愛と言う名の咎
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七海 side
人は痛みや苦しみに慣れていく生き物だ。
現実を受け入れ、それでも彼女を愛し続けると決めた私の痛みはふとした時に激痛となって襲い掛かるものの少しずつ和らいでいく。
それは彼女が愛してくれた己で在り続ける事が、今の私の唯一の原動力と言っても過言ではないからだ。
時折家入さんが様子を見に来てくれたが、その表情は安堵したもので在り、医師の彼女の目から見ても今の私の状態は問題ないと判断されたのだろう。
己にとってに耐え難い事象が起きた際、それを容認出来るか出来ないかで心の持ちようは大きく変わる。
受け入れ難い現実を拒み続けても起きてしまった事は取り返しがつかず、その現実に打ちひしがれるだけだ。
彼女はもう居ない。
胸に突き刺さる事実は彼女への想いと共に消えない傷となって残り続けるものの、最愛の人を忘れたままでいるより余程いい。
毎朝、起きると同時に私は彼女のオルゴールの蓋を開ける。
本来の曲調とは少し違うゆったりとした音色に耳を傾けながら真那の遺した写真を眺め、朝食をとり、支度をする。
蓋の内側には最後に撮ったドレス姿の写真を飾り、やはり私の見解は正しかったのか手製のリングピローがぴったりと収まる大きさのそれはリビングの一番目に着くところに置くようにした。
寂しさはいつまでも無くなる事はない。
会いたい気持ちは募り続けるし、彼女の幻をふとした時に描いては手を伸ばす。
それと、やはり少し怒っているのか。
先日はきっと会えるだろうと思ったが、まだ真那は夢には出て来てはくれなかった。
ただ、酒に溺れずとも多少は眠れるようにはなった。
毎朝、彼女の写真に向けて微笑むくらいは出来るようになっただけ幾分かマシと思えた。
いつ終わるかも解らない牢獄と言えなくもないが、これが私に出来る贖罪なのだと思えば致し方ない。
「おはようございます、真那。今日も愛していますよ」
私は彼女の写真に向けて挨拶をするのが日課となった。
それから一週間程は比較的まともな生活が送れていたように思う。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
十月三十一日。
その日、私達は深淵を覗いた。
渋谷に突如降ろされた帳は一般人を駅の構内に閉じ込め、呪術師、補助監督総出の一大事となる。
その規模は、去年起きた百鬼夜行の被害の比では無くなった。
京都の御三家までもが駆り出される事態となった未曾有の呪術テロ。
五条さんが封印され、この事件の背後に去年彼が自らの手で葬った筈の人が居ると知った時、私は異様な騒つきを胸に抱いた。
虎杖くん達に指示を出し伊地知くんと共に一級要請の任務を片付け、仲間の亡骸を目にして呪詛師を退けた私は直毘人さんと真希さんと行動を共にし、受胎と遭遇する。
状況は一時こちらが優勢かと思えたが、変態した受胎は間違いなく特級相当だった。
死闘を繰り広げ、助太刀に来てくれた伏黒君と共闘した二人の安否も不明なまま重症を負った私は駅の構内を進んでいく。
左の眼窩はあるべき筈の球体を失い、半身は爛れた火傷となった。
痛みの感覚さえも無くなりかけ、最早助からない程の深手を負ったのは確実だろう。
何処までも果てしないと思える終わりなき地獄。
次々と倒れていく仲間達。
この時、現実と理想と願望の狭間を私の思考は行き来していたのかもしれない。
「…真那」
片側しかない筈の私の眼前には、訪れる筈だった彼女との暖かい日々が映し出されていた。
二人でパンフレットを眺めながら何処にしようかと何度も話し、結局行き先を決められなかった新婚旅行はどこが良いだろうか。
海外に行ったことがないと言う彼女なら、きっと何処へ行く事になっても喜んでくれるだろう。
