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スイートクッキーホワイトデー
「はぁ……」
涙を呑んだバレンタインから時間が過ぎ、あたたかな陽気も見えてきた三月初旬。間薙シンは露骨にため息をつき、朝の道を歩いていた。
「よっ、シン!」
後ろからぽんと肩を叩かれ気安く肩に腕を回される。確認するまでもない、勇だ。シンは軽薄な笑みを浮かべる彼にげんなりしながらも目を合わせた。
「どうしたどうした?朝っぱらから元気がねーな!不景気なツラしてよ」
「……お前はわかってるだろうが……」
じろりと勇を睨んだが彼はんん?とわざとらしく聞き返し、いやらしい笑みを浮かべていた。ああもうこれは、完全に「理解している」顔だ。腹立たしい。シンは心の中で舌打ちした。
「ちょっと思いどおりにいかなかったくらいで落ち込み過ぎだっての!そんなオマエに楽しい話をしてやる、放課後空けとけよ!」
勇はシンに絡みつくだけ絡みついた後、さっと離れ手を振り校門へ走っていった。……楽しい話?勇が持ってくる楽しい話など大して期待できないが、気休めくらいにはなるだろうか。どうせ放課後は暇なのだ、一人で落ち込むくらいなら彼の話に付き合ってやろうか。シンは小さく息をつき、校内へ入っていく。授業開始五分前の予鈴が鳴った。シンは小走りで教室へ急いだ。
「それで?楽しい話ってなんだ」
放課後のファストフード店は程よく混み合い、心地いいざわめきで満たされている。シンは刺激的な炭酸飲料を飲みながら対面に座る勇を睨んだ。
「あー、そうだそうだ。シン、もうすぐホワイトデーだな。お返しをどうするかとか、考えてるか?」
「お返し……」
勇の言葉にバレンタインの悲しみがぶり返し、少しばかり目頭が熱くなった。大変不本意な結果に終わったバレンタインではあったが、チョコレートをもらった以上お返しは必要だろう。熱い思いを込めたい、くらいしか考えていなかった。
「一緒にクッキーでも作らねぇか?手作りクッキーをお返しでもらうなんて、女子にはたまらないはずだぜ〜!」
勇はウインクしながら明るい口調で提案した。手作りクッキー、勇にしては悪くない提案だ。ただ問題は、
「オレ、お菓子とか作ったことないぞ。勇は作ったことあるのか?」
「ない!」
「……」
シンに菓子作りの心得が皆無であるということ。この調子だと勇も当てにはならない。船頭が多ければ船は山に登ってしまうらしいが、船頭がいなければ海に沈む気がする。シンは気怠げに頬杖をつき、大きなため息をついた。
「まぁでもよー、最近は動画サイトとかいう文明の利器もあることだし?菓子作りのキットも売ってるっていうし?なんとかなるだろ、多分!それによ」
勇はシンの鼻先に人差し指を突きつけた。彼の挑発するような灰色の瞳と目が合う。
「告白するならアツい何かが欲しいだろ?」
ん?と勇が首を傾げた。シンは再度ため息をついた。
「ああ、そうだな。……そのとおりだ」
結局シンは勇と様々な店を渡り歩き、男二人でクッキーを作る準備を整えた。舞台はシンの家、キッチン。慣れないエプロンをつけた男子高校生が二人、これから初めてクッキーに挑む。シンはごそごそと必要なものを取り出した。ボウルに常温に戻したバター、砂糖を入れる。見慣れない量の砂糖に戦慄しながらも無心に混ぜていく。
「ところでシン、ミコトにはどうやって告白するつもりなんだよ?」
「……普通に、クッキーを渡すときに言おうと思ってた」
ぼそりと呟くと、勇はちっちっちっ、と人差し指を左右に振った。
「オマエ、ほんとムードってもんがねぇのな!もう少し雰囲気ってのがあるだろ!」
「じゃあお前ならどうするんだ」
「んー、そうだなー」
勇は混ざった生地に薄力粉を振るいにかけつつ、斜め上に視線を泳がせた。
