永遠という名の愛
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「どうかしたのかい?真那」
「え、あ……。すみません、大丈夫です」
一層賑やかになった空間。
唐突に向けられた穏やかな声が、私を現実に引き戻す。
いつのまにか隣にやって来た夏油さんに、私は慌てて彼の座るスペースを設けた。
グラスを片手に笑みを湛え、彼はゆっくり腰を下ろす。
その視線が一度七海さんに向けられると、私すらもその姿を視界に収めてしまった。
締め付けられる様に胸が痛い。
トクトクと、絶えず鼓動が鳴り響く。
様子を窺う様に顔を覗き込まれると、まるで己の胸中を見透かされる様な気がして。
気恥ずかしくなった私は俯きながら、夏油さんの視線から逃れるように、先程少し乱された髪を撫で付けて誤魔化すしか無かった。
「ふふ、そうかい?心ここに在らずだったようにも思えたけれど。もしかして、真那七海みたいな男がタイプかな?」
「いえ、そんな……っ」
図星を突かれた様に顔を上げ、一瞬言葉を詰まらせた。
確かに、七海さんは素敵な人だと思う。
けれど、それを言い始めたらこの場に居る人達は一様に魅力的な人達ばかりだ。
何の取り柄もない、凡人の私が輪の中に入る事すら烏滸がましいと思える程に。
恋愛において、挫折だらけの私が言うのもおかしいけれど、これまでは相手の内面を見る様に努めて来た。
見た目から惹かれる恋愛が数多ある事は分かって居ても、どうにもそれは不誠実に思えてならない。
一目惚れなんてものは、これまで自分とは無縁のものだと思って居たし、相手を知りながら少しずつ距離を近づけていくものだと。
そう思って居た。
数が多い訳ではないけれど、これまで別れた人達も初めは優しかった。
ただ、三者三様と言うべきか。
私とは価値観が合わなかったと言うだけの話だ。
しかし、夏油さん私の言葉を鵜呑みにはしてくれず、傾けたグラスが小気味いい音を鳴らす。
「残念だな。私も悟も、君の事は随分気に入って居たんだけど」
「本当に、そう言うのじゃないので……」
「はは、今はそう言う事にしておいてあげるよ」
揶揄い混じりに伸びた手が私の髪を撫で付ける。
大きな手のひらには違いないのに、五条さんとは少し違う。
そして夢のあの人とも違う心地よさを伴って居た。
灰原さんには妹の様に扱われて居たからか、何度もこういった事をされた事がある。
けれどそれも、私の中では暖かさを感じるものではあっても、求めるものとは違っていた。
もし、この手が七海さんのものならば……。
今の会話の流れから、私がそう考えてしまうのは不自然な事ではないだろう。
意図せず視線がそちらに向かう。
しかし、不意に視線がかち合うとまるで咎らめられた様な気さえして。
不躾だと言うのに私は視線を逸らしてしまった。
「おやおや、道のりは長そうだね」
「……もう、揶揄わないでください」
態とらしく耳打ちをされると、私の顔はお酒が入って居る訳でもないのに赤らんで居たようにも思う。
どうにかして熱を取ろうと軽く頭を振り、手で煽ぐ仕草を見せると夏油さんはいっそ笑みを濃くした。
時折聞こえる低い声を、自然と耳が追いかけてしまう。
自分に向けられたものではない事は分かって居ても、その一言一句すら聞き逃したくないのだと本能が叫んでいる様な気がした。
「話さなくて良いのかい?」
「……皆さんの邪魔をしたら悪いですから」
謙虚と言う皮を被り、咄嗟に私は臆病な己を誤魔化した。
何か切っ掛けがあれば。
せめて一言でも会話が出来たら、私の胸は落ち着きを取り戻してくれるのだろうかと思うのに。
適当な言葉が頭の中に全く浮かんできてはくれなかった。
結局、他の誰と談笑できてもその日、七海さんとは挨拶以上の会話をする事は叶わず。
私と五条さん以外の面子が程々に酔う頃には夜もすっかり更けて。
