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シンデレラと魔法のバー
「もう!ここどこ……」
月森ミコトは得体の知れない世界を延々と彷徨っていた。
クラスメイトの間薙シン、新田勇、橘千晶と担任の祐子先生のお見舞いに行ったはいいものの病院には誰もおらず、いつの間にかよくわからない世界にやってきた。どう見ても人間ではない生き物が蔓延る病院を何とか抜け出したが、今度はどこに続くかわからない砂漠をうろつく羽目になった。クラスメイトたちもどこにいるかわからないし、変な人魂のようなものが浮いているし、もう何が何だかわからない。たまに襲ってくる生き物から逃げ続けていたら、街のようなところに辿り着いた。背の高いビル群が目立つ風景はかつての東京を思い出させ、少しばかり懐かしい気持ちになる。それに何より、誰かいるかもしれない。ミコトは街に入り通路を歩いた。
「ん?」
突き当たりに扉がある。迷いなく開けると、小さな部屋だった。変わった装飾が施された綺麗な箱がいくつも置いてある。誰もいない。
「あれ?何だろ、ここ……」
よく見るとさらに奥に扉がある。こちらも躊躇いなく開けようとしたが、鍵がかかっている。
「すみませーん!誰かいませんかー?」
扉の向こうからは微かに物音が聞こえる。誰かいるかも、と扉を叩き声を上げた。その瞬間、扉が開き二人の人物が入ってきた。
「あら、可愛らしいお客さんね。こんな子が見張りを倒したというの?」
一人は金色の髪をアップスタイルにし、胸元の露出が大胆なドレスを着た妖艶な女性だった。
「トロール、また見張りをせずにどこかで油を売っているな。アイツにも困ったもんだ」
もう一人は長い金髪の男性だった。白いマントを羽織り、股間を白い布で隠したのみの刺激的な姿。どちらも肌が紫色で、人間に近い姿だが人間ではなさそうだと察した。ミコトはあまりの珍事に凍りついた。
――まずいところに入っちゃったかも。
一瞬で背筋に冷たい汗が流れ、ミコトは言葉も出なかった。女性はミコトを見ると、ついと顎に触れた。ぞくりと粟立つほど冷たい手だった。
「お嬢ちゃん、一体何をしにここに来たのかしら?見張りがいない隙を狙って部屋に入るなんてなかなか肝が据わってるわね、人間なのに」
女性の瞳に見つめられ、ミコトはようやく我に返った。勢いよく頭を下げ、腰を九十度曲げて全力で叫んだ。
「ご、ごめんなさい!不法侵入するつもりなんてなかったんです!何でかわからないんですけど、変なところに来ちゃって!ごめんなさい!」
女性と男性は大真面目に顔を見合わせた。何やらこそこそと耳打ちしている。ああ、これ本当にまずいかも。触れちゃいけない類の人に触れてしまって、私はこれから殺されちゃうんだ。ミコトは細かく震えつつも深々と頭を下げたまま動けなかった。
「お嬢ちゃん、顔を上げなさい」
「は……はい……」
女性に促され、腰を曲げたまま顔だけ上げた。女性は含みのある笑顔を浮かべている。
「あなたみたいな子、嫌いじゃないわ。うちの手伝いをなさい。そうすれば、ここに勝手に入ったことは許してあげる」
「ほ、本当ですか!ありがとうございます!」
目の前の二人組がどう見ても人間ではないことを忘れ、ミコトは単純に喜んだ。よくわからない生き物に追われ砂の中を逃げ回るよりよほどマシだった。
「さて、お嬢ちゃん。うちは見てのとおりバーなの」
ニュクスと名乗る女性に手を引かれ入ったのは、カウンターと少しの席があるバーだった。ミコトにとっては初めての大人の社交場だ。ミコトは思わず感嘆しながら店内を見渡した。狭いながらも落ち着いた大人の空間といった雰囲気、女子高生のミコトは場違い極まりない存在だった。
