たとえ、どんなに
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
伏黒 side
今でもアンタの夢を見ると全部嘘だったんじゃ無いかと錯覚する。
朝起きて、自分が見慣れた高専の部屋に身を置いて居る事に気がつくと悲観したくなる自分に気づく。
知り合ってからおよそ数年。
けれどずっとその距離は遠く、その内のたった一年を睦まじく過ごし、想いを通わせたのは更に僅かな期間だった。
それは結果としては救いのない最悪なもので、不幸なものでしか無かった気もする。
けれど、切ないにも思える短い夏の幻が、ずっと俺の胸の中には宿って居る。
人の価値とはその人が得たものでは無く、その人が与えたもので測られるのだと。
昔読んだ本の中で、そんな事をどっかの偉人が唱えていた事を思い出す。
それは強ち間違いじゃないんだろう。
アンタと過ごした日々は、俺の中で一番星のように今も光り輝いて居て、数え切れない程の大切なものを俺は真那さんに貰った。
それだけで俺にとってアンタはずっとかけがえのない存在に変わりがないんだ。
既にあの日から半年以上の月日が経過して居る。
あれから俺は無事に中学を卒業して、この春から高専の門を潜り呪術師となった。
けれど、当然の事ながら俺の入学を待ち侘びてくれていた筈の真那さんの姿はそこには無い。
繁忙期に差し掛かり、煩わしくなり始めた初夏の日差しを浴びると、俺が思い出すのは真那さんと初めて会った時のことばかりで。
どうにも自分が出会った頃の真那さんと同じ年になった事に違和感を抱かざるを得なかった。
記憶のあの人は今の俺よりも大人びて居て、きっとそれはこの先俺が真那さんの年齢を追い越しても変わる事はないのだろう。
奇しくも俺も真那さんと同様に一人の入学となり、大した付き合いは無かったものの、中学時代の賑やかな喧騒がふと恋しくも思える時もある。
反面、先輩には恵まれたのか。
四人の癖の強い先輩に囲まれながら俺の高専生活はそれなりに充実していたと思える。
それなのに時折感じる穴の空いた様な感覚は、そこに真那さんが居ないからなのだろうか。
どこもかしこも見慣れた風景の中に、隣にいた筈の真那さんの面影を今も探し続けている自分がいる。
先生も家入さんも、伊地知さんさえも俺の前で時折懐かしむ様に真那さんの話をするようになり、その存在は風化する事なく思い出として俺や関わった人達の中に残って居るのに。
自身が残り僅かな命と知ってからは他人と距離を取っていたのか、先輩達はその存在を朧気にしか認識していなかった。
以前、先生に一人きりの学生生活の中でガキだった俺の存在が癒しだったと言われた時には疑って掛かったものの、間違いでは無かったらしい。
そうだとしたのなら、俺もアンタに何か残す事が出来たのだろうか。
「なぁ、アンタは……もう悔いは残してないんですよね。これで、良かったんですよね」
真那さんの遺体はあの日、先生がやってきてから然るべき処置をされて弔われた。
半身が呪霊となり掛けて居た為、内々に行われた葬儀に参列する者は少なく、その死因も任務によるものとして処理されて居る。
そんな事は高専では日常の出来事で、関わりの薄い人間の記憶から真那さんの影は少しずつ薄れて行って居るのを感じるのがもどかしい。
今は高専の敷地内の共同墓地で安らかな眠りに付き、俺は時折こうして真那さんの元を訪れる事が習慣になって居た。
そこには絶えずここに眠る誰かの為に手向けられて居るであろう献花が置かれており、俺は毎回手ぶらできてしまう事に心苦しさを感じて居た。
花の一つでも手向けてやればと思うのに、アンタの好きな花を俺は知らない。
好きな映画や、好む本も、何一つ知らなかった。
