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香と静寂
「オコウ……ですか?」
「うん!」
アサクサの街でガラクタ集めマネカタの明るい声が響いた。呼び止められたミコトが首を傾げていると、彼はごそごそと何かを取り出した。
「ほら見て!これがオコウだよ!」
そう言う彼の掌にあったのは、細い棒の束だった。掌からはみ出すくらいの長さの棒で、触ってみるとざらざらした質感だった。初めて見るものでどのように使うのか想像できず、ミコトは思わずガラクタ集めマネカタに目を向けた。
「これ、どうやって使うんですか?」
「火をつけると煙が出るから、その匂いを嗅ぐものらしいよ。ほら、匂い嗅いでみて」
恐る恐るオコウに鼻を近付けると、何やら嗅いだことのない香りがした。葉と花が混ざったような不思議な香り、嫌いなものではない。むしろ少し落ち着くかもしれない。ミコトは親しみやすく笑うガラクタ集めマネカタを見つめた。
「ミコトちゃん、フトミミさんのところに行くでしょ?フトミミさんもこういう匂い好きなんじゃないかなって思ってさ」
「うーん、そうかな?」
フトミミがいるミフナシロの奥地は蝋燭の灯りが揺らめく神秘の場所だ。いつも蝋燭の匂いがするが、たまには違う香りを纏わせるのもいいかもしれない。
「オコウも色々種類があるらしくてさ。ほら、好きなの持っていってよ」
ガラクタ集めマネカタが取り出したのはいくつかの細長い箱、その中に色の違うオコウが入っている。それぞれ異なる香りが漂い、ミコトはようやく興味が湧いた。
「ありがとう、ガラクタ集めさん。せっかくだから、これ全部持っていっていいかな?」
「いいよー!」
元気に答える彼からオコウを受け取り、ミコトはミフナシロに駆けた。普段と違う香りを纏ったフトミミに会いたい思いがふわりと立ちこめた。
「フトミミさま!」
マネカタの聖地ミフナシロに少女の声が響く。静かに座し瞑想していたフトミミは、ゆっくりと目を開いた。振り返ると手に何かを抱えたミコトがいた。駆け寄った彼女はきらきらとした瞳でフトミミを見つめている。
「ミコトか。今日はどうしたんだい?またガラクタ集めの彼から何かもらってきたのかな?」
「はい、そうです」
彼女が見せてきたのは、細長い箱と小さな皿だった。ミコトは細い棒を皿に立て、マッチを擦った。小さな橙の炎が彼女の手元で揺れる。
「『オコウ』というものだそうです。火をつけるとよい香りがすると聞きまして」
言いながら、ミコトは立てたオコウに火を灯した。先端にごく僅かな灯火が浮かび、やがて細い煙が天井に昇っていく。煙からは芳しい香りが立ち、ミフナシロの奥地を優しく包んでいく。
「よい香りだね」
「お気に召していただきました?」
「ああ」
フトミミはぽんぽんと布団を叩いた。ミコトは意図を察し、フトミミの隣にちょこんと座る。フトミミは彼女の体温をうっすらと感じつつ、ゆっくりと立ち昇る煙をじっくり眺めた。煙は不規則な軌跡を描きながら柔らかな香りを振りまく。土と水、蝋燭の匂いのどれとも異なる心安らぐ香りだ。
「ミコト」
フトミミは隣に座る少女の肩を抱いた。恐縮していた彼女の全身から力がほどけ、彼女の体重が半身に優しく寄りかかってくる。
「ガラクタ集めさんによると、人間は匂いも楽しんでいたそうです。こうやってオコウの煙を見ていたんでしょうか」
「そうかもしれないね」
二人で見つめるオコウの煙はやがて天井にぶつかり、柔らかく跳ね返り部屋に満ちていく。薄く煙る視界は穏やかな香りで満ち、フトミミの真一文字に結んでいた唇が綻ぶ。フトミミ一人では香りを楽しむなどという発想には至らない、彼女がいてこそだ。
「……」
不意にミコトの体から力が抜け、半身にかかる彼女の重みが増した。
「ミコト?」
隣を見下ろしつつ声をかけると、彼女は飛び起きぶるぶると大袈裟に首を横に振った。
「はっ!?ふ、フトミミさま!?」
「ミコト、眠いのではないかな?」
「ち、違います!眠くなんかありません!」
ミコトは目を大きく見開き、不自然な大声を上げた。ふふ、とフトミミの唇から笑みが零れた。
「構わないよ、眠いのなら眠るといい」