「あなた、なかなか可愛らしいけれど服装が野暮ったいわね。ちょっと服を見繕う必要があるわ」
とニュクスに背を押され、すぐ近くにある服屋で白いブラウス、黒いベスト、黒のスラックスといかにもなバーテンダーの衣装を着せられた。姿見で見た己の姿に違和感があったものの格好いいかも、などと思っていたら、
「いかにもなお子様だな」
とロキに言われこめかみにぴきりと筋ができた気がしたが、
「着始めたばかりならこんなものよ。気にしなくていいわよ」
とニュクスに励まされ何とか精神の均衡を保った。
それ以降、ミコトはバーテンダーらしい服装のままバーのカウンターに立った。時折現れる客と話をしてみたり、ママの見よう見まねでカクテルを混ぜてみたり、少し前までごく普通の女子高生だったはずが異世界のバーで働いている。ライトノベルの題材になりそうな状況ながら、当のミコトは慣れない仕事にてんやわんやで、心踊る暇もなかった。常連のロキに、
「『人間』のお嬢ちゃんは不器用なんだな」
と嫌味を言われるのも当初は顔を顰めていたが、最近は流せるようになってきた。つまらなさそうな顔をするロキを見るとしてやったり、と思ってしまう。
今日も見習いバーテンダーの仕事が始まる。カクテルを作るのが楽しいから誰か注文してくれないかな、などと思っていると、
「月森!?」
見覚えのある少年が入ってきた。何故か上半身裸で全身に黒と緑のタトゥーのような模様が入っているが紛れもなく、
「間薙くん!」
間薙シンだった。あの日、一緒に祐子先生のお見舞いに行った一人。彼は人間らしい見た目ではあるものの、纏っている気配がどこかおかしかった。純然たる悪魔であるニュクスやロキとも少し趣が異なる気配を纏っている。ミコトが不思議に思っていると、シンはつかつかとカウンターに歩み寄った。
「月森、お前ここで何してる」
「何って、バーのお仕事だよ」
「バーの仕事?」
シンはカウンターに身を乗り出し、ニュクスを睨んだ。少年らしからぬ鋭い眼差しだったが、ニュクスは泰然と佇んでいる。
「あら、初めての坊やがこんなところに何の用かしら?お酒も飲めなさそうなのにおませな子ね」
「月森に何をした」
ニュクスはごく自然に話をしているが、シンは目線の鋭さといい詰問口調といい、刺すような空気を纏っていた。隅で酒を飲んでいるロキもこちらにちらちらと視線を送っている。
「私は何もしていないわ。ただ、うちで働いてもらっているだけよ。ねえ、ミコト?」
「そうだよ、間薙くん。私はここで働いてるだけだよ」
「…………」
シンは警戒心の滲む強い眼差しでニュクスを睨んでいる。するとロキがシンの隣に腰掛け、馴れ馴れしく肩に腕を回した。
「人間がいるから珍しいんだろうが、まあそんなに苛々することはないだろう。酒が不味くなる」
「離せ」
「はいはい」
ロキが腕を離すと、シンは彼にも鋭い目を向けていた。ミコトは張り詰めた空気に慌てたが、ふと思いついた。
「そ、そうだ、間薙くん!ちょっとカクテル飲んでいかない?もちろんお酒が入ってないやつを作るから!」
「……お前が?」
シンは珍しく目を丸くしていた。そんな彼にミコトは胸を張る。
「そうなの!私、一つだけ覚えたカクテルがあって!いいですよね、ママ!」
「坊やが注文してマッカを払ってくれるなら構わないわ」
「だって!どう、間薙くん!」
苦し紛れもいいところの提案だったが、シンはスツールに腰を落ち着かせ、
「……お前がそこまで言うなら」
と上目遣いでミコトを見つめていた。彼の頬がほんのりと赤いことにミコトは気付いていなかった。ロキはシンとミコトの様子を見、肘でシンを小突く。露骨に嫌そうな顔をしているシンをニュクスが微笑ましく見守っている。彼らの様子を知らないのは、カクテルの用意をしているミコトだけだった。
