たとえ、どんなに
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焼きそば、たこ焼き、かき氷。
食指を唆る匂いが夕暮れ時の私達のお腹を刺激するとまたしても私の視線がふらふらと彷徨い、それを見た恵君が呆れた溜息を溢した。
時折繋いだ手を引かれ、どちらが引率されている子供かすらもあやふやな状況で。
こんな時でもあまり浮かれない彼は、一体何ならはしゃぐのだろうかと考えつつも私がごめんね、と眉尻を下げると恵君は無言のまま私の腕を引き寄せた。
手を離そうとした訳でもないのに頑なにすぐ隣に居なければ気が済まないのか、横に動けば手を引かれる様は散歩させられている犬にも思える。
けれど未だに目移りが止まらない私を引き寄せるよりも自分がついて回った方が早いと判断したのか。
そのうち私の足先に身体を向ける様になった彼に私は振り向きながら声を掛けた。
「恵君って夏祭り来た事ある?」
「昔、津美紀と少しだけ」
「そっか。じゃあ、もしかしたら私が初デートの相手?それとも、学校の女の子とデートしたことある?」
「は?ある訳ないでしょ。まぁ、津美紀以外と来るのは初めてですけど……」
少し気まずそうに言葉を濁した彼からはその交友関係の狭さが伺える。
それと言うのも幾度か名前を聞いたことのある彼の姉の名前以外、私は恵君から高専以外の友人や親しい人の話を聞いた事がないからだ。
それは一重に人間関係が希薄でそこにストレスを見出してしまう彼だからこそなのだろうけれど、その点については私も似た様なもので、適切な距離感と言うのは様々であり、彼に関してもそれ程心配する必要はないだろう。
津美紀ちゃん以外の初めての人間ということは少なからず私の胸を満たし、受け取り方はそれぞれ違うのだろうけれど謂わば初デートの相手。
それに対して気分をよくすると自然と私の顔は綻び、にんまりと笑みを浮かべた様を見て恵君は訝しげな視線を向けた。
「何笑ってるんですか」
「内緒。あ、恵君っ。かき氷食べようよ」
「おいっ……。またアンタは勝手に離れようとする」
「ね、恵君は何味食べる?私はイチゴにしようかな」
「……じゃあ、青いやつで」
一つの屋台の前で立ち止まった私は素早く注文を済ませると即座に出来上がる赤と青のシロップを掛けられたかき氷を受け取り、そのうちの一つを差し出した。
勿論、代金は私持ちだ。
これで一先ず何か奢って下さいと言われた言葉は守れた筈だろう。
すぐに氷が溶けてな熱気の漂う中、私達は列になる人の波から外れると山盛りとなった氷を頬張った。
ただ歩いているだけでもじんわりと汗ばむ肌には氷の冷たさは心地よく、止まることのない手はあっという間にその量を減らして行く。
「ねぇ、恵君。かき氷のシロップって全部同じ味なの知ってた?」
「は?マジですか?」
「そうらしいよ。あ、一口食べてみる?」
ストローで作られたスプーンの先に掬った氷を差し出すと、またしても恵君が怪訝な顔をして私とスプーンの先を交互に見返す。
早く、溶けちゃうと急かすと恵君の顔が私の手元に寄せられた。
躊躇いがちに開かれた口が氷を口に含むと私の言う通り、味の違いを確かめようとしているのか考え込む素振りを見せ始める。
「同じ、ですか?」
「わかんない?じゃあ、私も一口貰うね」
「あ、おい」
恵君の手元にある既に少し溶け始めてしまった青い氷を掬うとその口からは不満気な声が漏れる。
けれど構う事なくそのスプーンを口に含むと、自分から言い始めた事だと言うのに私の反応は先程の恵君と全く同じ物で。
首を捻りながら鼻に抜ける香りを確かめるとやはりどこか違和感を覚える。
私自身もこの知識はかなり前にテレビで聞き齧っただけのものであり、全てが全く同じ訳ではないのだろうか。
少なからず香料は違う気がするけれど、明確な差異までは分かるわけもなく、視覚による錯覚も大きいのかも知れない。
右に左に首を捻るものの結局ははっきりとした解答に辿り着ける筈もなく。
