空蝉
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空っぽだった。
まるで蝉の抜け殻のような。
明確な目的や夢なんて無い、適当にただ生きるだけの存在。
…それが私だった。
ーーー禪院家に非ずんば呪術師に非ず、呪術師に非ずんば人に非ず
呪術界御三家、禪院の家に生まれ大して役に立たない術式に恵まれてしまったことが不幸の始まりだったのかも知れない。
禪院では男児は入隊を義務付けられる組織があり、術式を持てば女児とてそれは例外では無かった。
高専資格条件で準一級以上の実力を認められた者達で構成さる「炳」
術式を所持しているが「炳」の銘打ち条件を満たしていない術師で構成される「灯」
そしてその条件すら満たさない、術式を持たない下部組織の「躯倶留隊」
…私は中途半端な術式を持ったが故に、何も持たなければ雑用として終えることの出来た生を「灯」として生きる事を両親に強制される。
一つ下に自分と同じ条件を満たした真衣が居り、その片割れの真希が自ら志願して躯倶留隊に所属して居た…。
女を尻と胸でしか判断できないクズの当主嫡男は私達のことをよく蹴り飛ばしては嘲笑い、クズの横暴に鬱憤を溜めた人達の捌け口にされ続ける。
高専にやって来たのは、呪術師になりたかった訳ではなく…逃げたかったからに過ぎなかった。
入学当時、クラスメイトは三人居た。
東堂葵、西宮桃、そして…加茂憲紀。
一般家庭出身の東堂と、お家柄出身の私達。
とりわけ加茂は私と同じ御三家の出で…相伝の術式を受け継ぐ嫡男であり、次期当主としての自覚を持ち御三家嫡流としての矜持の高さを意識するコイツが…私はとにかく気に入らなかった。
「君は禪院家の出だと聞いているが…やはり出来は良くないらしいな」
「だから何?先に言っとく、来年も禪院の人間が入学してくる。真希や真衣にそれを言うようなら容赦しない」
「二人とも、仲良くしようよ…」
桃が箒を抱えながら私と加茂のやりとりを不安な面持ちで見つめ、東堂はお気に入りのアイドルの事を一方的に語る。
一年になったばかりの頃から私はアイツが嫌いになり、御三家としての自覚が足りないと何かと私に己の思想を押し付けてくる加茂がうざくて堪らなかった。
連携なんて取れたものではなく、単独任務が可能な三人に対して私だけが落ちこぼれの三級と言うこともあり、逃げて来たはずなのに己の中に日々劣等感が募っていく。
二級以下に単独任務は行えない。
桃は術式的に索敵には優れているものの攻撃に特化してはおらず、特級術師、九十九由基のスカウトにより高専にやってきた東堂は流石と言うべきか一般家庭の出身にもかかわらず早々一級術師へと上り詰めてしまい…必然的に、私は加茂と組まされることが増えていきその度に鬱憤を溜めていた。
「…またアンタと任務だってさ」
「不満か?」
「当然」
「何故だ?」
「自分の胸に聞いてみたら?」
私の言葉に加茂は首を傾げながら己の胸に何故だと語りかける。
態と私を煽っているのか、それともただの馬鹿なのか…。
二年になっても相変わらず私たちの仲はいいとは言えず、釘を刺したはずなのに真衣の入学早々コイツは私に向けた言葉と同じ事を吐き私の逆鱗を撫でた。
悪意なくそれをやるからタチが悪いとしか言いようがないが、幸い真衣は昔ほどか弱くは無くその言葉を舌打ちをしながらも躱してくれた。
「今日の任務もそれほど難易度は高くない。分かっていると思うが如月は私の指示に従って…」
「五月蝿いよ。難易度高くないなら私に構わないで。勝手にやって終わらせるからその辺で茶でも飲んでれば?」
「茶が飲みたいのか?」
「…アンタとの会話疲れる」
その日の任務地の手前、私の言葉をどう捉えたのか目の前の自販機に向かった加茂は懐から財布を取り出すといそいそとお茶を買い始める。
任務前に荷物増やして馬鹿なんじゃないかと思うものの、手には二つのペットボトルが握られており、加茂はその一つを私に差し出した。
「…何?」
「飲みたかったんじゃないのか?」
「言ってないし」
「だが買ってしまった」
困ったように加茂は手にしたペットボトルを眺めて私に差し出す。
自分の分と思われるものはしっかりと懐に仕舞い込んでおり、コイツは任務前に何してるんだと…呆れてものも言えなくなった。
「水分補給は大事だ。夏場は暑さが堪える。熱中症にでもなったら大変だろう」
「梅干しでも食ってろ平安貴族」
「私は現代人だ。それに生憎梅干しは持ち合わせて居ない」
もしその狩衣装束からタッパーにでも詰められた梅干しなんて出て来た日にはその重苦しい衣類の中に何を隠し持っているのかと、私は好奇心に勝てそうにない。
