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シンデレラと不器用なバーテンダー
ギンザの一角にあるバーに新たな客が頻度高く来店するようになった。その名は間薙シン。最近悪魔たちの間でひっそり「人修羅」と呼ばれ、名前が広まり始めている彼だ。
「……」
そんな人修羅はバーのカウンターに座り、シンデレラをちびちびと飲んでいた。彼は酒が飲めず、ひたすらノンアルコールのカクテルを嗜んでいる。
「間薙くん、本当にシンデレラが好きだね!そんなに気に入ったの?」
彼が所望したカクテルを作ったのは月森ミコト。彼女は親しみやすい笑顔でいつもシンを出迎えてくれる。シンは彼女を見つめ、こくりと頷いた。
「それよりもお前が心配だ、月森」
「え?私が心配?どうして?」
ミコトが首を傾げると、シンはカクテルグラスを揺らしながら答えた。
「こんな悪魔ばかりの店に人間はお前一人なんて、何されるかわかったものじゃない。だから見に来てるんだ」
シンはミコトの隣にいるニュクスを睨んだ。ニュクスは腰に手を当て、余裕のある態度で口を開く。
「あら、随分な言いようね。私を含め、誰もミコトに悪いようにはしていないわよ。働くことを強制もしていないしね」
「……どうだか」
ニュクスとシンの視線が交錯し、静かに火花が散った。バーに漂う剣呑な気配にさすがのミコトも慌てた様子だった。
「間薙くん、私を心配してくれるのは嬉しいけど、私は大丈夫だよ?」
「…………」
それでもシンの疑念は晴れない。マネカタや人間が搾取されていることは痛いほど知っている。ミコトだけが例外など、そうそう信じられるものではなかった。
「そこまで心配だって言うなら、オマエも一度バーで働いてみればいいじゃないか」
不穏な沈黙を破ったのはロキの声だった。まさに鶴の一声、数瞬前の静寂とは異なる意味の静寂が広がった。ニュクスが胸元で両手を合わせる乾いた音が響いた。
「あら、名案だわ。あなた、ミコトと一緒に働いてみなさいな。そうすれば、私たちがミコトに何も悪いことをしていないってわかるわね」
目を丸くしたシンの口から出た言葉は、
「……は?」
この一言のみだった。
「間薙くんって絶対バーテンダーの服が似合うと思ってたんだよねー!」
ギンザの洋服屋にミコトの明るい声が響き渡った。彼女はシンに似合う服を見繕い、あれやこれやと隣にいるシンに話しかけてくる。二人の少し離れた後方にはニュクスがおり、二人の様子をあたたかい眼差しで見守っていた。
「あ、ああ……そうか?」
「そうだよ!これとか!ほら!」
ミコトが示したのは白いワイシャツに黒いベスト、黒いスラックスのかっちりした服装だった。上半身裸に膝丈のパンツ姿のシンとは随分と趣の違う服装だ。シンはぽりぽりと頬をかいた。
「私とお揃いだよ!よくない?かっこいいよ!」
――お揃い。心ときめかざるを得ない響きにシンは硬直した。不本意なお揃いといえばそうかもしれないが、この機会を活用しない手はない。結局シンはミコトの笑顔に歯向かうことなく頷いた。
そうしてシンはミコトの選んでくれたバーテンダースタイルの衣服を着こなし、バーカウンターの内側にいる。ニュクスは三人もいると手狭だから、とロキとともにシンとミコトを見つめていた。彼女の手には酒のグラス、職務放棄もいいところだがちょうどいいのかもしれない。……視線を感じるのは落ち着かないが。
「間薙くん、その服似合ってるね!かっこいいよ!カクテル作るところとか見てみたいなー!」
「……ありがとう」
眩しい笑顔のミコトに純真な口調で言われれば、素直に謝意を述べるしかなかった。シンの顔にぽっと火が灯る。黒と緑のタトゥーが描かれた顔に赤い頬は目立つ。
