呪の玉依
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人生という長いようで短い月日の中で、己の今後を変えるかもしれない転機と言うのは一体幾つあるのだろうか。
凡その人は長い年月を経た後。
これまでの自身の道程を振り返った時。
その分岐に気付き、あの時ああしていれば、こうしていれば。
そうやって己と向き合うのだろう。
端的に言うのなら、私にとって甚爾さんとの出会いは正にそれと言っても良い。
当たり前のように受け入れて来た現状が、彼の言葉を皮切りに歪なものに見えるようになり、私にやっと自我と言うものが芽生え始めた瞬間だったのかもしれない。
誰もが疑う事すらしなかった、古い因習に対しての疑念は最早完全に打ち砕かれ。
ただ、外の世界はもっと広く。
其処には自由があるのだと。
漠然と語られた夢のような世界の話を思い返す度、期待に胸を膨らませ続ける。
しかし、物心ついた時から鳥籠の中に居る私には知識も手段もない。
頼るべき相手も居ない。
此処を離れた所で、行くべき場所もない。
無知な幼児同然の私には、あの子の手を取って此処から逃げ出すだけの力すら持ち得えず。
あの子がそれを望んでいるのかすら、今は問いかける事が出来ない。
「……ねぇ。どうして、おへんじしてくれなくなっちゃったの?」
いつもの簡素な装いとは違う衣装が重苦しい。
動くたびに揺れる鈴の音が煩わしくて、毟り取りたくなる衝動を堪えながら身体を引き摺った。
積み重ねた玩具で隠した壁の綻び。
その少し上に額を擦り付け、紡いだ声を震わせる。
小さな拳を叩きつけも、弱々しい力ではびくともせず、己の声だけが反響する音を聞いて、唇を噛み締めた。
甚爾さんに懇願して隣人の安否を確かめようとしたのはもう数ヶ月も前の事になる。
しかし、それはこうなる事を予期していたかの様に一刻を待たずして戻って来た村長に阻まれ、結局私は何も知る事が出来なかった。
それからと言うもの、どんな話題を投げかけても梨の礫。
あのぶっきらぼうな声を、もう随分と聞いて居ない。
「おはなし、したいよ……」
時折物音だけは聞こえるような気がして、その度に私は声を掛けるのだけれど。
相変わらず訪れるのは静寂ばかりで、その度に胸を針で突かれたように痛みが走る。
皮肉にも、今日が私が唯一外に出られる好機の日だった。
何度繰り返したかも定かではない。
恐らく私の人生の大半が毎年同じ衣装に身を包み、祭り上げられる事だけが役目となって。
慣れた筈の独特の緊張感が今回に限っては、耐え難い程に胸を騒つかせる。
唯一拠り所となるのはあの子の存在だけだと言うのに、会話どころか安否すら定かではない状況では気持ちの置き場すら無くて。
したくもない化粧を施された目元は、拭う事すら許されず床に小さな泥濘みを作り上げた。
「玉依様。お時間で御座います」
「……はい」
扉越しに人の気配を感じて、私は急ぎ部屋の中央へと戻る。
それでも、気持ちの治りがつかず。
しゃくりあげた私の背後を影が覆った。
泣いて居る事など分かりきって居る筈なのに、慰めの言葉すら無く淡々と整えられていく最後の支度。
幼子では不釣り合いな、血染めの如き紅が小さな事で筆に乗せられ、向かい合った女の人の手は、私に近づく程に小刻みに揺れて居た。
何の為に。
誰の為に。
私は此処に居る事を強いられているのだろうか。
明確な回答を与えられない事への懐疑。
畏れ敬われる事への猜疑が私の中で日毎大きく膨れ上がり、爪を研ぐ。
「準備は整いまして御座います。参りましょう」
手を繋がれる事もなく、立ち上がった影に寄り添う訳でもなく。
数歩離れた距離を保ちながら向かう外の世界。
しかし、今の私には自身が期待した高揚感は微塵も無かった。
祭りの中央。
大きな篝火の前に誂えられた祭壇が毎年私の居場所になる。