読まずにいた本の中に、彼女が好きそうなものが何冊かあった筈だ。
それらを薦めて、読み終えたら感想を語り合おう。
新しい家で、様々な沢山の思い出を作ろう。
毎日一緒のベッドで眠り、朝は真那が私を起こし、私が朝食の準備をしてから…二人で高専に向かい仕事に励むのだ。
必ず定時で上がれるように予定を組み、買い物をしながら夕飯の献立を決めて今日はどちらが作るのかと話をしよう。
キッチンに二人で立ち、私の料理の味見をしてもらおう。
きっと、彼女ならば美味しいですと顔を綻ばせてくれるに違いない。
…描いては消えていく泡沫に、私の限界は近かった。
頑張ってはみたのだ。
前を向こう、アナタに恥じない私で居ようと必死に努めてみた。
けれど…どれだけ頑張っても、他人から感謝の言葉を貰っても、隣で微笑んでくれるアナタは居ない。
…私も少し、疲れてしまった。
私の空想を打ち消すかのように進んだ先、眼前に広がるのは夥しい数の呪霊。
今一度、深く息を吸い込んで大きく吐き出した。
駆け出した私に向かって群がるそれらを祓い、祓い、やっと視界が開けた時。
私の前に現れたのは以前対峙したツギハギの呪霊だった。
「やぁ、久しぶり。ずっと会いたかったよ」
「…私は会いたく在りませんでした」
「つれないなぁ。また会えると思って君にお土産を持って来てあげたんだ。弄りすぎて途中で死んじゃったから失敗しちゃったけどさ。
死体なんだけど上手くできるかな。…お、いい感じ。やっぱり夏油の言う通り肉体は魂なのかな」
何処かから取り出された改造人間と思われるものに私の視線が向かう。
しかし、全ての事に疲弊した今の自分には対抗する力も気力もほとんど残されてはいない。
ツギハギが私へのお土産と称したもの。
徐々に姿を変えていく「それ」に私は目を見開いた。
到底人とは言い難い姿は右半身は人で在り、左半身は呪霊だったように思う。
奴が使役する改造人間とは違う不完全にも思える「それ」の左腕は上腕から欠損し、半分残された人であった時の容姿は…真那のものだった。
「真那…」
「中々の出来栄えでしょ?君のために作ったんだよ。はい、これで仕上げね」
俄には信じ難い現実。
ツギハギが彼女に手を伸ばし何かを首に掛けると、構内の明かりに照らされて煌めいたのは銀白色に光るチェーンと、その先にある細いリング。
それは私が身につけているものと同じ、私達の結婚指輪だった。
形、色、デザイン。
現代では好みに合わせて様々なものが出回るようになり彼女が店内のディスプレイに釘付けになりながら選び抜いた私達の宝物。
なかなか決めることができず、真剣に悩む姿を愛らしいと思い、満ち足りた思いで眺めた至福の時間。
どれほど探しても終ぞ見つけることが叶わず、いっそもう一度同じものを購入してしまおうかとさえ考え、虚しくなってやめたもの。
そこで私はやっと理解した。
真那はあの日、ツギハギに会遇しその命を終えたのだと。
魂を弄ばれ、存在を歪められ、肉体までも蹂躙されたのだと。
ただ、そこに佇むだけのその存在は既に命を終えている筈だ。
そうでなければ治療法は愛する者の死しかないと言われる忘愛症候群だった私が、真那を思い出す事はありはしない。
痛みと恐怖の中で彼女は誰を…何を思ったのか。
誰にも看取られることなく、腕だけを残して忽然と消えてしまった身体は、その後どれ程の責め苦を受けたのだろう。
何も言わずそこにあるだけの変質的な存在は異質であり、異形だ。
けれど、死に顔すら見れなかった最愛の女性が…私の手の届くところにいる。
その目は光を宿してはいない。
寸分たりとも動く事はない。
それは骸であり、命の息吹はありはしない。
それでも、確かに私の目の前に在る。
「真那」
触れたいと思った。
柔らかい頬に手を添えて、唇を啄み、愛を囁きたい。
愚かな事をしたと許しを請いたい。
