呪の玉依
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空咳を繰り返し、溢れた涙を拭った。
指を握った手に力を籠めると、身体の末端だと言うのに小さく脈を打ち、自分とは違うよ温もりを感じる。
私にとって、それは鮮烈な体験だった。
誰かに抱きしめてもらった覚えも無ければ、手を繋いだ事もない。
世話を焼いてくれる大人は不用意に私が触れてしまうとその後酷く怯えた姿を見せ、以来自ら誰かに触れようと思う事も無くなってしまったから。
しかし、その様子を訝しげに眺めた甚爾さんが、暫く思いに老けるかのようにして今し方私が握って居た自身の手を眺め、やがて何かを振り払うように視線を外した。
初めての経験に風船の如く膨らんだ気持ちが、一瞬にして萎んでいく。
けれど、其処で一歩距離を置くことをしなかったのは、まだ私が幼かったからなのか。
はたまた、ただの阿呆だったからなのか。
俯き加減になった顔を上げると、徐に甚爾さんの片手が私の掴んで居た。
むにむにと頬の感触を楽しむように指が動く。
擽ったい様な、加減が分からないが故に少し痛むような。
何より喋りにくい事にイヤイヤと首を振ってみたものの、聞こえたのは噛み殺すような笑いばかりで顔を覆う程の大きな手は一向に離れる様子がない。
「とーじさんは、お外からきたひと?」
「野暮用でな。にしても、似てるな。後十年もすりゃ良い女になる。母親譲りで良かったな」
「はは、おや?ってなぁに?」
「オカアサンって言った方が分かりやすいか?」
「おかあさん……?しらない」
その言葉と同時に、頬を掴んでいた力が弱まって行く。
この時、甚爾さんが顔を歪めたのは私の言い方に問題があったからなのか。
動きを止めた手が離れた事に、また残念だと思う気持ちが芽生え、思わず唇を尖らせる。
私とて、人の子である以上誰かの胎から産まれて居るに違いない。
しかし、それは紛れもない私の本音。
居ない訳でも、居なくなった訳でもなく。
ただ最初からその存在を「知らない」のだ。
愛とは与え、与えられて初めて育まれるものだ。
多くの人達はそれらを親から与えられ、他者への慈しみに変える。
故に私達は知らなかった。
凡そ親と言うものは、当たり前に子を慈しみ守ろうとする事を。
言葉の端々から察すれば、甚爾さんは恐らく私の母と言う人を知って居るのだろう。
知りたいか?そう問いかけられ、私は緩く首を振る。
見たこともない血縁より、私にとって唯一大事なものは別の所にあったから。
「ねぇ。とーじさん。おかあさんより、となりのおへやに居る子。げんきかしってる?あのね。ずっとお話してくれてたの。でもね、最近お話できてないの。こっそり話しかけても、お返事がないの」
「……オマエ、相手が誰か知ってんのか?」
「しらない。おなまえもおしえてくれない。でも、話しかけると返してくれるよ。ここに来る人にはないしょだけど、たくさん。いっぱい。お話したの。それでね。いつかね、お外にいっしょにいこうねって約束したんだよ」
緩み切った私の表情を見て、甚爾さんは一度でも大きく目を見開いた後に怪訝な顔をした。
一度でいいから誰かにこの事を語りたいと常々思っていた私は小さな願望が叶った事に気をよくして、胸の内を知ってもらおうと必死になる。
いつか、きっと。
広い広い空の下で、あの子と一緒に笑い合える日が来るのだと。
無邪気に描いた夢を語る事が出来たのは、甚爾さんが外の人で、私に対する興味や関心が村の人とは違うものだと本能的に感じたからなのだろう。
その手は容易に私を縊る程に大きく、透明でありながら殺伐とした雰囲気は刺々しい。
目付きも悪ければ子供にこそ向けるべきだと思える態度の一つも見せない。
けれど、今の私にとってこの人以上に本音を語れる人が居なかったのもまた、事実であり。
座り込んだまま、私を見下す瞳が宿した居たのは哀れみなのか。
それとも怒りなのかまで、この時の私に分かる由もない。
「オマエは何で現状を受け入れる?」
「げんじょう?」
「この生活の事だ。普通じゃねぇだろ」
「だって、ずっとこうだから。でもね、さみしくないよ。あの子がお話きいてくれるし。ごはんももらえる。それに、黒い珠。まずくて苦手だけど。飲むとみんながよろこんでくれる」
重苦しい音を奏でながら、身動いだ私の脚元で鎖が鳴った。
身形こそ整い、子供が喜ぶであろう玩具に囲まれながらも、その環境は他者の目には明らかに異質であり、引いてはこの村全体が世界の常識から遥かに逸脱した存在だったのだろう。
ただ、今の私にはこの部屋だけが居場所であり、世界に等しい。