其処には既に村の主だった人達が揃い、一様に私の元に平伏す。
少し離れた場所では、子供達のはしゃぐ声が聞こえるのに、私だけはその輪の中に入る事を常に許されず。
今になって理解した歪さを、何故これまで当たり前のものとして眺めて居たのだろう。
絶やされる事のない火が煌々と燃ゆる。
朔月の空では星だけが淡い瞬きを繰り返し、内容なんて理解出来ない呪詞が右から左へと流れていく。
毎年、言われた事だけを淡々とこなすお飾りにも等しい己の立ち位置。
向けられる視線を他所に、私は蚊帳の外に居る筈の子達が無性に羨ましく思えた。
私とあの子達の違いがあるのだとしたら、それは一体何なのだろうかと。
頼んだ訳でもないのに、始終己に対して首を垂れ続ける大人。
あの日から少しずつ抱き始めた不信感は、冷えた視線しか宿せず。
どれだけ時間があっても足りない筈の外の世界に目を向ける事もなく、私の頭の中は隣人の事ばかりとなって居た。
早く戻って、今度こそあの子が返事をしてくれるまで夜通し語りかけよう。
決意した拳を膝の上で握りしめる。
そうして己の元へやって来た、いつも飲まされる黒い珠。
見慣れたものの筈なのに、何故か今日に限ってはそれを見た瞬間。
背筋に悪寒が走り、唇が戦慄く。
「……やだ。それ、それは……いや」
自分自身、一体何が起きたのか判然としなかった。
それは、端的に言えば本能から来たものに近い。
これまで嫌々ながらも言う事を聞いて来た私の、初めての拒絶。
紡いだ声は弱々しく、隠しきれない恐怖を湛えて。
まるで金縛りにでもあったかのように身体が動く事は無く、まだ何を言われた訳でもされた訳でもないのに。
呼吸が浅くなり、視界すら滲む。
しかしそんな私の様子を見ても、庇ってくれる大人などこの場には誰一人として居ない。
寧ろ、今の私の反応を見て、向けられるのは歓喜にも似た声。
そして、己の目論見通りだと言わんばかりの村長の気味の悪い笑みのみで。
眼前に落ちた影は、私にとってこれまで経験した事のない程の恐怖を齎していく。
「無意識の知覚。魂が呼び合ったか……!ならば尚更、これは其方がその身に受けねばならぬ」
「おねがいします……っ!なんでもする。わがまま言わない……っ!!だから、それは……っ!」
「ならぬ。そうでなければ、これを此処まで育てた意味がない」
目の前に居た大人達が、取り囲むように私の周りに集まる。
腕を押さえつけられ、顎を鷲掴みにされ。
口元に押し付けられた珠に、私は頭を振り乱し、声にならない悲鳴を上げた。
それでも。
これがどれだけ非人道的な行いだったとしても。
此処にはそれを訴える人が居ない。
誰もがこの行いを大義だと信じ、妄信的にしきたりを信じる人達の前で、私はただの傀儡と同義だった。
小さな事で口に、無理やり押し込まれた黒い珠。
それは、これまで口にしたものの誰よりも禍々しく。
今にも吐き出してしまいそうな程に不味かった。
それでも、口を抑えられ。
鼻を摘まれ。
呼吸する術すら奪われた私には、最早成す術がなかった。
大きく一度、喉が鳴る。
その後には焼けるような熱を感じて。
ぼろぼろと涙を溢す私に、寄り添ってくれる人など求めるだけ無駄だった。
──ごめんね。真那。
その時。
何故、あの子の声が聞こえた気がしたのだろう。
鼓動が一つ、大きく鳴った。
耐え難い程に胸が痛み、その場で蹲った私を見て一層大きな歓声が沸き起こる。
馴染んだ視界の片隅で、炎に照らされた黒百合を見た。
それは二つが一つになった軌跡。
魂が呼び合った私達の運命。
そして、いつの日か一緒に……。
無邪気にそう願った私の夢が、永遠に叶う事は無くなった瞬間だった。
──記録 二〇〇六年十月某日
⬛︎⬛︎県⬛︎⬛︎市(旧⬛︎⬛︎村)
任務概要
村落内における、村人の神隠し。
その原因と、村で行われて居る儀式についての調査。