「カラオケとかカフェとか、そういう落ち着いたとこで二人になってから言うもんだろ!」
「……そうなのか?」
シンはじっとりと勇を睨んだ。いかにも知恵があると言わんばかりの勇だが、彼も恋愛経験はシンとどっこいどっこいのはずだ。そんな彼にシンなりに考えたプランを真っ向から否定されると頭にもくる。しかし勇の言うことも一理ある……気もする。あまりにも普段と同じ状況で告白しても、さらりとかわされてしまうかもしれない。
「まあ、意見は参考にさせてもらう。そういえば勇」
「ん、なんだ?」
「お前はどうして手作りクッキーを作ろうと思ったんだ。千晶やミコトに告白するつもりじゃないんだろ」
出来上がった生地をラップに包み、冷蔵庫に寝かす間に気になっていたことを尋ねてみる。万が一ミコトに告白するなどと言われた日には、今日この日から勇は敵だ。そうならないように祈りつつもシンは尋ねた。
「まぁな。あの二人はただの腐れ縁だ、告白なんかするつもりないから安心しろ」
「じゃあなんでだ」
「そりゃあオマエ」
勇はぐっと拳を握り、いやらしい笑みを浮かべた。
「これからは男子でも料理の一つもできた方がいいからな!アイツらに手作りクッキー渡したら、アイツら経由して『キャー!勇くんってお菓子作れちゃうの!』って見直す女子が出てくるかもしんねぇだろ」
「……いや……正直その可能性は万に一つもないと思う」
「だー!いいだろ夢くらい見ても!それにこれからオレに本命ができたときの練習にもなるしな!」
豪快に親指を立てる勇はいかにも悩みなどなさそうな笑顔を浮かべていた。ふぅと呆れた息を吐きつつ、シンは羨ましかった。もう少し物事を軽く考えてもいいかもしれない。
二人は冷蔵庫で休ませた生地を取り出し、麺棒で伸ばすと型を取り出した。シンは無難な丸い型、勇は星やハートなど可愛らしい型を複数使っていた。
「シン、オマエって本当に色気がねぇな!せめて形だけでも可愛くしようとかないのかよ」
「頭になかった。勇、ハートのやつよかったら貸してくれ」
「ほい」
あらかた型を取り終えたが隅の方でハートの生地をくり抜いた。丸いクッキーばかりの中、一枚だけハートが混じっている。なかなかいい趣ではないかとシンは自画自賛した。
クッキーをオーブンに入れしばらく経つと、鼻をくすぐる甘い香りが漂ってきた。二人がオーブンの中を覗き込むと、狐色に焼けつつあるクッキーが見えた。今すぐにでも取り出して齧り付きたい気持ちを我慢し、規定時間焼き上げオーブンを開けると、芳しいまでの甘い香りが顔にぶつかった。男子二人が作り上げたクッキーはふっくらとしいかにも美味しそうだった。初めてにしては上出来だ。シンは安堵の息をついた。
さて、これでお膳立ては整った。あとはどうやって彼女に思いを伝えるべきか。シンは丁寧にラッピングをしながら、ぼんやりと甘い空想に耽っていた。
ホワイトデー当日、シンは学生カバンにクッキーを忍ばせ緊張した面持ちで登校した。登校途中に勇と出会い、
「頑張れよ!」
と激励を受け今日が特別な日であることを改めて実感した。勝負は放課後。もう気持ちははるか彼方へ飛び去っている。シンは少しばかり落ち着かない心地で今日の授業を過ごした。
「ふー……」
そうして放課後が訪れ、チャイムが鳴ると同時にシンは深い息を吐いた。ミコトの元へ行かなくては。シンは立ち上がり、隣の教室に急いだ。
隣の教室もちょうどホームルームが終わったところで、立ち上がる生徒がちらほらと見受けられる。ミコトは学生カバンに荷物を詰め込んでいるところだった。シンはつかつかとミコトの前まで歩き、
「ミコト」
声をかけた。ミコトは明るい笑みを浮かべ、顔を上げてくれた。
「あ、シン!どうしたの?」
