを漏らした。人間らしいぬくもりのある会話はミユキとできれば十分だ。頬を膨らませる勢いのジャアクフロストを横目で眺めながら、シンはトウキョウ議事堂を彷徨った。
騙し絵と本物の廊下を見極める場所。地面に映った彫像の影を注意深く観察する場所。策を張り巡らせてきた氷川らしい、いやらしいやり口に閉口しながらもシンと仲魔たちは忌まわしい地を進む。
「ん?奥から音がする……」
ある扉の前にシンが立つと、奇妙な音……いや、声が聞こえた。人間の女性のような、少女のような、高く張りのある声……。
「月島!」
シンは叫び、扉を開いた。
「月島!」
「ヒッホ〜〜〜!!」
聞き覚えのある声が聞こえた。ミユキが思わず顔を上げると、全速力でこちらに駆けるシンとジャアクフロストがいた。右足を撃ち抜かれ座り込んだミユキの前に、二つの影が躍り出る。
「ジャアクフロスト、月島と先生を!」
「リョーカイホ!」
「オレはコイツを倒す!」
ミユキと祐子を守るように両腕を広げたジャアクフロストの背中は頼もしかった。しかしそれ以上に、あの強大な龍に挑むシンの勇敢さにミコトは言葉を失った。
赤い龍が翼を蠢かせ、炎の球をシンに向かって飛ばした。シンは不規則に駆け回り避けながら、右手にあらゆるものを貫く光の刃を生み出す。サマエルの炎は床を焦がすがシンには掠りもしない。シンはサマエルの頭に届くほど高く跳躍した。
「いくぞ!」
シンの咆哮とともに右手の刃が振り下ろされ、サマエルの片翼をいくつかもぎ取った。美麗な赤い龍が痛みにのたうち回り、激しい音を鳴らした。着地したシンは素早くサマエルに駆け寄り、掌を突き出す。
「メギドラオン!」
いかなる悪魔もひれ伏す万能の輝きがサマエルに打ち込まれ、赤く荘厳な龍は動きを止めた。邪龍の羽ばたきが止まる気配に、氷川が訝しげな眼差しで振り向いた。
「……これは驚いた。シジマの世界へ生贄を捧げようと思ったが、やはり君が邪魔をするのだな」
氷川は片方の眉を持ち上げ一瞬驚いた様子だったが、両手を広げ厳かに告げた。
「だが時間稼ぎにはなったようだ。見るがいい。シジマの世界の先触れを」
議事堂に眩い光が閃いた。あまりの眩さに目を閉じたミユキが再度目を開いたとき、そこには見たことのない神と融合した氷川がいた。巨大な神と一体化した氷川は議事堂を見渡し小馬鹿にしたように笑うと、姿を消した。追いかけようとしたシンは立ち止まり拳を握りしめていたが、ミユキに駆け寄った。
「月島!……怪我してるな」
「間薙くん……」
目の前で繰り広げられた戦闘に呆然としていたが、我に返ったミコトの右足に痛みが走った。赤黒い血は鉄の匂いを放ち、傷口は目を背けたくなる惨状だった。
「ジャアクフロスト、頼む」
「ヒホー!」
ジャアクフロストの黒い手からあたたかい癒しの光が溢れた。悪魔の深傷も治す光がミユキの足に染み込み、みるみるうちに傷が塞がっていく。ミユキの足から痛みが引いた頃、シンに強く抱きしめられた。
「月島!よかった……お前が無事で」
「間薙くん……ありがとう」
髪が乱れるほどに抱きしめられ、ミユキは安堵の息をついた。シンの体温とジャアクフロストのヒホヒホと手を振る仕草を感じていると、ふらふらと祐子がやって来た。彼女の手には、ヨヨギ公園でサカハギが使ったヤヒロノヒモロギが握られていた。
「シンくん、月島さん。あなたたちに助けられてしまったわね」
祐子は儚く笑い、鈍い光を放つヤヒロノヒモロギをシンに手渡した。
「私も創世をしたかったけれど、私では叶わないみたい。あなたたちに託すわ。あなたたちの思う世界を、これで創るのよ」
「先生!オレたちと一緒に!」
ミユキを抱き寄せたまま声を上げるシンに、祐子は首を振った。
「創世のコトワリを持たない私が一緒にいたら、あなたたちの足を引っ張ってしまうわ。私はアラディアとともに、創世を……新たな世界を、待っているわ」
そう言い残し、彼女はトウキョウ議事堂を去った。ミユキもシンも彼女を追うことはなかった。ボルテクス界を揺るがす重大な決断を託された、と二人は悟っていた。ミユキはシンに手を取られ、立ち上がった。シンはミユキの手を強く握り、彼女に目をやった。彼の瞳はカグツチの光にも負けぬ輝きを宿していた。
「月島、オレはこのヤヒロノヒモロギを使って新しい世界を創世する。お前と一緒にいるために」
「うん」
「危険だと思う。勇や千晶とも戦うことになる。それでもついてきてくれるか?もうお前に怪我なんかさせない。必ず守る」
「うん。最初からついていくつもりだったよ。守られてばかりだけど……それでも」
二人見つめ合って頷き合うと、ジャアクフロストがヒョコ、と身を乗り出し二人の間に顔を見せた。
「ヒホ!新しいセカイにはオイラもいるヒホ?ミユキと一緒にいたいホ!」
黒い雪だるまの天真爛漫な言葉に、二人は顔を見合わせて笑った。ミユキがジャアクフロストの頭を撫でると、ヒホホ、と言いながら彼は嬉しそうに体を揺らした。
「……そうだな。月島がいいなら、それもありかもな」
「私もジャアクフロストと一緒がいいな」
「ヒホー!オイラ、ミユキといられたらハッピーだホ!」
冷徹な空気に支配されたトウキョウ議事堂で交わした言葉はあたたかく、ミユキの心を優しく包んだ。
かつてニヒロ機構が築いたオベリスクは、天高く聳える楼閣となりカグツチへと続いていた。シンはミユキとともに頂上が見えない塔を見上げた。これからこの塔をミユキと上る。彼女とともに新たな世界を創生するために。
「すごい塔……ここに橘さんや新田くんがいるんだよね」
「ああ、そのはずだ」
塔の高さに目が眩んでいると、二人の頭上で声が響く。
「おお……我が元を訪れる者がまた現れたか」
「……誰だ、お前は」
低く荘厳な声に、シンは鋭く目を細めた。もしまた二人を引き裂く敵が現れたなら、全力で排除せねばならない。シンは拳を強く握った。
「我はカグツチ。創世を司る者……おまえたちは二人で一つ。二人で一つのコトワリを成さんとするか」
シンの尖った声にも臆することなく声は響く。シンはミユキの手を握った。たとえ握っていても悪魔の力で引き離されることがあるが、それでも離したくなかった。無機質な声音と彼女のあたたかい掌は対照的だった。
「いいだろう。我が塔を上るがいい。真に新たな世界を創る意思があるのなら」
「ああ。そうさせてもらう」
シンの言葉にカグツチの返答はなかった。もはや語ることはない、己の力を示せということだろうか。シンは唇を噛んだ。言われなくとも最後まで戦ってやる。そして、コトワリを啓く。シンはミユキを見つめ、頷いた。