等級、一級。若しくは特級相当に値するものと思われ、此れを日下部篤也一級術師に一任する。
凡その人は長い年月を経た後。
これまでの自身の道程を振り返った時。
その分岐に気付き、あの時ああしていれば、こうしていれば。
そうやって己と向き合うのだろう。
端的に言うのなら、私にとって甚爾さんとの出会いは正にそれと言っても良い。
当たり前のように受け入れて来た現状が、彼の言葉を皮切りに歪なものに見えるようになり、私にやっと自我と言うものが芽生え始めた瞬間だったのかもしれない。
誰もが疑う事すらしなかった、古い因習に対しての疑念は最早完全に打ち砕かれ。
ただ、外の世界はもっと広く。
其処には自由があるのだと。
漠然と語られた夢のような世界の話を思い返す度、期待に胸を膨らませ続ける。
しかし、物心ついた時から鳥籠の中に居る私には知識も手段もない。
頼るべき相手も居ない。
此処を離れた所で、行くべき場所もない。
無知な幼児同然の私には、あの子の手を取って此処から逃げ出すだけの力すら持ち得えず。
あの子がそれを望んでいるのかすら、今は問いかける事が出来ない。
「……ねぇ。どうして、おへんじしてくれなくなっちゃったの?」
いつもの簡素な装いとは違う衣装が重苦しい。
動くたびに揺れる鈴の音が煩わしくて、毟り取りたくなる衝動を堪えながら身体を引き摺った。
積み重ねた玩具で隠した壁の綻び。
その少し上に額を擦り付け、紡いだ声を震わせる。
小さな拳を叩きつけも、弱々しい力ではびくともせず、己の声だけが反響する音を聞いて、唇を噛み締めた。
甚爾さんに懇願して隣人の安否を確かめようとしたのはもう数ヶ月も前の事になる。
しかし、それはこうなる事を予期していたかの様に一刻を待たずして戻って来た村長に阻まれ、結局私は何も知る事が出来なかった。
それからと言うもの、どんな話題を投げかけても梨の礫。
あのぶっきらぼうな声を、もう随分と聞いて居ない。
「おはなし、したいよ……」
時折物音だけは聞こえるような気がして、その度に私は声を掛けるのだけれど。
相変わらず訪れるのは静寂ばかりで、その度に胸を針で突かれたように痛みが走る。
皮肉にも、今日が私が唯一外に出られる好機の日だった。
何度繰り返したかも定かではない。
恐らく私の人生の大半が毎年同じ衣装に身を包み、祭り上げられる事だけが役目となって。
慣れた筈の独特の緊張感が今回に限っては、耐え難い程に胸を騒つかせる。
唯一拠り所となるのはあの子の存在だけだと言うのに、会話どころか安否すら定かではない状況では気持ちの置き場すら無くて。
したくもない化粧を施された目元は、拭う事すら許されず床に小さな泥濘みを作り上げた。
「玉依様。お時間で御座います」
「……はい」
扉越しに人の気配を感じて、私は急ぎ部屋の中央へと戻る。
それでも、気持ちの治りがつかず。
しゃくりあげた私の背後を影が覆った。
泣いて居る事など分かりきって居る筈なのに、慰めの言葉すら無く淡々と整えられていく最後の支度。
幼子では不釣り合いな、血染めの如き紅が小さな事で筆に乗せられ、向かい合った女の人の手は、私に近づく程に小刻みに揺れて居た。
何の為に。
誰の為に。
私は此処に居る事を強いられているのだろうか。
明確な回答を与えられない事への懐疑。
畏れ敬われる事への猜疑が私の中で日毎大きく膨れ上がり、爪を研ぐ。
「準備は整いまして御座います。参りましょう」
手を繋がれる事もなく、立ち上がった影に寄り添う訳でもなく。
数歩離れた距離を保ちながら向かう外の世界。
しかし、今の私には自身が期待した高揚感は微塵も無かった。
祭りの中央。
大きな篝火の前に誂えられた祭壇が毎年私の居場所になる。
其処には既に村の主だった人達が揃い、一様に私の元に平伏す。
