修羅と雪
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#5 修羅と黒い雪
「ヒホー!見つけたホー!」
マントラ軍本拠地。橘千晶の異質な姿を見届けたミユキとシンが外に出た途端、大きな黒い雪だるまが声を上げた。雪だるまは二人よりも背が高く、威圧感があった。紫色の帽子を被り、赤い吊り上がった目をしている。ジャックフロストに似た口調だが、体の大きさゆえか声がやたらと響く。
「ミユキ!オイラはとびきりのワルになったヒホ!」
「えっ?私のこと、知ってるの?」
「覚えてないヒホ?サイキョーでサイコーの悪魔を目指してたオイラヒホ!」
ミユキはあっさりと思い出した。ボルテクス界で一番最初に出会った悪魔、ジャックフロスト。だが彼は白い雪だるまだったし、ミユキやシンよりも小さかったはずだ。首を傾げていると、雪だるまはじたばたと落ち着きなく動きながら言葉を続けた。
「オイラ、ジャアクフロスト!あのときのジャックフロストとは違うホ。とびきりのワルになって、サイキョーでサイコーの悪魔に近付いたホ!だから」
黒い巨大な雪だるま――ジャアクフロストは、びしりとミユキの隣に立つシンを指差した。心なしか睨んでいるようにも見える。
「ソイツよりオイラの方が強いホ!ミユキ、オイラと一緒に来るホ!もう火が怖くてマントラ軍に入門できなかったオイラとは違うホ!」
「月島を連れていくつもりか?」
シンが一歩前に踏み出し、ミユキを手で制した。ジャアクフロストは苛々と地団駄を踏んだ。
「オマエじゃなくてミユキに言ってるホ!」
「月島、少し下がっててくれるか。こいつはオレを倒してお前を連れていくつもりだ」
「え!?どうして戦わなきゃいけないの?」
ミユキはジャアクフロストに向き直ったが、黒い雪だるまはシンに明確な敵意を向けていた。
「ミユキが一緒に来るなら戦う必要はないホ!」
「そ、それは……」
ミユキは俯いた。あのジャックフロストに恩があるのは確かだが、シンと長く行動をともにした積み重ねがある。即答などできなかった。何も答えられないでいると、ジャアクフロストとシンは火花を散らし睨み合っていた。もはや両者の間には敵意が走り、ミユキが何を言っても戦いを止められないだろう。ミユキは固唾を飲んで見守ることしかできなかった。
両者が睨み合っていたのは数十秒。全く同じタイミングで一人と一体は床を蹴った。シンの拳とジャアクフロストの拳が真正面からぶつかり合い、ぎりぎりと不穏な音を鳴らす。
「オマエ、なかなかやるホー!」
「しゃべってる余裕があるのか」
互いに譲らぬ中、シンは一度拳を引き右足で強烈な蹴りを叩き込んだ。ジャアクフロストのもっちりとした脇腹に蹴りが刺さるものの、黒い雪だるまは少し後ずさった程度で痛みを感じていなさそうだった。
「……!」
シンの眉がぴくりと上がった。悪魔の首すら折る蹴りをまともに受けてこの態度、ジャアクフロストが「サイキョーでサイコー」を名乗るのも自意識過剰ではないのかもしれない。ジャアクフロストはシンの右足を掴み、思いきり投げ飛ばした。
「間薙くん!」
吹き飛ぶシンにミコトは悲鳴を上げた。シンは何とか受身を取り着地する。その隙を狙ったジャアクフロストが急速にシンに接近した。
「食らうホー!ブフダイン!」
シンの至近距離で吹雪が舞い、ミコトにはシンが雪崩に巻き込まれたかのように見えた。ミコトの視界は真っ白に染まり、シンの姿が見えない。
パリン!と氷が割れる音が響いた。シンが体に張り付く氷を破り、ジャアクフロストを鋭く睨んでいた。その腕には電撃と鋭い旋風が纏わりついている。
「これで終わりだ!」
呆気に取られるジャアクフロストにシンは掌底を食らわせ、周囲に強烈な雷と竜巻を起こした。目も眩む閃光に思わずミコトは目を閉じた。数秒して目を開いた先には、黒い雪だるまが仰向けに倒れて目を回していた。
「間薙くん!」
シンに駆け寄ると、電撃と風を同時に起こした反動か、彼の両腕は赤く腫れていた。慌ててミコトは傷薬を取り出し、手当をする。シンはむず痒そうにしていたが、手当を大人しく受けてくれた。
