たとえ、どんなに
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相手を知れば知るほどに解らなくなる事が有るなんて、これまでの私には考えもしなかった。
補助監督の助言を経て、やっと決まった恵君への贈り物は彼に似合いそうな黒を基調としたブレスレットとなり、相談した翌日。
折角ですからと提案されて任務の帰りにこっそり寄り道をすると、そのまま目を惹かれた一つを持ち帰り、今はずっと相手に渡る日を心待ちにしている状況だ。
しかしお互い試験やら学校行事に追われ、私に至っては繁忙期を抜けた直後に交流会がやってきて。
あの日から連絡は取っているものの顔を合わせる機会はなかなか訪れない。
これまでそんな事は何度もあった筈なのに。
連絡先すら知らずに、先生が揶揄い半分に気を利かせて教えてくれるだけで満足できていたはずなのに。
今となっては会いたい気持ちばかりが募り、同じ学校に通っているであろう顔も知らない彼のクラスメイトに嫉妬の念さえ抱く程だ。
それでも悩みに悩んで選んだプレゼントと言うのは渡すと言うだけでも心が躍り、楽しみになるらしい。
秋は次第に深まり、ついこの間までの暑さも嘘の様に無色の風が吹く季節へと変わったと感じた直後には冬の足音すら感じ始める様になっていく。
やっと会える約束を取り付けられたのは双方が期末のテストを終えた頃となり、以前諭された事から任務は疎かにしてはいないものの、ここ最近の私は気もそぞろと言ってもいい。
放課後の時間を持て余し、教室で過ごす静かな時間を妨害してくるのは言わずもがな、教師という肩書きが何よりも似合わない最強の呪術師で。
私の姿を見つけるなり、側にやってきた先生は教卓に凭れながら先日の話題に関して興味津々と言った様子だった。
「そう言えばもうすぐだね。恵の誕生日♡自分を巻く可愛いリボンは見つけた?何なら僕が用意してあげようか?」
「すみません。何を言ってるか聞こえなかったのでもう一度お願いしても良いですか?録音の準備も整えて、言質を取ったらすぐに家入さんと七海さんと学長の所に行こうと思うので」
「わお、辛辣さがレベルアップしてる。ウケる」
「最近バージョンアップしたばかりです」
今日の座学で担当の補助監督が返却し忘れたものなのか。
授業中でも無いのに先日のテストの答案を返却され、右上に書かれた点数を一瞥すると軽口の減らない担任に軽蔑の視線を向けた私は携帯を取り出す。
幸い座学は得意な方だし、中学時代も勉強くらいしかする事が無かった私はテストはそこまで悪い点数でもない。
一人しか居ない学級では平均点なんてものは存在しないけれど、間違いなく追試は免れるだろう。
さぁ、どうぞと先程の言葉を再度先生に促す。
けれどその瞬間にメッセージの通知が映し出された事を確認して、私は慌てて画面に目を向けた。
「なになに?恵から?」
「生徒のプライバシーに入り込むのは教師としていただけないかと」
「教師としてじゃなくて個人的な興味だよ」
「尚更タチが悪いです」
「良いじゃん少しくらい。甘酸っぱい恋愛なんて縁遠いし、僕だってたまにはキュンとしたい時だってあるんだよ?」
「どうぞ引く手数多のご令嬢達とお願いします」
「真那。オマエ、最近七海に似てきてない?」
「先日、先生のあしらい方を享受して頂きました」
「あ〜…。だからバージョンアップって事ね」
つい先程まで輝かんばかりの目をしていた筈の先生は七海さんの名前を出した途端納得したのか、妙に遠い目をしている。
七海さんには端的に、かつ過去に先生自身が言った言葉を交えて反撃すれば効果はあると聞いたけれど、成程これは今後も活用できそうだ。
いつのまにか自身の生徒と話していたつもりが嘗ての後輩と話している気分になったのか。
先生は年甲斐もなく拗ねた様に口を尖らせ、私はしてやったりと人知れず口角が僅かに上がる。
けれどそこは相手も一枚岩では行かないらしい。
連絡、見てなくて良いの?と、まるで恵君からのメッセージの内容を知っていると言わんばかりの言葉に怪訝な顔をした私は、先程届いた内容を確認すると思わず目を瞬かせる。
「……は?恵君、今こっちに来てるみたいなんですけど」
