永遠という名の愛
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誰もが一度は聞いた事があるであろう六月の花嫁。
その由来は諸説あるけれど、結婚と言うものを意識した女にとって、それはある意味憧れと同時に象徴にも近い。
六月に結婚式を挙げると、生涯幸せな結婚生活を送れる。
まるで根拠など無いと言うのに、恋人から夫婦へと形を変える人達の意識が一度は其処に向かうのは、やはり期待と同時に不安を抱くからなのか。
他人同士が家族になる上での線引きはジンクスに頼ってどうにかなるものでは無い。
互いを思いやり、慈しみ。
そう言ったものの上に成り立つ薄氷と言っても過言では無いし、その日々はありきたりな奇跡にも等しいのだから。
然程拘りは無かったはずなのに、そんなものにも頼ってみても良いのでは無いかと思うのは、私達の報われなかった前世のせいなのだろうか。
五条さんが何の気なしに放った言葉は、とても惹かれるものがあった。
しかし、挙式と同時に籍を入れようと話して居た私たちにとって、一年以上その門出が先送りになってしまうというのは些か酷な話だ。
それなのに、そんな憂いすら持ち前の機転でどうにかしてしまうのが、五条さんという人物らしい。
昨今では挙式には最低三ヶ月あれば何とかなる。
元より近しい人達だけで行われるものならばいっそ全て巻き込んで身内だけで盛大なものに変えて仕舞えば良いのだと。
逸る気持ちを抑えきれない建人さんすらも説得して見せてしまい、情報誌の謳い文句を実現するさせるかの様に、息吹の宿る季節を前に私達の怒涛の日々が幕を開けた。
連日、私達は会場を探し回った。
情報誌を二人で覗き込みながら、望む形の挙式が出来る場所を探しては本に折り目をつけて行く。
やっと気に入った場所を見つけるや否や、五条さんがお得意の魔法を使って希望の日に晴れの舞台を押さえてくれて。
私達はその手腕に圧倒されながらも、小さな結婚式の準備を着々と進めていった。
飾りつけや花を選ぶのは私、料理はやはり舌の肥えた建人さんが拘りを発揮する。
ドレスの試着を幾度も繰り返し、運命の一着と呼ばれるものを探し求め。
季節はいつのまにか春も盛りを過ぎた若葉の頃へと移り変わって行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
週末の黄昏時は忙しなく、行く人も日中に比べると随分数を減らした。
式場で打ち合わせを終えた私達は、間近に迫る門出の準備に追われながらも穏やかな生活を軌道に乗せていく。
買い物袋を片手に、私達は空いた手を重ねて伸びた影を歩道に並べた。
婚約発表をしてから、早数週。
順調に引越しの手続きは終わり、今では建人さんの自宅が私の家であり、帰る場所へと変わった。
私が休みの日には、腕によりをかけて料理を作り、その日だけは会社から真っ直ぐに帰宅する建人さんを迎える時。
これからはこんな日常が続いていくのだと、細やかな幸せを噛み締めた。
先ずは形からだと、週末になると私達はありったけの時間を費やして準備に奔走して居る。
少しずつ形になる晴れの日に、想いも加速して膨れ上がった。
「指輪は、本当にあれでよかったんですか?」
「はい。色々悩んでしまったけど、どうしてか建人さんが見て居た指輪に一番惹かれたんです。ドレスも次で決められそうです」
「そうですか。何から何まで、楽しみな事ばかりです。ですが、アナタ、最近夜になると随分根を詰めて居るでしょう。以前もそうでしたが、あまり無理をしない様に」
「すみません。つい楽しくて、夢中になってしまうんですが、気をつけますね」
「……その言葉を聞くのは、二度目ですね」
建人さんが追慕するかの如く、過去に想いを馳せた。
式場が決まったのなら、急ぎ指輪を準備しなければならない。
挙式まで残すところ後僅かとなると私達は象徴である愛の証を求めて、何件ものお店を梯子した。
