愛と言う名の咎
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
朝目覚めれば広い腕、逞しい胸の中で目覚めるのが当たり前だった。
互いに微笑み合いながら、肌を重ねた前夜のことを思い返して頬を染めるのはいつも私で。
そんな私の姿を見た貴方はそれはそれは愛おしそうに口付けをくれた。
愛していますと、そう言われると胸の奥がぽかぽかと陽だまりのような温もりに包まれて、きっちりと整えられた髪が下されている姿が。
少しあどけない寝顔が、自分だけのものなのだと実感するたびに満ち足りた幸福を感じていた。
私は、こんな幸せがずっと続くのだと信じて疑わなかった。
「建人さん、これはどうですか?」
「先ほどの方がいいですね、それとアナタはこちらの方が似合いそうです」
独特の雰囲気の漂う店舗の一室。
試着室から出てきたばかりの私の姿を目にした恋人は、スマホをかざして私の姿を収めながら次なる試着を提案した。
真っ白なドレスは形や装飾、よくよく見なければ違いが分からないほど沢山の種類が並び、その中で運命の一着と言う物を見つけるのは至難の業と言っても良い。
「じゃあ、それも試着してみますね」
「ええ、待っています」
私達の互いの左手の薬指には揃いのリングが光り、それは先日仕上がったと連絡を受けたばかりのもので、任務さえも放り投げそうな勢いで指輪を受け取りに行った建人さんは、その日のうちに呼び出した私の手を取って二度目のプロポーズの言葉と共に薬指に永遠の愛を誓ってくれた。
私、如月真那は半年後には恋人の七海建人さんの妻になる。
彼と私は互いに高専に所属する呪術師と補助監督であり、その出会いはもう随分前に遡り私達の出会いは私が高専の一年、建人さんが四年の時だった。
先輩と呼べるのは彼と、二つ上の伊地知先輩のみ。
私にクラスメイトは居らず、慣れない学校生活で四苦八苦している時に手を差し伸べ様々な指導をしてくれたのが彼だった。
独特の柔らかい物腰、大人びたように見えて五条さんに絡まれると見せる少しだけ子供っぽい姿。
そして、時折見せる憂いを帯びた顔から目が離せず釣り合う筈もないのに一方的に思いを寄せた。
しかし距離を詰める勇気などあるはずも無く、卒業後は一時疎遠になってしまったものの、私が消し忘れていた番号を誤って押してしまった事が切っ掛けとなり建人さんは親身になって話を聞いてくれて。
それからと言うもの、住む世界が違うと分かっていながら時間を見つけては相談と称して逢瀬を重ねた。
人知れず呪術師としてこのままで良いのかと思い悩む私の事を何かと気に掛け、伊地知さんのように補助監督になる道も有るのだと示してくれたのは他でもない彼だった。
「呪術師として戻ると決めた以上、特別な人を作るつもりはありませんでした。ですが…私はアナタに側に居て欲しい」
彼が高専に戻ると同時にお付き合いを始めることになった私達は、二年ほど順調に交際を続けてプロポーズを受け今日に至る。
「ドレスはこれが一番良さそうですね。よく似合っている」
「本当ですか?嬉しい…あの、家入さんに言われたので写真を一緒に撮ってもらっても良いですか?」
「構いませんよ。但し、五条さんには見せないで下さい」
「どうしてですか?」
「あの人に見せると減る気がします」
少し深くなった眉間の皺に私がクスクスと肩を揺らすと恨めしそうな視線が向けられた。
これまで相当揶揄われてきであろう事は私も同じ目に遭っているので容易に想像ができる。
スタッフの方にスマホを手渡すと、隣に並んだ建人さんは微笑みながら私に綺麗ですよと言葉を掛け、数回響いたシャッターの音を聞いてから私はお礼を告げてスマホを受け取った。
三度目の試着にして漸く決まったドレス。
式場は既に押さえており、近しい人だけの気取らないパーティーに出来ればと考えていた為、後は任務の日程を調整しながら招待状を手渡し、式場で打ち合わせを重ねるのみとなっている。
お世話になった人たちの祝福を受けて新しい人生の幕を開ける大切な日。
お料理に関しては舌の肥えた建人さんのお墨付きなので何の心配もなく、ウェルカムボードとリングピロー、招待状は手作りのものどうしてもを用意したくて、最近では手芸店やネットショップに張り付く日々を送っていた。
「最近随分と根を詰めている様ですが、無理はしないように」
「楽しくなってしまって、つい時間を忘れてしまうんですが…気をつけますね」
ドレスショップを後にした私達の向かう先は建人さんの自宅だった。
婚前と言えど私達はまだ同棲生活を送っては居ない。
呪術師としての道を諦め、補助監督としてやっていくと決めた時に、いつ何時でも補佐ができるように。
少しでも役に立てる様にと私は職員寮に入る事を決め、現在は建人さんがお休みの日にこうしてお邪魔するのが習慣となっていた。
同棲とまでは行かなくともオフの日となれば泊まりもするし、お互いの事で知らないことは無いと言い切れる程の仲となっている。