「そりゃそうだよ。僕が呼んだんだもん」
「何の為に?」
「勿論、可愛い生徒の初恋の応援」
「先生に出歯亀の癖があったなんて知りませんでした。性癖云々は個人の自由なので口出しはしませんが、そろそろ一度本気で上に掛け合ってみます」
数分前に受け取ったメッセージは今どこですか?と私の居場所を問いかけるもので、すぐに返事をするべきだと思うものの此処に恵君を呼び出しては先生に餌を与える結果にしかなりかねない。
殆ど満点に近い答案用紙を四つ折りにしながら私は席を立つと、流石に先生も此処から先まで付いてくる着は無いのか。
どうなったのか教えてねと、軽口を叩かれて私はピシャンと音が鳴り響くほど力強く教室の扉を閉めた。
その態度すらも今の先生にとっては面白いものでしかないと分かるからこそ余計に腹立たしいのに、思っても見なかったサプライズに喜んでいる自分がいる事が悔しい。
折角だからプレゼントを渡してしまおうか。
それとも約束の日まで楽しみにしておこうかは悩ましい所だけれど、兎にも角にも居場所を伝えなければ始まらないと私は食堂を指定すると急足でそちらへと赴く。
流石に昼時はとうに過ぎ、夕飯という前には早すぎる時間となれば人の姿は見当たらず、唯一居るであろう寮母さんも今は外出中らしい。
側の自販機で缶コーヒーを二つ購入すると未だ無人の向かいの席にその一つを置く。
勿論席は秘密の特等席で、食堂に居るからとやっと連絡を入れて返すとそれから数分後には恵君が姿を現した。
「お疲れ様。早かったね」
「アンタの事だからきっと此処に呼び出すだろうと思って向かってたんで」
「そっか。先生には会えた?」
「まぁ。大した用事じゃ無かった」
「そっか。あ、コーヒーどうぞ」
机に置かれた缶を指さすと、椅子に腰掛けながら恵君は頷きプルトップを開ける音が小気味よく響く。
けれど事前に約束していた訳でも無い逢瀬ではお茶のお供も有りはしなくて、話題を探す内に小さな缶の中身はあっという間に軽くなっていく。
ずっと携帯で連絡は取り合っては居たものの、いざ目の前に恵君が居るとなると数ヶ月前の出来事が脳裏に浮かび上がり、缶を握る指先や少し薄い唇にばかり視線が向いてしまう。
己を叱咤してみてもその視線を逸らす事が出来ず、一点ばかりを注視する私に訝しげな視線を向けた恵君と視線がかち合うと鼓動が一度大きく跳ねた。
「どうしたんすか」
「ごめん。ちょっと考え事してた。今度来る時何か作るけど、食べたいものある?」
「あ。すみません、その日都合つかなくなった」
「あ……。そうなんだ。忙しい時期だもんね。次来る時はまた教えてね」
少し気まずそうに視線を逸らした恵君の言葉に私は一瞬呆けた後、その意味をやっと理解した気がする。
今日会えた事は僥倖と言わざるを得ないけれど楽しみにしていたはずの約束がなくなってしまった事にはやはり肩を落としてしまい、それはこれまでよりも大きな落胆となって心にのし掛かる。
仕方ないと分かっていても、その姿は一目瞭然だったらしく額を小突かれると恵君が端正な顔を緩め、揶揄うような笑みを湛えていた。
「また、連絡します」
「うん。あ、じゃあ渡したいものがあるんだけど……まだ時間大丈夫?」
「まぁ、大丈夫ですけど」
誕生日当日と言うのは無理でも出来るだけ近い日に渡したいと思って準備していた贈り物。
予定は狂ってしまったけれど既に師走は目前で、この機会を逃してしまったらきっと誕生日は過ぎてしまうだろう。
席を立つ私に続くように恵君が缶を煽り、中身を空にすると私達は食堂を後にした。
向かうのは当然プレゼントが置いてある私の部屋で、幾度か高専を訪れその立地を少なからず把握している恵君は女子寮が近づくのを気取ると少しずつ足取りは重くなり顔が険しいものへと変わっていく気がした。
「部屋、行くんですか?」
「え、あ。うん。渡したいもの取りに行きたいし。それに食堂、少し寒く無かった?私の部屋なら日当たり良いから暖かいよ」
この時の私には二人でゆっくり過ごしたいと言う下心があったに違いない。
けれど恵君は私の胸中に反して深く息を吸い込んでからゆっくりと吐き出し、眉間に皺を寄せると何かと葛藤をしている様な素振りさえ見せる。
