永遠という名の愛
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先日のハプニングから早数日。
指の傷が癒える毎に、あの時の七海さんの姿を思い浮かべて、私の心が爛れた傷の様にじくじくと別の痛みを齎した。
あんな偶然、二度と無いとは思うのに。
もう一度あの様に過ごせたらと、そう望んでしまって居る。
しかし、気分転換に街に出掛けたらもしかして。
そんな淡い期待を抱いて外に出かけてみても、こう言った時だけ偶然は都合よく起こってはくれないらしい。
友人や恋人と街を歩く他人の姿が羨ましく思えるのか、やけに目に留まった。
本当ならば、せっかくの休日を利用して一刻も早く転居先を探すべきなのに。
ふとした時に指先を眺めると、私の心も思考も。
全て攫われていってしまう。
思わず己の唇を押し当てた事すらあった。
そんな自分があまりにも浅はかで、滑稽で。
焦がれる余りに、どんどん七海さんに対して合わせる顔すら無くなっていく。
「……あ。そうだ、お皿」
最早何をして居たとしても。
私が考るのは、ひたすらに七海さんの事だけだった。
同時に先日の失態を思い返し、深いため息が溢れる。
ふらりと立ち寄った店内を見回す。
品物は一様に同じ陳列をされて居る筈なのに、七海さんを彷彿させる様なものばかりが視界に飛び込んで来る気がしてならい。
贈り物をする様な間柄では無い事は、重々承知して居る。
もしかしたら逆に気を使わせてしまうだけなのかも知れない。
けれど、先日のお詫びとお礼。
そう体裁を取り繕えば、押し付けがましい贈り物も受け取ってはもらえるのだは無いかと淡い期待が胸を過る。
自分では中々手の出せない食器も、七海さんに贈ると考えれば妥協など出来るはずもない。
購買意欲をこんなに唆られたのは本当に久しぶだった。
折角なのだからと何度も自分に言い訳をしてメンズコーナーに向かい、ネクタイとタイピンも購入すると、お店を出てすぐの事。
これを一体いつどうやって渡せば良いのかと、途端に冷静になった頭が痛んだ気がする。
自宅に向かって仕舞えば簡単な話ではあるのに、歩いて行ける距離の七海さんの自宅に押しかけてしまう事は気が引ける。
連絡の一つでも出来ればと、咄嗟に携帯を思い浮かべても、私達は連絡先の一つさえ交換してはいなかった。
これまでの人生、決して良い事ばかりではなかったけれど、悪い事ばかりでも無かった筈だ。
それなのに七海さんの事となると、途端に私は何をしても上手くいかなくなってしまう。
そもそも、あんな素敵な人に近づけただけで尭孝だとさえ思えるのに。
よく深くなるばかりの心が、限りなく唯一に近い居場所を求めて悲鳴をあげて居る。
急に何かに絡め取られたかの様に足取りが重たくなった。
歩いて帰れる筈の道を行く事すら億劫で、お洒落気を使う明るい髪色の人を見かける度に、眩い金色に焦がれる。
これ程迄に心奪われる恋を、私はこれまで経験した事がない。
いっそ恐ろしく思える程に、己の心も。
思考すらも七海さんに囚われてしまって居る気がしてならない。
両手は既に荷物で一杯だ。
目ぼしい物も無いのに、いつまでもふらふらして居た所で、今日は望む偶然は起きてはくれそうになくて。
このまま帰ろうと、そう思った矢先だった。
「真那!」
突然己の名前を呼ばれて、私の脚が立ち止まる。
同時に親しい人達の中には無い、けれど覚えのある響きに心臓が一度大きく音を立てた。
ほんの数ヶ月前。
己の恋人だった筈の人が満面の笑みで私に駆け寄ってくると、対照的に私の顔は青褪め、咄嗟に一歩後ずさる。
幾度も連絡は貰っていた。
けれど、私はそれに一度も返事をした事はない。
