永遠という名の愛
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これは、親しい人達との飲み会当日の出来事だった。
是が非でも私に会わせたい人が居る。
先日、そう告げた親友は今日に至るまで。
事あるごとに私に向けて、その話題を振り続けて居た。
幾度はぐらかしてもめげる事なく。
それはまるで、私がその人に必ず合わなければならないのだと言って居るようにも聞こえて。
使命感に駆られて居たようにも感じる程に熱心なものだった。
此方としては言い方は悪いがお節介としか言いようがない。
いっその事、きっぱり断ってしまえば良かったのだろう。
しかし、私の隣で共に二十代になった灰原に対して、私は余り強気になれない。
勿論、友人として間違いがあれば正してやるものの、どうにもこう言った頼み事にも似たものとなると途端に弱くなってしまう。
彼には多くのものを与えてもらった。
たった一人きりのクラスメイトであり、親友。
地獄と揶揄するに相応しいあの世界の中で、私は間違いなく、その存在に己の人生を大きく左右されたのだから。
一人逝かせてしまった事を悔やまない時は無かった。
何故こんなにも世界は不条理なのかと呪いもした。
だからこそ、彼の言葉に意を唱える事を躊躇ってしまう。
そして未だ諦めきれず真那を探し求める傍らで、夏油さんと五条さんが肩を組み、家入さんがそれを眺め、私と灰原、伊地知君が並ぶ姿が何故過去に無かったのかと。
今でもそんな妄執に苛まれる時がある。
故に、これはきっと。
今回の件に関してその場をやり過ごす事ばかりしてきてしまったツケと言っても過言ではないのだろう。
「お先に失礼します」
終業時間を過ぎて、ふと見た時計の針は更に一周を回っていた。
やっと今日の己の業務が終わり、私は己のデスクを離れる。
未だに労働はクソだと感じる。
しかし、それが今となってはそこまで苦痛に感じる事もなくなったのは、やはり環境が違うからなのだろうか。
辺りを気にしてみても灰原の姿は見当たらず、未だパソコンと睨み合いを続ける同僚に帰宅の旨を伝え、足早に職場を後にする。
寄りたい場所は幾つかあった。
しかし、今日に限っては早く帰るに越した事はない。
社会人として些か気が引けるものの、携帯は充電が切れた事にして、電源を切って仕舞えば問題ないだろう。
安易にそう考えて居た私は、周囲に気を配りながらも灰原の姿が無い事に安堵し、エレベーターに乗り込んだ。
幸い他に人の姿も見られず、僅かな一人の空間に息を吐く。
後はエントランスを抜ければ家までは直ぐだと、週末の己の予定に現さえ抜かして居た。
だから気が付かなかったのだろう。
背後から忍び寄る、悪戯顔をした親友の姿に。
「七海っ!捕まえた」
「灰原?」
「あはは。帰ったと思った?ほら。行くよっ!!」
「ちょっと、待って下さい。灰原!」
完全に油断して居たところを突かれ、己の肩に腕が回される。
悪戯に成功した子供のように弾けんばかりの笑顔を向けられ、思わず言葉を失った。
普段ならば咄嗟に小言の一つでも口をついて出ると言うのに、今日に限っては逃亡を前提として居た罪悪感に、ただ戸惑った。
制止する声さえ意味をなさない。
二の足を踏んだ私は緩くその場で首を振っては見たものの、苦笑しながらも彼は私を離すつもりは無いらしく、その様を一言で表すならば散歩を嫌がる犬にも等しい。
「ダメだよ。待ったら七海逃げちゃうから。大丈夫だよ。凄く良い子なんだ。七海もきっと仲良くなれる」
私を見据えた瞳は、一点の曇りすらないと思える程に澄んだものだった。
こう言う時の灰原の根拠のない自信には、何度振り回されてきた事だろう。
しかし、存外この直感と言うものが馬鹿に出来ないから時に恐ろしい。
本当に、会社を出る時には気乗りがしなかった。
勿論、懐かしい面々と顔を合わせる事が嫌なわけではない。
寧ろあの中に居ると、望んでも叶えられなかった前世での幻を見て居る様な錯覚に陥り、まるで童心に戻った様な心持ちになる。