既に女子寮の敷地内には入り込んだものの、使用者が私しか居ない構内は相変わらず静まり返り、廊下を歩く二つの足音だけが古びた床を軋ませた。
目前と迫った部屋の扉に逸る気持ちを抑えきれずに私が小走りになると、恵君は何かを諦めた様に溜息を零して。
はしゃぐ私を見つめる視線はまるで子供を見守る様な穏やかなものになり、自室の扉を開けて手招きすると変わり映えのしない殺風景な部屋の中は別の空間の様な錯覚さえ齎す。
「此処に入るの、久しぶりですね」
「いつぶりだっけ?あ、前に一緒に昼寝しちゃった頃かな。その辺りから恵君あんまり高専に来なくなったし」
「俺にも色々あるんですよ」
少しぶっきらぼうになった物言いは触れてほしくないことを訴えている様にも思えて、私はそれ以上その話題には触れずに机の引き出しから小さな袋を取り出した。
内緒の話ではあるけれど、これを見つけた時、恋愛成就の御守りとして私も同じものを買っており、淡いピンクのブレスレットはその日から肌身離さず身につけている。
暖かな日差しが窓から差し込み、外の風景は夕焼けと同じ茜色をしていた。
普段ならば気にも留めない景色も、今だけは何処か特別なものの様に思えて、綻んだ顔をそのままに私は恵君に向き直る。
「何すか、これ」
「先生に誕生日が近いって聞いたから。プレゼント。あの、これ御守り代わりなの。これから任務も増えるだろうし。アクセサリーは嫌いかなって思ったけどこういうのなら似合うかなって思って。無理にとは言わないけど、持っててくれたら嬉しい、な」
照れ臭さを誤魔化す様に笑みを浮かべて誤魔化した私の顔は少し熱を孕んでいた。
指先が僅かに触れるだけでも気分は高揚し、その箇所だけ新たな熱が生まれる気がする。
やっと持ち主となる相手に渡った贈り物は早々に袋から取り出されると、一度手触りを確かめる様に石の一つを指先で転がす様子を見せ、けれどそれはすぐ様彼の手首を彩った。
「ありがとうございます。…今度、何かお返しします」
「良いよ。大したものじゃないし。……あ、でも一つお願いがあるかも」
「何すか?」
存外嫌がられる事は無かった事とお礼と言う言葉に気分を良くした私は過去の自分を褒め称えるように得意げな笑みを浮かべ、恵君との距離を一歩詰める。
今にも跳ね出したい程の浮かれた気持ちを抱えながら脳裏に浮かんだのは、こうして昔の様なやり取りができる様になったきっかけの出来事で。
謂わば私にとってはリベンジと言っても良い。
「来年も一緒に夏祭り行こうね。今度は私服にするから、最後まで花火見たいな」
「まぁ。それくらいなら」
「あっ、あともう一個あった」
「一つじゃ無かったんですか」
「固いこと言わないでよ。恵君が卒業したら制服の第二ボタン、頂戴?」
チョンと指先で白いブレザーのボタンを押すと、恵君は私の要求が斜め上のものだったのか。
不思議そうに首を傾げる。
それはきっとこんなものを貰ってどうするのかと問いかける様なものだったけれど、私が駄目?と彼を見上げると戸惑いながらも色良い返事が返ってきた。
これは私にとってはある意味願掛けの様なものだった。
思春期の一年と言うのはどんな事があるか判りはしない。
それは環境面に於いても心の機微に関しても言える事で、他者にとっては些細な出来事ですら多感な年頃になれば生涯忘れられないものになる。
私の様にまだ彼の交友関係は高専の中のみに縛られては居ないし、可能性は低そうだけれど、もしかしたら三年になってクラスメイトの一人に恋情を抱く可能性だって十分に有り得るのだから。
そうなればこの恋心は人知れず終わりを告げる事になり、せめて彼が高専に入学して。
それでもこんな関係が続いていたのなら。
私の思いが変わる事が無かったのなら。
その時は、勇気を持って一歩踏み出してみようと。
これはそんな自分への決意でも有り、その時にはきっと彼はこの約束を覚えて居てくれるだろうと願っていた。
「約束ね?」
「そんなもんで良いなら」
「それが良いんだよ」
「そうですか」
やけに機嫌良く笑みを零し、恵君の腹部にあるボタンを眺めた私はこの時彼がどんな顔をして居たか見る事は無かった。