分かんないね、と苦笑すると恵君は自身の器を静かに眺めながら何か思う所があったらしい。
「アンタ、少しは色々自覚して下さいよ」
「ん?なにが?」
「いや、何でもないです。次たこ焼き、買って下さい」
「うん。あ、そうだ。見て見て、舌真っ赤になってない?」
かき氷を食べた後のお約束と言えば着色料で染まる舌と言っても過言では無いだろう。
薄く引かれたリップを落とさない様に気を配りながらも私がチラッと舌を覗かせると、恵君の視線はほんの一瞬こちらに注がれる。
けれどその後には露骨に視線が逸らされ、少しばかり不機嫌な様子さえ見てとれた。
てっきり笑ってくれるものだと思った私は何か気に障ったのかと言葉を掛けるものの、何でもないとはぐらかされるばかりで。
額にコツンと彼の拳が当てられると私の子供の様な行いを嗜める言葉がやって来た。
「馬鹿やってないでさっさとして下さいよ」
「あはは、ごめんね。楽しくって」
これでは本当に大人と子供の立場が逆転している。
けれどそんな事すら瑣末な事と思えるほどに今の私は久しぶりに恵君と過ごせることが嬉しくて、ただ楽しかった。
食べ終えた容器を今にも溢れ返りそうな近くのダストボックスに押し込み、恵君が再び手を差し出すと私は肩を揺らしながらその手を掴む。
リクエストに応えてたこ焼きを二人で食べて、私の目が欲しくなったからとそれに焼きそばも追加して。
他に欲しいものは無いかと聞いて見ても、存外彼はそこまで欲は無かったらしい。
「真那さんは他に見たい所ないんですか?」
先ほどまで混み合って居た筈の道はいつのまにか少し余裕が見え始め、これから打ち上がる花火を見るために移動する人の姿が見受けられる。
少しばかり暗がりの目立つ場所では自分達の世界に入り込んでしまった恋人達が寄り添う姿さえも垣間見えて。
さすがにそんな場所に恵君を引き込む訳にもいかず、寄り道できる場所を探していると、夏祭りならではの心を擽る屋台が目に留まる。
「ん〜…私もお腹はいっぱいかな。後は花火が見れたら嬉しいけど。あ、水風船やらない?」
「まぁ、良いですけど。取れないからってムキになんないで下さいよ」
「あはは。気をつけます。お兄さん、二回お願いします」
真剣に大きなビニールプールと向かい合う子供達の邪魔をしないように片隅に居場所を作った私はその場にしゃがみ込む。
受け取った釣り針の一つを恵君に渡すと渋々と行った様子を見せながらも隣に座り、けれどその目は水風船を見定めて居る。
隣の子供が水風船と格闘を繰り返し、釣り上げたそれが後一歩の所で水面を打つと跳ねた水が私の髪を僅かに濡らした。
普段ならば既に宵闇に包まれているであろう辺りには未だに灯りが煌々と光り、子供達のはしゃぐ声が鼓膜を打つ。
袖を捲り上げた私も勇んでその輪の中に入り込むと、金魚掬いの袋に水風船、綿菓子の袋と夏祭りを満喫したであろう歴戦の幼い猛者達からの頑張れの激励と共に私の戦いが始まった。
この時の私の集中力たるや、五条先生と体術の訓練を行う時といい勝負だったかも知れない。
手が震えない様、注意を払う。
呼吸すら止めて狙いを定めた水色の水風船はゆっくり輪に釣り針が入るとそのまま宙に浮き、目線の高さまでやってくると私は喜びを露わにして隣を振り向くと、既にピンクの水風船を受け取った恵君が得意気な顔をして私を見て居た。
「ちぇ、負けちゃった」
「何の勝負してんすか。邪魔んなるからさっさと行きますよ」
立ち上がった恵に促され、私達は良かったねと勝利の言葉を見知らぬ子供達に貰い、手を振りながらながらその場を後にした。
既に空腹も満たされ、雰囲気を存分に味わい夏祭りを満喫した後となれば目的もなくふらふらと道を歩くだけとなり、時折空に鳴り響く大きな音に視線を奪われると空一面に華麗な花が咲く様子がよく見える。
思わず空を仰ぎ見て、届きもしないのに手を伸ばして居た。
誰もがこの景色を見ている筈なのに、まるで自分のためだけにあつらえられた様な錯覚さえ抱かせ、空に輝く花は隣で同じ景色を見ている恵君の整った容姿に色を添えている気もする。