彼女は今日がホワイトデーという意識はないらしく、普段と同じ態度だった。それくらいでいてくれた方がシンとしては気が楽か。ふぅと小さく息をつき、シンは切り出した。
「ちょっと話があって。今から時間あるか?」
「うん、いいよ!」
断られなかったことに心底ホッとした。さてどこに繰り出そうか考えていたところ、ミコトがシンの服の袖をきゅっと掴んだ。
「あ、もしよければ中庭に行かない?今日はあったかいから気持ちいいよ!」
「ああ、そうするか」
二人は中庭に向かった。綺麗に整備された花壇と植え込み、木々が植えられた開けた場所にいくつかベンチがある。木陰のベンチに二人で腰掛けると、春の放課後の気怠げな日差しが葉を透かし心地よかった。ミコトは両足をぶらぶらさせながら、
「それで、話って何?」
無邪気に尋ねてきた。シンは学生カバンの中から小さな箱を取り出した。水色の包装紙に包まれ、青いリボンを巻いた箱をミコトに差し出す。
「今日、ホワイトデーだろ。バレンタインにチョコもらったから、そのお返し」
「えっ、あ、今日十四日だっけ。わー、ありがとう!」
ミコトはきゃっきゃと嬉しそうに笑いながら受け取ってくれた。彼女の掌にちょこんと乗った水色の箱は可愛らしかった。彼女に似合うものを渡せたかな、とシンは少しばかり誇らしくなった。
「ねえシン、ちょっとお腹空いちゃったから今食べてもいい?」
「あ、ああ……いいけど」
「ありがと!」
リボンをほどき箱を開ければ、そこには手作りのクッキーがあった。焼いているときの甘い香りを思い出した。一枚味見してみたが決して悪くない出来だった、彼女も喜んでくれると思うが……ミコトが丸いクッキーを取り、さっくりと噛み砕く。
「わあ、甘さ控えめで美味しいね!ありがとう、シン」
「それ、手作りなんだ。……喜んでもらえてよかった」
「えー、シンってお菓子作れるの!?すごいね!わざわざありがとね」
……全くもって不本意だが、勇の言うとおり「お菓子を作る男子」という属性が印象アップに役立ったかもしれない。これからシンの趣味に「お菓子作り」が追加されるかもしれない瞬間だった。
「ミコト」
小さく咳払いをし、シンは改めて彼女を見つめた。クッキーを頬張る彼女は可愛らしく純真だった。この距離感で見つめられる関係が壊れてしまうかもしれない。しかしそれでも、男子たるものやらねばならぬときがある。シンは口を開いた。
「お前が好きだ」
放課後の学校、程よいざわめきが満ちる中、二人きりのベンチにシンの声が響いた。ミコトの動きがぴたりと止まり、風が吹いた。ベンチに木陰を作る葉が揺れ、ざわざわと音を立てる。
「……へっ?」
春の風が止んだとき、響いたのは素っ頓狂な声だった。ミコトはいまだ動けず、呆然とシンを凝視している。少し珍しい表情にシンは呆れたように笑った。
「お前のそんな顔、初めて見るな」
「え、そ、そうかな」
ミコトは我に返ったのか、ふと俯きシンの視線から逃げた。覗き込むのはさすがにやめておいてやるが、シンは目を逸らさない。彼女が所在なさげにクッキーの箱を指先で叩く様をじっと見つめる。
「……話って、もしかして」
ぽつりと呟いたミコトに、シンは頷く。顔を上げたミコトはシンから目を逸らしつつ、クッキーを口に含んだ。サクサクと心地いい音が春の沈黙を破る。シンは追い詰められた小動物のような顔をしているミコトを見て微笑みながら、ベンチにもたれかかった。今日は本当に過ごしやすい、うららかな日だ。遠くで部活に励んでいる生徒たちの掛け声が聞こえる。シンはミコトを横目で見つめ尋ねた。
「どんな話だと思ってたんだ」
「どっか遊びに行く話かと思ってた。ほら、春休み近いし!」
「ああ、まあその話をしてもいいんだけど」
視界の隅に彼女を入れているだけでは物足りない。シンは少しばかり勇気を出し、ミコトの顔を覗き込んだ。目が合った彼女が一瞬目を見開く。