知らなければ求める事もない。
持ち得なければ羨む事もない。
幸か不幸か、私はこれまで外を知らずに生きていたのだから。
そして、死を恐れず。
村の掟に準ずる事だけが生きる指標であり幸福なのだと。
この村の誰もがそうやって育てられて来ているのだ。
それを否定する事は自身を否定する事にも等しい。
否、寧ろ洗脳にも近い言霊を。
環境を疑う人が居るかさえ疑わしい。
しかし、甚爾さんは外から来た人で、その概念は当てはまらない。
徐に私の片脚。
この部屋から出る事を阻む鎖を掴むと、高々と掲げられた拍子に、私は床に転がった。
「他人だけを尊ぶな。自分だけを貶めるな。どうせやるなら両方だ。それが出来ねぇなら、どっちも辞めちまえ」
「むずかしい事いってる」
「オマエを大事にしねぇヤツを、オマエが大事に思う必要は無ぇって事だ」
「私、だいじにされてない?」
「……どうだろうな。少なくとも、お前の母親はこんなもんを望んでは居なかっただろうよ。特別であろうが無かろうが。自分にとって子供は宝物らしい。俺が見た母親ってのは、そう言うもんだった」
この時、甚爾さんが言った「母」とは誰を指して居たのだろうか。
今日、初めて顔を合わせ。
言葉を交わしてまだ四半刻では互いを知るには余りにも短く、幼い私では理解の及ばない事も多い。
目線を下げた甚爾さんの長めの前髪が揺れる。
独特な雰囲気を醸し出す相貌に影が落ちた様な錯覚を抱き、私は首を捻りながら己の心のままに、言葉を紡いだ。
「とーじさん。さみしい?」
「さぁな。そんなもん、とうの昔に忘れた」
その口元には皮肉めいた笑みが浮かび、何故か今の甚爾さんが私にはとても小さく見えた。
私が産声を上げた時。
抱いてくれたのは揺籠でも母の腕でも無く、全てを飲み込むが如く昏い呪いの中だったのだと言う。
あらゆる負の感情を寄せ集め、ないまぜにした深淵。
浴に沈めた女の胎から産まれた子供が、私だったのだと。
彼は侮蔑の視線を向けて室内を眺め、私を一瞥してから言い放った。
此処は、私は。
まるで全てを呑み込む闇そのものだと。
それは、強ち間違いではなかったのかもしれない。
私は、生まれる前から呪に抱かれて居たから。
でもね、それでも。
決して光が無かった訳じゃない。
表裏一体、相即不離、そして一心同体。
だって、影が無ければ光は存在しないのだから。
指を握った手に力を籠めると、身体の末端だと言うのに小さく脈を打ち、自分とは違うよ温もりを感じる。
私にとって、それは鮮烈な体験だった。
誰かに抱きしめてもらった覚えも無ければ、手を繋いだ事もない。
世話を焼いてくれる大人は不用意に私が触れてしまうとその後酷く怯えた姿を見せ、以来自ら誰かに触れようと思う事も無くなってしまったから。
しかし、その様子を訝しげに眺めた甚爾さんが、暫く思いに老けるかのようにして今し方私が握って居た自身の手を眺め、やがて何かを振り払うように視線を外した。
初めての経験に風船の如く膨らんだ気持ちが、一瞬にして萎んでいく。
けれど、其処で一歩距離を置くことをしなかったのは、まだ私が幼かったからなのか。
はたまた、ただの阿呆だったからなのか。
俯き加減になった顔を上げると、徐に甚爾さんの片手が私の掴んで居た。
むにむにと頬の感触を楽しむように指が動く。
擽ったい様な、加減が分からないが故に少し痛むような。
何より喋りにくい事にイヤイヤと首を振ってみたものの、聞こえたのは噛み殺すような笑いばかりで顔を覆う程の大きな手は一向に離れる様子がない。
「とーじさんは、お外からきたひと?」
「野暮用でな。にしても、似てるな。後十年もすりゃ良い女になる。母親譲りで良かったな」
「はは、おや?ってなぁに?」
「オカアサンって言った方が分かりやすいか?」
「おかあさん……?しらない」
その言葉と同時に、頬を掴んでいた力が弱まって行く。
この時、甚爾さんが顔を歪めたのは私の言い方に問題があったからなのか。
動きを止めた手が離れた事に、また残念だと思う気持ちが芽生え、思わず唇を尖らせる。
私とて、人の子である以上誰かの胎から産まれて居るに違いない。
しかし、それは紛れもない私の本音。
居ない訳でも、居なくなった訳でもなく。
ただ最初からその存在を「知らない」のだ。
愛とは与え、与えられて初めて育まれるものだ。
多くの人達はそれらを親から与えられ、他者への慈しみに変える。
故に私達は知らなかった。
凡そ親と言うものは、当たり前に子を慈しみ守ろうとする事を。
言葉の端々から察すれば、甚爾さんは恐らく私の母と言う人を知って居るのだろう。