「いえ、そんな!フトミミさまが起きてらっしゃるのに寝るなんて!」
必死な彼女だが、重い瞼を無理矢理開いているのが手に取るようにわかった。フトミミはミコトを抱きしめると、布団に寝転んだ。彼女はフトミミから離れようとするが、優しく抱き止める。向かい合った彼女は頬を赤く染めていた。
「眠くなってきたんだ。付き合ってくれるかな、ミコト」
「は、はい!お付き合いさせていただきますっ!」
彼女の額に額を擦り付けて尋ねると、ミコトはぶんぶんと大仰に頷いてみせた。フトミミは苦笑いを零しながらも、胸に柔らかな煙が満ちていくのを感じた。添い寝をしてくれと言っても彼女は付き合ってくれなかっただろうから、これでいいのだ。
「……」
ミコトは全身を強張らせ、おずおずとフトミミを凝視していた。フトミミと目が合うとついと逸らしてしまう彼女の仕草を眺めながら、フトミミは彼女の背中に手を回した。ごわごわとした衣服越しに彼女の背中を撫でてやると、ミコトは飛び上がりそうなほど驚いた様子だった。フトミミはミコトの頬に口付け、彼女の眼前で微笑んだ。
「どうしてそんなに緊張しているのかな。私がそばにいると落ち着かない?」
「あっ、いえ、そんな!」
ミコトは手を振って否定し、俯きつつ答えた。
「フトミミさまは偉大なお方ですから……私なぞがそばにいられること、畏れ多いのです」
「ふふ、そうか」
フトミミはミコトの頭をぽふ、と胸に埋めさせ、華奢な体を優しく抱きしめた。上目遣いでフトミミを見つめるミコトは子猫のようだった。
「君は私を買いかぶりすぎだ。私は少しばかり未来を見る力を持っているマネカタに過ぎないのだよ。ほら、力を抜いて……君も心安らげる空間であってほしい」
「フトミミさま……」
ミコトはフトミミの胸板に小さな手を添え、柔らかな笑顔を咲かせた。控えめながらも庇護欲をかき立てる笑顔に、フトミミの唇は柔らかな上向きの弧を描いた。フトミミが彼女の背中を撫でていると少しずつ彼女の強張りがほどけていき、やがてささやかな寝息が聞こえてきた。彼女の背中が呼吸に合わせて静かに動き、フトミミは安心した。
「ゆっくりおやすみ、ミコト」
オコウの最後の煙が立ち昇るミフナシロにフトミミの静かな声が響いた。
眠りと覚醒の狭間を曖昧に漂っていたミコトは、ゆっくりと目を開いた。視界に飛び込んできたのはマネカタが身に纏う灰色の衣服。鼻を甘やかにくすぐるのは植物の穏やかな香り。そして全身あたたかく、心地よい……また目を閉じると意識を手放してしまいそうなまどろみの中、ミコトは何度も瞬きをした。瞼にかかっていた重力が柔らかに散っていき、少しずつ脳が現実を認識していく。
「!?」
ミコトは把握した。今自分は、フトミミに抱きしめられ布団に寝転がっている。彼と寝屋をともにするなど初めてで、ましてや彼の腕の中に収まっているなど。しばし混乱していたミコトだったが、経緯を正確に思い出し赤面した。彼の大いなる懐の深さに抱かれたこと、面映くこそばゆい。
そっと身じろぎしたがフトミミの抱きしめる力は強く、抜け出そうとすれば彼を起こしてしまう。ミコトは起き上がることを早々に諦め、息をついた。ならば彼の腕の中に閉じ込められたまま、フトミミをじっくり見つめ……いや、見守ろうではないか。それが世話役のつとめというものだ。
ミコトが顔を上げれば、そこにはフトミミの美貌がある。無防備な彼の寝顔やミコトを抱く大きな掌、目を閉じていてもわかる美丈夫ぶりにミコトは息が止まりそうになった。こんな間近で美しいマネカタを見続けるとそのうち心の臓が止まるかもしれない。
「フトミミさま……」
ミコトはそっと手を伸ばし、フトミミの頬に触れた。余計な肉のない締まった頬はほんのりとあたたかく、とろける心地がした。すぐ近くに薄く開いた彼の唇がある。ああ……敬愛する予言者がこんな近くにいて、何もせずにいられるものか。ミコトは彼の唇を奪った。彼が眠っている今のうちに、一瞬だけ。
「フトミミさま、お慕いしております」
マネカタの未来を一身に背負う彼に、ほんの少しでも休息を。そして願わくば、もう少し彼の腕の中にいられたら。ミコトは背中を丸め、フトミミの胸に縋り付いた。彼の平穏な安らぎに自らも含まれている至福を、ミコトはじっくりと噛み締めていた。