「その前に、お前の返事を聞いておかないとな」
「へ、返事って」
「告白には返事が必要だろ」
うぐ、とミコトの呻き声がした。クッキーが喉に詰まったような少し苦しそうな声だった。しかしそれでもシンは引けない。
「今すぐにとは言わない。でも、オレの彼女になってくれるかどうかは重要だ。だから返事が欲しい」
「かっ、かの……私が、シンの?」
「ああ。お前がよければ」
慌てふためく彼女の様子を眺めつつも、シンの心臓はどくんどくんとうるさく音を響かせていた。ただの友達か、恋人同士か。関係の名前が変わるだけではあるが、そこには大きな違いがあった。今日、シンは勇気を出した。ならばミコトには応える義務がある。結論が出るまで待つよりないかとシンが考えていたとき、
「……よ」
ミコトの声がシンの耳を揺らした。隣り合ってベンチに座っていなければ周囲の喧騒に紛れてしまう、そんな声だった。ろくに聞き取れず、
「ん?なんだ?」
シンがミコトに向き直ると、勢いよく顔を上げた彼女は言った。
「いいよ!私、シンの彼女になる!」
今度はびりびりと鼓膜の振動を感じるほどの大きな声だった。シンが呆けていると、彼女は身を乗り出し距離を詰めてきた。
「だってシンと一緒にいたら楽しいし!多分彼氏彼女になっても楽しく過ごせると思うの!」
叫ぶ彼女の頬はほんのりと赤く、こんな顔も初めてだなとシンは面食らった。数秒経って冷静に眺めると、ふっくらした頬が林檎のように色づき可愛らしい。ああ、ここが学校じゃなければ頬に触れたり抱きしめたりともっと密着できるのに。
「そうか、ありがとう」
唐突に湧き上がる欲望を噛み締めるように呟き、シンは笑った。ミコトはクッキーの箱に手を突っ込んだ。最後の一枚を取り出し、ミコトはあ、と声を上げる。
「最後のクッキー、ハートだ。可愛い」
「ああ、勇から型を借りたんだ。一枚くらい可愛いのがあってもいいなと思って」
ミコトはパキッと手でクッキーを割り、割れたハートの下半分をシンに差し出した。
「はい、これ。せっかく可愛いやつなんだし、一緒に食べよ」
「ありがとう」
クッキーの片割れを口に放り込むと、さっくりと心地よく砕け優しい甘みが広がっていく。味見したから味は知っているはずなのに、より美味しく感じた。
春風を感じながら二人でしばらく雑談をしていたが、降り注ぐ日差しに夕暮れの哀愁が漂い始めた頃、二人は立ち上がった。そろそろ帰る時間だ。暗くなる前に家路に着かなくては。
シンはそっと、ミコトの手の甲に自らの手の甲が触れるように手を揺らした。手が触れたのは気のせいだ、とか言い訳ができてしまいそうなさりげない触れ方。
「ミコト。……手、繋ぎたい」
ぼそりと彼女にしか聞こえない声量で呟くと、ミコトはにっこりと笑い指を絡めてきた。掌同士が向かい合い指を絡め合う、夢にまで見た繋ぎ方だった。
ミコトとの関係が変わった翌日。シンはいつもどおり朝を迎え、校門に辿り着いた。透き通るような春の青空は美しく、鼻に抜けていく朝の空気が心地よかった。
「よ、シン!」
ぽんと背中を叩かれ振り返ると、そこには新田勇。相変わらず彼は軽薄な笑みを浮かべている。
「見てたぜシン!皆まで言うな!オレはちゃんとわかってるからな!」
勇は馴れ馴れしく話しかけつつ、シンの肩に腕を回した。「見ていた」、「わかっている」……さすがのシンも何を?と尋ねる気にはなれなかった。代わりに顔が発火する。すっかり忘れていた、彼女と手を繋いだのは校内だった。
「まーでも、色々話を聞きたいっつーか?今日でも明日でもいつでもいいけど、話聞かせろよ!」
「……予定を入れまくってやる」
機嫌のいい勇を適当にあしらいながら、シンは制服のポケットに手を突っ込んだ。スマートフォンを握りしめ、誓った。放課後……いや昼休みに、彼女にメッセージを送ろう。