ミコトが唯一覚えたカクテル、シンデレラはオレンジジュース、パイナップルジュース、レモンジュースをそれぞれ同量混ぜる単純なカクテルだ。シェイカーに三種類のジュースを注ぎ、シェイクする。ミコトがバーテンダーらしいのはあくまで服装のみ、シェイクの所作はとても洗練されたものではなかった。背伸びをした子供が何とかそれらしく頑張っているようにしか見えない。が、仕草はどうであれシェイク自体に問題はなく、カクテルグラスに注ぐと甘い柑橘系の香りが鼻をくすぐった。
「どうぞ、シンデレラです」
精一杯落ち着いた大人の口調でミコトはカクテルグラスを差し出した。シンは何度も瞬きをしてミコトとグラスを眺めている。
「ママ、さっきのどうでした」
少しばかり隣のニュクスに寄りかかり、小声で聞いてみた。ニュクスはミコトに笑いかけ、茶目っ気を含んだウインクをしてみせた。
「まだまだね。バーテンダーには程遠いわ」
「ですよね……」
シンはカクテルグラスを片手にじっと黄色い液体を観察している。その眼差しは毒味をする様子に似ていて、思わずミコトは声をかけた。
「間薙くん、大丈夫だよ。お酒は入ってないから」
「……こういうの初めてだから」
シンは苦笑いしつつ、ようやくグラスに口をつけた。お気に召したらしく、ぐいと一気に飲み干した。精悍な見た目どおり気持ちのいい飲みっぷりだった。
「……美味かった。ありがとう」
「よかった〜!」
ミコトはすっかり脱力し、肩がすとんと落ちた。そんな彼女をシンは少し赤らんだ頬で見つめていた。
それからというもの、ギンザのバーには定期的にシンが訪れるようになっていた。今日もバーの扉が開き、酒など一滴も飲めない少年がやって来る。
「いらっしゃい。あら、またあなたなのね」
「いらっしゃい、間薙くん!」
しっとり落ち着いた挨拶のママと明るい子供らしさが抜けない挨拶のミコトに、シンは片手を上げて応対した。シンはいつもどおりカウンターに座り、ミコトを見て目を丸くした。
「お前、どうした、その格好」
「へへー、気づいてくれた?」
今日のミコトはいつものバーテンダースタイルではなく、腕が露出したワンピースを着ていた。くすみ感のあるピンク色のワンピースは可愛らしいが上品で、彼女によく似合っている。
「たまにはいつもと違う服を着てみたらどうかってママが選んでくれたの!」
「せっかく可愛らしいのだから、女性らしい服も着てみないとね」
ニュクスはミコトの両肩に手を置き、穏やかに微笑んだ。ミコトも楽しそうに笑っており、その様子は親子に近い。微笑ましいと思いそうになり、シンはまずいと歯噛みした。彼女はシンと違い戦う力を持たない普通の少女だ、悪魔を警戒しない様子は目に余る。だがどう言ったものか……悩んでいるうちに、
「坊や、おめかししているお嬢さんを前に黙っているのは無礼ではなくて?」
ニュクスに緩やかな非難の目を向けられていた。それは確かにそうだ。間違いなく思ったことがあるはずなのに、悪魔に対する感情で鈍ってしまっていた。シンは頬に微かな熱を感じながら言った。
「月森、その……そっちの服も似合ってるな」
「わあ、ほんと?ありがとう!」
ミコトは手を合わせて喜び、その場でくるりと一回転してみせた。ここにカウンターがなければワンピースの裾が翻る様子だって見れたのに、とシンは惜しくなった。
「それにしても坊や、無事にイケブクロに着いたと聞いたわ。なのにわざわざ戻ってきてこのバーに来るのね。本当におませな坊やだわ」
ニュクスの言葉に、いつも隅で一人で飲んでいるロキがニヤニヤとしながら付け加えた。
「目当てのものでもあるんだろう。人間は悪魔よりよほど貪欲だと聞いてるぜ?」