今回の飲み会はお開きとなってしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
溜息は幸せが逃げると言う反面。
健康面を考えたらとてもいい事なのだと知ったのはいつだっただろうか。
先日の衝撃的とも思える出会いから数週間。
私はふとした時に、七海さんの事ばかりを考える様になってしまった。
ここ数日の間で溢した溜息の数は数える事すら難しい。
それと言うのも、あの時は一言言葉を交わしただけの筈なのに、一ヶ月も経たない間に私達が偶然出会す回数が尋常では無かったからだ。
時に、診療所から最寄りのコンビニで。
時に、私の行きつけのパン屋さんで。
ふらりと立ち寄ったカフェや書店で会ったことすらある。
流石に一度面識を持ってしまったからか、素通りする訳にも行か無かったと言うのも理由であるのだけれど。
初めのうちは会釈だけで終わって居た私達の間では、偶然を積み重ねていくうちに辿々しくも会話が成り立つようになって居た。
初めは互いが特に親しくして居る、灰原さんや家入さんの話から始まり。
最近では取り止めのない事まで話せるようになって来た。
そんな中で知ったのは、七海さんがクォーターであり、パンが好きだと言う事。
料理が趣味で読書家だと言う事。
互いにおすすめの本や調理器具を語ったり、教え合った本の感想を告げたり。
そんな些細なやり取りが今は楽しくて、いつだったかこんな幸せな日々があったように思えて仕方がない。
それからと言うもの。
何処に向かうにも、私は七海さんが居るのではないかと淡い期待を持つようになってしまった。
色素の薄い、大きな影を。
芽吹いたばかりの若葉を彷彿させる瞳を。
いつからか脳裏で思い描き、夢を見る度にあの人の姿が七海さんと重なるような錯覚さえ抱く。
けれどそれは、私の作り出した幻想に過ぎず。
七海さんが私にあんな言葉を投げかけてくれる事などないと分かっても居た。
本当に知れば知るほど素敵な人だと感じる。
趣味も合う。
何より、まるで私の好みや性格を熟知して居るかのように些細な機微にも気がついてくれる。
そして私もまた、不思議と七海さんの好みそうなものがなんとなく理解できた。
相性がいいと言うのはこう言う事を言うのだろうかと肌で感じ取れるほどに、一緒にいる事が只々心地いい。
もっと一緒に居たいと。
そう思うようになるまでに時間が掛かるはずもなく、これが自身の否定して居た一目惚れだったのかと思わず己に対して自嘲すらしたくなった。
「……はぁ」
「何か悩み事か?真那」
「あ……いえ。そう言う訳じゃ。すみません、仕事中なのに」
「ああ、責めてるわけじゃないよ。患者も居ないんだから、休憩と変わらないさ」
慌てて受付を見渡すと、家入さんの言葉通り患者さんの姿は見当たらなかった。
いつの間にか時刻も終業間近となり、数年の慣れとは恐ろしいもので。
私は無意識の内に仕事をこなして居たらしい。
家入さんがこうして羽を伸ばして居るくらいなのだから、きっと数少ない同僚達も今は会話に花を咲かせながらのんびりとひと時を過ごして居るのだろう。
だからと言って、こんな低落では私を拾ってくれた家入さんに申し訳が立たなくなってしまう。
肩を落とし、今日の記憶を振り返ってみてもどれも曖昧なものばかりで。
そんな私を見かねたように肩を竦めた家入さんは、白衣を翻した。
「少し話そうか。コーヒー、淹れてもらえないか?」
「あ、はいっ。直ぐに」
受付の回転椅子が私の動きに合わせて投げ出される。
それを慌てて元の位置に戻すと、私は揺れる白い姿を追って足早に休憩室に駆け込んだ。
一応立場が違うからと、スタッフと家入さんの休憩室は別になって居る。
半ば彼女の私室とも言える場所に頻繁に出入りするのはスタッフの中でも私だけだ。