「はぁ……」
涙を呑んだバレンタインから時間が過ぎ、あたたかな陽気も見えてきた三月初旬。間薙シンは露骨にため息をつき、朝の道を歩いていた。
「よっ、シン!」
後ろからぽんと肩を叩かれ気安く肩に腕を回される。確認するまでもない、勇だ。シンは軽薄な笑みを浮かべる彼にげんなりしながらも目を合わせた。
「どうしたどうした?朝っぱらから元気がねーな!不景気なツラしてよ」
「……お前はわかってるだろうが……」
じろりと勇を睨んだが彼はんん?とわざとらしく聞き返し、いやらしい笑みを浮かべていた。ああもうこれは、完全に「理解している」顔だ。腹立たしい。シンは心の中で舌打ちした。
「ちょっと思いどおりにいかなかったくらいで落ち込み過ぎだっての!そんなオマエに楽しい話をしてやる、放課後空けとけよ!」
勇はシンに絡みつくだけ絡みついた後、さっと離れ手を振り校門へ走っていった。……楽しい話?勇が持ってくる楽しい話など大して期待できないが、気休めくらいにはなるだろうか。どうせ放課後は暇なのだ、一人で落ち込むくらいなら彼の話に付き合ってやろうか。シンは小さく息をつき、校内へ入っていく。授業開始五分前の予鈴が鳴った。シンは小走りで教室へ急いだ。
「それで?楽しい話ってなんだ」
放課後のファストフード店は程よく混み合い、心地いいざわめきで満たされている。シンは刺激的な炭酸飲料を飲みながら対面に座る勇を睨んだ。
「あー、そうだそうだ。シン、もうすぐホワイトデーだな。お返しをどうするかとか、考えてるか?」
「お返し……」
勇の言葉にバレンタインの悲しみがぶり返し、少しばかり目頭が熱くなった。大変不本意な結果に終わったバレンタインではあったが、チョコレートをもらった以上お返しは必要だろう。熱い思いを込めたい、くらいしか考えていなかった。
「一緒にクッキーでも作らねぇか?手作りクッキーをお返しでもらうなんて、女子にはたまらないはずだぜ〜!」
勇はウインクしながら明るい口調で提案した。手作りクッキー、勇にしては悪くない提案だ。ただ問題は、
「オレ、お菓子とか作ったことないぞ。勇は作ったことあるのか?」
「ない!」
「……」
シンに菓子作りの心得が皆無であるということ。この調子だと勇も当てにはならない。船頭が多ければ船は山に登ってしまうらしいが、船頭がいなければ海に沈む気がする。シンは気怠げに頬杖をつき、大きなため息をついた。
「まぁでもよー、最近は動画サイトとかいう文明の利器もあることだし?菓子作りのキットも売ってるっていうし?なんとかなるだろ、多分!それによ」
勇はシンの鼻先に人差し指を突きつけた。彼の挑発するような灰色の瞳と目が合う。
「告白するならアツい何かが欲しいだろ?」
ん?と勇が首を傾げた。シンは再度ため息をついた。
「ああ、そうだな。……そのとおりだ」
結局シンは勇と様々な店を渡り歩き、男二人でクッキーを作る準備を整えた。舞台はシンの家、キッチン。慣れないエプロンをつけた男子高校生が二人、これから初めてクッキーに挑む。シンはごそごそと必要なものを取り出した。ボウルに常温に戻したバター、砂糖を入れる。見慣れない量の砂糖に戦慄しながらも無心に混ぜていく。
「ところでシン、ミコトにはどうやって告白するつもりなんだよ?」
「……普通に、クッキーを渡すときに言おうと思ってた」
ぼそりと呟くと、勇はちっちっちっ、と人差し指を左右に振った。
「オマエ、ほんとムードってもんがねぇのな!もう少し雰囲気ってのがあるだろ!」
「じゃあお前ならどうするんだ」
「んー、そうだなー」
勇は混ざった生地に薄力粉を振るいにかけつつ、斜め上に視線を泳がせた。
「カラオケとかカフェとか、そういう落ち着いたとこで二人になってから言うもんだろ!」