よくよく見渡せば、此処は彼に別れを告げられたあの場所だった。
そんな事すら思い浮かぶ事も無くなるくらい、この人はもう私の過去になってしまって居る。
しかし、たかが数ヶ月、されど数ヶ月だ。
別の恋を見つけた私と、復縁を迫る彼とでは体感する時間の流れは、随分違うらしい。
「こんな所で会うなんてさ。偶然だよな。連絡返してくれないから、どうしてるかと思ってたけど……やっぱり俺達。一緒に居る運命なんだな」
「……離して、下さい」
腕を掴まれ、身体が強張った。
今更ながら外に出た事を後悔する。
あの当時、私にも確かに非はあったのだろう。
しかし、別れを切り出したのはこの人の方からだ。
その場で別の人と手を取り合ったと言うのに、今更何を言って居るのだろうか。
必死に抵抗をするものの、容赦なく掴まれた腕に顔が歪む。
人通りの多い街中で大事になる様な事は無いのだろうけれど、私を絡め取った恐怖に拒絶の言葉すら紡げない。
薄情だと言われたとしても、私からすれば既にこの人との関係は終わったものだと言うのに。
私の思いなど意に介さない様子に、腹立たしくも思えた。
「俺達、やり直そう」
「……離してっ」
悪寒の走る様な猫撫で声とは裏腹に、私から一切の否定を取り上げる態度が恐ろしい。
元々、人の話を聞かないタイプの人ではあったけれど、こんなにも身勝手な人だったのかと落胆もした。
例えばこの場を凌げたとしても。
自宅を知られて居る以上、帰る事すら出来なくなってしまった。
ストーカーなんてものは自分とは無縁だと思って居た。
けれど、今のこの人はその可能性すら見出して居る。
恐怖に慄くなんて事は、これまでの人生ではそうそう無かった筈なのに。
今の私が抱く感情は限りなくそれに近い。
必死に頭を振り、身を引こうとする私達の姿に道行く人達は怪訝な顔をしながらも通り過ぎてゆくばかりだ。
「ねぇ、何してんの?」
街の喧騒の中、此方に向けられたその声だけが鼓膜を打った。
驚きに向けた私達の視線の先。
日の元に輝く雪原の髪と、ぬばたまの様な黒髪が揺れて居る。
私はきっと、今にも泣き出しそうな顔でもして居たのだろう。
二人の表情が途端に険しいものへと変わり、五条さんが彼と私を引き離す。
その勢いに少しばかりよろめくと、夏油さんが私の肩を包み優しく受け止めた。
「五条、さん……。夏油さん」
「や、久しぶりだね。真那。揉めてるみたいだけど、知り合い?」
「あ、その……。前に、お付き合いをしていた人です」
「は?マジで?真那。オマエ男の趣味悪いねぇ」
品定めすら必要無いと言いたげに、五条さんは彼に向けて挑発的な笑みを浮かべた。
男性の中でも一層長身の二人に見下ろされ、先程の強気な態度はまるで嘘の様に、彼の顔色はみるみる青くなって行く。
けれど、その口からは自分が如何に私を思って居るか。
この再会は運命なんだと、己に言い聞かせる様な言葉がつらつらと語られて居た。
実に自己中心的な発想と言わざるを得ない。
それは別れを承諾した私すらも咎める言葉を含み、流石に温厚な夏油さんも苦笑して居る。
私ですら呆れてものが言えず、一番近くでその言葉を聞いて居た五条さんは戯言を聞くに耐えかねたのか。
彼の胸ぐらを掴み上げた。
「オマエ如きが軽々しく運命なんて言葉を使うなよ。それはさ、もっと必然で溢れてるものなんだよ。それで?仮に僕達のどっちかが真那の恋人だとして。勝てる要素があると思うワケ?」
それは私ですらも聞いた事のない、地を這う様な声。
五条さんの普段の飄々とした態度が嘘の様にも思える程のものだった。
小さく情けない悲鳴が彼の口から漏れて、五条さんの牽制する言葉に首振り人形の如く頭が揺れる。
パッと手を離した瞬間。