躊躇う理由はただ一つしかない。
これまでは意図的に避けたいたわけではなかった。
ただ、お互いの都合が合わなかったと言うだけ。
それに加えて、今世でも学生時代から浮いた話が絶えなかった五条さんや夏油さんが居る中で、色恋に纏わる話が出てこない以上。
言い方は悪いが思ったよりは全うと思うべきなのだろう。
ただ、私人もこれまでに女性関係に関しては色々頭を抱えさせられたものだ。
思い返すだけで溜息しか溢れない過去は忘れ去ってしまえたら余程楽だと思えるものの方が多い。
はっきり言って仕舞えば面識のないその女性は、私にとって異物に等しい。
本来ならばあの輪の中に居るべきは真那だった筈だ。
それなのに、私がら知らない人間がまるで彼女の居場所を掠め取った様にも感じてしまった。
それぞれがこの転生した人生を謳歌する中で、時折私だけが過去に取り残された様な。
まるで被害妄想にも似た感情に駆られて居た。
「ほら、このお店だよ」
「此処、前にも来たことがありますね」
「そうそう!料理美味しかったからさ。飲まない人も居るからやっぱり料理は大事だよね」
「アナタが食べたいだけでしょう」
結局、引き摺られる様にして店の前までやって来てしまった時には、もはや腹を括るしかないのだと己に言い聞かせるしかなくなってしまった。
それでも、中々踏ん切りが付かないのは悪足掻きだったのか。
既に空腹を堪え切れず腹部を摩りながら入店した灰原が、店員と言葉を交わす。
時折り背後を振り返り、私がいる事を確認しつつ奥の個室へと進んでいく。
一歩離れた所で様子を伺う私には、その中の状況は窺い知れない。
しかし、全くもって普段通り輪の中に入り込んでいく灰原が私に声を掛けると、やっと一歩踏み出した私は呼吸すら止まるのではないかと言う程に衝撃的な光景を目の当たりにする。
いつもの面子での飲み会でまるで夢を見て居る様な。
目の前に広がる光景が、私の思い描いた理想だったかの様な錯覚を抱き続けて居た。
忘れもしない、花の綻ぶ様な笑顔。
鈴の転がる様な声。
常に周囲に気を配りながら、控えめに佇む私の唯一にして最愛の人を目の当たりにして私はただ平静を装う事で精一杯だった。
私はこれまで、灰原からその名前すら聞いたことはなかった。
今になって五条さんが意図的にその名前を伏せて居たのだと言う事も悟った。
誰の口からも聞くことのなくなってしまった彼女の名前を、さも当然の様に誰もが紡ぐ様子に、人知れず剥き出しの心臓を鷲掴みにされる様な歓喜に震えて居た。
前世の記憶を持たない灰原が、私ときっとウマが合うと言って来たのが嘗ての己の最愛の女性だった。
そうだとしたら、これまで出会わなかった事はどんな運命の悪戯で、何としてでも私達を巡り合わせようとした灰原の直感は何と恐ろしいものなのだろう。
まるで引き寄せられる様に私は彼女の真正面の席に腰を下ろす。
その僅かな道すがら、物言いだがな五条さんと家入さんの視線が注がれ、伊地知君すらも目を細めた。
──初めまして。
交わした言葉は互いにたった一言だけだった。
しかし、自分に向けられた視線。
はにかんだ表情と控えめに響く音に、今にも抱きしめたくなる衝動を堪える事が精一杯で。
その後にも、垣間見た彼女の姿に幾度も目頭が熱くなった。
聞きたい事は山程あった。
今は何処で暮らして居るのか。
今の生活に不便はないのか。
恋人は居るのか。
……そして、やはり私の事は覚えて居ないのか。
その何も、この場で聞くには相応しくなく。
夏油さんが真那の隣に向かい、談笑する姿には嫉妬の業火に身を焦がした。
淡く頬を染めた姿も、照れくさそうに笑う様も。
誰よりも私が一番近くで、一番多く見て居た筈だった。
しかし、それは最早真那にとって存在しない記憶だ。
その日はそれ以上の言葉を交わす事すら出来なかった。
ただ、別れ際は名残惜しく。
せめて連絡先だけでも聞けないものかと考えた私は、ほんの数時間前の己が別人の様だとさえ感じる。