「ミコト、新人の坊やにカクテルを作らせるのはやめなさい。まずはグラス磨きからよ。それと坊や」
つかつかとニュクスが近寄り、シンに身を乗り出した。何事かと警戒していたところ、顎を掴まれた。親指と中指で口の両端をぐにぃ、と無理矢理上げさせられる。
「表情が硬いわね。ミコトを見習いなさいな。バーにも愛想は必要よ、坊や?」
「……悪魔にだけは言われたくないな」
ニュクスの手を振りほどき、シンは独りごちた。ふふ、とニュクスは呆れたように笑い、ロキとともに酒を酌み交わし始めた。二人の悪魔にどこかいやらしい目線で観察され、シンは振り払うように目を逸らした。それでも悪魔の視線は絡みついてくるのだが。
「間薙くん間薙くん!」
ぽんぽんと肩を叩かれそちらを向くと、ミコトが両手の人差し指を自身の口の両端に当て、
「ほら!スマイル!ママの言うとおり表情が硬いよ!笑ってみよう!ほら!」
にっこりと笑っていた。シンの口角は普段下り気味、口元はなかなか綻ばない。ミコトがぐに、とシンの口の両端をつまんだ。
「ほら、こんな感じ!笑った間薙くんも素敵だよ!」
先ほどのニュクスと同様に無理矢理口角を上げられているがミコトの柔らかな指の感触に頬が緩み、シンはぎこちなく微笑んでいた。ミコトはそれを見てえへへ、と邪気なく笑う。
「うん!いいね!ね、ママ、こんな感じならいいですよね!」
「そうね。全く、坊やは手がかかるわね」
ミコトの手がぱっとシンの頬から離れた。シンはミコトに視線を固定したまま笑いかけた。彼女はにこ、と明るい笑顔を向けてくれた。
「やあ、世話になるぜ」
シンがミコトとともにバーカウンターに立ちグラスを磨いていたところ、バーの扉が開いた。そちらに目を遣ると、じゅえりーRAGの店主がいた。彼はにやにやと薄気味悪い笑みを浮かべながらカウンターに腰掛けた。彼はシンを見ると、不思議そうに小首を傾げた。
「なんだ、人修羅じゃないか。……バーの使い走りになったのか?」
「そうじゃない。これは監視だ」
「……監視?よくわからないことをしてるんだな」
シンの答えに店主は怪訝な顔をしたが、すぐにカウンターに肘をつきミコトに目を向けた。
「ミコトちゃんよ、ジントニックを頼むぜ」
「はーい、わかりました」
――ミコトちゃん?
聞き捨てならない呼び方にシンのグラスを握る手に力がこもった。次の瞬間、パリンと儚い音が響き手にしていたグラスが砕けた。シンの手には細かいガラスの破片が残るのみだった。隣にいたミコトは目を丸くした。
「わあ!?間薙くん、大丈夫!?」
「オレは大丈夫だ。月森は大丈夫か?」
「私は大丈夫だよ!グラスが!」
慌てるミコトにニュクスが箒とちりとりを手渡した。ミコトが受け取りそうになったのを、ニュクスは手で制止する。
「坊や、あなたが掃除なさい。あなたが割ったのだから。ミコトは気にしなくていいわ」
ミコトは狼狽えつつ、店主に目を向けた。
「あ、はい……ごめんなさい、店主さん。お怪我はないですか?」
「ああ、オレは大丈夫だ」
「よかったです。えっと、ジントニックでしたよね。作りますね」
シンは無言で割れたグラスを片付けつつ、ミコトと店主に目を配った。このバーにはシンとロキ以外の客がいないと思っていたが、他にも客がおりミコトと言葉を交わしているのかと歯軋りした。ミコト。彼女のことをそう呼ぶ悪魔はどれくらいいるのだろうか。
ミコトはグラスを取り出し、大きな氷をゴロンと放り込んだ。そこにジンとトニックウォーターを加え、マドラーで優雅にかき混ぜる。最後にライムをグラスに添えれば完成、シンプルなカクテルだ。レシピを見ながらではあったが悠々と作る所作は美しく、シンは心の中で感嘆した。