「う〜〜〜……!!ううう〜〜!!ムカムカムカ〜〜!!」
こてんと転がり二人の様子を見ていたジャアクフロストは両手足をじたばたと動かし、心から悔しそうな声を上げた。しばらく癇癪を起こしていたジャアクフロストだったが、やがて再び大の字になって脱力した。
「負けたホ……オイラじゃ、サイキョーでサイコーのキングになれないホ……?」
「ジャアクフロスト……」
ミユキは思わず倒れたジャアクフロストに駆け寄った。見た目はあの白い雪だるまではないが、ミユキにとっては大切な悪魔だった。彼がいなければ、ミユキは今頃どうなっていたかわからない。
「大丈夫?ほら」
ミユキが手を差し出すが、ジャアクフロストは拳を握りしめていた。
「ミユキ……こんな弱いオイラでも、手を差し伸べてくれるホ?」
「私にこの世界のことを教えてくれたし、間薙くんと会えたのもあなたが一緒にいてくれたからでしょ?感謝してるの、ありがとう」
「う〜〜〜…………」
ジャアクフロストの吊り上がった瞳から涙が零れた。それと同時、大きかった体が縮み、白かった頃と同じ大きさに戻っていく。
シンがミユキの隣に立った。ジャアクフロストを見下ろす彼の瞳は無機質で、敵か否か見定めているようだった。ミユキはジャアクフロストをかばい、
「間薙くん。この子、マントラ軍の本拠地で会ったジャックフロストなの。間薙くんに会うまで、私のことを守ってくれたんだよ。一緒に連れて行けないかな?」
「仲魔にするってことか?」
こくんと頷いた。ジャアクフロストの目がきらりと輝く。
「そうだホ、オイラを倒したヤツについていけば、きっとサイキョーでサイコーの悪魔に近付けるホ……!オイラ、オマエについていくホ!」
倒れていたジャアクフロストが起き上がり、シンにぺこりと頭を下げた。シンは困惑している様子だったが、ミユキに微笑まれ頷くことしかできなかった。
「今後ともよろしく」
シンの声とともに、シンとジャアクフロストは固い握手を交わした。
アマラ神殿で新たな神ノアが生まれ、ヒジリが死んだ。その光景は凄惨で、人一人がマガツヒの渦に呑まれ消えていくのを目の当たりにした。新たに巻き起こる天使の羽根のざわめきを追うシンは、ミユキの様子が気になって仕方なかった。彼女が勇とどの程度の関係にあったかは不明だが、かつてごく普通のクラスメイトだった彼の変容ぶり、衝撃を受けていてもおかしくない。
「ミユキ、なんかちょっと落ち込んでるホー……」
彼女とそれなりに付き合いがあるジャアクフロストもそれは感じていたようで、シンに零していた。ジャアクフロストはびし、とシンを指差した。
「オマエ!ミユキの様子が変だホ、なんとかするホー!」
「言われなくてもわかってる」
シンが答えると、ジャアクフロストは悔しそうに肩を落とした。
「オイラも励まそうとしたけど、うまくいかなかったホ〜……ミユキはやっぱりオマエを頼りにしてるみたいだホ」
「そうか。じゃあオレが何とかする」
不穏な羽根のさざめきを追ってやって来たアサクサは、不気味なほど静まり返っていた。街を行き交うマネカタは少なく、声をかけても言葉少なだった。ミユキの怯えも最高潮に達しているようだった。ちょうどいい、頃合いだろう。シンはアサクサの街の片隅で休憩することにした。不安そうなミユキの肩を抱き、二人は座り込んだ。
「月島、怖いか」
「……うん」
彼女の華奢な肩が細かく震えていた。命の息吹が感じられないアサクサは、肩が震える音が聞こえるほどの静寂に包まれている。
「新田くんがあんな風になって、橘さんも怖くなって……間薙くんは……間薙くんも、変わっちゃうのかな」
「お前から見て、オレは変わったか?」
尋ねると、ミユキは首を横に振った。
「見た目は変わったし、実際変わってるところもあるんだろうけど……でも、間薙くんは間薙くんだよ。私のことずっと助けて守ってくれて、本当にありがとう」
「お前がそう思ってくれてるなら、オレはそれで十分だ」
震える肩を抱きしめ、彼女の手を握った。ミユキの手は純粋な少女のあえかなもの。対するシンは黒と緑の模様が入り人間らしからぬ手だが、安らぎを与えられる――そう信じたい。シンは間近でミユキを見つめた。ミユキも見つめ返してくれる。あと数センチで唇を奪える距離、シンは引き寄せられるように顔を近付け、ミユキの唇を奪った。