勝手知ったる室内で二人分のコーヒーを注ぐ。
先日七海さんにお勧めされた豆はどうやら家入さんのお気に入りとなったらしく、湯気の立つカップから芳しい香りが広がった。
向かい合って席に着く。
未だ呆けて仕事をしてしまった事に対して落ち込んだ気持ちは回復しないものの、咎められるような雰囲気は感じられず。
家入さんがカップに手を伸ばすと、早速と言わんばかりに口を開いた。
「それで?何を悩んでたんだ」
「……その。本当に大した事じゃ無いんです。ただ、頭から離れない人が居て。ふとした時にその人の事ばかり考えてしまうんです」
覗き込んだカップの湯気が頬を撫でる。
俯いた先には、酷く情けない顔をした己の姿が揺らいでいた。
本当は相手をはっきり明言して仕舞えば良かったのかも知れない。
けれど、七海さんは家入さんにとって昔から付き合いのある後輩で友人だ。
私が一方的に向けてしまった好意を、他人事であっても家入さんは無碍にしないだろう。
仮に五条さんや灰原さんにでも知られたら、それこそ色んな手を尽くしてくれるに違いない。
それは予想というより、確信に近いものだった。
それ程に、何故か五条さんや家入さんは私に対して目をかけてくれて居る気がする。
まるで己の行く末を見守られて居る様な錯覚に陥る事すらある。
しかし、七海さんの迷惑にはならないのだろうかと一抹の不安が過る。
たまたま知り合った友人の知り合い。
私達の関係と言えば未だその程度のものでしかなく。
妙に気が合うからと言って、果たしてそれがいい結果になるとは限らない。
恋愛に対していつの間にか自分が消極的になって居た事を自覚せざるを得なかった。
これまでの私は世話焼きな友人を介して、相手から発信したものばかりを受け取って居たに過ぎなかったのだろう。
そうして自分の思い描いたものと違うと落胆し、勝手に肩を落とすのだ。
今更になって己の浅はかさを自覚せざるを得なかった。
何故だろうと首を捻り続けて居たものは、蓋を開ければ全て私が原因で。
今となっては、謝罪すら出来ない相手に向けての申し訳なさが募るばかりだ。
「相手の事は聞いてもいいか?」
「すみません。お名前は伏せておきます。でも、知り合ったばかりの人です。その時は殆ど会話なんてなかったのに、最近色んな場所で会う様になって。初めは言葉もなかったんですが、少しずつ話をしてくれる様になったんです。不思議と共通点が多くて。何だがとても懐かしく感じる。お互いに昔から知って居た様な妙な気分になる時があるんです」
敢えて名前を伏せては見たものの、この言種では相手はわかってしまったかも知れない。
しかし、家入さんはそれ以上誰かという事について言及はしなかった。
目を細めながら、頬杖をついて私の話に耳を傾ける家入さんは同性の私から見ても綺麗だと思えた。
無い物ねだりをするなんて愚かな事だとわかって居る。
それでも、彼女のように自分に自信を持てる強さがあったのなら。
私はもう少し、まともな人間になれるのだろうかと羨望にも似た思いを抱いてしまう。
「へぇ……。それはなかなか、運命的だな」
「そんな素敵なものなら良かったんですが……。でも、私。私生活は駄目なことばかりで。恋愛も全然うまくいかないんです。ほんの数ヶ月前にも、恋人に振られてしまったばかりで。いつもそうなんです。求めるものは相手と食い違って。稀に気の合いそうな人と巡り会えても、最後には自分を見て居る気がしないと言われてしまう」
「誰かと重ねてるって事か?忘れられない相手でも居るのか?」
「……そんなつもりはないんです。でも、自分を通して他人を見て居る気分だと、何度か言われた事があります。私はそんなつもりはなかったのに。そうしているうちに、どんどん自信がなくなって行ってしまって」
何か思い当たる節でもあるかのように、家入さんが目を瞬かせた。
しかし、やはり私にそんな覚えはなく。