けれどその声は存外優しげなもので、斜陽に照らされて私達の影だけは互いの思いを通わせた様にひっそりと重なって居た。
補助監督の助言を経て、やっと決まった恵君への贈り物は彼に似合いそうな黒を基調としたブレスレットとなり、相談した翌日。
折角ですからと提案されて任務の帰りにこっそり寄り道をすると、そのまま目を惹かれた一つを持ち帰り、今はずっと相手に渡る日を心待ちにしている状況だ。
しかしお互い試験やら学校行事に追われ、私に至っては繁忙期を抜けた直後に交流会がやってきて。
あの日から連絡は取っているものの顔を合わせる機会はなかなか訪れない。
これまでそんな事は何度もあった筈なのに。
連絡先すら知らずに、先生が揶揄い半分に気を利かせて教えてくれるだけで満足できていたはずなのに。
今となっては会いたい気持ちばかりが募り、同じ学校に通っているであろう顔も知らない彼のクラスメイトに嫉妬の念さえ抱く程だ。
それでも悩みに悩んで選んだプレゼントと言うのは渡すと言うだけでも心が躍り、楽しみになるらしい。
秋は次第に深まり、ついこの間までの暑さも嘘の様に無色の風が吹く季節へと変わったと感じた直後には冬の足音すら感じ始める様になっていく。
やっと会える約束を取り付けられたのは双方が期末のテストを終えた頃となり、以前諭された事から任務は疎かにしてはいないものの、ここ最近の私は気もそぞろと言ってもいい。
放課後の時間を持て余し、教室で過ごす静かな時間を妨害してくるのは言わずもがな、教師という肩書きが何よりも似合わない最強の呪術師で。
私の姿を見つけるなり、側にやってきた先生は教卓に凭れながら先日の話題に関して興味津々と言った様子だった。
「そう言えばもうすぐだね。恵の誕生日♡自分を巻く可愛いリボンは見つけた?何なら僕が用意してあげようか?」
「すみません。何を言ってるか聞こえなかったのでもう一度お願いしても良いですか?録音の準備も整えて、言質を取ったらすぐに家入さんと七海さんと学長の所に行こうと思うので」
「わお、辛辣さがレベルアップしてる。ウケる」
「最近バージョンアップしたばかりです」
今日の座学で担当の補助監督が返却し忘れたものなのか。
授業中でも無いのに先日のテストの答案を返却され、右上に書かれた点数を一瞥すると軽口の減らない担任に軽蔑の視線を向けた私は携帯を取り出す。
幸い座学は得意な方だし、中学時代も勉強くらいしかする事が無かった私はテストはそこまで悪い点数でもない。
一人しか居ない学級では平均点なんてものは存在しないけれど、間違いなく追試は免れるだろう。
さぁ、どうぞと先程の言葉を再度先生に促す。
けれどその瞬間にメッセージの通知が映し出された事を確認して、私は慌てて画面に目を向けた。
「なになに?恵から?」
「生徒のプライバシーに入り込むのは教師としていただけないかと」
「教師としてじゃなくて個人的な興味だよ」
「尚更タチが悪いです」
「良いじゃん少しくらい。甘酸っぱい恋愛なんて縁遠いし、僕だってたまにはキュンとしたい時だってあるんだよ?」
「どうぞ引く手数多のご令嬢達とお願いします」
「真那。オマエ、最近七海に似てきてない?」
「先日、先生のあしらい方を享受して頂きました」
「あ〜…。だからバージョンアップって事ね」
つい先程まで輝かんばかりの目をしていた筈の先生は七海さんの名前を出した途端納得したのか、妙に遠い目をしている。
七海さんには端的に、かつ過去に先生自身が言った言葉を交えて反撃すれば効果はあると聞いたけれど、成程これは今後も活用できそうだ。
いつのまにか自身の生徒と話していたつもりが嘗ての後輩と話している気分になったのか。
先生は年甲斐もなく拗ねた様に口を尖らせ、私はしてやったりと人知れず口角が僅かに上がる。
けれどそこは相手も一枚岩では行かないらしい。
連絡、見てなくて良いの?と、まるで恵君からのメッセージの内容を知っていると言わんばかりの言葉に怪訝な顔をした私は、先程届いた内容を確認すると思わず目を瞬かせる。
「……は?恵君、今こっちに来てるみたいなんですけど」
「そりゃそうだよ。僕が呼んだんだもん」
「何の為に?」
「勿論、可愛い生徒の初恋の応援」