真正面から見ても綺麗な顔立ちをしていると常々思うけれど、彼の横顔が私は一番綺麗だと思う。
通った鼻筋や長い睫毛は羨ましい限りで、きっともう少し愛想があれば学校でも女の子の視線を独占するに違いないと。
そう考えた時、不思議と胸の辺りがチクチクと針で突かれた様に痛む気がした。
「そう言えば真那さんて子供、好きなんですか?」
「ん?嫌いじゃないけど…特別好きって訳でもないよ。どうして?」
「いや、さっき随分懐かれてたなと思って」
「あぁ。私ね、あの子達位の弟が居たんだよね。生きてたら、恵君より少し年下かな。
小一の時、突然行方不明になっちゃったの。結局今になっても見つかってない。多分それは呪霊のせいなんだと思うけど、当時は結構な騒ぎになったりして。だから、ちょっとね」
「……だから、呪術師になったんですか?」
その刹那、水風船を楽しんだ数人の子ども達が駆け足で私達の横をすり抜ける。
一緒に来たであろう親の元へ戻る途中、こちらに気づいてくれたのか。
その内の一人の子が振り向き大きく手を振ると石畳の僅かな凹凸に脚を取られたのかそのまま転倒して弾みで転がった水風船はパチンと弾けて消えて行く。
両親よりも距離が近かった私が先に駆け寄ると、多少膝は擦りむいた様子ではあったものの大きな怪我はなく胸を撫で下ろす。
けれど今し方まで手元にあったものが無くなってしまった事に肩を落とし、目元は潤んでいた。
それはどうやら同じ様に駆け寄った母親らしき人と共にいる妹への贈り物だったらしい。
自分の痛みを堪えながらごめんねと謝る姿はいじらしくて。
兄の心配をする幼い妹は健気に項垂れる頭を撫でて居り、私がその場に座り込むと母親も我が子を労る様にしながら私に向けて頭を下げた。
絵に描いたような親子の図。
かつて私が当たり前に享受して居た筈の幸せな姿がそこには在った。
羨ましい反面、懐かしさを覚えたのは私も昔、こうして弟の手を引きながらこの雰囲気を味わったことがあるからなのかも知れない。
「そっか。君は優しいお兄ちゃんなんだね。じゃあ、これはそんな君に私からのプレゼント」
差し出した水色の水風船に兄妹が互いの顔を見合わせる。
笑みを崩すことなくどうぞ、と一声かけると男の子は恐る恐る私に手を伸ばし、割れないように気を配りながら私の手から水風船がすり抜けていく。
曇りがちだった顔がみるみる晴れやかなものへと変わる様は見ている此方が驚く程に清々しかった。
ありがとうと、と元気なお礼を述べられると此方の気分まで晴れやかなものへと変わっていく。
母親と互いに頭を下げあって私が今一度別れの挨拶を交わすと、一連の出来事を見守って居た恵君がやってきて私に手を差し伸べた。
「良かったんですか?結構喜んでたじゃないですか」
「うん。取れて満足出来たから。さっきの話だけどね、私には五条先生みたいな立派な理由なんてないよ。ただ、あんなに仲のいい子達が呪霊のせいで悲しみに暮れるのは想像するだけでも胸が痛むから。それが私が呪術師になった理由、かな」
「……そうですか。これ、あげます。俺も取りたかっただけなんで」
恵君は先程自身が取ったばかりの水風船を私に差し出す。
それは彼が選んだものにしては可愛らしいピンクの色のもので、もしかしたら初めからこうしてくれるつもりだったのかも知れない。
元々私が言い出したもので、然程興味も無いのだろう。
断ってしまっては面子を潰してしまうと私はお礼を告げてそれを受け取り、思わず顔を綻ばせると突然片足に違和感を覚えて私がその場に立ち止まる。
「ごめんね。ちょっと待って」
「今度はどうしたんすか」
「鼻緒が切れちゃったみたい……」
「はぁ?」
慣れない履き物のせいか、先ほどから少し痛みはあったけれど楽しい雰囲気を壊したくないからと痩せ我慢をして居たツケが回ってきたのか。
左の足元を見ると指の付け根に触れる箇所は少し血が滲み、支えをなくした鼻緒が浮いてしまって居た。
まさかこんなハプニングに見舞われるとは思わず、慌てふためく私に眉根を寄せた恵君は側まで迫って居た境内の石段まで歩く様に促す。