ショーケースに並ぶ煌びやかな指輪を眺めては頭を悩ませ、まるで宝物を見つけた子供の様に目を輝かせて。
唸る様に考え込む私を見ては建人さんは隣りで見守ってくれた。
結局、結婚指輪は私だけでは到底決める事が出来なかった。
元々決断力が弱いと言う事もあったのだろうけれど、この先もずっと互いを繋ぐものになるかと思うと私の一存だけでは決めかねてしまって。
随分悩んだものの、たまたま建人さんが視線を向けた指輪に酷く心が震え。
これが良いと、悩み続けて居た事が嘘の様に決意が固まっていった。
それは奇しくも、前世で選んだ指輪とよく似て居たらしい。
そんな所まで変わらないのかと、彼は懐かしく、愛おしそうに目を細めた。
少しずつ建人さんの中でも今と過去の境界が明確になって居るのだろうか。
魘される回数は以前より随分と減ったし、ふとした時に、懐かしむ様にかつての青い春を語る様になった。
その度に私は寄り添いながらその言葉に耳を傾け、私の知らない彼と私を、記憶の一頁として刻む。
「ただいま」と帰宅して「おかえり」と出迎える。
たったそれだけのありきたりな事がこんなにも尊いと思える日が来るだなんて、ほんの一年前の私ならば想像もつかなかったに違いない。
帰宅して共にキッチンへ向かった。
今日は外で食事を済ませてしまったけれど、買ってきた荷物を整理して、明日からの献立に頭を悩ませる。
しかし、建人さんは片付けをしながらも何処か少しばかり上の空の様にも思えた。
何かタイミングを見計らっている様な雰囲気すら漂わせる。
「お願いしても大丈夫ですか?」
「はい。すぐに終わるので、コーヒー淹れて持っていきますね」
「お願いします」
指の背で私の頬を撫でると建人さんがソファへと向かった。
具合が悪いと言うわけではなさそうだけれど、連日続く慌しい日々に疲れが出てしまったのだろうか。
それとも、仕事の事で悩み事でもあるのか。
背を丸め、考え込む素振りを見せる。
時折り溜息すら聞こえて、私の胸にすら暗雲が立ち込めていく様な気がした。
マリッジブルーとは無縁かと思われたけれど、その保証は何処にもない。
片付けを終えて、直様コーヒメーカーを起動させる。
二つ分のカップをテーブルに置くと、建人さんが待ち侘びたかの様に私を手招いた。
「真那、少しこちらへ来てもらえますか」
「どうしました?体調でも悪かったですか?」
「いえ、すみません。心配させましたね。柄にもなく緊張して居るだけです」
隣に腰を下ろすと建人さんが私の手を包み込んだ。
少しばかり表情は強張り、ゆっくりと息を吐き出す。
彼らしからぬ言葉に首を傾げながらも、私は動向を見守った。
その憂いが伝わったのか。
眉尻を下げた彼が私に目を瞑って欲しいと促す。
静かに降りた帳の世界。
建人さんが微かに身動ぐ。
その音だけだ耳に響き、不意に左手を掬い上げられて何かが触れた。
私は、小さく首を捻る。
しかし、未だ彼からは目を開けても良いと告げられる事はなく。
眼前が一層宵闇に包まれ、唇に優しい愛を落とされた後にやっと開けた視界の中で、己の手にほんの僅かな差異を感じた。
「真那。今一度アナタに乞いたい。その生涯を私と共にして欲しい。……今度こそ、必ず幸せにすると約束します。どうか、私と結婚して下さい」
「……建人さん、これって」
「結婚指輪が出来るまでの間に、アナタに悪い虫がつくといけない。結婚指輪と婚約指輪の重ね付けは永遠の愛にロックをかけると言う意味合いもあるらしいので、肖りたかったんです。何より、以前は忙しさにかまけて婚約指輪を贈る事は出来なかった。過去の軌跡は十分に辿りました。これからは私も、アナタとの新しい思い出の一頁が欲しい」
己の指で凛と輝く貴石。
控えめでありながらその存在感は圧倒的で、室内の灯りに照らされて煌めく様に息を呑む。
ちゃんとしたプロポーズをしたい。
以前はにかみながらそう告げた彼は、この忙しい合間を縫って奔走してくれたに違いない、
それと同時に、彼の幸せだった過去は此処で終わりを迎えたのだろう。
胸元で両手を握りしめた私を建人さんが包み込む。