くだらない会話さえコイツとだと普段の数倍体力を消費する気がするのは気のせいではない無いだろう。
…天然とはある意味最強で恐ろしい。
帳が降りた宵闇の空間。
ずかずかとその中に脚を踏み入れる私の背後から加茂が続いていた。
「…なんかおかしい」
「そうだな。油断するな」
辺りに蔓延る呪いの気配。
それなのに、それに見合う姿が全く見つからない。
任務地は人里離れたキャンプ場の一角だった。
数年に一度は川で死亡者が出ているような…曰く付きの場所であり、近隣の住民の間では「出る」と専らの評判だと言う。
大型連休前の平日という事と、事前に高専側が手を回しているおかげで人の気配は感じられない。
祓ってしまえば…何事もなく終わるはず。
「あ゛、あそび…ましょ」
「おさかなとれるかなぁ」
木陰から私達の姿を覗く二体の呪霊は加茂がいるせいか此方の様子を伺い、目が合っても飛びかかってくる気配はなかった。
私は腰に下げたポーチの中から呪符を取り出す。
事前に呪力を込めて書かれた呪符を貼り付ける事で相手の動きを封じ、呪具でトドメを刺す…というのが己の戦闘スタイルであり、私が呪符を構えた事で加茂も臨戦体制へと入っていく。
「加茂は向こうやってよ。こっちは私一人でいい」
「待て、如月!」
私達の術式は相性が良い…らしい。
けれど当の私達の相性は最悪の中の最悪を極める。
…少なからず私にとっては一番組みたくない相手だ。
加茂家相伝の術式を持ち、次期当主を約束される大事に大事に育てられた嫡子なんて…同じ御三家出身であれど私とは次元が違いすぎる。
期待されるものがあり、持ち得る最大のものを全て持っているのならば意識が高く矜持が芽生えても納得がいく。
だからこそ余計に組むのが苦痛なんだ。
コイツは、その全てを当たり前のように此方に求めてくるから。
真希が京都ではなく、東京校にいくと当主に話をしに行った際詳細は知らないけれど、当主はその言葉に対して私や真衣に対しても相応の試練を与えると言ったらしい。
そのお陰か実力的には二級になれると周囲に言われる私は万年三級止まりとなり、コイツとの任務ばかりを請け負う羽目になる。
「加茂、終わったー!?こっちは完了し…た…」
本当になんて事ない討伐だった。
一人で良かったんじゃないかと思えるほどの手応えのなさに別れたはずの加茂の姿を探すとアイツも討伐を終えたように見えて、私はいつもと変わらぬ足取りでそちらに向かう。
唯一いつもと違ったのは…帳が上がらなかった事。
加茂の背後からもう一体呪霊が迫っていた事。
「…クソッ、加茂後ろ!」
加茂は術式に自身の血液を使う。
その際の貧血問題は事前のストックで対処しいる事は知っているもののアイツはもともと運動神経が良いわけではない。
元々の体力も人並みであり急襲にすぐ対処できる神経は…無い。
それらを術式でカバーしていることを少なからず知っている私は気に入らないとか、ムカつくとか…そういう感情を全て放り投げて全力で駆け出していた。
ドン、と力任せに身体をぶつけ加茂の体制を無理やり崩すと間一髪。
呪霊の不意打ちを免れることに成功し、加茂の術式によって呪霊はそのまま祓われた。
「すまない」
「…別に。帳上がったから帰る」
「待て…!如月、怪我をしたのか?」
宵闇が明るさを取り戻し任務の成功を告げていた。
さっさと帰ってご飯食べて寝よう。
一刻も早くこのド天然とおさらばして心の平穏を取り戻そう。
そう考えて補助監督の元へ戻ろうとした私の手を加茂が引いた。
その視線は私の太腿に注がれ、ぱっくりと裂けた皮膚は赤い雫を滴らせる。
痛みがないわけでは無い、けれど歩けないわけでも無い。
こんな怪我は日常であり気に止めるほどのことでも無く、何よりコイツが絡むと全てが面倒だと私はその言葉に首を振った。
「してない」
「……いや。してるだろ」
「気のせいでしょ」
「なぜ庇った。如月に万一の事があれば、きっと両親は悲しむ事だろう」
加茂の言葉に心底自分を嘲笑い私は歪んだ笑みを浮かべていたのだろう。
普段は寝てるのか起きてるのか判別すら難しい糸目が見開かれている姿に私の方が驚いたほどだった。
両親は娘が怪我をしたくらいで嘆くようなタマじゃない。
寧ろ庇ったのが加茂家次期当主なら両手を上げて喜ぶ姿さえ目に浮かぶ。
真衣達の両親にしても、己の両親にしても…禪院と言う名に於いて「親子の絆」なんてものはありはしない。
子が親の妨げになる事などあってはならず、そうなるならばその命に価値すらない。
加茂が自分を心配してくれるのは分かった。
