呪の玉依
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連日響く蝉の音の中に、子供達の黄色い声が重なる。
その中に混ざってみたいと願う気持ちはいつも吐き出される事なく、楽しそうな気配を感じては耳を塞いだ。
相変わらず切り取られた空は高く、手を伸ばしても遥か遠い。
数ヶ月後。
八百万の神々が不在となる月に、この村では年に一度の祭りが行われる。
例年この時期になると、粛々とその準備が始めらて行く。
三度の食事の時間以外滅多に人の出入りがない私の元には様々な人がやって来る様になり、来るべき祭りの為にと、側に控える事が増える。
儀式の連日冷たい水で身体を潔め、食事は質素なものへと変わり、何に向けたものか分からない祈りを捧げ、変わり映えのなかった私の一日は殆どを奪われて行く。
それらの意味を、私は知らない。
知った所で拒む権利もなければ彼等が教えてくれるのは、全てが儀式に必要なものだと言う事だけ。
そして、この年に至っては一等特別なものになるらしく、大人達の鬼気迫る表情に私は気圧されて居た。
まるで常に監視されているような居心地の悪さを感じ、隣人の様子を伺う隙間も無い。
細やかな楽しみであった会話すら取り上げられてしまい、私の気分は下がる一方。
せめて様子を知る術でもあれば少しは気持ちも落ち着くと言うのに。
周囲の人達は私達に繋がりがある事を知らず、問う事も出来やしない。
形式的な会話しかしてくれない大人では慰みにもならず。
早くこの慌ただしい日々が終わってくれたら。
そんな事を考えるようになったのは、年を追う毎に隣人への興味が募って行ったからなのだろうか。
さして興味も無くなった玩具が、真新しいまま転がる。
欲しいと強請った訳でもないのに与えられ続ける玩具は私にとっては無機質な我楽多と同義で、遊んだ覚えすら殆どない。
「お話、したいな……」
いつも耳を傾ける小さな壁の綻びに、視線を向けた。
呼びかけたら、今日こそあの子は私の声に答えてくれるだろうか。
ここ数日、人目を盗んで話しかけた事はあった。
それなのに、気配はするのに隣人は一向に私の呼び声に答えてくれる事はなく。
一昨日、昨夜に至っては気配すら殺して居るのか。
存在すら感じられなくなってしまった。
もしかしたら、これまで連日に渡りしつこい位に話しかけて居た私に嫌気がさしてしまった可能性は否めない。
けれど、あの子は少し面倒くさそうな声を出しながらも私の呼びかけには絶対応えてくれて居たのだ。
もし、自分に非があるのなら。
謝罪して仲直りしたい。
また、取り留めのない話をして笑い合い、手を取り合う事が無くとも存在を感じて居たい。
狭くもなければ広くもない。
不自由は無いけれど自由もない。
この籠の中。
殆どを一人で過ごしていた私にとって、そう思う事は至極自然な事だっただろう。
しかし、壁に向かおうと私が一歩脚を動かした時。
響く足音に歩みを止める。
それは徐々に此方に近づき、後ろめたい気持ちからか、焦燥に鼓動が早鐘を打つ。
外から小さく鍵の開く音がした。
鈍い音を立てて重厚な鉄の扉が開き、私は息を止めてその場で小さく蹲った。
「相変わらず、辛気臭ぇ場所だな」
「その軽口を慎め。今代の玉依は歴代の中でも稀少な存在だ。我らですら日毎近づく事に恐怖を抱くようになって居る。貴様に呪力が無い事を有り難く思うが良い」
見上げた視線の先。
村の長を務める老人が、私を一瞥する。
その傍らには長より一回り以上も大きな熊を思わせる男の人が並び、床に座り込んだ私と視線が絡む。
その人からは何とも言い難い、不思議な空気を感じた気がした。
村一番の権力者よりも遥かに隆々とした身体つきは、此処と外を隔てる扉すら容易に突き破りそうに思えた。
気怠い雰囲気を纏いながらも鋭い目元は獣にも似て居て、僅かな動きにすら隙も無駄もない。
何よりも其処だけが異質に切り取られ、誰もが当たり前に纏って居る筈の澱みを感じる事が無くて。
肌を刺すような緊張感の中に、雲一つない空を見た気がする。
「へぇへぇ。で、コイツが噂のお姫様か。まだガキじゃねぇか。だが、よく似てるな」
「あれが行方を眩ませた時にはどうしたものかと思ったがな。数年を掛けてやっと器が整った。後は核を入れるのみだ」
「多少話は聞いてるが、昔っから考える事がえげつねぇな。あれだけの良い女もアンタらにとっちゃただの道具か。ま、俺は金さえもらえりゃどうでも良いが」
私と目線を合わせるように村長に向かって軽口を叩きながら、その人は眼前で腰を下ろした。