緩く頭を振るとカップを握る手に力が籠った。
それなのに、かつての恋人達の言葉を思い返せば、他者から見ると私の様子はまるで違うらしく。
私は一体何の幻影を見て居るのだろうかと時折自分自身が不気味に思える。
恋を忘れるには新しい恋だなんて言葉を聞いたりするけれど。
新たな出会いは、期待と同時に私に新たな不安を植え付ける。
そうして、別れが訪れるたびに取り残されるのは臆病になっていく自分だけで。
すっかり恋愛に対して消極的になってしまった。
七海さんに対して淡い想いを寄せて居るのは最早否定のしようがない。
ただ、それを今は己の内側で留めて置きたいと願って居る。
それなのに、姿を見てしまうと理性的な自分を押し除けて心が暴れ出しそうな衝動すら感じた。
まるで魂が咆哮を上げるような。
心の底から歓喜に震える様な、そんな感覚。
誰に伝えたとしても、こんな抽象的なものを理解してくれる人など居ないだろう。
仮に私が相談を受ける立場になったとして、掛ける言葉が見つからないのだから。
「自分に正直にならないのは辛いだけだぞ」
「……それでも、やっぱり私はあの人に相応しいと思えないんです。どうしようもなく惹かれるのに、何処かで歯止めが掛かるような」
「それはまるで、呪いだな」
その言葉は既に相手を理解しながらも、私の背中を押してくれて居る様にも思えた。
しかし、妙な既視感は感じて居るのにそれに異を唱える声も同時に聞こえる。
他者の口から改めて聞かされた呪いという言葉が、不思議な程にすんなり己の心に馴染んでいく。
ああ、私はこの人に会うために生まれてきたのだろうかと。
そんな夢物語すら描きたくなってしまう。
姿を見るだけで嬉しくて。
言葉を交わせるだけで歓喜に満ち溢れる。
例え釣り合わないしても、思うだけならば自由だとそんな身勝手な思考にすら囚われた。
しかし、もしもたった一人。
誰にでも運命の人が居るのだとしたら。
私はきっと何度でも、貴方がいいと思うのだろう。
「え、あ……。すみません、大丈夫です」
一層賑やかになった空間。
唐突に向けられた穏やかな声が、私を現実に引き戻す。
いつのまにか隣にやって来た夏油さんに、私は慌てて彼の座るスペースを設けた。
グラスを片手に笑みを湛え、彼はゆっくり腰を下ろす。
その視線が一度七海さんに向けられると、私すらもその姿を視界に収めてしまった。
締め付けられる様に胸が痛い。
トクトクと、絶えず鼓動が鳴り響く。
様子を窺う様に顔を覗き込まれると、まるで己の胸中を見透かされる様な気がして。
気恥ずかしくなった私は俯きながら、夏油さんの視線から逃れるように、先程少し乱された髪を撫で付けて誤魔化すしか無かった。
「ふふ、そうかい?心ここに在らずだったようにも思えたけれど。もしかして、真那七海みたいな男がタイプかな?」
「いえ、そんな……っ」
図星を突かれた様に顔を上げ、一瞬言葉を詰まらせた。
確かに、七海さんは素敵な人だと思う。
けれど、それを言い始めたらこの場に居る人達は一様に魅力的な人達ばかりだ。
何の取り柄もない、凡人の私が輪の中に入る事すら烏滸がましいと思える程に。
恋愛において、挫折だらけの私が言うのもおかしいけれど、これまでは相手の内面を見る様に努めて来た。
見た目から惹かれる恋愛が数多ある事は分かって居ても、どうにもそれは不誠実に思えてならない。
一目惚れなんてものは、これまで自分とは無縁のものだと思って居たし、相手を知りながら少しずつ距離を近づけていくものだと。
そう思って居た。
数が多い訳ではないけれど、これまで別れた人達も初めは優しかった。
ただ、三者三様と言うべきか。
私とは価値観が合わなかったと言うだけの話だ。
しかし、夏油さん私の言葉を鵜呑みにはしてくれず、傾けたグラスが小気味いい音を鳴らす。