左手を取り、彩られた私の指を眺めて喜びを露わにした。
「……綺麗。ありがとう、ございます」
「愛しています、真那」
「はい。私もです」
互いに肩を寄せ合いながら、私達はまだ見ぬ未来を語った。
淹れたコーヒーがすっかり冷めてしまった事にすら気づかず。
誰にも、何にも脅かされることのない平凡と言う名の幸福。
その先に、更なる幸せが待って居る事を信じて。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
瑞々しい若葉が私達に彩りを添えた。
移り気な紫陽花は仲の睦まじさを表すように小さな花を寄り添わせる。
天候にも恵まれ、空には澄み渡る青が広がる。
新たな門出を迎えるに当たって、こんな最良の日は無く。
僅かでありながら、かけがえのない人達の視線が一斉に私に注がれた。
一歩、一歩。
駆け出したい衝動を堪えて進む視線の先には、普段とは違う色合いのタキシードを纏った最愛の人で。
新緑の香りと共に淡い黄色と緑のブーケからは優しい香りが鼻を擽る。
少しばかり緊張した私の面持ちはベールを上げられた瞬間に輝きに満ちた。
指輪の交換。
誓いの口付け。
互いに交わす誓いの言葉と、左手に煌く愛の証。
そして、この場に集った親しい人達の笑みと共に、宙に色とりどりの花弁が舞った。
──幸せになって。
投げかけられる祝福の言葉は、なんて愛おしい呪いなのか。
はにかみながら互いを見つめた私達の細やかな幸福が、やっと現実のものへと変わっていった。
記憶がなても、これだけははっきりと理解できる。
私は、ずっとこの日を。
この瞬間を待ち望んでいた事を。
「本当に三ヶ月で形になるものなんだねぇ。オマエの執念にビビるよ」
「けしかけたのはアナタでしょう。ですが、助力には感謝します」
「本当にありがとうございました」
滞りなく式を終えて、テーブルに並んだ料理に舌鼓を打つ。
ゆったりと二人でこの景色を楽しみ、招待した人達と談笑する余裕があるのは、形にこだわらなかった小さなパーティーにしたおかげだろう。
建人さんがあれほど頭を悩ませたと言うのに、お皿にデザートばかりをてんこ盛りに乗せた五条さんはフォーク片手にご満悦な様子で。
火付け役だったと言うのに、まさか本当に実現するとは思わなかったと建人さんを茶化した。
「良いって。僕も見たかったんだよ。真那の晴れ姿。あんなに楽しみにして、浮かれてたんだからさ。ところでさぁ、死が二人を分つまでって決まり文句なかったよね?」
「昨今では余りそう言った宣誓はしないそうですよ。時代に倣って愛が続く限り、そう文言が変わっていって居るらしいです。それに、死が二人を分かつ、その言葉は私達には適切ではないでしょう」
この場に居る人の中でも僅かしか知らない真実。
それは小説よりも奇なりと言うより他になく、きっとこの出来事を新たに知る人は居ないのだろう。
それで構わないと思う。
それぞれが今という世界を生きて、こんなにも笑顔に満ち溢れて居る。
記憶があったとしても、失って居たとしても。
「確かにね。死んでもこれなんだから笑っちゃうよ。ま。死んでも〜なんて聞こえは良いけどさ、結局。死ぬ時なんて人は一人なんだけどね」
少しばかり郷愁に耽ったのか。
五条さんの視線が何処か遠くを見つめた。
それはこれまで私達の事ばかりを慮ってくれたものとは少し違って。
彼自身も己の過去と葛藤して居たのだと暗に訴えて居るようにも見える。
しかし、今の五条さんとて一人ではない。
きっとこの人の事だから、軽薄な仮面を被りつつ過去でも多くの人に慕われたはずだ。
その証拠に、ひとりごちるように呟かれた言葉を、彼の親友は聞き逃す事は無かった。
「そうかい?私は違うと思うよ。悟。ただ側に居なくても、その死を悼んでくれる人が居るのならば、それは一人ではないんじゃないかな」
「あ、僕もそう思います!」
「僭越ながら私も、それには同感です」
「負けだな、五条」
「……ああ。そうかもね」
いつの間にか、私達の周りに集った人達。