烏のような黒髪。
口元の傷跡。
緩慢な動作とは対照的に、その眼光は鋭利な刃物を思わせ、此方の反応を伺う様子はあからさまに私を値踏みしたものと言っても良い。
それなのに、酷く心地いいと感じた。
常に私を取り巻く靄すら祓ってしまいそうな程に。
「……きれい」
交わされる会話の内容なんてものに興味はなく、思わず私は手を伸ばす。
厳密に言えば小さな手は眼前の人に触れる事はなく、その周囲の空気を撫でて。
刹那、惚けた口元が楽しげに吊り上がる。
「ジジィ。ガキと少し話させろ」
「……半刻後に戻る。くれぐれも余計な事は言うでないぞ。玉依、これを」
「……は、い」
村長がその人に釘を刺す。
差し出された黒い珠を受け取った私は、引き攣った喉から声を絞り出し、小さな手を震わせた。
これが、ただ身の回りの世話をしてくれるだけの人だったのなら。
悟られる程のものではなかったとしても、私の表情は変わって居たに違いない。
しかし、村の権力者である長の言う事は絶対だ。
歯向かえば待っているのは、幼い私では耐え難いの苦痛の数々となる事を既に身を以て教え込まれて居る。
いつからか、この人にだけは逆らってはいけないと本能が警鐘を鳴らすようになった。
同時に、私を通して何かを見ている様な視線はいつになっても慣れることはなく。
大きな影に身を隠すようにして私は一層身を縮こませた。
縋り付くように、伸ばした手が目の前の太い指の一本を掴む。
やがて鈍い音と共に重苦しい空気が和らぎ、深く深く。
大きく肺を膨らませ、酸素を取り込んだ。
手渡されたばかりの珠は村長が戻ってくる前にと、急いで飲み込む。
片手で口元を抑え、必死に嚥下する様を見つめるだけだったその人は、涙目になりながら俯いた私の顔を覗き込んだ。
「オマエ、名前は?」
「……真那。おじさんは、だぁれ?」
「……おじさんはねぇだろ。伏黒甚爾。せめてお兄さんって呼べ」
普通ならば、幼子が涙ながらに言いつけを守る姿を目にして手を差し伸べない人の方が珍しいのかも知れない。
しかし、私にも甚爾さんにもそう言った常識が著しく欠如して居た。
持たざるが故に孤独だった者。
持たされてしまったが故に孤独になった者。
私達は似て非なる者であり、互いに欠けて居た。
それは尭孝と呼ぶべきか、奇禍と呼ぶべきか。
何れにせよこの刹那的な邂逅は、意味を成してしまったのだろう。
その中に混ざってみたいと願う気持ちはいつも吐き出される事なく、楽しそうな気配を感じては耳を塞いだ。
相変わらず切り取られた空は高く、手を伸ばしても遥か遠い。
数ヶ月後。
八百万の神々が不在となる月に、この村では年に一度の祭りが行われる。
例年この時期になると、粛々とその準備が始めらて行く。
三度の食事の時間以外滅多に人の出入りがない私の元には様々な人がやって来る様になり、来るべき祭りの為にと、側に控える事が増える。
儀式の連日冷たい水で身体を潔め、食事は質素なものへと変わり、何に向けたものか分からない祈りを捧げ、変わり映えのなかった私の一日は殆どを奪われて行く。
それらの意味を、私は知らない。
知った所で拒む権利もなければ彼等が教えてくれるのは、全てが儀式に必要なものだと言う事だけ。
そして、この年に至っては一等特別なものになるらしく、大人達の鬼気迫る表情に私は気圧されて居た。
まるで常に監視されているような居心地の悪さを感じ、隣人の様子を伺う隙間も無い。
細やかな楽しみであった会話すら取り上げられてしまい、私の気分は下がる一方。
せめて様子を知る術でもあれば少しは気持ちも落ち着くと言うのに。
周囲の人達は私達に繋がりがある事を知らず、問う事も出来やしない。
形式的な会話しかしてくれない大人では慰みにもならず。
早くこの慌ただしい日々が終わってくれたら。
そんな事を考えるようになったのは、年を追う毎に隣人への興味が募って行ったからなのだろうか。
さして興味も無くなった玩具が、真新しいまま転がる。
欲しいと強請った訳でもないのに与えられ続ける玩具は私にとっては無機質な我楽多と同義で、遊んだ覚えすら殆どない。
「お話、したいな……」
いつも耳を傾ける小さな壁の綻びに、視線を向けた。
呼びかけたら、今日こそあの子は私の声に答えてくれるだろうか。
ここ数日、人目を盗んで話しかけた事はあった。
それなのに、気配はするのに隣人は一向に私の呼び声に答えてくれる事はなく。
一昨日、昨夜に至っては気配すら殺して居るのか。
存在すら感じられなくなってしまった。
もしかしたら、これまで連日に渡りしつこい位に話しかけて居た私に嫌気がさしてしまった可能性は否めない。