けれどその言葉を素直に喜べるはずもなく、私は諦めたように首を振っていた。
「そんな訳ない」
「…そんな訳なくない。君は女性で…」
「…爛れた女、だから」
「は?」
「私は家でそう呼ばれてた。クソみたいな筆頭に鬱憤を溜めた奴らの玩具だった。幸い真衣や真希は現当主の姪になるから同じ立場でもそこまでする人は居なかったし、両親は私の状況を見て見ぬ振りをして自分達の家での地位を選んだ。…だから逃げた。
アンタみたいな立派なものなんて持ってない。私は高専に、逃げて来たんだから」
今更になって己の置かれた状況に己を憐れんだ。
他者からの言葉に自分の境遇を再認識して嘆き弱音を吐くなんて…馬鹿としか言いようがない。
加茂の手を振り払い、少しばかり引きずるようにして歩き始めた私の姿に一瞬惚けた加茂はハッとしたように私の前にやってくると背を向けて肩肘を付いた。
「なに?」
「乗れ、背負っていく」
「そういうの要らない」
「要らなくない。…すまない、私は君を少し誤解していたらしい。だから、私の話も聞いて欲しい」
加茂らしくない少し小さくなった背中。
さすがにもたつきすぎたのか流れる血は止まりきらず視界がぼやけ始めた気がしてくる。
早くしろと促されると私は重くても知らないからと、憎まれ口を一つ叩きながらその背中に身体を預けた。
「六歳の時だ」
「…は?何が」
「私の話を聞いて欲しいと言っただろう」
「ああ…。いや、前振り無さすぎでしょ」
唐突に始まった加茂の自分語りに普段ならば苛つきを覚えたはずなのに、今はそんな気力すら無くなってしまった。
黙って背中に凭れるわたしを少し気遣いながら舗装されない道を歩く加茂は再び語り始めていく。
「六歳の時、私は加茂家の嫡男として迎え入れられた」
「は?何…迎え入れられたって」
「正室が術式を継いだ男児を産めなかった為に嫡男と偽り迎え入れられたんだ。私の母は側室で、周囲から虐げられ爛れた側女と…そう言われていた」
「…はは、何それ。クズの極みじゃん」
日本の婚姻制度を丸っ切り無視した側室なんて言葉、現代では授業でしか耳にしない。
そんな破綻する事前提の中生まれたと言うのなら…。うちよりまともだと思っていた加茂家というのもなかなかクズを極める御家柄らしい。
口癖のように加茂家嫡男として相応しい振る舞いを。
そう言っていた言葉の裏にこんな過去があるだなんて知らなかった。
私は私の過去を誰にも明かしはしなかったし、知らない人間が何を言おうが思おうが…勝手な事だと思っていたけれど。
…それは私自身にも当てはまる言葉だったのかもしれない。
「私の邪魔になるからと母は自ら身を引いた。別れの際に助けた数だけ人に認められる。そうすれば今度は色んな人が私を助けてくれる。…そう言ったんだ」
「…ごめん。私、アンタの事碌に知らず毛嫌いしてた」
欲しいものはなんでも持ってる、私とは違う人だと勝手に思い込んでいた。
加茂は加茂なりに、抱えたものと戦いながら必死に頑張っていた…そんな可能性すら抱く事なく表面だけの言葉をさそのまま捉え、うざいと一蹴した自分のことを今の私は恥じていた。
すると加茂の脚が突然ピタリと止まった。
大袈裟なほどに声を張り上げ信じられないとでも言うように吐き出された言葉に私はさらに脱力する羽目になる。
「私は嫌われてたのか!?」
「…どんだけ鈍いんだよ。まぁ…今はそこまでじゃないよ。助けてもらってるし」
「如月はさっき、私を助けてくれたのだから私が助けるのは当然だろう。すまない、それと…ありがとう」
「…私も、ありがとう」
その日を境に、少しだけ私は加茂の事が苦手でも嫌いでもなくなっていった。
母親の事が大好きな育ちのいいド天然の坊ちゃん。
そう思えば僅かに可愛いとさえ思えるようになり、クラスでも任務でも…ほんの少しだけ会話は増えたように思える。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
先日の一件から数ヶ月。
茹だる様な夏の暑さは少しずつ息を潜め、朝晩ともなれば肌寒い日が続く様になってくる。
少しずつ距離を詰めた私達は互いに名前で呼び合うくらいの仲になっており、いくら日々任務に追われる呪術師と言えどその中身は十代の遊び盛りの子供である。
異性から何かに誘われたとなれば浮き足立つのも仕方ない…のだけれど。
「真那、TOEICに挑戦しないか?」
「…は?何それ」
「国際的な意思疎通を図れる英語のテストだ。私は今九百点台に挑戦しているんだが一緒にやってみないか?」
その言葉に私は目を瞬かせ耳を疑った。
…コイツは今一体何と言ったのだろう。
TOEICという言葉を知らないわけではない。