少し離れた場所では、子供達のはしゃぐ声が聞こえるのに、私だけはその輪の中に入る事を常に許されず。
今になって理解した歪さを、何故これまで当たり前のものとして眺めて居たのだろう。
絶やされる事のない火が煌々と燃ゆる。
朔月の空では星だけが淡い瞬きを繰り返し、内容なんて理解出来ない呪詞が右から左へと流れていく。
毎年、言われた事だけを淡々とこなすお飾りにも等しい己の立ち位置。
向けられる視線を他所に、私は蚊帳の外に居る筈の子達が無性に羨ましく思えた。
私とあの子達の違いがあるのだとしたら、それは一体何なのだろうかと。
頼んだ訳でもないのに、始終己に対して首を垂れ続ける大人。
あの日から少しずつ抱き始めた不信感は、冷えた視線しか宿せず。
どれだけ時間があっても足りない筈の外の世界に目を向ける事もなく、私の頭の中は隣人の事ばかりとなって居た。
早く戻って、今度こそあの子が返事をしてくれるまで夜通し語りかけよう。
決意した拳を膝の上で握りしめる。
そうして己の元へやって来た、いつも飲まされる黒い珠。
見慣れたものの筈なのに、何故か今日に限ってはそれを見た瞬間。
背筋に悪寒が走り、唇が戦慄く。
「……やだ。それ、それは……いや」
自分自身、一体何が起きたのか判然としなかった。
それは、端的に言えば本能から来たものに近い。
これまで嫌々ながらも言う事を聞いて来た私の、初めての拒絶。
紡いだ声は弱々しく、隠しきれない恐怖を湛えて。
まるで金縛りにでもあったかのように身体が動く事は無く、まだ何を言われた訳でもされた訳でもないのに。
呼吸が浅くなり、視界すら滲む。
しかしそんな私の様子を見ても、庇ってくれる大人などこの場には誰一人として居ない。
寧ろ、今の私の反応を見て、向けられるのは歓喜にも似た声。
そして、己の目論見通りだと言わんばかりの村長の気味の悪い笑みのみで。
眼前に落ちた影は、私にとってこれまで経験した事のない程の恐怖を齎していく。
「無意識の知覚。魂が呼び合ったか……!ならば尚更、これは其方がその身に受けねばならぬ」
「おねがいします……っ!なんでもする。わがまま言わない……っ!!だから、それは……っ!」
「ならぬ。そうでなければ、これを此処まで育てた意味がない」
目の前に居た大人達が、取り囲むように私の周りに集まる。
腕を押さえつけられ、顎を鷲掴みにされ。
口元に押し付けられた珠に、私は頭を振り乱し、声にならない悲鳴を上げた。
それでも。
これがどれだけ非人道的な行いだったとしても。
此処にはそれを訴える人が居ない。
誰もがこの行いを大義だと信じ、妄信的にしきたりを信じる人達の前で、私はただの傀儡と同義だった。
小さな事で口に、無理やり押し込まれた黒い珠。
それは、これまで口にしたものの誰よりも禍々しく。
今にも吐き出してしまいそうな程に不味かった。
それでも、口を抑えられ。
鼻を摘まれ。
呼吸する術すら奪われた私には、最早成す術がなかった。
大きく一度、喉が鳴る。
その後には焼けるような熱を感じて。
ぼろぼろと涙を溢す私に、寄り添ってくれる人など求めるだけ無駄だった。
──ごめんね。真那。
その時。
何故、あの子の声が聞こえた気がしたのだろう。
鼓動が一つ、大きく鳴った。
耐え難い程に胸が痛み、その場で蹲った私を見て一層大きな歓声が沸き起こる。
馴染んだ視界の片隅で、炎に照らされた黒百合を見た。
それは二つが一つになった軌跡。
魂が呼び合った私達の運命。
そして、いつの日か一緒に……。
無邪気にそう願った私の夢が、永遠に叶う事は無くなった瞬間だった。
──記録 二〇〇六年十月某日
⬛︎⬛︎県⬛︎⬛︎市(旧⬛︎⬛︎村)
任務概要
村落内における、村人の神隠し。
その原因と、村で行われて居る儀式についての調査。
等級、一級。若しくは特級相当に値するものと思われ、此れを日下部篤也一級術師に一任する。