「……!」
こんな悪魔たちに何がわかるのか。咄嗟にそう思ったが、シンは何も言い返せなかった。こんな悪魔たちだからこそ逆にわかるのかもしれない。ミコトはというと、
「目当てのもの?好きなカクテルでもあるの?」
と首を傾げての返答。……シンはがくりと脱力した。いや、原因は自分にあるとわかってはいるのだが。こんな悪魔が二人もいるところではっきりと口になんか出せない。
「……そうだな。シンデレラが好きだ」
シンデレラ、魔法にかけられた女性が幸福を掴む物語。魔法使いの助力があったとはいえ彼女が幸せに至れたのは、自ら舞踏会に赴くという主体的な行動を取ったからだ。……カクテルからでも学べることは多々あるらしい。
「じゃあ今日もシンデレラ、飲む?」
「ああ」
ミコトの言葉に頷くと、彼女は喜んでカクテルを作り始める。甘い柑橘のジュースが混ざる匂いに心が落ち着く。ワンピースを着てシェイカーを振る彼女は、まさに魔法の雫を生み出す魔法使い。ならばシンも、自ら思いを告げる王子にならねばならぬのに。
「どうぞ、シンデレラです」
カクテルグラスには黄色い液体。シンは迷いなく手に取り、ぐいと飲み干した。喉を潤す液体は甘酸っぱく、シンを元気付ける魔法をかける。カクテルグラスを置いたシンに、ミコトはニコッと笑った。
「相変わらずいい飲みっぷりだね!お酒だったら一発で二日酔いだよ」
無邪気な笑みに、口から零れそうな言葉がある。だがニュクスとロキの視線を感じて何も言えない。シンデレラは目の前にいるのに、王子はいつまでも二の足を踏んでいる。ああ……今夜も何も言えない。
「美味かった。ありがとう」
躍り出るのはそんな無難な言葉ばかり。ニュクスのくすくすと笑う声にシンは眉を顰めた。どうすれば彼女と二人きりになれるのだろうか?彼女と二人だけの舞踏会なら、王子も勇気が出せるのに。奥手な王子は今夜もカウンターで頬を染めるばかりだった。
「もう!ここどこ……」
月森ミコトは得体の知れない世界を延々と彷徨っていた。
クラスメイトの間薙シン、新田勇、橘千晶と担任の祐子先生のお見舞いに行ったはいいものの病院には誰もおらず、いつの間にかよくわからない世界にやってきた。どう見ても人間ではない生き物が蔓延る病院を何とか抜け出したが、今度はどこに続くかわからない砂漠をうろつく羽目になった。クラスメイトたちもどこにいるかわからないし、変な人魂のようなものが浮いているし、もう何が何だかわからない。たまに襲ってくる生き物から逃げ続けていたら、街のようなところに辿り着いた。背の高いビル群が目立つ風景はかつての東京を思い出させ、少しばかり懐かしい気持ちになる。それに何より、誰かいるかもしれない。ミコトは街に入り通路を歩いた。
「ん?」
突き当たりに扉がある。迷いなく開けると、小さな部屋だった。変わった装飾が施された綺麗な箱がいくつも置いてある。誰もいない。
「あれ?何だろ、ここ……」
よく見るとさらに奥に扉がある。こちらも躊躇いなく開けようとしたが、鍵がかかっている。
「すみませーん!誰かいませんかー?」
扉の向こうからは微かに物音が聞こえる。誰かいるかも、と扉を叩き声を上げた。その瞬間、扉が開き二人の人物が入ってきた。
「あら、可愛らしいお客さんね。こんな子が見張りを倒したというの?」
一人は金色の髪をアップスタイルにし、胸元の露出が大胆なドレスを着た妖艶な女性だった。
「トロール、また見張りをせずにどこかで油を売っているな。アイツにも困ったもんだ」
もう一人は長い金髪の男性だった。白いマントを羽織り、股間を白い布で隠したのみの刺激的な姿。どちらも肌が紫色で、人間に近い姿だが人間ではなさそうだと察した。ミコトはあまりの珍事に凍りついた。