けれど狩衣が制服の見るからに純和風な見てくれからそんな横文字が登場するとは思わず、私は再度瞬きを繰り返す。
見た目とは時に此方の予想を大きく裏切って行く。
緑茶しか飲まないと思える見た目をしながら加茂の好きな飲み物は珈琲であり、現在もその腕に大事そうに抱えられているのはTOEICの問題集。
…色々とギャップが凄すぎる。
それでも、こうして何かに誘われるというのは…不思議と悪い気はしなかった。
「参考書一緒に選んでくれるなら考えなくもない」
「そうか!それなら善は急げた。今から行こう」
「え!?はぁ!?」
いそいそと身支度を始めた憲紀は机の中から貴重品を取り出して早く身支度を始めて行く。
…しれっとハンカチとティッシュまで収めているあたり流石としか言いようがない。
後日休みの日にでも…なんて考えは甘かったらしい。
別にデートみたいな雰囲気を味わいたかった訳では無いけれど、ほんの少し…それでもよかったのでは無いかと考えた思考に私は大きく首を振った。
「なんだか真那ちゃん、最近加茂君と仲良いね。楽しそう」
「振り回されてるの間違いでしょ。ごめん、桃。行ってくる」
「気をつけてね〜」
教室の扉の前、まだかまだかと私の姿を待つ犬の様な姿を見ると思わず笑みが溢れた。
貴重品だけを引っ掴んだままその側に寄ると私達は街へ繰り出し憲紀が薦めるがまま数冊の本を買うと他に買い物なんてデートらしい事をする筈もなく、私達は真っ直ぐ帰路に着くことになる。
「あ、のりぴー」
「憲紀だ」
「のりのりコンビニ寄っていい?」
「憲紀だ」
時折こうして名前を弄って揶揄うと、必ず憲紀はそれを頑なに受け入れず言い直す。
それが面白くて最近はあらゆる呼び方を模索しては呼んでみることが二人である時のちょっとした楽しみになっており、今日もそれは例外ではなかった。
「お腹すいたんだよね。なんか買って食べたい」
「真那はよく食べるな。大きくなる」
「育ち盛りなめんなよ。まだ横には育ってない」
天然発言も慣れれば遇らう術を覚え始め、以前の様に突っかかる事も無くなっていた。
すっかり冬に向けての準備を始めた小さな店内ではおでんやら、肉まんやら…食欲をそそる食べ物がここぞとばかりに並んでいる。
「のり、なんか買うの?」
「憲紀だ。私はお茶でいい」
片手に持ったお茶のペットボトル。
コーヒーはゆっくりした時間に飲みたいからと外で買うことはあまり無いらしい。
何より、コイツ一人ではコンビニのホットコーヒーを一人で注文できるかも疑問だし、今そんなものを頼まれたら服装と似合わなすぎて私の腹筋が崩壊する。
「それくらいなら奢るよ、貸して。私は…すみません、肉まんとあんまん下さい」
女といえど育ち盛り。
腹が減っては戦はできぬ。
肉まん一つでお腹いっぱいなんて可愛い胃袋は持ち合わせては居らず、恥じらう様な相手でも間柄でも無い。
この後もまだやることは控えており、夕飯まで時間もあるとなればこれくらいの腹ごなしは必要不可欠なのも仕方はない。
ダイエットは明日からだと何度目かになる誓いを立てて差し出されたレジ袋の中からお茶を取り出すと、店内を抜けてすぐに私は憲紀に差し出し自分は固定式のバリカーに凭れながら熱々の肉まんを取り出して口いっぱいに頬張った。
「おいひー」
熱いものは熱いうちに。
冷めてしまってはせっかくの肉まんに申し訳ないと憲紀の存在など気にも留めず私の腹ごなしは続いて行く。
あっという間に平らげた肉まんに物足りなさを感じ、次のあんまんに手を伸ばすとそれも勢いよく口いっぱいに頬張りながら私の顔は緩んでいって。
憲紀はその姿をじっと見つめており、手にしたペットボトルを眺めながら少し懐かしそうにしていた気がする。
「美味しそうに食べるものだな」
「だって美味しいもん」
「たくさん食べることは良いことだ。私は好きだよ」
最後の一言だけを何故か私の鼓膜は誇張して拾ったかの様な錯覚を覚えた。
きっとコイツの事だ。
たくさん食べる子が好きなのであって、それが私と結びつくはずがない。
それなのに、自分でも戸惑う程鼓動が早鐘を打っていた。
「…あっそ」
「どうかしたのか?」
「…なんでもない」
ほんの少し赤くなった顔を逸らし、私は残りのあんまんをパクパクと勢いよく平らげる。
甘い甘いデザートの筈だった。
それなのに憲紀の言葉に意識が向きすぎて、味なんて途中から全く感じられなくなってしまっていた。
空蝉は抜け殻。
空に飛び立ったその中身は空っぽのまま。
けれど少しずつ、その虚空が満たされて行く。
君がいて私がいる。
その事実が私にとって、少しだけ今を生きている意味を見出した気がした。