「どうぞ、ジントニックです」
「ありがとうよ」
店主は薄ら笑いを浮かべつつ、ジントニックに口をつけた。そしてミコトに話しかける。
「やっぱりこの店のジントニックはうまいな。普段はママが作ってくれるけどよ、今日はミコトちゃんが作ってくれたし余計にそう思うのかもな」
――パキン。
シンが他のグラスを磨こうと手にした瞬間、再び妙な力がこもりグラスにヒビが入った。ヒビに照明が当たり、キラキラと輝いている。
「……坊や」
ニュクスの視線が突き刺さったのは至極当然であった。
「坊や、あなたはクビよ。こういくつもグラスを割られたら商売あがったりだわ」
シンがバーでお試し勤務を始めてわずか一日足らずでの解雇宣告だった。シンは特段思うところもなく、
「グラスのことはすまなかった」
素直に謝った。面白くない思いがあろうとも、自らに非があれば謝るのは当然だ。
「でも、これでわかったでしょう?私もロキもミコトに無理矢理働かせたりしていないわ。まぁ、納得がいかないなら何度来てもらっても構わないけれど」
「……ああ、そうだな」
ミコトがバーカウンターにいる間、彼女は通常のバーテンダーの範疇のことしかしていなかった。彼女は常に楽しそうに笑っていて、無理強いされているようにも見えなかった。それでもシンは今後もバーに足を運ぶと確信しているが。
「ミコトは隣の部屋で休憩しているから、挨拶くらいしていきなさいな。二人きりにしてあげるわ」
「……!」
二人きり。その言葉はシンの心臓を唸らせる威力があった。ボルテクス界でも東京受胎前でも、彼女と二人きりになれたことはないに等しい。シンの鼓動は早まるばかりだった。
シンはミコトがいる部屋の扉に手をかけ、逡巡した。その背中にロキとニュクスの視線が刺さっているのを感じた。
「おい、さっさと行けよ。『人修羅』は大人しいもんだな」
ロキの嘲笑する声が聞こえ、シンは振り返ると思いきり睨みつけた。その悪魔すら射殺す視線にロキは「おお、怖い怖い」とかぶりを振った。
シンは冷たいドアノブに触れたまま、大きく息を吐いた。ミコトと二人きりの時間、喉から手が出るほどほしかったがいざ目の前にすると足が竦む。それでもシンは扉を開けた。
「あ、間薙くん!」
扉を開くとソファーでくつろぐミコトがいた。彼女はだらしなく座っていたがシンを見た途端姿勢を正し、ソファーをぽんぽんと叩く。……座れということだろうか?シンはそっと彼女の隣に座った。今までで一番近いかもしれない距離に心が躍った。
「お疲れ様、間薙くん。バーで働いてみてどうだった?」
「グラス、たくさん割ってしまった。……悪い、月森。迷惑をかけたな」
そう言って軽く頭を下げると、ミコトはあわあわと両手を振った。
「そんな、深刻にならないで!ママは許してくれたんだし、片付けたの間薙くんだし……そうだ、間薙くん!本当に怪我してない?大丈夫?」
ミコトはシンの両手を取り、掌や手の甲をまじまじと眺めていた。彼女の柔らかな手の感触にシンは赤面した。放心してしまい、彼女に触られるままになる。
「うん、大丈夫そうだね。よかった。でもどうしたの、間薙くん。今日、なんだかちょっと変だったよ」
「あ、ああ……それは……」
いまだに彼女に手を取られ、じっと灰色の瞳を覗き込まれている。ミコトの眼球に映り込んだシンが見える距離、シンの呼吸が荒くなった。心臓がうるさい。ドキンドキンと音が聞こえる気がする。
「お前が他の客と話しているのが気に入らなかっただけだ」
「……?なんで?」
「なんで、って……」
ミコトはきょとんとした顔でシンを見つめている。これは本当に心当たりのない顔だ。シンは決意のために深く息を吸い、大きく吐いた。