地面に尻餅を付いた彼はそのまま転がる様に私達に背を向けた。
汚い物を払うかの様に五条さんが彼を追い払う仕草を見せると、どんどん小さくなって行く影に、ただ呆然としたまま。
その様子を眺めて居た。
「災難だったね」
「……すみません。ありがとうございます。本当に助かりました」
「次から男選ぶときは僕か傑に勝たなきゃ駄目ってルールでも決めようか?あんなのに捕まるなんてオマエ、マジで目が節穴だよ」
「悟。言い過ぎだよ」
端正な顔を歪めて、五条さんが彼の去っていった方向に向けて子供の様に舌を出す。
言い方には少し棘があるものの、その言葉に否定すら出来ず、私は今一度二人に深々と頭を下げた。
一人では本当にどうしようもなかった。
最悪、押しに負けてしまって居たかも知れないし、此方の望まぬ事を強要されたかも知れない。
そう考えたら今更になって身体が震えた。
ぽん、と頭に乗せられた手は慰めだったのだろうか。
その後にはぐしゃぐしゃと頭を掻き乱され、五条さんは深く溜息を溢す。
しかし、やがて私が大事に抱えた荷物に目をつけたのか。
その瞳がみるみる内に好奇心に輝きを宿した。。
「ねぇ、それって誰かへの贈り物?その袋、そこの店だよね?メンズコーナーが充実してるからたまに行くけど。まさか新しい男とか?」
「おや、真那も隅に置けないね」
絵に描いた様な悪戯顔をした二人の視線が私に注がれた。
もし、この場で肯定の返事をしたとしたら。
きっとこの二人は相手を一目見るまでついてくるとさえ言いかねない雰囲気を醸し出して居る。
贈り物には変わりないけれど相手はそんな人ではない。
しかも二人が私以上によく知る人であり、ほんの一瞬躊躇ったものの、助けて貰った手前。
はぐらかす事もできずに、私は素直に口を割る事を選んでいた。
「ち、違いますっ!その、先日七海さんにお世話になったので……その御礼とお詫びに」
「へぇ、七海にねぇ。もしかして、先日家に連れ込まれた事と関係して居るのかな?」
「えっ?」
「あぁ。前に傑が言ってたやつ?で、実際どうなの?一発ヤった?」
「……五条さんっ!」
何故その事を二人が知って居るのか。
思わず声を荒げた私に何事かと周囲の視線が刺さり、赤らんだ顔を誤魔化そうと手で顔を覆った。
しかし、それで引いてくれないのが五条さんの悪癖と言っても良い。
どうなの?その言葉と共に身を屈め、私の顔を覗き込む様にすると、やれやれと言った様子で夏油さんが五条さんの首根っこを掴み片手で私に謝罪の仕草を示して居た。
「悟、いくら何でも女性にそんな不躾な質問をするものじゃ無いよ。すまないね、悪気は無いんだ。ただ、灰原から少し話を聞いて居てね。私達としても、七海は可愛い後輩で、君も妹の様な存在だから。つい気になってしまったんだよ」
「あ、いえ。ですが、七海さんとは本当に何もありませんでしたから」
「ま、そうだろうね。幾ら真那が隙だらけでも、あの堅物にそんな事出来るわけないし。それで?いつ渡すの?」
同僚である灰原さんにならば、七海さんが少しばかり話をしたとしても頷けた。
けれど、それがこの二人にまで筒抜けになって居ると言うのは些か恐ろしく思える。
夏油さんの手を振り払い、五条さんが問い掛けたのは、きっとこの贈り物の事なのだろう。
透き通る蒼眼が一層輝いて見える。
それは、まるで新しい玩具を見つめた子供の様で、可愛らしい反面。
また揶揄われるのでは無いかと、少しばかり恨めしくもなった。
渡せるものなら、すぐにでも渡したい。
それは、感謝の意を伝えたいと言う口実に過ぎなくて。
本音はただ、会いたくて堪らないだけだ。
それなのに、連絡先の一つも知らない自分は七海さんの内側にすら居場所がない。
思わず自嘲気味な笑みが溢れた。