「……!」
ミユキの息を呑む音が聞こえた。体が反射的に強張っているのもわかった。しかし拒絶はされず、アサクサの街の片隅で互いに体温を分け合った。初めてのキスは、ミユキの唇の柔らかさに溶けてしまいそうだった。ここで交わした口付けは誰も見ていない、シンとミユキだけの大切な思い出。
「間薙くん……びっくりした」
「急に悪い。お前が近くにいると止められなくなる」
乾いた風が吹き抜けるアサクサで分け合った唇の潤い、シンは一生忘れないだろう。ミユキもそうであってほしい。
「間薙くん、もう少しだけ……こうしてて、いい?」
「ああ」
彼女の頭がシンの肩に寄りかかった。心地よい重みとあたたかさ、シンも彼女の体に少しだけ体重を預けた。
アサクサの奥にあるマネカタの聖地、ミフナシロ。荘厳な空気を纏ったそこは、血塗れのマネカタが倒れる凄惨な場所と化していた。ミユキはひ、と思わず呻いた。ミフナシロに一歩足を踏み入れた瞬間から漂う血の匂い、ミユキは口元を押さえた。
「奥から嫌な気配がするな」
シンは静寂の中、閉ざされた扉を睨み付けていた。
「え、間薙くん?どうしたの?」
「月島、ここからはオレ一人で行く」
「えっ……な、なんで、私も行くよ」
一歩踏み出したミユキを、シンは手で制した。
「お前は来るな。きっと、奥も……いや、奥はこれより酷い有様だと思う。ここで待っていてくれ。一時間経ってもオレが戻ってこなかったら、アサクサまで逃げろ」
「でも」
なおも食い下がろうとするミユキの両肩に、シンの手が置かれた。彼はゆっくりと首を横に振る。
「きっとこの先には千晶がいる。この惨状を引き起こしたのも千晶だろう。お前が見るには刺激が強すぎる」
「わ、私だって……見なきゃいけない、知らなきゃいけないことでしょ」
そうは言ったものの、ミユキの体は震えが止まらなかった。右腕が異形と化した橘千晶、その腕に首を絞められたこともある。そして転がっているマネカタの死体――この先にどんな景色が待ち受けているか、火を見るより明らかだった。
「ジャアクフロストと一緒に待っていてくれ」
そっと離れたシンは、ジャアクフロストを召喚する。シンはミユキに背を向け、歩き始めた。
「待って、間薙くん!」
追いかけようとした手が、ジャアクフロストにくいと引っ張られる。
「ミユキ、アイツもミユキのことを考えてのことだホ。オイラがミユキを守るから、ここで待つホ!」
「ジャアクフロスト……」
重苦しい扉が開く音にミユキが顔を上げた頃にはシンの姿はなく、聖地の奥に続く扉は固く閉ざされていた。
ミフナシロの奥地には、夥しい数のマネカタの亡骸が打ち捨てられていた。泥の大地に鉄錆の匂いと血痕が残り、大量殺戮の悲惨な実態を物語っている。シンが歩みを進める先には、フトミミと橘千晶がいた。決して相容れぬ泥人形の長とヨスガを唱える創世者。静かに睨み合っていた二人の視線がシンに向く。
「あら、シンくん。何をしにきたの?まさかこの泥人形たちに哀れみでも感じたの?」
千晶の声は鋭かった。棘がありながらも優しさを滲ませていた人間の頃の名残はない。
「お前を止めに来た。ヨスガの創世……そんなもの、許すわけにはいかない」
シンが千晶を睨むと、彼女はふふ、と意味ありげに笑った。
「あなたもこの泥人形と同じことを言うのね。せっかく力を得たというのに、もったいないわ。でも、ヨスガのコトワリがわからないと言うなら仕方ないわね!」
千晶が手を振り上げた瞬間、空から天使が三体、舞い降りた。翼のざわめきは騒々しく、シンの命を狙う殺意に満ちていた。
ミフナシロの奥地へ続く扉の前で待ち続けるミユキは、膝を抱えて座り込んだ。その隣には、ヒョコヒョコと落ち着かない様子のジャアクフロストがいる。シンと離れたのはカブキチョウ捕囚所での一件以来、久しぶりだった。あのときは真に一人きりだったが、今は頼れる黒い雪だるまが隣にいてくれる。ミユキは思わずジャアクフロストを後ろから抱きしめた。
「ヒホ?そんなぎゅってされたら、何かあったとき動けないホー」