まるで蝉の抜け殻のような。
明確な目的や夢なんて無い、適当にただ生きるだけの存在。
…それが私だった。
ーーー禪院家に非ずんば呪術師に非ず、呪術師に非ずんば人に非ず
呪術界御三家、禪院の家に生まれ大して役に立たない術式に恵まれてしまったことが不幸の始まりだったのかも知れない。
禪院では男児は入隊を義務付けられる組織があり、術式を持てば女児とてそれは例外では無かった。
高専資格条件で準一級以上の実力を認められた者達で構成さる「炳」
術式を所持しているが「炳」の銘打ち条件を満たしていない術師で構成される「灯」
そしてその条件すら満たさない、術式を持たない下部組織の「躯倶留隊」
…私は中途半端な術式を持ったが故に、何も持たなければ雑用として終えることの出来た生を「灯」として生きる事を両親に強制される。
一つ下に自分と同じ条件を満たした真衣が居り、その片割れの真希が自ら志願して躯倶留隊に所属して居た…。
女を尻と胸でしか判断できないクズの当主嫡男は私達のことをよく蹴り飛ばしては嘲笑い、クズの横暴に鬱憤を溜めた人達の捌け口にされ続ける。
高専にやって来たのは、呪術師になりたかった訳ではなく…逃げたかったからに過ぎなかった。
入学当時、クラスメイトは三人居た。
東堂葵、西宮桃、そして…加茂憲紀。
一般家庭出身の東堂と、お家柄出身の私達。
とりわけ加茂は私と同じ御三家の出で…相伝の術式を受け継ぐ嫡男であり、次期当主としての自覚を持ち御三家嫡流としての矜持の高さを意識するコイツが…私はとにかく気に入らなかった。
「君は禪院家の出だと聞いているが…やはり出来は良くないらしいな」
「だから何?先に言っとく、来年も禪院の人間が入学してくる。真希や真衣にそれを言うようなら容赦しない」
「二人とも、仲良くしようよ…」
桃が箒を抱えながら私と加茂のやりとりを不安な面持ちで見つめ、東堂はお気に入りのアイドルの事を一方的に語る。
一年になったばかりの頃から私はアイツが嫌いになり、御三家としての自覚が足りないと何かと私に己の思想を押し付けてくる加茂がうざくて堪らなかった。
連携なんて取れたものではなく、単独任務が可能な三人に対して私だけが落ちこぼれの三級と言うこともあり、逃げて来たはずなのに己の中に日々劣等感が募っていく。
二級以下に単独任務は行えない。
桃は術式的に索敵には優れているものの攻撃に特化してはおらず、特級術師、九十九由基のスカウトにより高専にやってきた東堂は流石と言うべきか一般家庭の出身にもかかわらず早々一級術師へと上り詰めてしまい…必然的に、私は加茂と組まされることが増えていきその度に鬱憤を溜めていた。
「…またアンタと任務だってさ」
「不満か?」
「当然」
「何故だ?」
「自分の胸に聞いてみたら?」
私の言葉に加茂は首を傾げながら己の胸に何故だと語りかける。
態と私を煽っているのか、それともただの馬鹿なのか…。
二年になっても相変わらず私たちの仲はいいとは言えず、釘を刺したはずなのに真衣の入学早々コイツは私に向けた言葉と同じ事を吐き私の逆鱗を撫でた。
悪意なくそれをやるからタチが悪いとしか言いようがないが、幸い真衣は昔ほどか弱くは無くその言葉を舌打ちをしながらも躱してくれた。
「今日の任務もそれほど難易度は高くない。分かっていると思うが如月は私の指示に従って…」
「五月蝿いよ。難易度高くないなら私に構わないで。勝手にやって終わらせるからその辺で茶でも飲んでれば?」
「茶が飲みたいのか?」
「…アンタとの会話疲れる」
その日の任務地の手前、私の言葉をどう捉えたのか目の前の自販機に向かった加茂は懐から財布を取り出すといそいそとお茶を買い始める。
任務前に荷物増やして馬鹿なんじゃないかと思うものの、手には二つのペットボトルが握られており、加茂はその一つを私に差し出した。
「…何?」
「飲みたかったんじゃないのか?」
「言ってないし」
「だが買ってしまった」
困ったように加茂は手にしたペットボトルを眺めて私に差し出す。
自分の分と思われるものはしっかりと懐に仕舞い込んでおり、コイツは任務前に何してるんだと…呆れてものも言えなくなった。
「水分補給は大事だ。夏場は暑さが堪える。熱中症にでもなったら大変だろう」
「梅干しでも食ってろ平安貴族」
「私は現代人だ。それに生憎梅干しは持ち合わせて居ない」
もしその狩衣装束からタッパーにでも詰められた梅干しなんて出て来た日にはその重苦しい衣類の中に何を隠し持っているのかと、私は好奇心に勝てそうにない。
くだらない会話さえコイツとだと普段の数倍体力を消費する気がするのは気のせいではない無いだろう。