どれだけの偶然を重ねてみても、一歩を踏み出せなければ変わらないと言うのに。
未だ私にはその度胸すら有りはしない。
「……いつに、なるんでしょうね。もし、次の集まりに誘って頂けたら。その時にでも」
「なんで?今から私に行けば良いのに。折角の休日だよ?」
「でも、私。連絡先も知らないんです。いきなり自宅に押しかける様な真似、出来ません」
弱々しく首を振る態度とは裏腹に、今し方買ったばかりの贈り物を胸に掻き抱いた。
きっと七海さんも今日は休みの筈だ。
だからと言って、決して予定がないとは限らない。
押しかけた所で、不在ならば肩を落とす事は目に見えて居るし、考え難いけれど迷惑な顔をされてしまったら。
それこそ私は過去の恋よりも長く、深く。
陰鬱な気持ちを抱え込んでしまう。
結局、保身に走って居るだけだと言う事はわかって居る。
それでも、あの手に。
優しげな笑みを浮かべてくれたあの人に、拒まれてしまう事が怖くて堪らなかった。
そんな私の言葉に、二人は顔を見合わせる。
次の瞬間には言葉なく双方の考えが一致したかの様に緩やかに口元には笑みを浮かべて居た。
再び私の両肩には夏油さんの手が置かれ、五条さんが携帯を取り出す。
やがて相手が応じたのか、数歩離れた所に場所を移す。
それでもはっきりと聞き取れる声は至極楽しげで、私は不安な面持ちで夏油さんを見上げて居た。
「ねぇ。今ヒマ?って言うか暇だよね?今日って休みでしょ?何してんの?」
「あの……」
「心配しなくても大丈夫だよ。悟に任せておきな」
「うっそ、マジで?ウケる。じゃあさ、家には居るんだよね?今から行くから。良いもの持ってってあげるよ」
通話を終えた五条さんは、軽快な足取りで私達の元へ戻って来た。
その表情はより一層輝き、同時に私の心を見透かされて居る様にも感じてしまう。
それは、七海さんと居る時とは少し違う。
けれど、とても不思議な感覚だった。
私を見て居る様で少し違う。
それで居て、時折何かを懐かしみ、少しばかりの悲しみを宿した様な。
そんな表情をする時がある。
聞いた所ではぐらかされてしまうのが落ちだろうとも思う。
けれど、無性にその訳を知りたくなる時もあった。
「七海、風邪で寝込んでるってさ。まともに食べても居ないみたいだったよ」
「え……。本当、ですか?」
「今本人に聞いたんだから間違い無いよ。幾ら大の男と言っても、やっぱり風邪の時って不安なんだよねぇ。優しく看病とかされたいよねぇ。あの七海がご飯食べてないとか。心配になるよねぇ」
緩やかに口角を上げた彼を見て、惚けない人などいないのでは無いかと思える程に、その時の五条さんの表情は綺麗だったと思う。
けれどそれ以上に放たれた言葉に私の心が侵食されて、それどころの話ではなかった。
自身を丈夫だからと言った七海さんが風邪を引いた。
彼の性格ならば普段の生活から自己管理はしっかりして居る筈だ。
そうなれば原因は確実にあの日の行動に起因して居ると考えるのは不自然なことでは無い。
追い討ちを掛ける五条さんの言葉が私の気持ちを揺るがしていく。
さぁ。どうする?そう、問われて居る様な気もした。
今にも駆けつけたい衝動にすら駆られる。
私が言った所で出来ることなんてたかが知れて居るとも考えてしまう。
それなのに、どうしても側に居たいと。
私の心は絶えずそう訴えかけてくる。
「あの、私……」
「真那。こう言う時は、心のままに動いた方がいいと思うよ」
背後から夏油さんの穏やかな声が私の背中を押した。
五条さんの言う通り、食事も摂れない。
看病してくれる人すら居ない事に不安を覚えるのは、大人であろうが男性であろうが変わる事は無い。
それが一方的に想いを寄せる人で、その責が自分にあると思い当たるとしたのなら。