「だめ?ちょっとだけでいいから、こうさせて……怖いから」
できる限り見ないようにはしているものの、辺りにはマネカタの死体が転がり、鼻が慣れてきたとはいえ血の匂いも漂っている。こんな場所でシンの帰りを待つ、恐ろしいことこの上なかった。扉の奥から特に物音は聞こえないが、だからこそ恐ろしい。一体何が行われているのかわからない。
「ごめんね、ジャアクフロスト。でも、あなたがいてくれて嬉しいの」
「ヒホー。オイラもマントラ軍に入るの怖かったから、ミユキのキモチ、わかるヒホ」
「そっか。ありがとね」
ぎゅっと後ろから抱きしめた彼はもっちりとして、ジャックフロストの頃の冷たい温度はなかった。ただただミユキを安心させる、もちもちふわふわとした感触。シンとは違う優しさを感じさせる。
「ねえジャアクフロスト。ジャアクフロストは創世には興味ないの?」
「ソーセイ?オイラはよくわかんないホ!ミコトは興味あるホ?」
「うん……」
曖昧に返事をしながら、ミユキはジャアクフロストを抱きしめた。創世――シンとミユキについて回る言葉。シンは言っていた。勇、千晶、氷川が目指す創世は、いずれもミユキとともに暮らせる世界ではないと。では、どうすればよいのだろう?ミユキはシンに守られながら、ずっと考えていた。今はただ、彼と一緒にいたい。もしもどこか行き着く先があるのだとしたら、シンとともに過ごせる世界であることを願いたい。
「ヒホ、ヒホ〜!苦しいホ!」
「あっ、ごめんね」
気付けば首を絞める勢いで抱きしめていたらしく、ミユキはぱっと手を離した。ジャアクフロストはヒホヒホと息をしながら、ミユキを見つめた。赤くつり上がった瞳はミユキをじっと捉え、もっちりとした手がミユキの頭を撫でた。
「オイラはミユキが怖くなかったらそれでいいホ!ミユキのおかげでオイラはサイキョーでサイコーの悪魔に近付いてるヒホ!」
「ふふ、ジャアクフロストはもう十分、サイキョーでサイコーの悪魔だよ」
そう言って笑った瞬間、扉の奥で何かが爆発したような大きな音が響いた。二人は思わず硬直した。まさかシンの身に何かあったかと身構える。もしも帰って来なかったらアサクサの街に逃げろとは言われたが……ミユキは唾を呑んだ。たとえ恐ろしくとも、行かねばならぬときもある。ミユキは立ち上がった。
「ジャアクフロスト、今すごい音したよね。間薙くんに何かあったのかも」
「ミユキ、ダメだホ!待ってろって言われたホ!」
「でも!」
言い合っているうちに、扉が開いた。軋む音を立てたその先に、シンがいた。怪我をしているのか肩を押さえ、足を引きずりながら歩いてくる。
「間薙くん!」
よろめく彼に駆け寄った。ミユキは躊躇いなく彼を抱きしめた。シンはミユキにもたれかかったまま、深い息をついた。
「ああ、月島……悪い、寄りかかって」
「いいの!大丈夫!?怪我は!?」
「オイラが治すホ!」
ミユキは座ると、柔らかな太ももに彼の頭を置き仰向けに寝かせた。ジャアクフロストが駆け寄り、癒しの魔法を施す。穏やかな癒しの光がシンの体に染み渡り、大小様々な傷を一つ残らず治していく。ミユキはほっと胸を撫で下ろした。
「月島、少しだけ、このままでいていいか」
「いいよ。休んで、間薙くん」
珍しく疲労困憊の彼の頭を撫でると、シンはくすぐったそうに目を細めた。普段は鋭い灰色の瞳が、柔らかな印象を纏い微笑みかけてくる。
「千晶を止められなかった。あいつの守護が降りる……もうすぐ、創世が始まる」
シンの声はか弱いものの、強い後悔を感じさせた。ミユキは彼の言葉を静かに聞いていた。
「氷川も、創世のマガツヒを集めているらしい……トウキョウ議事堂だ。他の奴らの創世を止めて、新しいコトワリを啓かないといけない。お前といられるための、コトワリを」
「うん。私も……間薙くんと一緒にいたい」
「オレと来てくれるか。オレが新しい世界を創世するときまで」
シンの手がミユキの頬に伸びた。タトゥーのような模様が施された手は、ミユキの頬を優しく覆ってくれる。ミユキはその手に自らの手を重ねた。ぬくもりを重ね、身を委ねる。
「うん。最後まで、間薙くんと一緒だよ」