アナタからの全てを受け取り、私もまたアナタに全てを捧げよう。
しかし爛れた左手で頬に触れても、氷のような冷たさが私の熱を奪うだけだった。
焦点の合わない瞳は何も映しはしない。
唇は固く閉ざされ、小鳥の囀りのような声で私の名前を紡ぐ事は無かった。
私は全身で怒りを露わにし、憎しみ、ツギハギを罵倒するべきなのだと思う。
最愛の女性を私から奪い、その魂も肉体も蹂躙した罪を償わせるべきなのだ。
しかし、その全ての原因を作ってしまったのは他ならぬ私自身であり、病になどならなければ彼女との幸せな時間を噛み締めていたのかもしれない。
けれど自らの命も燃え尽きようとしている今、これで良かったのかもしれないとも思える。
苦痛を強いた。
絶望の縁に彼女を立たせ、どれほどの悲しみの渦の中に突き落としたかは想像もつかないが、彼女を置いていかれる側にしなくてよかったと安堵もしているし、これでやっと真那に会えると…そうも思っていた。
目の前の骸のアナタではなく、私に微笑みかけてくれる愛らしいアナタに会いたい…。
寒くて、仕方がないんです。
「…真那、愛しています」
「なんだ、もっと魂が揺らいで震えるかと思ったけど、期待外れだったかな。じゃあ、これはもう要らないね」
ほんの刹那の間だった。
ツギハギが彼女に触れた瞬間に、冷たい頬を撫でていた私の左手は虚空へと変わる。
鈍い音を立てて飛び散る肉片は私の顔も、身体も、赤に染めた。
足元に広がった血溜まりの中で、彼女が身につけたネックレスだけが鈍く光り、その骸は文字通り肉塊と化して床に崩れていく。
呆然とする私の姿を見てツギハギは腹を抱えて嗤い、彼女であった筈の欠片を踏み躙った。
その光景を見ても、私の心が動かない。
ただ…彼女に会いたいと言う気持ちだけが私の生存本能までも蝕んでいたように思え、血溜まりの中から拾い上げた指輪を手にした私はやっと揃ったと、自分の指にそれを嵌めた。
ゆっくり来てくださいと言ったアナタの言葉を守れそうにはない。
沢山の話を、聞かせてやれそうにもない。
…それでも、もうアナタの側に行ってもいいだろうか。
ツギハギの手のひらが私の胸元に押し付けられていく。
術式を使えば、私の身体は先程の彼女の抜け殻のように無残に散るのだろう。
悔いがないかと言えば嘘になる。
しかし、私にはこれ以上頑張ろうと言う思いがない。
今際の際で幻に見たのはかつての親友だった。
無言のまま立ち尽くす彼もまた、一方向を示すだけで何も語らない。
「こんな時でも、会いに来てはくれないんですか…」
今際の際くらい来てくれても良いではないかと、ひどく勝手な思考が頭をもたげる。
それ程に怒らせてしまったのだろうか。
そうだとしても、無理はない。
例えどれほど時間が掛かろうとも、私はアナタを探し出そう。
そして、これまでの謝罪の言葉と、今尚とめどなく溢れる愛の言葉をアナタ伝えよう。
「ナナミン!!」
私の名前を叫びながら虎杖君が駆けつける姿が目に留まった。
ツギハギはこの状況を見て口元を歪め、奴の意図など明白だ。
誰かの最期の言葉というのは本人の自覚の有無に関わらず呪いとなる。
人の想いとは良くも悪くも呪いだ。
それが恨み言であっても、願いであっても、感謝であったとしても誰かに何かを遺すと言う事は、図らずとも相手を縛り付ける。
そう思えば、私はずっとアナタに呪われていたのだろうか。
…愛という名の歪んだ呪いに。
これを言ってはいけないと分かっている。
アナタはまだ子供で、守られるべき立場でありこんな言葉はきっと重すぎる。
灰原の死に自責の念を感じて逃げ出した私が言って良いものではない。
…それでも、君に託しても良いだろうか。
「虎杖君、後は頼みます」
私の目の前に、一片の花びらが見えた気がした。
風もないのにひらひらと舞う薄紅色。
それは彼女と初めて出会った桜の木の花びらに、よく似ていたように思う。