「残念だな。私も悟も、君の事は随分気に入って居たんだけど」
「本当に、そう言うのじゃないので……」
「はは、今はそう言う事にしておいてあげるよ」
揶揄い混じりに伸びた手が私の髪を撫で付ける。
大きな手のひらには違いないのに、五条さんとは少し違う。
そして夢のあの人とも違う心地よさを伴って居た。
灰原さんには妹の様に扱われて居たからか、何度もこういった事をされた事がある。
けれどそれも、私の中では暖かさを感じるものではあっても、求めるものとは違っていた。
もし、この手が七海さんのものならば……。
今の会話の流れから、私がそう考えてしまうのは不自然な事ではないだろう。
意図せず視線がそちらに向かう。
しかし、不意に視線がかち合うとまるで咎らめられた様な気さえして。
不躾だと言うのに私は視線を逸らしてしまった。
「おやおや、道のりは長そうだね」
「……もう、揶揄わないでください」
態とらしく耳打ちをされると、私の顔はお酒が入って居る訳でもないのに赤らんで居たようにも思う。
どうにかして熱を取ろうと軽く頭を振り、手で煽ぐ仕草を見せると夏油さんはいっそ笑みを濃くした。
時折聞こえる低い声を、自然と耳が追いかけてしまう。
自分に向けられたものではない事は分かって居ても、その一言一句すら聞き逃したくないのだと本能が叫んでいる様な気がした。
「話さなくて良いのかい?」
「……皆さんの邪魔をしたら悪いですから」
謙虚と言う皮を被り、咄嗟に私は臆病な己を誤魔化した。
何か切っ掛けがあれば。
せめて一言でも会話が出来たら、私の胸は落ち着きを取り戻してくれるのだろうかと思うのに。
適当な言葉が頭の中に全く浮かんできてはくれなかった。
結局、他の誰と談笑できてもその日、七海さんとは挨拶以上の会話をする事は叶わず。
私と五条さん以外の面子が程々に酔う頃には夜もすっかり更けて。
今回の飲み会はお開きとなってしまった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
溜息は幸せが逃げると言う反面。
健康面を考えたらとてもいい事なのだと知ったのはいつだっただろうか。
先日の衝撃的とも思える出会いから数週間。
私はふとした時に、七海さんの事ばかりを考える様になってしまった。
ここ数日の間で溢した溜息の数は数える事すら難しい。
それと言うのも、あの時は一言言葉を交わしただけの筈なのに、一ヶ月も経たない間に私達が偶然出会す回数が尋常では無かったからだ。
時に、診療所から最寄りのコンビニで。
時に、私の行きつけのパン屋さんで。
ふらりと立ち寄ったカフェや書店で会ったことすらある。
流石に一度面識を持ってしまったからか、素通りする訳にも行か無かったと言うのも理由であるのだけれど。
初めのうちは会釈だけで終わって居た私達の間では、偶然を積み重ねていくうちに辿々しくも会話が成り立つようになって居た。
初めは互いが特に親しくして居る、灰原さんや家入さんの話から始まり。
最近では取り止めのない事まで話せるようになって来た。
そんな中で知ったのは、七海さんがクォーターであり、パンが好きだと言う事。
料理が趣味で読書家だと言う事。
互いにおすすめの本や調理器具を語ったり、教え合った本の感想を告げたり。
そんな些細なやり取りが今は楽しくて、いつだったかこんな幸せな日々があったように思えて仕方がない。
それからと言うもの。
何処に向かうにも、私は七海さんが居るのではないかと淡い期待を持つようになってしまった。
色素の薄い、大きな影を。
芽吹いたばかりの若葉を彷彿させる瞳を。
いつからか脳裏で思い描き、夢を見る度にあの人の姿が七海さんと重なるような錯覚さえ抱く。
けれどそれは、私の作り出した幻想に過ぎず。
七海さんが私にあんな言葉を投げかけてくれる事などないと分かっても居た。