ミフナシロに響いた声に、シンは満たされた笑みを返した。
「ヒホー!見つけたホー!」
マントラ軍本拠地。橘千晶の異質な姿を見届けたミユキとシンが外に出た途端、大きな黒い雪だるまが声を上げた。雪だるまは二人よりも背が高く、威圧感があった。紫色の帽子を被り、赤い吊り上がった目をしている。ジャックフロストに似た口調だが、体の大きさゆえか声がやたらと響く。
「ミユキ!オイラはとびきりのワルになったヒホ!」
「えっ?私のこと、知ってるの?」
「覚えてないヒホ?サイキョーでサイコーの悪魔を目指してたオイラヒホ!」
ミユキはあっさりと思い出した。ボルテクス界で一番最初に出会った悪魔、ジャックフロスト。だが彼は白い雪だるまだったし、ミユキやシンよりも小さかったはずだ。首を傾げていると、雪だるまはじたばたと落ち着きなく動きながら言葉を続けた。
「オイラ、ジャアクフロスト!あのときのジャックフロストとは違うホ。とびきりのワルになって、サイキョーでサイコーの悪魔に近付いたホ!だから」
黒い巨大な雪だるま――ジャアクフロストは、びしりとミユキの隣に立つシンを指差した。心なしか睨んでいるようにも見える。
「ソイツよりオイラの方が強いホ!ミユキ、オイラと一緒に来るホ!もう火が怖くてマントラ軍に入門できなかったオイラとは違うホ!」
「月島を連れていくつもりか?」
シンが一歩前に踏み出し、ミユキを手で制した。ジャアクフロストは苛々と地団駄を踏んだ。
「オマエじゃなくてミユキに言ってるホ!」
「月島、少し下がっててくれるか。こいつはオレを倒してお前を連れていくつもりだ」
「え!?どうして戦わなきゃいけないの?」
ミユキはジャアクフロストに向き直ったが、黒い雪だるまはシンに明確な敵意を向けていた。
「ミユキが一緒に来るなら戦う必要はないホ!」
「そ、それは……」
ミユキは俯いた。あのジャックフロストに恩があるのは確かだが、シンと長く行動をともにした積み重ねがある。即答などできなかった。何も答えられないでいると、ジャアクフロストとシンは火花を散らし睨み合っていた。もはや両者の間には敵意が走り、ミユキが何を言っても戦いを止められないだろう。ミユキは固唾を飲んで見守ることしかできなかった。
両者が睨み合っていたのは数十秒。全く同じタイミングで一人と一体は床を蹴った。シンの拳とジャアクフロストの拳が真正面からぶつかり合い、ぎりぎりと不穏な音を鳴らす。
「オマエ、なかなかやるホー!」
「しゃべってる余裕があるのか」
互いに譲らぬ中、シンは一度拳を引き右足で強烈な蹴りを叩き込んだ。ジャアクフロストのもっちりとした脇腹に蹴りが刺さるものの、黒い雪だるまは少し後ずさった程度で痛みを感じていなさそうだった。
「……!」
シンの眉がぴくりと上がった。悪魔の首すら折る蹴りをまともに受けてこの態度、ジャアクフロストが「サイキョーでサイコー」を名乗るのも自意識過剰ではないのかもしれない。ジャアクフロストはシンの右足を掴み、思いきり投げ飛ばした。
「間薙くん!」
吹き飛ぶシンにミコトは悲鳴を上げた。シンは何とか受身を取り着地する。その隙を狙ったジャアクフロストが急速にシンに接近した。
「食らうホー!ブフダイン!」
シンの至近距離で吹雪が舞い、ミコトにはシンが雪崩に巻き込まれたかのように見えた。ミコトの視界は真っ白に染まり、シンの姿が見えない。
パリン!と氷が割れる音が響いた。シンが体に張り付く氷を破り、ジャアクフロストを鋭く睨んでいた。その腕には電撃と鋭い旋風が纏わりついている。
「これで終わりだ!」
呆気に取られるジャアクフロストにシンは掌底を食らわせ、周囲に強烈な雷と竜巻を起こした。目も眩む閃光に思わずミコトは目を閉じた。数秒して目を開いた先には、黒い雪だるまが仰向けに倒れて目を回していた。
「間薙くん!」
シンに駆け寄ると、電撃と風を同時に起こした反動か、彼の両腕は赤く腫れていた。慌ててミコトは傷薬を取り出し、手当をする。シンはむず痒そうにしていたが、手当を大人しく受けてくれた。
「う〜〜〜……!!ううう〜〜!!ムカムカムカ〜〜!!」