当然、建人さんの家の中には私の私物が当たり前のように置かれており、慣れた空間は自室とは違う彼の香りで満ちて居た。
「お邪魔します」
「後何回、その言葉を聞くんでしょうね」
「どうかしました?」
「もうすぐ此処がアナタの家になるんですよ。せっかくです、予行練習をしてみませんか?」
扉を開き、入るよう促してくれた彼は私の背後に立つと両肩に手を置きながら耳元に顔を寄せた。
少し意地悪な声色は私に甘える時の合図の様なものであり、滅多に見られない行動にいつも私は負けてしまう。
「…た、ただ…いま」
「おかえりなさい」
職場と家が同じであり、自室に入る際にそんな言葉など言うはずもない。
促されながら恥ずかしげに紡いだ言葉は辿々しかったけれど、彼は私の身体を反転させると満面の笑みでそう答えてくれた。
これからこんな日常が当たり前に描けるのだと思うと…なんだか少し擽ったくて。
私は自分が幸福という名の薄氷の上にいる事など知る由もなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
先日の休みから一週間ほどが経った頃。
根を詰めるなと念を押された手作りのウェディングアイテムも少しずつ形になり、今日は建人さんが任務を終えた後に二人で一緒に招待状を渡しに行く約束をしている。
私は所用で医務室を訪れると、約束した通り建人さんと二人で撮った写真を家入さんに見せながら会話を弾ませて居た。
それと言うのも今日はこれから五条さんを任務地までお連れする予定なのに、あの人は私の連絡に対して医務室に来てと言う短いメッセージを寄越しただけで、いつものように怒るほどでは無い些細な遅刻をしているからだ。
先輩に当たる伊地知さんが日ごろ嘆く要因の大半は五条さんの振る舞いと言っても過言では無いけれど、それは昔から続く事であり、今更咎めても意味が無いと近しい人たちは口を揃えて言っていた。
「いいじゃないか、よく似合ってる。七海もオマエの前だと普段より穏やかな顔をするんだな」
「そうでしょうか?…そうなら、とても嬉しいです」
「頑なに結婚はしない、恋人は要らないって言ってたあの男を陥落させただけで表彰ものだろう。結婚報告に来た時の五条の顔を思い出しただけで私は酒が飲めるよ」
「ふふ、程々にしてくださいね」
和やかに続く会話の中でも私の視線は常に時計を意識していた。
予定していた時間より既に十分程過ぎている。
そろそろやって来る頃だとは思うけれど、一度連絡を入れて置くべきかどうか。
それは預けていたスマホを受け取ろうと手を伸ばした時だっだ。
突然やってきた大きな手に私の仕事道具は奪われており、慌てて顔を上げると其処には待ち人が口角を上げながら画面を見つめていた。
「五条さん返してください。それと遅刻です」
「気にしない気にしない〜。へぇ、この間の試着の写真?良いじゃん良いじゃん、七海がニヤけてるのがまじウケる」
「ニヤけてませんよ、微笑んでいるんです」
「恋ってのは恐ろしいねぇ、オマエの眼まで曇らせちゃうんだから」
軽快に笑いながらスマホを私の頭上に翳した五条さんにじっとりとした視線を向けると一層軽快な笑い声が響き、届くか届かないかの位置にある私物を取り戻す為、私は懸命に背を伸ばした。
しかし相手は私よりもはるかに上背のある成人男性。
飛び跳ねた所で易々と取り返せるはずもなく、見かねた家入さんが書類をファイルしているバインダーを使って五条さんを制するとそれはやっと私の手元に戻ってきた。
「危ないでしょ硝子」
「無下限使っといてよく言う。ほら、早く行って来い。真那はこの後七海と予定があるんだとさ。
遅くまで連れ回したら殺されるぞ」
「やだやだ、こわぁい。じゃ、さっさと行ってちゃっちゃと帰らなきゃね」
「それを五条さんが言いますか?」
気がつけば予定時刻よりも三十分も時間が過ぎている。
早くしてくださいと背中を押しても、私の細腕ではびくともせず、頑張れ〜なんて心のこもっていない声援に一層の煩わしさを感じると、再びやってきた家入さんのバインダーが視界に入ったのか。
逃げる様に医務室を後にした五条さんの背中を追いかけた私は車にたどり着くまでの間、ずっと小走りを続けていた。
補助監督と言うのはその名の通り、呪術師の補助を担う。
事前の情報収集や任務の割り振り、近隣への被害が想定される際は一時交通を遮断したりする事から事務仕事まで多岐に渡る。
しかし、この人の任務に同行するとなると補助監督と言うものは現場までの運転手と言う以外の役割を失ってしまうのも事実であり、特級案件とされた任務を一瞬にして終えてしまった五条さんは、帳が上がると衣類に乱れ一つ作らず私の元へと戻ってきた。
最強という名前は伊達では無い。
あの人は軽薄だと常々愚痴を溢す建人さんも、五条さんに対しては信頼しているし信用している。
「お疲れサマンサ〜。さ、ちゃっちゃと帰ろっか。あ、行きに見かけた洋菓子店寄ってってよ。僕今甘いものが食べたいんだよね」
「お疲れ様です。了解しました。それまでの間こちらでも食べていて下さい」