ひょこひょこと格好のつかない歩き方をする様はせっかくの浴衣すら台無しにしてしまうほど情けないもので、携帯で検索してみた所で和服の知識に疎い私達では応急処置なんて分かるはずもない。
今更になってあからさまに痛いと訴え始めた足は帰れるかどうかも最早怪しい。
慣れない事はするものじゃないと先程まで浮かれて居た気持ちも息を潜めていく。
流石に呆れられただろうと肩を落とすと案の定、頭上からは長く息を吐き出す音が聞こえてくると目の前に映るのは恵君の背中で。
首を傾げた私に向かって早くして下さいと要領を得ない言葉だけが告げられて居た。
「あの、恵君?」
「おぶって帰ります。早く乗って下さい」
「え、悪いよ。肩貸して貰えたらけんけんして帰るから」
「そんな事したってアンタ、絶対どっかで転ぶだろ。良いから、担がれるかおんぶされるか。どっちかすぐに選んでください」
幾ら身長が自分を越していると言っても恵君はまだ中学二年だ。
私自身は比較的小柄な方だとは思うけれど人一人抱えるのは大変な事だろう。
けれど頑なにそれを譲るつもりはないらしい。
思わず先程食べた焼きそばとたこ焼きをやめておけば良かったと後悔しても後の祭りで、その辺りを気にする女心と言うものは彼には理解の及ぶ所ではないらしい。
痺れを切らし始めた恵君に置いて行かれてしまっても困る。
仕方なしに手を伸ばすと、触れた肩は見た目以上に広くて。
すんなり宙に浮いた身体に私は思わず驚きに声をあげて居た。
「ちゃんと捕まってて下さいよ。あと、下駄持ってて下さい」
「あ。うん。ごめんね……重くない?」
「アンタ一人くらいなら俺にだって背負えます。このまま帰りますからね。花火は道中に見るので我慢して下さい」
「……はい」
先程と何らペースが落ちる事なく脚を進める彼は本当に私を背負う事に負担を感じている様子はなかった。
来たばかりの道を戻る事は若干惜しくはあったけれど、こうなってしまっては致し方ないし、歩けない以上もう帰路に着くしか選択肢はない。
行き交う人の視線よりも、見たかった筈の花火よりも、今はただいつの間にこんなに大きくなってしまったのかと自分を平然と持ち上げてしまう彼の成長ぶりに驚かされるばかりで。
脚が地面を蹴るたびに揺れる恵君の髪が時折私の頬をかすめて擽ったかった。
「……俺は、アンタの弟になってやるつもりはないんで」
「何か言った?」
「別に。来年は絶対私服にして下さい」
「来年も一緒に行ってくれるの?」
「アンタが誘ってくれるなら」
相変わらずその言葉は素っ気ない真似ではあったものの、恵君は元より出来ない約束をする様な子ではない。
来年もきっと私が誘えば渋々であったとしても付いてきてくれるのだろう。
わかり難いし不器用だけれど、本当に優しい子だと思う。
私が少しばかり腕に力を込めて擦り寄る様にすると、密着した暑さのせいか少しばかり肌は赤らんでいた。
「約束だよ。私ね、今日がすごく楽しみだったんだから。恵君最近素っ気なかったし、ちょっと寂しかったのかもしれない」
「……次からはそっち行く時、連絡します。またクッキーでも作っといて下さい。久々にアンタの作ったやつが食べたい」
「沢山作りすぎちゃうかも」
「そん時は持って帰る」
「お腹、壊さない様にね」
「もうそんなガキじゃ無いですよ」
「そうだね。大人の男の人みたいでびっくりしちゃった」
ほんの少し辿々しくなった会話は私たちの緊張の表れだったのだろうか。
今、どうしようもなく私の胸が高鳴っている様に、少しくらい恵君の胸も鼓動を早めているのだろうか。
時折空を見上げると雲一つない夜空に輝く大輪の花が私達を一層明るく照らした。
あれ程暑さが煩わしくて早く終われば良いと思って居たのに、もうすぐ終わりを迎える夏が惜しく感じるのはこの時間が少しでも長く続いてほしいと願っているからなのか。
まだ帰りたくないと、頭を擡げる気持ちは一体何なのだろう。
少し暖かい風がゆっくりと私達の頬を掠める。
ほんの少し歩調が落ちた恵君の真意など知る由もなく、高専に戻るまでの間。