こてんと転がり二人の様子を見ていたジャアクフロストは両手足をじたばたと動かし、心から悔しそうな声を上げた。しばらく癇癪を起こしていたジャアクフロストだったが、やがて再び大の字になって脱力した。
「負けたホ……オイラじゃ、サイキョーでサイコーのキングになれないホ……?」
「ジャアクフロスト……」
ミユキは思わず倒れたジャアクフロストに駆け寄った。見た目はあの白い雪だるまではないが、ミユキにとっては大切な悪魔だった。彼がいなければ、ミユキは今頃どうなっていたかわからない。
「大丈夫?ほら」
ミユキが手を差し出すが、ジャアクフロストは拳を握りしめていた。
「ミユキ……こんな弱いオイラでも、手を差し伸べてくれるホ?」
「私にこの世界のことを教えてくれたし、間薙くんと会えたのもあなたが一緒にいてくれたからでしょ?感謝してるの、ありがとう」
「う〜〜〜…………」
ジャアクフロストの吊り上がった瞳から涙が零れた。それと同時、大きかった体が縮み、白かった頃と同じ大きさに戻っていく。
シンがミユキの隣に立った。ジャアクフロストを見下ろす彼の瞳は無機質で、敵か否か見定めているようだった。ミユキはジャアクフロストをかばい、
「間薙くん。この子、マントラ軍の本拠地で会ったジャックフロストなの。間薙くんに会うまで、私のことを守ってくれたんだよ。一緒に連れて行けないかな?」
「仲魔にするってことか?」
こくんと頷いた。ジャアクフロストの目がきらりと輝く。
「そうだホ、オイラを倒したヤツについていけば、きっとサイキョーでサイコーの悪魔に近付けるホ……!オイラ、オマエについていくホ!」
倒れていたジャアクフロストが起き上がり、シンにぺこりと頭を下げた。シンは困惑している様子だったが、ミユキに微笑まれ頷くことしかできなかった。
「今後ともよろしく」
シンの声とともに、シンとジャアクフロストは固い握手を交わした。
アマラ神殿で新たな神ノアが生まれ、ヒジリが死んだ。その光景は凄惨で、人一人がマガツヒの渦に呑まれ消えていくのを目の当たりにした。新たに巻き起こる天使の羽根のざわめきを追うシンは、ミユキの様子が気になって仕方なかった。彼女が勇とどの程度の関係にあったかは不明だが、かつてごく普通のクラスメイトだった彼の変容ぶり、衝撃を受けていてもおかしくない。
「ミユキ、なんかちょっと落ち込んでるホー……」
彼女とそれなりに付き合いがあるジャアクフロストもそれは感じていたようで、シンに零していた。ジャアクフロストはびし、とシンを指差した。
「オマエ!ミユキの様子が変だホ、なんとかするホー!」
「言われなくてもわかってる」
シンが答えると、ジャアクフロストは悔しそうに肩を落とした。
「オイラも励まそうとしたけど、うまくいかなかったホ〜……ミユキはやっぱりオマエを頼りにしてるみたいだホ」
「そうか。じゃあオレが何とかする」
不穏な羽根のさざめきを追ってやって来たアサクサは、不気味なほど静まり返っていた。街を行き交うマネカタは少なく、声をかけても言葉少なだった。ミユキの怯えも最高潮に達しているようだった。ちょうどいい、頃合いだろう。シンはアサクサの街の片隅で休憩することにした。不安そうなミユキの肩を抱き、二人は座り込んだ。
「月島、怖いか」
「……うん」
彼女の華奢な肩が細かく震えていた。命の息吹が感じられないアサクサは、肩が震える音が聞こえるほどの静寂に包まれている。
「新田くんがあんな風になって、橘さんも怖くなって……間薙くんは……間薙くんも、変わっちゃうのかな」
「お前から見て、オレは変わったか?」
尋ねると、ミユキは首を横に振った。
「見た目は変わったし、実際変わってるところもあるんだろうけど……でも、間薙くんは間薙くんだよ。私のことずっと助けて守ってくれて、本当にありがとう」
「お前がそう思ってくれてるなら、オレはそれで十分だ」
震える肩を抱きしめ、彼女の手を握った。ミユキの手は純粋な少女のあえかなもの。対するシンは黒と緑の模様が入り人間らしからぬ手だが、安らぎを与えられる――そう信じたい。シンは間近でミユキを見つめた。ミユキも見つめ返してくれる。あと数センチで唇を奪える距離、シンは引き寄せられるように顔を近付け、ミユキの唇を奪った。