「お、準備いいね。さすが真那」
後部座席に乗り込み、早々と寛ぎ始めた五条さんに私は私用の鞄の中から棒付きキャンディを取り出して手渡した。
目を輝かせてキャンディを受け取るとペリペリと包装を剥がし、ゴミを車内に放り投げた五条さんの機嫌は小手調にもならなかったであろう任務の後でも悪い方では無いのだろう。
彼に関する噂は良くも悪くもあらゆる所から入ってくる。
それは建人さんが彼の後輩なのもあるのだろうけれど、伊地知さんが所用で外せない時にその代わりを私が引き受けるからというのも要因だろう。
呪術師としては半人前以下であった私は補助監督としてはそれなりの実績を残し、先輩であった伊地知さんの丁寧な指導の下、今ではそれなりの位置を確立できている。
「なぁ、そういえばオマエらの結婚式っていつ?」
「まだ先の話ですよ。実は今日建人さんが戻って来たら招待状をお配りしようと思っていたんです」
「お、いいじゃん。一番楽しい時だよねぇ。二人とも最近幸せオーラ出まくってるもん」
「はい、幸せです。とても」
揶揄う側としては私の解答ほど面白くないものは無いだろう。
しかし、現に今の私は幸せの絶頂でありそれを否定する様な罰当たりな真似は出来るわけがない。
憧れて、少しでもお近づきになれたら良いと思いながら眺めていた高嶺の花の様な人と恋人になり、いずれ夫婦になれるなんて夢のような話なのだから。
指示通り五条さんが目星をつけた洋菓子店に立ち寄り、店内に吸い込まれていく五条さんを見送ると私は一度建人さんに連絡を入れた。
しかし私の通話に彼が応答することはなく、まだ任務から戻って来ていないのだろうと考えていると、閉店まではまだ余裕のありそうな時間帯にも関わらず、店内の商品を全て買い占めたのではないかと疑うような量のお菓子を持った五条さんが戻って来る。
「いやぁ、買い過ぎちゃった」
「いくらなんでもこれは…」
「いいのいいの、折角なんだから前祝いでもしようよ。オマエも甘いものは好きでしょ?」
「…好きですがドレスの都合上、体型を変えたくないのでたくさんは食べられません」
「ダイエットは明日からってね」
お祝いをしようとしてくれる気持ちはとても有難いものだけれど、それとこれとは話が別になる。
今からの数ヶ月は確実に体重計と睨めっこを続けなければならなくなるし、一生に一度の事。
少しでも綺麗な姿で彼の隣に立ちたいという願望もある。
…しかし、五条さんの誘惑は実に甘美なものであり箱に入れられていてもその数が尋常では無いからか。
車内な既に甘い香りで充満していた。
「さ、早く帰ってケーキ食べよ」
「その前に招待状、受け取って下さいね」
「それは勿論。七海を揶揄える好機を僕が逃すわけないでしょ」
一難去ってまた一難…。
眉間に皺を深く刻む建人さんの姿が身に浮かぶものの、それさえも今の私には微笑ましい光景にしか描けない。
安全運転を心がけながらも早く二人で皆の元へ向かいたいという気持ちは募るばかりで。
折り返しの連絡が早く帰ってこないかと胸を躍らせながら高専に戻った私達はケーキの箱を抱えながら医務室へと再び舞い戻った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「建人さん、連絡来ませんね…」
この時間までには戻りますと言った時間から既に一時間は経過していた。
日はすっかり傾き始め、ティータイムと称して始まったケーキの食べ比べも五条さんが既に飽き始めている。
任務の間に何かあったのなら補助監督である私に連絡が来ないのは不自然な事であり、建人さんに限って約束を忘れてしまうなど考え難い。
もう一度連絡をしてみるべきかとスマホを眺めていると行動に移したのは私よりも五条さんの方が早かった。
幸いにも通話はすぐに繋がったらしく私が胸を撫で下ろしていると、陽気な声から始まった会話は少しずつ会話がおかしな方向へと変わり始め、私の胸になんとも言い難い不安がよぎって行く。
「なぁ、オマエ何してんの?真那ずっと医務室で待ってんだけど。ついでにこの僕も待っててやってるんだけど。はぁ!?なんだそれ、オマエ何言ってんの?ちょっと今すぐここに来い!!!」
電話口の建人さんとのやり取りは一方的な会話を聞くだけでは解りかねた。
終わりに向かうにつれて語気を強めていく五条さんの反応に、言いようのない不安に襲われていく。
五条さんも何が何だかわからないと言った様子を隠すこともなく、しかしその理由を私には告げる事はせず、不安を抱えたまま家入さんと気を紛らわす為に会話を続けていると、暫くして医務室のスライド式の扉が音を立てる。
「建人さん」
やっと訪れた待ち人に私の不安は何処へやら。
笑顔を向けながら駆け寄ると、彼の雰囲気は何処かいつもと違っており…いつもならば遅くなってすみませんなどと言葉を向けてくれる彼は無言のまま私の事を見下ろしていた。
微笑まれることもなく、眉を顰めて私に向けられる視線は到底いつもの彼のものとは言い難い。