やはり私は、居ても立っても居られなかった。
指の傷が癒える毎に、あの時の七海さんの姿を思い浮かべて、私の心が爛れた傷の様にじくじくと別の痛みを齎した。
あんな偶然、二度と無いとは思うのに。
もう一度あの様に過ごせたらと、そう望んでしまって居る。
しかし、気分転換に街に出掛けたらもしかして。
そんな淡い期待を抱いて外に出かけてみても、こう言った時だけ偶然は都合よく起こってはくれないらしい。
友人や恋人と街を歩く他人の姿が羨ましく思えるのか、やけに目に留まった。
本当ならば、せっかくの休日を利用して一刻も早く転居先を探すべきなのに。
ふとした時に指先を眺めると、私の心も思考も。
全て攫われていってしまう。
思わず己の唇を押し当てた事すらあった。
そんな自分があまりにも浅はかで、滑稽で。
焦がれる余りに、どんどん七海さんに対して合わせる顔すら無くなっていく。
「……あ。そうだ、お皿」
最早何をして居たとしても。
私が考るのは、ひたすらに七海さんの事だけだった。
同時に先日の失態を思い返し、深いため息が溢れる。
ふらりと立ち寄った店内を見回す。
品物は一様に同じ陳列をされて居る筈なのに、七海さんを彷彿させる様なものばかりが視界に飛び込んで来る気がしてならい。
贈り物をする様な間柄では無い事は、重々承知して居る。
もしかしたら逆に気を使わせてしまうだけなのかも知れない。
けれど、先日のお詫びとお礼。
そう体裁を取り繕えば、押し付けがましい贈り物も受け取ってはもらえるのだは無いかと淡い期待が胸を過る。
自分では中々手の出せない食器も、七海さんに贈ると考えれば妥協など出来るはずもない。
購買意欲をこんなに唆られたのは本当に久しぶだった。
折角なのだからと何度も自分に言い訳をしてメンズコーナーに向かい、ネクタイとタイピンも購入すると、お店を出てすぐの事。
これを一体いつどうやって渡せば良いのかと、途端に冷静になった頭が痛んだ気がする。
自宅に向かって仕舞えば簡単な話ではあるのに、歩いて行ける距離の七海さんの自宅に押しかけてしまう事は気が引ける。
連絡の一つでも出来ればと、咄嗟に携帯を思い浮かべても、私達は連絡先の一つさえ交換してはいなかった。
これまでの人生、決して良い事ばかりではなかったけれど、悪い事ばかりでも無かった筈だ。
それなのに七海さんの事となると、途端に私は何をしても上手くいかなくなってしまう。
そもそも、あんな素敵な人に近づけただけで尭孝だとさえ思えるのに。
よく深くなるばかりの心が、限りなく唯一に近い居場所を求めて悲鳴をあげて居る。
急に何かに絡め取られたかの様に足取りが重たくなった。
歩いて帰れる筈の道を行く事すら億劫で、お洒落気を使う明るい髪色の人を見かける度に、眩い金色に焦がれる。
これ程迄に心奪われる恋を、私はこれまで経験した事がない。
いっそ恐ろしく思える程に、己の心も。
思考すらも七海さんに囚われてしまって居る気がしてならない。
両手は既に荷物で一杯だ。
目ぼしい物も無いのに、いつまでもふらふらして居た所で、今日は望む偶然は起きてはくれそうになくて。
このまま帰ろうと、そう思った矢先だった。
「真那!」
突然己の名前を呼ばれて、私の脚が立ち止まる。
同時に親しい人達の中には無い、けれど覚えのある響きに心臓が一度大きく音を立てた。
ほんの数ヶ月前。
己の恋人だった筈の人が満面の笑みで私に駆け寄ってくると、対照的に私の顔は青褪め、咄嗟に一歩後ずさる。
幾度も連絡は貰っていた。
けれど、私はそれに一度も返事をした事はない。
よくよく見渡せば、此処は彼に別れを告げられたあの場所だった。