「七海。この後、少しいい?」
すっかり日を跨ぎ、程よく酔った家入さんと真那がタクシーに乗り込む姿を見届けた。
灰原は夏油さんと梯子をするらしく、陽気に肩を組みながら夜の街へと消えていく。
何処か含みのある笑みを湛え、五条さんが私の肩を叩いた。
それはきっと、今日の事を言及したいのだろう私に伝え。
脳裏に焼きついた今世の真那の姿を思い返して私は満天の星空を仰いだ。
「……長くなりますか?」
「それはオマエ次第だよ。場所、移す?」
「いえ、流石に今日は色々考える事が多すぎる。手短にお願いします。ですが、そうですね……。五条さんが、敢えて彼女の名前を伏せて居た意味がやっと分かりました」
それは半分皮肉混じりの言葉だった。
仮にこの人が私にもっと早く真那と出会った事を教えてくれて居たら。
私達は既に出会い、今とは違う関係となって居たのかも知れない。
しかし、それは結局私の願望でしかないのだろう。
真那には真那の。
今の人生がある。
例え私がどれほど彼女を想って居たとしても、それは全て今の私のものではない。
けれど、私は忘れては居ない。
馬鹿げた病に罹り彼女を不幸に突き落とし、それでも無垢な愛情を向け続けてくれた真那の想いを。
彼女を失い、失意のどん底に沈み。
それでも愛してやまなかった事を。
ただ、立場が逆転したと言うだけの話だ。
寧ろ、私の愚行を思えば明確な嫌悪を露わにされなかっただけでも尭孝と言える筈なのに。
……それはこんなにも、身を切り裂く様な痛みと、胸を締め付けられるものだったのか。
噛み締めた奥歯が鈍く鳴った。
胸を掻きむしりたくなる衝動が、掴んだシャツに皺を刻む。
「因果だよねぇ。結局、全部知って居ようが居まいが。僕達はまたこうして巡り合って、肩を並べてる」
「……ええ、そうですね」
「本当はさ、出会わない事がオマエ達にとっての運命なら、僕達は手を出さない様にしようって伊地知と硝子と話してたんだよ。でもさぁ、まさか灰原が引き合わせるなんてね」
「本当に引き摺って連れてこられましたよ。絶対気が合うから会うべきだと言って」
「アイツの勘ってたまに怖いよね」
「ええ、本当に。ですが、感謝するべきなんでしょうね」
やっと出会えたと言うべきか。
出会ってしまったと言うべきか。
ずっと彼女を探して居た己の胸中を考えれば答えは前者だ。
しかし、今の真那の人生の中で私が邪魔になるのだとしたら。
途端に答えは後者に移り変わる。
何とも言えない複雑な想いが胸の内で渦を巻いた。
手の届く場所に居ると言うのに、手を伸ばす事が叶わない。
振り出しに戻ったと捉えられたらまだマシだと思えた筈なのに。
私の魂が歓喜に咽び泣き、今にもあの細い身体を掻き抱きたい衝動に駆られて居る。
深く吐き出した息が、夜の闇に溶けた。
どうすれば再び彼女の唯一になれるのだろうかと。
未だ愚かで身勝手な心が咆哮を上げて居る。
「七海。忘れられて悲しい?それとも、会えて嬉しい?」
「分かりません……。今はただ、胸が熱い」
例え忘れられたとしても。
彼女の中に私の存在が欠片も残されて居なかったとしても。
私が私である限り、この想いが消える事はきっとない。
声が詰まり、喉の奥が熱を孕んだ。
俯き、目頭を押さえた己の指先が濡れて。
柄にもなく嗚咽さえ漏れそうになる。
五条さんが今一度私の肩に手を置いた。
それは、良かったと言う激励だったのか。
はたまた、慰めだったのかは定かではない。
今の私達はつい先ほど知り合ったばかりの他人であり、真那の心に私と言う存在の居場所は無いに等しいのだから。
しかし、絶望よりも心を占めて沸々と湧き上がるのは彼女に向けた純然たる愛おしさ。
再び見えた事に対する今世と親友への感謝。
そして、これまでずっと真那を見守って居てくれた私達の関係を知る仲間の存在だった。
私の罪は消える事はない。
誰が赦しを与えようが、私自身が納得のいくまで贖うべき事だとも考えて居る。
忘却と言う名の罰。
報われない愛情と言う苦い毒。