唯一知って居るのは甘いものがあまり得意では無いと言う事だけで、贈り物の一つすらしてやらなかった自分は、気持ちを押し付けるだけで一体あの人の何を見てきたのかと過去の自分を責め立てたくなる。
いつのまにか真那さんを思い出す時には、俺は必ず左手首に手を置く事が癖になって居た。
これは先日、同行した補助監督が教えてくれた話だ。
真那さんのものだったブレスレットの石はどうやら恋愛の御守りなのだと言う。
随分悩ましげな顔をして居たからと相談に乗り、共に買い物に行った時の真那さんの真剣な表情と渡すのが楽しみだと喜びを露わにしてはにかんだ顔は忘れはしないと、そう告げて居た。
その補助監督にさえ真那さんの死の真相は明かされて居ない。
ただ目元を潤ませながら残念でしたと、そう言葉を溢した彼女は俺が双方のブレスレットを身につけて居る事に気が付くと一層瞳を潤ませ、真那さんの恋は実ったのだと、そう勘づいてくれて居るのだろう。
……アンタの想いなんて、とうの昔に叶ってんだよ。
既に実って居た恋愛成就なんて祈るくらいなら、自分のもっと別の欲を優先すれば良かったんだ。
そう憎まれ口を叩きたくなるのに、唯一の贈り物が一層愛おしく感じるのは、それ以外に俺の手元に残るものが何も無いからだろうか。
アンタから貰ったものは形あるものばかりでは無く、それはきっと今後の俺の生き方さえも左右するものなのだろう。
「……また来ます。今度はなんか花、持ってくるんで。夢に出てきたら教えて下さい。アンタの好きな花」
その刹那、薫風が一度俺の頬を包み込む。
それはまるで真那さんが俺に触れた時と同じ様な優しさを感じさせ、不意に目の奥が熱くなる。
……忘れはしない。
アンタの声も、笑顔も、香りも。
何れ少しずつ薄れていくのだろうけれど、その存在だけはずっと俺の中に宿り続けて居るから。
墓石に向けて僅かに笑みを浮かべた。
風に乗って耳元で真那さんの声を聞いた気がする。
その心地よい音に耳を傾けながら、俺は昼練を始めるから戻ってこいと連絡を寄越した先輩達の元へと向かった。
そしてその後やってくる新たな出会いは、俺にとって様々なものを齎し、俺の運命さえも翻弄していく事になる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
記録ーーー二〇十八年 六月 宮城県仙台市
特級呪具、両面宿儺の指。
その回収任務に当たった俺は市内のとある高校に赴く事になる。
しかし、現地に俺が到着した時。
保管されて居るとされて居た学校の百葉箱の中にはその存在が見当たらなかった。
呪物の行方を追う中で、俺は虎杖悠仁と言う一人の人間と知り合う事になり、部活の先輩が持ち出したと言うその呪物の行方を追う事になる。
問題はその呪物が特級である事。
更に封印が年代物だと言う事。
そして仮にその封印が解かれて仕舞えば、俺一人の手に負える状況ではなくなる。
共に必死に気配を追う中で、今にも取り込まれそうになって居る生徒を助けたのは俺ではなく虎杖だった。
一般人の癖に先輩が心配だとそんな理由で自ら呪いの坩堝に身を投じ、俺を助ける為に特級呪物を飲み込んだ。
ただの馬鹿としか言いようがない。
しかしその呪物が受肉に成功し、呪いの王が顕現した時。
その最悪の事態が、あの時の事と重なった気がした。
受肉してしまった以上、虎杖は呪として祓うしか出来ない。
けれど俺にはその力が圧倒的に足りて居ない。
その状況を覆したのは観光がてら様子を見にやってきた先生だった。
そして分かった事は虎杖悠仁は両面宿儺の指を受肉しても尚、自我を保ち呪いの王を完全に制御できて居ると言う事。
……その日、俺はあの時と同じ選択を先生から突きつけられた。
規定に則れば死刑は確実。