何かあったのではないかという不安は再度私な胸に根付き恐る恐る彼に手を伸ばした瞬間だった。
「建人さん…?」
「気安く触らないでもらえますか」
パシンと小気味いい音を立てながら私の手はいつも優しく触れてくれる大きな手によって跳ね除けられた。
…一体何が起こったのか。
私の思考は停止し、彼に伸ばした筈の手だけがジンジンと痺れるような痛みを齎している。
これまで彼にこんな事をされた事は一度たりともなかった。
けれどいつも優しく、包み込むように労ってくれる愛しい存在は私の目の前には居なかった。
「は!?オマエ何してんの」
「私が聞きたいくらいです。一体なんの真似ですか」
「七海、オマエ結婚式の招待状持ってきてくれたんじゃなかったのか?」
「結婚…?何をふざけた事を」
この人は何を言っているのだろうかと、全身の血の気が一気に引いていった。
先日、確かに私達は今日の仕事終わりに招待状を渡しに行こうと約束をして、その後も数日は取り止めもないメッセージのやりとりを交わしている。
昨日一昨日は互いに忙しくてそれも叶わなかったけれど…その二日の間に建人さんの身に一体何が起こったと言うのだろう。
まるで狐につままれたような感覚だった。
それは同席している五条さんも家入さんも同じと言える。
沈黙がただ続くだけの空間。
秒針の針の音がやけに耳に響き、必死に現状を把握しようとしても何一つ思い当たる節などない私は、建人さんに背を向けると鞄の中から預かっていた封筒を取り出して見せた。
「何ですかこれは」
「結婚式の招待状です。私と…貴方の」
少ない数しかつくらないからと納得が行くまで試行錯誤を続けた招待状。
出来上がった時にそれを見た建人さんは素敵ですねと微笑んでくれたし、その笑顔を私は疑っていない。
それなのに、目の前の彼は恐ろしい程に冷たい目をして私を見据える。
それは憎しみさえ込められているように感じてしまい、萎縮する私の姿に呆れてような溜息が頭上から響くと私の手からすり抜けた封筒。
そこには私の字で五条悟様と名前が綴られており、両面を確認した建人さんはあろう事か私達の思い出となる筈の大切な封筒からあっさりと手を離し、それは私の手元に戻される事なく床に落ちた。
「こう言った冗談は嫌いです。タチが悪い。そもそも、私はアナタの事など知りもしないし、不愉快です。今後一切このような事は控えて下さい」
「オマエ…!!」
「落ち着け五条。七海…何があった」
「何も有りませんよ。何ですか、揃いも揃って。アナタも何を考えているのかは知りませんが妄言は程々にして下さい。はっきり言って迷惑です」
五条さんの剣幕に押されたのか、一歩後ずさった建人さんの革靴の下で招待状が踏みつけられていた。
それを見た瞬間、彼の言葉を聞いた瞬間…私の瞳からは大粒の涙が溢れ始めその場で膝をついた。
これは全て私の空想だったのだろうかと。
でも、確かに私はこの人と共に愛を育み、将来を共にしようと誓ったはずだ。
何故私を知らない人のように扱うのか。
何故私を憎しみの籠ったような目で見るのか。
…何故、私の事を拒むのか。
なんの手掛かりもなく訳もわからぬままであっても事態は好転などしてはくれない。
家入さんも五条さんも私と建人さんの事を知っており、心から迎える筈だった門出を祝ってくれたいたのは確かな筈だった。
「真那、落ち着かないだろうけどオマエは一旦部屋に戻れ。七海、オマエには二、三聞きたいことがある」
「私なら何の問題も有りません。幸い今日の任務で怪我もしていない」
「いいから黙って聞け。これは医師としての忠告と警告だ」
五条さんの態度も家入さんの態度も普段のそれとはまるで違っていた。
その元凶が私だというのは建人さんの目にも明らかで有り、私に聞こえるよう忌々しそうに舌打ちをする音が響く。
私は踏みつけられた封筒から目を逸らすことができず、震える手をやっとの思いで伸ばすと懇願するかのようにか細く言葉を紡いだ。
「お願い、します…。脚を、退けてください」
既に人に渡せる状態ではなくなってしまった真っ白であった筈の封筒には彼の靴跡がはっきりと残り、再度聞こえた舌打ちの後、僅かに浮いた脚からそれを抜き取った私は胸元で抱え込むようにしながら蹲り嗚咽を堪えるしかなかった。
「真那、ここは硝子に任せよう。オマエが居ても良いことにはならない気がする」
「…はい」
五条さんに付き添われ、職員寮へと戻る間も私の頬はとめどなく溢れる涙で乾く事はなかった。
現状が把握できたら連絡すると言い残され、ポツンと部屋の中に残された私の視界に入るのは、建人さんから送られた数々のプレゼントや一緒に撮った写真の数々。
その中でも、先日一緒に撮ったばかりの写真は嬉しくて仕方なくて…。
すぐにプリントアウトするとお気に入りの写真立ての中へと収めた。
忙しい合間を縫ってたくさんの場所に連れていってくれた。
大凡普通の恋人らしい事はしてやれないからと、連絡もいつもマメにくれて、暇を見つけては電話も何度もしたのに…。
「どうして…っ」
その一つ一つに触れながら記憶を辿れば、常に私に向かって微笑みかける貴方がいるのに。