「先生に出歯亀の癖があったなんて知りませんでした。性癖云々は個人の自由なので口出しはしませんが、そろそろ一度本気で上に掛け合ってみます」
数分前に受け取ったメッセージは今どこですか?と私の居場所を問いかけるもので、すぐに返事をするべきだと思うものの此処に恵君を呼び出しては先生に餌を与える結果にしかなりかねない。
殆ど満点に近い答案用紙を四つ折りにしながら私は席を立つと、流石に先生も此処から先まで付いてくる着は無いのか。
どうなったのか教えてねと、軽口を叩かれて私はピシャンと音が鳴り響くほど力強く教室の扉を閉めた。
その態度すらも今の先生にとっては面白いものでしかないと分かるからこそ余計に腹立たしいのに、思っても見なかったサプライズに喜んでいる自分がいる事が悔しい。
折角だからプレゼントを渡してしまおうか。
それとも約束の日まで楽しみにしておこうかは悩ましい所だけれど、兎にも角にも居場所を伝えなければ始まらないと私は食堂を指定すると急足でそちらへと赴く。
流石に昼時はとうに過ぎ、夕飯という前には早すぎる時間となれば人の姿は見当たらず、唯一居るであろう寮母さんも今は外出中らしい。
側の自販機で缶コーヒーを二つ購入すると未だ無人の向かいの席にその一つを置く。
勿論席は秘密の特等席で、食堂に居るからとやっと連絡を入れて返すとそれから数分後には恵君が姿を現した。
「お疲れ様。早かったね」
「アンタの事だからきっと此処に呼び出すだろうと思って向かってたんで」
「そっか。先生には会えた?」
「まぁ。大した用事じゃ無かった」
「そっか。あ、コーヒーどうぞ」
机に置かれた缶を指さすと、椅子に腰掛けながら恵君は頷きプルトップを開ける音が小気味よく響く。
けれど事前に約束していた訳でも無い逢瀬ではお茶のお供も有りはしなくて、話題を探す内に小さな缶の中身はあっという間に軽くなっていく。
ずっと携帯で連絡は取り合っては居たものの、いざ目の前に恵君が居るとなると数ヶ月前の出来事が脳裏に浮かび上がり、缶を握る指先や少し薄い唇にばかり視線が向いてしまう。
己を叱咤してみてもその視線を逸らす事が出来ず、一点ばかりを注視する私に訝しげな視線を向けた恵君と視線がかち合うと鼓動が一度大きく跳ねた。
「どうしたんすか」
「ごめん。ちょっと考え事してた。今度来る時何か作るけど、食べたいものある?」
「あ。すみません、その日都合つかなくなった」
「あ……。そうなんだ。忙しい時期だもんね。次来る時はまた教えてね」
少し気まずそうに視線を逸らした恵君の言葉に私は一瞬呆けた後、その意味をやっと理解した気がする。
今日会えた事は僥倖と言わざるを得ないけれど楽しみにしていたはずの約束がなくなってしまった事にはやはり肩を落としてしまい、それはこれまでよりも大きな落胆となって心にのし掛かる。
仕方ないと分かっていても、その姿は一目瞭然だったらしく額を小突かれると恵君が端正な顔を緩め、揶揄うような笑みを湛えていた。
「また、連絡します」
「うん。あ、じゃあ渡したいものがあるんだけど……まだ時間大丈夫?」
「まぁ、大丈夫ですけど」
誕生日当日と言うのは無理でも出来るだけ近い日に渡したいと思って準備していた贈り物。
予定は狂ってしまったけれど既に師走は目前で、この機会を逃してしまったらきっと誕生日は過ぎてしまうだろう。
席を立つ私に続くように恵君が缶を煽り、中身を空にすると私達は食堂を後にした。
向かうのは当然プレゼントが置いてある私の部屋で、幾度か高専を訪れその立地を少なからず把握している恵君は女子寮が近づくのを気取ると少しずつ足取りは重くなり顔が険しいものへと変わっていく気がした。
「部屋、行くんですか?」
「え、あ。うん。渡したいもの取りに行きたいし。それに食堂、少し寒く無かった?私の部屋なら日当たり良いから暖かいよ」
この時の私には二人でゆっくり過ごしたいと言う下心があったに違いない。
けれど恵君は私の胸中に反して深く息を吸い込んでからゆっくりと吐き出し、眉間に皺を寄せると何かと葛藤をしている様な素振りさえ見せる。
既に女子寮の敷地内には入り込んだものの、使用者が私しか居ない構内は相変わらず静まり返り、廊下を歩く二つの足音だけが古びた床を軋ませた。