――まずいところに入っちゃったかも。
一瞬で背筋に冷たい汗が流れ、ミコトは言葉も出なかった。女性はミコトを見ると、ついと顎に触れた。ぞくりと粟立つほど冷たい手だった。
「お嬢ちゃん、一体何をしにここに来たのかしら?見張りがいない隙を狙って部屋に入るなんてなかなか肝が据わってるわね、人間なのに」
女性の瞳に見つめられ、ミコトはようやく我に返った。勢いよく頭を下げ、腰を九十度曲げて全力で叫んだ。
「ご、ごめんなさい!不法侵入するつもりなんてなかったんです!何でかわからないんですけど、変なところに来ちゃって!ごめんなさい!」
女性と男性は大真面目に顔を見合わせた。何やらこそこそと耳打ちしている。ああ、これ本当にまずいかも。触れちゃいけない類の人に触れてしまって、私はこれから殺されちゃうんだ。ミコトは細かく震えつつも深々と頭を下げたまま動けなかった。
「お嬢ちゃん、顔を上げなさい」
「は……はい……」
女性に促され、腰を曲げたまま顔だけ上げた。女性は含みのある笑顔を浮かべている。
「あなたみたいな子、嫌いじゃないわ。うちの手伝いをなさい。そうすれば、ここに勝手に入ったことは許してあげる」
「ほ、本当ですか!ありがとうございます!」
目の前の二人組がどう見ても人間ではないことを忘れ、ミコトは単純に喜んだ。よくわからない生き物に追われ砂の中を逃げ回るよりよほどマシだった。
「さて、お嬢ちゃん。うちは見てのとおりバーなの」
ニュクスと名乗る女性に手を引かれ入ったのは、カウンターと少しの席があるバーだった。ミコトにとっては初めての大人の社交場だ。ミコトは思わず感嘆しながら店内を見渡した。狭いながらも落ち着いた大人の空間といった雰囲気、女子高生のミコトは場違い極まりない存在だった。
「あなた、なかなか可愛らしいけれど服装が野暮ったいわね。ちょっと服を見繕う必要があるわ」
とニュクスに背を押され、すぐ近くにある服屋で白いブラウス、黒いベスト、黒のスラックスといかにもなバーテンダーの衣装を着せられた。姿見で見た己の姿に違和感があったものの格好いいかも、などと思っていたら、
「いかにもなお子様だな」
とロキに言われこめかみにぴきりと筋ができた気がしたが、
「着始めたばかりならこんなものよ。気にしなくていいわよ」
とニュクスに励まされ何とか精神の均衡を保った。
それ以降、ミコトはバーテンダーらしい服装のままバーのカウンターに立った。時折現れる客と話をしてみたり、ママの見よう見まねでカクテルを混ぜてみたり、少し前までごく普通の女子高生だったはずが異世界のバーで働いている。ライトノベルの題材になりそうな状況ながら、当のミコトは慣れない仕事にてんやわんやで、心踊る暇もなかった。常連のロキに、
「『人間』のお嬢ちゃんは不器用なんだな」
と嫌味を言われるのも当初は顔を顰めていたが、最近は流せるようになってきた。つまらなさそうな顔をするロキを見るとしてやったり、と思ってしまう。
今日も見習いバーテンダーの仕事が始まる。カクテルを作るのが楽しいから誰か注文してくれないかな、などと思っていると、
「月森!?」
見覚えのある少年が入ってきた。何故か上半身裸で全身に黒と緑のタトゥーのような模様が入っているが紛れもなく、
「間薙くん!」
間薙シンだった。あの日、一緒に祐子先生のお見舞いに行った一人。彼は人間らしい見た目ではあるものの、纏っている気配がどこかおかしかった。純然たる悪魔であるニュクスやロキとも少し趣が異なる気配を纏っている。ミコトが不思議に思っていると、シンはつかつかとカウンターに歩み寄った。
「月森、お前ここで何してる」
「何って、バーのお仕事だよ」
「バーの仕事?」