「……!」
ミユキの息を呑む音が聞こえた。体が反射的に強張っているのもわかった。しかし拒絶はされず、アサクサの街の片隅で互いに体温を分け合った。初めてのキスは、ミユキの唇の柔らかさに溶けてしまいそうだった。ここで交わした口付けは誰も見ていない、シンとミユキだけの大切な思い出。
「間薙くん……びっくりした」
「急に悪い。お前が近くにいると止められなくなる」
乾いた風が吹き抜けるアサクサで分け合った唇の潤い、シンは一生忘れないだろう。ミユキもそうであってほしい。
「間薙くん、もう少しだけ……こうしてて、いい?」
「ああ」
彼女の頭がシンの肩に寄りかかった。心地よい重みとあたたかさ、シンも彼女の体に少しだけ体重を預けた。
アサクサの奥にあるマネカタの聖地、ミフナシロ。荘厳な空気を纏ったそこは、血塗れのマネカタが倒れる凄惨な場所と化していた。ミユキはひ、と思わず呻いた。ミフナシロに一歩足を踏み入れた瞬間から漂う血の匂い、ミユキは口元を押さえた。
「奥から嫌な気配がするな」
シンは静寂の中、閉ざされた扉を睨み付けていた。
「え、間薙くん?どうしたの?」
「月島、ここからはオレ一人で行く」
「えっ……な、なんで、私も行くよ」
一歩踏み出したミユキを、シンは手で制した。
「お前は来るな。きっと、奥も……いや、奥はこれより酷い有様だと思う。ここで待っていてくれ。一時間経ってもオレが戻ってこなかったら、アサクサまで逃げろ」
「でも」
なおも食い下がろうとするミユキの両肩に、シンの手が置かれた。彼はゆっくりと首を横に振る。
「きっとこの先には千晶がいる。この惨状を引き起こしたのも千晶だろう。お前が見るには刺激が強すぎる」
「わ、私だって……見なきゃいけない、知らなきゃいけないことでしょ」
そうは言ったものの、ミユキの体は震えが止まらなかった。右腕が異形と化した橘千晶、その腕に首を絞められたこともある。そして転がっているマネカタの死体――この先にどんな景色が待ち受けているか、火を見るより明らかだった。
「ジャアクフロストと一緒に待っていてくれ」
そっと離れたシンは、ジャアクフロストを召喚する。シンはミユキに背を向け、歩き始めた。
「待って、間薙くん!」
追いかけようとした手が、ジャアクフロストにくいと引っ張られる。
「ミユキ、アイツもミユキのことを考えてのことだホ。オイラがミユキを守るから、ここで待つホ!」
「ジャアクフロスト……」
重苦しい扉が開く音にミユキが顔を上げた頃にはシンの姿はなく、聖地の奥に続く扉は固く閉ざされていた。
ミフナシロの奥地には、夥しい数のマネカタの亡骸が打ち捨てられていた。泥の大地に鉄錆の匂いと血痕が残り、大量殺戮の悲惨な実態を物語っている。シンが歩みを進める先には、フトミミと橘千晶がいた。決して相容れぬ泥人形の長とヨスガを唱える創世者。静かに睨み合っていた二人の視線がシンに向く。
「あら、シンくん。何をしにきたの?まさかこの泥人形たちに哀れみでも感じたの?」
千晶の声は鋭かった。棘がありながらも優しさを滲ませていた人間の頃の名残はない。
「お前を止めに来た。ヨスガの創世……そんなもの、許すわけにはいかない」
シンが千晶を睨むと、彼女はふふ、と意味ありげに笑った。
「あなたもこの泥人形と同じことを言うのね。せっかく力を得たというのに、もったいないわ。でも、ヨスガのコトワリがわからないと言うなら仕方ないわね!」
千晶が手を振り上げた瞬間、空から天使が三体、舞い降りた。翼のざわめきは騒々しく、シンの命を狙う殺意に満ちていた。
ミフナシロの奥地へ続く扉の前で待ち続けるミユキは、膝を抱えて座り込んだ。その隣には、ヒョコヒョコと落ち着かない様子のジャアクフロストがいる。シンと離れたのはカブキチョウ捕囚所での一件以来、久しぶりだった。あのときは真に一人きりだったが、今は頼れる黒い雪だるまが隣にいてくれる。ミユキは思わずジャアクフロストを後ろから抱きしめた。
「ヒホ?そんなぎゅってされたら、何かあったとき動けないホー」
「だめ?ちょっとだけでいいから、こうさせて……怖いから」