けれど、あの子は少し面倒くさそうな声を出しながらも私の呼びかけには絶対応えてくれて居たのだ。
もし、自分に非があるのなら。
謝罪して仲直りしたい。
また、取り留めのない話をして笑い合い、手を取り合う事が無くとも存在を感じて居たい。
狭くもなければ広くもない。
不自由は無いけれど自由もない。
この籠の中。
殆どを一人で過ごしていた私にとって、そう思う事は至極自然な事だっただろう。
しかし、壁に向かおうと私が一歩脚を動かした時。
響く足音に歩みを止める。
それは徐々に此方に近づき、後ろめたい気持ちからか、焦燥に鼓動が早鐘を打つ。
外から小さく鍵の開く音がした。
鈍い音を立てて重厚な鉄の扉が開き、私は息を止めてその場で小さく蹲った。
「相変わらず、辛気臭ぇ場所だな」
「その軽口を慎め。今代の玉依は歴代の中でも稀少な存在だ。我らですら日毎近づく事に恐怖を抱くようになって居る。貴様に呪力が無い事を有り難く思うが良い」
見上げた視線の先。
村の長を務める老人が、私を一瞥する。
その傍らには長より一回り以上も大きな熊を思わせる男の人が並び、床に座り込んだ私と視線が絡む。
その人からは何とも言い難い、不思議な空気を感じた気がした。
村一番の権力者よりも遥かに隆々とした身体つきは、此処と外を隔てる扉すら容易に突き破りそうに思えた。
気怠い雰囲気を纏いながらも鋭い目元は獣にも似て居て、僅かな動きにすら隙も無駄もない。
何よりも其処だけが異質に切り取られ、誰もが当たり前に纏って居る筈の澱みを感じる事が無くて。
肌を刺すような緊張感の中に、雲一つない空を見た気がする。
「へぇへぇ。で、コイツが噂のお姫様か。まだガキじゃねぇか。だが、よく似てるな」
「あれが行方を眩ませた時にはどうしたものかと思ったがな。数年を掛けてやっと器が整った。後は核を入れるのみだ」
「多少話は聞いてるが、昔っから考える事がえげつねぇな。あれだけの良い女もアンタらにとっちゃただの道具か。ま、俺は金さえもらえりゃどうでも良いが」
私と目線を合わせるように村長に向かって軽口を叩きながら、その人は眼前で腰を下ろした。
烏のような黒髪。
口元の傷跡。
緩慢な動作とは対照的に、その眼光は鋭利な刃物を思わせ、此方の反応を伺う様子はあからさまに私を値踏みしたものと言っても良い。
それなのに、酷く心地いいと感じた。
常に私を取り巻く靄すら祓ってしまいそうな程に。
「……きれい」
交わされる会話の内容なんてものに興味はなく、思わず私は手を伸ばす。
厳密に言えば小さな手は眼前の人に触れる事はなく、その周囲の空気を撫でて。
刹那、惚けた口元が楽しげに吊り上がる。
「ジジィ。ガキと少し話させろ」
「……半刻後に戻る。くれぐれも余計な事は言うでないぞ。玉依、これを」
「……は、い」
村長がその人に釘を刺す。
差し出された黒い珠を受け取った私は、引き攣った喉から声を絞り出し、小さな手を震わせた。
これが、ただ身の回りの世話をしてくれるだけの人だったのなら。
悟られる程のものではなかったとしても、私の表情は変わって居たに違いない。
しかし、村の権力者である長の言う事は絶対だ。
歯向かえば待っているのは、幼い私では耐え難いの苦痛の数々となる事を既に身を以て教え込まれて居る。
いつからか、この人にだけは逆らってはいけないと本能が警鐘を鳴らすようになった。
同時に、私を通して何かを見ている様な視線はいつになっても慣れることはなく。
大きな影に身を隠すようにして私は一層身を縮こませた。
縋り付くように、伸ばした手が目の前の太い指の一本を掴む。
やがて鈍い音と共に重苦しい空気が和らぎ、深く深く。
大きく肺を膨らませ、酸素を取り込んだ。
手渡されたばかりの珠は村長が戻ってくる前にと、急いで飲み込む。
片手で口元を抑え、必死に嚥下する様を見つめるだけだったその人は、涙目になりながら俯いた私の顔を覗き込んだ。
「オマエ、名前は?」
「……真那。おじさんは、だぁれ?」
「……おじさんはねぇだろ。伏黒甚爾。せめてお兄さんって呼べ」
普通ならば、幼子が涙ながらに言いつけを守る姿を目にして手を差し伸べない人の方が珍しいのかも知れない。
しかし、私にも甚爾さんにもそう言った常識が著しく欠如して居た。
持たざるが故に孤独だった者。
持たされてしまったが故に孤独になった者。
私達は似て非なる者であり、互いに欠けて居た。
それは尭孝と呼ぶべきか、奇禍と呼ぶべきか。
何れにせよこの刹那的な邂逅は、意味を成してしまったのだろう。