「お前が好きだからだ。悪魔と一緒にいると心配するし、オレ以外のヤツと話しているとざわざわする」
「えっ」
最初はきょとんとしていたミコトの顔がみるみる赤くなった。俯き加減でもじもじと手を合わせ、落ち着かない様子だった。シンは咄嗟に彼女を抱きしめていた。数秒後彼女が息を呑む音が聞こえたが、それでもシンは彼女を手放すことはなかった。
「オレ……オレはお前が好きだ。できればオレについてきてほしい。お前を守るから」
シンの旅は危険だ。この世界を打破する方法を求めてさすらう旅、悪魔と敵対することもある。もしもそばに彼女がいてくれるなら、この拳にかけて守る覚悟がある。シンは優しく、しかし力強くミコトを抱きしめた。腕の中の彼女は強張っている。
「間薙くん……ごめんね、急に言われてびっくりしちゃって」
抱きしめる力を緩めると、間近にいる彼女はゆるゆると首を横に振っていた。見るからに困惑した様子にシンは戸惑った。
「あ……そうだよな。悪い。突然」
「ううん……でもね、間薙くんが心配してくれて、好きって言ってくれて嬉しいの」
ミコトは顔を上げた。その顔には優しい笑みが浮かび、シンの心を柔らかくする。
「ひとまずバーにいるから、また会いに来てくれたら嬉しいな」
「ああ、また明日会いに行く」
「え、そんなすぐ!?」
「当たり前だ。毎日行く」
苦笑するミコトをぎゅっと抱きしめた。ようやく想いを伝えた王子は、このままシンデレラを離したくなかった。
ギンザの一角にあるバーに新たな客が頻度高く来店するようになった。その名は間薙シン。最近悪魔たちの間でひっそり「人修羅」と呼ばれ、名前が広まり始めている彼だ。
「……」
そんな人修羅はバーのカウンターに座り、シンデレラをちびちびと飲んでいた。彼は酒が飲めず、ひたすらノンアルコールのカクテルを嗜んでいる。
「間薙くん、本当にシンデレラが好きだね!そんなに気に入ったの?」
彼が所望したカクテルを作ったのは月森ミコト。彼女は親しみやすい笑顔でいつもシンを出迎えてくれる。シンは彼女を見つめ、こくりと頷いた。
「それよりもお前が心配だ、月森」
「え?私が心配?どうして?」
ミコトが首を傾げると、シンはカクテルグラスを揺らしながら答えた。
「こんな悪魔ばかりの店に人間はお前一人なんて、何されるかわかったものじゃない。だから見に来てるんだ」
シンはミコトの隣にいるニュクスを睨んだ。ニュクスは腰に手を当て、余裕のある態度で口を開く。
「あら、随分な言いようね。私を含め、誰もミコトに悪いようにはしていないわよ。働くことを強制もしていないしね」
「……どうだか」
ニュクスとシンの視線が交錯し、静かに火花が散った。バーに漂う剣呑な気配にさすがのミコトも慌てた様子だった。
「間薙くん、私を心配してくれるのは嬉しいけど、私は大丈夫だよ?」
「…………」
それでもシンの疑念は晴れない。マネカタや人間が搾取されていることは痛いほど知っている。ミコトだけが例外など、そうそう信じられるものではなかった。
「そこまで心配だって言うなら、オマエも一度バーで働いてみればいいじゃないか」
不穏な沈黙を破ったのはロキの声だった。まさに鶴の一声、数瞬前の静寂とは異なる意味の静寂が広がった。ニュクスが胸元で両手を合わせる乾いた音が響いた。
「あら、名案だわ。あなた、ミコトと一緒に働いてみなさいな。そうすれば、私たちがミコトに何も悪いことをしていないってわかるわね」
目を丸くしたシンの口から出た言葉は、
「……は?」
この一言のみだった。
「間薙くんって絶対バーテンダーの服が似合うと思ってたんだよねー!」