そんな事すら思い浮かぶ事も無くなるくらい、この人はもう私の過去になってしまって居る。
しかし、たかが数ヶ月、されど数ヶ月だ。
別の恋を見つけた私と、復縁を迫る彼とでは体感する時間の流れは、随分違うらしい。
「こんな所で会うなんてさ。偶然だよな。連絡返してくれないから、どうしてるかと思ってたけど……やっぱり俺達。一緒に居る運命なんだな」
「……離して、下さい」
腕を掴まれ、身体が強張った。
今更ながら外に出た事を後悔する。
あの当時、私にも確かに非はあったのだろう。
しかし、別れを切り出したのはこの人の方からだ。
その場で別の人と手を取り合ったと言うのに、今更何を言って居るのだろうか。
必死に抵抗をするものの、容赦なく掴まれた腕に顔が歪む。
人通りの多い街中で大事になる様な事は無いのだろうけれど、私を絡め取った恐怖に拒絶の言葉すら紡げない。
薄情だと言われたとしても、私からすれば既にこの人との関係は終わったものだと言うのに。
私の思いなど意に介さない様子に、腹立たしくも思えた。
「俺達、やり直そう」
「……離してっ」
悪寒の走る様な猫撫で声とは裏腹に、私から一切の否定を取り上げる態度が恐ろしい。
元々、人の話を聞かないタイプの人ではあったけれど、こんなにも身勝手な人だったのかと落胆もした。
例えばこの場を凌げたとしても。
自宅を知られて居る以上、帰る事すら出来なくなってしまった。
ストーカーなんてものは自分とは無縁だと思って居た。
けれど、今のこの人はその可能性すら見出して居る。
恐怖に慄くなんて事は、これまでの人生ではそうそう無かった筈なのに。
今の私が抱く感情は限りなくそれに近い。
必死に頭を振り、身を引こうとする私達の姿に道行く人達は怪訝な顔をしながらも通り過ぎてゆくばかりだ。
「ねぇ、何してんの?」
街の喧騒の中、此方に向けられたその声だけが鼓膜を打った。
驚きに向けた私達の視線の先。
日の元に輝く雪原の髪と、ぬばたまの様な黒髪が揺れて居る。
私はきっと、今にも泣き出しそうな顔でもして居たのだろう。
二人の表情が途端に険しいものへと変わり、五条さんが彼と私を引き離す。
その勢いに少しばかりよろめくと、夏油さんが私の肩を包み優しく受け止めた。
「五条、さん……。夏油さん」
「や、久しぶりだね。真那。揉めてるみたいだけど、知り合い?」
「あ、その……。前に、お付き合いをしていた人です」
「は?マジで?真那。オマエ男の趣味悪いねぇ」
品定めすら必要無いと言いたげに、五条さんは彼に向けて挑発的な笑みを浮かべた。
男性の中でも一層長身の二人に見下ろされ、先程の強気な態度はまるで嘘の様に、彼の顔色はみるみる青くなって行く。
けれど、その口からは自分が如何に私を思って居るか。
この再会は運命なんだと、己に言い聞かせる様な言葉がつらつらと語られて居た。
実に自己中心的な発想と言わざるを得ない。
それは別れを承諾した私すらも咎める言葉を含み、流石に温厚な夏油さんも苦笑して居る。
私ですら呆れてものが言えず、一番近くでその言葉を聞いて居た五条さんは戯言を聞くに耐えかねたのか。
彼の胸ぐらを掴み上げた。
「オマエ如きが軽々しく運命なんて言葉を使うなよ。それはさ、もっと必然で溢れてるものなんだよ。それで?仮に僕達のどっちかが真那の恋人だとして。勝てる要素があると思うワケ?」
それは私ですらも聞いた事のない、地を這う様な声。
五条さんの普段の飄々とした態度が嘘の様にも思える程のものだった。
小さく情けない悲鳴が彼の口から漏れて、五条さんの牽制する言葉に首振り人形の如く頭が揺れる。
パッと手を離した瞬間。
地面に尻餅を付いた彼はそのまま転がる様に私達に背を向けた。