恵君の香りがずっと私の鼻を擽り続けていた。
食指を唆る匂いが夕暮れ時の私達のお腹を刺激するとまたしても私の視線がふらふらと彷徨い、それを見た恵君が呆れた溜息を溢した。
時折繋いだ手を引かれ、どちらが引率されている子供かすらもあやふやな状況で。
こんな時でもあまり浮かれない彼は、一体何ならはしゃぐのだろうかと考えつつも私がごめんね、と眉尻を下げると恵君は無言のまま私の腕を引き寄せた。
手を離そうとした訳でもないのに頑なにすぐ隣に居なければ気が済まないのか、横に動けば手を引かれる様は散歩させられている犬にも思える。
けれど未だに目移りが止まらない私を引き寄せるよりも自分がついて回った方が早いと判断したのか。
そのうち私の足先に身体を向ける様になった彼に私は振り向きながら声を掛けた。
「恵君って夏祭り来た事ある?」
「昔、津美紀と少しだけ」
「そっか。じゃあ、もしかしたら私が初デートの相手?それとも、学校の女の子とデートしたことある?」
「は?ある訳ないでしょ。まぁ、津美紀以外と来るのは初めてですけど……」
少し気まずそうに言葉を濁した彼からはその交友関係の狭さが伺える。
それと言うのも幾度か名前を聞いたことのある彼の姉の名前以外、私は恵君から高専以外の友人や親しい人の話を聞いた事がないからだ。
それは一重に人間関係が希薄でそこにストレスを見出してしまう彼だからこそなのだろうけれど、その点については私も似た様なもので、適切な距離感と言うのは様々であり、彼に関してもそれ程心配する必要はないだろう。
津美紀ちゃん以外の初めての人間ということは少なからず私の胸を満たし、受け取り方はそれぞれ違うのだろうけれど謂わば初デートの相手。
それに対して気分をよくすると自然と私の顔は綻び、にんまりと笑みを浮かべた様を見て恵君は訝しげな視線を向けた。
「何笑ってるんですか」
「内緒。あ、恵君っ。かき氷食べようよ」
「おいっ……。またアンタは勝手に離れようとする」
「ね、恵君は何味食べる?私はイチゴにしようかな」
「……じゃあ、青いやつで」
一つの屋台の前で立ち止まった私は素早く注文を済ませると即座に出来上がる赤と青のシロップを掛けられたかき氷を受け取り、そのうちの一つを差し出した。
勿論、代金は私持ちだ。
これで一先ず何か奢って下さいと言われた言葉は守れた筈だろう。
すぐに氷が溶けてな熱気の漂う中、私達は列になる人の波から外れると山盛りとなった氷を頬張った。
ただ歩いているだけでもじんわりと汗ばむ肌には氷の冷たさは心地よく、止まることのない手はあっという間にその量を減らして行く。
「ねぇ、恵君。かき氷のシロップって全部同じ味なの知ってた?」
「は?マジですか?」
「そうらしいよ。あ、一口食べてみる?」
ストローで作られたスプーンの先に掬った氷を差し出すと、またしても恵君が怪訝な顔をして私とスプーンの先を交互に見返す。
早く、溶けちゃうと急かすと恵君の顔が私の手元に寄せられた。
躊躇いがちに開かれた口が氷を口に含むと私の言う通り、味の違いを確かめようとしているのか考え込む素振りを見せ始める。
「同じ、ですか?」
「わかんない?じゃあ、私も一口貰うね」
「あ、おい」
恵君の手元にある既に少し溶け始めてしまった青い氷を掬うとその口からは不満気な声が漏れる。
けれど構う事なくそのスプーンを口に含むと、自分から言い始めた事だと言うのに私の反応は先程の恵君と全く同じ物で。
首を捻りながら鼻に抜ける香りを確かめるとやはりどこか違和感を覚える。
私自身もこの知識はかなり前にテレビで聞き齧っただけのものであり、全てが全く同じ訳ではないのだろうか。
少なからず香料は違う気がするけれど、明確な差異までは分かるわけもなく、視覚による錯覚も大きいのかも知れない。
右に左に首を捻るものの結局ははっきりとした解答に辿り着ける筈もなく。
分かんないね、と苦笑すると恵君は自身の器を静かに眺めながら何か思う所があったらしい。
「アンタ、少しは色々自覚して下さいよ」