その顔に浮かぶのは、一様に幸福と言う名の晴れやかな顔で。
五条さんもまた、この世界での幸福を噛み締めるように穏やかな顔つきへと変わった。
物語において重要なのは「いつ終わるか」ではなく「どう終わるか」だと、誰かが言って居た気がする。
これが私達の数奇な物語というのならば、きっとこの幕引きは大団円というより他にないのだろう。
輪廻を巡った奇譚。
一度は儚く散った物語は再び息吹を取り戻し、私達は運命と奇跡に導かれた。
そして、今世を終えたとしても。
例えば両者が過去を忘れてしまったとしても。
私と建人さんは幾度でも互いに恋をするのだろう。
「建人さん。実は、もう一つ贈り物があるんです」
「これ以上幸せになったら、私は死んでしまいそうです」
これは、ほんの数日前に私に訪れたもう一つの幸福。
告げるのならば早い方が良いと思いつつも、今日この日まで明かさずに居た最高の贈り物だ。
今にも感涙しそうな程に感情が高まって居るのか。
建人さんが片手で目元を覆う。
空白の片手を握ると私は自身の腹部に誘った。
それだけで、周囲すらもその意味に気がついた事だろう。
唖然とする人。
笑みを浮かべる人。
泣き出す人。
反応は違えど抱いてくれた思いだけは違う事なく、私が頷くとまるで我が事のようにその場は一層暖かな空気に包まれた。
「ふふ。駄目ですよ。ちゃんとこの子の顔を見て、一緒に見守ってもらわないと困ります」
「……まさか」
「はい。建人さん、パパになるんですよ」
その刹那、みるみるうちに建人さんの瞳が濡れて行く。
力の限り抱きしめたい衝動を堪える様に、私の身体は優しく包み込まれ、震えた声が感謝の言葉を口にする。
芽吹いたばかりの新しい命。
それはきっと、私達のこれからの人生に於いてかけがえの無い宝物になるに違いない。
その命ある限り、真心を尽くす。
命尽きたとしても、きっと私達は互いを慈しみ愛し続けるのだろう。
愛と言う名の咎を受けて。
巡り合った今、永遠の愛をこの手に未来を歩もう。
枯れる事のない愛の泉を、この先もずっと。
貴方と揺蕩うのだから。
その由来は諸説あるけれど、結婚と言うものを意識した女にとって、それはある意味憧れと同時に象徴にも近い。
六月に結婚式を挙げると、生涯幸せな結婚生活を送れる。
まるで根拠など無いと言うのに、恋人から夫婦へと形を変える人達の意識が一度は其処に向かうのは、やはり期待と同時に不安を抱くからなのか。
他人同士が家族になる上での線引きはジンクスに頼ってどうにかなるものでは無い。
互いを思いやり、慈しみ。
そう言ったものの上に成り立つ薄氷と言っても過言では無いし、その日々はありきたりな奇跡にも等しいのだから。
然程拘りは無かったはずなのに、そんなものにも頼ってみても良いのでは無いかと思うのは、私達の報われなかった前世のせいなのだろうか。
五条さんが何の気なしに放った言葉は、とても惹かれるものがあった。
しかし、挙式と同時に籍を入れようと話して居た私たちにとって、一年以上その門出が先送りになってしまうというのは些か酷な話だ。
それなのに、そんな憂いすら持ち前の機転でどうにかしてしまうのが、五条さんという人物らしい。
昨今では挙式には最低三ヶ月あれば何とかなる。
元より近しい人達だけで行われるものならばいっそ全て巻き込んで身内だけで盛大なものに変えて仕舞えば良いのだと。
逸る気持ちを抑えきれない建人さんすらも説得して見せてしまい、情報誌の謳い文句を実現するさせるかの様に、息吹の宿る季節を前に私達の怒涛の日々が幕を開けた。
連日、私達は会場を探し回った。
情報誌を二人で覗き込みながら、望む形の挙式が出来る場所を探しては本に折り目をつけて行く。
やっと気に入った場所を見つけるや否や、五条さんがお得意の魔法を使って希望の日に晴れの舞台を押さえてくれて。
私達はその手腕に圧倒されながらも、小さな結婚式の準備を着々と進めていった。
飾りつけや花を選ぶのは私、料理はやはり舌の肥えた建人さんが拘りを発揮する。