「……そうなのか?」
シンはじっとりと勇を睨んだ。いかにも知恵があると言わんばかりの勇だが、彼も恋愛経験はシンとどっこいどっこいのはずだ。そんな彼にシンなりに考えたプランを真っ向から否定されると頭にもくる。しかし勇の言うことも一理ある……気もする。あまりにも普段と同じ状況で告白しても、さらりとかわされてしまうかもしれない。
「まあ、意見は参考にさせてもらう。そういえば勇」
「ん、なんだ?」
「お前はどうして手作りクッキーを作ろうと思ったんだ。千晶やミコトに告白するつもりじゃないんだろ」
出来上がった生地をラップに包み、冷蔵庫に寝かす間に気になっていたことを尋ねてみる。万が一ミコトに告白するなどと言われた日には、今日この日から勇は敵だ。そうならないように祈りつつもシンは尋ねた。
「まぁな。あの二人はただの腐れ縁だ、告白なんかするつもりないから安心しろ」
「じゃあなんでだ」
「そりゃあオマエ」
勇はぐっと拳を握り、いやらしい笑みを浮かべた。
「これからは男子でも料理の一つもできた方がいいからな!アイツらに手作りクッキー渡したら、アイツら経由して『キャー!勇くんってお菓子作れちゃうの!』って見直す女子が出てくるかもしんねぇだろ」
「……いや……正直その可能性は万に一つもないと思う」
「だー!いいだろ夢くらい見ても!それにこれからオレに本命ができたときの練習にもなるしな!」
豪快に親指を立てる勇はいかにも悩みなどなさそうな笑顔を浮かべていた。ふぅと呆れた息を吐きつつ、シンは羨ましかった。もう少し物事を軽く考えてもいいかもしれない。
二人は冷蔵庫で休ませた生地を取り出し、麺棒で伸ばすと型を取り出した。シンは無難な丸い型、勇は星やハートなど可愛らしい型を複数使っていた。
「シン、オマエって本当に色気がねぇな!せめて形だけでも可愛くしようとかないのかよ」
「頭になかった。勇、ハートのやつよかったら貸してくれ」
「ほい」
あらかた型を取り終えたが隅の方でハートの生地をくり抜いた。丸いクッキーばかりの中、一枚だけハートが混じっている。なかなかいい趣ではないかとシンは自画自賛した。
クッキーをオーブンに入れしばらく経つと、鼻をくすぐる甘い香りが漂ってきた。二人がオーブンの中を覗き込むと、狐色に焼けつつあるクッキーが見えた。今すぐにでも取り出して齧り付きたい気持ちを我慢し、規定時間焼き上げオーブンを開けると、芳しいまでの甘い香りが顔にぶつかった。男子二人が作り上げたクッキーはふっくらとしいかにも美味しそうだった。初めてにしては上出来だ。シンは安堵の息をついた。
さて、これでお膳立ては整った。あとはどうやって彼女に思いを伝えるべきか。シンは丁寧にラッピングをしながら、ぼんやりと甘い空想に耽っていた。
ホワイトデー当日、シンは学生カバンにクッキーを忍ばせ緊張した面持ちで登校した。登校途中に勇と出会い、
「頑張れよ!」
と激励を受け今日が特別な日であることを改めて実感した。勝負は放課後。もう気持ちははるか彼方へ飛び去っている。シンは少しばかり落ち着かない心地で今日の授業を過ごした。
「ふー……」
そうして放課後が訪れ、チャイムが鳴ると同時にシンは深い息を吐いた。ミコトの元へ行かなくては。シンは立ち上がり、隣の教室に急いだ。
隣の教室もちょうどホームルームが終わったところで、立ち上がる生徒がちらほらと見受けられる。ミコトは学生カバンに荷物を詰め込んでいるところだった。シンはつかつかとミコトの前まで歩き、
「ミコト」
声をかけた。ミコトは明るい笑みを浮かべ、顔を上げてくれた。
「あ、シン!どうしたの?」
彼女は今日がホワイトデーという意識はないらしく、普段と同じ態度だった。それくらいでいてくれた方がシンとしては気が楽か。ふぅと小さく息をつき、シンは切り出した。