ただ、俺や他人を身を挺してまで守ろうとした虎杖の存在は俺にとって善人であり、昔ガキの頃に真那さんから聞いた言葉が頭の中に蘇っていく。
『呪術師ってね、しんどい事が多いの。いつも命の選択を迫られる。本当ならこっちが正しいのに違う方が良いって譲れないと思う時もある。そんな時は自分の直感に頼った方が良いよ。その方が、悔いはきっと残さないから』
正しい事より我を通す事の意味がその時の俺には理解できなかった。
けれど、今ならその言葉が身に染みる程に理解出来る気がする。
死の間際、自分が幸せで居て欲しい人の事は守ってあげてと。
そう言った言葉は驚くほどにすんなりと俺の中に落ちて居て、アンタの残して行ったものの息吹を感じた。
……本来ならアンタも、その内の一人だった。
今だってもっと何か出来た事があったのでは無いかと思う。
もっとああしていれば、こうしていればとそんな思考に苛まれる。
ただ今の俺が言えるのは虎杖は善人だ。
そして俺の思いは知り合ったばかりの虎杖を殺したく無いと言う事だけで、そこには明確な根拠も論理的な思考も何も無かった。
ただの直感、そうとしか言いようがなく、それはきっと真那さんの残した言葉の意味と同じなのだろう。
仮に虎杖を助けたからってアンタが帰ってくるわけじゃ無い。
他の誰かを助けた所で津美紀が起きるわけでも無い。
それでも……俺は俺の意志で、この選択をしたんだ。
アンタを救えなかった贖罪をしたいわけじゃ無い。
アンタを殺したと言う事実は、俺が一生背負っていく。
それこそがこの想いに報いる唯一の手段であり、俺がアンタを忘れない方法だとも思って居る。
……俺は、俺達は呪術師だ。
正義のヒーローでもなんでもないし、助けを求める全ての人を救えるわけでも無い。
それでも、俺はアンタにとっての救いになれたと自惚れても良いだろうか。
もしかしたら、いつかこの時を後悔する日が来るのかもしれない。
けれど今、此処で躊躇ったとしたのなら。
俺は今日の日のことを一生後悔して行く。
それだけは確かだ。
因果応報なんてものは存在しない。
誰かを傷つけたら必ずしも報いがある訳でもない。
善人が真っ当な死を遂げられる保証はこの世界のどこにもない。
そうでなければ津美紀が呪われた理由も、真那さんが呪われた理由も俺には理解が出来ないからだ。
誰がどう見ても津美紀も真那さんも善人だった。
それでも二人は呪われ、真那さんはその命すら奪われた。
仮に俺にとっては善人だった二人が誰かにとっての悪人であったとしても。
それは誰しも同じ事が言える。
不幸は常に背後から誰にでも牙を向き、それには善行も悪行も関係がない。
呪いが蔓延り廻る世の中で、不平等こそが平等と言うのならば……。
俺はその全てを肯定した上で、否定する。
「規定に従えば虎杖は死刑です。でも死なせたくありません」
「……私情?」
「私情です。なんとかしてください」
先生が意味ありげに口角を上げて問いかけた時、俺は無意識の内に左の手首を掴んでいた。
その意味を知るであろう先生はほんの一瞬、その雰囲気を和らげた気もする。
あの人の遺志が俺の中に確かに生きて居るから。
自分の脳裏に描いた虚像。
真那さんが優しく自分に向けて笑いかけて居る気がした。
呪われるべく人間がのうのうと生きて、呪われちゃいけない人間が呪われる世界なんて…クソくらえだ。
まるで全てを見透かす様に、それが最適解とでも言いたげに、先生は喉の奥から笑い声を上げた。
それは少なからずこの人にさえも真那さんの存在が影響を与えて居るからなのかもしれない。
制服の裾から覗くブレスレットが、月明かりに照らされて煌めいた。
それが真那さんの答えだとでも言いたげに。
アンタとの約束は守る。
己の意思を曲げはしない。