…私が愛した貴方は、一体どこへ行ってしまったというのだろう。
互いに微笑み合いながら、肌を重ねた前夜のことを思い返して頬を染めるのはいつも私で。
そんな私の姿を見た貴方はそれはそれは愛おしそうに口付けをくれた。
愛していますと、そう言われると胸の奥がぽかぽかと陽だまりのような温もりに包まれて、きっちりと整えられた髪が下されている姿が。
少しあどけない寝顔が、自分だけのものなのだと実感するたびに満ち足りた幸福を感じていた。
私は、こんな幸せがずっと続くのだと信じて疑わなかった。
「建人さん、これはどうですか?」
「先ほどの方がいいですね、それとアナタはこちらの方が似合いそうです」
独特の雰囲気の漂う店舗の一室。
試着室から出てきたばかりの私の姿を目にした恋人は、スマホをかざして私の姿を収めながら次なる試着を提案した。
真っ白なドレスは形や装飾、よくよく見なければ違いが分からないほど沢山の種類が並び、その中で運命の一着と言う物を見つけるのは至難の業と言っても良い。
「じゃあ、それも試着してみますね」
「ええ、待っています」
私達の互いの左手の薬指には揃いのリングが光り、それは先日仕上がったと連絡を受けたばかりのもので、任務さえも放り投げそうな勢いで指輪を受け取りに行った建人さんは、その日のうちに呼び出した私の手を取って二度目のプロポーズの言葉と共に薬指に永遠の愛を誓ってくれた。
私、如月真那は半年後には恋人の七海建人さんの妻になる。
彼と私は互いに高専に所属する呪術師と補助監督であり、その出会いはもう随分前に遡り私達の出会いは私が高専の一年、建人さんが四年の時だった。
先輩と呼べるのは彼と、二つ上の伊地知先輩のみ。
私にクラスメイトは居らず、慣れない学校生活で四苦八苦している時に手を差し伸べ様々な指導をしてくれたのが彼だった。
独特の柔らかい物腰、大人びたように見えて五条さんに絡まれると見せる少しだけ子供っぽい姿。
そして、時折見せる憂いを帯びた顔から目が離せず釣り合う筈もないのに一方的に思いを寄せた。
しかし距離を詰める勇気などあるはずも無く、卒業後は一時疎遠になってしまったものの、私が消し忘れていた番号を誤って押してしまった事が切っ掛けとなり建人さんは親身になって話を聞いてくれて。
それからと言うもの、住む世界が違うと分かっていながら時間を見つけては相談と称して逢瀬を重ねた。
人知れず呪術師としてこのままで良いのかと思い悩む私の事を何かと気に掛け、伊地知さんのように補助監督になる道も有るのだと示してくれたのは他でもない彼だった。
「呪術師として戻ると決めた以上、特別な人を作るつもりはありませんでした。ですが…私はアナタに側に居て欲しい」
彼が高専に戻ると同時にお付き合いを始めることになった私達は、二年ほど順調に交際を続けてプロポーズを受け今日に至る。
「ドレスはこれが一番良さそうですね。よく似合っている」
「本当ですか?嬉しい…あの、家入さんに言われたので写真を一緒に撮ってもらっても良いですか?」
「構いませんよ。但し、五条さんには見せないで下さい」
「どうしてですか?」
「あの人に見せると減る気がします」
少し深くなった眉間の皺に私がクスクスと肩を揺らすと恨めしそうな視線が向けられた。
これまで相当揶揄われてきであろう事は私も同じ目に遭っているので容易に想像ができる。
スタッフの方にスマホを手渡すと、隣に並んだ建人さんは微笑みながら私に綺麗ですよと言葉を掛け、数回響いたシャッターの音を聞いてから私はお礼を告げてスマホを受け取った。
三度目の試着にして漸く決まったドレス。
式場は既に押さえており、近しい人だけの気取らないパーティーに出来ればと考えていた為、後は任務の日程を調整しながら招待状を手渡し、式場で打ち合わせを重ねるのみとなっている。
お世話になった人たちの祝福を受けて新しい人生の幕を開ける大切な日。
お料理に関しては舌の肥えた建人さんのお墨付きなので何の心配もなく、ウェルカムボードとリングピロー、招待状は手作りのものどうしてもを用意したくて、最近では手芸店やネットショップに張り付く日々を送っていた。
「最近随分と根を詰めている様ですが、無理はしないように」
「楽しくなってしまって、つい時間を忘れてしまうんですが…気をつけますね」
ドレスショップを後にした私達の向かう先は建人さんの自宅だった。
婚前と言えど私達はまだ同棲生活を送っては居ない。
呪術師としての道を諦め、補助監督としてやっていくと決めた時に、いつ何時でも補佐ができるように。
少しでも役に立てる様にと私は職員寮に入る事を決め、現在は建人さんがお休みの日にこうしてお邪魔するのが習慣となっていた。
同棲とまでは行かなくともオフの日となれば泊まりもするし、お互いの事で知らないことは無いと言い切れる程の仲となっている。
当然、建人さんの家の中には私の私物が当たり前のように置かれており、慣れた空間は自室とは違う彼の香りで満ちて居た。
「お邪魔します」