それでも私は……ただ一人。
最愛のアナタを想い、求め続けて居るのだから。
是が非でも私に会わせたい人が居る。
先日、そう告げた親友は今日に至るまで。
事あるごとに私に向けて、その話題を振り続けて居た。
幾度はぐらかしてもめげる事なく。
それはまるで、私がその人に必ず合わなければならないのだと言って居るようにも聞こえて。
使命感に駆られて居たようにも感じる程に熱心なものだった。
此方としては言い方は悪いがお節介としか言いようがない。
いっその事、きっぱり断ってしまえば良かったのだろう。
しかし、私の隣で共に二十代になった灰原に対して、私は余り強気になれない。
勿論、友人として間違いがあれば正してやるものの、どうにもこう言った頼み事にも似たものとなると途端に弱くなってしまう。
彼には多くのものを与えてもらった。
たった一人きりのクラスメイトであり、親友。
地獄と揶揄するに相応しいあの世界の中で、私は間違いなく、その存在に己の人生を大きく左右されたのだから。
一人逝かせてしまった事を悔やまない時は無かった。
何故こんなにも世界は不条理なのかと呪いもした。
だからこそ、彼の言葉に意を唱える事を躊躇ってしまう。
そして未だ諦めきれず真那を探し求める傍らで、夏油さんと五条さんが肩を組み、家入さんがそれを眺め、私と灰原、伊地知君が並ぶ姿が何故過去に無かったのかと。
今でもそんな妄執に苛まれる時がある。
故に、これはきっと。
今回の件に関してその場をやり過ごす事ばかりしてきてしまったツケと言っても過言ではないのだろう。
「お先に失礼します」
終業時間を過ぎて、ふと見た時計の針は更に一周を回っていた。
やっと今日の己の業務が終わり、私は己のデスクを離れる。
未だに労働はクソだと感じる。
しかし、それが今となってはそこまで苦痛に感じる事もなくなったのは、やはり環境が違うからなのだろうか。
辺りを気にしてみても灰原の姿は見当たらず、未だパソコンと睨み合いを続ける同僚に帰宅の旨を伝え、足早に職場を後にする。
寄りたい場所は幾つかあった。
しかし、今日に限っては早く帰るに越した事はない。
社会人として些か気が引けるものの、携帯は充電が切れた事にして、電源を切って仕舞えば問題ないだろう。
安易にそう考えて居た私は、周囲に気を配りながらも灰原の姿が無い事に安堵し、エレベーターに乗り込んだ。
幸い他に人の姿も見られず、僅かな一人の空間に息を吐く。
後はエントランスを抜ければ家までは直ぐだと、週末の己の予定に現さえ抜かして居た。
だから気が付かなかったのだろう。
背後から忍び寄る、悪戯顔をした親友の姿に。
「七海っ!捕まえた」
「灰原?」
「あはは。帰ったと思った?ほら。行くよっ!!」
「ちょっと、待って下さい。灰原!」
完全に油断して居たところを突かれ、己の肩に腕が回される。
悪戯に成功した子供のように弾けんばかりの笑顔を向けられ、思わず言葉を失った。
普段ならば咄嗟に小言の一つでも口をついて出ると言うのに、今日に限っては逃亡を前提として居た罪悪感に、ただ戸惑った。
制止する声さえ意味をなさない。
二の足を踏んだ私は緩くその場で首を振っては見たものの、苦笑しながらも彼は私を離すつもりは無いらしく、その様を一言で表すならば散歩を嫌がる犬にも等しい。
「ダメだよ。待ったら七海逃げちゃうから。大丈夫だよ。凄く良い子なんだ。七海もきっと仲良くなれる」
私を見据えた瞳は、一点の曇りすらないと思える程に澄んだものだった。
こう言う時の灰原の根拠のない自信には、何度振り回されてきた事だろう。
しかし、存外この直感と言うものが馬鹿に出来ないから時に恐ろしい。
本当に、会社を出る時には気乗りがしなかった。
勿論、懐かしい面々と顔を合わせる事が嫌なわけではない。
寧ろあの中に居ると、望んでも叶えられなかった前世での幻を見て居る様な錯覚に陥り、まるで童心に戻った様な心持ちになる。
躊躇う理由はただ一つしかない。