…天然とはある意味最強で恐ろしい。
帳が降りた宵闇の空間。
ずかずかとその中に脚を踏み入れる私の背後から加茂が続いていた。
「…なんかおかしい」
「そうだな。油断するな」
辺りに蔓延る呪いの気配。
それなのに、それに見合う姿が全く見つからない。
任務地は人里離れたキャンプ場の一角だった。
数年に一度は川で死亡者が出ているような…曰く付きの場所であり、近隣の住民の間では「出る」と専らの評判だと言う。
大型連休前の平日という事と、事前に高専側が手を回しているおかげで人の気配は感じられない。
祓ってしまえば…何事もなく終わるはず。
「あ゛、あそび…ましょ」
「おさかなとれるかなぁ」
木陰から私達の姿を覗く二体の呪霊は加茂がいるせいか此方の様子を伺い、目が合っても飛びかかってくる気配はなかった。
私は腰に下げたポーチの中から呪符を取り出す。
事前に呪力を込めて書かれた呪符を貼り付ける事で相手の動きを封じ、呪具でトドメを刺す…というのが己の戦闘スタイルであり、私が呪符を構えた事で加茂も臨戦体制へと入っていく。
「加茂は向こうやってよ。こっちは私一人でいい」
「待て、如月!」
私達の術式は相性が良い…らしい。
けれど当の私達の相性は最悪の中の最悪を極める。
…少なからず私にとっては一番組みたくない相手だ。
加茂家相伝の術式を持ち、次期当主を約束される大事に大事に育てられた嫡子なんて…同じ御三家出身であれど私とは次元が違いすぎる。
期待されるものがあり、持ち得る最大のものを全て持っているのならば意識が高く矜持が芽生えても納得がいく。
だからこそ余計に組むのが苦痛なんだ。
コイツは、その全てを当たり前のように此方に求めてくるから。
真希が京都ではなく、東京校にいくと当主に話をしに行った際詳細は知らないけれど、当主はその言葉に対して私や真衣に対しても相応の試練を与えると言ったらしい。
そのお陰か実力的には二級になれると周囲に言われる私は万年三級止まりとなり、コイツとの任務ばかりを請け負う羽目になる。
「加茂、終わったー!?こっちは完了し…た…」
本当になんて事ない討伐だった。
一人で良かったんじゃないかと思えるほどの手応えのなさに別れたはずの加茂の姿を探すとアイツも討伐を終えたように見えて、私はいつもと変わらぬ足取りでそちらに向かう。
唯一いつもと違ったのは…帳が上がらなかった事。
加茂の背後からもう一体呪霊が迫っていた事。
「…クソッ、加茂後ろ!」
加茂は術式に自身の血液を使う。
その際の貧血問題は事前のストックで対処しいる事は知っているもののアイツはもともと運動神経が良いわけではない。
元々の体力も人並みであり急襲にすぐ対処できる神経は…無い。
それらを術式でカバーしていることを少なからず知っている私は気に入らないとか、ムカつくとか…そういう感情を全て放り投げて全力で駆け出していた。
ドン、と力任せに身体をぶつけ加茂の体制を無理やり崩すと間一髪。
呪霊の不意打ちを免れることに成功し、加茂の術式によって呪霊はそのまま祓われた。
「すまない」
「…別に。帳上がったから帰る」
「待て…!如月、怪我をしたのか?」
宵闇が明るさを取り戻し任務の成功を告げていた。
さっさと帰ってご飯食べて寝よう。
一刻も早くこのド天然とおさらばして心の平穏を取り戻そう。
そう考えて補助監督の元へ戻ろうとした私の手を加茂が引いた。
その視線は私の太腿に注がれ、ぱっくりと裂けた皮膚は赤い雫を滴らせる。
痛みがないわけでは無い、けれど歩けないわけでも無い。
こんな怪我は日常であり気に止めるほどのことでも無く、何よりコイツが絡むと全てが面倒だと私はその言葉に首を振った。
「してない」
「……いや。してるだろ」
「気のせいでしょ」
「なぜ庇った。如月に万一の事があれば、きっと両親は悲しむ事だろう」
加茂の言葉に心底自分を嘲笑い私は歪んだ笑みを浮かべていたのだろう。
普段は寝てるのか起きてるのか判別すら難しい糸目が見開かれている姿に私の方が驚いたほどだった。
両親は娘が怪我をしたくらいで嘆くようなタマじゃない。
寧ろ庇ったのが加茂家次期当主なら両手を上げて喜ぶ姿さえ目に浮かぶ。
真衣達の両親にしても、己の両親にしても…禪院と言う名に於いて「親子の絆」なんてものはありはしない。
子が親の妨げになる事などあってはならず、そうなるならばその命に価値すらない。
加茂が自分を心配してくれるのは分かった。
けれどその言葉を素直に喜べるはずもなく、私は諦めたように首を振っていた。
「そんな訳ない」
「…そんな訳なくない。君は女性で…」
「…爛れた女、だから」