ドレスの試着を幾度も繰り返し、運命の一着と呼ばれるものを探し求め。
季節はいつのまにか春も盛りを過ぎた若葉の頃へと移り変わって行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
週末の黄昏時は忙しなく、行く人も日中に比べると随分数を減らした。
式場で打ち合わせを終えた私達は、間近に迫る門出の準備に追われながらも穏やかな生活を軌道に乗せていく。
買い物袋を片手に、私達は空いた手を重ねて伸びた影を歩道に並べた。
婚約発表をしてから、早数週。
順調に引越しの手続きは終わり、今では建人さんの自宅が私の家であり、帰る場所へと変わった。
私が休みの日には、腕によりをかけて料理を作り、その日だけは会社から真っ直ぐに帰宅する建人さんを迎える時。
これからはこんな日常が続いていくのだと、細やかな幸せを噛み締めた。
先ずは形からだと、週末になると私達はありったけの時間を費やして準備に奔走して居る。
少しずつ形になる晴れの日に、想いも加速して膨れ上がった。
「指輪は、本当にあれでよかったんですか?」
「はい。色々悩んでしまったけど、どうしてか建人さんが見て居た指輪に一番惹かれたんです。ドレスも次で決められそうです」
「そうですか。何から何まで、楽しみな事ばかりです。ですが、アナタ、最近夜になると随分根を詰めて居るでしょう。以前もそうでしたが、あまり無理をしない様に」
「すみません。つい楽しくて、夢中になってしまうんですが、気をつけますね」
「……その言葉を聞くのは、二度目ですね」
建人さんが追慕するかの如く、過去に想いを馳せた。
式場が決まったのなら、急ぎ指輪を準備しなければならない。
挙式まで残すところ後僅かとなると私達は象徴である愛の証を求めて、何件ものお店を梯子した。
ショーケースに並ぶ煌びやかな指輪を眺めては頭を悩ませ、まるで宝物を見つけた子供の様に目を輝かせて。
唸る様に考え込む私を見ては建人さんは隣りで見守ってくれた。
結局、結婚指輪は私だけでは到底決める事が出来なかった。
元々決断力が弱いと言う事もあったのだろうけれど、この先もずっと互いを繋ぐものになるかと思うと私の一存だけでは決めかねてしまって。
随分悩んだものの、たまたま建人さんが視線を向けた指輪に酷く心が震え。
これが良いと、悩み続けて居た事が嘘の様に決意が固まっていった。
それは奇しくも、前世で選んだ指輪とよく似て居たらしい。
そんな所まで変わらないのかと、彼は懐かしく、愛おしそうに目を細めた。
少しずつ建人さんの中でも今と過去の境界が明確になって居るのだろうか。
魘される回数は以前より随分と減ったし、ふとした時に、懐かしむ様にかつての青い春を語る様になった。
その度に私は寄り添いながらその言葉に耳を傾け、私の知らない彼と私を、記憶の一頁として刻む。
「ただいま」と帰宅して「おかえり」と出迎える。
たったそれだけのありきたりな事がこんなにも尊いと思える日が来るだなんて、ほんの一年前の私ならば想像もつかなかったに違いない。
帰宅して共にキッチンへ向かった。
今日は外で食事を済ませてしまったけれど、買ってきた荷物を整理して、明日からの献立に頭を悩ませる。
しかし、建人さんは片付けをしながらも何処か少しばかり上の空の様にも思えた。
何かタイミングを見計らっている様な雰囲気すら漂わせる。
「お願いしても大丈夫ですか?」
「はい。すぐに終わるので、コーヒー淹れて持っていきますね」
「お願いします」
指の背で私の頬を撫でると建人さんがソファへと向かった。
具合が悪いと言うわけではなさそうだけれど、連日続く慌しい日々に疲れが出てしまったのだろうか。
それとも、仕事の事で悩み事でもあるのか。
背を丸め、考え込む素振りを見せる。
時折り溜息すら聞こえて、私の胸にすら暗雲が立ち込めていく様な気がした。
マリッジブルーとは無縁かと思われたけれど、その保証は何処にもない。
片付けを終えて、直様コーヒメーカーを起動させる。