できる限り見ないようにはしているものの、辺りにはマネカタの死体が転がり、鼻が慣れてきたとはいえ血の匂いも漂っている。こんな場所でシンの帰りを待つ、恐ろしいことこの上なかった。扉の奥から特に物音は聞こえないが、だからこそ恐ろしい。一体何が行われているのかわからない。
「ごめんね、ジャアクフロスト。でも、あなたがいてくれて嬉しいの」
「ヒホー。オイラもマントラ軍に入るの怖かったから、ミユキのキモチ、わかるヒホ」
「そっか。ありがとね」
ぎゅっと後ろから抱きしめた彼はもっちりとして、ジャックフロストの頃の冷たい温度はなかった。ただただミユキを安心させる、もちもちふわふわとした感触。シンとは違う優しさを感じさせる。
「ねえジャアクフロスト。ジャアクフロストは創世には興味ないの?」
「ソーセイ?オイラはよくわかんないホ!ミコトは興味あるホ?」
「うん……」
曖昧に返事をしながら、ミユキはジャアクフロストを抱きしめた。創世――シンとミユキについて回る言葉。シンは言っていた。勇、千晶、氷川が目指す創世は、いずれもミユキとともに暮らせる世界ではないと。では、どうすればよいのだろう?ミユキはシンに守られながら、ずっと考えていた。今はただ、彼と一緒にいたい。もしもどこか行き着く先があるのだとしたら、シンとともに過ごせる世界であることを願いたい。
「ヒホ、ヒホ〜!苦しいホ!」
「あっ、ごめんね」
気付けば首を絞める勢いで抱きしめていたらしく、ミユキはぱっと手を離した。ジャアクフロストはヒホヒホと息をしながら、ミユキを見つめた。赤くつり上がった瞳はミユキをじっと捉え、もっちりとした手がミユキの頭を撫でた。
「オイラはミユキが怖くなかったらそれでいいホ!ミユキのおかげでオイラはサイキョーでサイコーの悪魔に近付いてるヒホ!」
「ふふ、ジャアクフロストはもう十分、サイキョーでサイコーの悪魔だよ」
そう言って笑った瞬間、扉の奥で何かが爆発したような大きな音が響いた。二人は思わず硬直した。まさかシンの身に何かあったかと身構える。もしも帰って来なかったらアサクサの街に逃げろとは言われたが……ミユキは唾を呑んだ。たとえ恐ろしくとも、行かねばならぬときもある。ミユキは立ち上がった。
「ジャアクフロスト、今すごい音したよね。間薙くんに何かあったのかも」
「ミユキ、ダメだホ!待ってろって言われたホ!」
「でも!」
言い合っているうちに、扉が開いた。軋む音を立てたその先に、シンがいた。怪我をしているのか肩を押さえ、足を引きずりながら歩いてくる。
「間薙くん!」
よろめく彼に駆け寄った。ミユキは躊躇いなく彼を抱きしめた。シンはミユキにもたれかかったまま、深い息をついた。
「ああ、月島……悪い、寄りかかって」
「いいの!大丈夫!?怪我は!?」
「オイラが治すホ!」
ミユキは座ると、柔らかな太ももに彼の頭を置き仰向けに寝かせた。ジャアクフロストが駆け寄り、癒しの魔法を施す。穏やかな癒しの光がシンの体に染み渡り、大小様々な傷を一つ残らず治していく。ミユキはほっと胸を撫で下ろした。
「月島、少しだけ、このままでいていいか」
「いいよ。休んで、間薙くん」
珍しく疲労困憊の彼の頭を撫でると、シンはくすぐったそうに目を細めた。普段は鋭い灰色の瞳が、柔らかな印象を纏い微笑みかけてくる。
「千晶を止められなかった。あいつの守護が降りる……もうすぐ、創世が始まる」
シンの声はか弱いものの、強い後悔を感じさせた。ミユキは彼の言葉を静かに聞いていた。
「氷川も、創世のマガツヒを集めているらしい……トウキョウ議事堂だ。他の奴らの創世を止めて、新しいコトワリを啓かないといけない。お前といられるための、コトワリを」
「うん。私も……間薙くんと一緒にいたい」
「オレと来てくれるか。オレが新しい世界を創世するときまで」
シンの手がミユキの頬に伸びた。タトゥーのような模様が施された手は、ミユキの頬を優しく覆ってくれる。ミユキはその手に自らの手を重ねた。ぬくもりを重ね、身を委ねる。
「うん。最後まで、間薙くんと一緒だよ」
ミフナシロに響いた声に、シンは満たされた笑みを返した。