…ああ。
これで、やっとアナタに会える。
人は痛みや苦しみに慣れていく生き物だ。
現実を受け入れ、それでも彼女を愛し続けると決めた私の痛みはふとした時に激痛となって襲い掛かるものの少しずつ和らいでいく。
それは彼女が愛してくれた己で在り続ける事が、今の私の唯一の原動力と言っても過言ではないからだ。
時折家入さんが様子を見に来てくれたが、その表情は安堵したもので在り、医師の彼女の目から見ても今の私の状態は問題ないと判断されたのだろう。
己にとってに耐え難い事象が起きた際、それを容認出来るか出来ないかで心の持ちようは大きく変わる。
受け入れ難い現実を拒み続けても起きてしまった事は取り返しがつかず、その現実に打ちひしがれるだけだ。
彼女はもう居ない。
胸に突き刺さる事実は彼女への想いと共に消えない傷となって残り続けるものの、最愛の人を忘れたままでいるより余程いい。
毎朝、起きると同時に私は彼女のオルゴールの蓋を開ける。
本来の曲調とは少し違うゆったりとした音色に耳を傾けながら真那の遺した写真を眺め、朝食をとり、支度をする。
蓋の内側には最後に撮ったドレス姿の写真を飾り、やはり私の見解は正しかったのか手製のリングピローがぴったりと収まる大きさのそれはリビングの一番目に着くところに置くようにした。
寂しさはいつまでも無くなる事はない。
会いたい気持ちは募り続けるし、彼女の幻をふとした時に描いては手を伸ばす。
それと、やはり少し怒っているのか。
先日はきっと会えるだろうと思ったが、まだ真那は夢には出て来てはくれなかった。
ただ、酒に溺れずとも多少は眠れるようにはなった。
毎朝、彼女の写真に向けて微笑むくらいは出来るようになっただけ幾分かマシと思えた。
いつ終わるかも解らない牢獄と言えなくもないが、これが私に出来る贖罪なのだと思えば致し方ない。
「おはようございます、真那。今日も愛していますよ」
私は彼女の写真に向けて挨拶をするのが日課となった。
それから一週間程は比較的まともな生活が送れていたように思う。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
十月三十一日。
その日、私達は深淵を覗いた。
渋谷に突如降ろされた帳は一般人を駅の構内に閉じ込め、呪術師、補助監督総出の一大事となる。
その規模は、去年起きた百鬼夜行の被害の比では無くなった。
京都の御三家までもが駆り出される事態となった未曾有の呪術テロ。
五条さんが封印され、この事件の背後に去年彼が自らの手で葬った筈の人が居ると知った時、私は異様な騒つきを胸に抱いた。
虎杖くん達に指示を出し伊地知くんと共に一級要請の任務を片付け、仲間の亡骸を目にして呪詛師を退けた私は直毘人さんと真希さんと行動を共にし、受胎と遭遇する。
状況は一時こちらが優勢かと思えたが、変態した受胎は間違いなく特級相当だった。
死闘を繰り広げ、助太刀に来てくれた伏黒君と共闘した二人の安否も不明なまま重症を負った私は駅の構内を進んでいく。
左の眼窩はあるべき筈の球体を失い、半身は爛れた火傷となった。
痛みの感覚さえも無くなりかけ、最早助からない程の深手を負ったのは確実だろう。
何処までも果てしないと思える終わりなき地獄。
次々と倒れていく仲間達。
この時、現実と理想と願望の狭間を私の思考は行き来していたのかもしれない。
「…真那」
片側しかない筈の私の眼前には、訪れる筈だった彼女との暖かい日々が映し出されていた。
二人でパンフレットを眺めながら何処にしようかと何度も話し、結局行き先を決められなかった新婚旅行はどこが良いだろうか。
海外に行ったことがないと言う彼女なら、きっと何処へ行く事になっても喜んでくれるだろう。
読まずにいた本の中に、彼女が好きそうなものが何冊かあった筈だ。