シンはカウンターに身を乗り出し、ニュクスを睨んだ。少年らしからぬ鋭い眼差しだったが、ニュクスは泰然と佇んでいる。
「あら、初めての坊やがこんなところに何の用かしら?お酒も飲めなさそうなのにおませな子ね」
「月森に何をした」
ニュクスはごく自然に話をしているが、シンは目線の鋭さといい詰問口調といい、刺すような空気を纏っていた。隅で酒を飲んでいるロキもこちらにちらちらと視線を送っている。
「私は何もしていないわ。ただ、うちで働いてもらっているだけよ。ねえ、ミコト?」
「そうだよ、間薙くん。私はここで働いてるだけだよ」
「…………」
シンは警戒心の滲む強い眼差しでニュクスを睨んでいる。するとロキがシンの隣に腰掛け、馴れ馴れしく肩に腕を回した。
「人間がいるから珍しいんだろうが、まあそんなに苛々することはないだろう。酒が不味くなる」
「離せ」
「はいはい」
ロキが腕を離すと、シンは彼にも鋭い目を向けていた。ミコトは張り詰めた空気に慌てたが、ふと思いついた。
「そ、そうだ、間薙くん!ちょっとカクテル飲んでいかない?もちろんお酒が入ってないやつを作るから!」
「……お前が?」
シンは珍しく目を丸くしていた。そんな彼にミコトは胸を張る。
「そうなの!私、一つだけ覚えたカクテルがあって!いいですよね、ママ!」
「坊やが注文してマッカを払ってくれるなら構わないわ」
「だって!どう、間薙くん!」
苦し紛れもいいところの提案だったが、シンはスツールに腰を落ち着かせ、
「……お前がそこまで言うなら」
と上目遣いでミコトを見つめていた。彼の頬がほんのりと赤いことにミコトは気付いていなかった。ロキはシンとミコトの様子を見、肘でシンを小突く。露骨に嫌そうな顔をしているシンをニュクスが微笑ましく見守っている。彼らの様子を知らないのは、カクテルの用意をしているミコトだけだった。
ミコトが唯一覚えたカクテル、シンデレラはオレンジジュース、パイナップルジュース、レモンジュースをそれぞれ同量混ぜる単純なカクテルだ。シェイカーに三種類のジュースを注ぎ、シェイクする。ミコトがバーテンダーらしいのはあくまで服装のみ、シェイクの所作はとても洗練されたものではなかった。背伸びをした子供が何とかそれらしく頑張っているようにしか見えない。が、仕草はどうであれシェイク自体に問題はなく、カクテルグラスに注ぐと甘い柑橘系の香りが鼻をくすぐった。
「どうぞ、シンデレラです」
精一杯落ち着いた大人の口調でミコトはカクテルグラスを差し出した。シンは何度も瞬きをしてミコトとグラスを眺めている。
「ママ、さっきのどうでした」
少しばかり隣のニュクスに寄りかかり、小声で聞いてみた。ニュクスはミコトに笑いかけ、茶目っ気を含んだウインクをしてみせた。
「まだまだね。バーテンダーには程遠いわ」
「ですよね……」
シンはカクテルグラスを片手にじっと黄色い液体を観察している。その眼差しは毒味をする様子に似ていて、思わずミコトは声をかけた。
「間薙くん、大丈夫だよ。お酒は入ってないから」
「……こういうの初めてだから」
シンは苦笑いしつつ、ようやくグラスに口をつけた。お気に召したらしく、ぐいと一気に飲み干した。精悍な見た目どおり気持ちのいい飲みっぷりだった。
「……美味かった。ありがとう」
「よかった〜!」
ミコトはすっかり脱力し、肩がすとんと落ちた。そんな彼女をシンは少し赤らんだ頬で見つめていた。
それからというもの、ギンザのバーには定期的にシンが訪れるようになっていた。今日もバーの扉が開き、酒など一滴も飲めない少年がやって来る。
「いらっしゃい。あら、またあなたなのね」
「いらっしゃい、間薙くん!」