「後何回、その言葉を聞くんでしょうね」
「どうかしました?」
「もうすぐ此処がアナタの家になるんですよ。せっかくです、予行練習をしてみませんか?」
扉を開き、入るよう促してくれた彼は私の背後に立つと両肩に手を置きながら耳元に顔を寄せた。
少し意地悪な声色は私に甘える時の合図の様なものであり、滅多に見られない行動にいつも私は負けてしまう。
「…た、ただ…いま」
「おかえりなさい」
職場と家が同じであり、自室に入る際にそんな言葉など言うはずもない。
促されながら恥ずかしげに紡いだ言葉は辿々しかったけれど、彼は私の身体を反転させると満面の笑みでそう答えてくれた。
これからこんな日常が当たり前に描けるのだと思うと…なんだか少し擽ったくて。
私は自分が幸福という名の薄氷の上にいる事など知る由もなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
先日の休みから一週間ほどが経った頃。
根を詰めるなと念を押された手作りのウェディングアイテムも少しずつ形になり、今日は建人さんが任務を終えた後に二人で一緒に招待状を渡しに行く約束をしている。
私は所用で医務室を訪れると、約束した通り建人さんと二人で撮った写真を家入さんに見せながら会話を弾ませて居た。
それと言うのも今日はこれから五条さんを任務地までお連れする予定なのに、あの人は私の連絡に対して医務室に来てと言う短いメッセージを寄越しただけで、いつものように怒るほどでは無い些細な遅刻をしているからだ。
先輩に当たる伊地知さんが日ごろ嘆く要因の大半は五条さんの振る舞いと言っても過言では無いけれど、それは昔から続く事であり、今更咎めても意味が無いと近しい人たちは口を揃えて言っていた。
「いいじゃないか、よく似合ってる。七海もオマエの前だと普段より穏やかな顔をするんだな」
「そうでしょうか?…そうなら、とても嬉しいです」
「頑なに結婚はしない、恋人は要らないって言ってたあの男を陥落させただけで表彰ものだろう。結婚報告に来た時の五条の顔を思い出しただけで私は酒が飲めるよ」
「ふふ、程々にしてくださいね」
和やかに続く会話の中でも私の視線は常に時計を意識していた。
予定していた時間より既に十分程過ぎている。
そろそろやって来る頃だとは思うけれど、一度連絡を入れて置くべきかどうか。
それは預けていたスマホを受け取ろうと手を伸ばした時だっだ。
突然やってきた大きな手に私の仕事道具は奪われており、慌てて顔を上げると其処には待ち人が口角を上げながら画面を見つめていた。
「五条さん返してください。それと遅刻です」
「気にしない気にしない〜。へぇ、この間の試着の写真?良いじゃん良いじゃん、七海がニヤけてるのがまじウケる」
「ニヤけてませんよ、微笑んでいるんです」
「恋ってのは恐ろしいねぇ、オマエの眼まで曇らせちゃうんだから」
軽快に笑いながらスマホを私の頭上に翳した五条さんにじっとりとした視線を向けると一層軽快な笑い声が響き、届くか届かないかの位置にある私物を取り戻す為、私は懸命に背を伸ばした。
しかし相手は私よりもはるかに上背のある成人男性。
飛び跳ねた所で易々と取り返せるはずもなく、見かねた家入さんが書類をファイルしているバインダーを使って五条さんを制するとそれはやっと私の手元に戻ってきた。
「危ないでしょ硝子」
「無下限使っといてよく言う。ほら、早く行って来い。真那はこの後七海と予定があるんだとさ。
遅くまで連れ回したら殺されるぞ」
「やだやだ、こわぁい。じゃ、さっさと行ってちゃっちゃと帰らなきゃね」
「それを五条さんが言いますか?」
気がつけば予定時刻よりも三十分も時間が過ぎている。
早くしてくださいと背中を押しても、私の細腕ではびくともせず、頑張れ〜なんて心のこもっていない声援に一層の煩わしさを感じると、再びやってきた家入さんのバインダーが視界に入ったのか。
逃げる様に医務室を後にした五条さんの背中を追いかけた私は車にたどり着くまでの間、ずっと小走りを続けていた。
補助監督と言うのはその名の通り、呪術師の補助を担う。
事前の情報収集や任務の割り振り、近隣への被害が想定される際は一時交通を遮断したりする事から事務仕事まで多岐に渡る。
しかし、この人の任務に同行するとなると補助監督と言うものは現場までの運転手と言う以外の役割を失ってしまうのも事実であり、特級案件とされた任務を一瞬にして終えてしまった五条さんは、帳が上がると衣類に乱れ一つ作らず私の元へと戻ってきた。
最強という名前は伊達では無い。
あの人は軽薄だと常々愚痴を溢す建人さんも、五条さんに対しては信頼しているし信用している。
「お疲れサマンサ〜。さ、ちゃっちゃと帰ろっか。あ、行きに見かけた洋菓子店寄ってってよ。僕今甘いものが食べたいんだよね」
「お疲れ様です。了解しました。それまでの間こちらでも食べていて下さい」
「お、準備いいね。さすが真那」
後部座席に乗り込み、早々と寛ぎ始めた五条さんに私は私用の鞄の中から棒付きキャンディを取り出して手渡した。