「ちょっと話があって。今から時間あるか?」
「うん、いいよ!」
断られなかったことに心底ホッとした。さてどこに繰り出そうか考えていたところ、ミコトがシンの服の袖をきゅっと掴んだ。
「あ、もしよければ中庭に行かない?今日はあったかいから気持ちいいよ!」
「ああ、そうするか」
二人は中庭に向かった。綺麗に整備された花壇と植え込み、木々が植えられた開けた場所にいくつかベンチがある。木陰のベンチに二人で腰掛けると、春の放課後の気怠げな日差しが葉を透かし心地よかった。ミコトは両足をぶらぶらさせながら、
「それで、話って何?」
無邪気に尋ねてきた。シンは学生カバンの中から小さな箱を取り出した。水色の包装紙に包まれ、青いリボンを巻いた箱をミコトに差し出す。
「今日、ホワイトデーだろ。バレンタインにチョコもらったから、そのお返し」
「えっ、あ、今日十四日だっけ。わー、ありがとう!」
ミコトはきゃっきゃと嬉しそうに笑いながら受け取ってくれた。彼女の掌にちょこんと乗った水色の箱は可愛らしかった。彼女に似合うものを渡せたかな、とシンは少しばかり誇らしくなった。
「ねえシン、ちょっとお腹空いちゃったから今食べてもいい?」
「あ、ああ……いいけど」
「ありがと!」
リボンをほどき箱を開ければ、そこには手作りのクッキーがあった。焼いているときの甘い香りを思い出した。一枚味見してみたが決して悪くない出来だった、彼女も喜んでくれると思うが……ミコトが丸いクッキーを取り、さっくりと噛み砕く。
「わあ、甘さ控えめで美味しいね!ありがとう、シン」
「それ、手作りなんだ。……喜んでもらえてよかった」
「えー、シンってお菓子作れるの!?すごいね!わざわざありがとね」
……全くもって不本意だが、勇の言うとおり「お菓子を作る男子」という属性が印象アップに役立ったかもしれない。これからシンの趣味に「お菓子作り」が追加されるかもしれない瞬間だった。
「ミコト」
小さく咳払いをし、シンは改めて彼女を見つめた。クッキーを頬張る彼女は可愛らしく純真だった。この距離感で見つめられる関係が壊れてしまうかもしれない。しかしそれでも、男子たるものやらねばならぬときがある。シンは口を開いた。
「お前が好きだ」
放課後の学校、程よいざわめきが満ちる中、二人きりのベンチにシンの声が響いた。ミコトの動きがぴたりと止まり、風が吹いた。ベンチに木陰を作る葉が揺れ、ざわざわと音を立てる。
「……へっ?」
春の風が止んだとき、響いたのは素っ頓狂な声だった。ミコトはいまだ動けず、呆然とシンを凝視している。少し珍しい表情にシンは呆れたように笑った。
「お前のそんな顔、初めて見るな」
「え、そ、そうかな」
ミコトは我に返ったのか、ふと俯きシンの視線から逃げた。覗き込むのはさすがにやめておいてやるが、シンは目を逸らさない。彼女が所在なさげにクッキーの箱を指先で叩く様をじっと見つめる。
「……話って、もしかして」
ぽつりと呟いたミコトに、シンは頷く。顔を上げたミコトはシンから目を逸らしつつ、クッキーを口に含んだ。サクサクと心地いい音が春の沈黙を破る。シンは追い詰められた小動物のような顔をしているミコトを見て微笑みながら、ベンチにもたれかかった。今日は本当に過ごしやすい、うららかな日だ。遠くで部活に励んでいる生徒たちの掛け声が聞こえる。シンはミコトを横目で見つめ尋ねた。
「どんな話だと思ってたんだ」
「どっか遊びに行く話かと思ってた。ほら、春休み近いし!」
「ああ、まあその話をしてもいいんだけど」
視界の隅に彼女を入れているだけでは物足りない。シンは少しばかり勇気を出し、ミコトの顔を覗き込んだ。目が合った彼女が一瞬目を見開く。
「その前に、お前の返事を聞いておかないとな」