目前と迫った部屋の扉に逸る気持ちを抑えきれずに私が小走りになると、恵君は何かを諦めた様に溜息を零して。
はしゃぐ私を見つめる視線はまるで子供を見守る様な穏やかなものになり、自室の扉を開けて手招きすると変わり映えのしない殺風景な部屋の中は別の空間の様な錯覚さえ齎す。
「此処に入るの、久しぶりですね」
「いつぶりだっけ?あ、前に一緒に昼寝しちゃった頃かな。その辺りから恵君あんまり高専に来なくなったし」
「俺にも色々あるんですよ」
少しぶっきらぼうになった物言いは触れてほしくないことを訴えている様にも思えて、私はそれ以上その話題には触れずに机の引き出しから小さな袋を取り出した。
内緒の話ではあるけれど、これを見つけた時、恋愛成就の御守りとして私も同じものを買っており、淡いピンクのブレスレットはその日から肌身離さず身につけている。
暖かな日差しが窓から差し込み、外の風景は夕焼けと同じ茜色をしていた。
普段ならば気にも留めない景色も、今だけは何処か特別なものの様に思えて、綻んだ顔をそのままに私は恵君に向き直る。
「何すか、これ」
「先生に誕生日が近いって聞いたから。プレゼント。あの、これ御守り代わりなの。これから任務も増えるだろうし。アクセサリーは嫌いかなって思ったけどこういうのなら似合うかなって思って。無理にとは言わないけど、持っててくれたら嬉しい、な」
照れ臭さを誤魔化す様に笑みを浮かべて誤魔化した私の顔は少し熱を孕んでいた。
指先が僅かに触れるだけでも気分は高揚し、その箇所だけ新たな熱が生まれる気がする。
やっと持ち主となる相手に渡った贈り物は早々に袋から取り出されると、一度手触りを確かめる様に石の一つを指先で転がす様子を見せ、けれどそれはすぐ様彼の手首を彩った。
「ありがとうございます。…今度、何かお返しします」
「良いよ。大したものじゃないし。……あ、でも一つお願いがあるかも」
「何すか?」
存外嫌がられる事は無かった事とお礼と言う言葉に気分を良くした私は過去の自分を褒め称えるように得意げな笑みを浮かべ、恵君との距離を一歩詰める。
今にも跳ね出したい程の浮かれた気持ちを抱えながら脳裏に浮かんだのは、こうして昔の様なやり取りができる様になったきっかけの出来事で。
謂わば私にとってはリベンジと言っても良い。
「来年も一緒に夏祭り行こうね。今度は私服にするから、最後まで花火見たいな」
「まぁ。それくらいなら」
「あっ、あともう一個あった」
「一つじゃ無かったんですか」
「固いこと言わないでよ。恵君が卒業したら制服の第二ボタン、頂戴?」
チョンと指先で白いブレザーのボタンを押すと、恵君は私の要求が斜め上のものだったのか。
不思議そうに首を傾げる。
それはきっとこんなものを貰ってどうするのかと問いかける様なものだったけれど、私が駄目?と彼を見上げると戸惑いながらも色良い返事が返ってきた。
これは私にとってはある意味願掛けの様なものだった。
思春期の一年と言うのはどんな事があるか判りはしない。
それは環境面に於いても心の機微に関しても言える事で、他者にとっては些細な出来事ですら多感な年頃になれば生涯忘れられないものになる。
私の様にまだ彼の交友関係は高専の中のみに縛られては居ないし、可能性は低そうだけれど、もしかしたら三年になってクラスメイトの一人に恋情を抱く可能性だって十分に有り得るのだから。
そうなればこの恋心は人知れず終わりを告げる事になり、せめて彼が高専に入学して。
それでもこんな関係が続いていたのなら。
私の思いが変わる事が無かったのなら。
その時は、勇気を持って一歩踏み出してみようと。
これはそんな自分への決意でも有り、その時にはきっと彼はこの約束を覚えて居てくれるだろうと願っていた。
「約束ね?」
「そんなもんで良いなら」
「それが良いんだよ」
「そうですか」
やけに機嫌良く笑みを零し、恵君の腹部にあるボタンを眺めた私はこの時彼がどんな顔をして居たか見る事は無かった。
けれどその声は存外優しげなもので、斜陽に照らされて私達の影だけは互いの思いを通わせた様にひっそりと重なって居た。