「ん?なにが?」
「いや、何でもないです。次たこ焼き、買って下さい」
「うん。あ、そうだ。見て見て、舌真っ赤になってない?」
かき氷を食べた後のお約束と言えば着色料で染まる舌と言っても過言では無いだろう。
薄く引かれたリップを落とさない様に気を配りながらも私がチラッと舌を覗かせると、恵君の視線はほんの一瞬こちらに注がれる。
けれどその後には露骨に視線が逸らされ、少しばかり不機嫌な様子さえ見てとれた。
てっきり笑ってくれるものだと思った私は何か気に障ったのかと言葉を掛けるものの、何でもないとはぐらかされるばかりで。
額にコツンと彼の拳が当てられると私の子供の様な行いを嗜める言葉がやって来た。
「馬鹿やってないでさっさとして下さいよ」
「あはは、ごめんね。楽しくって」
これでは本当に大人と子供の立場が逆転している。
けれどそんな事すら瑣末な事と思えるほどに今の私は久しぶりに恵君と過ごせることが嬉しくて、ただ楽しかった。
食べ終えた容器を今にも溢れ返りそうな近くのダストボックスに押し込み、恵君が再び手を差し出すと私は肩を揺らしながらその手を掴む。
リクエストに応えてたこ焼きを二人で食べて、私の目が欲しくなったからとそれに焼きそばも追加して。
他に欲しいものは無いかと聞いて見ても、存外彼はそこまで欲は無かったらしい。
「真那さんは他に見たい所ないんですか?」
先ほどまで混み合って居た筈の道はいつのまにか少し余裕が見え始め、これから打ち上がる花火を見るために移動する人の姿が見受けられる。
少しばかり暗がりの目立つ場所では自分達の世界に入り込んでしまった恋人達が寄り添う姿さえも垣間見えて。
さすがにそんな場所に恵君を引き込む訳にもいかず、寄り道できる場所を探していると、夏祭りならではの心を擽る屋台が目に留まる。
「ん〜…私もお腹はいっぱいかな。後は花火が見れたら嬉しいけど。あ、水風船やらない?」
「まぁ、良いですけど。取れないからってムキになんないで下さいよ」
「あはは。気をつけます。お兄さん、二回お願いします」
真剣に大きなビニールプールと向かい合う子供達の邪魔をしないように片隅に居場所を作った私はその場にしゃがみ込む。
受け取った釣り針の一つを恵君に渡すと渋々と行った様子を見せながらも隣に座り、けれどその目は水風船を見定めて居る。
隣の子供が水風船と格闘を繰り返し、釣り上げたそれが後一歩の所で水面を打つと跳ねた水が私の髪を僅かに濡らした。
普段ならば既に宵闇に包まれているであろう辺りには未だに灯りが煌々と光り、子供達のはしゃぐ声が鼓膜を打つ。
袖を捲り上げた私も勇んでその輪の中に入り込むと、金魚掬いの袋に水風船、綿菓子の袋と夏祭りを満喫したであろう歴戦の幼い猛者達からの頑張れの激励と共に私の戦いが始まった。
この時の私の集中力たるや、五条先生と体術の訓練を行う時といい勝負だったかも知れない。
手が震えない様、注意を払う。
呼吸すら止めて狙いを定めた水色の水風船はゆっくり輪に釣り針が入るとそのまま宙に浮き、目線の高さまでやってくると私は喜びを露わにして隣を振り向くと、既にピンクの水風船を受け取った恵君が得意気な顔をして私を見て居た。
「ちぇ、負けちゃった」
「何の勝負してんすか。邪魔んなるからさっさと行きますよ」
立ち上がった恵に促され、私達は良かったねと勝利の言葉を見知らぬ子供達に貰い、手を振りながらながらその場を後にした。
既に空腹も満たされ、雰囲気を存分に味わい夏祭りを満喫した後となれば目的もなくふらふらと道を歩くだけとなり、時折空に鳴り響く大きな音に視線を奪われると空一面に華麗な花が咲く様子がよく見える。
思わず空を仰ぎ見て、届きもしないのに手を伸ばして居た。
誰もがこの景色を見ている筈なのに、まるで自分のためだけにあつらえられた様な錯覚さえ抱かせ、空に輝く花は隣で同じ景色を見ている恵君の整った容姿に色を添えている気もする。
真正面から見ても綺麗な顔立ちをしていると常々思うけれど、彼の横顔が私は一番綺麗だと思う。