それらを薦めて、読み終えたら感想を語り合おう。
新しい家で、様々な沢山の思い出を作ろう。
毎日一緒のベッドで眠り、朝は真那が私を起こし、私が朝食の準備をしてから…二人で高専に向かい仕事に励むのだ。
必ず定時で上がれるように予定を組み、買い物をしながら夕飯の献立を決めて今日はどちらが作るのかと話をしよう。
キッチンに二人で立ち、私の料理の味見をしてもらおう。
きっと、彼女ならば美味しいですと顔を綻ばせてくれるに違いない。
…描いては消えていく泡沫に、私の限界は近かった。
頑張ってはみたのだ。
前を向こう、アナタに恥じない私で居ようと必死に努めてみた。
けれど…どれだけ頑張っても、他人から感謝の言葉を貰っても、隣で微笑んでくれるアナタは居ない。
…私も少し、疲れてしまった。
私の空想を打ち消すかのように進んだ先、眼前に広がるのは夥しい数の呪霊。
今一度、深く息を吸い込んで大きく吐き出した。
駆け出した私に向かって群がるそれらを祓い、祓い、やっと視界が開けた時。
私の前に現れたのは以前対峙したツギハギの呪霊だった。
「やぁ、久しぶり。ずっと会いたかったよ」
「…私は会いたく在りませんでした」
「つれないなぁ。また会えると思って君にお土産を持って来てあげたんだ。弄りすぎて途中で死んじゃったから失敗しちゃったけどさ。
死体なんだけど上手くできるかな。…お、いい感じ。やっぱり夏油の言う通り肉体は魂なのかな」
何処かから取り出された改造人間と思われるものに私の視線が向かう。
しかし、全ての事に疲弊した今の自分には対抗する力も気力もほとんど残されてはいない。
ツギハギが私へのお土産と称したもの。
徐々に姿を変えていく「それ」に私は目を見開いた。
到底人とは言い難い姿は右半身は人で在り、左半身は呪霊だったように思う。
奴が使役する改造人間とは違う不完全にも思える「それ」の左腕は上腕から欠損し、半分残された人であった時の容姿は…真那のものだった。
「真那…」
「中々の出来栄えでしょ?君のために作ったんだよ。はい、これで仕上げね」
俄には信じ難い現実。
ツギハギが彼女に手を伸ばし何かを首に掛けると、構内の明かりに照らされて煌めいたのは銀白色に光るチェーンと、その先にある細いリング。
それは私が身につけているものと同じ、私達の結婚指輪だった。
形、色、デザイン。
現代では好みに合わせて様々なものが出回るようになり彼女が店内のディスプレイに釘付けになりながら選び抜いた私達の宝物。
なかなか決めることができず、真剣に悩む姿を愛らしいと思い、満ち足りた思いで眺めた至福の時間。
どれほど探しても終ぞ見つけることが叶わず、いっそもう一度同じものを購入してしまおうかとさえ考え、虚しくなってやめたもの。
そこで私はやっと理解した。
真那はあの日、ツギハギに会遇しその命を終えたのだと。
魂を弄ばれ、存在を歪められ、肉体までも蹂躙されたのだと。
ただ、そこに佇むだけのその存在は既に命を終えている筈だ。
そうでなければ治療法は愛する者の死しかないと言われる忘愛症候群だった私が、真那を思い出す事はありはしない。
痛みと恐怖の中で彼女は誰を…何を思ったのか。
誰にも看取られることなく、腕だけを残して忽然と消えてしまった身体は、その後どれ程の責め苦を受けたのだろう。
何も言わずそこにあるだけの変質的な存在は異質であり、異形だ。
けれど、死に顔すら見れなかった最愛の女性が…私の手の届くところにいる。
その目は光を宿してはいない。
寸分たりとも動く事はない。
それは骸であり、命の息吹はありはしない。
それでも、確かに私の目の前に在る。
「真那」
触れたいと思った。
柔らかい頬に手を添えて、唇を啄み、愛を囁きたい。
愚かな事をしたと許しを請いたい。
アナタからの全てを受け取り、私もまたアナタに全てを捧げよう。