汚い物を払うかの様に五条さんが彼を追い払う仕草を見せると、どんどん小さくなって行く影に、ただ呆然としたまま。
その様子を眺めて居た。
「災難だったね」
「……すみません。ありがとうございます。本当に助かりました」
「次から男選ぶときは僕か傑に勝たなきゃ駄目ってルールでも決めようか?あんなのに捕まるなんてオマエ、マジで目が節穴だよ」
「悟。言い過ぎだよ」
端正な顔を歪めて、五条さんが彼の去っていった方向に向けて子供の様に舌を出す。
言い方には少し棘があるものの、その言葉に否定すら出来ず、私は今一度二人に深々と頭を下げた。
一人では本当にどうしようもなかった。
最悪、押しに負けてしまって居たかも知れないし、此方の望まぬ事を強要されたかも知れない。
そう考えたら今更になって身体が震えた。
ぽん、と頭に乗せられた手は慰めだったのだろうか。
その後にはぐしゃぐしゃと頭を掻き乱され、五条さんは深く溜息を溢す。
しかし、やがて私が大事に抱えた荷物に目をつけたのか。
その瞳がみるみる内に好奇心に輝きを宿した。。
「ねぇ、それって誰かへの贈り物?その袋、そこの店だよね?メンズコーナーが充実してるからたまに行くけど。まさか新しい男とか?」
「おや、真那も隅に置けないね」
絵に描いた様な悪戯顔をした二人の視線が私に注がれた。
もし、この場で肯定の返事をしたとしたら。
きっとこの二人は相手を一目見るまでついてくるとさえ言いかねない雰囲気を醸し出して居る。
贈り物には変わりないけれど相手はそんな人ではない。
しかも二人が私以上によく知る人であり、ほんの一瞬躊躇ったものの、助けて貰った手前。
はぐらかす事もできずに、私は素直に口を割る事を選んでいた。
「ち、違いますっ!その、先日七海さんにお世話になったので……その御礼とお詫びに」
「へぇ、七海にねぇ。もしかして、先日家に連れ込まれた事と関係して居るのかな?」
「えっ?」
「あぁ。前に傑が言ってたやつ?で、実際どうなの?一発ヤった?」
「……五条さんっ!」
何故その事を二人が知って居るのか。
思わず声を荒げた私に何事かと周囲の視線が刺さり、赤らんだ顔を誤魔化そうと手で顔を覆った。
しかし、それで引いてくれないのが五条さんの悪癖と言っても良い。
どうなの?その言葉と共に身を屈め、私の顔を覗き込む様にすると、やれやれと言った様子で夏油さんが五条さんの首根っこを掴み片手で私に謝罪の仕草を示して居た。
「悟、いくら何でも女性にそんな不躾な質問をするものじゃ無いよ。すまないね、悪気は無いんだ。ただ、灰原から少し話を聞いて居てね。私達としても、七海は可愛い後輩で、君も妹の様な存在だから。つい気になってしまったんだよ」
「あ、いえ。ですが、七海さんとは本当に何もありませんでしたから」
「ま、そうだろうね。幾ら真那が隙だらけでも、あの堅物にそんな事出来るわけないし。それで?いつ渡すの?」
同僚である灰原さんにならば、七海さんが少しばかり話をしたとしても頷けた。
けれど、それがこの二人にまで筒抜けになって居ると言うのは些か恐ろしく思える。
夏油さんの手を振り払い、五条さんが問い掛けたのは、きっとこの贈り物の事なのだろう。
透き通る蒼眼が一層輝いて見える。
それは、まるで新しい玩具を見つめた子供の様で、可愛らしい反面。
また揶揄われるのでは無いかと、少しばかり恨めしくもなった。
渡せるものなら、すぐにでも渡したい。
それは、感謝の意を伝えたいと言う口実に過ぎなくて。
本音はただ、会いたくて堪らないだけだ。
それなのに、連絡先の一つも知らない自分は七海さんの内側にすら居場所がない。
思わず自嘲気味な笑みが溢れた。
どれだけの偶然を重ねてみても、一歩を踏み出せなければ変わらないと言うのに。