通った鼻筋や長い睫毛は羨ましい限りで、きっともう少し愛想があれば学校でも女の子の視線を独占するに違いないと。
そう考えた時、不思議と胸の辺りがチクチクと針で突かれた様に痛む気がした。
「そう言えば真那さんて子供、好きなんですか?」
「ん?嫌いじゃないけど…特別好きって訳でもないよ。どうして?」
「いや、さっき随分懐かれてたなと思って」
「あぁ。私ね、あの子達位の弟が居たんだよね。生きてたら、恵君より少し年下かな。
小一の時、突然行方不明になっちゃったの。結局今になっても見つかってない。多分それは呪霊のせいなんだと思うけど、当時は結構な騒ぎになったりして。だから、ちょっとね」
「……だから、呪術師になったんですか?」
その刹那、水風船を楽しんだ数人の子ども達が駆け足で私達の横をすり抜ける。
一緒に来たであろう親の元へ戻る途中、こちらに気づいてくれたのか。
その内の一人の子が振り向き大きく手を振ると石畳の僅かな凹凸に脚を取られたのかそのまま転倒して弾みで転がった水風船はパチンと弾けて消えて行く。
両親よりも距離が近かった私が先に駆け寄ると、多少膝は擦りむいた様子ではあったものの大きな怪我はなく胸を撫で下ろす。
けれど今し方まで手元にあったものが無くなってしまった事に肩を落とし、目元は潤んでいた。
それはどうやら同じ様に駆け寄った母親らしき人と共にいる妹への贈り物だったらしい。
自分の痛みを堪えながらごめんねと謝る姿はいじらしくて。
兄の心配をする幼い妹は健気に項垂れる頭を撫でて居り、私がその場に座り込むと母親も我が子を労る様にしながら私に向けて頭を下げた。
絵に描いたような親子の図。
かつて私が当たり前に享受して居た筈の幸せな姿がそこには在った。
羨ましい反面、懐かしさを覚えたのは私も昔、こうして弟の手を引きながらこの雰囲気を味わったことがあるからなのかも知れない。
「そっか。君は優しいお兄ちゃんなんだね。じゃあ、これはそんな君に私からのプレゼント」
差し出した水色の水風船に兄妹が互いの顔を見合わせる。
笑みを崩すことなくどうぞ、と一声かけると男の子は恐る恐る私に手を伸ばし、割れないように気を配りながら私の手から水風船がすり抜けていく。
曇りがちだった顔がみるみる晴れやかなものへと変わる様は見ている此方が驚く程に清々しかった。
ありがとうと、と元気なお礼を述べられると此方の気分まで晴れやかなものへと変わっていく。
母親と互いに頭を下げあって私が今一度別れの挨拶を交わすと、一連の出来事を見守って居た恵君がやってきて私に手を差し伸べた。
「良かったんですか?結構喜んでたじゃないですか」
「うん。取れて満足出来たから。さっきの話だけどね、私には五条先生みたいな立派な理由なんてないよ。ただ、あんなに仲のいい子達が呪霊のせいで悲しみに暮れるのは想像するだけでも胸が痛むから。それが私が呪術師になった理由、かな」
「……そうですか。これ、あげます。俺も取りたかっただけなんで」
恵君は先程自身が取ったばかりの水風船を私に差し出す。
それは彼が選んだものにしては可愛らしいピンクの色のもので、もしかしたら初めからこうしてくれるつもりだったのかも知れない。
元々私が言い出したもので、然程興味も無いのだろう。
断ってしまっては面子を潰してしまうと私はお礼を告げてそれを受け取り、思わず顔を綻ばせると突然片足に違和感を覚えて私がその場に立ち止まる。
「ごめんね。ちょっと待って」
「今度はどうしたんすか」
「鼻緒が切れちゃったみたい……」
「はぁ?」
慣れない履き物のせいか、先ほどから少し痛みはあったけれど楽しい雰囲気を壊したくないからと痩せ我慢をして居たツケが回ってきたのか。
左の足元を見ると指の付け根に触れる箇所は少し血が滲み、支えをなくした鼻緒が浮いてしまって居た。
まさかこんなハプニングに見舞われるとは思わず、慌てふためく私に眉根を寄せた恵君は側まで迫って居た境内の石段まで歩く様に促す。