「は?」
「私は家でそう呼ばれてた。クソみたいな筆頭に鬱憤を溜めた奴らの玩具だった。幸い真衣や真希は現当主の姪になるから同じ立場でもそこまでする人は居なかったし、両親は私の状況を見て見ぬ振りをして自分達の家での地位を選んだ。…だから逃げた。
アンタみたいな立派なものなんて持ってない。私は高専に、逃げて来たんだから」
今更になって己の置かれた状況に己を憐れんだ。
他者からの言葉に自分の境遇を再認識して嘆き弱音を吐くなんて…馬鹿としか言いようがない。
加茂の手を振り払い、少しばかり引きずるようにして歩き始めた私の姿に一瞬惚けた加茂はハッとしたように私の前にやってくると背を向けて肩肘を付いた。
「なに?」
「乗れ、背負っていく」
「そういうの要らない」
「要らなくない。…すまない、私は君を少し誤解していたらしい。だから、私の話も聞いて欲しい」
加茂らしくない少し小さくなった背中。
さすがにもたつきすぎたのか流れる血は止まりきらず視界がぼやけ始めた気がしてくる。
早くしろと促されると私は重くても知らないからと、憎まれ口を一つ叩きながらその背中に身体を預けた。
「六歳の時だ」
「…は?何が」
「私の話を聞いて欲しいと言っただろう」
「ああ…。いや、前振り無さすぎでしょ」
唐突に始まった加茂の自分語りに普段ならば苛つきを覚えたはずなのに、今はそんな気力すら無くなってしまった。
黙って背中に凭れるわたしを少し気遣いながら舗装されない道を歩く加茂は再び語り始めていく。
「六歳の時、私は加茂家の嫡男として迎え入れられた」
「は?何…迎え入れられたって」
「正室が術式を継いだ男児を産めなかった為に嫡男と偽り迎え入れられたんだ。私の母は側室で、周囲から虐げられ爛れた側女と…そう言われていた」
「…はは、何それ。クズの極みじゃん」
日本の婚姻制度を丸っ切り無視した側室なんて言葉、現代では授業でしか耳にしない。
そんな破綻する事前提の中生まれたと言うのなら…。うちよりまともだと思っていた加茂家というのもなかなかクズを極める御家柄らしい。
口癖のように加茂家嫡男として相応しい振る舞いを。
そう言っていた言葉の裏にこんな過去があるだなんて知らなかった。
私は私の過去を誰にも明かしはしなかったし、知らない人間が何を言おうが思おうが…勝手な事だと思っていたけれど。
…それは私自身にも当てはまる言葉だったのかもしれない。
「私の邪魔になるからと母は自ら身を引いた。別れの際に助けた数だけ人に認められる。そうすれば今度は色んな人が私を助けてくれる。…そう言ったんだ」
「…ごめん。私、アンタの事碌に知らず毛嫌いしてた」
欲しいものはなんでも持ってる、私とは違う人だと勝手に思い込んでいた。
加茂は加茂なりに、抱えたものと戦いながら必死に頑張っていた…そんな可能性すら抱く事なく表面だけの言葉をさそのまま捉え、うざいと一蹴した自分のことを今の私は恥じていた。
すると加茂の脚が突然ピタリと止まった。
大袈裟なほどに声を張り上げ信じられないとでも言うように吐き出された言葉に私はさらに脱力する羽目になる。
「私は嫌われてたのか!?」
「…どんだけ鈍いんだよ。まぁ…今はそこまでじゃないよ。助けてもらってるし」
「如月はさっき、私を助けてくれたのだから私が助けるのは当然だろう。すまない、それと…ありがとう」
「…私も、ありがとう」
その日を境に、少しだけ私は加茂の事が苦手でも嫌いでもなくなっていった。
母親の事が大好きな育ちのいいド天然の坊ちゃん。
そう思えば僅かに可愛いとさえ思えるようになり、クラスでも任務でも…ほんの少しだけ会話は増えたように思える。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
先日の一件から数ヶ月。
茹だる様な夏の暑さは少しずつ息を潜め、朝晩ともなれば肌寒い日が続く様になってくる。
少しずつ距離を詰めた私達は互いに名前で呼び合うくらいの仲になっており、いくら日々任務に追われる呪術師と言えどその中身は十代の遊び盛りの子供である。
異性から何かに誘われたとなれば浮き足立つのも仕方ない…のだけれど。
「真那、TOEICに挑戦しないか?」
「…は?何それ」
「国際的な意思疎通を図れる英語のテストだ。私は今九百点台に挑戦しているんだが一緒にやってみないか?」
その言葉に私は目を瞬かせ耳を疑った。
…コイツは今一体何と言ったのだろう。
TOEICという言葉を知らないわけではない。
けれど狩衣が制服の見るからに純和風な見てくれからそんな横文字が登場するとは思わず、私は再度瞬きを繰り返す。