本当に知れば知るほど素敵な人だと感じる。
趣味も合う。
何より、まるで私の好みや性格を熟知して居るかのように些細な機微にも気がついてくれる。
そして私もまた、不思議と七海さんの好みそうなものがなんとなく理解できた。
相性がいいと言うのはこう言う事を言うのだろうかと肌で感じ取れるほどに、一緒にいる事が只々心地いい。
もっと一緒に居たいと。
そう思うようになるまでに時間が掛かるはずもなく、これが自身の否定して居た一目惚れだったのかと思わず己に対して自嘲すらしたくなった。
「……はぁ」
「何か悩み事か?真那」
「あ……いえ。そう言う訳じゃ。すみません、仕事中なのに」
「ああ、責めてるわけじゃないよ。患者も居ないんだから、休憩と変わらないさ」
慌てて受付を見渡すと、家入さんの言葉通り患者さんの姿は見当たらなかった。
いつの間にか時刻も終業間近となり、数年の慣れとは恐ろしいもので。
私は無意識の内に仕事をこなして居たらしい。
家入さんがこうして羽を伸ばして居るくらいなのだから、きっと数少ない同僚達も今は会話に花を咲かせながらのんびりとひと時を過ごして居るのだろう。
だからと言って、こんな低落では私を拾ってくれた家入さんに申し訳が立たなくなってしまう。
肩を落とし、今日の記憶を振り返ってみてもどれも曖昧なものばかりで。
そんな私を見かねたように肩を竦めた家入さんは、白衣を翻した。
「少し話そうか。コーヒー、淹れてもらえないか?」
「あ、はいっ。直ぐに」
受付の回転椅子が私の動きに合わせて投げ出される。
それを慌てて元の位置に戻すと、私は揺れる白い姿を追って足早に休憩室に駆け込んだ。
一応立場が違うからと、スタッフと家入さんの休憩室は別になって居る。
半ば彼女の私室とも言える場所に頻繁に出入りするのはスタッフの中でも私だけだ。
勝手知ったる室内で二人分のコーヒーを注ぐ。
先日七海さんにお勧めされた豆はどうやら家入さんのお気に入りとなったらしく、湯気の立つカップから芳しい香りが広がった。
向かい合って席に着く。
未だ呆けて仕事をしてしまった事に対して落ち込んだ気持ちは回復しないものの、咎められるような雰囲気は感じられず。
家入さんがカップに手を伸ばすと、早速と言わんばかりに口を開いた。
「それで?何を悩んでたんだ」
「……その。本当に大した事じゃ無いんです。ただ、頭から離れない人が居て。ふとした時にその人の事ばかり考えてしまうんです」
覗き込んだカップの湯気が頬を撫でる。
俯いた先には、酷く情けない顔をした己の姿が揺らいでいた。
本当は相手をはっきり明言して仕舞えば良かったのかも知れない。
けれど、七海さんは家入さんにとって昔から付き合いのある後輩で友人だ。
私が一方的に向けてしまった好意を、他人事であっても家入さんは無碍にしないだろう。
仮に五条さんや灰原さんにでも知られたら、それこそ色んな手を尽くしてくれるに違いない。
それは予想というより、確信に近いものだった。
それ程に、何故か五条さんや家入さんは私に対して目をかけてくれて居る気がする。
まるで己の行く末を見守られて居る様な錯覚に陥る事すらある。
しかし、七海さんの迷惑にはならないのだろうかと一抹の不安が過る。
たまたま知り合った友人の知り合い。
私達の関係と言えば未だその程度のものでしかなく。
妙に気が合うからと言って、果たしてそれがいい結果になるとは限らない。
恋愛に対していつの間にか自分が消極的になって居た事を自覚せざるを得なかった。
これまでの私は世話焼きな友人を介して、相手から発信したものばかりを受け取って居たに過ぎなかったのだろう。
そうして自分の思い描いたものと違うと落胆し、勝手に肩を落とすのだ。
今更になって己の浅はかさを自覚せざるを得なかった。
何故だろうと首を捻り続けて居たものは、蓋を開ければ全て私が原因で。