だから……俺は。
俺の心の向くままに。
……我が侭に、不平等に人を助ける。
今でもアンタの夢を見ると全部嘘だったんじゃ無いかと錯覚する。
朝起きて、自分が見慣れた高専の部屋に身を置いて居る事に気がつくと悲観したくなる自分に気づく。
知り合ってからおよそ数年。
けれどずっとその距離は遠く、その内のたった一年を睦まじく過ごし、想いを通わせたのは更に僅かな期間だった。
それは結果としては救いのない最悪なもので、不幸なものでしか無かった気もする。
けれど、切ないにも思える短い夏の幻が、ずっと俺の胸の中には宿って居る。
人の価値とはその人が得たものでは無く、その人が与えたもので測られるのだと。
昔読んだ本の中で、そんな事をどっかの偉人が唱えていた事を思い出す。
それは強ち間違いじゃないんだろう。
アンタと過ごした日々は、俺の中で一番星のように今も光り輝いて居て、数え切れない程の大切なものを俺は真那さんに貰った。
それだけで俺にとってアンタはずっとかけがえのない存在に変わりがないんだ。
既にあの日から半年以上の月日が経過して居る。
あれから俺は無事に中学を卒業して、この春から高専の門を潜り呪術師となった。
けれど、当然の事ながら俺の入学を待ち侘びてくれていた筈の真那さんの姿はそこには無い。
繁忙期に差し掛かり、煩わしくなり始めた初夏の日差しを浴びると、俺が思い出すのは真那さんと初めて会った時のことばかりで。
どうにも自分が出会った頃の真那さんと同じ年になった事に違和感を抱かざるを得なかった。
記憶のあの人は今の俺よりも大人びて居て、きっとそれはこの先俺が真那さんの年齢を追い越しても変わる事はないのだろう。
奇しくも俺も真那さんと同様に一人の入学となり、大した付き合いは無かったものの、中学時代の賑やかな喧騒がふと恋しくも思える時もある。
反面、先輩には恵まれたのか。
四人の癖の強い先輩に囲まれながら俺の高専生活はそれなりに充実していたと思える。
それなのに時折感じる穴の空いた様な感覚は、そこに真那さんが居ないからなのだろうか。
どこもかしこも見慣れた風景の中に、隣にいた筈の真那さんの面影を今も探し続けている自分がいる。
先生も家入さんも、伊地知さんさえも俺の前で時折懐かしむ様に真那さんの話をするようになり、その存在は風化する事なく思い出として俺や関わった人達の中に残って居るのに。
自身が残り僅かな命と知ってからは他人と距離を取っていたのか、先輩達はその存在を朧気にしか認識していなかった。
以前、先生に一人きりの学生生活の中でガキだった俺の存在が癒しだったと言われた時には疑って掛かったものの、間違いでは無かったらしい。
そうだとしたのなら、俺もアンタに何か残す事が出来たのだろうか。
「なぁ、アンタは……もう悔いは残してないんですよね。これで、良かったんですよね」
真那さんの遺体はあの日、先生がやってきてから然るべき処置をされて弔われた。
半身が呪霊となり掛けて居た為、内々に行われた葬儀に参列する者は少なく、その死因も任務によるものとして処理されて居る。
そんな事は高専では日常の出来事で、関わりの薄い人間の記憶から真那さんの影は少しずつ薄れて行って居るのを感じるのがもどかしい。
今は高専の敷地内の共同墓地で安らかな眠りに付き、俺は時折こうして真那さんの元を訪れる事が習慣になって居た。
そこには絶えずここに眠る誰かの為に手向けられて居るであろう献花が置かれており、俺は毎回手ぶらできてしまう事に心苦しさを感じて居た。
花の一つでも手向けてやればと思うのに、アンタの好きな花を俺は知らない。
好きな映画や、好む本も、何一つ知らなかった。