しっとり落ち着いた挨拶のママと明るい子供らしさが抜けない挨拶のミコトに、シンは片手を上げて応対した。シンはいつもどおりカウンターに座り、ミコトを見て目を丸くした。
「お前、どうした、その格好」
「へへー、気づいてくれた?」
今日のミコトはいつものバーテンダースタイルではなく、腕が露出したワンピースを着ていた。くすみ感のあるピンク色のワンピースは可愛らしいが上品で、彼女によく似合っている。
「たまにはいつもと違う服を着てみたらどうかってママが選んでくれたの!」
「せっかく可愛らしいのだから、女性らしい服も着てみないとね」
ニュクスはミコトの両肩に手を置き、穏やかに微笑んだ。ミコトも楽しそうに笑っており、その様子は親子に近い。微笑ましいと思いそうになり、シンはまずいと歯噛みした。彼女はシンと違い戦う力を持たない普通の少女だ、悪魔を警戒しない様子は目に余る。だがどう言ったものか……悩んでいるうちに、
「坊や、おめかししているお嬢さんを前に黙っているのは無礼ではなくて?」
ニュクスに緩やかな非難の目を向けられていた。それは確かにそうだ。間違いなく思ったことがあるはずなのに、悪魔に対する感情で鈍ってしまっていた。シンは頬に微かな熱を感じながら言った。
「月森、その……そっちの服も似合ってるな」
「わあ、ほんと?ありがとう!」
ミコトは手を合わせて喜び、その場でくるりと一回転してみせた。ここにカウンターがなければワンピースの裾が翻る様子だって見れたのに、とシンは惜しくなった。
「それにしても坊や、無事にイケブクロに着いたと聞いたわ。なのにわざわざ戻ってきてこのバーに来るのね。本当におませな坊やだわ」
ニュクスの言葉に、いつも隅で一人で飲んでいるロキがニヤニヤとしながら付け加えた。
「目当てのものでもあるんだろう。人間は悪魔よりよほど貪欲だと聞いてるぜ?」
「……!」
こんな悪魔たちに何がわかるのか。咄嗟にそう思ったが、シンは何も言い返せなかった。こんな悪魔たちだからこそ逆にわかるのかもしれない。ミコトはというと、
「目当てのもの?好きなカクテルでもあるの?」
と首を傾げての返答。……シンはがくりと脱力した。いや、原因は自分にあるとわかってはいるのだが。こんな悪魔が二人もいるところではっきりと口になんか出せない。
「……そうだな。シンデレラが好きだ」
シンデレラ、魔法にかけられた女性が幸福を掴む物語。魔法使いの助力があったとはいえ彼女が幸せに至れたのは、自ら舞踏会に赴くという主体的な行動を取ったからだ。……カクテルからでも学べることは多々あるらしい。
「じゃあ今日もシンデレラ、飲む?」
「ああ」
ミコトの言葉に頷くと、彼女は喜んでカクテルを作り始める。甘い柑橘のジュースが混ざる匂いに心が落ち着く。ワンピースを着てシェイカーを振る彼女は、まさに魔法の雫を生み出す魔法使い。ならばシンも、自ら思いを告げる王子にならねばならぬのに。
「どうぞ、シンデレラです」
カクテルグラスには黄色い液体。シンは迷いなく手に取り、ぐいと飲み干した。喉を潤す液体は甘酸っぱく、シンを元気付ける魔法をかける。カクテルグラスを置いたシンに、ミコトはニコッと笑った。
「相変わらずいい飲みっぷりだね!お酒だったら一発で二日酔いだよ」
無邪気な笑みに、口から零れそうな言葉がある。だがニュクスとロキの視線を感じて何も言えない。シンデレラは目の前にいるのに、王子はいつまでも二の足を踏んでいる。ああ……今夜も何も言えない。
「美味かった。ありがとう」
躍り出るのはそんな無難な言葉ばかり。ニュクスのくすくすと笑う声にシンは眉を顰めた。どうすれば彼女と二人きりになれるのだろうか?彼女と二人だけの舞踏会なら、王子も勇気が出せるのに。奥手な王子は今夜もカウンターで頬を染めるばかりだった。