目を輝かせてキャンディを受け取るとペリペリと包装を剥がし、ゴミを車内に放り投げた五条さんの機嫌は小手調にもならなかったであろう任務の後でも悪い方では無いのだろう。
彼に関する噂は良くも悪くもあらゆる所から入ってくる。
それは建人さんが彼の後輩なのもあるのだろうけれど、伊地知さんが所用で外せない時にその代わりを私が引き受けるからというのも要因だろう。
呪術師としては半人前以下であった私は補助監督としてはそれなりの実績を残し、先輩であった伊地知さんの丁寧な指導の下、今ではそれなりの位置を確立できている。
「なぁ、そういえばオマエらの結婚式っていつ?」
「まだ先の話ですよ。実は今日建人さんが戻って来たら招待状をお配りしようと思っていたんです」
「お、いいじゃん。一番楽しい時だよねぇ。二人とも最近幸せオーラ出まくってるもん」
「はい、幸せです。とても」
揶揄う側としては私の解答ほど面白くないものは無いだろう。
しかし、現に今の私は幸せの絶頂でありそれを否定する様な罰当たりな真似は出来るわけがない。
憧れて、少しでもお近づきになれたら良いと思いながら眺めていた高嶺の花の様な人と恋人になり、いずれ夫婦になれるなんて夢のような話なのだから。
指示通り五条さんが目星をつけた洋菓子店に立ち寄り、店内に吸い込まれていく五条さんを見送ると私は一度建人さんに連絡を入れた。
しかし私の通話に彼が応答することはなく、まだ任務から戻って来ていないのだろうと考えていると、閉店まではまだ余裕のありそうな時間帯にも関わらず、店内の商品を全て買い占めたのではないかと疑うような量のお菓子を持った五条さんが戻って来る。
「いやぁ、買い過ぎちゃった」
「いくらなんでもこれは…」
「いいのいいの、折角なんだから前祝いでもしようよ。オマエも甘いものは好きでしょ?」
「…好きですがドレスの都合上、体型を変えたくないのでたくさんは食べられません」
「ダイエットは明日からってね」
お祝いをしようとしてくれる気持ちはとても有難いものだけれど、それとこれとは話が別になる。
今からの数ヶ月は確実に体重計と睨めっこを続けなければならなくなるし、一生に一度の事。
少しでも綺麗な姿で彼の隣に立ちたいという願望もある。
…しかし、五条さんの誘惑は実に甘美なものであり箱に入れられていてもその数が尋常では無いからか。
車内な既に甘い香りで充満していた。
「さ、早く帰ってケーキ食べよ」
「その前に招待状、受け取って下さいね」
「それは勿論。七海を揶揄える好機を僕が逃すわけないでしょ」
一難去ってまた一難…。
眉間に皺を深く刻む建人さんの姿が身に浮かぶものの、それさえも今の私には微笑ましい光景にしか描けない。
安全運転を心がけながらも早く二人で皆の元へ向かいたいという気持ちは募るばかりで。
折り返しの連絡が早く帰ってこないかと胸を躍らせながら高専に戻った私達はケーキの箱を抱えながら医務室へと再び舞い戻った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「建人さん、連絡来ませんね…」
この時間までには戻りますと言った時間から既に一時間は経過していた。
日はすっかり傾き始め、ティータイムと称して始まったケーキの食べ比べも五条さんが既に飽き始めている。
任務の間に何かあったのなら補助監督である私に連絡が来ないのは不自然な事であり、建人さんに限って約束を忘れてしまうなど考え難い。
もう一度連絡をしてみるべきかとスマホを眺めていると行動に移したのは私よりも五条さんの方が早かった。
幸いにも通話はすぐに繋がったらしく私が胸を撫で下ろしていると、陽気な声から始まった会話は少しずつ会話がおかしな方向へと変わり始め、私の胸になんとも言い難い不安がよぎって行く。
「なぁ、オマエ何してんの?真那ずっと医務室で待ってんだけど。ついでにこの僕も待っててやってるんだけど。はぁ!?なんだそれ、オマエ何言ってんの?ちょっと今すぐここに来い!!!」
電話口の建人さんとのやり取りは一方的な会話を聞くだけでは解りかねた。
終わりに向かうにつれて語気を強めていく五条さんの反応に、言いようのない不安に襲われていく。
五条さんも何が何だかわからないと言った様子を隠すこともなく、しかしその理由を私には告げる事はせず、不安を抱えたまま家入さんと気を紛らわす為に会話を続けていると、暫くして医務室のスライド式の扉が音を立てる。
「建人さん」
やっと訪れた待ち人に私の不安は何処へやら。
笑顔を向けながら駆け寄ると、彼の雰囲気は何処かいつもと違っており…いつもならば遅くなってすみませんなどと言葉を向けてくれる彼は無言のまま私の事を見下ろしていた。
微笑まれることもなく、眉を顰めて私に向けられる視線は到底いつもの彼のものとは言い難い。
何かあったのではないかという不安は再度私な胸に根付き恐る恐る彼に手を伸ばした瞬間だった。
「建人さん…?」
「気安く触らないでもらえますか」