唯一知って居るのは甘いものがあまり得意では無いと言う事だけで、贈り物の一つすらしてやらなかった自分は、気持ちを押し付けるだけで一体あの人の何を見てきたのかと過去の自分を責め立てたくなる。
いつのまにか真那さんを思い出す時には、俺は必ず左手首に手を置く事が癖になって居た。
これは先日、同行した補助監督が教えてくれた話だ。
真那さんのものだったブレスレットの石はどうやら恋愛の御守りなのだと言う。
随分悩ましげな顔をして居たからと相談に乗り、共に買い物に行った時の真那さんの真剣な表情と渡すのが楽しみだと喜びを露わにしてはにかんだ顔は忘れはしないと、そう告げて居た。
その補助監督にさえ真那さんの死の真相は明かされて居ない。
ただ目元を潤ませながら残念でしたと、そう言葉を溢した彼女は俺が双方のブレスレットを身につけて居る事に気が付くと一層瞳を潤ませ、真那さんの恋は実ったのだと、そう勘づいてくれて居るのだろう。
……アンタの想いなんて、とうの昔に叶ってんだよ。
既に実って居た恋愛成就なんて祈るくらいなら、自分のもっと別の欲を優先すれば良かったんだ。
そう憎まれ口を叩きたくなるのに、唯一の贈り物が一層愛おしく感じるのは、それ以外に俺の手元に残るものが何も無いからだろうか。
アンタから貰ったものは形あるものばかりでは無く、それはきっと今後の俺の生き方さえも左右するものなのだろう。
「……また来ます。今度はなんか花、持ってくるんで。夢に出てきたら教えて下さい。アンタの好きな花」
その刹那、薫風が一度俺の頬を包み込む。
それはまるで真那さんが俺に触れた時と同じ様な優しさを感じさせ、不意に目の奥が熱くなる。
……忘れはしない。
アンタの声も、笑顔も、香りも。
何れ少しずつ薄れていくのだろうけれど、その存在だけはずっと俺の中に宿り続けて居るから。
墓石に向けて僅かに笑みを浮かべた。
風に乗って耳元で真那さんの声を聞いた気がする。
その心地よい音に耳を傾けながら、俺は昼練を始めるから戻ってこいと連絡を寄越した先輩達の元へと向かった。
そしてその後やってくる新たな出会いは、俺にとって様々なものを齎し、俺の運命さえも翻弄していく事になる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
記録ーーー二〇十八年 六月 宮城県仙台市
特級呪具、両面宿儺の指。
その回収任務に当たった俺は市内のとある高校に赴く事になる。
しかし、現地に俺が到着した時。
保管されて居るとされて居た学校の百葉箱の中にはその存在が見当たらなかった。
呪物の行方を追う中で、俺は虎杖悠仁と言う一人の人間と知り合う事になり、部活の先輩が持ち出したと言うその呪物の行方を追う事になる。
問題はその呪物が特級である事。
更に封印が年代物だと言う事。
そして仮にその封印が解かれて仕舞えば、俺一人の手に負える状況ではなくなる。
共に必死に気配を追う中で、今にも取り込まれそうになって居る生徒を助けたのは俺ではなく虎杖だった。
一般人の癖に先輩が心配だとそんな理由で自ら呪いの坩堝に身を投じ、俺を助ける為に特級呪物を飲み込んだ。
ただの馬鹿としか言いようがない。
しかしその呪物が受肉に成功し、呪いの王が顕現した時。
その最悪の事態が、あの時の事と重なった気がした。
受肉してしまった以上、虎杖は呪として祓うしか出来ない。
けれど俺にはその力が圧倒的に足りて居ない。
その状況を覆したのは観光がてら様子を見にやってきた先生だった。
そして分かった事は虎杖悠仁は両面宿儺の指を受肉しても尚、自我を保ち呪いの王を完全に制御できて居ると言う事。
……その日、俺はあの時と同じ選択を先生から突きつけられた。
規定に則れば死刑は確実。
ただ、俺や他人を身を挺してまで守ろうとした虎杖の存在は俺にとって善人であり、昔ガキの頃に真那さんから聞いた言葉が頭の中に蘇っていく。