見た目とは時に此方の予想を大きく裏切って行く。
緑茶しか飲まないと思える見た目をしながら加茂の好きな飲み物は珈琲であり、現在もその腕に大事そうに抱えられているのはTOEICの問題集。
…色々とギャップが凄すぎる。
それでも、こうして何かに誘われるというのは…不思議と悪い気はしなかった。
「参考書一緒に選んでくれるなら考えなくもない」
「そうか!それなら善は急げた。今から行こう」
「え!?はぁ!?」
いそいそと身支度を始めた憲紀は机の中から貴重品を取り出して早く身支度を始めて行く。
…しれっとハンカチとティッシュまで収めているあたり流石としか言いようがない。
後日休みの日にでも…なんて考えは甘かったらしい。
別にデートみたいな雰囲気を味わいたかった訳では無いけれど、ほんの少し…それでもよかったのでは無いかと考えた思考に私は大きく首を振った。
「なんだか真那ちゃん、最近加茂君と仲良いね。楽しそう」
「振り回されてるの間違いでしょ。ごめん、桃。行ってくる」
「気をつけてね〜」
教室の扉の前、まだかまだかと私の姿を待つ犬の様な姿を見ると思わず笑みが溢れた。
貴重品だけを引っ掴んだままその側に寄ると私達は街へ繰り出し憲紀が薦めるがまま数冊の本を買うと他に買い物なんてデートらしい事をする筈もなく、私達は真っ直ぐ帰路に着くことになる。
「あ、のりぴー」
「憲紀だ」
「のりのりコンビニ寄っていい?」
「憲紀だ」
時折こうして名前を弄って揶揄うと、必ず憲紀はそれを頑なに受け入れず言い直す。
それが面白くて最近はあらゆる呼び方を模索しては呼んでみることが二人である時のちょっとした楽しみになっており、今日もそれは例外ではなかった。
「お腹すいたんだよね。なんか買って食べたい」
「真那はよく食べるな。大きくなる」
「育ち盛りなめんなよ。まだ横には育ってない」
天然発言も慣れれば遇らう術を覚え始め、以前の様に突っかかる事も無くなっていた。
すっかり冬に向けての準備を始めた小さな店内ではおでんやら、肉まんやら…食欲をそそる食べ物がここぞとばかりに並んでいる。
「のり、なんか買うの?」
「憲紀だ。私はお茶でいい」
片手に持ったお茶のペットボトル。
コーヒーはゆっくりした時間に飲みたいからと外で買うことはあまり無いらしい。
何より、コイツ一人ではコンビニのホットコーヒーを一人で注文できるかも疑問だし、今そんなものを頼まれたら服装と似合わなすぎて私の腹筋が崩壊する。
「それくらいなら奢るよ、貸して。私は…すみません、肉まんとあんまん下さい」
女といえど育ち盛り。
腹が減っては戦はできぬ。
肉まん一つでお腹いっぱいなんて可愛い胃袋は持ち合わせては居らず、恥じらう様な相手でも間柄でも無い。
この後もまだやることは控えており、夕飯まで時間もあるとなればこれくらいの腹ごなしは必要不可欠なのも仕方はない。
ダイエットは明日からだと何度目かになる誓いを立てて差し出されたレジ袋の中からお茶を取り出すと、店内を抜けてすぐに私は憲紀に差し出し自分は固定式のバリカーに凭れながら熱々の肉まんを取り出して口いっぱいに頬張った。
「おいひー」
熱いものは熱いうちに。
冷めてしまってはせっかくの肉まんに申し訳ないと憲紀の存在など気にも留めず私の腹ごなしは続いて行く。
あっという間に平らげた肉まんに物足りなさを感じ、次のあんまんに手を伸ばすとそれも勢いよく口いっぱいに頬張りながら私の顔は緩んでいって。
憲紀はその姿をじっと見つめており、手にしたペットボトルを眺めながら少し懐かしそうにしていた気がする。
「美味しそうに食べるものだな」
「だって美味しいもん」
「たくさん食べることは良いことだ。私は好きだよ」
最後の一言だけを何故か私の鼓膜は誇張して拾ったかの様な錯覚を覚えた。
きっとコイツの事だ。
たくさん食べる子が好きなのであって、それが私と結びつくはずがない。
それなのに、自分でも戸惑う程鼓動が早鐘を打っていた。
「…あっそ」
「どうかしたのか?」
「…なんでもない」
ほんの少し赤くなった顔を逸らし、私は残りのあんまんをパクパクと勢いよく平らげる。
甘い甘いデザートの筈だった。
それなのに憲紀の言葉に意識が向きすぎて、味なんて途中から全く感じられなくなってしまっていた。
空蝉は抜け殻。
空に飛び立ったその中身は空っぽのまま。
けれど少しずつ、その虚空が満たされて行く。
君がいて私がいる。
その事実が私にとって、少しだけ今を生きている意味を見出した気がした。
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