知りたいか?そう問いかけられ、私は緩く首を振る。
見たこともない血縁より、私にとって唯一大事なものは別の所にあったから。
「ねぇ。とーじさん。おかあさんより、となりのおへやに居る子。げんきかしってる?あのね。ずっとお話してくれてたの。でもね、最近お話できてないの。こっそり話しかけても、お返事がないの」
「……オマエ、相手が誰か知ってんのか?」
「しらない。おなまえもおしえてくれない。でも、話しかけると返してくれるよ。ここに来る人にはないしょだけど、たくさん。いっぱい。お話したの。それでね。いつかね、お外にいっしょにいこうねって約束したんだよ」
緩み切った私の表情を見て、甚爾さんは一度でも大きく目を見開いた後に怪訝な顔をした。
一度でいいから誰かにこの事を語りたいと常々思っていた私は小さな願望が叶った事に気をよくして、胸の内を知ってもらおうと必死になる。
いつか、きっと。
広い広い空の下で、あの子と一緒に笑い合える日が来るのだと。
無邪気に描いた夢を語る事が出来たのは、甚爾さんが外の人で、私に対する興味や関心が村の人とは違うものだと本能的に感じたからなのだろう。
その手は容易に私を縊る程に大きく、透明でありながら殺伐とした雰囲気は刺々しい。
目付きも悪ければ子供にこそ向けるべきだと思える態度の一つも見せない。
けれど、今の私にとってこの人以上に本音を語れる人が居なかったのもまた、事実であり。
座り込んだまま、私を見下す瞳が宿した居たのは哀れみなのか。
それとも怒りなのかまで、この時の私に分かる由もない。
「オマエは何で現状を受け入れる?」
「げんじょう?」
「この生活の事だ。普通じゃねぇだろ」
「だって、ずっとこうだから。でもね、さみしくないよ。あの子がお話きいてくれるし。ごはんももらえる。それに、黒い珠。まずくて苦手だけど。飲むとみんながよろこんでくれる」
重苦しい音を奏でながら、身動いだ私の脚元で鎖が鳴った。
身形こそ整い、子供が喜ぶであろう玩具に囲まれながらも、その環境は他者の目には明らかに異質であり、引いてはこの村全体が世界の常識から遥かに逸脱した存在だったのだろう。
ただ、今の私にはこの部屋だけが居場所であり、世界に等しい。
知らなければ求める事もない。
持ち得なければ羨む事もない。
幸か不幸か、私はこれまで外を知らずに生きていたのだから。
そして、死を恐れず。
村の掟に準ずる事だけが生きる指標であり幸福なのだと。
この村の誰もがそうやって育てられて来ているのだ。
それを否定する事は自身を否定する事にも等しい。
否、寧ろ洗脳にも近い言霊を。
環境を疑う人が居るかさえ疑わしい。
しかし、甚爾さんは外から来た人で、その概念は当てはまらない。
徐に私の片脚。
この部屋から出る事を阻む鎖を掴むと、高々と掲げられた拍子に、私は床に転がった。
「他人だけを尊ぶな。自分だけを貶めるな。どうせやるなら両方だ。それが出来ねぇなら、どっちも辞めちまえ」
「むずかしい事いってる」
「オマエを大事にしねぇヤツを、オマエが大事に思う必要は無ぇって事だ」
「私、だいじにされてない?」
「……どうだろうな。少なくとも、お前の母親はこんなもんを望んでは居なかっただろうよ。特別であろうが無かろうが。自分にとって子供は宝物らしい。俺が見た母親ってのは、そう言うもんだった」
この時、甚爾さんが言った「母」とは誰を指して居たのだろうか。
今日、初めて顔を合わせ。
言葉を交わしてまだ四半刻では互いを知るには余りにも短く、幼い私では理解の及ばない事も多い。
目線を下げた甚爾さんの長めの前髪が揺れる。
独特な雰囲気を醸し出す相貌に影が落ちた様な錯覚を抱き、私は首を捻りながら己の心のままに、言葉を紡いだ。
「とーじさん。さみしい?」
「さぁな。そんなもん、とうの昔に忘れた」
その口元には皮肉めいた笑みが浮かび、何故か今の甚爾さんが私にはとても小さく見えた。
私が産声を上げた時。
抱いてくれたのは揺籠でも母の腕でも無く、全てを飲み込むが如く昏い呪いの中だったのだと言う。
あらゆる負の感情を寄せ集め、ないまぜにした深淵。
浴に沈めた女の胎から産まれた子供が、私だったのだと。
彼は侮蔑の視線を向けて室内を眺め、私を一瞥してから言い放った。
此処は、私は。
まるで全てを呑み込む闇そのものだと。
それは、強ち間違いではなかったのかもしれない。
私は、生まれる前から呪に抱かれて居たから。
でもね、それでも。
決して光が無かった訳じゃない。
表裏一体、相即不離、そして一心同体。
だって、影が無ければ光は存在しないのだから。