ギンザの洋服屋にミコトの明るい声が響き渡った。彼女はシンに似合う服を見繕い、あれやこれやと隣にいるシンに話しかけてくる。二人の少し離れた後方にはニュクスがおり、二人の様子をあたたかい眼差しで見守っていた。
「あ、ああ……そうか?」
「そうだよ!これとか!ほら!」
ミコトが示したのは白いワイシャツに黒いベスト、黒いスラックスのかっちりした服装だった。上半身裸に膝丈のパンツ姿のシンとは随分と趣の違う服装だ。シンはぽりぽりと頬をかいた。
「私とお揃いだよ!よくない?かっこいいよ!」
――お揃い。心ときめかざるを得ない響きにシンは硬直した。不本意なお揃いといえばそうかもしれないが、この機会を活用しない手はない。結局シンはミコトの笑顔に歯向かうことなく頷いた。
そうしてシンはミコトの選んでくれたバーテンダースタイルの衣服を着こなし、バーカウンターの内側にいる。ニュクスは三人もいると手狭だから、とロキとともにシンとミコトを見つめていた。彼女の手には酒のグラス、職務放棄もいいところだがちょうどいいのかもしれない。……視線を感じるのは落ち着かないが。
「間薙くん、その服似合ってるね!かっこいいよ!カクテル作るところとか見てみたいなー!」
「……ありがとう」
眩しい笑顔のミコトに純真な口調で言われれば、素直に謝意を述べるしかなかった。シンの顔にぽっと火が灯る。黒と緑のタトゥーが描かれた顔に赤い頬は目立つ。
「ミコト、新人の坊やにカクテルを作らせるのはやめなさい。まずはグラス磨きからよ。それと坊や」
つかつかとニュクスが近寄り、シンに身を乗り出した。何事かと警戒していたところ、顎を掴まれた。親指と中指で口の両端をぐにぃ、と無理矢理上げさせられる。
「表情が硬いわね。ミコトを見習いなさいな。バーにも愛想は必要よ、坊や?」
「……悪魔にだけは言われたくないな」
ニュクスの手を振りほどき、シンは独りごちた。ふふ、とニュクスは呆れたように笑い、ロキとともに酒を酌み交わし始めた。二人の悪魔にどこかいやらしい目線で観察され、シンは振り払うように目を逸らした。それでも悪魔の視線は絡みついてくるのだが。
「間薙くん間薙くん!」
ぽんぽんと肩を叩かれそちらを向くと、ミコトが両手の人差し指を自身の口の両端に当て、
「ほら!スマイル!ママの言うとおり表情が硬いよ!笑ってみよう!ほら!」
にっこりと笑っていた。シンの口角は普段下り気味、口元はなかなか綻ばない。ミコトがぐに、とシンの口の両端をつまんだ。
「ほら、こんな感じ!笑った間薙くんも素敵だよ!」
先ほどのニュクスと同様に無理矢理口角を上げられているがミコトの柔らかな指の感触に頬が緩み、シンはぎこちなく微笑んでいた。ミコトはそれを見てえへへ、と邪気なく笑う。
「うん!いいね!ね、ママ、こんな感じならいいですよね!」
「そうね。全く、坊やは手がかかるわね」
ミコトの手がぱっとシンの頬から離れた。シンはミコトに視線を固定したまま笑いかけた。彼女はにこ、と明るい笑顔を向けてくれた。
「やあ、世話になるぜ」
シンがミコトとともにバーカウンターに立ちグラスを磨いていたところ、バーの扉が開いた。そちらに目を遣ると、じゅえりーRAGの店主がいた。彼はにやにやと薄気味悪い笑みを浮かべながらカウンターに腰掛けた。彼はシンを見ると、不思議そうに小首を傾げた。
「なんだ、人修羅じゃないか。……バーの使い走りになったのか?」
「そうじゃない。これは監視だ」
「……監視?よくわからないことをしてるんだな」
シンの答えに店主は怪訝な顔をしたが、すぐにカウンターに肘をつきミコトに目を向けた。
「ミコトちゃんよ、ジントニックを頼むぜ」
「はーい、わかりました」
――ミコトちゃん?