未だ私にはその度胸すら有りはしない。
「……いつに、なるんでしょうね。もし、次の集まりに誘って頂けたら。その時にでも」
「なんで?今から私に行けば良いのに。折角の休日だよ?」
「でも、私。連絡先も知らないんです。いきなり自宅に押しかける様な真似、出来ません」
弱々しく首を振る態度とは裏腹に、今し方買ったばかりの贈り物を胸に掻き抱いた。
きっと七海さんも今日は休みの筈だ。
だからと言って、決して予定がないとは限らない。
押しかけた所で、不在ならば肩を落とす事は目に見えて居るし、考え難いけれど迷惑な顔をされてしまったら。
それこそ私は過去の恋よりも長く、深く。
陰鬱な気持ちを抱え込んでしまう。
結局、保身に走って居るだけだと言う事はわかって居る。
それでも、あの手に。
優しげな笑みを浮かべてくれたあの人に、拒まれてしまう事が怖くて堪らなかった。
そんな私の言葉に、二人は顔を見合わせる。
次の瞬間には言葉なく双方の考えが一致したかの様に緩やかに口元には笑みを浮かべて居た。
再び私の両肩には夏油さんの手が置かれ、五条さんが携帯を取り出す。
やがて相手が応じたのか、数歩離れた所に場所を移す。
それでもはっきりと聞き取れる声は至極楽しげで、私は不安な面持ちで夏油さんを見上げて居た。
「ねぇ。今ヒマ?って言うか暇だよね?今日って休みでしょ?何してんの?」
「あの……」
「心配しなくても大丈夫だよ。悟に任せておきな」
「うっそ、マジで?ウケる。じゃあさ、家には居るんだよね?今から行くから。良いもの持ってってあげるよ」
通話を終えた五条さんは、軽快な足取りで私達の元へ戻って来た。
その表情はより一層輝き、同時に私の心を見透かされて居る様にも感じてしまう。
それは、七海さんと居る時とは少し違う。
けれど、とても不思議な感覚だった。
私を見て居る様で少し違う。
それで居て、時折何かを懐かしみ、少しばかりの悲しみを宿した様な。
そんな表情をする時がある。
聞いた所ではぐらかされてしまうのが落ちだろうとも思う。
けれど、無性にその訳を知りたくなる時もあった。
「七海、風邪で寝込んでるってさ。まともに食べても居ないみたいだったよ」
「え……。本当、ですか?」
「今本人に聞いたんだから間違い無いよ。幾ら大の男と言っても、やっぱり風邪の時って不安なんだよねぇ。優しく看病とかされたいよねぇ。あの七海がご飯食べてないとか。心配になるよねぇ」
緩やかに口角を上げた彼を見て、惚けない人などいないのでは無いかと思える程に、その時の五条さんの表情は綺麗だったと思う。
けれどそれ以上に放たれた言葉に私の心が侵食されて、それどころの話ではなかった。
自身を丈夫だからと言った七海さんが風邪を引いた。
彼の性格ならば普段の生活から自己管理はしっかりして居る筈だ。
そうなれば原因は確実にあの日の行動に起因して居ると考えるのは不自然なことでは無い。
追い討ちを掛ける五条さんの言葉が私の気持ちを揺るがしていく。
さぁ。どうする?そう、問われて居る様な気もした。
今にも駆けつけたい衝動にすら駆られる。
私が言った所で出来ることなんてたかが知れて居るとも考えてしまう。
それなのに、どうしても側に居たいと。
私の心は絶えずそう訴えかけてくる。
「あの、私……」
「真那。こう言う時は、心のままに動いた方がいいと思うよ」
背後から夏油さんの穏やかな声が私の背中を押した。
五条さんの言う通り、食事も摂れない。
看病してくれる人すら居ない事に不安を覚えるのは、大人であろうが男性であろうが変わる事は無い。
それが一方的に想いを寄せる人で、その責が自分にあると思い当たるとしたのなら。
やはり私は、居ても立っても居られなかった。