パシンと小気味いい音を立てながら私の手はいつも優しく触れてくれる大きな手によって跳ね除けられた。
…一体何が起こったのか。
私の思考は停止し、彼に伸ばした筈の手だけがジンジンと痺れるような痛みを齎している。
これまで彼にこんな事をされた事は一度たりともなかった。
けれどいつも優しく、包み込むように労ってくれる愛しい存在は私の目の前には居なかった。
「は!?オマエ何してんの」
「私が聞きたいくらいです。一体なんの真似ですか」
「七海、オマエ結婚式の招待状持ってきてくれたんじゃなかったのか?」
「結婚…?何をふざけた事を」
この人は何を言っているのだろうかと、全身の血の気が一気に引いていった。
先日、確かに私達は今日の仕事終わりに招待状を渡しに行こうと約束をして、その後も数日は取り止めもないメッセージのやりとりを交わしている。
昨日一昨日は互いに忙しくてそれも叶わなかったけれど…その二日の間に建人さんの身に一体何が起こったと言うのだろう。
まるで狐につままれたような感覚だった。
それは同席している五条さんも家入さんも同じと言える。
沈黙がただ続くだけの空間。
秒針の針の音がやけに耳に響き、必死に現状を把握しようとしても何一つ思い当たる節などない私は、建人さんに背を向けると鞄の中から預かっていた封筒を取り出して見せた。
「何ですかこれは」
「結婚式の招待状です。私と…貴方の」
少ない数しかつくらないからと納得が行くまで試行錯誤を続けた招待状。
出来上がった時にそれを見た建人さんは素敵ですねと微笑んでくれたし、その笑顔を私は疑っていない。
それなのに、目の前の彼は恐ろしい程に冷たい目をして私を見据える。
それは憎しみさえ込められているように感じてしまい、萎縮する私の姿に呆れてような溜息が頭上から響くと私の手からすり抜けた封筒。
そこには私の字で五条悟様と名前が綴られており、両面を確認した建人さんはあろう事か私達の思い出となる筈の大切な封筒からあっさりと手を離し、それは私の手元に戻される事なく床に落ちた。
「こう言った冗談は嫌いです。タチが悪い。そもそも、私はアナタの事など知りもしないし、不愉快です。今後一切このような事は控えて下さい」
「オマエ…!!」
「落ち着け五条。七海…何があった」
「何も有りませんよ。何ですか、揃いも揃って。アナタも何を考えているのかは知りませんが妄言は程々にして下さい。はっきり言って迷惑です」
五条さんの剣幕に押されたのか、一歩後ずさった建人さんの革靴の下で招待状が踏みつけられていた。
それを見た瞬間、彼の言葉を聞いた瞬間…私の瞳からは大粒の涙が溢れ始めその場で膝をついた。
これは全て私の空想だったのだろうかと。
でも、確かに私はこの人と共に愛を育み、将来を共にしようと誓ったはずだ。
何故私を知らない人のように扱うのか。
何故私を憎しみの籠ったような目で見るのか。
…何故、私の事を拒むのか。
なんの手掛かりもなく訳もわからぬままであっても事態は好転などしてはくれない。
家入さんも五条さんも私と建人さんの事を知っており、心から迎える筈だった門出を祝ってくれたいたのは確かな筈だった。
「真那、落ち着かないだろうけどオマエは一旦部屋に戻れ。七海、オマエには二、三聞きたいことがある」
「私なら何の問題も有りません。幸い今日の任務で怪我もしていない」
「いいから黙って聞け。これは医師としての忠告と警告だ」
五条さんの態度も家入さんの態度も普段のそれとはまるで違っていた。
その元凶が私だというのは建人さんの目にも明らかで有り、私に聞こえるよう忌々しそうに舌打ちをする音が響く。
私は踏みつけられた封筒から目を逸らすことができず、震える手をやっとの思いで伸ばすと懇願するかのようにか細く言葉を紡いだ。
「お願い、します…。脚を、退けてください」
既に人に渡せる状態ではなくなってしまった真っ白であった筈の封筒には彼の靴跡がはっきりと残り、再度聞こえた舌打ちの後、僅かに浮いた脚からそれを抜き取った私は胸元で抱え込むようにしながら蹲り嗚咽を堪えるしかなかった。
「真那、ここは硝子に任せよう。オマエが居ても良いことにはならない気がする」
「…はい」
五条さんに付き添われ、職員寮へと戻る間も私の頬はとめどなく溢れる涙で乾く事はなかった。
現状が把握できたら連絡すると言い残され、ポツンと部屋の中に残された私の視界に入るのは、建人さんから送られた数々のプレゼントや一緒に撮った写真の数々。
その中でも、先日一緒に撮ったばかりの写真は嬉しくて仕方なくて…。
すぐにプリントアウトするとお気に入りの写真立ての中へと収めた。
忙しい合間を縫ってたくさんの場所に連れていってくれた。
大凡普通の恋人らしい事はしてやれないからと、連絡もいつもマメにくれて、暇を見つけては電話も何度もしたのに…。
「どうして…っ」
その一つ一つに触れながら記憶を辿れば、常に私に向かって微笑みかける貴方がいるのに。
…私が愛した貴方は、一体どこへ行ってしまったというのだろう。
1/10ページ