「オコウ……ですか?」
「うん!」
アサクサの街でガラクタ集めマネカタの明るい声が響いた。呼び止められたミコトが首を傾げていると、彼はごそごそと何かを取り出した。
「ほら見て!これがオコウだよ!」
そう言う彼の掌にあったのは、細い棒の束だった。掌からはみ出すくらいの長さの棒で、触ってみるとざらざらした質感だった。初めて見るものでどのように使うのか想像できず、ミコトは思わずガラクタ集めマネカタに目を向けた。
「これ、どうやって使うんですか?」
「火をつけると煙が出るから、その匂いを嗅ぐものらしいよ。ほら、匂い嗅いでみて」
恐る恐るオコウに鼻を近付けると、何やら嗅いだことのない香りがした。葉と花が混ざったような不思議な香り、嫌いなものではない。むしろ少し落ち着くかもしれない。ミコトは親しみやすく笑うガラクタ集めマネカタを見つめた。
「ミコトちゃん、フトミミさんのところに行くでしょ?フトミミさんもこういう匂い好きなんじゃないかなって思ってさ」
「うーん、そうかな?」
フトミミがいるミフナシロの奥地は蝋燭の灯りが揺らめく神秘の場所だ。いつも蝋燭の匂いがするが、たまには違う香りを纏わせるのもいいかもしれない。
「オコウも色々種類があるらしくてさ。ほら、好きなの持っていってよ」
ガラクタ集めマネカタが取り出したのはいくつかの細長い箱、その中に色の違うオコウが入っている。それぞれ異なる香りが漂い、ミコトはようやく興味が湧いた。
「ありがとう、ガラクタ集めさん。せっかくだから、これ全部持っていっていいかな?」
「いいよー!」
元気に答える彼からオコウを受け取り、ミコトはミフナシロに駆けた。普段と違う香りを纏ったフトミミに会いたい思いがふわりと立ちこめた。
「フトミミさま!」
マネカタの聖地ミフナシロに少女の声が響く。静かに座し瞑想していたフトミミは、ゆっくりと目を開いた。振り返ると手に何かを抱えたミコトがいた。駆け寄った彼女はきらきらとした瞳でフトミミを見つめている。
「ミコトか。今日はどうしたんだい?またガラクタ集めの彼から何かもらってきたのかな?」
「はい、そうです」
彼女が見せてきたのは、細長い箱と小さな皿だった。ミコトは細い棒を皿に立て、マッチを擦った。小さな橙の炎が彼女の手元で揺れる。
「『オコウ』というものだそうです。火をつけるとよい香りがすると聞きまして」
言いながら、ミコトは立てたオコウに火を灯した。先端にごく僅かな灯火が浮かび、やがて細い煙が天井に昇っていく。煙からは芳しい香りが立ち、ミフナシロの奥地を優しく包んでいく。
「よい香りだね」
「お気に召していただきました?」
「ああ」
フトミミはぽんぽんと布団を叩いた。ミコトは意図を察し、フトミミの隣にちょこんと座る。フトミミは彼女の体温をうっすらと感じつつ、ゆっくりと立ち昇る煙をじっくり眺めた。煙は不規則な軌跡を描きながら柔らかな香りを振りまく。土と水、蝋燭の匂いのどれとも異なる心安らぐ香りだ。
「ミコト」
フトミミは隣に座る少女の肩を抱いた。恐縮していた彼女の全身から力がほどけ、彼女の体重が半身に優しく寄りかかってくる。
「ガラクタ集めさんによると、人間は匂いも楽しんでいたそうです。こうやってオコウの煙を見ていたんでしょうか」
「そうかもしれないね」
二人で見つめるオコウの煙はやがて天井にぶつかり、柔らかく跳ね返り部屋に満ちていく。薄く煙る視界は穏やかな香りで満ち、フトミミの真一文字に結んでいた唇が綻ぶ。フトミミ一人では香りを楽しむなどという発想には至らない、彼女がいてこそだ。
「……」
不意にミコトの体から力が抜け、半身にかかる彼女の重みが増した。
「ミコト?」
隣を見下ろしつつ声をかけると、彼女は飛び起きぶるぶると大袈裟に首を横に振った。
「はっ!?ふ、フトミミさま!?」
「ミコト、眠いのではないかな?」
「ち、違います!眠くなんかありません!」
ミコトは目を大きく見開き、不自然な大声を上げた。ふふ、とフトミミの唇から笑みが零れた。
「構わないよ、眠いのなら眠るといい」
「いえ、そんな!フトミミさまが起きてらっしゃるのに寝るなんて!」