しかし爛れた左手で頬に触れても、氷のような冷たさが私の熱を奪うだけだった。
焦点の合わない瞳は何も映しはしない。
唇は固く閉ざされ、小鳥の囀りのような声で私の名前を紡ぐ事は無かった。
私は全身で怒りを露わにし、憎しみ、ツギハギを罵倒するべきなのだと思う。
最愛の女性を私から奪い、その魂も肉体も蹂躙した罪を償わせるべきなのだ。
しかし、その全ての原因を作ってしまったのは他ならぬ私自身であり、病になどならなければ彼女との幸せな時間を噛み締めていたのかもしれない。
けれど自らの命も燃え尽きようとしている今、これで良かったのかもしれないとも思える。
苦痛を強いた。
絶望の縁に彼女を立たせ、どれほどの悲しみの渦の中に突き落としたかは想像もつかないが、彼女を置いていかれる側にしなくてよかったと安堵もしているし、これでやっと真那に会えると…そうも思っていた。
目の前の骸のアナタではなく、私に微笑みかけてくれる愛らしいアナタに会いたい…。
寒くて、仕方がないんです。
「…真那、愛しています」
「なんだ、もっと魂が揺らいで震えるかと思ったけど、期待外れだったかな。じゃあ、これはもう要らないね」
ほんの刹那の間だった。
ツギハギが彼女に触れた瞬間に、冷たい頬を撫でていた私の左手は虚空へと変わる。
鈍い音を立てて飛び散る肉片は私の顔も、身体も、赤に染めた。
足元に広がった血溜まりの中で、彼女が身につけたネックレスだけが鈍く光り、その骸は文字通り肉塊と化して床に崩れていく。
呆然とする私の姿を見てツギハギは腹を抱えて嗤い、彼女であった筈の欠片を踏み躙った。
その光景を見ても、私の心が動かない。
ただ…彼女に会いたいと言う気持ちだけが私の生存本能までも蝕んでいたように思え、血溜まりの中から拾い上げた指輪を手にした私はやっと揃ったと、自分の指にそれを嵌めた。
ゆっくり来てくださいと言ったアナタの言葉を守れそうにはない。
沢山の話を、聞かせてやれそうにもない。
…それでも、もうアナタの側に行ってもいいだろうか。
ツギハギの手のひらが私の胸元に押し付けられていく。
術式を使えば、私の身体は先程の彼女の抜け殻のように無残に散るのだろう。
悔いがないかと言えば嘘になる。
しかし、私にはこれ以上頑張ろうと言う思いがない。
今際の際で幻に見たのはかつての親友だった。
無言のまま立ち尽くす彼もまた、一方向を示すだけで何も語らない。
「こんな時でも、会いに来てはくれないんですか…」
今際の際くらい来てくれても良いではないかと、ひどく勝手な思考が頭をもたげる。
それ程に怒らせてしまったのだろうか。
そうだとしても、無理はない。
例えどれほど時間が掛かろうとも、私はアナタを探し出そう。
そして、これまでの謝罪の言葉と、今尚とめどなく溢れる愛の言葉をアナタ伝えよう。
「ナナミン!!」
私の名前を叫びながら虎杖君が駆けつける姿が目に留まった。
ツギハギはこの状況を見て口元を歪め、奴の意図など明白だ。
誰かの最期の言葉というのは本人の自覚の有無に関わらず呪いとなる。
人の想いとは良くも悪くも呪いだ。
それが恨み言であっても、願いであっても、感謝であったとしても誰かに何かを遺すと言う事は、図らずとも相手を縛り付ける。
そう思えば、私はずっとアナタに呪われていたのだろうか。
…愛という名の歪んだ呪いに。
これを言ってはいけないと分かっている。
アナタはまだ子供で、守られるべき立場でありこんな言葉はきっと重すぎる。
灰原の死に自責の念を感じて逃げ出した私が言って良いものではない。
…それでも、君に託しても良いだろうか。
「虎杖君、後は頼みます」
私の目の前に、一片の花びらが見えた気がした。
風もないのにひらひらと舞う薄紅色。
それは彼女と初めて出会った桜の木の花びらに、よく似ていたように思う。
…ああ。
これで、やっとアナタに会える。