これまでは意図的に避けたいたわけではなかった。
ただ、お互いの都合が合わなかったと言うだけ。
それに加えて、今世でも学生時代から浮いた話が絶えなかった五条さんや夏油さんが居る中で、色恋に纏わる話が出てこない以上。
言い方は悪いが思ったよりは全うと思うべきなのだろう。
ただ、私人もこれまでに女性関係に関しては色々頭を抱えさせられたものだ。
思い返すだけで溜息しか溢れない過去は忘れ去ってしまえたら余程楽だと思えるものの方が多い。
はっきり言って仕舞えば面識のないその女性は、私にとって異物に等しい。
本来ならばあの輪の中に居るべきは真那だった筈だ。
それなのに、私がら知らない人間がまるで彼女の居場所を掠め取った様にも感じてしまった。
それぞれがこの転生した人生を謳歌する中で、時折私だけが過去に取り残された様な。
まるで被害妄想にも似た感情に駆られて居た。
「ほら、このお店だよ」
「此処、前にも来たことがありますね」
「そうそう!料理美味しかったからさ。飲まない人も居るからやっぱり料理は大事だよね」
「アナタが食べたいだけでしょう」
結局、引き摺られる様にして店の前までやって来てしまった時には、もはや腹を括るしかないのだと己に言い聞かせるしかなくなってしまった。
それでも、中々踏ん切りが付かないのは悪足掻きだったのか。
既に空腹を堪え切れず腹部を摩りながら入店した灰原が、店員と言葉を交わす。
時折り背後を振り返り、私がいる事を確認しつつ奥の個室へと進んでいく。
一歩離れた所で様子を伺う私には、その中の状況は窺い知れない。
しかし、全くもって普段通り輪の中に入り込んでいく灰原が私に声を掛けると、やっと一歩踏み出した私は呼吸すら止まるのではないかと言う程に衝撃的な光景を目の当たりにする。
いつもの面子での飲み会でまるで夢を見て居る様な。
目の前に広がる光景が、私の思い描いた理想だったかの様な錯覚を抱き続けて居た。
忘れもしない、花の綻ぶ様な笑顔。
鈴の転がる様な声。
常に周囲に気を配りながら、控えめに佇む私の唯一にして最愛の人を目の当たりにして私はただ平静を装う事で精一杯だった。
私はこれまで、灰原からその名前すら聞いたことはなかった。
今になって五条さんが意図的にその名前を伏せて居たのだと言う事も悟った。
誰の口からも聞くことのなくなってしまった彼女の名前を、さも当然の様に誰もが紡ぐ様子に、人知れず剥き出しの心臓を鷲掴みにされる様な歓喜に震えて居た。
前世の記憶を持たない灰原が、私ときっとウマが合うと言って来たのが嘗ての己の最愛の女性だった。
そうだとしたら、これまで出会わなかった事はどんな運命の悪戯で、何としてでも私達を巡り合わせようとした灰原の直感は何と恐ろしいものなのだろう。
まるで引き寄せられる様に私は彼女の真正面の席に腰を下ろす。
その僅かな道すがら、物言いだがな五条さんと家入さんの視線が注がれ、伊地知君すらも目を細めた。
──初めまして。
交わした言葉は互いにたった一言だけだった。
しかし、自分に向けられた視線。
はにかんだ表情と控えめに響く音に、今にも抱きしめたくなる衝動を堪える事が精一杯で。
その後にも、垣間見た彼女の姿に幾度も目頭が熱くなった。
聞きたい事は山程あった。
今は何処で暮らして居るのか。
今の生活に不便はないのか。
恋人は居るのか。
……そして、やはり私の事は覚えて居ないのか。
その何も、この場で聞くには相応しくなく。
夏油さんが真那の隣に向かい、談笑する姿には嫉妬の業火に身を焦がした。
淡く頬を染めた姿も、照れくさそうに笑う様も。
誰よりも私が一番近くで、一番多く見て居た筈だった。
しかし、それは最早真那にとって存在しない記憶だ。
その日はそれ以上の言葉を交わす事すら出来なかった。
ただ、別れ際は名残惜しく。
せめて連絡先だけでも聞けないものかと考えた私は、ほんの数時間前の己が別人の様だとさえ感じる。
「七海。この後、少しいい?」