二つ分のカップをテーブルに置くと、建人さんが待ち侘びたかの様に私を手招いた。
「真那、少しこちらへ来てもらえますか」
「どうしました?体調でも悪かったですか?」
「いえ、すみません。心配させましたね。柄にもなく緊張して居るだけです」
隣に腰を下ろすと建人さんが私の手を包み込んだ。
少しばかり表情は強張り、ゆっくりと息を吐き出す。
彼らしからぬ言葉に首を傾げながらも、私は動向を見守った。
その憂いが伝わったのか。
眉尻を下げた彼が私に目を瞑って欲しいと促す。
静かに降りた帳の世界。
建人さんが微かに身動ぐ。
その音だけだ耳に響き、不意に左手を掬い上げられて何かが触れた。
私は、小さく首を捻る。
しかし、未だ彼からは目を開けても良いと告げられる事はなく。
眼前が一層宵闇に包まれ、唇に優しい愛を落とされた後にやっと開けた視界の中で、己の手にほんの僅かな差異を感じた。
「真那。今一度アナタに乞いたい。その生涯を私と共にして欲しい。……今度こそ、必ず幸せにすると約束します。どうか、私と結婚して下さい」
「……建人さん、これって」
「結婚指輪が出来るまでの間に、アナタに悪い虫がつくといけない。結婚指輪と婚約指輪の重ね付けは永遠の愛にロックをかけると言う意味合いもあるらしいので、肖りたかったんです。何より、以前は忙しさにかまけて婚約指輪を贈る事は出来なかった。過去の軌跡は十分に辿りました。これからは私も、アナタとの新しい思い出の一頁が欲しい」
己の指で凛と輝く貴石。
控えめでありながらその存在感は圧倒的で、室内の灯りに照らされて煌めく様に息を呑む。
ちゃんとしたプロポーズをしたい。
以前はにかみながらそう告げた彼は、この忙しい合間を縫って奔走してくれたに違いない、
それと同時に、彼の幸せだった過去は此処で終わりを迎えたのだろう。
胸元で両手を握りしめた私を建人さんが包み込む。
左手を取り、彩られた私の指を眺めて喜びを露わにした。
「……綺麗。ありがとう、ございます」
「愛しています、真那」
「はい。私もです」
互いに肩を寄せ合いながら、私達はまだ見ぬ未来を語った。
淹れたコーヒーがすっかり冷めてしまった事にすら気づかず。
誰にも、何にも脅かされることのない平凡と言う名の幸福。
その先に、更なる幸せが待って居る事を信じて。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
瑞々しい若葉が私達に彩りを添えた。
移り気な紫陽花は仲の睦まじさを表すように小さな花を寄り添わせる。
天候にも恵まれ、空には澄み渡る青が広がる。
新たな門出を迎えるに当たって、こんな最良の日は無く。
僅かでありながら、かけがえのない人達の視線が一斉に私に注がれた。
一歩、一歩。
駆け出したい衝動を堪えて進む視線の先には、普段とは違う色合いのタキシードを纏った最愛の人で。
新緑の香りと共に淡い黄色と緑のブーケからは優しい香りが鼻を擽る。
少しばかり緊張した私の面持ちはベールを上げられた瞬間に輝きに満ちた。
指輪の交換。
誓いの口付け。
互いに交わす誓いの言葉と、左手に煌く愛の証。
そして、この場に集った親しい人達の笑みと共に、宙に色とりどりの花弁が舞った。
──幸せになって。
投げかけられる祝福の言葉は、なんて愛おしい呪いなのか。
はにかみながら互いを見つめた私達の細やかな幸福が、やっと現実のものへと変わっていった。
記憶がなても、これだけははっきりと理解できる。
私は、ずっとこの日を。
この瞬間を待ち望んでいた事を。
「本当に三ヶ月で形になるものなんだねぇ。オマエの執念にビビるよ」
「けしかけたのはアナタでしょう。ですが、助力には感謝します」
「本当にありがとうございました」
滞りなく式を終えて、テーブルに並んだ料理に舌鼓を打つ。
ゆったりと二人でこの景色を楽しみ、招待した人達と談笑する余裕があるのは、形にこだわらなかった小さなパーティーにしたおかげだろう。