必死な彼女だが、重い瞼を無理矢理開いているのが手に取るようにわかった。フトミミはミコトを抱きしめると、布団に寝転んだ。彼女はフトミミから離れようとするが、優しく抱き止める。向かい合った彼女は頬を赤く染めていた。
「眠くなってきたんだ。付き合ってくれるかな、ミコト」
「は、はい!お付き合いさせていただきますっ!」
彼女の額に額を擦り付けて尋ねると、ミコトはぶんぶんと大仰に頷いてみせた。フトミミは苦笑いを零しながらも、胸に柔らかな煙が満ちていくのを感じた。添い寝をしてくれと言っても彼女は付き合ってくれなかっただろうから、これでいいのだ。
「……」
ミコトは全身を強張らせ、おずおずとフトミミを凝視していた。フトミミと目が合うとついと逸らしてしまう彼女の仕草を眺めながら、フトミミは彼女の背中に手を回した。ごわごわとした衣服越しに彼女の背中を撫でてやると、ミコトは飛び上がりそうなほど驚いた様子だった。フトミミはミコトの頬に口付け、彼女の眼前で微笑んだ。
「どうしてそんなに緊張しているのかな。私がそばにいると落ち着かない?」
「あっ、いえ、そんな!」
ミコトは手を振って否定し、俯きつつ答えた。
「フトミミさまは偉大なお方ですから……私なぞがそばにいられること、畏れ多いのです」
「ふふ、そうか」
フトミミはミコトの頭をぽふ、と胸に埋めさせ、華奢な体を優しく抱きしめた。上目遣いでフトミミを見つめるミコトは子猫のようだった。
「君は私を買いかぶりすぎだ。私は少しばかり未来を見る力を持っているマネカタに過ぎないのだよ。ほら、力を抜いて……君も心安らげる空間であってほしい」
「フトミミさま……」
ミコトはフトミミの胸板に小さな手を添え、柔らかな笑顔を咲かせた。控えめながらも庇護欲をかき立てる笑顔に、フトミミの唇は柔らかな上向きの弧を描いた。フトミミが彼女の背中を撫でていると少しずつ彼女の強張りがほどけていき、やがてささやかな寝息が聞こえてきた。彼女の背中が呼吸に合わせて静かに動き、フトミミは安心した。
「ゆっくりおやすみ、ミコト」
オコウの最後の煙が立ち昇るミフナシロにフトミミの静かな声が響いた。
眠りと覚醒の狭間を曖昧に漂っていたミコトは、ゆっくりと目を開いた。視界に飛び込んできたのはマネカタが身に纏う灰色の衣服。鼻を甘やかにくすぐるのは植物の穏やかな香り。そして全身あたたかく、心地よい……また目を閉じると意識を手放してしまいそうなまどろみの中、ミコトは何度も瞬きをした。瞼にかかっていた重力が柔らかに散っていき、少しずつ脳が現実を認識していく。
「!?」
ミコトは把握した。今自分は、フトミミに抱きしめられ布団に寝転がっている。彼と寝屋をともにするなど初めてで、ましてや彼の腕の中に収まっているなど。しばし混乱していたミコトだったが、経緯を正確に思い出し赤面した。彼の大いなる懐の深さに抱かれたこと、面映くこそばゆい。
そっと身じろぎしたがフトミミの抱きしめる力は強く、抜け出そうとすれば彼を起こしてしまう。ミコトは起き上がることを早々に諦め、息をついた。ならば彼の腕の中に閉じ込められたまま、フトミミをじっくり見つめ……いや、見守ろうではないか。それが世話役のつとめというものだ。
ミコトが顔を上げれば、そこにはフトミミの美貌がある。無防備な彼の寝顔やミコトを抱く大きな掌、目を閉じていてもわかる美丈夫ぶりにミコトは息が止まりそうになった。こんな間近で美しいマネカタを見続けるとそのうち心の臓が止まるかもしれない。
「フトミミさま……」
ミコトはそっと手を伸ばし、フトミミの頬に触れた。余計な肉のない締まった頬はほんのりとあたたかく、とろける心地がした。すぐ近くに薄く開いた彼の唇がある。ああ……敬愛する予言者がこんな近くにいて、何もせずにいられるものか。ミコトは彼の唇を奪った。彼が眠っている今のうちに、一瞬だけ。
「フトミミさま、お慕いしております」
マネカタの未来を一身に背負う彼に、ほんの少しでも休息を。そして願わくば、もう少し彼の腕の中にいられたら。ミコトは背中を丸め、フトミミの胸に縋り付いた。彼の平穏な安らぎに自らも含まれている至福を、ミコトはじっくりと噛み締めていた。