聞き捨てならない呼び方にシンのグラスを握る手に力がこもった。次の瞬間、パリンと儚い音が響き手にしていたグラスが砕けた。シンの手には細かいガラスの破片が残るのみだった。隣にいたミコトは目を丸くした。
「わあ!?間薙くん、大丈夫!?」
「オレは大丈夫だ。月森は大丈夫か?」
「私は大丈夫だよ!グラスが!」
慌てるミコトにニュクスが箒とちりとりを手渡した。ミコトが受け取りそうになったのを、ニュクスは手で制止する。
「坊や、あなたが掃除なさい。あなたが割ったのだから。ミコトは気にしなくていいわ」
ミコトは狼狽えつつ、店主に目を向けた。
「あ、はい……ごめんなさい、店主さん。お怪我はないですか?」
「ああ、オレは大丈夫だ」
「よかったです。えっと、ジントニックでしたよね。作りますね」
シンは無言で割れたグラスを片付けつつ、ミコトと店主に目を配った。このバーにはシンとロキ以外の客がいないと思っていたが、他にも客がおりミコトと言葉を交わしているのかと歯軋りした。ミコト。彼女のことをそう呼ぶ悪魔はどれくらいいるのだろうか。
ミコトはグラスを取り出し、大きな氷をゴロンと放り込んだ。そこにジンとトニックウォーターを加え、マドラーで優雅にかき混ぜる。最後にライムをグラスに添えれば完成、シンプルなカクテルだ。レシピを見ながらではあったが悠々と作る所作は美しく、シンは心の中で感嘆した。
「どうぞ、ジントニックです」
「ありがとうよ」
店主は薄ら笑いを浮かべつつ、ジントニックに口をつけた。そしてミコトに話しかける。
「やっぱりこの店のジントニックはうまいな。普段はママが作ってくれるけどよ、今日はミコトちゃんが作ってくれたし余計にそう思うのかもな」
――パキン。
シンが他のグラスを磨こうと手にした瞬間、再び妙な力がこもりグラスにヒビが入った。ヒビに照明が当たり、キラキラと輝いている。
「……坊や」
ニュクスの視線が突き刺さったのは至極当然であった。
「坊や、あなたはクビよ。こういくつもグラスを割られたら商売あがったりだわ」
シンがバーでお試し勤務を始めてわずか一日足らずでの解雇宣告だった。シンは特段思うところもなく、
「グラスのことはすまなかった」
素直に謝った。面白くない思いがあろうとも、自らに非があれば謝るのは当然だ。
「でも、これでわかったでしょう?私もロキもミコトに無理矢理働かせたりしていないわ。まぁ、納得がいかないなら何度来てもらっても構わないけれど」
「……ああ、そうだな」
ミコトがバーカウンターにいる間、彼女は通常のバーテンダーの範疇のことしかしていなかった。彼女は常に楽しそうに笑っていて、無理強いされているようにも見えなかった。それでもシンは今後もバーに足を運ぶと確信しているが。
「ミコトは隣の部屋で休憩しているから、挨拶くらいしていきなさいな。二人きりにしてあげるわ」
「……!」
二人きり。その言葉はシンの心臓を唸らせる威力があった。ボルテクス界でも東京受胎前でも、彼女と二人きりになれたことはないに等しい。シンの鼓動は早まるばかりだった。
シンはミコトがいる部屋の扉に手をかけ、逡巡した。その背中にロキとニュクスの視線が刺さっているのを感じた。
「おい、さっさと行けよ。『人修羅』は大人しいもんだな」