ひょこひょこと格好のつかない歩き方をする様はせっかくの浴衣すら台無しにしてしまうほど情けないもので、携帯で検索してみた所で和服の知識に疎い私達では応急処置なんて分かるはずもない。
今更になってあからさまに痛いと訴え始めた足は帰れるかどうかも最早怪しい。
慣れない事はするものじゃないと先程まで浮かれて居た気持ちも息を潜めていく。
流石に呆れられただろうと肩を落とすと案の定、頭上からは長く息を吐き出す音が聞こえてくると目の前に映るのは恵君の背中で。
首を傾げた私に向かって早くして下さいと要領を得ない言葉だけが告げられて居た。
「あの、恵君?」
「おぶって帰ります。早く乗って下さい」
「え、悪いよ。肩貸して貰えたらけんけんして帰るから」
「そんな事したってアンタ、絶対どっかで転ぶだろ。良いから、担がれるかおんぶされるか。どっちかすぐに選んでください」
幾ら身長が自分を越していると言っても恵君はまだ中学二年だ。
私自身は比較的小柄な方だとは思うけれど人一人抱えるのは大変な事だろう。
けれど頑なにそれを譲るつもりはないらしい。
思わず先程食べた焼きそばとたこ焼きをやめておけば良かったと後悔しても後の祭りで、その辺りを気にする女心と言うものは彼には理解の及ぶ所ではないらしい。
痺れを切らし始めた恵君に置いて行かれてしまっても困る。
仕方なしに手を伸ばすと、触れた肩は見た目以上に広くて。
すんなり宙に浮いた身体に私は思わず驚きに声をあげて居た。
「ちゃんと捕まってて下さいよ。あと、下駄持ってて下さい」
「あ。うん。ごめんね……重くない?」
「アンタ一人くらいなら俺にだって背負えます。このまま帰りますからね。花火は道中に見るので我慢して下さい」
「……はい」
先程と何らペースが落ちる事なく脚を進める彼は本当に私を背負う事に負担を感じている様子はなかった。
来たばかりの道を戻る事は若干惜しくはあったけれど、こうなってしまっては致し方ないし、歩けない以上もう帰路に着くしか選択肢はない。
行き交う人の視線よりも、見たかった筈の花火よりも、今はただいつの間にこんなに大きくなってしまったのかと自分を平然と持ち上げてしまう彼の成長ぶりに驚かされるばかりで。
脚が地面を蹴るたびに揺れる恵君の髪が時折私の頬をかすめて擽ったかった。
「……俺は、アンタの弟になってやるつもりはないんで」
「何か言った?」
「別に。来年は絶対私服にして下さい」
「来年も一緒に行ってくれるの?」
「アンタが誘ってくれるなら」
相変わらずその言葉は素っ気ない真似ではあったものの、恵君は元より出来ない約束をする様な子ではない。
来年もきっと私が誘えば渋々であったとしても付いてきてくれるのだろう。
わかり難いし不器用だけれど、本当に優しい子だと思う。
私が少しばかり腕に力を込めて擦り寄る様にすると、密着した暑さのせいか少しばかり肌は赤らんでいた。
「約束だよ。私ね、今日がすごく楽しみだったんだから。恵君最近素っ気なかったし、ちょっと寂しかったのかもしれない」
「……次からはそっち行く時、連絡します。またクッキーでも作っといて下さい。久々にアンタの作ったやつが食べたい」
「沢山作りすぎちゃうかも」
「そん時は持って帰る」
「お腹、壊さない様にね」
「もうそんなガキじゃ無いですよ」
「そうだね。大人の男の人みたいでびっくりしちゃった」
ほんの少し辿々しくなった会話は私たちの緊張の表れだったのだろうか。
今、どうしようもなく私の胸が高鳴っている様に、少しくらい恵君の胸も鼓動を早めているのだろうか。
時折空を見上げると雲一つない夜空に輝く大輪の花が私達を一層明るく照らした。
あれ程暑さが煩わしくて早く終われば良いと思って居たのに、もうすぐ終わりを迎える夏が惜しく感じるのはこの時間が少しでも長く続いてほしいと願っているからなのか。
まだ帰りたくないと、頭を擡げる気持ちは一体何なのだろう。
少し暖かい風がゆっくりと私達の頬を掠める。
ほんの少し歩調が落ちた恵君の真意など知る由もなく、高専に戻るまでの間。
恵君の香りがずっと私の鼻を擽り続けていた。