すっかり日を跨ぎ、程よく酔った家入さんと真那がタクシーに乗り込む姿を見届けた。
灰原は夏油さんと梯子をするらしく、陽気に肩を組みながら夜の街へと消えていく。
何処か含みのある笑みを湛え、五条さんが私の肩を叩いた。
それはきっと、今日の事を言及したいのだろう私に伝え。
脳裏に焼きついた今世の真那の姿を思い返して私は満天の星空を仰いだ。
「……長くなりますか?」
「それはオマエ次第だよ。場所、移す?」
「いえ、流石に今日は色々考える事が多すぎる。手短にお願いします。ですが、そうですね……。五条さんが、敢えて彼女の名前を伏せて居た意味がやっと分かりました」
それは半分皮肉混じりの言葉だった。
仮にこの人が私にもっと早く真那と出会った事を教えてくれて居たら。
私達は既に出会い、今とは違う関係となって居たのかも知れない。
しかし、それは結局私の願望でしかないのだろう。
真那には真那の。
今の人生がある。
例え私がどれほど彼女を想って居たとしても、それは全て今の私のものではない。
けれど、私は忘れては居ない。
馬鹿げた病に罹り彼女を不幸に突き落とし、それでも無垢な愛情を向け続けてくれた真那の想いを。
彼女を失い、失意のどん底に沈み。
それでも愛してやまなかった事を。
ただ、立場が逆転したと言うだけの話だ。
寧ろ、私の愚行を思えば明確な嫌悪を露わにされなかっただけでも尭孝と言える筈なのに。
……それはこんなにも、身を切り裂く様な痛みと、胸を締め付けられるものだったのか。
噛み締めた奥歯が鈍く鳴った。
胸を掻きむしりたくなる衝動が、掴んだシャツに皺を刻む。
「因果だよねぇ。結局、全部知って居ようが居まいが。僕達はまたこうして巡り合って、肩を並べてる」
「……ええ、そうですね」
「本当はさ、出会わない事がオマエ達にとっての運命なら、僕達は手を出さない様にしようって伊地知と硝子と話してたんだよ。でもさぁ、まさか灰原が引き合わせるなんてね」
「本当に引き摺って連れてこられましたよ。絶対気が合うから会うべきだと言って」
「アイツの勘ってたまに怖いよね」
「ええ、本当に。ですが、感謝するべきなんでしょうね」
やっと出会えたと言うべきか。
出会ってしまったと言うべきか。
ずっと彼女を探して居た己の胸中を考えれば答えは前者だ。
しかし、今の真那の人生の中で私が邪魔になるのだとしたら。
途端に答えは後者に移り変わる。
何とも言えない複雑な想いが胸の内で渦を巻いた。
手の届く場所に居ると言うのに、手を伸ばす事が叶わない。
振り出しに戻ったと捉えられたらまだマシだと思えた筈なのに。
私の魂が歓喜に咽び泣き、今にもあの細い身体を掻き抱きたい衝動に駆られて居る。
深く吐き出した息が、夜の闇に溶けた。
どうすれば再び彼女の唯一になれるのだろうかと。
未だ愚かで身勝手な心が咆哮を上げて居る。
「七海。忘れられて悲しい?それとも、会えて嬉しい?」
「分かりません……。今はただ、胸が熱い」
例え忘れられたとしても。
彼女の中に私の存在が欠片も残されて居なかったとしても。
私が私である限り、この想いが消える事はきっとない。
声が詰まり、喉の奥が熱を孕んだ。
俯き、目頭を押さえた己の指先が濡れて。
柄にもなく嗚咽さえ漏れそうになる。
五条さんが今一度私の肩に手を置いた。
それは、良かったと言う激励だったのか。
はたまた、慰めだったのかは定かではない。
今の私達はつい先ほど知り合ったばかりの他人であり、真那の心に私と言う存在の居場所は無いに等しいのだから。
しかし、絶望よりも心を占めて沸々と湧き上がるのは彼女に向けた純然たる愛おしさ。
再び見えた事に対する今世と親友への感謝。
そして、これまでずっと真那を見守って居てくれた私達の関係を知る仲間の存在だった。
私の罪は消える事はない。
誰が赦しを与えようが、私自身が納得のいくまで贖うべき事だとも考えて居る。
忘却と言う名の罰。
報われない愛情と言う苦い毒。
それでも私は……ただ一人。
最愛のアナタを想い、求め続けて居るのだから。