ロキの嘲笑する声が聞こえ、シンは振り返ると思いきり睨みつけた。その悪魔すら射殺す視線にロキは「おお、怖い怖い」とかぶりを振った。
シンは冷たいドアノブに触れたまま、大きく息を吐いた。ミコトと二人きりの時間、喉から手が出るほどほしかったがいざ目の前にすると足が竦む。それでもシンは扉を開けた。
「あ、間薙くん!」
扉を開くとソファーでくつろぐミコトがいた。彼女はだらしなく座っていたがシンを見た途端姿勢を正し、ソファーをぽんぽんと叩く。……座れということだろうか?シンはそっと彼女の隣に座った。今までで一番近いかもしれない距離に心が躍った。
「お疲れ様、間薙くん。バーで働いてみてどうだった?」
「グラス、たくさん割ってしまった。……悪い、月森。迷惑をかけたな」
そう言って軽く頭を下げると、ミコトはあわあわと両手を振った。
「そんな、深刻にならないで!ママは許してくれたんだし、片付けたの間薙くんだし……そうだ、間薙くん!本当に怪我してない?大丈夫?」
ミコトはシンの両手を取り、掌や手の甲をまじまじと眺めていた。彼女の柔らかな手の感触にシンは赤面した。放心してしまい、彼女に触られるままになる。
「うん、大丈夫そうだね。よかった。でもどうしたの、間薙くん。今日、なんだかちょっと変だったよ」
「あ、ああ……それは……」
いまだに彼女に手を取られ、じっと灰色の瞳を覗き込まれている。ミコトの眼球に映り込んだシンが見える距離、シンの呼吸が荒くなった。心臓がうるさい。ドキンドキンと音が聞こえる気がする。
「お前が他の客と話しているのが気に入らなかっただけだ」
「……?なんで?」
「なんで、って……」
ミコトはきょとんとした顔でシンを見つめている。これは本当に心当たりのない顔だ。シンは決意のために深く息を吸い、大きく吐いた。
「お前が好きだからだ。悪魔と一緒にいると心配するし、オレ以外のヤツと話しているとざわざわする」
「えっ」
最初はきょとんとしていたミコトの顔がみるみる赤くなった。俯き加減でもじもじと手を合わせ、落ち着かない様子だった。シンは咄嗟に彼女を抱きしめていた。数秒後彼女が息を呑む音が聞こえたが、それでもシンは彼女を手放すことはなかった。
「オレ……オレはお前が好きだ。できればオレについてきてほしい。お前を守るから」
シンの旅は危険だ。この世界を打破する方法を求めてさすらう旅、悪魔と敵対することもある。もしもそばに彼女がいてくれるなら、この拳にかけて守る覚悟がある。シンは優しく、しかし力強くミコトを抱きしめた。腕の中の彼女は強張っている。
「間薙くん……ごめんね、急に言われてびっくりしちゃって」
抱きしめる力を緩めると、間近にいる彼女はゆるゆると首を横に振っていた。見るからに困惑した様子にシンは戸惑った。
「あ……そうだよな。悪い。突然」
「ううん……でもね、間薙くんが心配してくれて、好きって言ってくれて嬉しいの」
ミコトは顔を上げた。その顔には優しい笑みが浮かび、シンの心を柔らかくする。
「ひとまずバーにいるから、また会いに来てくれたら嬉しいな」
「ああ、また明日会いに行く」
「え、そんなすぐ!?」
「当たり前だ。毎日行く」
苦笑するミコトをぎゅっと抱きしめた。ようやく想いを伝えた王子は、このままシンデレラを離したくなかった。