『呪術師ってね、しんどい事が多いの。いつも命の選択を迫られる。本当ならこっちが正しいのに違う方が良いって譲れないと思う時もある。そんな時は自分の直感に頼った方が良いよ。その方が、悔いはきっと残さないから』
正しい事より我を通す事の意味がその時の俺には理解できなかった。
けれど、今ならその言葉が身に染みる程に理解出来る気がする。
死の間際、自分が幸せで居て欲しい人の事は守ってあげてと。
そう言った言葉は驚くほどにすんなりと俺の中に落ちて居て、アンタの残して行ったものの息吹を感じた。
……本来ならアンタも、その内の一人だった。
今だってもっと何か出来た事があったのでは無いかと思う。
もっとああしていれば、こうしていればとそんな思考に苛まれる。
ただ今の俺が言えるのは虎杖は善人だ。
そして俺の思いは知り合ったばかりの虎杖を殺したく無いと言う事だけで、そこには明確な根拠も論理的な思考も何も無かった。
ただの直感、そうとしか言いようがなく、それはきっと真那さんの残した言葉の意味と同じなのだろう。
仮に虎杖を助けたからってアンタが帰ってくるわけじゃ無い。
他の誰かを助けた所で津美紀が起きるわけでも無い。
それでも……俺は俺の意志で、この選択をしたんだ。
アンタを救えなかった贖罪をしたいわけじゃ無い。
アンタを殺したと言う事実は、俺が一生背負っていく。
それこそがこの想いに報いる唯一の手段であり、俺がアンタを忘れない方法だとも思って居る。
……俺は、俺達は呪術師だ。
正義のヒーローでもなんでもないし、助けを求める全ての人を救えるわけでも無い。
それでも、俺はアンタにとっての救いになれたと自惚れても良いだろうか。
もしかしたら、いつかこの時を後悔する日が来るのかもしれない。
けれど今、此処で躊躇ったとしたのなら。
俺は今日の日のことを一生後悔して行く。
それだけは確かだ。
因果応報なんてものは存在しない。
誰かを傷つけたら必ずしも報いがある訳でもない。
善人が真っ当な死を遂げられる保証はこの世界のどこにもない。
そうでなければ津美紀が呪われた理由も、真那さんが呪われた理由も俺には理解が出来ないからだ。
誰がどう見ても津美紀も真那さんも善人だった。
それでも二人は呪われ、真那さんはその命すら奪われた。
仮に俺にとっては善人だった二人が誰かにとっての悪人であったとしても。
それは誰しも同じ事が言える。
不幸は常に背後から誰にでも牙を向き、それには善行も悪行も関係がない。
呪いが蔓延り廻る世の中で、不平等こそが平等と言うのならば……。
俺はその全てを肯定した上で、否定する。
「規定に従えば虎杖は死刑です。でも死なせたくありません」
「……私情?」
「私情です。なんとかしてください」
先生が意味ありげに口角を上げて問いかけた時、俺は無意識の内に左の手首を掴んでいた。
その意味を知るであろう先生はほんの一瞬、その雰囲気を和らげた気もする。
あの人の遺志が俺の中に確かに生きて居るから。
自分の脳裏に描いた虚像。
真那さんが優しく自分に向けて笑いかけて居る気がした。
呪われるべく人間がのうのうと生きて、呪われちゃいけない人間が呪われる世界なんて…クソくらえだ。
まるで全てを見透かす様に、それが最適解とでも言いたげに、先生は喉の奥から笑い声を上げた。
それは少なからずこの人にさえも真那さんの存在が影響を与えて居るからなのかもしれない。
制服の裾から覗くブレスレットが、月明かりに照らされて煌めいた。
それが真那さんの答えだとでも言いたげに。
アンタとの約束は守る。
己の意思を曲げはしない。
だから……俺は。
俺の心の向くままに。
……我が侭に、不平等に人を助ける。