「へ、返事って」
「告白には返事が必要だろ」
うぐ、とミコトの呻き声がした。クッキーが喉に詰まったような少し苦しそうな声だった。しかしそれでもシンは引けない。
「今すぐにとは言わない。でも、オレの彼女になってくれるかどうかは重要だ。だから返事が欲しい」
「かっ、かの……私が、シンの?」
「ああ。お前がよければ」
慌てふためく彼女の様子を眺めつつも、シンの心臓はどくんどくんとうるさく音を響かせていた。ただの友達か、恋人同士か。関係の名前が変わるだけではあるが、そこには大きな違いがあった。今日、シンは勇気を出した。ならばミコトには応える義務がある。結論が出るまで待つよりないかとシンが考えていたとき、
「……よ」
ミコトの声がシンの耳を揺らした。隣り合ってベンチに座っていなければ周囲の喧騒に紛れてしまう、そんな声だった。ろくに聞き取れず、
「ん?なんだ?」
シンがミコトに向き直ると、勢いよく顔を上げた彼女は言った。
「いいよ!私、シンの彼女になる!」
今度はびりびりと鼓膜の振動を感じるほどの大きな声だった。シンが呆けていると、彼女は身を乗り出し距離を詰めてきた。
「だってシンと一緒にいたら楽しいし!多分彼氏彼女になっても楽しく過ごせると思うの!」
叫ぶ彼女の頬はほんのりと赤く、こんな顔も初めてだなとシンは面食らった。数秒経って冷静に眺めると、ふっくらした頬が林檎のように色づき可愛らしい。ああ、ここが学校じゃなければ頬に触れたり抱きしめたりともっと密着できるのに。
「そうか、ありがとう」
唐突に湧き上がる欲望を噛み締めるように呟き、シンは笑った。ミコトはクッキーの箱に手を突っ込んだ。最後の一枚を取り出し、ミコトはあ、と声を上げる。
「最後のクッキー、ハートだ。可愛い」
「ああ、勇から型を借りたんだ。一枚くらい可愛いのがあってもいいなと思って」
ミコトはパキッと手でクッキーを割り、割れたハートの下半分をシンに差し出した。
「はい、これ。せっかく可愛いやつなんだし、一緒に食べよ」
「ありがとう」
クッキーの片割れを口に放り込むと、さっくりと心地よく砕け優しい甘みが広がっていく。味見したから味は知っているはずなのに、より美味しく感じた。
春風を感じながら二人でしばらく雑談をしていたが、降り注ぐ日差しに夕暮れの哀愁が漂い始めた頃、二人は立ち上がった。そろそろ帰る時間だ。暗くなる前に家路に着かなくては。
シンはそっと、ミコトの手の甲に自らの手の甲が触れるように手を揺らした。手が触れたのは気のせいだ、とか言い訳ができてしまいそうなさりげない触れ方。
「ミコト。……手、繋ぎたい」
ぼそりと彼女にしか聞こえない声量で呟くと、ミコトはにっこりと笑い指を絡めてきた。掌同士が向かい合い指を絡め合う、夢にまで見た繋ぎ方だった。
ミコトとの関係が変わった翌日。シンはいつもどおり朝を迎え、校門に辿り着いた。透き通るような春の青空は美しく、鼻に抜けていく朝の空気が心地よかった。
「よ、シン!」
ぽんと背中を叩かれ振り返ると、そこには新田勇。相変わらず彼は軽薄な笑みを浮かべている。
「見てたぜシン!皆まで言うな!オレはちゃんとわかってるからな!」
勇は馴れ馴れしく話しかけつつ、シンの肩に腕を回した。「見ていた」、「わかっている」……さすがのシンも何を?と尋ねる気にはなれなかった。代わりに顔が発火する。すっかり忘れていた、彼女と手を繋いだのは校内だった。
「まーでも、色々話を聞きたいっつーか?今日でも明日でもいつでもいいけど、話聞かせろよ!」
「……予定を入れまくってやる」
機嫌のいい勇を適当にあしらいながら、シンは制服のポケットに手を突っ込んだ。スマートフォンを握りしめ、誓った。放課後……いや昼休みに、彼女にメッセージを送ろう。