建人さんがあれほど頭を悩ませたと言うのに、お皿にデザートばかりをてんこ盛りに乗せた五条さんはフォーク片手にご満悦な様子で。
火付け役だったと言うのに、まさか本当に実現するとは思わなかったと建人さんを茶化した。
「良いって。僕も見たかったんだよ。真那の晴れ姿。あんなに楽しみにして、浮かれてたんだからさ。ところでさぁ、死が二人を分つまでって決まり文句なかったよね?」
「昨今では余りそう言った宣誓はしないそうですよ。時代に倣って愛が続く限り、そう文言が変わっていって居るらしいです。それに、死が二人を分かつ、その言葉は私達には適切ではないでしょう」
この場に居る人の中でも僅かしか知らない真実。
それは小説よりも奇なりと言うより他になく、きっとこの出来事を新たに知る人は居ないのだろう。
それで構わないと思う。
それぞれが今という世界を生きて、こんなにも笑顔に満ち溢れて居る。
記憶があったとしても、失って居たとしても。
「確かにね。死んでもこれなんだから笑っちゃうよ。ま。死んでも〜なんて聞こえは良いけどさ、結局。死ぬ時なんて人は一人なんだけどね」
少しばかり郷愁に耽ったのか。
五条さんの視線が何処か遠くを見つめた。
それはこれまで私達の事ばかりを慮ってくれたものとは少し違って。
彼自身も己の過去と葛藤して居たのだと暗に訴えて居るようにも見える。
しかし、今の五条さんとて一人ではない。
きっとこの人の事だから、軽薄な仮面を被りつつ過去でも多くの人に慕われたはずだ。
その証拠に、ひとりごちるように呟かれた言葉を、彼の親友は聞き逃す事は無かった。
「そうかい?私は違うと思うよ。悟。ただ側に居なくても、その死を悼んでくれる人が居るのならば、それは一人ではないんじゃないかな」
「あ、僕もそう思います!」
「僭越ながら私も、それには同感です」
「負けだな、五条」
「……ああ。そうかもね」
いつの間にか、私達の周りに集った人達。
その顔に浮かぶのは、一様に幸福と言う名の晴れやかな顔で。
五条さんもまた、この世界での幸福を噛み締めるように穏やかな顔つきへと変わった。
物語において重要なのは「いつ終わるか」ではなく「どう終わるか」だと、誰かが言って居た気がする。
これが私達の数奇な物語というのならば、きっとこの幕引きは大団円というより他にないのだろう。
輪廻を巡った奇譚。
一度は儚く散った物語は再び息吹を取り戻し、私達は運命と奇跡に導かれた。
そして、今世を終えたとしても。
例えば両者が過去を忘れてしまったとしても。
私と建人さんは幾度でも互いに恋をするのだろう。
「建人さん。実は、もう一つ贈り物があるんです」
「これ以上幸せになったら、私は死んでしまいそうです」
これは、ほんの数日前に私に訪れたもう一つの幸福。
告げるのならば早い方が良いと思いつつも、今日この日まで明かさずに居た最高の贈り物だ。
今にも感涙しそうな程に感情が高まって居るのか。
建人さんが片手で目元を覆う。
空白の片手を握ると私は自身の腹部に誘った。
それだけで、周囲すらもその意味に気がついた事だろう。
唖然とする人。
笑みを浮かべる人。
泣き出す人。
反応は違えど抱いてくれた思いだけは違う事なく、私が頷くとまるで我が事のようにその場は一層暖かな空気に包まれた。
「ふふ。駄目ですよ。ちゃんとこの子の顔を見て、一緒に見守ってもらわないと困ります」
「……まさか」
「はい。建人さん、パパになるんですよ」
その刹那、みるみるうちに建人さんの瞳が濡れて行く。
力の限り抱きしめたい衝動を堪える様に、私の身体は優しく包み込まれ、震えた声が感謝の言葉を口にする。
芽吹いたばかりの新しい命。
それはきっと、私達のこれからの人生に於いてかけがえの無い宝物になるに違いない。
その命ある限り、真心を尽くす。
命尽きたとしても、きっと私達は互いを慈しみ愛し続けるのだろう。
愛と言う名の咎を受けて。
巡り合った今、永遠の愛をこの手に未来を歩もう。
枯れる事のない愛の泉を、この先もずっと。
貴方と揺蕩うのだから。