今となっては、謝罪すら出来ない相手に向けての申し訳なさが募るばかりだ。
「相手の事は聞いてもいいか?」
「すみません。お名前は伏せておきます。でも、知り合ったばかりの人です。その時は殆ど会話なんてなかったのに、最近色んな場所で会う様になって。初めは言葉もなかったんですが、少しずつ話をしてくれる様になったんです。不思議と共通点が多くて。何だがとても懐かしく感じる。お互いに昔から知って居た様な妙な気分になる時があるんです」
敢えて名前を伏せては見たものの、この言種では相手はわかってしまったかも知れない。
しかし、家入さんはそれ以上誰かという事について言及はしなかった。
目を細めながら、頬杖をついて私の話に耳を傾ける家入さんは同性の私から見ても綺麗だと思えた。
無い物ねだりをするなんて愚かな事だとわかって居る。
それでも、彼女のように自分に自信を持てる強さがあったのなら。
私はもう少し、まともな人間になれるのだろうかと羨望にも似た思いを抱いてしまう。
「へぇ……。それはなかなか、運命的だな」
「そんな素敵なものなら良かったんですが……。でも、私。私生活は駄目なことばかりで。恋愛も全然うまくいかないんです。ほんの数ヶ月前にも、恋人に振られてしまったばかりで。いつもそうなんです。求めるものは相手と食い違って。稀に気の合いそうな人と巡り会えても、最後には自分を見て居る気がしないと言われてしまう」
「誰かと重ねてるって事か?忘れられない相手でも居るのか?」
「……そんなつもりはないんです。でも、自分を通して他人を見て居る気分だと、何度か言われた事があります。私はそんなつもりはなかったのに。そうしているうちに、どんどん自信がなくなって行ってしまって」
何か思い当たる節でもあるかのように、家入さんが目を瞬かせた。
しかし、やはり私にそんな覚えはなく。
緩く頭を振るとカップを握る手に力が籠った。
それなのに、かつての恋人達の言葉を思い返せば、他者から見ると私の様子はまるで違うらしく。
私は一体何の幻影を見て居るのだろうかと時折自分自身が不気味に思える。
恋を忘れるには新しい恋だなんて言葉を聞いたりするけれど。
新たな出会いは、期待と同時に私に新たな不安を植え付ける。
そうして、別れが訪れるたびに取り残されるのは臆病になっていく自分だけで。
すっかり恋愛に対して消極的になってしまった。
七海さんに対して淡い想いを寄せて居るのは最早否定のしようがない。
ただ、それを今は己の内側で留めて置きたいと願って居る。
それなのに、姿を見てしまうと理性的な自分を押し除けて心が暴れ出しそうな衝動すら感じた。
まるで魂が咆哮を上げるような。
心の底から歓喜に震える様な、そんな感覚。
誰に伝えたとしても、こんな抽象的なものを理解してくれる人など居ないだろう。
仮に私が相談を受ける立場になったとして、掛ける言葉が見つからないのだから。
「自分に正直にならないのは辛いだけだぞ」
「……それでも、やっぱり私はあの人に相応しいと思えないんです。どうしようもなく惹かれるのに、何処かで歯止めが掛かるような」
「それはまるで、呪いだな」
その言葉は既に相手を理解しながらも、私の背中を押してくれて居る様にも思えた。
しかし、妙な既視感は感じて居るのにそれに異を唱える声も同時に聞こえる。
他者の口から改めて聞かされた呪いという言葉が、不思議な程にすんなり己の心に馴染んでいく。
ああ、私はこの人に会うために生まれてきたのだろうかと。
そんな夢物語すら描きたくなってしまう。
姿を見るだけで嬉しくて。
言葉を交わせるだけで歓喜に満ち溢れる。
例え釣り合わないしても、思うだけならば自由だとそんな身勝手な思考にすら囚われた。
しかし、もしもたった一人。
誰にでも運命の人が居るのだとしたら。
私はきっと何度でも、貴方がいいと思うのだろう。